青年未満
MISSION-3 ウータイ |
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グラスランドエリアのミッションが終了してから、クラウドは今まで以上に躍起になって自主訓練をした。ただソルジャーになりたいという一心だから、効率的でないというザックスの忠告も耳に入らなかった。
「あのなあ。酷使した筋肉は休めないと育たないんだぞ。動いて食って休む、これ基本だぞクラウド」
「分かってるよ」
仮にも先輩のアドバイスだ、とは思うのだが、今のクラウドにはそうやって立ち話する間すら惜しい。耳はそちらに向けながら、クラウドは一人演習場での素振りを続けている。
その手を、ザックスの大きな手が掴んで止めた。振り下ろした練習用の剣を奪われ、取り返そうとしたクラウドをザックスは軽くかわして見せる。
力と身体の差に唇を噛むクラウドへ、ザックスは常になく厳しい顔を見せた。
「分かってねえよ。お前、蛇退治から帰ってきてからおかしいぞ」
「返せって。邪魔するなよ」
「いい加減にしろ。上官命令だ。今日は帰って休め」
「こんな時だけ上官ヅラするなよ」
「お前が頑固だからだろ」
すっかり口喧嘩に発展している二人の険悪な状況を、常連のソルジャーたちが少し離れたところから傍観していた。それに気付いたクラウドは僅かに頬を紅潮させて俯く。
「お前、どうしたんだ。何焦ってんだよ」
「焦ってて悪いか」
立て板に水といった頑なな様子にザックスは大きく溜息をついた。
「マジで頼むからさ、休んでくれ。眠れねえってなら飲みにでも連れてってやるから。少し息抜きしねえと、本気で潰れるぞ」
「おい、クラウド」
遠巻きに見ていたザックスと同じソルジャーファーストがクラウドへ声をかけた。
「ザックスの言うとおり、ホントに根詰めすぎだ。オレたちも付き合うからさ、飲みにでもいこうぜ」
周囲の者数人にそう云い聞かせられて、クラウドは従わざるを得なくなった。
「大丈夫だ。お前でもちゃんと飲ませてくれるところに連れてってやるって」
無理矢理腕を引かれて屋内演習場から連れ出され、制服から私服へ着替えさせられ、クラウドはザックスを含む数名のソルジャーとダウンタウンへと向かった。
神羅兵たちが好む酒場は、アップタウンよりもダウンタウンの方が充実している。値段も安いからソルジャーたちも酒となればプレートの下へ行くことの方が多いらしい。
クラウドがダウンタウンに下りるのは、ミドガルズオルム駆除への道中通ったきりである。
遊びに行くこと自体に慣れていない。生活に必要最低限の金銭を残して、あとは故郷の母親に仕送りしているから、遊びに行く金もないのだ。
クラウドたちの向かった八番街は、ダウンタウンの中でも大きな繁華街だった。低層に住む者たちの住居は小屋というのが相応しいあばら家ばかりだったが、店は大きく、その種類も豊富だ。
途中立ち並ぶ飲食店や風俗店の呼び込みが激しく、慣れないクラウドは何度か腕を引かれて連れ込まれそうになった。
ソルジャーたちが助け舟を出して難を逃れたものの、道中、クラウドの機嫌は悪くなる一方だった。
「思春期の青少年に『かわいい』はねえよなぁ」
ザックスの呟きを聞いて、クラウドはギッと彼を睨み付けた。
それも、先程からクラウドを店に連れ込もうとする娼婦たちが、一様にクラウドへそう声をかけたからだ。
「しょうがねえだろ。百戦錬磨のおねーさんたちにとっちゃ、十代の青少年なんか処女みたいなもんなんだからよ」
「処女とかいうな」
「…ズバリ童貞って言われるよりいいじゃねえか」
呟きを聞き逃さなかったクラウドの怒りの拳が、ザックスの腹にヒットした。
大して力も入っていないはずなのに、しゃがみこんで苦しむザックスを置き去りにして、彼らは馴染みの店が並ぶ一帯に向かっていた。
「どこに…行くんですか?」
「お姉ちゃんが居るとこなら『マゼンダ』、男だけで騒ぐなら『よいどれ』、静かに飲むなら『サンセット』。どれがいい?」
演習場で馴染みになっているセカンドが答えた。彼は少尉だったが、それ以外に同行している三人も皆、彼と同等かそれ以上の地位にあるソルジャーだった。
「オレが、選ぶんですか?」
「遠慮すんなよ。せっかくだからお姉ちゃん居るとこにすっか?」
そう言ったのは追いついてきたザックスだった。
「緊張しちまったら意味ねえか。サンセットにすっか」
結局クラウドが選ぶ余地もなく、向かった店は『サンセット』という名のクラブだった。格調高いとも取れる内装は、かなり老朽した外観とは差があり綺麗な店ではあった。
だが席についた途端、コースターとつまみのナッツを運んできた女性の衣装に、クラウドは目を剥いた。
黒いベルベットの長い耳と白いふわふわした丸い尻尾。白いカラーとエンジ色の蝶ネクタイ、黒いレオタードに細かい網タイツ。十センチはあろうかというピンヒール。
記憶に間違いがなければ、バニーガールという奴だ。
「こいつ未成年だから、なんか軽いもんにしてくれ」
度肝を抜かれているクラウドを指差し、ザックスが勝手に注文をしている。
「オレ、酒飲めるんだけど」
「お前十五だろ。ミッドガルじゃ十八歳以上じゃねえと飲酒は認められてないんだよ。今日はこんだけ保護者がいるから特別だ」
「法律云々いうなら、保護者同伴だって飲んじゃいけないんじゃないか?」
ザックスの言い様へ横から口出ししたソルジャーの言葉に、注文を受けるバニーガールが小さく噴き出した。
その兎の格好をした女性従業員は、確かに外の世界でライフルを片手に持ち、地面を這いずり回っているクラウドにとって奇異なものとして映る。それでもにっこりと笑ってコースターを差し出すその表情は、神羅ビルの受付嬢よりもずっと人間的で美しく見えた。
「軽いお酒をご用意しますね」
慣れた化粧は上手い。ローズレッドに塗られた唇は扇情的でいながら下品ではないし、神羅ビルのOLより、もちろん故郷の化粧気のない女たちより、段違いに垢抜けて見えた。
クラウドが小さく頷くと、彼女は丸い大きな尻尾をつけた尻を向けて立ち去る。なんとはなしにそれを目で追っていたクラウドの頭を、右隣に座るザックスが小突いてきた。
「衝撃的か? 青少年」
「バニーガールは初めてだろ?」
「いい女だけど、ここの女の子にエッチなこと言ったり触ったりしたら、店追い出されっからな」
ソルジャーたちは口々に言ってクラウドを見た。全員上官にあたる面々に見下ろされて、クラウドは少々警戒心も露に彼らを見返した。
「クラウド、お前ミッドガルに来てから気になるコとかいないのかよ?」
いやな質問するな、と問いかけたザックスを睨みつけて呟く。何故か一斉に笑い声が上がるので、クラウドは再び機嫌が急降下した。
毎日毎日、基地の中で訓練に明け暮れているというのに、年頃の女の子に出会う機会などあるはずがない。間近に見るのはせいぜい食堂で働く母親くらいの年代の女性だ。彼女たちはクラウドと同年代の年若い兵士を可愛がってはいるが、それは子供としてで、クラウドらにとってもまた彼女たちは恋愛対象にはならないだろう。
「ザックス。お前、初体験いつだよ。なんか偉く早そうだよな」
これ以上後輩の機嫌を損ねるつもりはないらしく、左隣のソルジャーがザックスに矛先を向けた。
「うーんと…ミッドガルに出てきた年だから十四かな」
「早ぇよ、お前」
「相手は」
「通ってたバーのお姉さん」
年上かよ、と納得した風に頷く面々を眺めるクラウドは、こんな話題になるなら高級な店ではなく、安い騒げる居酒屋の方がよかったのではないかと密かに思う。血気盛んな年頃の男が揃えば猥談になるのは言わずと知れたことで、それはこんな革張りのソファには間違いなく似合わない。
「こいつなんか筆下ろし、玄人さんだぜ。な?」
「馬鹿。ハジメテってのは玄人さんとした方が、色々と教えてもらえるし、失敗なくていいんだよ」
ムキになって指摘に答えたのは、クラウドの向かいに座るソルジャーで、彼はザックスと同じファーストだった。
ここで再び現れたバニーガールがグラスを運んできたため、一度会話は途切れた。だが、グラスを合わせて形ばかりの乾杯を済ませると、途端にクラウドへ矛先が戻った。
「こんなヨゴレな連中の昔話はいいんだよ。クラウド、お前、好きな子とかいねえのか」
周囲が、ヨゴレはてめえだザックス、と口々に批難を浴びせたが、ザックスは軽くかわしてクラウドに問い掛けた。
「故郷には? 好きな子くらいいただろ?」
全員が再び興味津々に注視するので、クラウドは言葉に詰まる。
「幼馴染みで…気になる子はいたけど」
浮かんでいたのはティファの顔だ。彼女は故郷で隣の家の一人娘だった。しかし初恋というには、彼女との関係は曰くがあり過ぎる。
「幼馴染み! いいねえ」
「訂正。やっぱりオレたちみんなヨゴレだわ」
「いや…でも、あの…好きとか、そういうんじゃないと思う」
「今そう思っててな、オレらと同じヨゴレになってから『あれが初恋だったんだなあ』って気付くもんだよ」
意外と簡単に流されて、クラウドは落ち込みかかる思考を断つことができた。クラウドにとって彼女は信念を支える者でありながら、彼女とのことを思い出すのは同時に苦痛でもあった。
己の非力を思い知らされるからだ。
上官たちが口々に初恋の思い出などを語るのを聞きながら、やはり帰って、まだこなしていない練習メニューをやろうかとクラウドは考え始めていた。
ソルジャーとはいえ、酒にも酔う。短時間で散々な量を飲んでいるにも関わらずほろ酔い程度に見えるのは、彼らが皆、魔晄による肉体強化を受けたソルジャーだからに過ぎない。
それぞれ勝手な話題で話は弾んでいたが、暫くたつとザックスが再びクラウドへ顔を近寄せて言った。
「ミッドガルに来てから気になる奴、一人位いるんだろ、クラウド」
ザックスの口調はしっかりしているが、態度は完全にからんでいる。その質問も二度目だ。
「ザックス、それさっきも聞いた」
淡々と答えたクラウドの肩に腕を回してザックスがのしかかって来た。木の幹のような腕は重く、押し退けるのも困難だ。
「こいつー。答えろ、答えやがれ」
「よせよザックス。クラウド困ってんじゃねえか。お前みたく早々にヨゴレになっちまったら、オレ達ホントに汚ぇだけの集団になっちまうぞ」
