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青年未満
MISSION-4 セフィロス
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 南部平原の戦いの後、クラウドがミッドガルに帰還したかというと、実はそうではない。
 参加した内の殆どの隊はウータイを離れたが、復興支援という名目の戦後処理のため、一部の一般兵とソルジャーが現地に逗留し続けることとなったのだ。
 待機の命令が下った小隊の中にはクラウドの隊も含まれていた。進軍の逆行程でウータイ市に戻ったクラウドたちは、街の近郊に設営されたテントで寝泊りしながら、神羅軍の砲撃で崩壊した建物の始末や難民の仮設住宅の建設、配給物資の分配などの任務につくことになった。
 月が変わり、西極大陸は冬の様相から一変して春の気配が色濃くなる。
 長い戦いの中で生き残った梅の木が大量のつぼみを綻ばせ、疲れた市民や兵士たちの心を和ませた。四月になれば、この西極にしかないサクラという木も花を咲かせるという。クラウドはその花を見たことがない。
 そして三月の初めに補給のため、神羅のゲルニカが二機到着した。
 クラウドは物資の搬送を手伝う任務にあり、着陸の様子を眺めていたが、そこから降り立ったソルジャーの一団を見て思わず声を上げた。
「ザックス!」
「よう。生きてたな!」
「生きてるよ」
 そんな一言を交わしただけでザックスは集合場所へ走っていってしまった。
 恐らくソルジャーの交代もしくは補給要員として現地入りしたに違いない。
 とすると、これまで現地に残っていたセフィロスも、ソルジャー部隊と共にミッドガルに帰還するのかもしれないと、クラウドは思った。クラウドたち一般兵が市街の外のテント地で寝泊りする一方、セフィロスは現地司令官の任にあり、街中の施設を司令部として使用し、そこに滞在している。そのためクラウドは殆ど彼の姿を目にする機会がなかった。
 その日の夕刻、ジュノンへ戻るゲルニカに便乗して帰還することになったソルジャーの一団に、セフィロスはいなかった。
「ありゃ、『栓』だな」
 夕食の時、クラウドの疑問にザックスはそう答えた。
「ウータイには神羅軍に反発したい奴がごまんといるだろ。不満が垂れ流しにされると面倒だから、サーセフィロスで栓してるんだよ」
 確かにクラウドはこのウータイ市街で、市民たちが陰で彼のことを『神羅の死神』と呼んでいるのを聞いた。『白髪鬼』と呼ぶ者もいる。
 彼はそれだけこの地の人間に、そして神羅内部からも恐れられていた。
 クラウドは内心やりきれない気持ちが強かった。だが、一方で彼を恐れる者の気持ちも分からなくはない。
 思いに沈んだクラウドを見てどう思ったのか、ザックスはクラウドの髪をかき回し、その背を軽く叩いた。
「んな顔すんなよ。戦争は終わったんだ。それにお前大活躍だったらしいじゃねえか」
 驚いて見上げたザックスは満面の笑みでクラウドを見た。
「ササキ小隊長に聞いたんだよ」
 ザックスが寮のルームメイトであることを知っていて、南部平原でのことを彼に話したのだという。
「しけた面してねえで、町に行こうぜ。お前のことだから、どうせ夜の町なんか行ってねえんだろ?」
 戦闘のさなかと違い、昼間の任務を終えた一般兵は夕食後自由行動が許されている。まだうろついていれば危険な地域もあるようだが、小隊の仲間も夜になれば町へ出かけている。クラウドはあまり興味も示さず、テントの中で勉強したりテント地で自主練習をして過ごしていた。
 どうやらそれがザックスにはお見通しだったらしい。
 そして夕食を終えると、幸いにも夜間警備に当たっていなかったクラウドはザックスに連れ出されたのだ。
 夜のウータイの町は大通りにちょうちんが灯される。
 魔晄炉のないウータイでは、化石燃料のランプやろうそくが主な光源で、黄色や赤の灯りが連続して燈る大通りは、テント地から遠目に眺めても美しかった。
 初めて夜の町に踏み込んだクラウドは、思わず首をあお向けてその様子を見上げていた。
 まだ戦争の傷跡が色濃いというのに、神羅軍を相手に商売する繁華街だけは、そうやっていくつもの灯りを灯していたのだ。
 ミッドガルや故郷のニブルヘイムとは異なる様式の建築物が立ち並び、朱塗りの柱が灯りを反射して眩いばかりだった。以前からある建物で商売するものもあれば、ダウンタウンのバラックよりも酷いほったて小屋で商売をしているところもある。そこで働く者たちも、間近にみれば安っぽいが、それでも色鮮やかなウータイ独特の着物をつけている。
 売春婦や飲み屋の呼び込みが、珍しがって通りを歩くクラウドたちを手招く。
「大人の時間だぜ」
 元来女好きのザックスにとって、こういったけばけばしいとも思える夜の町は、心沸き立つものらしい。クラウドも祭りの露店街を歩いているような高揚感を覚えた。
「ミッドガルじゃねえから、ゲーセンって訳にもいかないしな。どうするクラウド? 女の子にお世話になってみるか?」
「オレ、そういうの嫌だって言っただろ!」
 ニヤニヤと笑って顔を近づけたザックスを押し退けて、雑貨屋などを覗き込んでみる。店の軒先に並ぶ商品も珍しい異国のものばかりだった。
「興味津々のくせしてな」
「うるさい」
 通りでやりあっていると、突然クラウドの肩を掴み、ザックスの頭を小突く者がいた。
「青少年をヨゴレにするなって言っただろうが」
 クラウドと同じく居残り組になったソルジャーヨセフだった。
 彼とクラウドは南部平原への進軍以来、すっかり馴染みになった。
「おう、ヨセフ。そういうお前はウータイの女の子にはもうお世話になったんだろうな」
「当たり前だ。ウータイ娘はミッドガルの女より見かけも若いし、気立てのいいコばっかりだ」
 そうのたまうヨセフの顔は、思わず笑いが洩れるほど真剣だった。
「なに笑ってんだ、クラウド」
「ソルジャーヨセフは、ザックスよりずっと純粋だ」
 クラウドの言葉にヨセフは照れたように笑った。
 ザックスは不貞腐れた顔になった。
「おもしろくねえ。差別された」
 結局、クラウドの読みはふた月後証明されることになる。逗留の後、ヨセフは連れ帰ったウータイの娘と結婚した。だがそれはまた別の話だ。


 結局どこの店に入るでもなく通りを流していた三人だったが、通りの一番外れに来た辺りで、ボール遊びをする子供の一団に遭遇した。
 クラウドたちを見て、子供がわらわらと近寄ってきた。そしてボールを見せながら制服の裾を引っ張る。
 にっこりと笑う子供の邪気のない顔は、汚れてはいるが明るい。ボールは神羅のマークが小さくついた配給品で、どうやらボール遊びの相手になれ、という意味らしい。
 もちろん最終的には、クラウドたち駐留軍が持つ菓子や玩具が目当てなのだろうが、ザックスなどは全く躊躇なくその一団に紛れ込んで行った。
「お、サッカーだな。お前たちも入れ」
 サッカーとは言ってもゴールは地面に二つ石を置いただけのもので、ボールもゴム製である。人数もクラウドら三人を入れても十名ほど。キーパーなどいない。
 だが子供たちは遊びといっても容赦がない。どう考えても運動神経が人並み外れたソルジャー二名が加わったこともあって、いつしかクラウドも本気でそれに参加する羽目になった。
 きゃあきゃあと大騒ぎして喜ぶ子供たちは、恐らく先程通った大通りに働く者たちの息子や娘だろう。そうやって親が帰宅するのを待っている。中には神羅軍に親を殺された孤児もいるに違いない。
 物心ついた頃、ボール遊びをした兵隊が仇敵だったと気付く者もいるだろうが、今はそんなことは問題ではない。とにかくボールを奪うことに集中している。
 余裕を持って手加減しながら子供の相手をするソルジャーと違い、クラウドはまだ十五の少年だ。必死に遊ぶ子供らにほだされ、いつのまにか自分も子供に戻ったような気分で、彼らと一緒にソルジャーからボールを奪取しようとムキになっていた。
 クラウドは制服の上着を脱いで腰に巻きつけ、戦いに戻る。
「お、本気になりやがったな」
 三月とはいえまだ寒空の下、ザックスとヨセフはソルジャー用の袖なしのセーター、クラウドはTシャツ一枚である。通りを行く大人たちの目には、さぞかし奇異に映ったことだろう。
 そして子供たちがすっかり疲れ果て、遊びのペースが落ち始めた時、クラウドはどこからか注がれる視線に気付いて顔を上げた。
 広場のように少し開けたその場所は大通りのつきあたり、元はウータイ市の市庁だった建物の目前である。その二階の窓から見下ろす者があった。
 クラウドには覚えのある視線だった。
 部屋の明かりを背後にするシルエットは大柄で長髪、暗闇に光る目は魔晄の色。男は出窓に座り、煙草をふかしているようだった。
「サーセフィロス」
