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青年未満
Last Mission 死の国
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 冬の気配は都市ミッドガルにも現れている。
 少年がこの町で迎える冬は二度目だ。
 ビル風は強く、厳しくなってきた。季節はずれの木枯らしは僅かな街路樹の葉を落し、すっかり露出した枝が寒々しい気分を増長する。
 外の風景とは正反対に、この室内は快適に保たれている。部屋の主は決して寒がりではないのに、クラウドを慮って心地良いと思える室温に設定されていた。
 以前は、そんな風に他人を思いやることなどなかっただろう。何せここの主人は冷徹で無慈悲な、神羅軍にその人ありと謳われる軍神なのだ。
 英雄と崇められる一方で、抵抗する敵兵はなぎ倒され、倒れ行く者からは死神と恐れられている。向かい来るモンスターも言葉こそ発しはしないが、もし口がきけたのなら、同じく彼を悪し様に呼んだかもしれない。
 その強さを目の前にして、良く見知った人でありながら、クラウドもまた数度恐怖を感じたことがあった。
 彼の強さは人並み外れている。人と比べるのもおこがましいほどに。彼が最強で、だとしたら彼に次ぐ強さといわれるファーストソルジャーも、並み以下と評価することしかできない。
 それだけ強い人物を将軍クラスに抱える神羅という企業が、彼を英雄と祭り上げ、彼を政治的影響をもたらす道具として扱うのも頷ける。当の本人は、そういった人々の興味から逃れようと、公的な場所へ行ったり、個人的に他人と接することを極力避けているようだった。
 事実、クラウドがこの部屋に留まるようになった半年ほどの間、ここに誰かが訪ねて来たり、仕事以外の用件で電話が掛かってくることに、片手で足りる程度の回数しか遭遇しなかった。
 彼は何を求めてこの場に留まって、承服しかねる状況に甘んじているのか。己だけでなく、殆どの人間が体験しえない状況を、クラウドが理解するには余りに情報不足だ。
 彼は───セフィロスは神羅を好きではない。
 それだけはクラウドにも察知できる。
 彼の行動に不条理さを感じながら、それでも確かに二人の間に通う何かを得て、クラウドにとっては幸せな時間だった。
 春に花をつけた花水木は、葉を全て落として枯れた枝を晒している。道行く人も夏に焼けた肌をコートの内側に隠して、肩をすぼめて急ぎ足で、それらを見上げようともしない。
 魔晄の力で温められた室内は心地良くとも、その温度もいつかは冷める。
 際限がなくこの幸福感が続くようにも思え、また一方ではいつかそれを失う恐怖につきまとわれた。
 その不安はセフィロスも同じだったのだとクラウドが知るまでには、それから長い年月を必要とした。


 クラウドは窓に張り付いていた額を離し、室内へと顔を戻した。
 明日にはこの快適な部屋を出て、北の故郷に任務で出掛けることになっている。
 唯一の救いといえば、同行するのがセフィロスとザックスだということだ。それにクラウドと同じ小隊の一等兵が一人ドライバーとして同行する。
 明日から出掛ける四人きりの遠征は、遠征というより出張だとセフィロスは言った。
 クラウドの故郷である東大陸の北の村・ニブルヘイムには、記念すべき神羅の魔晄炉第一号が存在する。村の更に北側にそびえ立つ、ニブル山の山頂近くに建設された魔晄炉が、最近奇妙な誤作動をするというのだ。
 人が立ち入るのは困難な山頂にあるため、魔晄炉の制御は普段遠隔操作で行われている。コンピュータ上ではなんの異常も発見できないのに、時折突然出力が上がったり下がったり、また突然止まったりするのだそうだ。異常出力は引火や爆発を招き危険だが、掘ってしまえば枯渇するまで際限なく吹き上げるという魔晄泉は、出力を無理に止めてしまうことも、また危険なのである。
 その原因究明のため、セフィロスがニブルヘイムへ行くことが決まったのは二週間前だった。
 本来ならば魔晄炉の開発研究をする学者や技術者が向かうべきだが、ニブル山はモンスターの出現率が高く、非常に危険な場所だった。誰もがそれを知っているため、彼らは同行を拒否したという。
 ソルジャーという軍人の地位にいながら、セフィロスが魔晄やマテリアの研究書まで読み漁り、神羅一と言われる天才的な頭脳を所持していることは、上層部では周知の事実だった。
 そこで今回、山頂まで無事に辿り着くことができ、更には魔晄炉の異常個所を発見できる唯一の人物としてセフィロスが選出されたと云う訳だ。
 彼が別の任務を終えて帰還し、自宅に戻ったのは今日の午前のことである。休む間もなく働く彼は、疲労やストレスの片鱗も見せはしない。
 どちらかというと、ミッドガルに居続けたクラウドの方が滅入っていた。

 先月頭、ジュノンがテロリストによる攻撃を受け、事後処理に参加したセフィロスは一時は左足が完全に切断されるほどの傷を負った。その事実を知っているのは、科学開発部の外科医と研究者くらいだろうが、クラウドもまたその場に居合わせた。
 恐るべき回復力を持つ肉体と、底知れない魔力による回復魔法の相乗効果で、セフィロスはその場で千切れた足を繋げてしまった。
 確かに繋がりはしたが、先月末までは神羅本社内の病院に引き止められ、ようやく退院したと思ったら、早速それまでのツケを払うかのような激務についている。
 そしてニブルヘイム行きが決まった一週間前、セフィロスは任務先で辞令を受け、一方的にソルジャーの同行者としてザックスを、下士官にクラウド、そしてドライバーのガイス一等兵を指名したのだ。
 そのセフィロスが、他人の目にも大きく変貌したのはこのひと月のことである。
 ジュノンの件以来、セフィロスはクラウドに構うことを周囲に憚らなくなった。そしてセフィロスの変化はクラウド自身の目にも奇異に映るほどだった。
 以前はクラウドの方がセフィロスの自宅に行くことが多かったが、入院中は神羅本社にも事あるごとにクラウドを呼び出し、PHSが鳴る回数も増えた。
 そして寮の前の車寄せにセフィロスが個人所有の四輪駆動車で現れたとなれば、兵士全員の注目を浴びてしまうのも仕方ない。
 世界最大の神羅軍の将である彼のそんな挙動は、軍上層部にとっては乱心に近い。もちろん末端の兵士の間でもかなり噂になっているらしい。
 あまりにあからさまな彼の行動に、周囲は驚き、クラウドに対して不審の目を向けるようになった。またその最中に、クラウドはジュノンでの功績で一等兵に昇進した。
 油に火を注ぐとはこの事だ。
 どんなに正当な昇進であっても、その事実を知らない一般兵たちからすれば、クラウドは英雄に取り入る悪人だった。元々寮や隊の中でも無口なクラウドは、弁解する機会も与えられず、完全に孤立してしまったのである。
 クラウドはその事態をセフィロスに告げたことはない。
 だがどこからか現状を知ったセフィロスが、今度は手元から離さないようにと画策を始めた結果が、ニブルヘイム遠征だった。
 職務に関しては公明正大でありたかったクラウドは怒りを示したが、セフィロスにどこか悲しげな表情をされてしまうと、元々愛情に飢えた幼いクラウドに抗う術はない。
 先の試験と検査の結果、クラウドはソルジャーになる道が殆ど断たれていると云っていい。ソルジャーになることが、つまりはセフィロスの傍近くにいる方法であったから、本来なら彼との任務は喜んでしかるべきものだ。
 だが行き先がニブルヘイムとなると、話は別だった。
 クラウドの故郷であり、そこには母と、クラウドが約束を交わした少女が現在も住んでいる場所である。ソルジャーになると豪語して故郷を飛び出したクラウドは、未だ一兵卒のままそこへ帰るのは避けたい事態だった。
 久々に帰ってきた自宅で、クラウドが不機嫌な理由を図りかねたのだろうセフィロスは、少年を放置する手法に出た。
 クラウドも自分の我儘であることは自覚があるので、彼に八つ当たりしないよう努めている。
 だが長い時間、閉じた窓ガラスに張り付いていたクラウドが振り返った時、セフィロスはソファの定位置に座り、まるで睨むように背中を見つめていた。
「…なに?」
 彼の視線は、慣れた今も相変わらず人を射殺さんばかりの凶器だった。
「オレは喜び勇んで帰ってきたというのに」
 溜息をついて、広げていた本を閉じる。
 嫌味なほどさまになる彼の動作を見つめて、クラウドは笑った。
「ごめん」
 素直に謝る少年を不審に思ってか、セフィロスはクラウドを手招きで呼んだ。
「勝手に決めたことを怒っているのか」
「そうじゃないんだ。ニブルヘイムはオレの故郷だから」
「いい里帰りになるだろう。大した任務でもないし、ピクニックがてら出掛けるのもいいと思った」
「ピクニックぅ?」
 クラウドは目を丸く見開き、暫くして笑い出した。
「あんたにかかるとニブル登山もピクニックなんだ」
 それ以上に、セフィロスがピクニックとは甚だしく似合わない。
 クラウドは腹を抱えて床にしゃがみこみ、座ったセフィロスの膝に顔を埋めた。
「故郷の村も山も、オレには脅威だっていうのにさ」
「脅威?」
「あの山で、オレは子供の頃、崖から落ちたことがある。友達が落ちて。助けられずにオレも一緒に。村のみんなはオレが彼女をそそのかして、山へ連れ出したと思ってるんだ。元々余所者だったオレと母さんはもっと孤立した」
 笑いながら、目の奥が熱くなった。
 おかしいからなのか、それとも思い出した傷がまだ痛むからなのか、クラウド自身にも判別がつかなかった。
「あそこは、オレの弱さをひけらかす嫌な場所なんだ。だから、行きたくなかった」
 溜息を吐いてセフィロスの膝にもう一度頭を乗せる。
 大きな手が髪を、背中を撫でてくれる。
「近頃、オレはお前を泣かせてばかりだな」
「涙もろくなってるんだ。あんたのせいじゃないよ」
 頭を動かして、彼の膝の上から顔を見上げた。
 零れ落ちる髪を掴んで彼の匂いを嗅ぎ、それだけで心休まる自分は、間違いなくこの男を愛しているのだとクラウドは思う。
「オレ、ずっと独りなんだと思ってた。でもあんたと、故郷の母さんとティファと…そうだなザックスも入れておいてやろうかな。四人もいるんだ。大事なんだ。とても」
「本当にピクニックという訳にはいかんが、お前の故郷にその四人が集まるということか」
 クラウドは頷く。
「だから、向き合わないといけないんだ。たぶん」
 端正な顔が降りて、クラウドの唇をついばむように口付けた。
「いい子だ」
 間近で微笑んだ彼の唇を吸い、笑い返す。
「お前は自分を弱いと言うが、挫けても突き落とされても、より高いところへ自力で這い上がってくる。……強いな」
「オレをそういう風にしたのは、あんただ。あんたの横に行こうなんて大きなこと言っちゃったからさ。そうしなきゃ、追いつけない」
「待っててやる。安心して追いつけ」
 ソファの上に持ち上げられて、クラウドは何時の間にかセフィロスの身体の下にいた。圧し掛かる重量は相当だが、その重みは嫌いではない、とクラウドは思う。
 故郷はミッドガルよりずっと寒い。
 でも彼がいれば、きっと凍えることはないだろう。





 ミッドガルから定期便のゲルニカに便乗し、ジュノン港を経由してロケット村へ。
 ロケット村はニブルヘイムから一番近い集落で、まだロケット自体は開発中らしいが、建設中の発射台が聳え立つ姿は村のシンボルだった。
 休むことなくバンに乗り換えて、一路ニブルヘイムに向かう。
 古いバンの荷台は三人だけでは広いくらいだったが、ガソリンの匂いが充満していて、クラウドはすぐに乗り物酔いを起こした。酔い止めの薬も飲んでいるのに、故郷が近づくにつれて症状は酷くなる一方だった。
「クラウド、辛いならマスク脱いじまえよ」
「うん」
 幾らセフィロスやザックスしか見てないと言っても、仮にも任務の最中で上官の前だという気持ちで、強固に着けていたマスクとヘルメットをクラウドはついに外した。
 窓を開ければ気分的にも楽になるはずだが、生憎ロケット村を出発してからすぐに豪雨になってしまい、荷台についた窓はぴっちり閉じられていた。
 途中何度かモンスターに遭遇した。それもクラウドは遠目にしか見たことの無いドラゴンまで現れたが、歩兵一部隊がかかっても倒せるかどうかというそれは、セフィロスの一刀にあっけなく倒れた。
 トラックの陰から様子を窺うクラウドが、熱いと感じるブレス攻撃を受けても、セフィロスは何のダメージも受けない。
 彼の驚異的な戦闘能力や防御力は、ミドガルズオルム退治やウータイの時よりも上がっているようにも思えた。
 丸一日の行程でバンはニブルヘイムに到着する。
 日が高くなり、遠くにニブル山が見えたころ、雨は止んでいた。
 雨上がりは美しい故郷の村を見たいようで、見たくないようにも思った。


 故郷の村は一年半前と変わらずひっそりとしている。
 村人の殆どが狩猟や農業を営んでいるから、朝早くから働きに出ている者が多い。
 村の入口に停まったままの小型トラックや、そこに積まれた農機具、町の中央に鎮座する給水塔、道の脇に茂るタンポポやカタクリの緑色の葉、全てはクラウドが置いて来たまま、まるで時間を止めているようだった。
 村人の姿がないことを幸いと思いながら、クラウドは先頭を行くセフィロスの後に続いた。
「どんな気分なんだ?」
 突然立ち止まったセフィロスが後ろを振り返ってクラウドを見た。
「オレには故郷がないから分からない」
 クラウドは彼の故郷を知らない。
 尋ねたことはなかったが、そもそも彼自身が知らないのかもしれないと思った。
 セフィロスの公式プロフィールは神羅から派手に公開されている。しかし戦績を謳うものばかりで、彼の出生や身体の情報は機密扱いにすらなっているのである。
「そういや、家族とか、両親は?」
 問うたのはザックスだ。
 頭をばりばりと掻いてさらりと聞いたザックスこそ、顔をみればその浅黒い肌や言葉の訛りから、出生地を推測することが出来る。
 だがセフィロスの容姿は余りに他を超越していて、それができない。あえて言うなら、クラウドの生まれたこの地方や、もっと北の果ての住人に近いような気もする。
「母の名はジェノバ。オレを産んですぐ死んだそうだ。父親は知らない」
 クラウドは無意識に身体を震わせた。
 彼が父親を知らないということは、クラウドは以前聞いていた。母親の名を聞いたのは初めてだった。
 自分はセフィロスのことをまだよく知らないのだと、クラウドは思う。
 彼とはそれなりに長い時間を過ごしているのに、そんな話はしたことがなかった。
「オレは何を言ってるんだ」
 セフィロスはいつもの自嘲の笑みを浮かべて小さく首を振る。そして彼を見つめる部下を振り返り、顎で促した。
「行こうか」
 先を行くセフィロスの背中を目で追う。村の中央にある給水塔が彼の前にそびえたっていた。
 その下に、少女の姿が見えた。
 まるでカウボーイのような、こんな田舎町では珍しい洒落た服を身に付けている。長く、艶やかな黒髪を背中に流し、真っ直ぐで長い足を両腕で抱えて、誰かを待つような様子だった。
『ティファ』
 クラウドは声なく彼女を呼び、その場に硬直した。
 そして俯いた。
 やはり顔を合わせられない。まだソルジャーになっていない上、彼女との約束は生涯果たせそうにないなどと、どうして言えようか。
 バンの中で脱いだまま手に下げていたヘルメットとマスクを、クラウドはその場で装着した。これを着ければ、自分であることに気付かないかもしれない。幸いクラウドはこの一年で身長も随分と伸びて、体つきも変わった。髪と目元が隠れれば、見逃すだろうと思われたのだ。
 上官たちから遅れて村に入ると、ティファは立ち上がった。
 まずセフィロスを見上げ、驚いたように小さく口を開けた。そしてザックス、ガイス一等兵、最後にクラウドを見て彼女は溜息をつき、自分の家へと走り去っていく。
 彼女は自分を捜していたのだとクラウドは気付いた。
 嬉しい一方で、彼女の期待を裏切る自分に嫌気がさした。
 先行していたセフィロスがこちらを見ている。多分クラウドが意図して顔を隠したことに気付いたのだろう。
「知り合いに会ってきてもいいぞ」
 セフィロスはそれだけ言い置いて、静かに視線を反らし、滞在予定の宿屋へ向かった。