「世紀の色男を捕まえて、ヨゴレヨゴレ言うなって。こいつはなあ、ヨノナカってのを知らなすぎるんだよ。躍起になって訓練したってなあ、この調子じゃソルジャーになって初陣出た途端におっ死んじまうタイプなんだよ」
酔っ払いの戯言だと思っても、クラウドにとってその言葉はショックだった。ザックスが自分を心配して言っているのだとしても、己の志を否定されたような気分になり、クラウドはザックスの腕を掴んだまま、そのほのかに赤く上気した顔を睨み付けた。
「オレだって、気になる奴くらい、いる」
「…なに?」
「セフィロス」
クラウドが平然と答えた瞬間、周囲の人間は硬直した。
見上げたザックスも一瞬の内に真顔に戻っている。真顔というよりは、呆気にとられていた。
誰かが唾液を飲み込む音が聞こえた。
スピーカーから微かに流れるBGMのピアノソナタが白々しく耳へ届いた。
「…クラウド…お前、本気で言ってんのか?」
ザックスはクラウドの肩へ回していた腕を外し、一言一言、区切るように問い直した。
「ミッドガルに来てから気になる奴だろ? だからセフィロスだって」
「クラウド、お前…そいつぁ、やめとけ」
「なんでだよ」
「あいつは美少年趣味はないし、何より百戦錬磨のお姉さんでも逃げ出す男だぜ。壊されちまうぞ」
ザックスの答えにクラウドが絶句する番だった。
「バ、バカ野郎! なに勘違いしてんだよっ。オレが言ってんのは単なる『気になる』人だって!」
ソルジャーというのは、とにかく飲む量が半端ではないのだと思い知らされた。
クラウドとて故郷では幼い頃から葡萄酒などは口にしていたので、見かけほど酒に弱い方ではない。だが、彼らの勧めるままに飲んでいたらいずれ潰されるだろうと踏んで、早々に抜け出す機会を窺っていた。
二軒目の店へ場所を移すと誰かが立ち上がったので、クラウドは寮に帰ると言い出した。ザックスが送っていくというのを断って、独り電車に乗り込む。
上層のプレートを支える大きな柱に、螺旋状に絡みつく線路は常に大きくカーブを描き続け、元々乗り物が嫌いなクラウドにとっては、たとえ短い時間でも苦痛で、無意識に車窓の外を眺めていた。
時折柱の隙間からミッドガルのダウンタウンが窺える。上層プレートに比べてずっと暗いダウンタウンは、その光量そのものが生活の水準を表しているようだった。そこから這い上がろうと躍起になって働く者が、一体どれほどいるのだろうか。
煌びやかなバーで、ソルジャーたちを常連に持つ高級クラブのあのバニーガールも、そうやって夢見る者の一人かもしれない。
あのグラスランドエリアの出兵以来、ソルジャーになる、というクラウドの願いはいっそ強迫観念に近いものになっていた。
肉体強化のなされていない一般人はソルジャーには太刀打ちできない。だからこそまず『彼』の隣に立つには、ソルジャーにならなくてはいけない。
故郷の人間にバカにされたくないという直感的な思いは、ミッドガルに出て以来薄れる傾向にある。外の世界がこれほど広く、あの村の中での出来事など些細すぎて話にもならないことを知ったからだ。
だが、ティファの事は自覚する以上に忘れられない。
守ると約束もした。
ザックスたちの勘ぐるような恋とは違うかもしれないが、肉親も少ないクラウドにとって、彼女が母親の次に守るべきものであることに変わりはない。
考え事に沈み込み苦手な車内をやり過ごすと、見慣れつつあるプレート上層の世界に景色が変わっていた。
この街も、故郷と大差ない荒波。
だからこそ嵐を抜けるために足掻けるのは、クラウドにとって大いなる自由なのだ。
すぐに部屋に直行して休め、というザックスの忠告を、クラウドは当然のように無視して、その足を屋内演習場へと向けた。
常連ともいうべき人間が出払っている上に、普段よりも遅い時間ともなれば利用者は殆どいない。クラウドが動ける服に着替え、準備を整えているうちに、数少ない先客も控えめに声を掛けて帰ってしまった。
これまでクラウドは殆どをザックスと共に訓練していた。彼がいない時も、必ず誰かがいた。遮るものもなく、だだっ広い演習場に人一人いないのは初めてのことである。
一抹の寂しさを感じなくもないが、閑散とした中央を陣取って、ストレッチから素振り、標的のサンドバッグを持ち出して、今度はそれに向けて一通りの練習を行う。
額や首筋から汗が流れるにまかせ、だが腕を伝ったものが掌を濡らすと、練習用の木刀が滑る。時折掌をズボンになすりつけて打ち込みを続けるが、吹き出す汗が散り、床までが滑るようになると、クラウドは手を止めざるをえなかった。
壁の端に立て掛けてあるモップを取り、自分が動いた周囲を拭いてまわる。
そして打ち込みへ戻る。
たった二つの行動の繰り返し。
単調で、ザックスと立ち会ってもらう練習にくらべればつまらないのは否めない。だがそうやって汗をかくのは、クラウドにとって楽しかった。日中に行う演習は成績こそ悪くなかったが、銃を撃つより剣の方が性に合っていると今は思う。
時間の経過を殆ど意識することなく無言で続けるクラウドは、乱れて速くなった呼吸を整えようと、剣を下ろした。
その時漸く、誰かに見られていることに気付く。
視線は、クラウドへ敵意を持つ者でないのは直ぐに分かった。だが鋭く突き刺さるようなそれは一瞬身を硬直させる。クラウドは顔を上げ、視線の主を捜した。
窓は全て閉められている。
三箇所ある出入口のうちの二つも完全に閉じられて、唯一はロッカールームからの出入口。それを塞ぐような影を見つけ、クラウドは半歩下がった。
人が少ないからと、演習場の灯りを半分消したのはクラウド自身だった。青みを帯びた蛍光灯が中央部の高い天井に三つ点いているきりで、広いホールの両端は暗い。
ロッカールームからの灯りを背に立つのは、長身の男だった。
見間違いようもない、腰より長い髪の男はこの神羅に一人きりのはずだ。
「集中するのはいいが、相変わらず注意が散漫だ」
影が口を開き、クラウドへ話し掛ける。
低い美声がどうして身を強張らせるのか。
「熱心だな。教官はどうした?」
灯りの下に歩み出た上官の姿に、クラウドはまた半歩下がる。
「教、官…?」
「ザックスが教官ではなかったのか?」
「ザックスは…皆と飲みにダウンタウンへ…」
「お前は?」
「オレは途中で帰ってきたから…」
まだ乱れている息を必死に整えようと、何度か深呼吸をする。
その姿を見て英雄セフィロスは右側の眉を微かに上げた。
「ザックスの話では、皆大層熱心だというのでな、久々に来てみたが…お前だけとは…」
「今日は、特別です」
「特別」
その意味を問いたいのか、それともただ繰り返しただけなのか、セフィロスの言葉は曖昧だ。
ゆっくりと足を運び、クラウドから三歩ほどの場所まで近寄ってくると、長身は一層威圧感を増した。
何か言わねばならないような気にさせる。
問われてもいないことを喋ってしまいそうな焦燥を掻き立てられる。
戦闘に出て彼と相対することだけは、クラウドはしたくない。ただその整った面を見ただけで恐怖する心を、この男は分かっているのだろうと思えば余計にだ。
「あの…」
しどろもどろになるのを分かっていながら、クラウドは焦燥に負けて口を開いた。
セフィロスは視線だけをクラウドへ向けた。
長い間、故郷で無視されることを恐れ続けたクラウドにとって、己へ向く視線が本能的に恐ろしいものでも構わないと思えた。彼はクラウドの話を聞くつもりがあるだけで、敵ではない。
「ザックスを捜しに来たんですか」
「ザックスを? …まさか」
一瞬歪めた口元は冷笑だった。
「何故、そう思う」
背の低いクラウドの表情を伺うように、セフィロスは軽く腰を折った。冷たい笑みを浮かべた顔が近寄る。
「なぜって…」
心では迫る焦りに逃げ出したいほどだったが、クラウドは必死に動揺を隠してセフィロスを見返した。その胸中を察しているかのような笑みを、彼は端正な顔に貼り付けたまま見つめて来る。
「あなたとザックスは仲がいいから」
「仲が…いい?」
セフィロスは更に腰を折り、顔を伏せる。それでもクラウドからは秀でた額が見えた。鋼色の髪の隙間から覗く睫毛は長い。それが微かに震えているのをいぶかしんでいると、彼はいきなり声を立てて笑い出した。
押し殺し、それでも堪えられずに洩らす低い笑い声を、クラウドは初めて聞いた。恐らく神羅中でも彼の笑い声を聞いた者はそう多くないだろう。
だが何時までもそれを納める気がないのを見て取り、クラウドは馬鹿にされているような気分になって、眉を顰めた。
「そんなにおかしい事ですか」
機嫌の悪さが声にあからさまだったのだろう、セフィロスは漸く笑いを止め、クラウドを見た。
「いや。だがそんな事を言われたのは初めてだ」
落ちかかった前髪をかき上げ、同時に上げた顔にはまだ笑みの余韻が残っていた。鋭い視線はそのまま、クラウドを再び見据える。
話を切り上げるきっかけも見つけられず立ち尽くすクラウドへ、その長い腕が伸ばされた。決して速い動作ではなかったが、半ば硬直していたクラウドは彼の意図を図ることも、避けることもできなかった。
指が、己の剣を持つ手に触れるのを他人事のように眺めていた。
「重心が高い。もう少し腰を開け。それに、この剣はお前には重いのではないか」
見上げた男には笑みはなく、上官の顔に見えた。
だが間近のそれはとても軍人とは―――人とも思えない秀麗さだ。
「…重い、です」
「あえてこれを使っているのか。まだ振り回されているように見える」
剣に据えられていた視線がクラウドの顔へ動き、無意識に呼吸を止めた。先程から視線が合うごとに、心拍数が上がっているように思えるのは何故だろうか。
「止めが甘い。振ることより、止めることに集中しろ」
セフィロスは数歩下がってから、顎でクラウドを促した。
やってみろ、ということだろう。
「上段に構え」
慌てて足を軽く開いて、言われた通り上段に構える。
「下ろせ」
振り下ろして、止める。
「まだ剣先がふらついている。もう一度」
構え、振り下ろし、止める。
「悪くない」
クラウドはセフィロスを見た。変わらぬ無表情でも、クラウドにとってそれは褒め言葉だったからだ。
「クラウド、だったな」
セフィロスはクラウドを見下ろし、腕を組む。
彼が自分を名で呼ぶのは初めてだった。
それまで少なからず感じていた彼への恐怖感が消える。彼の言葉の続きを待つ。
「お前とは何度か会ったが、笑った顔を初めて見た」
