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青年未満
INTERMISSION
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 どこからどこまでが自分であるのか、分からない。
 摺り寄せた肌は同じ温度、繋がる部分は熱いが、自分も十分熱いようで。
 喘ぐ声も似ている。シーツを彷徨う手の動きまで真似ている。
 こんな風に繋がっていれば、いつか一つになれるような錯覚があった。
 考えたことを思わず口にすると、男が言う。
 それが望みなら、と。
 望んだら実現するのか。
 それとも目指した戦士の肉体が手に入らなかったように、指の間からすり抜けていってしまうのか。最初は望めるとも思わなかったものは腕の中にあるが、これもいつかすり抜けていってしまうのか。
 彼はそれを悲観的だとあしらう。
 自分はもともとそういう人間だと反撃すれば、口答えが気にいらなかったのだろう男は、抗う手を押さえ込んで身勝手に終焉へと向かわせる。
 いつか仕返ししてやるから、と更に憎まれ口を叩きながら男の策略に溺れる。
 もっと溺れたい。
 一緒に底まで沈んでいこうと、どちらが口にしたのだろうか。





 「なあ」
 彼女は研究室でプラントを覗き込む男に呼びかけられて、ボードに張った記録用紙から目を上げた。
 男の方はいつも彼女と違う研究をしているので、このプラントのことをよく知らない。その彼が示したのは二つ並んだプラントの一方に入った、被験体の脳波記録だった。
「こいつ、何でこんなに脳波の乱れが出てるんだ?」
 彼女は記録用紙に視線を戻して手を動かしながら答えた。
「夢を見ているのよ。夢と言っても、多分過去の記憶を繰り返し再生しているだけのようだけれどね」
「夢? でもこいつは失敗作なんだろ?」
「正確には施術は成功してるの。魔晄の反応過多で強度の中毒症状を引き起こしてるだけよ」
「それって失敗なんじゃないか」
 男は笑うが、彼女は眉を顰めて彼を睨み付けた。
 他人が携わる研究に口出しするのは、研究者として余りよい礼儀とは言いかねる。
「あ、また動いてるぜ。どんな夢なんだろうな」
「見せて」
 彼女の視線の意味も分からない無神経な男に、これ以上その被験体の傍にいて欲しくなかった。彼の身体をさりげなく退かせて、脳波グラフの排出口に立ち、そこから吐き出される長い紙に見入った。
「また泣いてるのかしら」
「泣いてる?」
「そうよ。普通に生活している人間の脳波を参考にするしかないけどね。ここ、まだ眠ってる状態でしょ」
 グラフを指し示すと男は興味津々で彼女の手元を覗き込む。
「ふんふん」
「ここで、夢を見始めてる。いい夢なんでしょうね。時々大きく動くのは笑ったり驚いたりしている程度の興奮だし、基本的には落ち着いてるのよ。で、ここ。さっき記録が始まった所──泣いてるのよ」
 男はへえ、と感心して、中毒発症者でもこんなにはっきり感情変動があるんだなあ、と独り言のように呟いた。
「もう少し経つと、完全に錯乱状態になるわ。それがいつものパターン」
 彼女も独り言を口にしながらプラントの中を覗き込んだ。
 魔晄に満ちたガラスの向こうは、淡い緑色の光を柔らかく放ち、被験体の滑らかな肌を同じ色に染めている。
 被験体がこの状態になったとき、まだ十六だったはずだ。今はもう十九か二十か。
 きちんと身体も成長している。筋肉こそ多少衰えているだろうが、移植手術が成功して胸の中央に残る刀傷以外の細かい傷跡なども全て消えていた。
 幼い顔立ちは余り変化がない。それでも少し硬質さが増して、男らしくなってきた。
「かわいそうに。何がそんなに悲しいの」
 聞こえることはないだろうが、それが彼女の被験体への口癖になりつつある。