 ニブルヘイムには一軒しかない宿屋の部屋へ荷物を運び、クラウドはマスクを取って窓の外を眺めた。
 この村にはティファ以外にもクラウドを覚えている者が沢山いる。滞在中顔を晒すことは出来ないと思うと少し憂鬱になった。
 明朝ニブル山に発つ、それまでの辛抱だと言い聞かせ、暫く肌を風に触れさせる。
 明日からのミッション開始の為に今日は各自自由行動となった。セフィロスは珍しく部屋に入ってしまった。まだ夕刻で休むには早い。
 ザックスとガイスは連れ立って街の見物に出掛けて行ったが、クラウドはマスクをしたままうろつくのは目立つため、大人しく宿にいるしかない。
 ベッドに座っていると部屋の扉が開いた。
 無論セフィロスである。
 クラウドは顔だけ彼に向け、そして俯いた。向き合うと言ったのにそれが実行出来ない後ろめたさがあって、クラウドは彼と視線を合わすことを躊躇った。
 セフィロスは無言で近づき、クラウドの隣に座った。
「…何?」
「何も聞いてない」
「なんか言いたそうだ」
「聞かれそうな事があるということか?」
 人の心を見透かすような問いに、クラウドは少し腹が立った。
「嫌なヤツ…」
「さっきの娘がお前の幼馴染みか。美少女だな」
「そんなこと言いに来たのかよ」
 何故か酷く腹立たしく思って、クラウドはベッドに寝転び、彼から顔を反らす。
 聡い男だと思う一方、彼女を褒めるようなセフィロスの言葉にクラウドはほんの少し嫉妬したのだ。それがセフィロスになのか、彼女になのか。
 たった一年の月日で、自分は大きく変わってしまったとクラウドは思った。
 ティファは自分がクラウドだと分からなかった。そしてクラウドにとって母親の次に大事だったティファよりも、今は切実に気になる存在が目の前にいる。
 涼しげな顔で窓の外を眺めるセフィロスは、薄く笑んでいた。
「幼馴染みだというのに、気付かなかったな。お前に」
 今度はセフィロスに嫉妬した。
「オレ、別に有名人じゃないから」
 嫌味な言い方だと自覚して、クラウドはより一層落ち込んだ。
「オレなら十年後のお前と会っても分かる」
 消沈しているクラウドとは対照的に、何故かセフィロスは嬉しそうに言った。
「顔隠してたんだ。それに幼馴染みって言ってもいつも一緒にいたわけじゃなかったし。分からないなら、いっそオレが村に来たこともバレないままのがいいよ」
「オレはお前が顔を隠しても分かる」
「嘘ばっかり」
「歩き方や仕草、それと匂い」
 クラウドは吹き出した。
 不思議と怒りが消滅するような言い様だった。
「匂いなんてどうやって嗅ぐんだよ」
 まさか初対面かもしれない相手に、いきなり鼻を押し付ける訳はあるまい。
「こうやって」
 早速圧し掛かられ、セフィロスはベッドカバーに散るクラウドの髪に顔を埋めた。
「嗅覚というのは、視覚や聴覚よりも記憶に直結するものだ。オレはお前の匂いを覚えているからな。あの娘よりも有利だ」
 妙に理論的に主張するのがおかしくて、クラウドは小さく笑いを漏らした。
「あの娘の話を聞いたとき、オレがどんなことを考えていたと思う?」
 顔を上げて間近から覗き込んだセフィロスは、クラウドに『意地悪』をする時の表情で言った。
「いつ、話したっけ…」
「休暇中。オレの部屋で。お前が最初に話した時はそんな者がいたのかと思っただけだったが、後でザックスに訊けば、その娘はお前の初恋の相手だという」
 そういえば以前酒を飲みにダウンタウンに下りた時、ザックスにもティファの話をしたことがあった。
「初恋って感じでもなかったと思うけど」
「ザックスは、お前が無自覚だったと言っていた」
「で、だとしたらどうなんだ?」
「もし、娘が本当にお前の初恋の相手で、お前の所有権を主張するようなことがあれば……」
 一旦言葉を止めた彼はクラウドの頬に手を添えて言った。
「その娘を殺してやろうと思った」
「……冗談」
 セフィロスは否定しない。
 だがクラウドは居たたまれない不安に襲われる。
 ジュノン以来、セフィロスはあからさまにクラウドに甘くなった。それまでのセフィロスはどちらかといえば淡白で、冷たいと思うことすらあったのに、今は周囲が噂する『たかが一兵卒』に対して、当事者であるクラウドから見ても過剰な執着を感じる。
 互いに思いを言葉にした恋人たちの間であれば普通のことで、これまでの二人の関係が異常だったといわれれば、クラウドには反論する材料がない。
 自分が大事にされている事実に自ら背を向けることはないし、そこまでする必要も感じない。
「あんたが好きだよ」
 そう告げればセフィロスは笑い、慈しむようにクラウドを抱き締めた。
「そうか」
 彼はこうして何かを確めているのだろうか。
 クラウドの気持ちか、それともクラウド自身が彼から受け取るのと同じように、己の存在価値を確認するのか。
「だが、母親には会って来た方がいい」
 突然セフィロスは言い聞かせる口調で言った。
「会わずにいたら、きっとお前はミッドガルに帰ってから後悔する。そんなお前を見ているのは心穏やかじゃない」
 彼らしい無表情で、彼らしく口答えできない説得力のある言葉だった。変わったと思ったのは気のせいかもしれないと、クラウドは思った。
「うん。じゃあ、行ってくる」
 身を起こして立ち上がろうとした腕を、掴んで引き止められた。
「オレも行く」
「…なんで?」
「母親というのがどんなものか、見てみたい」


 周囲の家に比べて明らかに小さなそれの、古ぼけた扉の前に立つ。
 久々に見る扉は目線が違う。中央に掛かった、母親の手作りの木彫りの表札までクラウドの背が伸びたからだ。
 無言で開けて家に入ると、殆どが玄関先から室内が見渡せた。
 クラウドの母は以前と変わらぬ背を向けていた。記憶にある限り、そこにいることが多かったキッチンの調理台の前に。
 背後にセフィロスの気配を感じながら進むと、母が振り返った。
 クラウドと同じ色の髪は、地味に結い上げてはいるが母の自慢だった。
「クラウド? クラウドかい?」
「ただいま、母さん」
「クラウド!」
 手を濡らしたまま走り寄ってきた母はクラウドの胸に飛び込む。元々背の高い人ではなかったが、小さいと思った。
「立派になって。ろくに便りも寄越さないからどうしたのかって心配してたんだよ」
「ごめん」
「制服? 仕事で来たのかい?」
「うん。明日には発つから、顔見に来た」
「元気そうで、よかった」
 頬にキスされ、同じように返すと、母は漸くクラウドの後ろにいる大男に気付いたようだ。一瞬目を見開き、問い質す視線でクラウドを見る。
「あの、オレの上官なんだ。サーセフィロス。知ってるだろ?」
「まあ」
 セフィロスはいつもの無表情で母を見下ろし、少し目を伏せた。とても物憂げな感じがするその表情を見た大抵の女は、彼の神々しくさえある美貌に目を細める。母も同じだった。
 クラウドより仰向いた姿勢で彼を見上げ、それから深々とお辞儀をした。
「いつも、クラウドがお世話になっております」
「いや。クラウドには、むしろこちらが世話になっている」
 自分の目の前で、それぞれ頭の上がらない人物同士が自分のことについて話している状況は、クラウドには酷く居心地の悪いものだった。それがそわそわと動作に現れなかったのは、単に軍での訓練の賜物だ。
「セフィロスさんとおっしゃいましたよね。ミッドガルに行く前から、クラウドはいつもあなたの写真に見入っていました」
 セフィロスは母の言葉に少し驚いた風に目を開いて、クラウドを見た。咄嗟に目を反らすが、彼の視線は俯いたクラウドの頬に突き刺さるように据えられた。
「か、母さん、余計なこと言うなよ」
「あら、本当のことじゃない」
 頬が熱い。
「今、お茶を入れますから。どうぞ召し上がって行ってくださいな」
 もしこの時、セフィロスが母と向き合ってお茶を飲むような事になっていたら、多分クラウドはこの家から逃げ出していただろう。
 だがセフィロスは微かに笑みを浮かべて首を横に振った。
「ありがたい申し出だが、オレは宿に戻っている。…クラウド」
 セフィロスは母の誘いを断って、まだ目を反らしていたクラウドの髪に手を乗せ、彼の方へと向かせた。
「ゆっくりしてこい。夜には戻れよ」
「アイアイサー」
 クラウドが敬礼して返したのは半ば意地だった。
 セフィロスは小さく笑いを漏らし、母へは目礼だけに留めて、入って来た扉をくぐるように出て行った。
 クラウドは無言で彼の背を見送る。
 同時に宿に戻ったら何を言われるかと不安になった。


 「虫の報せかしらねえ? ちょうどさっき焼いたマフィンがあるんだよ」
 母は一度として動作を止めることなく、クラウドの世話をやく。
 同時にクラウドの近況を聞きだすことも忘れない。
「ホントに立派になって。それ、ソルジャーさんの制服かい?」
 突然確信を突かれたような質問に、クラウドを息を飲んだ。
 真実を言ってしまえと心の中で思うが、母はクラウドの返答を待たずに口を開き続けている。
「そんなじゃ、女の子たちが放っておかないだろうね。おまえは父さんに似て男前だから」
 あのセフィロスを見た後に、クラウドを『男前』と言える辺りがさすが母親というべきか。そもそも知りもしない父親よりも、クラウドは紛れもなく母とそっくりだった。こそばゆい言葉は決して世辞ではなく、母は本気でそう言っているようだ。
「彼女とか、出来たの?」
 いたずらっぽく笑って振り返る母の顔は、母親というより娘のそれだった。
「そんなの出来る暇もないよ」
 確かに彼女はいない。以前ザックスたちにからかわれた時と同じく、寮で暮らし、毎日男所帯の最中に暮らすクラウドには、年頃の少女に出会う機会は相変わらず皆無だ。
 だが同時にセフィロスの顔が浮かんだ。
 彼は『恋人』だろうか。本当に。
 彼は軍内で限りなくそのトップに近い上官で、だからこそクラウドはまるで彼をたぶらかした悪人のように噂される。
 だがもし二人とも軍人でなかったら。階級や制度の中にいなかったとしたら。
 きっと年は離れていても恋人として扱われたに違いない。
 ニブルヘイムのような狭い村では、同性愛者と指を差されて居着けなくても、ミッドガルのような都会に紛れるか、それともいっそ傭兵や流れの剣士のように人気のない場所を放浪するか。
 その想像はとても心地良いものだった。彼と、何の柵もなく、二人で生活するなど夢のようだ。
 想像に頬を赤らめたクラウドをどう解釈したのか、母は笑い声を立てて愛息子をからかう。
 母がクラウドとセフィロスとの関係を知ったら、一体どんな反応をするのだろう。人ならぬ道に進んだ息子を諌めるか、それともいつかは理解してくれるのだろうか。
「あんたには、ちょっとお姉さんくらいの娘さんがいいと思うんだよ。ぐいぐい引っ張ってくれるような」
 母親の夢見るような目と言葉を訊く内に、クラウドはますます居たたまれなくなった。故郷に帰ってきた今日、クラウドは大事な人を裏切ってばかりだ。
 ティファから顔を隠し、母を騙し、もう十分に悪人だった。
 この時、クラウドは何か結果を出すまでここには戻らないと心に誓った。
 口を閉ざしたクラウドに、母は懐かしい匂いのする手焼きの菓子とお茶を持ってくる。好物だったチーズ入りマフィンを口にしても、それを眺める母の無償の笑顔を見ても、不思議と涙は出なかった。


 珍しくザックスと自分から会話をしたりするほど口数が多く、機嫌のいいセフィロスと対照的に、憂鬱な気分のまま宿に帰り、口を閉ざし続けるクラウドを見て、彼はどう思ったのだろうか。
 翌朝、集合時刻にニブル山への登山口に集まったときも、セフィロスの機嫌は変わらなかった。先日言ったように、彼にとってこのミッションはピクニックのようなものなのだ。
 登山口には村人が何人か集まっていた。その中にはティファもいた。
 だがザックスがまだ来ていない。
「わりー、わりー」
 大剣を背負いながら走ってきたザックスは、立ち止まって髪を掻く。
「遅いぞ」
「寝坊しちまった」
「昨夜、オレの忠告を無視するからだ」
 ザックスは笑って誤魔化す。ザックスもピクニック気分らしい。
 クラウドにとってはニブル山は挫折の象徴であり、幼い頃からそこに現れるモンスターの脅威を知っているだけに、彼らの様な気軽さはありえなかった。ただでさえ険しい道、途中狩人や武闘家が立ち寄る山小屋がある以外、魔晄炉までの道のりは短くない。
 実際クラウドも長く村にいながら、魔晄炉まで自分の足で行ったことはなかった。
 魔晄炉内への立ち入りも神羅によって厳しく禁止されている。
「あの…」
 クラウドが顔を上げると、その時彼らに声を掛けたのは村長──つまりティファの父親だった。昔ティファと一緒に崖から落ちたあの事故の時、彼の言葉のせいでクラウドは悪人にされ、以前にも増して村から阻害されたのだ。
 だが白髪が増え、急激に老いた彼に、クラウドはそれまで気付かなかった。
「魔晄炉までのガイドですが、この娘が」
 そう言って背中を押され、進み出たのはティファだった。
 昨日と同じ帽子を被った彼女はにっこりと笑って礼儀正しくお辞儀をした。
「ティファです。よろしくお願いします」
「この子がガイド? マジ?」
 ザックスが彼女を指差して聞き返し、村長が頷いた。
「山道なんだぜ。大丈夫かよ。危険すぎるんじゃないか? 大体一般人を巻き込んでいいのかよ」
「この子はこう見えても村で一番の武闘家なんですよ。途中の山小屋までなら毎日でも行っているし、ニブルの山道にも一番詳しいんです」
 確かに彼女は、数年前から武闘家のザンガンに弟子入りして、素手での格闘を習っていた。村の周辺に現れる弱いモンスターくらいなら素手でも倒せるかもしれない。
「マジー? どうする、セフィロス?」
「お前が守ってやれば問題なかろう」
 セフィロスは無表情に言い、さっさと登山口へと向かう。
 その背を、見物に来ていた宿屋の息子が呼び止めた。
「あの、セフィロスさん、写真を一枚。ティファちゃんからもお願いしてくれないかなあ」
 ノリのいいザックスは走り寄ってきたティファと快く並び、それからセフィロスに声をかけた。
「あんたが入んなくてどうするんだよ」
 セフィロスはじろりとザックスを見て、一度クラウドの方に視線をやってから、無表情で彼らと並んだ。
「はい、撮りまーす」
 シャッターが切られたと同時に、セフィロスはクラウドに歩み寄って来た。
「ありがとうございましたー」
 後ろから宿屋の息子が言うのにも構わず、クラウドの前まで来たセフィロスは顎で促した。
「行くぞ」
 短い一言で、彼の機嫌が急降下していることにクラウドは気付いた。
 さっさと先を行こうとするセフィロスと並んで歩き、クラウドは彼の顔を覗き込んだ。
「どうしたんだよ」
「あそこまで近くにいて、なぜ皆お前に気付かない」
「顔かくしてるんだ。分かる訳ないって言ったろ」
「それにあの娘が同行するなら、その間、お前を名で呼べない」
 クラウドは彼の言い分に吹き出しそうになった。そんなことをしたら、後でどんな仕返しをされるのか分からない。
 なんとか押し留めた笑いを飲み込むと、今度は泣きそうになった。
「あんた、何か優しいな」
「からかうな」
「本気だよ」
 後ろ頭を軽く叩かれ、クラウドは妙に晴れた気分を噛み締めた。
「オレから離れるなよ」
「離れないよ」