言われた言葉に驚き、つい口元に手をやったクラウドを見て、セフィロスはほんの僅か視線を緩ませた。
「笑っているほうがいい」
翻る長い髪、背を向け立ち去る彼を、クラウドは剣を持ったまま立ち尽くし、いつまでも眺めていた。
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クラウドは初めてミッドガルで新しい年を迎えた。
ミッドガルは東西大陸で、それどころか今や世界中で最も大きな街である。一企業ながら全世界を支配する神羅の街であることを誇るように、年末の街のデコレーション、イルミネーションは目を見張る眩さだった。
だが世の中の情勢は落ち着いているとは言い難い。
昨年春に休戦協定を結んだウータイとの戦争の名残り───揺り返しというべきか、ゲリラ戦で最後まで抵抗していた先鋭部隊の残党やレジスタンスが各地で行うテロ行為は、この頃一段と苛烈を極めた。
日中から夜まで、テレビを点ければ必ずその話題で持ちきりだった。
ザックスに言わせれば、それも神羅の情報操作だという。
「世界の最新兵器と最強のソルジャー部隊を抱える神羅以上にこの世界に脅威なんてねえよ」
自身がソルジャーでありながら、ベッドに寝転びながら言う彼はニヒルというのが相応しい笑みを浮かべて言う。
「放っといたって自然消滅するか、落ち着いちまう勢力を、それでも徹底的に潰したいってエゴだよな」
「でも…あんたもウータイへ行ったんだろ」
「ああ。どこの種族を一番殺してるかって言われたら、ウータイだろうな。それでファーストに上がったんだから」
寝返りを打って、体を横へ向け、ザックスはクラウドを正面から見た。
「お前の第一師団は新兵が多い。戦績を上げたい奴らがうじゃうじゃしてるから、この次は絶対借り出されるぞ。覚悟しとけ」
そして、そのザックスの言葉を証明するかのように、翌二月、クラウドの所属する第一軽装歩兵師団は出兵することになった。
その出兵の日は、故郷に比べればずっと温暖なミッドガルでも、五センチほど積もる雪が降った。年末年始のデコレーションが取り外され、魔晄炉と工場・乗用車から吐き出される排気にくすんだ街が、白いコーティングをされてほんの少しマシに見える。
化粧をした女のようだと、ザックスは言った。
そのザックスは今回の出兵から外され、遠征の間、ミッドガルで起きる可能性があるテロへの対抗策に借り出された。ソルジャーの殆どが遠征に加わるので、彼はソルジャー連隊長に任命されたらしい。
遠征の壮行式に向かう道すがら、彼が不機嫌だった理由は「街の警備は地味だ」ということだ。ザックスはとにかく派手なことが好きだった。
壮行式は今回の総司令官ハイデッカーの仕切りで行われた。
ソルジャーや兵士らが陰で『髭達磨』と呼ぶハイデッカーは、丸く大きな腹を揺らして壇上に登り、余りありがたくもない長い口上で遠征隊を送り出す。総司令官といっても、指揮をとるのは殆ど前線へ出向く総隊長や現場司令官で、髭達磨は神羅ビルから離れないのだ。
ウータイ軍残党掃討戦には、クラウドの所属する第一と第二軽装歩兵師団、戦車百輌の第一、二重装部隊、第一空挺部隊、それに今回の為に編成したソルジャー六部隊が参加する。昨年春以来最も大掛かりな遠征だった。
ハイデッカーが遠征隊指揮官を紹介すると言い出したのは、彼の演説が始まって二十分も経ったころだろう。
白兵を主とするクラウドら歩兵師団とソルジャー部隊を束ねるのは、もちろんあのセフィロスだった。誰もが納得する。
だが重装部隊と空挺部隊の指揮官だと紹介されたのは奇妙な女だった。彼女がミッドガルのレストランにいれば奇妙という言葉は当てはまらない。だがこれから戦争に行くとは思えない、露出度の高い真っ赤なワンピースにピンヒール。彼女はスカーレットと名乗った。名前に相応しい衣装には違いないが。
「なんだよ、あの女」
立ち並ぶ兵士の誰かが小声で囁いた。
「知らねえのかよ。兵器開発部統括…プレジデントの元愛人だって噂だ」
「愛人たって、自力で部長まで昇り詰めたんだ。なめてると痛い目みるぜ」
噂話に花を咲かせている間も、ハイデッカーは喋り続けている。
世界最強の軍隊が、この時ばかりは酷く頼りないものに見えた。
遠征隊は移動ルートも幾つかに分かれている。なんせ数千の兵が移動するのである。一度に輸送はできないし、縦に長く伸びて進軍することは、戦略上あまり良くないことなのだそうだ。
ソルジャー部隊は、ミッドガル郊外からゲルニカでジュノンを経由してウータイへ入る。先行するのは優遇されているというより、前もって現場の状況を偵察する為だという。
重装部隊は彼らの武器となる戦車と先行して出兵しており、陸路西に向かい、今頃はジュノンから輸送船で海を渡っている。
クラウドたち歩兵師団はこれからトラックや装甲車でジュノンへ向かい、空挺部隊のゲルニカで空路をピストン輸送され、ジュノンに駐留する第二歩兵師団は海路で移動となる。
クラウドはジュノンから空路でウータイへ入った。
勿論トラックでは車酔いを起こし、ゲルニカでも搭乗時間が短かったからいいもの、それでも酔わないはずはなかった。
だが二度目になれば多少学習する。上官の目を盗んで制服のヘルメットとマスクを取り去り、とにかく寝て過ごす。エンジン音もトラックのバウンドも、寝てやり過ごす。
以前の遠征の時よりは体力もついて、何より図太くなっている。こんな所で体力を削いで、ウータイに到着して役立たずでは困る。
その意気込みと高揚感が、比較的症状を軽くしているようだった。
食事休憩以外では進軍を止めず、陸路を丸四日、空路を八時間、西の端にある細長い大陸に足をつけたのは、出撃から五日目のことだった。
ウータイとは正確には市の名前だ。政の要となる市街地が北端にあり、その名がそのまま国名となった。
地図上では一番西にある俗に西極大陸と呼ばれ、その面積はミッドガルのある東大陸の四分の一ほど。だが南北に長く伸びて起伏も多いので移動には時間がかかり、地域によって気候ががらりと変わる。
ウータイ市のある北端は温暖で、土地も豊かだった。少し南下すると、かつては密林だったという荒れ果てた平地、さらに下ると切り立った崖に囲まれ、深い針葉樹の森が続く森林地帯、峠を越えると膝下の草しか生えない草原地帯である。
ゲルニカから見下ろした赤道直下のかつての密林地帯は、今やその名ばかりになっていた。何故なら3年ほど前、神羅軍が投下したナパームで一面焼け野原になったからだ。果敢にも新芽を出す木々もあったのか、少し緑も伺える。だが抉り取られた地盤、不自然に曲がる黒っぽい木々は、かつて密林だったことを信じるには物足りない。また一時期使用されたダーティボムの影響で、その土地には他ではお目にかかることのない、奇妙なモンスターが生息しているらしい。
今回の掃討戦は、このかつて密林だった地帯を抜け、森林地帯に逃げ込んだ残党の制圧を目的とする。
かつて汚染の激しかった地域に逃げ込んだ彼らは、後遺症にも悩まされているということだ。最もそれはニュースには流れず、クラウドもザックスから聞いた限りの事だった。気が重い出兵ではあるが、クラウドにとっては同時に昇進する数少ない機会でもある。
ゲルニカが高度を下げ、夕陽に染まったウータイの街が間近に迫った。
休戦協定を結び、公な戦闘が無くなったのは昨年の四月、まだ一年も経っていない。
大陸最大の街はくすんだ建物も、轟音を立てるゲルニカを見上げる力ない民の視線も、その戦いの爪あとをまだ色濃く残していた。
西極大陸の中央地域を先頭に布陣された神羅軍は、重装部隊がさきがけとなり、その直ぐ後ろにソルジャー部隊、ウータイ市への救援と称した反乱分子への警戒と先発隊の後方支援を任とする軽装歩兵がしんがりになっている。総勢四千強。
クラウドたち第一師団の兵士はソルジャー部隊の後続となり、その布陣は、ザックスが言っていた「血気のある奴を前に」という意図が明らかだった。
幌を取った吹きさらしのトラックの荷台に二個小隊が乗り込み、かなりのスピードで進軍していた。遮るものもない平地なので、数百メートル離れた隣のトラックまでが見渡せる。そうやって布陣を突破する者、潜んでいる者がいないことを確認していく。
既に重装部隊とソルジャーたちが通った後には何もなく、ただ戦車と装甲車が残した轍を辿っているようなものだった。
村に行き当たれば進軍を止め、一戸一戸家の中まで不審者を捜索し、かつてウータイ軍先鋭部隊の生き残り、今は反乱軍と呼ばれる残党の目撃情報を聞いて作業は終わる。
クラウドたちが立ち寄った村は、二十戸にも満たない小さなものばかりだった。
女子供が多い。石造りの家はまれで、バラックのような仮の建物を良く見かけた。どれも戦闘の遺物で組み上げてあるからか煤けている。
そして痩せた子供に強請られて、救援用の物資を落としていく。それを母子が喜んで受け取る。昨日の敵でも、明日に窮する彼らには大いなる助けだろう。
神羅の手で奪い、神羅の手で施しを与える。
馬鹿馬鹿しく、悲しい。
一つの村を出た時、疑問が膨らむといざという時撃てないぞ、と小隊長が新兵に告げた。そう言う小隊長自身も、彼の息子と変わらぬ子らを見れば、クラウドと同じことを思わずにはいられないのだろう。
時折モンスターが現れたが、それも少ない。奇妙な攻撃を仕掛けてくるものの、小隊が一斉射撃を行えばあっさり倒れていくようなものばかりだ。その形は虫に似ていて、大きいものでは一メートルあり気味が悪かった。
「野営の時に襲われたら嫌だよな」
誰かの言った言葉に皆が震え上がった。
大きな戦闘があれば、そんな暢気なことも言ってはいられない。だがクラウドの小隊はまだ人間には一発も発砲していない。
夕刻になると空挺部隊が頭上を行き交い、広域の偵察を行っていた。周囲に異常がないと判断されてから野営のポイントが決定し、軍は進行を止めて、簡易テントを張った。
そうして、ウータイ市を出てから三日目の昼、クラウドたち第一師団に無線連絡が入った。先行の重装部隊とソルジャー部隊が、森林地帯の手前に設置している本営からである。これに合流せよ、という内容だった。
ソルジャー部隊にはセフィロスがいる。クラウドの心は極々自然に湧き立った。
これからの指示は機密として一切一般兵には知らされない。
だが追い詰めた残党を狩るため、森林を塞ぐように神羅軍が集結していることは、軍内外どこから見ても明らかなことだった。