 クラウドが呟いた言葉を、ザックスとヨセフが聞きつけて動きを止める。
 すっかり疲れ切った子供たちは彼らと一緒に立ち止まり、その場に座り込んだ。
 全員がぜいぜいと息をついて、すっかりオーバーヒートしている様子と、ゆったりと窓辺に座る現地司令官の姿は対照的だった。
 子供のうちの一人が、ザックスへ手を差し出したのをきっかけに、本格的に遊びのご褒美を強請られる。三人はあちこちのポケットを探って、配給の菓子を子供たちに大盤振る舞いした。
 礼を言って帰っていく子供の背に手を振り、クラウドはもう一度市庁舎の二階を見上げた。
「こんばんわ、サーセフィロス」
 クラウドが声を掛けると、彼は小さく頷いたようだった。
「紙巻が切れた。持ってないか」
 セフィロスの返答は思いも寄らぬものだった。クラウド自身は煙草は吸わないが、配給品を持っていた。任務の間に現地の人間の手を借りることもあり、煙草を振舞うのはコミュニケーションの一環だと上官たちは言う。
「あります」
 短く返答してからザックスたちを振り返る。
「ザックスもソルジャーヨセフも、行ってくれば? 女の子のとこ」
 大通りを歩いているときから、彼らがそれを目的としていることは明白だった。クラウドが一緒にいるから遠慮していたのは間違いない。
「オレ、サーセフィロスにこれ渡したら、テントに戻るから」
「…いいのか?」
「うん。遠慮されるとなんか嫌だし」
 悪いな、と短く謝り、二人はセフィロスへ軽く敬礼をしてから大通りの方に歩いて行った。
 そしてクラウドが改めてセフィロスに向き直ると、彼は窓辺から立ち上がって言った。
「今ロックを解除させる。上がってこい」


 市庁舎の中は人気がなかった。
 電子ロックを取り付けた正面入口を入ると、中に警備兵が一名いたのみ。彼も敬礼を交わしただけでクラウドを中へ通した。
「階段を上がって、東棟の最初の扉だ」
 警備が手薄なのではと不安が胸をよぎったが、ここの長であるセフィロスはこのウータイの戦いに七年も関わってきたのだ。それこそ先程ボール遊びに興じていた子供たちでも『死神』の仇名は知っている。小さな集団でセフィロスの首を目的に蜂起する者など既にいない。
 広いホールの正面に木製の階段があり、クラウドはそれを登った。手すりは柱と同じに朱色に塗られていた。告げられた部屋の扉も赤い。
「ストライフ、入ります」
 ノックをして踏み込んだ部屋は、板張りの中央にやはりえんじ色の絨毯が敷かれ、手前に黒檀にしゅす張りの応接セット、正面の窓を背にした両袖机が据えられている。恐らく市庁の中で一番上等な賓客を招く部屋なのだろう。数箇所にランプが置かれ、室内は思ったより明るかった。
 クラウドは閉めた扉の前で足をそろえて敬礼した。
 セフィロスはまだ窓辺に腰掛けていた。
 トレードマークになっている長いコートは、正宗と一緒に壁に掛かっている。剣を下げるためのベルトが胸に交差しているだけで、彼の上半身は殆ど裸だった。鍛え上げ、引き締まった身体を惜しげもなく晒している。
 セフィロスの方が動く気配はないのでクラウドは奥へ進み、配給品の紙巻を差し出した。
「すまないな」
 殊勝な言葉を口にしても、彼は相変わらずの無表情だ。
「いえ。オレは吸わないので」
「今なら追いかければ間に合うぞ」
 問いの意味を図りかねて首を傾げる。
「ザックスたちだ。女を買いに行くんだろう」
 ストレートな彼のいい様にクラウドは狼狽を隠せない。セフィロスはそれを見て低い笑いを洩らしながら渡された煙草の封を切る。配給品のオイルライターで火を点ける仕草も手馴れていた。
「ウータイは美女が多い。試してみればいいのではないか」
「そう言うあなたは、行かないんですか」
 完全に子ども扱いされていることにむっとして、クラウドはつい言い返していた。頭の固い上官だったら張り倒されているところだ。
「オレか…」
 だがセフィロスは至って平静のまま答えた。
「ここの連中に『死神』と呼ばれているオレが娼館なんぞに行ってみろ。幾ら懐が暖かくても女たちの方が逃げ出す」
 真面目な返答にクラウドの怒りはすっと冷えた。
 セフィロスは、ミッドガルでは年中真面目な新聞からゴシップ誌までも騒がせる有名人である。重要なニュースは神羅が厳しく審査するだろうが、他愛の無い噂───どこの女優と出来ている、などといったセフィロスの話題は尽きない。
 それこそミッドガルの女であれば『一度でいいからおつきあいしてみたい男』の筆頭だろう。
「この土地で好んでオレと寝ようなどという女は、必ず腹に一物あるだろうな。ともすれば寝首をかこうという奴も現れかねん。面倒だろう」
 肯定する訳にもいかずにクラウドは立ち尽くした。
 セフィロスは悠々と窓辺に座り、グラスに注いだ酒と煙草を交互に口元へ運んでいた。
「ザックスたちを追わないなら、座れ。酒は飲めるな。グラスはそこにある」
 無言で立つクラウドへ机に付属した椅子と、机の上の水差しに添えられたグラスを顎で示した。
「ここに…座るんですか…?」
 革張りのゆったりした椅子は、みるからにクッションがふかふかとして、まるで会社企業の役員が座るようなものだ。上官であるセフィロスが出窓の縁で、最下級の兵士がそんな椅子では躊躇もする。
「不服か? 心地よすぎて業務には不向きだが、悪くないぞ」
 問答無用という返答に、クラウドは大人しくグラスを取って上官手ずから注いだ酒を持ち、彼を向いて座った。
 その途端、クラウドを見ている彼と視線が合った。
 明るいと言っても、広い部屋にランプが幾つかの室内では彼の瞳の方が光を放っているように見える。何度か警備で訪れた魔晄炉の、炉心にある湧き出したばかりのそれの色だった。
「お前は目を反らさないんだな」
 彼の問いは先程からどうにも要領を得ない。
 戦闘の場ではこれ以上ない的確な指示を飛ばすというのに、もしかすると彼は少し酔っているのかもしれないとクラウドは思った。
 だがその顔色や表情は普段と違いはなく、ランプの色を写して、普段より少し血色が良いように見えるくらいだ。
「殆どの者が、オレと目が合うと目を反らす」
「そんなことありません。オレだって、あなたに見られたら……びっくりする」
「何故だ」
「えっと…」
 クラウドが口ごもると、セフィロスはまた静かに笑った。
 今日の彼はかなり機嫌がいいように思えた。
「遠慮することはない、言え」
「目が、綺麗なので」
「綺麗? ソルジャーは皆同じ目だろう」
「そうでしょうか」
 同じ魔晄の色でも、セフィロスの瞳の色は少し違うとクラウドは思っていた。
「オレが訊いているんだぞ」
 彼はそう不服そうに言って、だが立てた膝に肘をつき、その手に薄い笑みを浮かべた頬を預けた。垂らした髪が灯りに煌めいて、まるで水の流れを見ているようだった。
「恐ろしいといわれたことはあったが」
 事実、彼の戦いぶりは味方が見ても恐ろしい。
 その視線に威圧感があるのも確かだ。
 だがクラウドにとって本当に恐ろしいのは、自分を無視しようとする視線や、害意のあるそれだ。彼が自分にそんな目を向けたことは一度もなかった。
 改めて見ても緊張はするが怖いという感覚はない。
 まっすぐに見上げるクラウドに、セフィロスは再び問い掛けた。
「お前、人間相手の戦いは先日が初めてだったそうだな」
 クラウドもまた首を傾げる羽目になった。
「そうですが…どうして」
「お前の経歴を見た」
 彼は司令官だ。神羅のデータベースに収められた部下の経歴を見ることだってあるだろう。現にデスクの上の端末は起動したままになっている。
 クラウドはそれを見て、電力はどうしているのだろうかと、ふと疑問に思った。
「どうだった。戦場は」
「あまり、思い出したくありません」
「正直だな。お前はソルジャー希望だそうだが、どうするつもりなんだ。やめるのか」
「やめません」
 簡潔に即答するクラウドを見て、セフィロスは眉をほんの少し動かした。
「サーセフィロスは、オレがやめるといいと、思ってますか?」
 そう問い返したクラウドから目を窓の外に反らし、
「ああ。」
 短い返答だった。
 クラウドは少なからずその返答に衝撃を受ける。目標である彼にそう言われるのは、クラウドにとって他の誰に言われるよりも絶望感があった。
「オレ、ソルジャーになるためにミッドガルへ出てきました。いつかあなたの隣で戦いたいと、思っていました」
「オレの…隣か」
 セフィロスは外に目を向けたまま、また肩を揺らして笑いを洩らす。
 彼がそうやって笑うのは自嘲を含む時なのだと、クラウドは気付いた。
「実際お前の成績は悪くない。去年のグラスランドエリアでのミッションでも、今回も、お前の機転は入隊して半年の新兵とは思えない。体は小さいがこれから成長する年齢だ。お前のところの小隊長も褒めていた。だが、ソルジャーになろうとすればするほど、今持っているものの多くを失うことになるぞ」