 「おーい。そんなに急ぐなって!」
 登山口の方から、ザックス、ガイス、ティファの三人は急ぎ足で追いかけて来る。
「のんびりしていると、陽のある内に下山できなくなる。急げ」
 曲がりくねってはいるが、途中の小屋までの登山道は一本道だ。モンスターにも殆ど遭遇することはない。
 黙々と登り、小屋が見えてくる。丸太を組んだだけの小屋の前を通り過ぎると、すぐに吊橋がある。
 それを渡って直ぐのところで、昔ティファが足を滑らせたのだ。
 足がかりもなく、岩の突起に片手を掛けただけのティファを引き上げるには、当時はまだ彼女よりも背が低く、少女のように細かったクラウドはあまりに非力だった。彼女の手が岩から離れたと同時に、クラウドもそのまま引きずられ、崖下まで転落した。
 嫌な記憶を反芻しながら、それでもクラウドは前を行くセフィロスの背中を負う。クラウドの後ろにティファ、ザックス、ガイスと続いて吊橋に足を掛けた。
 風があった。
 足を置いた時の軋みにクラウドは不穏なものを感じ、ふと前を見た。
 ぴしりと枝を折るような音がする。後ろを振り返ろうとすると、セフィロスがそれより先にクラウドを見た。
「切れる」
 振り返った麓側の吊り綱がたわむ。
「掴まれ」
 後ろからセフィロスに手を掴まれた。
「ザックス!」
 セフィロスが叫んだと同時に、視界の端でザックスがティファの小さな身を抱え込むのを見た。
 視界が傾く。セフィロスと繋ぐ手に力を込めた。
 一番後ろにいたガイスが、掴んだ綱の切れ端と共に崖下に落下していった。
「下を見るな!」
 叱咤に視線を戻して、クラウドはもう一方の手を吊橋の横板に掛けた。それでもセフィロスはクラウドの手を離さない。
 次の瞬間、いくつもの板が割れ、綱の切れる音が続き、落下感が増した。
 頂上側の綱も切れたのだ。
 ティファとザックスの悲鳴を聞いた。だが咄嗟に目を瞑ったクラウドは声を上げなかった。
 腕を掴むセフィロスの体温をまだ感じる。その手が背に回り、クラウドを守るように抱え込んだ。
 不思議と恐怖感はない。
 彼と一緒ならば心配する必要はない絶対的な信頼と同時に、彼の隣であれば例え命を落してもいいと、クラウドは思った。
 目を開けるとセフィロスの顔が見えた。
―――怖くはない。


 「いたた」
「怪我は」
「ないよ。尻、打ったけど」
「それは大変だ」
 制服についた土を叩き落して崖を見上げたクラウドは、その高さに口を開けた。軽口を叩けるのはセフィロスが自分を守ったおかげだ。でなければ、いくら鍛えた体とはいえ、地面に叩きつけられて骨折くらいはしていたに違いない。
 周囲は岩が入り組んで見通しが悪い。高い岩に登っても、他に人影は見えなかった。
「ザックスたちは…」
「娘はザックスが守っていた」
 先を立って行くセフィロスに続き、少し離れたところでティファを介抱するザックスを見つけた。二人とも無事のようだ。
「セフィロス! 助かったぜ!」
 ザックスがこちらに向けて手を振り、それから首を巡らせる。
「もうひとりは?」
「かわいそうだが、捜す時間はない」
 冷徹な一言に起き上がったティファは眉を顰めた。
「先へ進む。娘、道は分かるか?」
「こんなとこ…初めて見る」
「頼りないガイドだな」
 セフィロスの言葉は淡々としている。彼のこの言い様に慣れているクラウドやザックスならともかく、ティファには少々かわいそうだと思う。気を落して俯いた彼女の肩を、ザックスが宥めるように叩いていた。
「ここでじっとしていても仕方ない。とりあえず上へ向かうか…」
 道が分からなくても、頂上を目指せば必然的に魔晄炉に辿り着くはずだ。
 人の歩いた痕跡を見つけ、セフィロスを先頭に、クラウド、ティファ、ザックスと続き、前より一層曲がりくねった道ならぬ道を歩き始めた。
 蛇行を繰り返す細い道は、まるで蟻の巣だった。
 そして大分登ったあたりで道は行き止まり、小さな洞穴の前に出た。
「オレ、ここ知ってるかも」
 クラウドはセフィロスの背に小声で話しかけた。
 以前この洞穴の入口まで来たことがあったような気がした。
「上に登れると思う」
 セフィロスは無言で頷き、先に狭い洞穴へ身を潜らせた。
 内部は比較的広く、岩壁の表面が不思議な緑色に光を放っていた。
 これは魔晄の色だ。ちょうど魔法マテリアのような黄緑色の結晶が、岩の表面に張り付いており、ヒカリゴケのようにそれ自体が発光している。
「なんで…光ってるんだ?」
 ザックスがセフィロスに向けて訊いた。
「マテリアだ。この辺りは元々魔晄が豊潤な土地だからな」
 へえ、と感心したようにザックスは呟き、周囲をきょろきょろと見上げながら進む。
 ティファは岩の表面を撫でて、不思議そうな顔をしていた。
 暫く行くと、突然視界が開けた。
 周囲は相変わらず岩に囲まれているが、天井部分がない。まるでミッドガルのホテルやデパートで見るような吹き抜けになっている。
 空は雲っていたが、差し込む陽光はまぶしいくらいだ。
「随分と小さな魔晄の泉だな。珍しい」
 拓けた場所の中央に、水晶のような塊が鎮座していた。
「これは…?」
 ティファが恐る恐る手を伸ばしてそれに触れた。
 薄い青みを帯びたそれが、ティファの指先をその色に染める。
「マテリアだ」
「これも…? こんな色のマテリア、見たことない」
 クラウドは彼女の後ろからそれを覗き込んだ。
 青白い色は魔法マテリアとも異なる。
「そういやさ、なんでマテリア着けると魔法唱えたりできるんだ?」
 ザックスがセフィロスに向かって質問した。
 セフィロスはより不機嫌な顔になり、それから少し苦笑した。
 ティファが傍にいるから、クラウドが声を出せないことをザックスも分かっている。昨晩の内に、ここではクラウドの正体を知らせたくないと話をつけてあった。ニブル山を登り始めてからセフィロスが機嫌の悪かった原因を測って、ザックスはこの場を和ませようと質問を繰り返しているようだった。
 彼の意図にセフィロスも気付いたらしい。
「お前、ソルジャーのくせにそんなことも知らないのか」
「…なんだっけ…?」
 どうやら気を利かせただけでなく、本当に忘れているようだ。
「マテリアは魔晄が結晶化したものだ。魔晄はあらゆる知識の源流、それが特定の意図をもって結晶化すると、魔法マテリアなどの形になる」
 セフィロスはまるでクラウドに対して講義するように、すらすらと説明した。
「意図って……誰のだよ」
「さてな。古代種の意志だ、と言われているが。石炭とダイヤが同じ炭素で構成されていても、まったく違うものであるように、そこに誰かの意図があると思ってもおかしくはないだろう」
「じゃあこれは……そのマテリアになる途中?」
 ティファは美しい結晶を見つめながら呟いた。
「魔法マテリアのような単純構造のものは、人工的な環境の中でも作り出すことが出来る。だがこんな大きなマテリアは珍しい。ここまで成長するには、膨大な時間と大量の密度の高い魔晄を必要とするだろうな」
「不思議なもんだな」
 ティファと並んでマテリアを覗き込み、関心したように呟いたザックスへ、セフィロスが声を上げて笑った。
「何が変なこと言ったか?」
「いや、ある男がな…不思議なんて非科学的ないい方は許さん、魔法なんて呼び方も駄目だと癇癪を起こしていたのを思い出した」
「誰だそれ」
「神羅科学部統括の宝条。偉大な科学者の後を引き継ぎ、己の未熟さを認められない、哀れな男だ」
 セフィロスはグローブに包まれた長い指でマテリアに触れた。
 だがすぐに手を離し、指先を見つめる。まるでそこに何かが付着したような仕草だった。
「どうしたんだ?」
 小声で囁いたクラウドを肩越しに見て、セフィロスは首を振った。
「…いや…何か変な感じだ」
 我に返った風に顎で先へと皆を促し、髪をひるがえして再び足を進めるセフィロスを追いながら、クラウドは不安を新たにした。
 ここに来て、セフィロスは非常に饒舌だった。口数が問題ではないにしても、クラウドやザックス、他の人間に対してもこれほど感情を露にすることはこれまでにもなかったように思えた。
 すべては、あのジュノンでの出来事以降のことである。
 冷徹な司令官や戦士としての顔が印象深かったはずのセフィロスには、到底似合わない言葉を告げられ、それ以後の彼の言動にはずっと違和感を覚える。
 本来情が薄い訳ではない彼が、普通の人間のように感情に従い、行動するようになった時、果たして周囲はそれを容認できるものなのだろうか。彼が最強の、それも知識豊富な英雄の立場にいるのは、個人的な感情の一切を捨て去ることができ、あの冷静な思考力と合理的な判断力があってのものだ。
 クラウドにとっては、彼の一面を知る喜ばしい事象でも、世間はそれを許さないかもしれない。
 この不安が、彼の内面を知るべきは自分だけだという独占欲であれば、何も心配はいらないのだけれど、とクラウドはこの時思っていた。


 それから二時間も登り道が続き、漸く山頂の魔晄炉が見えた。赤茶けた鉄の色が、色味ない山肌に鎮座する姿は異様な感じがした。
 ここは各地になる魔晄炉の中でも、一番最初に建造された炉で、それなりに年数も経ている。魔晄炉の麓まで辿り付いた時、ミッドガルに建つそれらとは、明らかに形も違うことがわかった。
 恐らく試行錯誤の末、後々改良を加えた部分も多いのだろう。つぎはぎだらけな外壁は、まるで幾度も手術を重ねた、ヒトの身体のようにも見えた。
「着いたわ。だいぶ遠回りしちゃったけど」
「あんたはここで待ってな、ティファちゃん」
 意気揚揚とエントランスの階段に足をかけたティファを、ザックスが腕を掴んで引きとめた。
「えー。私も中に行く。見たい!」
 不満を口にして拳を振り上げるティファを他所に、セフィロスはさっさと階段を上り始めている。
「魔晄炉内部は一般人立入禁止だ。神羅の企業秘密で一杯だからな」
 ティファはぷうっと頬をふくらませ、足元の小石を蹴った。
 体つきは大人になっても、昔と余りかわらない仕草が懐かしく、クラウドはマスクの内側で思わず笑みを浮かべた。その気配を察したのか、セフィロスは後に続こうとしたクラウドの背を押し、呟くように言った。
「お前が守ってやれ」
 クラウドは驚いてセフィロスを振り返ったが、彼はもう階段も半ばにさしかかり、表情を窺うことはできなかった。
 彼女に、クラウドの正体をみせろということなのか。
 それともセフィロス流のからかいや嫌がらせのつもりなのか。
「んもう! しっかり守ってね!」
 クラウドの思考はティファの言葉に中断した。