その夜、森林地帯が目の前に広がる平地に、クラウドら第一軽装歩兵師団を始め、先行していた第一第二重装師団、ファーストからサード五六十名のソルジャー部隊が六部隊が集まっていた。ウータイ市街に残してきた第二歩兵師団と空挺部隊以外の兵士が、この何もない荒地に集結していることになる。
警備の者を残して兵らは、停車したトラックを取り囲むように整列している。サーチライトが向けられた荷台へ、司令官スカーレットが出発の時とさほど変わりない出で立ちで登場し、ほどなくしてセフィロスが続いた。
出発以来、クラウドは彼の姿を始めて目にした。
グラスランドエリアのミッションの時と同じ、黒いコートに肩当、長い軍靴、胸を十字に走るベルト、そして正宗を手にしている。風に煽られた長髪がサーチライトの光に煌めく姿は、軍人というよりは映画俳優か何かを見ている気にさせる。
スカーレットも真冬の低気温にもものともせず、露出度の高いワンピースのまま、到底似合わないメガホンを持って話し出した。
「道中ご苦労。これから森林地帯へ入る。御存知のように、これ以降は道が険しく、重装師団は進行できないわ。私が指揮する部隊はこの場で待機、後方支援に当たって。後は我が神羅の英雄が頼みの綱よ」
褒め讃えるには毒のある言い方で、華美な女司令官は隣に立つもう一人の司令官にその場を譲った。女が差し出したメガホンは受け取らず、よく通る肉声は難なく列の端にいるクラウドの耳にも届いた。
「ソルジャー及び第一、第二大隊から一般兵の混成部隊を編成する。詳細はこの後各小隊長に通達。第三、第四大隊には本営確保を任せる。これまではウータイ先鋭部隊にも遭遇せず大きな戦闘はなかったが、この後は見通しが悪く進行速度も落ちる。今夜は各自十分に休息を取るように」
兵士たちは物音ひとつ立てず聞き入り、森の木々が風に揺れるざわめきだけがセフィロスの声に被る。身を翻した彼が荷台から消えると、周囲が一斉に息をついた気配が漂った。
「解散。第一、第二大隊各小隊長、本営テントに一八三○集合!」
小隊長たちが本営に走り出すのを尻目に、クラウドら一般兵は各自のテントに戻った。
幸か不幸か、クラウドの第一大隊はこの先へも進軍することになった。煮炊きの煙は敵に位置を知らせることになるので、暖かい食事は当分お預けである。食欲も旺盛な若者の集団は、先を争うように食事の場に向かった。
多くの兵士にとって最後のまともな食事になるとは、殆どの者がこの時思いもしなかったに違いない。
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すっかり日の暮れた西極大陸内陸部、目の前の森は黒い大きな影となって先を塞いでいる。その未知の森林へ進行する一部の兵士が、各隊のテントの中で小隊長を囲み、今後の指示を受けていた。
クラウドの第一小隊はたたき上げのササキ小隊長が率いる総勢十一名である。
「第一小隊は第二、第三、第四、第五小隊、それにソルジャー第一部隊と共に任務に着く。総隊長はソルジャー・セフィロス。ソルジャー各六部隊に五、六個小隊が配備された。第一部隊長はソルジャーファーストのクリス少佐、部隊コードは我ら第一からアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、プサイ、オメガだ。明朝○四一五にアルファ、ベータは森林地帯の中央を進行、明日○一○○には森林部を抜けて草原地帯へ出る。
「空挺部隊とソルジャーの偵察では、目標は森林南端部から草原地帯に集結しているものと思われる。数からすれば我が軍と比ではないが、彼らの地の利と先鋭戦術は侮れない。同行するソルジャー達の援護と警戒が我々の任務だ。いいな」
「アイアイサー」
小隊全員が声をそろえた。
「アルファ、ベータにはソルジャーセフィロスが同行する」
続けた小隊長の言葉に、兵士たちから感嘆とも安堵ともつかない声が漏れた。
「安心するのは早い。ソルジャーセフィロスが同行するということは、中央部がもっとも激戦になるかもしれないということだ。だが不安に思い詰める必要はない。この第一小隊は師団の中でも最も苛酷な訓練に耐えてきた。その成果を示す時でもある。油断せず、勇敢に戦える」
了解の答えと共に敬礼で答えた部下たちに、小隊長は小さな頷きで返した。
解散の声で各自の寝床へ、配給された数日分の携帯食を詰め、明日の準備を終える。クラウドは思ったほどの昂揚も感じず、これまでの疲れもあったのだろう、珍しく穏やかに眠りにつくことが出来た。時折、テントの外を巡回する警備兵の足音を聞いたように思ったが、次に目を開けた時は既に起床時刻だった。
外はまだ暗い午前四時、一斉にテントを解体した第一小隊は集合場所に向かう。
東の空がほの明るくなり始めたその場には、ほぼ集まり終えた兵士ら、それに薄暗い中でも目立つ銀髪の軍神が出発の時刻を待っていた。
森林地帯はその殆どが針葉樹林で、冬になっても葉を落とさず茂ったまま、木々の間隔は開いていて進行を阻むほどではないが、空挺部隊が上空から偵察しても地表を確認することは出来ない深い林だった。
アルファ、ベータの二部隊は一帯の中央を進行し、小一時間も経たないうちに二部隊は別れ、アルファ小山の峰へ、ベータは麓へ向かった。
現場司令官であり、今作戦総隊長のセフィロスはアルファ―――つまりクラウドのいる部隊のソルジャーたちと、クラウドの目の前を歩いていた。彼は振り返りもせず、時々左右へ目を走らせて黙々と前進している。
ソルジャー五十名、一般兵五十余名の一部隊は多いようで少ない。殆ど面識がないと思っていた同行するソルジャーの中には、クラウドが訓練場で会う面々もいて、その中にはザックスと共に八番街へ飲みに行ったソルジャーも混じっていた。
彼はあの時同行した内で、ザックス以外にただ一人ファーストだった男だ。
お互いに気付いて、彼は軽く手を挙げてさりげなくクラウドに近寄ってきた。
「よう、クラウド。第一小隊だからお前がいると思ってたんだ」
「えーと…」
「素人童貞の」
「ソルジャーヨセフ」
記憶にある名で呼ぶと、ヨセフは雀斑のある顔をくしゃっと笑いに歪めた。
小声のやりとりは長く続かない。どこに敵が潜んでいるともしれない為、私語は厳禁だったし、隊列を崩すと小隊長がすかさず睨み付けてくる。
「生き残れよ。帰ったらまた奢ってやる」
ヨセフはクラウドの頭を軽く叩いて、列に戻っていった。
ザックスと同年代の彼は、あの時の面子の中でもザックスと気心が知れた仲である。体型もザックスと良く似ているが、彼の方が童顔ゆえか若く見えた。
それでもソルジャーファースト、列へ戻った彼の顔は極真剣で、それを見たクラウドもここが戦場だと改めて認識させられる。
まだ敵とは遭遇していないが、これからより一層その危険は高まり、敵陣中に近づくにつれ戦闘が苛烈になることは予測できた。
だが不思議とクラウドは、自軍が負ける気はしなかった。
彼が、ソルジャーセフィロスがいる。それだけでウータイ軍残党は勝利の神に見放されているとクラウドは思った。
黙々と足を運び、太陽が中天に位置する頃、突然部隊が止まった。前方でセフィロスがグローブに包まれた手を上げ、それを見た各小隊長が隊を止めたのだ。
「小隊ごとに行動しろ。ソルジャー部隊、前へ」
意外にも通る声で指示を出したセフィロスに驚いたが、ソルジャーであるセフィロスが捉えた物音であれば、未だ敵は数百メートル先だと思われた。
ササキ小隊長の合図でクラウドら第一小隊は近くの物陰に身を潜める。
周囲は峰を下る途中の凹凸のある岩石と黒土の地面で、スギやマツなどの針葉樹が茂っている。その足元には腰丈の茂みがあり、身を潜める場所に事欠かない。クラウドは隊の仲間と共に黒っぽい岩陰に伏せた。前方に集まったソルジャーたちが戦闘体制に入る様子を眺めながら、クラウドはライフルの安全装置を外した。
「クラウド、数は撃たなくていい。的確に狙え」
クラウドの直ぐ後ろについたササキ小隊長が囁く。
「敵は色のついたバンダナを頭に巻く。薄い黄色がリーダー格だ」
小隊長の言葉の意味するところは、隊の中でも射撃成績の比較的いいクラウドに、狙撃手になれ、ということだろうか。
「躊躇するな。殺らなけりゃこっちが殺られるんだ」
クラウドの掌に瞬間汗が浮かぶ。
クラウドはまだ人間を殺したことがない。
モンスターや獣であれば、故郷にいる頃から狩る機会もあったし、これまでのミッドガル周辺の警備やグラスランドエリアでのミッションで二桁は倒している。
だが相手がヒトとなれば別だった。今頃になってザックスの言っていた『悩むことになる』という言葉を思い出し、口内に溜まった唾液を飲み込んだ。
命を奪うことに戸惑いがないはずはない。彼らもまた自分と同じように生活し、家族があり、友人がいる。
「クラウド。頼んだぞ」
小隊長は重ねて言うと、隣の茂みに潜む兵士のところへ身をかがめたまま走っていく。
クラウドは指をトリガーに掛けて、外した。指先が細かく震えていたからだ。
指先を口元に当てて噛み締め、銃身に添えた左手を掴む。
それでも震えは止まらなかった。
その間にも、前方にいるソルジャーたちはセフィロスの元で指示を受けて散っていく。彼らもまた物陰に身を潜めて様子を伺っている。
敵が近い証拠だった。
「クラウド、落ち着け」
隣で同じようにライフルを構えているのは、第一小隊の中で最も古参の軍曹である。白髪交じりの頭で、年齢は生きていたなら丁度クラウドの父親くらいのはずだ。
「割り切れ。お前が生き延びる為だ」
彼の囁き声に頷きで答えた。
その二十メートルほど前方で、最初の銃声と小さな土煙が上がったのはその時だった。
百メートルほど前方の繁みに、ウータイ軍残党の姿がちらちらと見え隠れしていた。
神羅軍の方が山の頂側になるため、彼らの姿は比較的捉えやすい。
まだ距離もあるからか、クラウドらが潜む周囲には殆ど弾丸が届いていない。思ったよりも短い時間で移動しているウータイ兵だったが、突出した数名が先手を打ったソルジャーらの魔法で倒されたことで警戒し、双方が前進を止めたのだ。
半ば膠着状態に陥っていた。
狙撃しろと言われても、はっきりと姿が見えないので狙いようがない。