 セフィロスの声はクラウドをからかうような性質のものではなかった。真っ直ぐに見下ろす眼差しもごく真剣で、クラウドはグラスを持つ手に力を込めた。
「失うって…オレは、何も持っていません」
「失う。戦士になるために手に入れるものの代償に。その純粋さも、無邪気さも、お前は失くすだろう」
「オレは!」
「慰安で来ているのではないんだったな」
 クラウドの激昂をセフィロスは冷静に引き継いで言った。彼に先手を取られて、クラウドは唇を噛むしかない。
 確かにソルジャーのトップである彼から見れば、例え少しばかり秀でたところがあったとしても、クラウドは所詮一兵卒にすぎないだろう。ソルジャーサードよりも役には立たない。
 だがそうやって、試す前から可能性を潰されるのは嫌だった。
 そうしなければクラウドは帰る場所もなくなる。もし、挫折したまま帰ったとして、母親こそ何も言わずに彼を迎え入れるだろうが、彼女──ティファは違うかもしれない。約束も違えることになる。
「そんな顔をするな」
 セフィロスの声に、唇を噛んだまま視線だけを上げた。
 彼は困ったような表情でクラウドを見下ろしていた。
「オレが虐めているようではないか」
「虐めてます。オレはソルジャーになるしかないんです。なれるかどうか試しもせず、故郷に逃げ帰るなんて嫌だ」
 語気が自然と強くなった。
「プライドが高いな。へし折られる覚悟があるなら、オレはこれ以上何もいうことはないが」
「あなたは…それならなぜソルジャーになったんですか」
 恐らく誰もがそう思っているに違いない問いを、クラウドはここぞとセフィロスにぶつけた。皆が何か理由を持ってソルジャーを目指す。彼にもそれがあれば、クラウドの気持ちを理解してもらえると思ったのだ。
「気付いたら」
 彼の答えは思いもよらないものだった。
「気付いたら、ソルジャーだったな」
 彼は位こそソルジャーファーストということになっているが、確かに彼の公式記録にはソルジャー第一号だと明記され、他のソルジャーとは別格扱いだった。一般兵だった時代があるわけでもない。最初の戦歴はウータイとの戦いが始まって一年後、それが最も激化した頃、敵軍の一旅団を殲滅させるという華々しい初陣だったのだ。
 彼はその後、先に平定された北大陸など世界中のあちこちに派遣され、本格的にウータイ戦線に出向くようになったのは二年前だった。
「オレのプロフィールでも思い起こしているのか」
 まるでクラウドの思考を読み取ったような言葉だった。
「あれに『神羅開発部のモルモット』と注釈を加えるべきだな。散々体を弄繰り回された挙句、オレは戦うことしか知らない」
 呆然と彼の告白を聞くクラウドを見て、セフィロスは我に返ったように首を振った。
「オレは、何を言ってるんだ」
 そう言って低く笑いを洩らす。あの自嘲の笑い声だった。
「どうか、している。全く」
 クラウドは最悪の彼との初対面を思い出す。
 不覚にも倒れたクラウドを、彼は医務室まで運んだ。その時わずかに身を強張らせた彼の変化に、クラウドは気付いた。
 あれはクラウドでも眉をしかめるような消毒薬の匂い。
 彼の言葉がより現実味を帯びた。
「それでも…それでもあなたはオレの目標なんです。オレはあなたの隣で戦いたい」
 ザックスが『あいつはやめておけ』と言った。決して彼が言うような意味でセフィロスを気にかけているつもりはないが、それでもクラウドにとってセフィロスは特別だった。
 彼の言葉はいつも真実で、クラウドはその度に怒りを感じることも少なくない。それなのにセフィロスが何か言うと、クラウドの心は激しく乱れる。自分は何か間違っていないか、彼の言葉にそれ以上の意味があるのではないかと、焦燥をかき立てられた。
 セフィロスが自分を見ると、クラウドは彼にどんな風に見られているのか胸が騒ぐ。他人の視線を気にしないように努めて生きてきたクラウドが、矮小な存在でも、せめて彼には卑屈に見えないよう必死だった。
 彼の人成らざる戦いを見て、憧れる部類のものではない性分も垣間見た。彼には決定的な何かが欠落していることも分かった。
 クラウドが夢見た『英雄』の姿とは違うセフィロスという現実の男が、それまで以上にクラウドを捕らえるのは何故なのか。
「お前が強くなるというなら、オレは黙って見ている」
 セフィロスは真摯なクラウドの視線を真正面から見つめ返し、口を開いた。
「お前がオレの隣で戦いたいというなら、それまで待つのもいい。だが…」
 言葉を切り、セフィロスは手にしていたグラスを出窓に置いて立ち上がった。
 椅子に座るクラウドを、いつもより低く見下ろす位置にセフィロスの顔があった。素晴らしく長身な彼は、立ち並ぶ兵士らからいつもひとつ飛び出て見え、クラウドは必ずその姿を捜した。
 なぜこの人がこんなに近くにいるのだろうと、クラウドは今更ながら疑問に思った。
 遠い、遠い存在だった。
 たとえ神羅軍に入ったとしても、殆どの者から見れば、入隊する以前と変わらない遠い存在のままだろう。セフィロス本人がクラウドに関わることを望んでいなければ、言葉を交わす機会も、こうやって戦いの場を離れて近くにいることもなかったはずだった。
 それでも、見上げる姿は確かにそこにあった。
 彼が足を進めるごとに近くに。そして彼が軽く腰を折ればより近くに。
「お前の笑った顔を、オレは気に入っている」
 そう言って手を伸ばした指がクラウドの顎に触れ、持ち上げた。何度か彼はそうしたことがあったがそれはグローブ越しの接触だった。
 生身の温かさにクラウドは恐ろしい程の緊張を味わう。
「ただの子供だというのにな」
 息がかかるほど近くで囁かれ、クラウドの背筋は震えた。
「オレの隣で戦いたいのなら、お前は笑っていろ。それを失くすな。…出来るか?」
 クラウドは二度続けて頷いた。
 彼の気迫に押されてそうせざるを得なかった。
「いい子だ」
 顎を持ち上げていた指が後ろにすべり、クラウドの髪を撫でる。そして後ろ髪を軽く掴まれて自然と仰向いた顔にセフィロスが近づいた。
 唇に柔らかいものが触れた。クラウドのそれより少しだけ冷たい。
 ゆっくり吸い付き、濡れた舌が乾いた唇をなぞった。
 微かな酒の匂いとセフィロスの肌の匂いがする。至近距離にある彼の目は伏せられ、睫毛が動く様までがはっきりと見える。
 髪を梳く指の感触が心地よくて、クラウドは身体の強張りを少しずつ解いた。酷く安心する───まるで鎮静剤を飲まされたような脱力感に、目が自然と閉じる。
 だが舌がクラウドの唇を割り、口内へ入り込んだ途端、緊張が戻った。
 他人のものが身体の中に入ってくる感覚は恐怖を呼んだ。
 片手で髪を掴まれ、もう片方の手はクラウドの座る椅子につかれて、身動きひとつ出来ない状態だと気付く。筋肉質な剥き出しの腕も、深くクラウドに入り込もうとする舌の動きも、強靱な力を秘めていた。
「…あ」
 口付けを続けたまま、片手がクラウドのTシャツの裾をめくった。指が腹を直に這って、そのまま首元までたくし上げられる。そしてその手がシャツの中からクラウドの首を掴んだ。
 何を求められているのか、クラウドにも分かるその行為。
 そして彼がほんの少し力を込めれば、クラウドはこのまま骨を折られて死ぬ。そんな彼の恐ろしさをクラウドは知っている。
 未知と既知の両方の恐怖に動けなくなったクラウドは完全に硬直しており、彼の成すままを受け入れるしかない。
 手からグラスが離れ、板張りの床に転がった。それをセフィロスは気にも止めずに行為を続ける。いつしか唇は開放され、変わりに首筋に彼の唇が這っていた。
「いや、だ」
 思わず洩れた声にセフィロスは首筋から顔を上げた。
 震える両手で彼の肩を押し退けようとするがびくともしない。それどころか触れた彼の素肌が熱いことにより焦燥する。
「今更、拒むのか」
「オレに…オレに何を」
 何をしようというのか。
 問いは震えて最後まで果たせない。答えは明白なのだ。
 間近で覗き込まれた彼の目を見て、クラウドは彼の視線に初めて恐怖を感じた。
 これは獲物を狩る者の目だ。追い詰め、その息の根を止める者の目だった。
「怖いのか。…そうか、まだ女も知らないんだったな」
 薄く浮かべた笑みも、今のクラウドには身を硬直させるものだった。女を知らないどころか、何かを征服しようという男の真剣な眼差しですら、クラウドは初めて見るものなのだ。
「逃げるか? 逃げるなら今のうちだぞ」
 クラウドは彼の気が変わらない内に逃げ出そうと、必死に固まる身体を叩き起こした。知らずに床から浮いていた足をついて、椅子から立ち上がる。セフィロスは抵抗もなく身を引いた。
 クラウドは彼に背を向けないように後退り、少し距離を置いてから言った。
「オレ…あなたが目標なんです」