 セフィロスとザックスが魔晄炉の中に消えてから、クラウドの時計が三十分も回ったころだろうか。鉄製のスロープを足音も荒く戻ってきたのは、ザックス一人だった。
 彼の顔を見上げて声を掛けようとしたクラウドは、二重の意味で口を閉ざした。
 声を出してしまえば、近くに佇むティファに、自分の正体を悟られてしまうということが一つ、そして、クラウドを見下ろすザックスの、見慣れない不安げな表情がもう一つの理由だった。
「クラウド」
 階段の上で手招きをしたザックスは、近寄るクラウドの腕を掴み、引き寄せた。なにか酷く焦っているようだった。
「来てくれ」
 見上げた親友の顔は、珍しく困惑している。
「どうしたの?」
「セフィロス…なんか変だ。お前が行った方が良さそうだ」
「なん、だよ。ティファを一人で置いて行くわけにはいかないだろ?」
「いいから」
 クラウドの背を押し、促すザックスの真剣さに逆らうことはできない。それにザックスが困惑するほど、セフィロスに何か異変があったのであれば、捨て置くことなど出来るはずも無い。
「ティファ、あんたはここで待っていてくれ」
 ザックスが階段下のティファへ声をかけた。
「えー。独りにするの?」
「階段のところにいれば、危険はないよ。だけど中には入るんじゃないぞ。やたらな物を見ると、村の人間みんなに迷惑がかかるからな」
「…はあい」
 階段を途中まで上り、そこに腰掛けた彼女を見届けてから、二人は魔晄炉の中へ入った。
 赤茶けた壁は、外壁も内部も共通である。
 太いパイプが幾重にも這い、そこを反響する低音は魔晄泉から魔晄を汲み上げるモーター音なのだろうか。ミッドガルの魔晄炉でも同じような音がした記憶がある。だが、明らかに都会のそれとは規模が違う。粗雑な設備のつくりもまた、ミッドガルの炉とは異なった。
 狭い通路を渡りはしごを降り、少し開けた場所に出ると、深い渓谷に橋がかかるように、巨大な魔晄泉の上に通路が一本走っていた。
「魔晄…!」
「ここは空気中の魔晄濃度が高いらしい。急に吸い込むと酔うぞ。ただでさえ、お前は弱いんだからな」
 クラウドは慌てて己の体質を思い出し、口をつぐんだまま大きく頷いた。浅く息をするように心がけながら、ザックスの後を追う。
 通路の遥か下に明るい緑色に光る魔晄の流れが見えた。魔晄の流れは液体とは異なるが、それを水面と呼ぶならば、それは二、三百メートルは下に見えた。
 立ちくらみを起こす高さに辟易しながらも、クラウドは低い手すりがついただけの通路を黙々と進んだ。
 その突き当たりには大きな密閉戸があった。船のもののような、丸いハンドルがついた扉は今は開け放されている。
 内部からは薄明るい赤い光が漏れていた。灯りに赤く染まった室内は、ヒトの内臓を連想させた。
 ザックスはその戸口で立ち止まった。
 クラウドはザックスの背を追い越し、室内へ踏み込んだ。低い、唸るようなモーター音が、クラウドの不安をより一層煽る。
 部屋はさして広くもなく、中央に階段があり、その両脇に卵のような形をした機器が列を成して並んでいた。ひとつひとつに付いた小窓からは、魔晄の色の光が漏れている。
 そしてセフィロスは、階段を登りきった場所に立ち尽くしていた。
 奥にももう一つ部屋があるのか、扉がついている。
「セフィロス」
 呼びかけても、彼は暫く振り向きもしない。奥の部屋が気になるのか、しきりにそちらを見ている。
「セフィロス…?」
「クラウドか」
「うん」
 背を向けたままのセフィロスを追って、クラウドは中央の細い階段を上がった。
「ここ、なに?」
「これは魔晄エネルギーを凝縮して、さらに冷却するためのシステムだ」
 漸く振り返ったセフィロスは微かに笑っているようにも見えた。
「なんで、そんなものが? ここ、魔晄炉なんだろ。故障の場所はみつかったのか?」
「故障箇所はな。だが、元々ここは単なる魔晄炉ではなかったようだ」
 セフィロスはそう呟き、階段を数段下りてクラウドの横に立った。
 そしてまだ階段下にいるザックスを見下ろして、口元を皮肉な笑みに歪める。
「魔晄エネルギーを凝縮すると、何が出来る? ザックス」
「…マテリア、なんだろ」
 答えたのはザックスだ。
 セフィロスは頷き、視線をめぐらせると、周囲に並ぶ卵型の機器を顎で示した。
「普通はな。だが、見てみろ。魔晄が固体化する一歩手前の、高密度の魔晄の中に、あの男はあるものを入れた」
「あの男?」
 ザックスは問いながらも、一番近くにある卵の小窓を覗き込んだ。暫く目を凝らしていた彼は、突然顔を強張らせ、小窓から一歩退いた。
 クラウドもそれにならい、小窓の縁に手を掛け、伸び上がって高い位置にある内部を覗き見た。
 魔晄の緑に満ちた卵の中は、水が淀むように視界が悪い。だが見つめていると、その内部にあるものが何であるか、クラウドにも判別することが出来た。
 クラウドは慌てて窓枠を掴んだ手を離し、その手で口を覆った。
「なに、これ…?」
 見開いた様に見える目は瞼がなく、瞳は赤く、白目がなかった。うろこ状のものに覆われた頬、大きな牙に捲れ上がる唇、そして頭部と肩のあたりの皮膚はささくれ立ち、とげのような形になっている。
 異形というより、怪物の域だ。
「まさか、これがモンスターなのか?」
 絶句しているクラウドの脇に立ったザックスが、うめくように漏らした言葉に、セフィロスは平然と頷いて見せた。
「ザックス。お前をはじめ、普通のソルジャーたちは魔晄照射を受けたな。一般人とは異なるにしろ、人間には違いない。だがこれらは明らかに、もうヒトではない」
「これが、元々人間だってのか!?」
「誰が…こんなことを…」
 クラウドは吐き気をこらえて、唇を手で覆ったまま呟いた。
「神羅科学技術部統括、宝条。あの男がこうしてモンスターを生み出した。魔晄エネルギーが創り出す異形の生物、それがモンスターの正体だ」
「なんて、むごいことを…」
 セフィロスの言葉を訊く内に、クラウドはやり場のない怒りを感じて、一方で吐き気は去っていった。
 こんなことが世間に知られれば、神羅は終わりだ。例えこの星で一番の権力と武力を持つ集団だとしても、こんなことが許されるはずがない。
 戦場を経験し、世の中の裏舞台を少々とはいえ見て来たクラウドでも、こういった権力の振るい方には激しい嫌悪を覚える。
 初めて宝条博士を見たときに、クラウドが感じた直感的な嫌悪感は、間違いではなかったということだ。
 事実の衝撃に言葉もない二人の部下を他所に、セフィロスは声を立てて、場に不似合いな笑いを漏らした。
「宝条。馬鹿な男だ。こんなことをしたって、あんたはガスト博士にはかなわないさ」
 三人の間には沈黙が続き、モーター音だけが室内に響いた。
 クラウドは早く山を降りたかった。
 そして任務を終えたこの地を去り、セフィロスと共に、神羅も手の届かないどこかに逃げ出したかった。
 ずっとソルジャーになりたいと思っていた情熱が、まるで冷水に当てたように醒めていくのを実感する。ザックスがいつか言ったように、強くなる方法が他にあるかもしれないなら、これ以上神羅に身を寄せる必要はない。なにより、セフィロスはここにいてはいけないと感じた。
「セフィロス。あんたは、このことを知らなかったのか?」
 沈黙を破ったのはザックスだった。
 数段低いところから見上げるザックスも、この事実には打ちのめされている。彼とてまた、神羅でセフィロスのような英雄になりたいと思っていたからだろう。
「モンスターの由来については、予想はしていた。神羅が創ったものだろう、とな」
「あんたは最初に創られたソルジャーなんだろ? あんたは、普通のソルジャーと、神羅の扱いも待遇も全く違う。気づいていたなら、これを止めることは出来なかったのかよ」
 ザックスの苦しげな問いに、セフィロスは意外にも身体を強張らせた。
 クラウドが見たこともないほど険しく眉が寄せられ、奥歯が噛み締められた。
「普通の、ソルジャー? …まさか」
 セフィロスは並ぶ卵型のカプセルにグローブの手をつき、強くそれを握り締めた。
「オレも、こうして創られたというのか。オレもこのモンスターと同じだというのか!」
 一瞬のうちに、セフィロスの闘気が室内に満ちるのが分かった。
「セフィ、ロス」
 クラウドが呼び止める間も与えず、セフィロスは刀を抜き、居並ぶ卵を二閃した。二つの大きな機器があっけなく半ばから分断され、その片方から異形の生物の残骸が床に飛び散った。
 魔晄の融けた液体と血液が流れて、クラウドの足下に到達する。
 慌てて身を引いたクラウドは、後ろにいたザックスに受け止められた。
「オレは……幼い頃から、他人と自分は違うと感じていた。だが、それはこんな意味じゃない」
 セフィロスの震えた声など、後にも先にもこの時一度しか耳にした記憶はない。
 彼の動揺を支える術も思いつかないまま、クラウドはザックスの腕に背を預けたまま、立っているのが精一杯だった。
 そして、セフィロスの斬撃を受けたもう一方のカプセルが大きく振動し、そこから延びたパイプが勢いよく蒸気を吹き上げる。斜めに傾いたカプセルの扉が前方へ倒れ、中にいた異形の生物は手足を地につけて身を起こした。
 赤子がひきつけをおこしそうな咆吼を上げ、赤黒く淀んだ目をセフィロスへと向ける。腕と背に生えた棘状のものを、猫が敵を威嚇するように逆立てる様は、まさに獣の本性だった。
 先程の動揺とは対照的に、セフィロスは冷ややかな視線で目覚めたばかりのモンスターを一瞥し、躊躇なく正宗で横一閃、その首を刎ねる。
 どさりと重い音を立てて、頭部が床に落ちた。
 首は体液をまき散らしながら転がり、セフィロスの足に当たって止まる。
 セフィロスは抜き身の刀を持ったまま、異形の躯を避けようともせず立ちつくしていた。

 「オレは…人間なのか」





 クラウドは憂鬱な気分でベッドの上で目覚めた。
 そして目を開けた途端に昨日までの顛末を思い出し、より一層暗い気持ちで顔を上げた。
 外は夜が明けたばかりでまだ薄暗かった。おまけにしとしとと小雨の降る音がした。
 そもそもニブルヘイムは晴れやかな空になることの方が珍しい。クラウドの記憶にある故郷から、何一つ変わっていない。
 ベッドの上で上半身を起こしたクラウドは、隣のベッドに人の姿がなく、眠った痕跡すらないことに思わず大きく溜息をついた。
 村の宿屋の二階を借り切った部屋は、寝台だけが並んでいるような簡素なものである。今回逗留する四人が分け隔てなく並んで眠った最初の晩と違い、ドライバーで同行したガイス一等兵と、なにより長たるセフィロスが欠けている。
 魔晄炉での任務は無事に終わったが、魔晄炉内で発見した奇妙な施設で起こった事件以降、セフィロスはそれまでの饒舌さを覆すように全く口をきかなくなった。無表情はこれまで以上磨きがかかり、なんの感情も窺わせなかった。
 あの日、事の重大さに打ちひしがれた放心状態のクラウドと、何が起こったのかも知らされていないティファの手を引いて、ザックスは無言でセフィロスを追って下山した。
 ニブルヘイムに戻ってから、セフィロスは部屋の窓辺に立ったままずっと外を眺めていた。事件の翌日、ガイス一等兵を捜索に行ったザックスと村の者が、彼を救出して帰ってきたことを報告しても返事はなく、食事を運んでも手をつけるどころか振り向きもしなかった。
 しかたなくセフィロスの背を眺めた姿勢で毛布を被り、クラウドも床につく日が幾日か続き、今朝はその姿もない。
 一体何が起こったのか、一部始終を目にしていながらクラウドには理解できていなかった。
 神羅が恐ろしい研究をして、その結果モンスターが生まれたということは分かった。
 だがそれがどうして、あのセフィロスを見たこともない程に動揺させる原因になるのだろうか。
 畏怖さえ覚える脅威の体力や回復力を有していても、セフィロスは人間だ。魔晄炉の奥で見たようなモンスターとは似ても似つかない。
 今存命なのかどうかは知らないが、彼は母親の名前を知っていた。皆そうやって、それぞれの親から産まれ、セフィロスやザックスは後にソルジャーの施術を受けただけだ。
 それにセフィロスは幼い頃から、著名な魔晄の研究者ガスト博士と交流があったといい、今では神羅でも一二を争う、あらゆる分野の有識者でもある。
 クラウドやザックスよりもずっと、神羅の現実や魔晄についての知識は深いのに、その彼が今になってあれほど驚愕する理由は、クラウドたちには想像も及ばない。
 昨晩もザックスと話し合ったが、結局二人とも原因の検討すら掴めないままだ。
「セフィロス、どこに…行ったんだだろう」
 クラウドの、途方に暮れた独り言を聞いたのか、ザックスも目を覚ましたようだった。
 ベッドの上で起き上がったザックスは、クラウドにおはようと声を掛けた。その声も心なしか消沈したままだった。
「オレ、セフィロス探しに行ってくるよ」
 ベッドを降り、制服の上着を着てヘルメットを持ったクラウドの背へ、ザックスは目覚めた時の姿勢のまま呟くように言った。
「あんまり…お前が思い悩むなよ、クラウド」


 セフィロスの行方は、探索するまでもなく知れた。
 まだ人気のない村の広場に降り注いだ雨は、未舗装の地面にぬかるみを作り、彼の足跡を明瞭に残していた。
 宿屋の軒下から、ニブル山の方向についた足跡を追っていくと、村外れにある屋敷へと続いているようだった。
 村で一番大きなその屋敷は、クラウドが幼い頃からあり、長い間空家のままだった。神羅所有のものであると村中が知っているからこそ、子供たちまで親に厳しく言い含められ、敷地に踏み込んだことはない。
 高い鉄の門扉は厳重な錠が下ろされていたはずだったが、鎖は引きちぎられ、門扉も開け放たれたままである。セフィロスがその中にいるだろうことは、簡単に想像できた。
 屋敷の玄関で足跡は途切れ、クラウドはそれにならって屋内に足を踏み入れた。
 入った場所は広くひらけたホール、正面の大きなフランス窓から鈍い朝の光が差し込んで、ゆっくりと舞う埃がそれを反射している。カビの匂いが充満してはいるが、天井についたシャンデリアや、左右から二階へと伸びる階段の手すりの細工は高級感があった。
 蜘蛛の巣と積もった埃に白くけぶって見える床には、セフィロスの濡れた足跡が続いている。
 クラウドは目をこらして足跡を辿り、階段を登った。
 迷いの感じられない足跡は更に右奥の廊下へ、そして一つの部屋へと繋がっていた。部屋はゲストルームとして使われていたのか、寝台と小さなテーブルと椅子があり、椅子の一つは床に倒されたままになっている。
 足跡は奥の壁の前で途切れていた。
「なんでだよ」
 暫く行き止まりの壁を眺め、突然途切れた足跡を検分した。
 そして、ふと彼の足跡の上に椅子が倒れていることに気づく。その椅子を起こそうとクラウドが身を屈めたとき、奥の壁の隙間から漏れる僅かな光を目にした。
 屋外からも見える塔の壁の一部らしいそれは、ゆるやかに湾曲して、部屋の一辺を埋めていた。そして一番下のブロックのひとつが、妙に光っているように見えた。荒い表面の煉瓦が、何度も誰かがそこだけに触れたような状態だった。
 力いっぱいそのブロックを押すと意外なほど簡単に奥へとずれて、僅かな振動とともに壁が横へ開いた。
「隠し、扉?」
 古いが、これほど大きな屋敷に、どうしてこんなものを作る必要があるのか。
 恐る恐る覗き込んだ塔の内部は、円錐型の天井から地下深くまで吹き抜けになっており、円弧をえがく壁に沿って螺旋状の階段が続いていた。人ひとりがようやく通れる程度の幅で、古びた木製の段は朽ちている部分もある。
 煉瓦の隙間から光が差し込み、足場は確認できたが、底の方は暗くてどれだけの深さがあるのか判別しにくい。
 奈落の底まで続いているような錯覚を起こさせる階段へ、クラウドは躊躇なく足を踏み出した。
 その先にセフィロスがいる。
 ただそれだけが少年に勇気を与えた。


 階段を下りた場所は、それまでの風景とは異なり、岩盤をくりぬいただけのような洞窟になっていた。もしかすると人が作った穴ではなく、もともとあった洞穴の上に屋敷を建てたのかもしれない。
 壁には小さなランプが置かれ、人が出入りしていたような痕跡が残っていた。洞窟は長くなく、階段を下りた辺りから、奥に二つの扉を確認することができた。
 灯りもろくにない場所で目を慣らしながら、ごつごつとした岩の床の上を奥へと足を進め、一方の扉の前に立った。
 扉の下の隙間から細く光が漏れている。そこに伸びた人影が動くのを見て、クラウドは意を決してドアノブに手を掛けた。
 重い、樫のドアは微かな軋みを立てながら内側へと開いた。部屋の中は電灯が点いて明るい。板張りの足元に散乱した分厚い本がドアの開閉を阻んでいたが、クラウドはそのまま扉を押し切った。
 中はさして広くもない。壁面を天井まで書棚が塞いで、そこにはぎっしりと本が詰め込まれている。セフィロスの自宅の書斎とは異なり、サイズも色も不ぞろいの本が雑然と並んでいる様は、漂うかび臭さにはよく似合っているようでもあった。
 そろそろと、忍び足で足を進めると、手前の部屋から更に奥へ向かう通路が伸びていた。
 通路の両脇も書棚だった。その書棚から零れ落ちたように、床の上も本が散らばっている。
 床に積もった埃が削り取られていた。
 セフィロスがやったのだ。
「セフィ、ロス」
 床から顔を上げた正面に、彼はいた。
 周囲と同様に埃にまみれた立派な造りの両袖机があり、そこにセフィロスはクラウドの方に顔を向けて座っていた。
 机の周囲にも筆記具や雑記帳が散乱して、空いた卓上にはセフィロスが書棚から抜き出してきたらしい本や書類がうず高く積まれていた。
 名を呼んでも、彼は紙面に視線を当てたまま、こちらを見ようとする気配もない。
 両袖机に着く彼は自宅でも、執務室でも見慣れたもののはずなのに、こんなセフィロスの様子はクラウドは未だ目にしたことがなかった。声を掛けることすら憚る彼を、クラウドは立ち尽くし、暫くそのまま見つめていた。
 その間もセフィロスは紙面の文字を追っている。時折微かに眉根が寄せられる以外は、まるで息も止めているように見えた。
 そしてどれくらい時間が過ぎたのか、セフィロスは声なく何かを呟き、両手で顔を覆った。
 セフィロスは苦悩していた。
 胸と咽喉を押しつぶされる苦しさは、セフィロスが感じているものなのだろうか。理由は分からなくとも、クラウドでもそれくらいは推し量れるほどに、彼は今苦しんでいる。
「セフィロス」
 それまでクラウドの存在をまったく無視していたセフィロスは、二度目の呼びかけに顔を僅かに上げた。
 暗い、青緑色の両眼がクラウドを射抜く。常とは異なり、力ない視線だからこそクラウドは射抜かれた。
「…独りに、してくれ」
 視線以上に力のない声。クラウドは無言で必死に頭を横に振った。
 しばらくクラウドを見つめていたセフィロスは、再び紙面に顔を戻し、もう一度同じ言葉を呟いた。
 出て行けと荒々しく恫喝されたなら、クラウドは反抗したかもしれない。だが彼のこんな姿と声を前に、クラウドは背を向けることしか許されなかった。
 かび臭い書庫を背後に、クラウドは必死にこみ上げるものを堪えながら、暗い洞穴の通路を戻っていった。