 同じこの研究所で働く男たちは、皆被験体を物のように扱うが、彼女はまだその中でもマシな方だと自負している。
 もう研究成果は記録に収めきっているのだ。
 このコードCの彼も、その隣のプラントのいるコードZも、もう開放してあげていいのではと、彼女は何度も進言して来た。
 だが果たしてプラントから出て、普通の人間のように暮せるからといって、コードCは幸せなのだろうか。
 こんな風に、夢の中で泣くような被験体は他にはいない。魔晄に浸されて分からないが、彼は一日に何度か恐らく同じ夢を見ながら涙を流している。
「外に出ても、悲しいだけなのかしら」
 ぴくりとも動かない白く整った顔が、頷いたように思えた。
 睫毛が長く、開いたらさぞ大きいだろう目元は、まるで彼女が子供の時に見た陶器の人形のようだ。彼女は本が好きで、姉妹たちのように人形遊びは好まなかったが、それでも子供心に『美しい』と思った。
 動かない、本当に人形のような彼が、彼女に最も分かりやすいグラフの形で、何かを訴えようとしてることに少なからず心が揺さぶられている。
 そしてそれは彼女だけではない。
 隣のプラントにいるコードZは、被験体の中でも頑丈で意思が強く、魔晄の中にいながら時折目を覚まして、ガラス越しにコードCを見つめている。
 記録によれば、この二体は以前知人同士だったという。機密扱いになっているニブル魔晄炉でのあの事件で、セフィロスの手により重傷を負った二人なのだ。コードZは深い催眠から自らの力で目を覚ますほど、このコードCが心配なのだろう。
 グラフを眺めていた男が、いつしか紙面から目を上げて被験体を見つめていた。
 そうだろう、と彼女は思う。
 現在ここを預かる彼女でなくても、まるで羽化したばかりの生物のように、この青年はヒトの目を惹き寄せる。
 透き通る肌はまるで蜻蛉だった。目を離している隙に、息絶えてしまいはしないかと、その不安がヒトの目を釘付けにするのだ。
「女みたいだな。性器がついてなくて、その辺を歩いていたら一度寝てみたいな」
「馬鹿なこといわないで」
 男はそればっかりね、と彼女は本気で怒りを露に吐き出し、男とプラントの間に立ちはだかった。
「資料は見つけたんでしょ。上に戻りなさいよ。また宝条博士がキーキー怒り出すわよ」
「あの人の顔見てるより、ここでコードCと仲良くしたいよ、僕は」
「嫌な人。私だけじゃなくコードCにも嫌われたくないなら、さっさと出て行って」
 男は立ち上がり、しぶしぶ部屋から出て行く。
 彼女は溜息をつき、プラントのガラスに手を当てた。
 グラフがまた乱れ始めた。
 普通に活動している人間であれば、喚き、叫び、自害や破壊行為に及ぶほどの錯乱状態であっても、この青年は眠るように静かに目を閉じたままだ。
「大丈夫よ。そんなに苦しまないで、可愛いお人形さん。あなたを本当に大事にしてくれる人に、いつか出会う日が来るわよ。必ず」
 陶器の頬を、循環させている酸素の粒が這い登る。
 今は緑に染まっているが、元は美しい金色の髪が揺らめく。
「あら?」
 乱れていたグラフがいきなり静かになった。緩い曲線は穏やかな眠りや、リラックスした状態と同じである。
「私の声が、聞こえたの?」
 そんなはずはないと自嘲の笑みを浮かべたが、気付けば被験体の唇が小さく動いていた。
 手術後、このプラントに入れられてから、初めての肉体反応かもしれない。
 青年の唇が何度も同じ形に動く。
 短い言葉、もしくは誰かの名だろうか。
 彼女は嬉々として記録をつけ、誰かに報告しようと階上への扉を開けて走り出て行った。

 扉が閉まっても、プラントの中の青年は唇を動かし続けた。
 愛しく、憎むべき、そして憎みきれることのない、ただ一人の男の名の形に。


青年未満〜INTERMISSION(了)
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