「それはさっき聞いた」
「だからこんなのは嫌だ。見失うのは嫌だ」
 浮き上がる涙を飲み込んで、クラウドは捲れたTシャツの裾を引き下げ、走った。
 その時、背を向けて逃げる敵兵へ容赦なく魔法を放ったセフィロスの姿を思い起こし、クラウドは湧き上がるものから逃げようと足をもつれさせながら扉に辿り付いた。
 ノブを回し、扉を引いた。
 だが扉は開かなかった。
 鍵がかかっているのかと慌てたが、すぐにクラウドの頭の高さに伸ばされた腕がそれを阻んでいるのだと知り、クラウドは振り返った。
「待て」
 間近にセフィロスの顔があった。
 扉を背に竦むクラウドの頭を挟む位置に、両手が突かれた。
 恐ろしいものから目が離せないのはヒトの悲しい習性なのか。見上げたセフィロスの顔には感情が伺えない。
「撤回する。ここでお前を逃がしたら、お前は二度とオレの顔も見なくなるだろう」
 近寄ったセフィロスの唇が額に触れた。肩から流れ落ちる銀糸が頬を撫でる。
 鼻筋を辿り、再びクラウドの唇を覆ったものの感触に、また背筋が震えた。
 唇を軽く噛まれて吸われると、同時に吸い取られたかのように恐怖が身を潜める。不思議と広がる安堵感に足が萎えた。
 恐ろしいものを見たいという好奇心だけなら、こんな気持ちにはならないだろうに。
「オレを知るのが怖いか」
 頷こうとしても首は動かなかった。
「オレがお前の思うよりずっと下衆な男でも、オレがお前の理想とする強さを持つことは変わりない」
 今度は噛み付くように荒々しく接吻され、呼吸を奪われた。
 扉を滑り降りた両手がクラウドの両の上腕を掴み、引き寄せられた。
「乗り越えて、オレの横に立ってみろ」


 剥ぎ取られたTシャツと上着が頭の上に落ちている。
 背中に直に触れる板の間は冷たいが、肌が触れ合う胸や腹は熱いくらいだった。
 開け放したままの窓から大通りの喧騒が届く以外は、クラウドの不規則な呼吸音しかしない。扉一枚を隔てた廊下はいつ誰が通るとも知れず、クラウドは必死に溢れそうになる声を堪えていた。
 クラウドは今一切の抵抗を止めていた。
 未知の感覚への恐怖は拭いきれない。そもそも行為がどういうものなのかを分かっていないのだ。
 田舎から半年前に出てきたばかりのクラウドにとって、性の知識とはザックスが持ち込んだアダルトビデオや雑誌程度で、自慰ですらまだ手探りだった。ましてや男同士のセックスなど『そういうものがある』といった認識しかない。
 思春期の好奇心がクラウドを後押ししたのかもしれない。
 口付けは全身に染み渡るような心地よさを感じることができた。だが素肌を撫でられても、他人に触れられることすら慣れていないクラウドには、それが気持ちいいのか悪いのか判断できない。
 ただ知らなかった自分自身を探られる焦燥があるだけだ。
 セフィロスに同性を抱く趣味があるとは聞いたことがなかった。実際クラウドの様子を窺いながら、まさに手探りで反応を確めているような愛撫だ。
 初めは必死に目を瞑ってされるがままに任せていたクラウドは、状況に少し慣れてから恐る恐る目を開けて、クラウドのベルトを解き、制服を脱がせようとするセフィロスを見下ろした。
 クラウドの下肢をまたいで覆い被さる彼は、零れ落ちた髪に隠れて表情が分からない。彼がどんな顔でクラウドを見ているのか興味をそそられた。
 クラウドは震える指を伸ばし、その髪を払いのけた。
 セフィロスは視線だけをクラウドに向けた。
 強い眼差しに心臓が跳ねる。薄暗い場所で、それも床でクラウドに挑もうとする男は、敵兵を目の前にしている時のように冷静沈着のままだ。
 クラウドへ目を据えたまま、下着と一緒にパンツを下ろされ、ブーツをつけている足から無理矢理引き抜かれた。ひんやりとした空気に触れてクラウドの身体が竦む。
 セフィロスは一旦立つと、クラウドを楽々抱え上げて移動して、応接セットの長椅子に下ろし、その足の横に座った。
 そして胸から腿の辺りまでゆっくり撫でた指がそのまま股間に絡んだ。半立ちになっていたものの根元を掴まれ、形を確めるように触れられる。
「ここは、感じるだろう」
 答える余裕はなく、クラウドはただ顎を上げて声もなく喘いだ。上下する指の感触にますます思考を奪われて、その動きを止めようと手首を掴んでも軽々と跳ね除けられた。
 最初は優しく撫でられるだけだったが、次第に高めるための意思をもった動きに変えられるとクラウドの口を声がついた。
「恥ずかしがることはない」
 クラウドの額に落ちた髪をかき上げながらセフィロスが口を開いた。
「オレもお前と同じ男なのだからな」
 腕を引かれ、革のパンツ越しに少し形を変えた彼のものに触れさせる。クラウドは恐る恐るそれを撫でてから、セフィロスの表情を窺った。
 クラウドの意図を理解してか、セフィロスは薄く笑ってから自分で胸に交差するベルトを外し、着衣を全て脱ぎ捨てた。
 筋肉の張った黄金率の身体の中心にある男は、髪と同じ色の毛に覆われ、彫像のように理想的な形をしていた。隊の仲間のものであれば見慣れるほど見ているが、彼らよりもずっと大きく、それも欲望の形に変化していた。見惚れるような造形でこそあれ、不思議と同僚たちのそれに感じる嫌悪など欠片もなかった。
 彼は長椅子の背もたれに寄りかかって座り、指先でクラウドを呼んだ。素直に従ったクラウドを、彼の腿をまたがせて向かい合わせに座らせる。
 足を大きく開いてそうすることは抵抗があったが、クラウドが恥らう前にその手を取って自らのものを握らせた。肌より僅かに熱を帯びたそれはずっしりと重みがあり、滑らかな手触りで触れる方にも快感があるのだとクラウドに教えた。
 セフィロスが再びクラウドに触れ、高まらせるのを真似るように、クラウドも躊躇いつつ彼のものに触れる。
 だがそれも最初の内だけだった。
 自分で触れることもまだ日の浅いクラウドに、他人が与える刺激は強すぎた。すぐに彼の肩にすがりつくだけで精一杯になって、押さえられなくなった声が断続的に口をついた。
「こ、声が」
「誰にも聞こえない。オレだけだ」
「でも」
 自分にはどうにも出来なくて狼狽えるクラウドの唇をセフィロスのそれが塞いだ。
 先程の口付けより深く合わされ、強引に舌を絡ませられ、溢れる声を飲み込まれる。落ち着き無く動く舌をどうすればいいのかと迷っていると、溢れる唾液ごと舌を強く吸い上げられた。
 同時に背筋を這う悪寒に似た感触を、クラウドは快感として植え付けられる。
 そして完全にクラウドの手から離れた自分のものをクラウドのものと一緒に掴み、セフィロスは強く、大きく手を動かした。
 息が止まる。
 背筋から脳を直撃する感覚に声が詰まり、掴まれたものが大きく震える。
「我慢するな」
 許しを得るまでもなく限界だった。
 セフィロスの少し早くなった吐息を耳元に聞きながら、最後の快感を受け入れる。
 せり上がって溢れた体液と同時に、何かがクラウドの中から零れ落ちていくように思った。

 極度の緊張から解き放たれたクラウドは、気を失っていたのか、眠り込んでいたのか。
 残り火のように体内からくすぶる快感を感じ、夢うつつで何か答えたような気もする。
 そして突然の激痛で現実に引き戻された。
 悲鳴が咽喉に詰まって、痛みの元を必死で押し退けようとしたが、それは揺ぎなくクラウドを引き寄せて更に奥へと突き進んだ。
 先程の、優しさすら垣間見える愛撫とは正反対の荒々しさでセフィロスが圧し掛かっていた。クラウドの足は大きく開かされ、自分の頭の横にある足首が衝撃に震える。開いた足の間にセフィロスの腰が密着し、その中心からクラウドの中へ楔が打ち込まれていた。
 引き裂かれる痛みと、息苦しい疼痛に交互に襲い掛かられ、一瞬で血の気が引き、二人の身体の間にあるクラウドの股間は完全に縮み上がっている。
 脂汗の浮いた額に指を這わされて、何か言おうとクラウドは口を開くが、死にかけた獣のようなうめきが洩れただけだった。
「力を抜け」
 痛みから逃れようと彼の言葉に従う努力はするが、叶わなかった。
 周囲を憚る余裕もなく、子供のように泣き喚いた。
 セフィロスは動きを止めて、震えるクラウドの足を撫でる。クラウドの強張りが解けるまで、彼は暫く辛抱強くそうして繋がったまま寄り沿い、それから小さく動いてクラウドから更に抵抗を剥ぎ取った。
 クラウドは自分の身体が部位ごとに解体されていくような幻想に捕らわれ、半分失神したような状態で次第に大きくなる彼の動きを受け入れる。
 思春期らしく夢見ていたセックスとはかけ離れた行為だったが、不思議とクラウドは自分を不幸だとは思わなかった。
 まるで機械のように淡々と戦う男が、額や胸へ汗を散らす様は人間らしく、全身が軋む痛みと、覚えたての僅かな快楽と、大きな感慨をクラウドは感じていた。