 セフィロスが屋敷の地下に篭って二週間。
 ニブルヘイムは相変わらず雨の日が多く、村に留まらざるをえないクラウドとザックスは、日がな宿屋の部屋に篭ることしかできず、暗鬱な気分を増長させられる。
 セフィロスの事情は、ザックスが電話で本社に伝えた。
 神羅がなんとかしてくれるかと淡い期待を抱いていたが、セフィロスを引きずり出すための人員を送ってくれる訳でもない。ただ隊長の指示に従え、と言い張るだけだった。
 二人は交代でセフィロスの様子を見に行き、食事を運ぶだけの仕事に一日を費やしている。橋から落下したガイス一等兵は、全身打撲と左足の脱臼、右腕の骨折を負って、今もまだ村の小さな医院に入院していた。
 ザックスなどは『臨時休暇を貰ったと思えばいい』などと前向きな意見を言っているが、彼とて不安がないはずがない。
 そもそもザックスの方が、クラウドよりもじっとしていられる性質ではない。独り、ガイスを医院に見舞ったり、村の商店に出かけたりしている。
「待つしかねぇじゃん。気が済んだら、出てくるさ」
 クラウドを励ますようにザックスは言った。
 だがここ数日セフィロスに運んだ食事は少しも減ることはなく、書庫に続く扉の鍵も閉じられている。いくらソルジャーでも、水や食料は必要なはずだった。
「食べることも忘れて、何を調べてるんだろう」
 独り言のように呟いたクラウドを、ザックスはベッドに寝転がったまま見つめてきた。
「なんか…取り返しのつかないことになったら…」
 魔晄炉の調査だけの、簡単な任務のはずだった。クラウド個人の思惑はあれど、セフィロスやザックスにとってはピクニック気分で出掛けるような。
 ニブル山で知れた事実はそれほど彼にとって衝撃だったのだろうか。それともミッドガルにいるときから、セフィロスには少しずつ異変があったのかもしれない。
「オレ、セフィロスのとこ行ってくる」
「説得するつもりか?」
 クラウドは首を振った。
「なんでもいいから出て来てくれって、頼んでみる」
「…だな。オレは勘がいいほうじゃねえけど、あそこは──あの屋敷はなんだか良くない」
 壁に掛けておいた上着を取り、戸口に向かった。
 その背をザックスの声が追う。
「オレも一緒に行くか?」
「ううん。独りで行く」
 クラウドはザックスを一度振り返り、意を決して部屋を走り出た。


 半月も通えば、暗い洞穴の道も迷ったり躓いたりすることなく進めるようになった。
 天井近くで蠢くのは住み着いた蝙蝠で、得体の知れないモンスターではない。でこぼこした地面はもう目を瞑っていてもクリアできる。
 今朝、戸口の前にザックスが運んだ食事はやはり手をつけた様子はなかった。ここに置いてあるということは、ザックスが来たときは扉に鍵が掛けられていたのだろう。
 彼をここから連れ出すにしても、扉が開かなかったら外から呼びかけるしか手はないと思ったが、クラウドの気鬱は余計だったらしい。ドアノブは動き、扉は静かに開いた。
 手前の部屋は電気が消されていた。既に位置を覚えたスイッチに触れるが、点かなかった。電球が切れたのかもしれない。
 クラウドは奥の部屋を覗き込み、両袖机の定位置にいるセフィロスをみつけた。通路の本やファイルの山は、前回来たときよりも高くなっている。そのかわりに書棚はあちこちが歯抜けになっていた。
「セフィロス」
 声を掛けたが相変わらず返答はない。
「セフィロス。もう二週間だよ」
 顔を上げることもない。視線だけが字面を追っている。
「頼むから、ここから出よう。せめて食事ぐらい」
 手にしたトレイに乗ったスープやパンは、先程宿の親爺に用意してもらったものでまだ湯気が立っていた。それを差し出そうとした時、セフィロスが身じろぎした。
「セフィロス?」
「独りにしろと、言った」
「セフィロス」
 彼の声を久々に聞いた気がした。
 顔は伏せたままだが、目だけがこちらを向いたのが分かった。
「食事だけでもとらないと、死んじゃうだろ」
 必死で言い募るクラウドを他所に、セフィロスは鼻で笑うような仕草をした。
 そしてゆっくりと立ち上がり、大きな手がクラウドの方へ伸びる。
 呼びかけに反応があり、更に食事を摂る気になったのかと、クラウドが抱いた期待は次の瞬間打ち壊される。
 大きな掌はクラウドのトレイを持つ手首を掴み、抵抗する余裕もなく引き寄せられた。アルミのトレイが手から離れ、板床に大きな音を立てて落ちる。乗っていたスープが床にぶちまけられ、パンが弾みながら書棚の近くまで転がった。
 掴まれたクラウドの手首は、開いた本の上にしっかりと縫いとめられていた。
「死ねるものなら、どんなに楽か」
 無残に散った食事の残骸を唖然と見つめたクラウドは、セフィロスを振り返り、彼の視線を正面から受けて硬直した。
 反らされたままのそれにずっと苛立ちと不安を感じていたが、今の目はクラウドの背筋を凍りつかせた。
 普段なら文句のひとつも言い放っているだろう、クラウドの唇は動かない。掴まれた手首を取り返すことも出来ない。
 セフィロスは空いた片手で、机の上に積まれていた本を床へと払いのけた。両手で持つのがやっとのような、大きく重そうな書籍やファイルが全て退けられ、呆然としているクラウドは軽々とその上に引きずり上げられた。
「セ、セフィロス!」
 身体が彼の方へと引き寄せられ、手首から離れた手が制服の襟元にかかった。殴られるかと目をつぶったが、顔に衝撃はなく、変わりにその手が引き下ろされる。
 布地の破れる音に、クラウドは再び硬直した。
 セフィロスは上着だった残骸を床に放り投げ、今度はクラウドのウエストに手をかける。
 その意図を理解して、抗おうと挙げた手は再び机に押さえつけられ、片手で器用に下着ごとパンツも剥ぎ取られた。
「いやだって!」
 必死に腕を取り返し、振り回しても大した打撃も与えられず、今度はうつ伏せに返された。起き上がろうとしても背中の中央に乗ったセフィロスの片手は動く気配もなく、剥き出しにされた尻にもう一方の手の指が喰い込んだ。
 何時の間にか湧き上がった涙が、机の上に落ちた。
 混乱していて、恐いのか、腹立たしいのか、悲しいのかも分からなかった。
 胸を押しつぶされて苦しかった。背中を押す手が離れても、胸の奥は痛かった。
 尻の両側を千切られる強さで開かれ、唇を噛んだ。
 軋みを上げる肉を押し広げ、侵入された時の痛みにクラウドは息を詰まらせた。

 血の匂いがすると、クラウドは朦朧とする意識の中で他人事のように考えていた。
 侵入されるたびに力が入り、無理矢理押し広げられれば傷は広がる。腰が引かれる度、外へ溢れ出た血が腿の内側を伝っていく。床に残したつま先が滑る。
 これまでに彼と何度も身体を合わせ、得てきたものは快感だけではなかったが、今、痛むのは身体ではなく心の方だった。
 言葉も交わさず、愛撫もなく、無論股間を宥められるわけでもないクラウドの身体は、ただ血の気を失って冷えていった。いつもは少しひんやりとしたセフィロスの身体が、燃えるように熱く感じるのはそのせいだ。
 震える唇からは唾液が落ちるが、それはもしかしたら涙や冷や汗だったかもしれない。
 セフィロスは淡々と身体を動かし続け、そして突然乱暴に引き抜いた。引き抜かれたそれは真っ赤な鮮血が滴っていた。
 痛みに硬直する身体をまるで物を扱うように机の上で返され、仰向いたクラウドの膝が再び割られる。クラウドの股間は完全に萎え、冷えた陰茎が腹の上に横たわっている。既に抵抗する気力も、痛みを訴える力も失い、クラウドはされるがままだった。
 普段であればとうに達しているだろうセフィロスは、小さなあえぎも漏らさず、ただ黙々とクラウドを責め立てた。割り開かれる苦しさは流れる血液に助けられ慣れつつあるものの、裂かれた傷をかき回すような彼の動きは容赦がなかった。
 僅かでも彼が快感を得ているそぶりを示すなら救われるというのに、まるで解剖実験でも行っているような冷静さに、クラウドは余計傷ついた。
 身体がこれほど近いのに、セフィロスが遠かった。
 彼の感情も感覚も何ひとつ汲み取れず、汲み取らせようともしない。
 だが能面のようにこわばったセフィロスの顔は鋭利にそげ、青白く透き通るような肌で、以前に増して壮絶な美しさがあった。
 痛みにでなく、彼の仕打ちに対する怒りでもなく、クラウドは酷く悲しくなった。
 こんなにされても、彼が愛しい。その愛しい彼を救う手段を、何も持たないことが辛い。彼が吐き出せない苦悩を、これによって少しでも晴らせるのなら、受け止めたかった。
「セ…フィロス」
 震える腕を上げ両掌で見下ろす頬を包む。
 表情の全く動かないセフィロスへ、クラウドは微笑んでいた。
「セフィロス」


 身体の揺れる感覚に目を開けると書棚があり、視界が高い。
 そしてすぐ近くに強ばったザックスの顔があった。
 ザックスはクラウドと視線を合わせようともせず、その身体を抱え直して書斎を出て、螺旋階段を上った。全裸だろうクラウドの身体は毛布にくるまれている。
「…ザックス」
「黙ってろ」
 ザックスの怒りは毛布を通しても伝わった。それがセフィロスへ向けられたものであることは明白だった。
 無言で階上に運ばれ、隠し扉のあるゲストルームのベッドに横たえられた。少しカビくさい感じはしたが、埃は払ったらしい。
 暫く動くこともできずじっとしていると、ザックスはどこから調達したのか湯を張った洗面器とタオルを手に戻ってきた。そして濡らしたタオルでクラウドの身を清め始めた。
 改めて見下ろした自身には、所々にひっかいた跡や、血の跡がセフィロスの指の形に残っている。腿や足の内側には血の流れが筋になり、赤黒く染まっていた。
「ごめん、ザックス。こんなことさせて」
「おまえが謝るな、バカ」
「あと自分でやるから」
「いいからじっとしてろ」
 有無言わさぬ口調でクラウドを封じ、身体の汚れを拭われる。だがザックスの手が尻に触れた時、クラウドは他人に見せるような場所ではないこと以上に、セフィロスに犯された部分を見られる事に抵抗した。
「オレだって男のケツなんぞ興味はねえよ。血は止まったみてえだけど、様子見なきゃ魔法使えないだろ。嫌かもしんねーけど暴れんな」
 クラウドは黙って力を抜いた。他人の手が尻に触れる屈辱に耐え、唇を噛みしめる。
 そしてザックスの手が事務的にそこを開いた瞬間、彼はクラウドから手を離し、椅子を倒して立ち上がった。
 飛び上がって驚いたクラウドが見上げた時、ザックスはタオルを投げ捨て、その手で壁を殴りつけた。
「ザックス!」
「畜生っ…あの野郎っ!」
「怒るなよ、頼むから」
「おまえこそ、少しは怒ってみせろよ! あの…変態野郎! おまえ自分のそこ鏡で見てみろっ! どんなにされてっか自覚ねぇんじゃねーかっ」
「死にそうに痛いよ」
「だったら…っ」
 うつぶせに寝たまま、クラウドが両手で顔を覆ったのを見て、ザックスは続く言葉を途切れさせた。
「でも、何もできない方が、もっと痛いんだ」
 今更のように落ちそうになる涙を隠していると、ザックスは黙って魔法を使った。じわじわと魔法の効果が染み渡る感覚と一緒に、脈打つたびに走った激痛は消え、身体がだるいような気分だけが残った。
「バカだな。おまえも、セフィロスも」
 声なく小さく頷けば、ザックスはそっとクラウドへ毛布をかけ直す。暖かな掛け具の肌触りに溜息をつけば、不思議と胸の痛みも去っていく気がした。
 あれほどに単なる暴力を受けても、クラウドは彼を軽蔑するでも、怒りを感じるでもない。初恋の少女や、子供心に憧れた英雄に対して、こんな感情はない。
 何をされても、何と思われても、何を言われても───何の言葉をくれなくとも構わない。
 彼の側で、あの冷徹な顔を見ていたい。
「愛してるんだ、セフィロスを」
 他人が口にすれば、いつも芝居がかっていると思っていたその言葉を、クラウドは初めて自分自身に告げた。
 既に去ってしまっていたらしいザックスに、クラウドの告白は届かなかったかもしれない。まるで己に言い聞かせるように、クラウドはもう一度その言葉を毛布の中で呟いた。