そうこうしている内に、前方で身を低くしていたソルジャーの一人が、手を挙げて合図するのが見えた。
「ソルジャー部隊が前進する。第一小隊、威嚇射撃用意」
小隊長の声がして、ライフルを一斉にオートに切り替える音が響いた。
「絶対味方に当てるな。撃て」
周囲はあっという間に火薬の匂いが立ち込める。バタバタという連射の中でソルジャーが動いた。物陰から物陰へと動いていく。
「第一小隊、前進。ソルジャーの後ろにつけ!」
兵士らは威嚇射撃を続けながら這って動き出した。
クラウドも軍曹にならって前進するが、針葉樹の落ち葉が制服の隙間に突き刺さり、腕や足をちくちくと刺激する。それも死の恐怖にくらべればどうということはなかった。
ヘルメットの脇を数発の弾丸が飛んで行く。その軽い風を切るような音に、クラウドは汗を滲ませながら、次の物陰を目指して必死に進んだ。
ソルジャーたちは強化された肉体で、多少弾丸を受けても致命傷にはならない。無論脳や心臓に被弾すれば死ぬが、殆どの場合魔法で治すことができる。そしてセカンド以上ならば物理防御の魔法が使えるから、皆恐れる気配も見せずに進んでいく。
ようやっと二三十メートル進んだ頃、それまで防御に徹していたソルジャーたちが一斉に攻撃へ転じた。
クラウドの位置からは先陣を切るセフィロスの姿が良く見えた。
「第一小隊、発砲止め!」
トリガーは離したものの、小隊長のその指示もクラウドには虚ろに聞こえた。
セフィロスが手を上げる。
中空に光が走り、続いて落雷のような轟音。銃を向けたウータイ兵が数名弾かれたように物陰から吹き飛んだ。落ち葉の積もった地面に転がったウータイ兵は衣服を真っ黒に焦がし、全身からもうもうと煙を上げながら蠢き、すぐに動かなくなった。
サンダガ。周囲一帯の全体攻撃にも関わらず、四五名が即戦闘不能になった。
だがセフィロスは僅かも一所に留まらず走り出した。優雅にも見える動作で走りながら刀を抜き払い、繁みに向かって突撃する。
他のソルジャーたちもまた同じように彼らに突きかかって行った。
「第一小隊、左側へ回り込め! ソルジャーの魔法に巻き込まれるなよっ」
ウータイ兵の悲鳴が響く中を、クラウドたちは早い速度で前進した。敵兵の射撃はいまや殆どソルジャーたちに向いている。
彼らに向けて遠隔射撃を行う兵を殲滅するのがクラウドたちの仕事である。
左へ左へと進み、ソルジャーたちから距離が開かないように回り込むと、ソルジャーの戦いぶりに狼狽して横っ腹を晒す敵兵の小隊が見えた。混戦の場からは少し距離があり、まだ無傷の小隊だった。彼らはクラウドたちと同じような長銃を構え、セフィロスが刀を振るうソルジャー部隊を側面から狙っていた。
声を上げる間もなく、ウータイ兵の一斉射撃がセフィロスたちに襲い掛かった。
トタンを叩くような音が盛大に響き、ソルジャー達が体を揺らした。物理防御魔法で威力は弱まっているだろうが、石を投げられるくらいの衝撃はあるはずだった。数名のソルジャーが倒れ、一部は意図的に地面へ伏せる。
セフィロスだけが、まだその場に揺るぎなく立っていた。
「第一小隊、構え!」
物陰に飛び込んで長銃を構える。敵兵まで、殆ど遮るものはない。距離も五十歩程度。外す理由もない。
「撃て!」
クラウドはトリガーを引き絞った。
敵兵の死体の数を数える仕事がある。場合によっては、その部隊を殲滅させた証拠となるようなものを捜して持ち帰る。
元々休戦協定とはいえ、現実にはウータイ軍は神羅軍に降伏したのだ。今クラウドたちが追っているウータイ軍の残党は、中央部の指示を聞き入れず、最後まで抵抗することで誇りを守るべく正規軍を離反した者たちなのである。
だからこそ全体の兵力を予測し、殲滅するためにはどれだけの兵を倒したのか、把握しなければならない。
クラウドらアルファ隊と対したのは、五十名ほどの部隊だった。数も半分、武器も長銃や小銃、手榴弾程度だ。一般兵ならともかく、あっというまに距離を詰めてくるソルジャーが相手では、それらは余り有効な武器とは思えなかった。
持ち主を失い残された武器を集め、使えるものは拾って、弾切れのライフルなどは一箇所にまとめて火薬で吹き飛ばす。それを拾った敵兵が使えないようにするためだ。
クラウドは自分が撃ったと思われる敵兵も運んだ。
年はザックスより少し上くらいの若い男だった。穴の開いた頭部、血は既に固まりかけている。物言わぬ人形と化した敵兵の遺体は酷く重かった。
それにソルジャーの魔法、恐らくセフィロスのサンダガを受けた敵兵も目にした。
炭化した軍服、弾倉に直接引火し暴発してバラバラになったライフル、その衝撃で指は無くなっていた。ソルジャーたちが剣で倒した敵兵に至っては、元が同じ人間だったとは思えないほど悲惨な──陰惨という方が相応しい有様だった。
涙は出ない。不思議とかわいそうだという気持ちにもならない。
だが無性に空しく、そして気分が悪かった。
吐き気を堪えるために近くの木の幹に手をついて、クラウドは深呼吸する。人気のない森林の中とは思えないような有機的な匂いが立ち込めていて、余計に気分が悪くなりそうだった。
「…お前」
クラウドは声のした方へ顔を上げた。
セフィロスだった。
クラウドを見つけて少し驚いたようではあるが、いつもと殆ど変わらない無表情、長い髪も乱れておらず、だが黒い革のコートには目立たない血痕が大量に付着していた。
一瞬負傷したのかと思ったクラウドは目を見開く。
しかし傷など見当たらない。敵兵の返り血だ。
「この部隊だったのか」
そう呟いて何を思ったのかクラウドの方に手を伸ばしてきた。
目の前に迫った指先、そのグローブも血に濡れている。思わず身を竦ませたクラウドに気付いて、セフィロスは手を止めた。
「ヒトを、撃ったのは初めてか」
クラウドは彼の顔を見ず、頷いた。
「ヒトを殺すのが辛いか」
続けて問われ、クラウドはゆっくりと顔を上げる。やはり何の感情も見えない面が、ただクラウドを見下ろしていた。
クラウドが首を振ると、彼の片方の眉がぴくりと動いた。
「オレも…いつこうなるかな、って」
答えを聞いたセフィロスが止めた手を進め、クラウドのヘルメットのつばを掴み、持ち上げた。彼が自分の表情を見ようとしているのだと、漸く分かった。
「それが恐ろしいと思うのなら兵士を辞めろ」
まただ、とクラウドは思う。
心臓を直に掴まれるような、あの苦しさが襲う。
「戦場に、お前が笑顔を見せるような物は何ひとつ無い」
彼の背後の遠くで爆音と火柱が上がった。敵兵の武器を破壊するための爆破である。
炎を背負うセフィロスの髪が爆風になびいた。
「お前の手を汚さずとも、オレがその分殺している」
強く立ち上がった火の光で、影になった彼の表情をクラウドは読み取ることができなかった。
休息を取る間もなく前進を続けたアルファ隊は、そのまま峰を越えて南下し、日が暮れかけた頃もう一度敵の部隊と衝突した。
クラウドは比較的落ち着いており、指が震えるようなことはなかった。日が落ちて辺りが暗くなると、一般兵にとっては非常に不利になる。もちろん敵も同じ条件だが、夜目が利かず、ソルジャーたちの援護射撃をしようとしても敵と味方の区別がつかないのだ。薄闇の中でソルジャーたちが白兵戦に突入するのを、必死に目を凝らして眺めているしかない。
闇から上がるウータイ兵の悲鳴が聞こえなくなるまで、ソルジャーたちは剣を振るい続け、クラウドらは身を屈めてライフルを構え続けた。昼間の隊より数が多かったからか、戦いは一時間近くを要した。運悪く流れ弾に被弾した第三、第四小隊の一般兵が二名死亡し、クラウドのいる第一小隊の一名が傷を負った。
クラウドらは遺体の散乱する場へ進んで、それらを検めた。
全滅である。誰一人生きていない。
銃弾で撃たれるなら致命傷とならず生きている兵も多い。だがソルジャーの振るう剣で身は半分に断たれ、腕や足を落とされ、辺り一面を血の海にして生きていられるはずがない。
昼間と同じように武器を処理し、遺体を数え、味方の負傷者を手当てする。既に死亡してしまった二名は諦めざるをえないが、重傷かと思われた第一小隊の兵士はソルジャーの魔法で直ぐに立って歩けるほどに回復した。
ソルジャーたちも先の戦闘からダメージを重ね、全く無傷という訳ではない。あのヨセフも左腕に深手を負って、他のソルジャーに回復してもらっているのが見えた。
そうやって各々治癒魔法を駆使する中、セフィロスだけが何の変化もなく涼しい顔をしている。彼が最も激しい戦いの中にあり、最も多くの敵兵を倒しているとは思えなかった。
彼が生きながら英雄と呼ばれる所以は、ここにもあるのだろう。
後始末を終えて、アルファ隊が再び木々の間を歩き出したころ、辺りはすっかり夜になって気温が極端に下がり始めた。この大陸では南下するほど気温が低くなる。寒さも和らぎ出す二月の末日でも、指先がじりじりと冷えた。だがこうやって寒さを感じることが出来るのは幸運なのかもしれない。
さらに南下し、途中食事休憩で止まった以外は進み続ける。
野営は集合地点に着くまでお預けである。さすがに疲れが出て、足は自然と遅くなった。それでも午前一時までには十分間に合う距離をこれまで稼いでいるはずだった。
夜もふけた頃、周囲の木々の間隔がまばらになり、枝の隙間に月が見えた。草原地帯が近い。
ピーピー、と驚くような音量で通信機が着信を告げたのは、その時だった。
『プサイより全部隊、プサイより全部隊。ランデブー地点にて敵兵遭遇、数五百。至急援軍請う』
「サード十名は小隊と共に残れ。ソルジャー部隊、先行する」
通信はまだ続いていたが、セフィロスが周囲を見回しながら言った。
「小隊はなるべく急いで追いつけ。伏兵に注意しろ」
クリス部隊長と彼が指名した十名程度残して、ソルジャーたちはセフィロスを追ってあっという間に小隊の視界から消えた。最後尾でヨセフがクラウドへ手を挙げるのが見えた。
のろのろと一般兵と共に向かっていては、到着するころプサイ──第五部隊は全滅しているに違いない。
「急ぐが、到着した時疲れきって使い物にならないんじゃ困るぞ」
ソルジャー十一名と五個小隊は早足で南へ進み出した。
と、遠くから轟音が響く。戦車の砲撃である。神羅の重装部隊は森の手前にいるはず、つまり敵の砲撃だった。
「なぜ敵軍に戦車がいるんだ!」
『プサイ及びオメガから全部隊』