 深く、短い眠りから醒め、最初に煙草の匂いが鼻をついて、クラウドは目を開けた。
 視線だけを動かして見回すと窓の外はまだ暗い。先程と何も変わりない部屋は灯りが小さくされ、その弱い光をセフィロスが机に寄りかかって見つめている。
 指に挟んだ煙草は極限まで燃え尽きて、長くなった灰が今にも落ちそうだった。
「殺してしまったかと思った」
 セフィロスは視線も動かさずに呟いた。クラウドが目を開けたことに気付いたのだろう。
 クラウドは事の顛末を思い起こして、何も答えられなかった。恥ずかしい思いをこれでもかと味わいはしたが、これはセフィロスが望んだことでもある。
「目が醒めたなら、テントに帰れ」
「…はい」
 冷静な、まさに部下に命令する口調の指示に、クラウドは大人しく答え、眠っていた長椅子から足を降ろした。身体の変化を全く感じないのは、彼が治癒魔法でも使ったからだろう。
 床に落ちたままの服を拾って身に付け、上着は手に持ったまま、クラウドは黙ってセフィロスへ背を向けた。
 彼とこうなることを予測などしていない。でも事に及んだ時から、ひとときが過ぎればいつもの彼に戻ってしまうことは予想できた。そう思っても、傷ついている自分も確かにいた。部下らしく退室の挨拶もできないほど消沈している自分がいた。
 無言でドアに近づき、ドアノブを回そうとするが、また扉は開かなかった。
 視線を上げると頭の高さに大きな手が置かれている。
「帰ります」
「なぜ黙って帰る。いつものお前なら嫌味か恨み言のひとつも吐く状況だろう」
「別に。身体も元通りだし、どこも痛くはありませんから」
 まっすぐに見上げて答えると、セフィロスは両手を扉について、再びクラウドを腕の間に捕らえた。
「お前は上官命令で足を開いた訳ではあるまい」
「…違います」
「では明日も来い。理由が必要ならオレが作る」
 セフィロスはそう告げてからクラウドを開放した。返答をしないまま扉を開けたクラウドを、今度は振り返りもしなかった。
 後ろ手に扉を閉めた途端にクラウドは目の奥に熱さを感じて、早足に立ち去った。駆ける速度で階段を下り、警備の兵士にかろうじて敬礼をして建物の外へ出る。
 外気はひんやりとしていて、クラウドはシャツ一枚の上肢を震わせた。上着を着ようかとも思ったが、早くそこから離れたくてそのまま走り出す。
 セフィロスの触れた部分にまだ体温が残っているような錯覚を憶えて、湧き上がる胸の痛みを振り切るように、クラウドは走る速度を上げた。





 翌朝、食事用のテントに入ったクラウドは、先に現れていたザックスに手招かれた。
 テントといっても、ポールに屋根を張っただけのもので、長いテーブルの両側に背もたれのないベンチが並んでいる。食事以外に談話の場としても兵士に開放されている。
 朝食のトレイを持ってザックスの隣へ行くと、彼は何故かニヤニヤと奇妙な笑いを浮かべていた。
「クラウド、お前、昨日どうしたんだよ。もしかしてイイ娘でも見つけたのか?」
 下世話な仕草で小指を立てたザックスの頭を軽く叩き、椅子に座る。
「そんな訳ないだろ」
 答えながら二重に彼を裏切っていると思った。
 クラウドの相手が、町に咲くウータイの娘たちだったらどんなによかっただろう。
 ザックスたち曰く『まるで何も知らない純粋な少年』が、彼らの上官に足を開いたと知ったら何と言うだろうか。そしてその事実を唯一の友人にも隠そうとしている。
 我ながら吐き気がするような嘘だった。
「だってさあ、帰って来てお前の隊のテント覗いたら、いないんだもんな」
 内心ひやりとしながらも、クラウドはなんとか理由を捜そうと、コーヒーを口にした。
「サーセフィロスのところで、酒、ご馳走になった」
「お、珍しいな!」
 追求されると余計な事を口走ってしまいそうで、クラウドは朝食に集中することにした。ザックスはおしゃべりだが、食べている時は殆ど話そうとしないからだ。
「サーセフィロスが部下と酒飲むなんて聞いたことないぜー。ラッキーじゃん、お前」
 ザックスがそう言って食事に戻ったおかげで、変な間が開いてしまったように感じてクラウドは落ち着かない朝食を取ることになった。
 元々隠し事には向かないのだ。
 だが一方で『明日も来い』といった彼の誘いを断る口実も出来たとクラウドは思う。
 事実、顔見知りも多い隊の中にいて、誰にも知られずセフィロスと懇意にすることなど無理がある。それが肉体関係でなくても、噂になれば広まるのは早い。それにクラウドが寝起きするテントと市庁舎を行き来するのも不自然極まりない。何か用をいいつけるなら番の警備兵だって済むことだ。
 そう思いながら、どこかでそれを悲しんでいる自分がいることにクラウドは気付いた。
 痛いばかりで、いいことなど何一つなかったはずだった。手に入れたらもう興味はないというようなセフィロスの態度に、傷ついた気さえしていたはずだ。
 それなのに、彼の傍に近寄ることすら困難が多い事実を、クラウドは『悲しんで』いる。
「今度はオレも誘ってくれよ。タダ酒は見逃せないぜ」
「…次が、あったらね」
 朝食の味など分からない。彼の気持ちを察するよりはずっと簡単なことだと思うのに。
 そして今日の朝食の味より、クラウドは自分の不確かな気持ちと、彼の本心が知りたかった。
 横で相変わらず豪快な食べっぷりを見せているザックスを眺めながら、クラウドはこっそり溜息をついた。
「ストライフ。ストライフいるか?」
 意図したようなタイミングに驚いて、クラウドはベンチから腰を浮かせていた。
 声の主はササキ小隊長である。何か書類のようなものを手にして、長いテーブルの反対側からクラウドを呼んでいた。
 クラウドは走って彼の元へ行き、敬礼した。
「おはようございます、サー」
「食事中悪いな、ストライフ。ちょっとこっちに来い」
 何か用があるならその場で言いつければいい。それなのにササキはクラウドを引き連れて談話用のテントを離れると、周囲を見回し、正面に立って告げた。
「昇進だ」
「は?」
「本来ならミッドガルに帰還してから辞令になるが、特別措置でな」
 先刻から奇妙に思っていたササキの笑顔はそれが理由だったようだ。
「なんだ、嬉しくないのか?」
「…なぜ、特別措置なんです」
 ササキは笑みを深めて姿勢を正し、
「ストライフ二等兵を本日より本地滞在中、セフィロス司令官の副官補佐に任命する。」
 嬉しくない、というレベルではない。
 クラウドは絶句して、同時に湧き上がる怒りを押さえ切れなかった。握り締めた拳で、八つ当たりにその辺りの物を壊したくなるような、そんな強烈な怒りだった。
「ストライフ、どうした」
「それは、その指示は辞退できるんですか」
 ササキは一瞬の内に笑顔を消し、険しい顔になった。
「おまえ、サーセフィロスと何かあったのか?」
「いえ…。その…、どういう意図でオレを、と思って」
 まさか昨夜のことをササキに話す訳にはいかない。言葉を濁したクラウドをどう受け取ったのか、ササキは厳しい目を僅かに和ませてクラウドの肩を叩いた。
「あのな、お前の昇進は南部平原から帰って来たときに決まっていたことなんだ。オレが評価したんだからな。だが、通常はミッドガルで昇進式に出て、ハイデッカー統括から辞令を受けなければ正式じゃない。それは確かだ。
「だがな、今日の午後からソルジャー部隊がウータイ市外の治安維持活動に出る。サーセフィロスの副官もソルジャーだからな、出払うわけだ。どちらにしろ一般兵から補佐が出ることは決まっていたことだ。それにサーがお前を指名して、何かおかしいか? 副官補佐なら二等兵くらいじゃないとサマにならんと思ったんだろう」
 クラウドはかろうじて首を振った。余り上官に対する態度ではなかっただろうが、ササキは咎めもせず、もう一度肩を叩く。
「後ろめいたい事は何もない。お前は胸を張っていい」
「ありがとうございます。……ひとつ、訊いていいでしょうか」
 クラウドはまだ引ききらない怒りを押さえ込んでササキに問うた。
「その辞令が下りたのは、いつでしょうか」
「昨日だ。昨夜の内に伝えておこうと思ったんだが、お前が夕食の後テントにいなかったんでな。いずれにしても任務は本日午後以降からということだし…何か問題があるか?」
 ササキの言葉を聞いた瞬間、クラウドの怒りは水に溶けるように引いていった。同時に例えようのない安堵を感じ、クラウドは泣きたいような気分になった。
 姿勢を正して敬礼する。
「口答えして、申し訳ありませんでした。ストライフ、任務拝命します」
 ササキはまた笑みを浮かべて返した。
 昇進の早い者は上官の嫉妬の対象になるかと思ったが、ササキは違うのかもしれない。彼の表情は部下のそれを純粋に祝う者の顔だった。


 クラウドは、自分がセフィロスをどう思っているのか、この期に及んで分からなくなっている。彼のことを考えるだけで色々なことが混乱する。昨夜以降は特にそうだ。