 クラウドは数日、屋敷のゲストルームから動かなかった。
 ザックスが宿の部屋に戻るように勧めても、がんとして受け入れず、地下にいる男の気配を探るように息を詰めて居座り続けた。
 小さなゲストルームだが、陽差しも入って環境は悪くなかった。だが外に出ようとせず、セフィロスを監視し続けるクラウドの頑なさに、ザックスの方が折れて、終いには二人分の食事も運んでくるようになった。
 地下室の閉ざされた扉の前に、減ることを願ってセフィロスの食事を置いてから、ザックスとクラウドは並んでゲストルームで食事を取る。時折気分を変えようと、他の部屋に足を踏み入れることもあったが、クラウドは屋敷からは出ようとしなかった。
「おまえまで、この屋敷に呪われたか?」
 苦笑を混じらせていうザックスに、クラウドも苦笑で返した。
「ま、マジでお化けや幽霊が出たっておかしくなさそうだな」
 ゲストルームとは反対の棟にある大きな食堂には、立派なシャンデリアがあった。本来ならば陽や電気できらめいているそれは、今は蜘蛛の巣の固まりになってしまっている。フランス窓から入り込む陽光を反射して鈍い光を放っていた。
 所々木の板が朽ちた床の中央には、十人ほど座れるダイニングテーブルと古いグランドピアノが据えられている。鍵盤の塗装は剥げ、叩いても音のでないキーもある。
「なんだ、クラウド。お前ピアノなんか弾けるのかよ」
「昔、家にあったような気がする。けどちゃんとは弾けないよ」
「そうか。ま、ここのが陽が入るし、上のゲストルームよりはマシだな。クラウド、メシはこっちで喰おうぜ」
 テーブルの埃を払ってそこで昼食を取った。
 食事の終わった食器を持って、ザックスが屋敷を出ていった後、クラウドは懐かしい気持ちで古びたピアノの鍵盤に触れてみた。冷たい鍵盤は使い込まれた跡が見受けられた。
 この屋敷が神羅所有のものであることは、昔から知られていた。研究施設として使用されていたことは中に入るまで分からなかったが、こんな場所で、このピアノに触れた人物がいたのだろうか。
 革張りの横長の椅子に座り、クラウドは記憶の底にある曲を辿って、鍵盤をゆっくり叩いた。間違いだらけでとても曲にはなっていない。しかもピアノ線が錆びて奇妙な音階になったり、音そのものが出ないキーもある。それでも数回繰り返す内に、幾分曲らしくなってきた。
 何の曲だったか、クラウドは自覚なく叩いていたが、それは幼いころ母が自分に歌って聞かせたものだった。
 母にはこの村に来た日以来会っていない。
 神羅の兵士である四人が逗留し続けていることは、村には知れている。恐らく仕事中だと聞いて、母も個人的に訪ねたりするのは遠慮しているのだろう。
 母の愛情というものは、それを受ける子らの想像を遥かに越えるものなのかもしれない。
 まるで産み親など関係ないとばかりに、木の股から産まれてきたという方が納得してしまいそうなセフィロスでさえ、そうやって、無心の愛を注ぐ母親がいたに違いないのだ。
 『ジェノバ』というセフィロスの母。あの魔晄炉の奥にあった『ジェノバ』と名づけられた部屋。それらを目にして、セフィロスは彼にしか分からない何かを感じ取ったのだろうか。
 クラウドは手を止め、奥歯を噛みしめた。
 この仕事が終わったら、セフィロスに神羅を辞めることを提案してみる決意を固めた矢先だった。彼と二人、何にも邪魔されずに暮らすことは夢のようだが、数日前までは叶わぬ夢ではなかったはずだ。
 半月ほどの間にそれは、手の届かないところへ行ってしまったのかもしれない。
 ザックスの魔法のおかげで、セフィロスに傷つけられた身体は癒えた。だが心に傷は残り、今でも血を流し続けている。
 小穴の開いたダムから少量の水が漏れ続けるように、絶対的な信頼に綻びが生じ、いつか決壊してしまうのだろうか。
 膝の上で両手を握りしめ、クラウドは溢れる不安と戦っていた。不安から目を背けようと再び鍵盤に指を置く。
 そうしてどれくらいの時間が過ぎたのか、弾いては休みを繰り返していたクラウドの背後から西日が照らした。
 灰色の鍵盤にクラウド自身の影が落ちる。
 暮れかけた薄闇を割るように、地下から呻くような声が響いた。


 全速力で走り降りた螺旋階段から暗い洞穴を通り、クラウドが息を切らせて扉を開けた時、セフィロスはずっと座り続けた両袖机に、見慣れた姿で腰掛けていた。
 傾いた頭から、先程聞いたものと同じ呻きが聞こえた。
 そして今度は広い肩が揺れ、小さく笑いを漏らす。あからさまな狂気がそこにあり、クラウドは息を殺して彼を見つめ続けた。
「裏切り……ものめ」
 思いも寄らない言葉に、クラウドは最初彼の独り言なのかと思った。黙っていると、セフィロスは顔を上げ、手入れをせず乱れた長い前髪の間から、殺気さえ篭もった鋭い視線をクラウドへ向けた。
「裏切り者…?」
「お前は何も知らない裏切り者だ」
「何を、裏切ったっていうんだ。あんたは、一体ここで何を読んでるんだ」
 セフィロスがここに篭るようになって、まともな会話になったのは初めてだったというのに、やはりその意味はクラウドには理解出来なかった。
 殺気が部屋に充満する中、クラウドが彼に問い掛けることができたのは意地だけによるものだった。
「ここの膨大な書物や資料は、この星に元々住んでいた古代種…セトラに関するものだ。彼らは星を開き、星の生命の流れを育み、星と会話し、そしてまた旅に出る。そしてその旅の果てに彼らは『約束の地』に辿り着く」
「セフィロス…?」
「だが一部の旅を嫌う者たちが一族の使命を捨て、家を持ち、安楽な生活を選んだ。それがお前達の祖先だ」
 小さく含み笑いを漏らし、ゆらりと立ち上がる。
 以前より頬が削げ、鋭角な顔立ちに一層険があった。前髪の間から覗く両目はクラウドを睨み付けているようで、もっと遠くを見ているようでもあった。
「昔、この星を『厄災』が襲った。お前達の祖先は隠れて逃げ延び、のうのうと数を増やし、セトラは長い戦いの末滅びていった。セトラはこうやって資料の中の遺物になってしまった」
 セフィロスはゆっくりと歩き、書棚を眺めながら机を廻る。立ち尽くすクラウドの前へ辿り着き、強張るその顔を見下ろした。
 一瞬、クラウドは彼の目に正気を見た。
 ここに篭ってしまう前の、苦悩はあるが、クラウド自身を見つめた瞳の光が閃き、数秒の内に濁った光の奥に消える。
「…それが、あんたと何の関係があるんだ」
「わからないか。二千年前の地層から発見され、ジェノバと名づけられた古代種。ソルジャーたちを作り出した神羅の研究、これを、科学部では『ジェノバ・プロジェクト』という。セトラの能力を持つ人間を産み出すこと……そうして創り出されたのが、オレだ」
「創り、出された?」
 震える声で繰り返すクラウドを、セフィロスは艶やかとも思える笑みを浮かべて見つめた。
「魔晄炉の奥に安置された、あれがオレの母だ。稀代の天才科学者と呼ばれたガスト博士が、母の身体からオレを創ったのさ」
 低い声を響かせ、肩を震わせてセフィロスが笑った。
「地上に生きる者全てが、多かれ少なかれ他を食い潰して生きている。だがミッドガルの住人たちを見ろ。古代種が護ろうとした生命の流れを、くだらない享楽の為に貪り喰らっている。そしてセトラを絶やさぬ為にとガスト博士が創ったオレに、神羅は……お前達人間は、一体何をさせた?」
 硬直するクラウドの顎に、セフィロスが触れた。
 グローブ越しの体温すら感じることができないそれに、クラウドは射すくめられて身じろぎもかなわなかった。
「母の意志をゆがめ、神羅はオレを獣に造り替えた。お前達、ヒトと同じ己さえも食い潰す獣に、な」
 顎を掴まれ、上を向かせられ、その指の力からも彼が怒りを押さえていないことを知る。
「お前もそのひとりだ。わかるか、クラウド」
「オレは…そんなこと…神羅と同じじゃない!」
「同じさ。お前もオレを祭り上げた一人には違いない」
「オレは、あんたはあんたでしかないって、言った!」
 必死に睨み返して言い募るが、それはクラウドの度胸が据わっていたからではなく、恐怖のあまり、視線を外すことができなかったからだ。
 セフィロスの目は正気と狂気の狭間を、行きつ戻りつを繰り返しているようだった。苦悩の中にあった彼は殆ど口を開かなかったのに、ここに至って饒舌なのも恐怖感を煽った。
 だが突然、ふっと、優しさすら感じる笑みを浮かべ、同時に顎を掴む指先が異なる動きをする。
「そうだったな。お前は、他とは違う。お前だけは」
 腰を抱かれ、降りてきた唇がクラウドのそれを摘み取る。
「これほど憎いと思うのに、お前だけは離したくない」
 子供をあやすような触れるだけの口付けを何度も落としながら、セフィロスは奇妙に楽しそうな顔をしていた。
「オレと共に来い、クラウド。お前だけいれば、オレは他はいらない」
「セフィロス」
 神羅と決別する時が来たのだろうか。セフィロスの決意があれば、それはいつでも可能だったのだろうが、こんな局地的な状態で、なんの心構えもなくその時が来るとは思ってもみなかった。
 母に会うのは最後になるかもしれないと感じたのは、何かの予感だったのだろうか。
 クラウドはその時、差し出されたセフィロスの手を恐れながらも取った。
「まずは、この村からだな」
「この村……?」
 嬉々として吐き出す言葉の意味を汲み取れず、クラウドは首を傾げながら微笑む美しい顔を見上げた。
 見返す顔は穏やかだというのに、瞳の奥にはえもいわれぬ歪んだ狂気が宿っていた。

 「全てを滅ぼしてやろう。この星に寄生する者たち、すべてを」

 耳の奥で音を立てて背筋を伝い、血の気が引いた。
「お前の故郷、お前の母、お前の幼馴染み、全て壊してやろう」
「なに、言ってるんだ」
「お前の帰る場所を手始めに奪ってやる。そうすれば、お前はもうオレの元にいるしかあるまい」
 握られた手を反射的に振り解いた。
「オレの母さんを」
「お前の母ではあるが、あれも単なる人だろう」
 払った手をもう一度掴まれ、抗おうとすれば二の腕が握りつぶされそうな力で再び捕らえられた。
 書棚に立てかけてあった正宗を掴み、外へ向かう通路を歩き出す。気遣いも何もない仕草で、クラウドは床の上を引きずられた。
「ソルジャーたちも……ああ、ザックスも少々残念だが、片付けなくてはならないな。ジェノバの血肉を引き継いでいるとはいえ、彼らは単なる副産物だ。オレとは違い、セトラの能力はない」
「…いやだ」
 子供が駄々をこねるように、両足を踏ん張った。そのまま引きずられそうになったが、さすがにセフィロスは訝しげな表情で振り返る。
「そんなこと、オレはいやだ。オレたちが神羅から逃げればいい。なんで母さんやザックスたちを殺すなんて言うんだ!」
「逃げて、どうする?」
 奇妙な機嫌のよさにあったセフィロスの表情も一転した。
 冷徹無慈悲な指揮官と呼ばれたセフィロスの顔とも違う。何かを超越してしまった、人ならぬものの表情だった。
「奴らからなぜ逃げねばならない? 退くべきなのは、寄生虫であるヒトだ。奴らが滅び、全てが無に還って、この星はセトラが求めた『約束の地』になろう。そこにオレとお前だけが立っていればいい」
 クラウドを引きずる力は強かったが、今度は彼の腕を両手で掴み、引き止めた。渾身の力で彼を押しとどめようとする動きに、今度はセフィロスの方がクラウドの手を振り払った。
「セフィロス!」
「オレの隣にいると言ったのは、でまかせか」
「そうじゃない!」
「恐ろしいのか。ではここに隠れていろ」
「ダメだ! そんなこと!」
 追いすがって引きとめようとしても、悲しいほどの力の差でセフィロスはもう一度クラウドを振り払った。
「どけ」
 押しやられた反動で、背中が書棚に激突する。息がつまり、意識が遠のき、その場に崩れ落ちたクラウドへ、セフィロスは冷淡な一瞥をくれただけで背を向けて歩き出した。
「ニブルに来て以来、オレは母の声を聞いていた。ジェノバの…セトラの声を。この星の真の姿を取り戻せ、と」
 薄れるクラウドの意識の端でセフィロスは呟いた。
「オレは母に会いにいく」


 気が付くまでそう長い時間は経っていなかったはずだ。覚醒したクラウドは痛む後頭部を押さえながら階段を駆け上った。
 ゲストルームへ続く隠し扉を抜けた途端、窓の外が赤く染まっているのが目に入った。
 夕焼けの色に似ている。だが揺らめく赤やオレンジは戦場で見慣れたもので、弾けるような音と、沢山の悲鳴が轟音に混じって聞こえる。
 混乱するクラウドは反射運動で足を動かしていた。
 エントランスホールの階段を駆け下り、埃を舞い上げながらホールを抜け、両開きの玄関扉を開け放った。
 その瞬間、熱風がクラウドの頬に吹きつけた。
 木や動物の燃える匂い、炎が立てる地響きのような音、木を折るような爆ぜて崩落する家並み、逃げ惑う人々の悲鳴。それらが熱風に乗ってクラウドに降りかかる。
 以前、あれはウータイ駐留の頃、ウースウで目にした風景と同じだった。単なる火災で延焼したなら、こんな風に燃えない。まるで炎の嵐が村を撫でていったように、村全体が一斉に発火していた。
 煙に巻かれそうになって、クラウドはとっさに服の袖で口元を覆った。
 浅く息をしながら村の中央の広場に駆け寄ると、既に焼けこげた村人の身体が目の前に横たわっていた。薄く込み上げる吐き気にえづく余裕もない。足は地面に縫いとめられたように、クラウドは暫く立ち尽くしていた。
 目の前の光景は、もしかして単なる夢ではないか。
 つい先程まで、夕暮れ時にありがちな夕餉の香りと煙が煙突から上がり、どこかの家の鶏が広場の虫をついばんでいたはずだった。
 セフィロスが。
 彼が、本当にここを焼き尽くしたのか。
 彼の言った通り、全てを壊すために。
「しっかりしろ!」
 燃え盛る火の狭間で立ち尽くすクラウドへ、聞き覚えのある老齢の声が響いた。肩を掴まれ、軽く揺さぶられて、漸く誰かが自分に声をかけているのだと気付く。
 クラウドとほぼ同じ目線の高さにあった顔は、炎に照らされ赤く染まって見えた。
「あんたは正気なんだな。だったらこっちにきて手伝ってくれ」
 そういって屈み込む男は、声の通り老人といっていい年頃だったが、鍛えられた腕が見事な筋肉に覆われていた。記憶の通りなら、度々この村に出入りしていた武闘家のザンガンだ。
 ザンガンは足元に横たわっていた青年に声をかけた。クラウドもよく知った雑貨屋の息子だった。
 肩を支えられ、抱き起こされた彼は煤で真っ黒になった頬を痙攣させ、薄目を開き、ザンガンとクラウドを見つめる。
「なあ……オレ…死んじゃうの…?」
「大丈夫だ。気をしっかり持て」
 火の来ない広場の中央の給水塔のふもとへ、ザンガンは彼を引きずって行った。
「オレはこっちの家を見る。あんたはそっちの家を頼む!」
 老人は揺るぎない足取りで雑貨屋の息子を運びながらクラウドへ怒鳴った。クラウドは我に返って頷きで返し、背後を振り返った。
 丁度、その背後にあった家の扉に視線を送る。
 炎に照らされて全てが赤く染まり、巻き上がる煙でけぶる視界に、見慣れたものが目に入った。手作りの木彫りの表札だった。
「かあ、さん」
 知らずに漏らした呟きに、クラウドはその事実を自覚した。
 キンと、強烈な耳鳴りがした。
 クラウドの世話を焼きながら、幸せそうに微笑んでいた母の姿が一瞬脳裏に浮かび、弾かれたように身体が動き出した。
 『ストライフ』と彫りこんだ部分は、元から焼き付けてあったはずだが、文字が殆ど読めないほど表面は黒く焦げていた。扉に飛びついて、半開きになっていたそれを引く。
 正面の木製のダイニングテーブルが、元の位置で半分形を残して燃え上がっていた。母の作ったテーブルクロスはもう跡形もなく燃え尽き、中央に置かれていたはずの陶器の水差しは、残ったテーブルの上で崩れて破片になっていた。入って左手に設置してあるボイラーが燃え上がる炎に熱され、表面を叩くような金属的な音を発して、クラウドの耳鳴りに唱和した。
 確認するのが恐ろしく、クラウドの足取りは遅くなった。
 板床の火を縫うように数歩進み、クラウドはテーブルの足元の床に人影を見つける。
 真っ黒な灰の塊のように見えた。
 だが床に伸ばされた腕や、投げ出された足は確かに人間の形をしており、倒れた姿勢のまま、完全に炭化していた。すっかり燃えたわき腹のあたりの表面は、肋骨の形が黒く浮き上がっていた。
 ぐう、とクラウドの喉が鳴った。
 無意識に止めていた呼吸を取り戻そうと口を開くが、胸のあたりで塞き止められたように息が吸えなかった。乾ききった喉が張り付いて気道を止めている。唾液を飲み込み、必死に息を吸いながら、クラウドは後退りして戸口まで戻った。
「母さん」
 応えはない呼びかけをもう一度。
 震える声では、離れた母には届かない。
 炎の上げる轟音は一層激しくなって、屋内の床に燃えた屋根がバラバラを落ちかかっていた。
 その様子を、戸口で立ち尽くし呆然と眺めていたクラウドの足首を、誰かが掴んだ。
 手は見慣れた神羅の制服の袖で、それがこの村に一緒に遠征したガイス一等兵だと気付いた。彼はニブル山の吊り橋から落ちて、全治一ヶ月の怪我をし、この村の医院に入院していたはずだった。
「おい!」
 身を屈め覗き込んだ顔は、目を閉じたまま煤と土に頬を汚し、唇がうわごとを漏らすように動いていた。
「セフィ……ロ……」
「セフィロスが、やったんだな」
 ガイスは二度小さく頷き、それからクラウドの足を掴んだ手から力を抜いた。気を失ったようだった。
 医療の知識を持たないクラウドには、どうすることも出来ず、ザンガンにならって彼の身体を給水塔の下まで引きずって移動させた。思いのほか大きく重い身体を動かし終え、息をつく。
「…セフィロス。なんでこんな……」
 こみ上げてくるものを飲み込もうとするが、適わなかった。
「酷い」
 ガイスの近くで膝をついて俯き、クラウドは奥歯を噛み締める。
 炎は治まる様子も見せず、宿屋の一帯は轟音を上げて崩壊した。
 ザンガンが助け出したのだろう人影が見えたが、彼らも他人を気遣う余裕はないらしく、火の気のない神羅屋敷の方へよろめきながら逃げて行った。
 この混乱ぶりでは、一体どれだけの村人が死んだのか、どれだけが生き残っているのか全く把握できない。ザックスの姿も見えないが、彼がこれに巻き込まれているとは考えにくいから、ザンガンと同じくどこかで救助を手伝っているのかもしれない。
 クラウドも必死に冷静さを取り戻そうと、頭を振った。脳裏に焼き付いた母の遺体の様子はそれでも消えそうになかったが、なんとか立ち上がった。逃げていく村人の後を追って、ニブル山の山道の方に足を運ぶ。
 そして崩れ落ちてきそうな周囲の家に注意しながら、屋敷への道にさしかかった時だった。
 悲鳴が響いた。
 クラウドの前を逃げていく二人の声だった。
 崩れた家の軒が通路に落ち、燃えあがっている向こう、背の高い男が二人の村人に迫っていた。
 負傷した足を庇っていた村人は、傷の痛みも忘れた様子で踵を返し、もう一人もそれに続く。悲鳴を上げながら、クラウドの方へ走り出そうとする背中に、刃が振り下ろされた。
「セフィロス!」
 火災から逃げ延びようとしていた村人たちは、クラウドの静止も効果なく地面に倒れ伏した。
 男は───セフィロスは戦場でそうするように、刀を軽く振って血糊を払う。
 あまりにも手馴れた仕草。なぜなら、これまでそうすることが彼の役目で、誰よりも手際よく冷静に斬るようにしてきた。いとも簡単に一つの村を破壊できる力を持ちながら、それを行使しなかったのは、ひとえに彼自身がそうすることを望むことがなかっただけだ。
「どうして…!」
 バラバラと脇の家から火の粉が降ってきたが、クラウドはその場でもう一度叫んだ。
 クラウドの声に気付いたのか、セフィロスはゆっくり、倒れ伏す村人たちから顔を上げた。
「どうして母さんまで…!」
 セフィロスと視線が合った。
 長い銀髪は振り乱したようにほつれ、革の戦闘服が返り血を浴びて、その部分だけが炎に照らされ、奇妙な光を発している。顔に落ちる髪の隙間から、青緑の瞳が覗いた。
 熱気が起こす上昇気流が、鋼の髪や服を火の粉と一緒にふわりふわりと持ち上げていく様子は、まるで何かに包まれ守られているようにも見えた。
 美しい口元が笑みに歪んだ。狂気に囚われた笑みだった。
 だが魔晄の色の目の奥には、正気も同時に存在していた。
 その視線をクラウドに留めたまま、セフィロスは血を浴びたように、炎に赤く染まった銀髪をなびかせ、死神のケープの裾を思わせる戦闘服を翻し、クラウドへ背を向けた。
 追おうと足を踏み出したが、まるでクラウドの行く手を阻むように家屋の残骸が燃えながら降り注ぎ、柱が轟音と共に倒れて道を塞いだ。家を支えていた材木の黒い破片と、大量の火の粉が強烈な熱気と共に舞い上がり、クラウドは腕で顔を庇った。
 セフィロスは火の粉さえ寄せ付けないような平然とした様子で、炎の中を歩いて行く。
「セフィロス!!」
 二度目の呼びかけに、セフィロスはもう振り返らなかった。
 全てを拒絶する背中が炎の向こうに消え、二人の間に燃え上がる炎は一層高くなった。