回線を開きっぱなしにした通信機から再び声が響いた。先程の通信よりも慌てふためいた声だった。
『敵戦車八輌確認。応戦しきれない。ランデブー地点より正北二キロまで退却する。引き続き応援請う。繰り返す』
状況は最悪のようだ。
オメガが合流しても後退せざるを得ないということは、戦車の砲撃と残党兵の先鋭が思う以上に手強いに違いない。
通信機から流れる声に、先頭を行くソルジャーたちの足は自然と早くなった。一般兵はその後を追いかけるのに必死である。
クラウドもライフルを抱えてそれに続く。
そしてもう少しで森林地帯を抜けようかという時、視界の端を何かが掠めるのに気付いてクラウドは速度を落とした。
「どうした、ストライフ」
ササキ小隊長が直ぐに気付いて問い掛けてきた。
「何かが…」
周辺の木々はもうまばらで、腰の高さに伸びた繁みが多い。
その隙間に何か光るものを見た。
「敵兵! 九時方向!」
叫びながら、クラウドはササキを巻き込んで押し倒すように地面に伏せていた。
弾くようなライフルの連射音が響いて、つい先程まで横を走っていた第二小隊の兵士がばたばたと倒れた。
背中に大量の冷や汗が噴き出した。
セフィロスの言い残した『伏兵に気をつけろ』という言葉がなければ、クラウドとて自分が被弾するまで事態に気付かなかったに違いない。
小隊長と並んですぐ近くの岩陰まで匍匐で進む。
真横の地面が音を立てて削り取られ、土煙を上げた。
岩陰に飛び込んで跳ね起き、クラウドはすぐに安全装置を解除したライフルを向ける。
「早く身を潜めろ!」
ササキはその場に伏せたままの他の兵たちへ叫んだ。だがそれを聞くか聞かないかの内に、銃弾を浴びた兵士が短い悲鳴を上げて動かなくなる。
木の陰に隠れたソルジャーらは、互いに手で合図を送りあったと思った端から、剣を抜き、敵の方へと突撃を仕掛けていった。
クリス部隊長はさすがソルジャーファースト、鮮やかな剣捌きと矢継ぎ早に唱える魔法で、あっという間に数名の敵兵を打ち倒していった。
「援護しろ!」
ササキが叫ぶ以前に、クラウドは離れた場所から銃口を向ける敵兵に発砲していた。暗闇ではあるが、まばらな木の合間から月明かりが届く。敵兵の銃口がそれを反射して光るのだ。姿は見えなくても、光る繁みや岩陰を狙えばよかった。
それにこれまでの戦闘と違って、ソルジャーが少ない。たった十一名。
剣は銃以上に光るので、少なくともその辺りを狙わずにいれば、同士討ちは避けられる。
だが、これまでと決定的に違うことがもう一つあった。
残ったソルジャー十名は全てサード、ファーストはたった一人ソルジャー・クリスだけだった。
余りに戦闘能力が違いすぎる。それにサードは防御魔法を使えない。敵の標的になれとばかりに、体を晒して剣を振るうソルジャーに何名潜んでいるのかも分からない敵兵が集中砲火を浴びせる。突撃の間際にクリスがかけたプロテスが切れると、ソルジャーたちもダメージを直に受けるようになった。強化された体とはいえ限界がある。
「小隊長!」
二人のソルジャーが立て続けに倒れたのを見て、ササキが岩陰から飛び出していった。敵兵も確実に数を減らしているので、すぐに狙い撃ちされることはないが、それでも危険な行為だった。
「無事な者は続け。ソルジャーたちがいつまでも守ってくれると思うな!」
クラウドは身を低くしてササキに続いた。
二人が倒れたソルジャーの元に辿り付く頃、ソルジャークリスは他のソルジャーと共に更に先へ進んでいた。回復魔法を掛けながら戦闘を続けるという、かなり無茶な方法を取っているようだった。
斬られて死んだ敵兵の体を押し退けて、空いた岩陰へ戦闘不能になったソルジャーを隠し、クラウドはライフルを構える。
ササキが衛生兵を呼ぶ声を聞きながら再び敵兵を捜した。風を切る音がして、クラウドのヘルメットの端を銃弾が掠める。
恐怖と怒りが同時に襲い掛かったが、クラウドは頭を低くしてその弾道を追った。
そして迷わずに引き金を引く。オート連射の断続的な音と衝撃を肩に受け、それと同時に数十メートル先の繁みから短い悲鳴が上がった。
自分の撃った弾が当たったのだ、とクラウドは初めて意識した。
「コーウェン!」
ササキの声がして振り返ると、ソルジャーの手当てをしていた衛生兵が倒れていた。こめかみに赤い穴があり、即死であることは一目瞭然だった。彼は第二小隊へ配属された衛生兵で、ササキとは顔なじみだったようだ。数度その体を揺さぶっていたササキは、うな垂れて見開かれた目を閉ざしてやると、ソルジャーの手当てを死者となった戦友から引き継いだ。
丁度その時銃撃がまばらになった。
顔を上げるとソルジャーらが走りまわって繁みを覗き込んでいる。潜んでいた敵兵の殆どが戦闘不能になって銃撃が止んだのだ。
敗走した数名がいたようだが、ソルジャークリスは深追いを止め、クラウドたちの方へ戻って来た。
銃撃が完全に止み、今度はあちこちから呻き声が上がっていた。見渡した先にクラウドと同じ制服を着た体が幾つも倒れている。クリス部隊長とソルジャーは少数の敵を追いかけるより、部下を看る方を選んだようだった。
「ストライフ、出血が多い。押さえていてくれ」
一人でソルジャー二人を看ていたササキに呼ばれ、クラウドは一旦長銃を地面に降ろし、彼の指示するとおりソルジャーの肩に当てた止血用のガーゼを両手で押さえた。患者をクラウドに任せ、ササキはもう一人のソルジャーに向き直る。
そのソルジャーは大腿部に二箇所被弾しており、強化された肉体が仇を成して弾が貫通していない。弾を残したままでは回復魔法もかけられない。ササキがラジオペンチのような医療器具を傷口から差し込み、弾を抜く。目を背けたくなる作業だ。
そして思わず脇へ反らしたクラウドの視線の先に、男が立っていた。
身を屈めてソルジャーの治療に没頭しているササキから、数メートルも離れていない場所。男はよれよれの戦闘服で、頭にバンダナを巻いていた。
神羅兵ではないと気付いた瞬間、それは光るものを手に走り込んで来た。
不覚にも下ろしたライフルが遠かった。
腰につけたホルスターの短銃やナイフより、今自分が看ているソルジャーの脇にある剣の方が近くに思えた。拾い上げ、ソルジャーの体を飛び越えた。
男が幅広のアーミーナイフをササキへ振り下ろす動作が、酷くゆっくりと見えた。クラウドは拾った剣を突き出す。
ぎん、と重い音がした。
演習場でザックスの剣を受けるよりずっと軽いと、クラウドは頭の隅で冷静に思う。
受けたナイフを跳ね上げる。衝撃でよろめいた男を追って、足を踏み出した。
「ストライフ!」
目の前に男の肩、続く胸部にはクラウドの剣が突き立っている。
引き抜いた場所から黒い液状のものが溢れて流れ、それを追うように男の体が崩れた。
足元に倒れた男の体は人形のようだった。口元が何かを呟くように数度動いたが、それもすぐに止まった。
誰かが走り寄ってくる音が聞こえた。そしてクラウドの肩を掴んで揺さぶる。ゆっくり見上げた先にいたのはソルジャークリスだった。
クラウドは剣を取り落とし、その場にしゃがみこんだ。
「ストライフ」
目の前に座る驚愕しきった顔のササキを見つけ、クラウドは力なく笑った。
クラウドは太い木の根元に、負傷した仲間と一緒に座っている。怪我をした訳ではないのにそれを許されているのは、初めて人間を刺した衝撃が去らず、使い物にならないからだった。
立ち働くソルジャーや兵士たちを眺めてはいるが、その目は一所に定まらない。
焦燥に似た感情が押さえても押さえても湧きあがり、震える膝に爪を立てて蹲っている。
五個小隊の一般兵五十二名の内、生き残ったのは二十九名。クラウドの第一小隊の人間も四名死亡した。第二小隊に至っては三名しか残っておらず、その一人は一時は意識不明の重傷を負った。
ソルジャーを含め被弾して負傷した者は、医術的な治療と回復魔法で、殆どは自力で歩けるほどまで回復している。だが一方で息を吹き返さなかった兵士の遺体は、一箇所に集められ、腹の上に手を組んだ姿勢で並べられている。
木にもたれかかった負傷兵との間に、現実には存在しない白線があった。
向こう側に自分がいないのは、僅かな運の違いだけかもしれない。クラウドと、クラウドの刺した敵兵がいい例だった。
そしてソルジャーになれば肉体的に有利になることは確かだが、より危険な前線へ自ら飛び込むことにもなる。
「通信機が壊れた」
そう口にしながら近寄ってきたのはササキ小隊長で、さすがに疲れ切った表情を隠せないようだ。
「大丈夫か?」
クラウドは先程から全身を支配しようとしている焦燥感を押し殺し、頷いた。
「無理するな。…でも、二度も、助けられた」
驚いて見上げた顔は苦い笑いを浮かべていた。
「お前があの時伏兵に気付かず、剣を取って止めてくれなかったら、オレは今頃あそこに並べられていた。ありがとう」
人を殺して礼を言われるのは変だ、と思いながらも、クラウドの気持ちが彼の言葉で僅かでも慰められたのは間違いなかった。
その頃漸く戦闘の始末を終え、生き残った部隊が集まる。
今はまだ動けない者や、戦闘には加われない負傷者をソルジャー一名と共に残し、他はセフィロスの後を追うことになった。
だが通信機が壊れた為、前線の状況が掴めない。偵察を出すことも提案されたが、負傷者を残すと二十名にしかならない部隊をわざわざ割くこともないと決断された。
「どうする」
ササキがしゃがんだままのクラウドへそう問い掛けたのは、戦意を失っていないか、という意味だ。
「行きます」
森を完全に抜けると、平らな草原地帯は月明かりを借りて意外に遠くまで見渡せる。
セフィロスが向かった前線は、僅か三キロほどしか離れていないはずだ。さすがに夜の闇でそこまでは見えないが、もうもうと上がる真っ黒な煙と何かが燃える炎の灯りが、まるで旗印のようにクラウドたちに位置を教えていた。
いつのまにか砲撃が止んでいた。
銃撃の音もまばらで、戦闘が終結に近いことが分かる。
殆ど駆け足で先頭を行くソルジャーたちを追いかけていると、丈の短い草の生えた周囲に薬莢が散乱して、混戦の様子を伺わせた。一時はここまで後退を余儀なくされたのだろう。
そして前線の集団が間近に迫る。
立っているのは一般兵とソルジャーの制服ばかりで、既に戦いは終わっていた。
あちこちに敵味方双方の遺体が転がっている。殆どが死亡していると思われたが、まだ息のある者もおり、アルファ隊の衛生兵が生存者を見つけてその場にかがみ込んだ。