 昨夜以前はセフィロスと話すことは好きだったように思う。自分のことを気にかけてくれるからだけではなく、彼と言葉を交わすだけで、自分の周囲を覆う何かが、みるみる剥がれ落ちていくような気持ちになった。
 他人と違う扱いを受ける優越感も、そこになかったとは言い切れない。
 それでもクラウドは純粋に彼と話すことが楽しかった。彼を知りたかった。
 だが昨夜彼がクラウドを抱いたことが、彼にとってどんな意味があるのか、まずはそれを知りたい。無論直接訊いても答えは返ってこないと確信している。でもこの混乱は、彼の意図を知らなければ解けないように思った。
 その為には、今のクラウド自身の気持ちを彼に告白しなければいけないように思う。クラウド本人に分かっていないことを、どうやって言葉にすればいいのか、それが問題だった。
「ストライフ二等兵、入ります」
「開いている」
「失礼します」
 二度目にくぐる扉は昨夜と何の違いもない。
 だが廊下はこれから出動するソルジャー部隊でごったがえして大層賑やかだった。
 扉を閉めて喧騒から断絶させた部屋には、セフィロス以外にも彼の副官ソルジャーがいた。先日の進軍でアルファ部隊長を務めていたソルジャークリスである。
「第一小隊所属ストライフ二等兵、本日よりセフィロス司令官副官補佐の任を拝命いたしました」
 靴をそろえて敬礼したクラウドへ副官のソルジャーは小さく頷いて返した。
「引継ぎはない。期間中、サーセフィロスの十分な助力となるように努めろ」
「アイアイサー」
 敬礼を交わす二人をセフィロスはデスクについたまま眺めていた。
「では出動します」
「頼んだ」
 短い受け答えでソルジャークリスが出ていくと、セフィロスは足を組み、クラウドを見た。
 何故か目を反らすのは癪で、クラウドは彼の視線を必死に受け止める。何を言われても動揺しないようにと、こっそり奥歯を噛み締めた。
「また不服そうな顔だ」
「そんなことはありません」
「お前…」
 デスクに肘をついて手に顎を乗せ、セフィロスは笑う。
「お前を見ていると本当に暇をしない」
「オレの任務は、あなたの暇つぶしですか」
「調子が戻ってきたな」
 低く笑い声を洩らすが、これはクラウドをからかう笑いだった。
 クラウドは、真剣に何をどう話すべきか悩んでいたことを後悔し始めていた。真面目に相手をすると馬鹿を見る───単にどうにでもなれと投げやりになっていたのかもしれないが、そんな気分だった。
「あいにくだが、お前を推薦したのはオレだけじゃないんでな、仕事は山のようにあるぞ。そこの椅子を持ってこい。ここがお前のデスクだ」
 そういってセフィロスが叩いて示したのは、彼の隣、広い両袖机の脇に置かれた花瓶などを置くための小さなテーブルだった。
「まともなデスクじゃないが我慢しろ。ここで書類の処理をする以外に口頭での伝達、書類の引渡し、本社との連絡…あと何があったか。とにかく何でもやってもらう」
 一息に告げられたクラウドはメモする時間も与えられなかったが、意地でも聞き逃すまいと頭に叩き込んだ。
 彼に笑われるのは無性に頭にくる。クラウドは人一倍対抗意識もあり、それが目標に最も近い場所にいる人物であれば十倍だ。
「まずは書類の分類だ。中を確めて提出先ごとに分けてオレに寄越せ。言うまでもないだろうが、役に立たなければいつでも交替させる。オレを失望させるな」
「アイアイサー」
 クラウドは敬礼もそこそこに、壁際にある予備の椅子を小走りで持ってくると、彼の隣の卓へ着き、書類の山を受け取った。
「待て」
 受け取った紙の束を卓に置こうとした手を止められる。
「訊きたいことがあるなら先に言え。溜め込まれて、後々まで引きずられるのは好きじゃない」
 先程のクラウドをからかう様子とは口調も態度も異なった。その面を暫く見つめ、クラウドは決意して口を開いた。
「オレが…オレがここに来たのは、何の為ですか」
 質問とは裏腹に、例え彼がどんな返答をしようと、期間中ここで任務につく決心は既にできていた。それでも問うたのは単なる確認だった。
「仕事をさせるため、それ以外に何がある」
「オレ、最初はあなたが理由を作るためにそうしたのかと思った」
 真実を口にするのは勇気がいる。
 上官として咎めることもあるだろうし、クラウドと関係を持った個人としても彼は何か言うかもしれないと思う。だがクラウドには、それを確めなければ前にも後ろにも進まないような気さえした。
「お前に足を開かせるだけなら、夜ここに越させればいい。わざわざ副官代理にするような面倒なことはしない。不服か?」
 クラウドは首を横に振った。
「仕事さえこなせば、それ以外は別にここに居続ける必要もない。部下としてではなく、お前自身が決めればいい。オレは強制はしない。わかったな」
「…わかった」
「ではお前の仕事をしろ」
「イエッサー」
 素っ気無い会話だった。しかし、一度はその性分を疑いすらしたセフィロスが、仕事と彼個人の事柄を、思う以上にしっかり線引きしていることを確めると、クラウドは妙にすっきりと晴れやかな気分を味わった。
 そして意気揚揚で卓に置いた書類をめくり始めた時、まだ視線を感じてクラウドは顔を上げた。
 セフィロスが先程の姿勢のままこちらを見ていた。
「ようやく笑ったな」
 何故かクラウドはそう告げられた途端、頬に血が昇るのを自覚した。熱くて、暴れ出しそうなほどの恥ずかしさに襲われる。
「あの…!」
「なんだ」
「仕事中はそういうの、やめてください」
 クラウドは視線を書類に据えたまま強い口調で言った。
 頭の上でセフィロスの笑う気配を感じた。


 書類の分類自体はさほど時間を要さなかった。
 殆どのものは内容を確認するまでもなく、提出先が明記されており、セフィロスの判断によってそれが変動するものはごく一部だった。その判定も慣れれば手際が良くなるので、時間が経つにつれ処理速度も上がる。
 書類の内容は何がしかの報告書――これはセフィロスが目を通せばいいものだ。それに各隊からの物資の補給要請、それの配分に関する本社からの指示などが多い。地元ウータイ市の人間から出される要請書もある。果てはセフィロスへの取材依頼――これはミッドガルから追いかけて来たメディアのものだ、そんなものまでが混じっていた。
 分けたものを、返答を急ぐ必要があると思われるものから優先して並べ替え、ファイルに分けてセフィロスのデスクに置く。
 ファイルをめくり始めた上官が、作業に没頭するクラウドの仮デスクを指先で叩いた。
「お前、気がつくな。それでやれ」
「はい」
 返事をしたものの、クラウドには何を褒められているのか分からなかった。ただ自分のやり方が間違いないと分かればそれでいい。
「質問、よろしいでしょうか」
 セフィロスはクラウドの分けた書類を眺めながら無言で頷く。
「『機密』と書かれたものが混じってます。これはどんな場合も、オレは見てはいけないものですか」
「如何なる内容でも口外しないと命をかけるなら、見てもいい」
「では見ずに固めておきます」
 分類作業は二時間ほどで終わった。顔を上げてほっと息をついたのもつかの間、書類を眺め続けるセフィロスがその姿勢のまま言った。
「コーヒーを」
「イエッサー。砂糖やミルクは」
「いらない。お前も好きに飲め」
 ポットやカップが部屋の隅に置かれている。ただのインスタントだが戦場ではそれも贅沢な部類だった。腕を試されるようなものではないので、なるべく手際よく入れるだけだ。
 ソーサーに乗せたカップをセフィロスのデスクの右に置く。
「ここに置きます」
「これから渡すものに処理済の判を押せ」
 代わりに差し出されたファイルを受け取って自分のデスクに戻り、端から判を押していく。
 セフィロスの署名をクラウドはその時初めて見た。
 まだ故郷にいた頃は、彼のサインを貰える日がくるのだろうかと思っていたこともあったというのに、今はそれが目の前に山になっている。次から次へと署名をする彼の手元を盗み見ながら判を押した書類をファイルに戻す。
「署名が珍しいか」
 先程から姿勢も視線も書類に向いているセフィロスだが、やはり気配には敏感なようだ。
「昔、欲しいと思ってました」
「今は」
「本物が目の前にいますから、結構です」
 セフィロスは低く笑いを洩らしながら呟いた。
「お前は、本当に退屈させない」

 酷く穏やかだった。
 部屋の中の雰囲気も、天候も、全てが戦場とはかけ離れている。
 まだ数度しか戦いに参加していないクラウドがそう思うのであれば、歴戦の勇士であるセフィロスはもっと顕著にそれを感じるのかもしれないと思う。
 時折窓から、外の広場で騒ぐ子供の声や、町の復興に振るわれる槌の音が遠く聞こえる以外、市庁舎の中も静かだった。