 「クラウド!」
 ニブルの山頂への道を進むクラウドの背中に、聞き慣れた声が追いついてきた。
 振り返りもせず足を運ぶクラウドは、肩を掴まれ、漸くその手と声の主へ涙と煤に汚れた顔を向ける。
「セフィロスを追うのか」
「あいつ……母さんを。村を」
 涙で歪む視界にあるザックスは、見たこともないような険しい顔つきで、クラウドと同様、煤で真っ黒になっていた。
「ああ。オレも行く」
 クラウドの肩を抱き、その手で後頭部を軽く叩く。まるで子供を宥めるような仕草に不覚にもまた涙が溢れた。
「ガイスは…死んだ。村の人も、殆どダメだ」
 淡々と告げるザックスの声には、クラウドにも分かるほどの怒りが篭っていた。
「セフィロスは、魔晄炉に、向かってる」
「みたいだな。村長たちが先に追ってるらしい。追いつかないと、セフィロス相手じゃ無駄死にだ」
 クラウドの二の腕を引き、ザックスは先立って道を行く。ソルジャーである彼の早足についていくのは必死だったが、不思議と疲れは感じなかった。
 すっかり日の暮れた山道には時折モンスターの影も見えたが、即座に身を潜め、二人に襲い掛かろうとはしない。恐らくザックスの殺気にひるんでいるのだ。
 以前、ザックスに言われたことがあった。クラウドがソルジャーになりたいと言ったときのことだ。
 まだまともに戦場に出たこともなかったクラウドに、『もし自分の故郷へ神羅が侵攻するといったらどうする』と、彼は聞いた。
 あれは単なる例え話だったが、今ならばはっきりと答えられる。
 現在のクラウドには大事なものがあった。
 紛れもなく、母はそのひとつの存在だった。
 それを奪ったのが同じくクラウドが愛する男本人でも……愛しているのだと自覚したからこそ、許せなかった。
 セフィロスが告げた、彼の出生の秘密も神羅の思惑も、クラウドには関係ない。
 ただ母を殺し、村を焼いた男を、初めて本気で憎いと思った。
 多大な、絶対的な信頼を寄せていた彼への怒りがクラウドを支配していた。


 ガイスの探索で何度かここへ出かけていたザックスに迷いはない。先日セフィロスやティファとも通った道も辿り、二時間ほどで魔晄炉の尖塔が見えて来た。
 少し開けた場所を過ぎれば、魔晄炉の根元から内部へ続く階段がある。
 その階段にさしかかった時だった。
「クラウド」
 これまでずっと黙りこくっていたザックスが足を止め、魔晄炉の方に目を据えたまま口を開いた。
「オレは、できることならセフィロスを説得したいと思ってた」
 振り返った彼は顔を強張らせ、だが決意をこめた鋭い目でクラウドを見下ろす。
「もう、どうにもならない。あいつを止めるには、刺し違えるしかないんだ」
「…わかってる」
 見上げて、よどみなく答えたクラウドに、今度は険しく眉を顰めた。
「ここに、残れ。クラウド」
「いやだ」
「クラウド。オレだって、全くかなわないかもしれないんだぞ」
「わかってる。だから、オレも行く」
 ここで言い合うのは時間の無駄だった。もしかすると先に行ったという村長たちだけでも助けられるかもしれない。
 ザックスもクラウドの決意が固いと見たようで、先に階段を上り始めたクラウドの後を黙ってついていった。
 魔晄炉の内部に入ると、以前と同じようなモーター音が響いていた。大小さまざまなパイプや機器に囲まれた通路は何ら変化ないように見えたが、所々に浮いた鉄錆が血糊のように見えて不安を煽る。
 細い通路を抜け、何度か似たようなはしごを降りていくと、突然開けた場所に出る。
 魔晄泉の真上に橋が渡る、この魔晄炉の中心部だ。
 通路に出た途端、強烈な血臭が漂った。
 橋を渡ったところには、あのポッドの並ぶ研究施設への入り口がある。その前に、恐らく先にセフィロスを追って向かったという村長と村の青年らしき男三人が倒れていた。
 もう一人、倒れた村長を揺さぶっている少女がいた。
 ティファだった。
 泣き声もあらわに父を呼ぶ彼女は、首筋を切り裂かれ、明らかに絶命している肉親の身体を根気よく揺すり続けていたが、暫くして呆然とその場に座り込んだ。
 果敢にもセフィロスを追った父親たち三人の後をつけてきたのだろう。
 村長は首から胸にかけて、ばっくりと傷が開いていた。青年の一人はうつぶせで傷がわからないが、もう一人は半ば断ち切られた首の断面が、クラウドからもよく見えた。通路は大量の血が筋になって流れ、それが橋の半ば近くまで到達している。
 声をかけあぐねていたザックスとクラウドが、その橋をゆっくり渡り始めた時だった。
 空を見つめていたティファが立ち上がった。白いシャツの胸元が真っ赤に染まっていた。
 その手には、彼女の小さな手には余るほどの長刀が握られていた。
 繊細な見掛けによらず、かなりの重量をもつセフィロスの正宗を、彼女は両手で掲げた。
「セフィロス。ソルジャー。魔晄炉…こんなもの! 神羅も、みんな大っ嫌い!」
 肉親らの躯から顔を上げ、ティファは研究施設へ向かう扉を潜り、走り出した。
「待て! ティファ!」
 彼女を追って、クラウドも通路を走り抜ける。
 危うく血糊で滑りそうになりながら、なんとか踏みとどまり、無残に斬られた村人たちの身体を越え、扉を潜った。
 ライトで真っ赤に照らされた施設内のポッドは、以前と同じ配置で立ち並び、セフィロスが斬り捨てた部分だけが歯抜けになっていた。
 正面の急な階段の最上段に黒い人影が立っている。その背に流れる銀髪は紛れもなくセフィロスだった。
「よくもパパを! 村のみんなを!」
 彼のすぐ背後に立ったティファが掲げた刀を振り下ろそうとしていた。だが慣れない大きな刃物を少女に向けられたところで、彼にはなんの脅威でもないことは明らかだった。
 軽く刃を避け、空を切った刀をセフィロスが片手でティファから奪い返した。
「ティファ! やめろ、セフィロス!」
 叫んだクラウドの方に、一瞬セフィロスの視線が振られた。
 そしてその口元が僅かに上がるのをクラウドは見た。