集まっていた兵やソルジャーが散っていった。負傷兵の処置や後始末のためだと思われたが、その場に数名のソルジャーが残って、セフィロスの姿も見えた。
クリス部隊長が走り寄るのにクラウドたちも続く。
「アルファ隊、到着しました」
「…どうした」
立ち止まったアルファ隊を見たセフィロスは、珍しくはっきりと分かる仕草で眉根を寄せた。明らかに数が減っているのを見逃すはずはない。
「…伏兵に、やられました」
敬礼して答えたクリスを見やり、その後ろで整列するクラウドらをざっと眺め、クラウドに一瞬視線を止めた。
「被害状況を報告しろ」
「ソルジャー二名が負傷、小隊九名負傷、二十三名が死亡しました。負傷者とソルジャー一名を現地へ残しています」
「敵は」
「歩兵五十名ほどにサーと別れてすぐに遭遇、死者三十四名、残りは敗走」
「どちらへ逃げた」
「正南へ。こちらの隊へ合流したかと」
「報告は受けていない。やはり、東海岸へ逃げたか」
セフィロスは独り言のように呟き、少し思案するように地面を見つめていたが、指示を待つアルファ隊の顔を見て言った。
「ここに本営を設置する。小隊は設置作業とここの救援、一部は負傷者を迎えに行け。ソルジャー部隊、まだ動けるな」
「イエッサー」
「敗走した敵兵が東に集結するようだ。掃討戦に向かう。各隊へ支持を出したら○四○○に集合」
「アイアイサー」
敬礼したソルジャーたちは振り返り、早速小隊へ指示を出した。第一、第二小隊はあわせても十二名ほど、テントの設置作業に当てられた。第三小隊は現場の救援、そして第四、第五小隊は残してきた仲間の収容へ向かうことになった。
それぞれ半分ほどに減ったアルファ部隊の兵が散った。現場に残った第一、第二小隊にはササキ小隊長が分担の指示を出し、それぞれの任務へ走っていく。
クラウドもそれに続こうとした時、再びセフィロスと視線が合った。
「怪我をしたのか」
質問の意味が分からず首を傾げると、セフィロスは顎でクラウドの方を示した。自分の姿を見下ろすと、制服の胸から足にかけて帯状に黒っぽく汚れている。
「血だ。お前が負傷したのか」
「あ、返り血です。それとソルジャーの」
要領を得ない説明だとクラウド自身も思ったが、セフィロスは理解したようだった。
だが今度は彼の方が押し黙って何も言わない。彼に兵士をやめろというようなことを言われたのを思い出し、クラウドは俯いた。
「彼が、伏兵に気付いたんです。サーセフィロス」
横から口を挟んだのはササキ小隊長だった。
「彼が気付かなければ、死傷者はもっと増えていました」
セフィロスはゆっくりと腕を組み、ササキを見た。
「その伏兵は恐らくオレを足止めするためだ」
驚いて顔を上げたクラウドは表情の乏しい端正な顔を見据えた。
「敵にランデブー地点が洩れていた。おまけにあの戦車…」
再び彼が顎で示したのは、少し離れたところで黒煙を上げて燃えている戦車だった。見覚えのある形だ。
「神羅から横流しされたものだ。八輌、全て」
「上層部に内通者がいる、と?」
ササキが問うとセフィロスは頷いた。
「オレのいたアルファ隊の到着をなるべく遅らせ、ここに続々集まってくる隊を、重機を用いて各個撃破しようとしたんだろうな。思ったよりも進軍が早かったこと、オレがお前たちを置いて先に進んだことが敵の誤算だった」
何かに頭を殴られたようなショックを受けた。
「あなたは…」
つい口にしていたクラウドの呟きを、セフィロスは聞き逃さなかった。
「なんだ」
押し黙ったクラウドへ彼は冷笑というのが相応しい表情を向けた。
「許可する。言え」
「あなたは『伏兵に気をつけろ』と言った。あなたは知っていたんですか。残したオレたちアルファ隊を伏兵が襲うと」
「確信はないが、恐れはあると思った」
クラウドは唇を噛んだ。
この男は自分の行動を弁解する気など最初からないのだ。
「恐れはあったが、オレが先に行かねば、ここで戦っていたプサイ、オメガ、ベータは全滅していたかもしれない。どちらを選択すべきかオレには迷う理由がない」
セフィロスの腕が伸び、クラウドの顎にその指が当たる。
冷たい革の感触に無意識に背筋が震えた。
「言ったろう。ここにはお前が笑顔を向けるものはない、と」
「オレは慰安で来たんじゃありません。兵隊です」
精一杯の虚勢だった。
語尾の震えは隠せない。
入隊して半年が経ったものの、クラウドはまだ場数も年数も新兵の域を出ない三等兵、立場を超えた反論だった。
ササキがクラウドをたしなめたが、今度はそれをセフィロスが止めた。
「兵隊だというなら、オレの意図が分かるだろう」
「今度は…ソルジャーを騙すんですか」
「騙すとは…。人聞きの悪い言い方をするな。作戦だ」
そう云いながら、彼の声は酷く嬉しそうだった。
「サーセフィロス…どういうことですか」
不服を露にしているクラウドを置いて、セフィロスは問い掛けたササキに向き直って口を開いた。
「ソルジャーを招集して海岸へ向かう、と上層部に報告すれば、敵兵に伝わる。今度は恐らく迂回してこの本営を狙うだろうな。だから途中で引き返してくる。このことはソルジャーたちにも言っていない。ここに残るお前たちにも計画は話さない。だが敵の襲撃に十分注意しろとだけ、うるさく言っておくがいい。何が起きてもすぐに動けるようにな」
ササキは突然セフィロスが自分たちだけに明かした真相と、それを理解していたクラウドに驚いて、二人を交互に見た。
セフィロスは微かな笑みを口元に浮かべている。
「分かったな。第一小隊長」
「了解しました、サーセフィロス」
そして不機嫌なクラウドの顎をもう一度指で掬い上げ、笑みを苦笑に変えた。
「そんな顔をするな。もうお前たちには戦わせない。逃げる準備だけ万全にしておけ。それが任務だ」
午前四時。ソルジャー達が召集され、敵兵が逃げたとされる東海岸に向けて出発した。
その頃には一部を除き、殆どの負傷兵の治療も終わり、警備の者を残して小隊ごとのテントに兵が納まっていた。
昼間から深夜にかけての戦闘に疲れ切った兵隊は、安堵からかすっかり眠っていた。
ササキは小隊長という立場を利用して、警戒しろと散々言い回っていたが、敵がほぼ殲滅され、敗走した者はソルジャーが追っているとなれば、安心するなという方が無理だ。
夜警の兵士も同様だ。
一方、状況を正しく理解しているクラウドとササキ小隊長は寝ていられる訳がなかった。二人はテントの外に出て、ソルジャーたちが出撃していく後姿を見送り、彼らが見えなくなると、今度はライフルにつける暗視スコープを持ち出して周囲を見張った。
「何か見えるか」
「いえ、まだ何も」
「海岸までは二時間ほどの距離だ。敵としちゃ一番距離が開いたときが狙いだろうから、一時間から二時間後が危ない」
暗視スコープで覗いても、今見えるのは一面の草原だけだ。
「ストライフ、お前ならどこから攻める?」
ササキはペンライトを耳に掛け、周辺の地図を広げていた。彼が自分に問う意図はよく分からなかったが、クラウドは少し考えてから答えた。
「オレたちやガンマ、デルタが進軍してきた方向から来るのは考えにくいと思います。サーセフィロスも言っていたように隊とは遭遇しなかったようだし。ここで戦闘していたプサイ、オメガ隊は早い内に集合地点に到着していた…多分それも敵の意図するところだと思います」
「どういうことだ?」
「妨害を少なくして、早く到着させた、と思います。読みは甘かったけれど、サーセフィロスの足止めが意図的だったなら、それは可能です」
「あえて逃げ道を作るため、か。草原地帯では遠目が利くから、奴らの得意な奇襲には向かないしな。ではプサイ、オメガの進行してきた東側に逃げ込んだか」
クラウドはササキの広げた地図上でルートを指し示す。
「ソルジャーに追われることを想定していたとしたら、派手に痕跡を残しながら一旦海岸へ出て、北上して森林地帯を抜けてソルジャー部隊を迂回して…」
「オレ達の真後ろまで来る時間的猶予はないな。平地より、森林地帯を進行する方が時間がかかるはずだ」
「それに多分…まだ何輌か戦車がいるんじゃないかと思います」
クラウドが呟くと、ササキは地図から顔を上げた。
「どうして、そう思う」
「だって、八輌って半端じゃないですか。あと二輌くらいなら、森林地帯のどこにでも隠せそうですし」
「お前、賢いな」
「…オレが利巧だったら、サーセフィロスがオレ達を置いていった時、本当の理由に気付いていいはずです」
「ストライフ」
「全然、鈍くて、賢くなんてないです」
暗視スコープを覗き込んでいるクラウドの横顔に、ササキの視線は止まっている。
「そんな風に自分を卑下することはないだろう。オレの立場で個人を褒めるのはどうかと思うが、実際お前はよくやってるよ」
見上げたササキは上官というより父親の顔つきだった。
特に戦闘能力が優れている訳ではないが、射撃の腕は確かで責任感が強く、小隊長としては出来た人物だとクラウドは思う。そして妻があり、四歳と六歳の幼い二児を持つ彼は、まだ十代の新兵に対し、時折父親のような表情を見せることがある。
現にクラウドの肩を軽く叩いてみせたのは、父性をくすぐられたからだったのかもしれない。クラウドは自身の父親は顔も知らないが、父親とはこういうものだという認識はある。
「お前、ソルジャーになりたいんだったな」
「はい」
「もう何年かすればなれるさ、きっと。そうだな…オレも連隊長くらいには昇進して…おまえが試験を受ける時に、推薦してやれればいいんだが」
「じゃあ、ぜひお願いします」
ササキは苦い笑みを口元に、だが声は酷く楽しそうに笑った。
「まあ、オレが昇進するまで待つよりも、サーセフィロスに頼んだ方がもっと確実だろうけどな」
「なぜ、サーセフィロスなんです」
「あの方はお前を気に入っているじゃないか」
当たり前のように言われて、クラウドは表情を無くして俯いた。
彼が他の者より自分によく声を掛けるということはクラウドにも分かっていた。だが彼には『兵士をやめろ』とまで言われたのだ。ソルジャー仲間にでさえ無口な彼が、自分から一般兵に声を掛けることは珍しいことであっても、だ。
「あの人は、一般兵の推薦なんてしません。絶対」
きっぱりと言い切った言葉に苛立ちが表れていたのだろう、ササキはそれ以上言わず、地図に視線を戻した。クラウドも暗視スコープをゆっくり横へ移動させながら監視に戻る。