 ソルジャーたちが向かった『各地の治安維持』ではまだ戦闘が予想される。でなければソルジャーを向かわせはしない。恐らくまだ南部平原から逃れた残党兵を恐れて、それを狩りに出かけたに違いない。
 でもここは戦いの場ではない。ウータイは八年続いた戦争からようやく逃れたのだ。
 その穏やかさを時々無粋な電話機のコール音が破る。
「出ろ」
 クラウドが出た電話は市庁舎の中にある通信室から繋がれる。出撃中の部隊からの無線と、本社のホットラインが主な相手のようだった。
 部隊からの連絡は、緊急でなければクラウドが聞いて伝えるだけでいい。
 だが本社からの電話は必ず『セフィロスを出せ』という。
「先にご用件をどうぞ」
 相手が誰であろうと緊急以外は内容を聞け、とセフィロスに言いつけられた。『髭達磨など、ろくな用で掛けてきた試しがない』のだそうだ。
 十度ほど受けた本社からの電話の内、結局セフィロスがその日直接受けたのはたったの一本だった。
「本社は暇なんですか?」
 クラウドの質問にセフィロスはコーヒーカップを取りながら答えた。
「それを直接本社の連中に言ってやれ」


 何度かやりとりがあったものの、基本的にセフィロスは言葉少なだ。クラウドも静かな部屋で何かに集中することが久しぶりだったので、彼の無口さは心地よくもある。同じソルジャーでもザックスたちとは随分違うと実感する。
 そのザックスはといえば、ソルジャークリスたちと共に西極大陸各地の治安維持へと赴いた。予定では十日間の出陣で、ソルジャーの殆どが出払っている。今このウータイ市街にはセフィロスとクラウドら一般兵しか残っていない。
 ザックスとは余り言葉を交わさない内に別れてしまった。南部平原でのことも、セフィロスとのことも、彼にだったら相談できるような気もするが、やはり昨夜のことまで告白するのは彼とはいえ無理だろう。
 これでよかったのかもしれない、とも思う。
 日がすっかり落ちた頃、クラウドは業務を終えていいと告げられてデスクの上を片付け始めた。夕食は小隊の仲間達と通常通り摂ることになっている。夕食の時間は七時から八時と定められているので、時計を見るともう十分ほどしか猶予がなかった。
「夕食は何時までだ?」
「八時です。急がないと食いはぐれるので…」
「ここで摂ればいい」
 セフィロスはインターフォンに手を伸ばし、それに向って言った。
「夕食をオレの分と一緒にもう一名分頼む」
 クラウドが返答する間も与えられず指示は出された。
「遅くなって食いはぐれるよりはいいだろう。一階の西棟の端に配膳室がある。取ってこい」
「アイアイサー」
 小走りで向った配膳室は、セフィロスの執務室とは逆の棟の端にあり、この市庁舎に勤務する者の分をここからまとめて送り出しているようだった。二名分の食事が入ったアルミニウムのケースはかなり重く、受け取って執務室に帰るだけでかなりの運動量になった。
 部屋に戻るとセフィロスが上着を脱いでいた。
 彼のコートは戦闘時のものと大差ない。その下は半裸のようなものなので、クラウドは突然昨夜の連想をして俯いた。
「デスクは無理だ。そっちに置け」
 彼の方は至って平静に応接セットを顎で示し、まだ処理しきれていない書類を片手にソファへ座った。
 クラウドがケースを開けると、普段一般兵が食べているものとさして変わりない内容で、違うといえば兵士全員が使うアルミ製の食器が新しくて、ワインが一本瓶のまま入っているくらいだ。クラウドはコルク抜きがカップなどと一緒に置いてあったのを思い出して、それを使って栓を開け、保温器に入ったスープをカップに注ぎ、食事のセッティングを終える。
 セフィロスはまだ書類を見ていた。
「先に食べろ」
 書類から目を離さず顎でクラウドを促し、彼自身はワインのグラスを取る。グラスといってもいつもデスクの端にあるタンブラーだ。彼はまるで水のようにその最初の一杯を飲み干すと、手酌で二杯目を注ぐ。
 成長期の空腹には逆らえず先に食事に手をつけたクラウドは、彼の様子を飽きることなく観察した。
 彼もソルジャー、相当な酒量であることは予想できたが、何も食べずに飲むことは良くないように思う。
「食べないんですか」
「これを読み終えたら」
 短い答えの後次ページへとめくる書類の束は、先程クラウドが分類した中にあった報告書だった。報告書といっても、今セフィロスが就いているウータイでの現場指揮とは関係のないものだ。恐らく以前に彼の担当したミッションなのだろうが、書類が彼を追いかけてくるのは今回ばかりではないことが覗える。
「お前、見かけより食べるな」
 突然そう言ったセフィロスは読み終えたらしい書類を長椅子の端に投げ出し、漸くクラウドを見た。仕事中は殆ど紙面しか見ていなかった彼の視線を向けられると、何故かそれが懐かしいとさえ思えた。
「これも食え」
 セフィロスが自分の皿をクラウドへと押しやった。
「駄目です」
 即答したクラウドを訝しげに眺めるが、口調からその意図を察知したのだろうセフィロスは、微かに笑みを浮かべて皿を引き寄せ、食事を始めた。その頃にはクラウドは自分の分をほぼ食べ終わってしまっていた。
「成長期だな」
「神羅のレーションはまずいですが、食事は悪くないと思います」
「それだけ食えるなら、すぐに大きくなるだろう」
 頷きかけて、からかわれていることに気付いた。
 睨み付けたクラウドの視線を予測していたのだろう彼は、意地の悪い表情で待ち受ける。
「安心しろ。オレよりでかくなる」
 その言葉は結局実現されなかったが、この時クラウドは絶対に彼を追い越そうと心に誓った。


 夕食の食器を配膳室に返し、もう一度執務室へ戻ってきたクラウドは、長椅子に寝そべったセフィロスを見つけて驚いた。彼が眠っている姿など、そうそう拝めるものではないだろうと思ったのだ。
 そっと椅子まで近づいてしゃがみこみ、覗き込んだ彼は、完全に目をつぶっているように見えた。
 見れば見るほど端正な顔立ちで、髪と同じ色の睫毛が長い。肌は女たちがうらやましがるような滑らかさだった。造形も少し女っぽいが、鋭利で硬質な彫りの鼻筋や額がそれを女々しさに落とさない。
 クラウドが彼の姿を初めて見たのは神羅軍新兵募集のパンフレットだった。その安っぽい印刷でも彼の美形ぶりは十分に伝わり、クラウドは当初彼はモデルか俳優だと思っていたのだ。
 容姿も力も知能も、神の寵愛を受けずにはありえない完璧さ。
 だがそれらの代償に彼が持っていないものも確かにあるのだと、クラウドはこの遠征で実感している。
 つい彼を見つめたまま考え込んでいたクラウドは、いつのまにか彼が目を開けて見上げているのに気付いて驚き、小さく声を上げて絨毯の上に尻餅をついた。
 セフィロスはそれに低く笑いを洩らしながら半身を起こし、クラウドの腕を引いた。
「何をしている。来い」
 素手で触れられる熱さが、昨夜の記憶を蘇らせてクラウドを硬直させる。反抗もできずに引き寄せられて、仰向けに寝た彼の胸に、まるで抱き人形のように抱えられた。
 直接触れ合う胸が、制服越しにクラウドの動悸を教えてしまいそうだ。
 クラウドはまた混乱する。痛くて怖くていいことなど何一つなかったはずの昨夜を、自身がどう思っているのか、まだ結論は出ていないのだ。
 それでも彼に触れられることが前ほど恐ろしくないのは事実だった。焦燥は拭いきれなくても、同時に安堵もある。母に抱き締められる心地よさと似ているが、それならばこれほど胸は騒がない。
「ソルジャーになっても」
 彼の熱い胸から直接響く声にクラウドは緊張した。
 首だけ動かして見上げた彼は、緩く目を閉じてまるで眠っているようだ。
「例えソルジャーになっても、お前は変わらないと、信じられるように思う」
「どうして……どうしてオレが変わらない方がいいって?」
「さてな」
 髪を撫でられ、まるで子供を宥めるような行動だが、そうされることでセフィロスの方が慰められるのだということは、不思議とクラウドにも伝わる。
 身体だけでなく大きな存在である彼が、なぜそうやって自分に拘るのか、何を求めて側近くに置かれるのか、クラウドはそれが知りたい。
「オレは変わりたい」
「オレが変わってほしくないと思う部分が変わらなければ、それでいい」
 やはり、セフィロスが告げる言葉から、彼を理解することは出来なかった。
「あなたの言う事は、オレにはいつも難しすぎる」
 素直にそう言うとセフィロスは目を開け、一見優しくも見える穏やかな顔で見返した。
「ならば、理解できるようになるまでは、何も考えずに居ればいい」
 クラウドの背に回されていた腕が動いて、大きな掌が尻を撫でる。揉むように掴まれ、狭間を服の上からなぞられ、クラウドはバクバクと大きな音を立てる胸を押し隠しながら、不満を面にした。
「そうやって、オレを誤魔化そうって」