 ―――『その娘を殺してやろうかと思った』

 息を飲んだのと同時に、セフィロスの刀が袈裟懸けにティファを斬った。
 反動で後ろに飛んだティファの身体は、階段の半ばほどに落ち、少し弾んで数段滑り落ちて止まった。
「ティファ! ティファ!」
 仰向けに倒れたティファへ走り寄り、屈み込むクラウドにザックスが追いつく。
「彼女を頼むぞ。クラウド」
 開けるのに難儀していたらしい扉がきしんだ音を立て、その内部へ入っていくセフィロスをザックスが追う。
 抱き起こした細い身体が身じろいで、クラウドは注意を引き戻された。
「ピンチの時には……助けてくれるって…約束、したのに」
 端正なティファの顔は血の気が引き、冷や汗が幾つもの粒になって、額や頬に浮かんでいた。閉じられた瞼と眉が震え、汗が流れ落ちる。
 傷は浅いようだったが、左肩から胸の中央を通り右のわき腹まで袈裟懸けに一閃された傷が、すっぱりと切れた服の間から覗いていた。彼女の父のものだけではない血が、シャツとスカートにじわじわと染みを広げていった。
「ごめん…ティファ」
 階段から落ちかかる姿勢になっていたティファの身体を抱き上げ、脇の平らな場所へ横たえた。
 助けが他にくるまで、血止めや応急処置をするものもない。昔と同じように、クラウドはまた彼女を救うことは出来ないのか。
 指先で彼女の額の汗を拭い、立ち上がる。
 セフィロスとザックスを追って階段を駆けのぼり、以前来たときは封印されていた戸口に立った。
 赤い口腔を連想させるその扉の奥は、大量のパイプや配線に埋め尽くされた奇妙な部屋だった。その全ての管は中央の少し高い場所に安置された人形のようなものに繋がっている。
 女の顔に見えた。翼を広げたようなカバーを背後に負い、本体に繋がる管は長い尾のようだ。
 セフィロスはその人形の前に、背を向けて立っていた。
 思わず彼の方へ足を踏み出したクラウドを、剣を抜き、構えていたザックスが自分の背後へ押し戻した。
「今度はお前らか」
 肩を揺らして低く笑いを漏らしながら、セフィロスが呟いた。
「ジェノバは…オレの母は優れた能力と知識、魔法の力でこの星の支配者になるはずだった」
 肩越しに振り返ったセフィロスの目に、ザックスとクラウドは一瞬すくんだ。
 光源の少ない場所でソルジャーの目は、獣のもののように青く光ることがある。だが彼の両眼は異常な光を帯びて、瞳孔はドラゴンのもののように縦に長く伸びていた。
 その禍禍しさは確かに邪悪なモンスターを思わせた。
 隙を見せずに剣を構えるザックスを、まるで見えていないかのようにセフィロスは背を向け、彼が母と呼んだ人形に両手を伸ばした。
「お前達……なんの存在価値もないお前達が、この母から奪った」
 胴の部分に両手を掛け、セフィロスはそれを引き剥がした。
 繋がる管がバチバチと音を立てて引き剥がされ、油や得体の知れない液体が飛び散る。セフィロスはカバー部分を脇に投げ捨て、現れたものを迎え入れるように両腕を広げた。
 奥には円柱のガラスに囲まれ、魔晄の色の液体に満たされたポッドが一つ。中には、奇妙な肉塊が入っていた。
 外側のカバーは内部を模したものだったのだろう。
 老婆のような細い鋭利な顔、乳房の丸いふくらみが胸にあり、腕はなく、かわりに二枚のコウモリのような翼があった。よく見れば翼ではなく壊死した大きな手の平のようだった。
 くびれた腰の下は二本の足があったが、膝下から蛇の尾のように細くなり、ポッドの底にとぐろを巻いていた。腰に巻きつくのは、背や太腿のあたりから生えた触手だった。
 身体全体を魔晄の色に青く染め、表皮の下を血管に似た管が枝分かれして這い、それが赤黒い模様に見える。
 明らかに人ではなかった。
 セフィロスの語った古代種はこの星を守る聖霊のようであるのに、そのイメージからは酷くかけ離れた印象を受ける醜い姿だった。
 ジェノバとは、古代種とは一体なんなのか。
 クラウドはセフィロスが言った言葉を反芻して、初めてこの異形の生物に恐怖を覚えた。
「あんたの、御託を聞く気はない。なぜ村を焼いたのかと聞いてる」
 ザックスの声も震えは隠せなかった。だがあからさまに漲らせる敵意と殺意をセフィロスも感じ取ったのか、身体ごとこちらを向き、二人を見下ろした。
「母が悲しむんでな。オレはこの星を母のために取り戻す」
「悲しむ? そのバケモノがか? じゃあ、村を焼かれた人は、クラウドの母親は、友達は!?」
 剣先をセフィロスへ向け、怒鳴る音声でザックスは唇を震わせて言い募った。
 だがセフィロスは口元に笑みすら浮かべ全く動じる様子もない。むしろ穏やかといっていい表情で静かに二人を見据えた。
「お前らの悲しみがなんだというんだ。オレは愚かなヒトの手から、この星をセトラの手に取り戻す為に生み出された。創造の本来の意図などおかまいなくオレを謀り、利用した人間の悲しみなど、知ったことか」
 そしてひたと視線をクラウドに据え、目を細めた。
「クラウドだけは、連れていく。お前はオレに与えられた贄だからな」
 クラウドは硬直し、魅入られたようにその双眼を見返した。
「…にえ?」
「そうだ。お前に免じて、他の奴らはせめて苦しまずに済むよう滅ぼしてやる」
 クラウドは総毛立った。
 彼は、セフィロスは本気だった。これまでにそう彼自身が告げても、どこか信じきれなかったクラウドは、もう誰が何を言おうと止めることは出来ないのだと漸く事実を受け入れた。
「あんた……」
 ザックスがうめくように呟いた。
 目の前にある剥き出しの彼の腕も、クラウドと同じく緊張し、鳥肌を立てているのが目に入った。
「あんたに憧れてソルジャーになった。周りの奴らが何言ったって信じてた。尊敬もしてた。だけど、もうお前はオレたちの知ってるセフィロスじゃない! そこの、得体の知れねぇ化け物に魅入られた、ただの狂人だ」
 ザックスは声高に言い放ち、セフィロスへ突きつけていた剣を引き、腰を落として低く構え直した。
「クラウド……許せ」
 小さな呟きが、すぐ隣にいたクラウドの耳に届いた瞬間、ザックスはセフィロスへ飛び掛っていた。
 セフィロスを除くソルジャーの中では一、ニを争うと言われていたザックスの戦闘力は、クラウドから見てもファーストの中で飛びぬけており、鮮やかだった。だがその時二人の動きを、クラウドは見極めることも出来なかった。
 クラウドが顔を上げた時には、十歩ほど離れた、しかも高い位置にいたセフィロスの上げた刀と切り結んでいた。
 ザックスの幅広のバスターソードと、セフィロスの細身の正宗がせめぎ合い、ギリギリと音を立てる。力でもセフィロスには敵わないだろうザックスは、決して押されることなく相対していた。
 睨み合い、狭い部屋に満ちる殺気は、重力になってクラウドにも圧し掛かった。無二の男と親友が戦う姿を前に、指先一つ動かせない。
 永遠に続いてしまいそうなせめぎ合いの中、先にセフィロスが動いた。返した刀のみねでバスターソードを弾き、押されたザックスは後ろへよろめいた。
 いつもであれば恐らくセフィロスは勝利を確信し、ザックスはそのまま負けていただろう。だが今のザックスを動かすものは、セフィロスの想像すら越えていたに違いない。
 背後にふらついたと見せかけてザックスは身体を沈め、長いソードを器用に跳ね上げ、そのままセフィロスの胸から左肩を一閃で切り裂いた。
 クラウドはひっと音を立てて吸気を止めた。
 血しぶきがザックスの頬に散り、セフィロスは驚いたような顔つきでその顔を見下ろしている。
「貴様…」
 一歩飛びのいたザックスは苦悩に眉を寄せていたが、セフィロスは驚きを治め、その唇を笑みの形に変えた。
「上等だ」
 ひやりと冷気を帯びた声が降り、セフィロスはいきなり動いた。
 今度は斬りつけて毒気を抜かれていたザックスが、一足遅れたのだろう。横に薙いだ一刀に胸の下を浅く切り裂かれ、ザックスは後ろに飛びのく。だが追いすがる突きを避けることは叶わず、細身の刀身が腹の中央を貫いた。
「ザックス!」
 反射的にセフィロスを取り押さえようと飛びかかったクラウドは、セフィロスが軽く払った片足で後ろへ張り飛ばされた。
 水平に伸ばしたセフィロスの右手にある正宗が、ザックスの腹を貫通し背中に刃が突き出ている。瞬時に流れ出た血液が刀身を伝って、地面を這うパイプに流れ落ちていった。
 ザックスの視線が自分の腹に埋もれる刀身を、そしてそこから床へ滴る己の血を見つめ、正面のセフィロスへ顔を上げた。
「バケモノ、め」
 ザックスの吐いた辛らつな言葉には、不思議とそれに相応しい嫌悪も、憎しみも窺えなかった。ただ狂気に駆られても確かなセフィロスの剣技を賞賛し、負け惜しみを笑って吐き出すような、そんな音声に聞こえた。
 だが常なら皮肉な笑みのひとつも浮かべただろうセフィロスは、何の他意も含まない、無というのに相応しい表情で戦友の顔を一瞥しただけだ。
 ずるりと嫌な音を立てて、刃が引き抜かれ、セフィロスは反動をつけた片足で穴の開いたザックスの腹部を蹴り上げた。
「ザックスっ!!」
 強烈な蹴りはザックスを部屋の戸口から、背後の部屋の階段脇に並ぶ卵型のポッドの上まで吹き飛ばした。幾ら英雄と呼ばれるセフィロスの本気の蹴りだろうと、想像を絶する怪力だった。
 クラウドは恐怖に駆られながらも、ぐったりとポッドにもたれたザックスへ走り寄り、半狂乱でその身体にしがみついた。
 横一文字に走った胸の傷と、貫かれた腹の傷からはおびただしい出血があり、ポッドの上から水を注いだように流れ落ちてくる。
「ザックス! ザックス!」
 普段であれば重くてびくともしないだろう友人の身体を、それこそ火事場の馬鹿力で通路まで降ろし、抱きかかえる。呼びかけても、揺さぶっても、彼は目を瞑ったままぴくりとも動かなかった。
 このまま母に続けて、ティファ、そしてザックスまでも失ってしまうのか。
 以前のザックスの問いかけに答えるならば、クラウドが生きる理由そのものだった彼らを。
 そして誰よりもクラウドを生かしてきた男も、ザックスの言う通り、もうここにはいなかった。
 いつのまにか頬を伝っていた涙が、恐怖と絶望に震えを止めない顎を伝ってザックスの顔に落ちる。ザックスの胸から首筋へと逆流して頬を汚す血糊の上に、クラウドの涙が水玉模様を描いている。
 友人の身体をかき抱き、震える声でその名を呼び続けるクラウドは、ガラスのうち砕かれる音を聞いた。
 暫くすると、かつてクラウドに愛することを教えた男は、ヒトの感情など我関せずというような怜悧な顔つきで、階段の一番上に姿を見せた。
 ザックスに斬りつけられた傷は深かったようで、左腕はさすがのセフィロスでもまともに動かせないらしい。自由な右手には正宗と、先程ガラスケースの中にいた『ジェノバ』の首が下げられていた。
 セフィロスは片手では扱いにくそうな様子で、奇怪な首をだらりと下げた左手に持ち直す。
 彼の母だといったモノは、セフィロスの刀で断ち切ったのだろう首の断面から、緑色の体液を滴らせ、空虚しか感じられない鈍い光を放つ目で、男の手の中から震えるクラウドを見つめていた。
 嘲笑われているように見えた。
「ザックスは死んだか」
 淡々と降りかかる声に、クラウドは無言で首を横に振る。
「立て。クラウド」
 何度も頭を振りながら庇うようにザックスを抱きしめ、涙に濡れた顔を仰向けた。
 姿形は以前と変わらないセフィロスがそこにある。だが憎しみさえ込めて睨み付けても、男からは何の情感も窺えなかった。
「返せ。母さんを、ティファを、ザックスを」
「お前はオレの隣にいると誓った。でなければ、何故あれほど虐げられても逃げなかった。あれが答えだろう」
 クラウドは奥歯を噛みしめた。
 内臓を破るほどに手酷く犯したのは、クラウドの真意を計るためだったというのか。逃げはしなかったクラウドを答えと受け取り、彼は今度はクラウドの逃げる場所と共に、生きる理由さえ奪ったというのか。
「あんたが、好きだった」
 過去形にして口にしながら、憎しみと共にクラウドの胸に溢れてくるのは、彼への膨大な執着だ。
 彼と二人だけで新たな土地へ旅立つ希望はまだ確かに存在し、同時にそれに上回る、彼が取った手段への怒り、裏切りに対する悲しみと限りない絶望があった。
「オレと来なければ、他の人間共々と滅びることになる」
 音なく動いた彼の右手にある正宗の刃が、冷たい光を伴って首元に突きつけられた。
 堪えきれない嗚咽を吐き出しながらクラウドは再び頭を振った。
「それが、答えか」
 呟き、低く漏らす笑い声は常と変わらない自嘲の響きがあった。
「愚かな子供だ。オレに足を開き、自らを差し出した、その労を無駄にするか」
 その言葉を聞いた瞬間、クラウドは嗚咽ではないものが腹の底から吹き上がるのを感じた。
 クラウドは決して、セフィロスに何かして欲しくて彼のものになったのではない。彼を少しでも理解したくて、ただ近くにいることが心地よく、彼の何気ない言葉に一喜一憂していただけで、見返りを期待したことなど一度もなかった。
 唯一与えられた、彼にはそぐわない愛の言葉に娘のように胸を高鳴らせても、ただそれだけが幸せだったから側にいた。
 だがセフィロスの言葉は、これまで彼と共に築いてきた時間を全て否定し、打ち壊すものだった。
 クラウドの未来に存在したはずの、母を焼き殺し、ティファとザックスを切り捨て、過去の彼との美しい時間さえもこの男は奪っていくのか。
 唇を噛みしめると、血の味がした。
 例えようのない怒りを滾らせるクラウドの血の滲む唇を見下ろし、セフィロスは更にクラウドを打ち砕く言葉を告げた。
「地上の全てが滅びる前に思い直したら、助けを請うがいい。今、オレの手を取らなかった後悔と絶頂の中で息の根を止めてやる」
 その時の感情を、クラウドは何と表現すべきか今でも分からない。
 ただ、何の未練も、あれほど己に示した執着も一切を捨て去り、クラウドへ向けたセフィロスの背に感じたのは、確かな殺意だった。
 このまま彼を行かせてはならない。
 去らせる訳にはいかない。
 それだけは許せない。
「クラ、ウド」
 虫の啼くような声を聞き取ったのは、ほんの偶然だった。
 頭へ血が逆流して火照った頬を下に向けると、目は瞑ったままのザックスの唇が動いていた。
「セフィロスに…止めを…」
 無意識に巡らせた階段の途中に、ザックスのバスターソードがあった。それを確認して以降、クラウドはただ衝動で動いた。
 自分の手には重すぎる剣を取った。
 セフィロスが消えた扉をくぐり、魔晄泉の上を走る通路の中程を進む男へ駆け寄った。
 気配に振り返りかけた男の脇腹に握った剣先を押し込む。
 くぐもった、声ではない呻きが整った唇から漏れた。
 男は自分を刺した者が信じられないような、驚いた顔で、クラウドの涙に濡れた顔を見た。
「オレは、ただ側にいたかった、だけだった」
 見下ろす青緑色の瞳の奥に、何度目かの正気を見出す。
 いつもクラウドに真っ直ぐに据えられ、真実は寂しがり屋のクラウドを見透かし、弱さを笑いながらも包み込んだ彼の眼差しを。
「セフィ、ロス」
 引き抜いた場所から鮮血が飛沫となってクラウドの頬に散った。
 セフィロスはゆっくり己の腹の傷を見下ろし、同じ速度でクラウドへ視線を戻す。それまでの我を失った彼ではなく、穏やかとも思える表情で。
 恐ろしいことをしてしまったという後悔も、母や友人たちの仇を討った喜びも、クラウドは感じなかった。
 彼の狂気を止め、絶望から救うことができたと、むしろ安堵していた。
「図に…乗る、な…」
 その安堵から立ち返る間も与えられず、突然セフィロスから殺気が吹き付けた。
 飛び退きもしなかったクラウドは、セフィロスが引いた右手にある正宗の先端が、自分の胸に押し込まれるのを見つめていることしかできなかった。
 不思議と痛みはない。胸を拳で突かれたような衝撃だけで、刺されたという感触でもない。
 先程ザックスを貫いた長い刃が、今度はクラウドの胸の中心に埋もれていた。
 これでおあいこだ、とクラウドは場にそぐわない思いでいた。
 だが彼は、以前ジュノンで見たように暫くすれば己の傷を治してしまうだろう。
 あの時は彼の強靱な肉体と生命力を感謝したのに。
 自分の全てを投げ出しても構わないと思うほど、彼が愛しいのは今も変わらないのに――― 。
 己を貫く刃を素手で掴み取った。
 一瞬ひるんだセフィロスに構わず、渾身の力で刀ごとセフィロスを押す。
 刃が一層身体へめり込む感触がしたが、そのまま押し切れば、彼のすぐ背後は低いフェンスだった。
「馬鹿な」
 最期に見たセフィロスは、クラウドを見つめていた。
 狂気と正気が入り乱れ、だが確かにその眼にはクラウドが写っていた。
 低いフェンスを越えるようにセフィロスの身体が後ろへ傾ぎ、その瞬間正宗の刃がクラウドの身体から引き抜かれた。
 刃は、それを掴むクラウドの掌を切り裂き、すり抜ける。
「セフィロス!」
 空へ伸ばした手には長い銀髪が数本残り、彼の身体はフェンスの向こうへ落ちていった。
「い、やだぁ!」
 通路に崩れたクラウドは、フェンスの下の隙間から魔晄泉へと手を伸べ、その指先の方向に小さくなっていくセフィロスを凝視した。
 片手に彼の『母』の首を、もう一方には刀を掴んだまま、淡く光を放つ魔晄の泉へと消える。
「セフィロ、ス……」
 震えながらも精一杯に叫んだ声は、空気が抜けるような語尾になり、代わりに胸の中心からばたばたと音を立てて血が流れ落ちた。同時に床についた両手からも、身体を支える力が失われ、クラウドはうつぶせに倒れた。
 出血と同時に意識が薄れ、起き上がることも、それ以上声を出すことも叶わなかった。
 床に広がる己の血液が頬の下を伝い、意識と共に、通路の鉄板の隙間へ吸い込まれていくのを虚ろな眼で見つめながら、クラウドは声もなく涙を流し続ける。
 もう、彼を追ってフェンスを越える力さえ残されていない。
 投げ出した掌の傷が、意識の端で痺れるように痛んだ。それだけが恐らくクラウドをこの世に繋ぎとめる最後の感覚だった。それを感じなくなる頃には、きっと目指した場所に辿り着けるに違いない。
 母とティファ、ザックス、そして。
 彼のいる場所へ。

 目を閉じる瞬間、クラウドは真っ赤に染まった掌に、光るものが一筋付着しているのに気付いた。
 彼が存在した証のように、指先に残された鋼色の残滓を弱々しくも握り締める。
 不思議と安らかな気持ちで、決して離さぬように。
 彼の名の形に、震える唇を動かした。


 そこで行き交った感情も思惑もすべてが静まり、人の気配が去った炉の内部には、唸る獣の声にも似た機械音だけが、只々、低くパイプを震わせながら響いていた。


青年未満〜LAST MISSION(了)
04.12.10/05.03.20(改稿)/05.10.29(再改稿)
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【FF7 TOP】
※ここでご紹介するものはゲーム本編とは全く関係のない、個人の趣味と空想に基づくストーリーです。スクエアエニックス社の権利を侵害する目的のものではありません。
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