ソルジャーへの昇進試験の時に誰に推薦してもらえるかなど直前に悩めばいいことだ。それよりも、今現在敵兵が予想外の動きをしてここで本営を攻撃すれば、間違いなくクラウドも、隣のササキも只では済むまい。
ソルジャーになるためにも、クラウドはここで潰える訳にはいかないのだ。
暗視スコープは視界が赤みがかって見える。それもそう遠くまでは見渡せない。せいぜい二、三キロ先が限界だった。
それでも草にまぎれて匍匐で進行してくるというならともかく、戦車はこの平地で身を隠すことなど不可能だ。影でも捉えることができれば、その主砲がこちらに向いていることは確実なのである。
ソルジャー部隊が本営を出発して一時間が経った。まだ敵兵を捉えることはできず、セフィロスからなんらかの連絡があったという事もない。ササキの読みが正しければそろそろ現れていいころだと思えば思うほど、クラウドは自分自身の見解が間違っていたのではと不安になってきた。
残党兵が速やかに海岸へ逃げ、船などで戦線離脱を図っていたとしたら、それでもいい。ソルジャーたちが追いつけば、三百名からなる部隊に二百も残っていないと思われる敵軍はひとたまりもない。
もしもセフィロスやクラウドの思ったとおり、ソルジャー部隊を回避してこの本営に向かいつつあるとして、戦車はもうなく、歩兵のみが密かに近づいていたとしたら…それでもまだここには一般兵が二個大隊、一部死傷してはいるが残っている。互角の戦いになったとしても、戦略的には無理はない。おまけに後がない敵軍に比べて、こちらは呼び寄せなくてもソルジャー部隊の援軍が保証されている訳だ。
不安を押し殺してスコープを覗き続けたクラウドが、ふと北東の方向を見たとき、それは姿を現した。
「敵兵確認、戦車二輌」
「読みが当たったな、クラウド。距離は」
「恐らく二キロほどだと。すいません、正確には」
「サーセフィロスは」
「まだ見当たりません」
「お前はここで監視を続けろ。オレは皆をたたき起こしてくる!」
「アイアイサー」
ササキは地図を放り出してテント地に駆けて行った。
もしもの時のため装備は確認してある。各部隊が徒歩で運べるものばかりだから、戦車に対抗できる武器は少ない。それでもロケットランチャー、手投げ弾などがある。接近戦を主とするソルジャーがいなければ、一般兵には一般兵の得意とする戦い方ができる。
一方地雷は戦車に有効だが、この草原地帯へ設置するとなるとかなり広範囲に多数を使わなければ効果がなく、それも撤去に酷く手間が掛かる。ササキとクラウド二人だけでは不可能な話だ。
暗視スコープでも影程度にしか見えない戦車二輌は静かに森林地帯から現れた。
時折兵士の姿も見えるが、こちらが既に気付いているとは思っていないらしく、隠密行動による進行速度の遅さが幸いした。
ササキが各テントを回り、静かに行動するように言い含めたらしく、明かりも点さず装備を付け、出動準備を終えた兵士たちがテントの隙間から外の様子を伺っているのが分かった。
本営は本部テントを中心に、小隊ごとのテントが三十強ある。負傷者のためのテントは数に入れなくても、三十のテントに十名ずつの兵士が待機している。
その頃、午前五時を過ぎて東の空が明るくなってきた。
昇り始めた陽は加速する。
ソルジャーのように夜目が効かなくても太陽さえ昇れば一般兵も戦える。セフィロスはクラウドたちに戦わせないと言ったが、ソルジャーに頼らなくても、ここを持ちこたえるくらいの力は示したかった。駒として扱われたくないという意地が下っ端の兵隊にもあるのだ。
森林地帯から南へ三百メートルほど進んだ辺りで戦車の影が止まった。
クラウドは暗視スコープを外した。平らで遮蔽物のない平原では、上りかけた陽を背にした戦車の形を、既に捉えることが出来るようになっている。
クラウドは双眼鏡に変えて様子を伺った。スコープよりも倍率の高い双眼鏡では、戦車にペイントされた神羅のマークも、その周囲に身を低くして控える敵兵の姿も見ることができた。一様に色のついたバンダナを頭に捲いている、ウータイ先鋭部隊の残党に間違いない。
そして二輌の戦車の主砲がこちらに動くのが分かった。
クラウドが振り返ると、テントの間にササキや他の小隊長が集まっていた。
クラウドはもう声を潜めようとはしなかった。
「敵の主砲、こちらに向きます!」
報告に頷いたササキが手を上げると、各テントからバラバラと兵士たちが出て、小隊ごとに離れた布陣で身を低くする。
「第十、第十一小隊、ロケット弾用意!」
掛け声と共にテントの東側、クラウドのすぐ横に走り寄った兵士らが、据付式のロケットランチャーを設置し始めた。小隊長が各自の隊に散り、ササキもクラウドの方へ走り寄ってきた。
「ストライフ、ソルジャーは」
「待ってください。今…」
クラウドは双眼鏡を覗いて周囲を見渡した。
朝日が周囲を薄紫色に染める。戦車を囲み、進軍してくる敵兵の速度もそれに乗じて上がっていた。
いつのまにか、彼らが現れた森林地帯の辺りに、彼らとは別の一団があった。
その先頭に立つ、背の高い風貌が双眼鏡の中にはっきりと見えた。
「ソルジャー部隊確認、十時方向!」
ササキもクラウドの横でもう一つ双眼鏡を持ち出し、覗き込んだ。
「来たな。第十、十一小隊、まだ撃つなよ!」
音は聞こえない、丸く仕切られた映像でも残党兵が動揺するのが伝わる。神羅軍の本営正面に布陣した彼らの側面わずか数百メートルの位置に、ソルジャー部隊が現れたことに気付いたのだ。
戦車の主砲が本営を狙うべきか、ソルジャーを狙うべきか迷っている。
ウータイの兵士たちはソルジャーの方へ銃口を向けた。
今度は味方に双眼鏡を向けると、セフィロスが刀を抜いた姿がはっきりと見えた。クラウドは敵軍監視の任務を放棄して彼の姿を追った。
走り込むソルジャー部隊の先頭から突出して、セフィロスはいち早く敵軍の布陣の中に踏み込む。その走る速さも尋常ではない。
草食動物の群れに襲い掛かる肉食獣のようだった。
布陣の一番北側にいた兵士たちが、最初にその牙にかかった。
セフィロスは殆ど走る速度を落としていない。彼らの間を走り抜けるだけに見えたが、数秒遅れてばたばたと倒れていく。その刀さばきは優雅なのに、まるでブルドーザーが細い木をなぎ倒しながら藪を進んでいるようだ。
突然立ち止まったセフィロスが太刀を下ろして左手を上げる。数名の敵兵が同時に燃え上がる。火に巻かれた兵士は数歩よろめいてから草地に倒れた。
圧倒的な魔力に驚愕した兵士は戦意を失い、我が先とばかりに逃げ出した。それを左右に分かれたソルジャーたちが追いかける。
一方セフィロスは突進して布陣の中央、二輌並ぶ戦車の間近まで迫っていた。
戦車の周囲を取り囲む兵士たちが果敢にも長銃を彼に向けた。一斉に火を噴いた長銃の銃身が、発射の反動で押し返されるのを見て、クラウドは息を飲んだ。
至近距離で完全に敵陣に孤立したセフィロスへの集中砲火。
幾ら『英雄』でも堪えられるはずがない。
さあっと血の気が引いた。
だが双眼鏡の中の彼は片腕で自分の顔を覆うようにして、しっかりと立っていた。ゆっくりとその腕を下ろした彼の表情こそ見えないが、普段と違いを感じない。一瞬二キロ以上先の戦場に流れた沈黙を、クラウドはレンズを通しても感じ取ることができた。
「なんてこった…」
呟きは隣のササキ小隊長だったが、クラウドも、そしてきっとそこに居合わせた敵兵も同じ気持ちだったに違いない。
もちろん防御魔法はかけているだろう。セフィロスともなれば、最上級の防御魔法シールドさえ操る。だが数十人のオート連射を受けて、何事もなかったような涼やかな様子だった。
敵兵はライフルを下ろして呆然と彼を眺め、そして今度こそ逃げ出した。
恐るべき戦士に背を向けて。
無情にもその背が燃え上がる。明けかけた空の下、まるで人間大の火の玉が地面を転がっているように見えた。
クラウドの双眼鏡を持つ手は震えていた。
圧倒的な強さの前に平伏するしかない人の弱さを見せ付けられたようだった。
以前ザックスが言っていたように、セフィロスには迷いがない。躊躇もなく、慈悲も、甘えもない。
彼にとっては敵がモンスターだろうがヒトだろうが関係ない。
これまでクラウドは、何度も彼を恐ろしいと感じたが、本当に恐ろしく、そして同時に悲しいと思った。何が彼をそうさせるのか、それが知りたいとも思った。
セフィロスは立て続けに魔法を唱え、今度はその掌を二輌の戦車へ向けた。
中空に光が生まれ、稲妻が戦車を叩いた。
戦車そのものは壊れた様子もないが、中にいる人間は電撃で気を失ったに違いない。操縦者を失った二輌の戦車は完全に停止した。結局一発の砲弾も発射されぬまま、ただの鉄の塊になったのだ。
そしてセフィロスは短い戦いの地を眺め、倒れた敵兵の懐から何かを拾い上げた。そして停止した戦車にひらりと飛び乗り、ハッチを開けた。
拾い上げたのは手榴弾だった。クラウドがそうだと分かったのは、彼が手にしたそれのピンを口にくわえて抜き、戦車の内部へ落としたからだ。
ハッチを閉め、悠々と飛び降りる。
クラウドにも朝焼けの空を割る爆発の轟音が聞こえた。
事務的にもう一方の戦車にも同じことを繰り返したセフィロスは、何事もなかったように敵兵が散乱する地上に降り立ち、微かな風に鋼の髪をなびかせている。
誰の目にも疑いのない、ソルジャー部隊の完全勝利だった。
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長い間続いたウータイと東大陸との戦争は、この二月末の南部平原での戦いを最後に終結した。
そして最後まで戦った一部の部隊の抵抗を口実に、神羅軍はウータイに無条件降伏を受け入れさせた。
その後の調査で、南部平原の戦いで使用された神羅軍の戦車の流出が取り沙汰され、神羅兵器開発部の一課長に容疑が掛かった。彼は戦争が始まる直前まで、ウータイに派遣されていた大使だった。彼が拘束されたというニュースはテレビでも流されたが、その後の行方は分からない。
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青年未満mission3(了)
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