「昨夜で少し要領が分かっただろう。お前が協力すれば、痛いばかりじゃない」
 首を曲げて口付けられると、抵抗する気はすっかりなくなってしまった。
 夢とは程遠いセックスでも、彼と肌を合わせれば、彼のその時を目にすることができる。そしてもっと溺れる彼の姿を見てみたいと思う。
 しかし───。
「なんだ?」
 すでにクラウドの着衣を脱がしに掛かっていたセフィロスは、クラウドの不服そうな顔を見て尋ねてきた。
「どうすればいいか…分からない」
 協力しろと言われても、未知の快感に興味があっても、『どうすればいい』のかクラウドには分かるはずがなかった。
 口にしてから途端に赤面して目をそらしたクラウドの頭の上で、セフィロスが今は心地いいとさえ思える低い笑い声を洩らす。
「オレを、馬鹿にして…」
 目を反らしたままのクラウドの呟きは、突然荒々しくなった接吻に中断された。


 自分の身体の匂いが気になった。遠征とはいえウータイ駐留中は時折風呂に入ることもできたが精々週に二三度で、服も下着やシャツ以外は着替えもままならない。
 昨夜とて状況は同じでも今更それを気に掛けるのは、クラウドに少し考える余裕が生まれているからなのか、それともセフィロスが唇で直接触れているからなのか。
 セフィロスは昨夜よりもずっと時間をかけて、クラウドの身体を開かせようとしている。
 自分でもろくに触れたことのないような場所に舌を差し込まれると、くすぐったいようなもどかしいような感触と、極限の恥辱感に暴れた。汚いからやめて欲しいと懇願しても聞き入れられず、一層強い力で押さえ込まれ、問答無用とばかりに行為を続けられるとクラウドは大人しく従うほかない。
「分からないならばオレのすることに逆らうな」
 散々抵抗したクラウドを絶対君主の一言で封じ、唾液が尻を伝うまで舐められた。差し込まれた指の本数も分からなくなるほど集中的に解されて、すでに押し広げられる痛みは全く感じなくなっている。
 今はただ、膝が頭の横につくほどに折り曲げられた体勢が辛く、与えられる刺激を強くして欲しいという欲望だけがあった。
「お前の中がよく見える…血の色だな」
 セフィロスがクラウド足の間で言い、視線だけを顔へ向けられる。クラウドはそれから逃れる為に両腕で顔を覆った。
 屈辱感に耐え切れず涙が流れた。
「何を泣く。見せてやりたいくらいに綺麗な色だ」
 腕を退けられて顔を覗き込まれ、今度は唇を噛んだ。
「オレに預けて、力を抜いていろ。お前は何もしなくてもいい。痛かったらそう言え」
 横抱きにされて、片足を背後に横たわったセフィロスの腰に掛けられる。昨夜よりも力が入らずに済む姿勢で、身体が密着していることでも安心感があった。
 太腿を掴んで狭間を広げられ、そこに熱い先端が触れる。狭間を押し込まれる感触に一瞬緊張するが、思ったより滑るように入ってきた。
 何かが弾ける、そして奥へと進む。息苦しいような圧迫感だけ。昨夜の激痛とは程遠い感覚で、クラウドはそれに困惑した。
 何度か浅く行き来されても、十分に湿っているからか抵抗は余りなく、繋がっていることを自覚させる摩擦感だけがあった。次第に奥へ奥へと慣らされ、硬い先端がある一点に触れると、クラウドは射精感に直結する刺激を感じた。性器に触れられるよりもっと直接的な快感はクラウドの呼吸を止めた。
 全身が戦慄き、唇を高く震える悲鳴が割る。
「ここがいいのか」
 耳朶に唇を触れさせて囁かれる声にがくがくと人形のように頷く。
 強烈な刺激に耐え切れず、クラウドは意識を手離してしまいたかった。だが時折彼の下腹部が尻に当たるほど深く突き入れられると、その大きさに入口がびりびりと痛み、僅かに正気を回復させる。
 気を失うこともさせてくれない。
 それでも今クラウドが縋れるのは、自分をそうさせる男只一人だった。
 胸や腹、股間をなだめる彼の腕にしがみ付き、声を上げることしか出来ない。
 己の弱さを突きつけられる苦しさはあるが、与えられる快感から逃れたくはなかった。
「クラウド」
 耳元で呼ばれ、クラウドは少し目を開いた。
 首を巡らせてセフィロスの顔を見上げる。わずかに頬を上気させ、クラウドと同じように息を荒くして、彼は見ていた。
 先程から止まらない涙のせいで、クラウドの頬は強張っているし目は赤いだろう。その顔にじっと見入るセフィロスは淡く微笑んでいるようだ。
 薄暗がりで瞳だけが緑色に光っている様は恐ろしげだが、表情はどこか優しくもある。
 汗を散らし、欲望の光を宿した熱いまなざしで見つめてくる。
 彼は美しい人だとずっと思っていたクラウドだが、これほど容貌だけで惹き付けられるのは何故だろうか。
 離せなくなった目をすえたまま与えられる感覚に酔う。
 もっと酔わせて、分からなくさせてほしいと、クラウドは心から思った。


 目を開けて視界に入ってきた窓の外の明るさに、クラウドは二度瞬き、そして飛び起きた。
 外は明るく、既に鳥が五月蝿いくらい騒いでいる。慌てて時計を見ようとして、着ているはずの制服がなく、時計も外していることに気付き、漸く現在の状態を思い出した。
 執務室のソファの上、靴下とブーツ以外は全裸の上に掛けられていたらしい毛布が絨毯の床に落ちている。腕や胸に散った赤い痕も、身体を動かすと微かに痺れるような奥の痛みも、昨夜を思い出すには十分な証拠品だった。
 見回した部屋の中、その主であるセフィロスはデスクの前のリクライニングさせた椅子で眠っている。彼もまたクラウドから見える上半身は、惜しげもなくその裸身を晒していた。
 テーブルの上に時計を見つけて、着けながら時間を確めると五時を少し回った所、現在一般兵の起床は六時と決められているので、なんとか寝坊はせずに済んだようだった。
 脱ぎ散らかしてあったはずの服は、まとめてデスクの上に積み上げられており、そこにはクラウドの制服だけでなくセフィロスの革のパンツも混じっていた。
 彼を起こさないようにと歩み寄り、自分の制服を手に取ったが、ブーツを着けたままではパンツが履けない。
 まごまごしている内に、先程の姿勢のまま目を開けているセフィロスと視線が合った。
「いい眺めだ」
 あえて全裸であることを再認識させる言葉を吐いたセフィロスを、赤面しながらも睨み付ける。エロオヤジと怒鳴ってやりたいと思っていると、つい声に出ていたらしく、セフィロスは少し目を見開き、そして声を立てて笑い出した。
「お前、上官に向っていい度胸だな」
「まだ就業時間じゃありませんから」
 クラウドは笑いながら見つめるセフィロスの視線を意識しないように努めながら下着とパンツとシャツだけをとりあえず着て、残った衣服を軽くまとめて持ち、彼へ歩み寄った。
 椅子に悠々と座るセフィロスは先程のクラウドと同じく何も着けていなかった。長さを強調するように組まれた足は、見惚れるほどだ。
 それに視線を止めている間に伸びてきた腕に捕らえられ、クラウドは椅子に座ったままの彼の膝の上に抱き上げられた。
 背後から回された腕も彫刻のような完璧さ。手にしていた服が床に落ちたが放してくれそうにもない。
「あの」
「まだ就業時間ではないんだろう。大人しくしてろ」
 流れ落ちた銀の髪がクラウドの頬をくすぐる。
 そこから漂う彼の匂いに身体の奥が揺さぶられた。
「身体は?」
 掌が確めるようにクラウドを撫で下ろす。
「痛い。…けど大丈夫…かな」
「立て続けに魔法を使うと自己回復力が下がる。余り酷いようなら言え」
 ゆっくり何度も掌が行き来すると、クラウドは漸くその接触に慣れてきた。不快さなど欠片も感じない、むしろ落ち着く。昨日の朝と同じ状況だというのに、彼にそうされているだけでクラウドの気持ちは百八十度違った。
 セフィロスの素っ気無い態度を、クラウドが自覚する以上に辛いと感じていたのだと分かる。
「もう放して」
「なんだ、強情だな」
 そうは言ったもののセフィロスはあっさりとクラウドを開放した。
「あなたみたいに、そんなに直ぐ…気持ちが切り替わらない」
 クラウドは立ち上がり、彼から視線を反らして言う。彼を見てしまえば平静ではいられないと思ったからだ。
「…階下にシャワー室がある。浴びてこい。それと朝食もな」
 クラウドを追うように立ち上がったセフィロスは、床から服を拾い、それを着け始める。
 同性なら誰でも憧れる肉体が服で覆われるのを見て、クラウドはもったいないなどと考えながら扉に向った。だが幾ら完璧な身体だろうと、露出して外を歩けばただの変態だ。彼を変態と呼べる人間がどれだけいるかは疑問だが。
 自分の思いつきに吹き出しそうになりながら、行ってくる、と軽く言い置いて部屋を出た。





 初日と同じようにデスクワークばかりが続いた。明くる日もその次の日も書類は次から次へとやって来る。だが下士官に就いて一週間ほど過ぎたころ、さすがのクラウドも仕事に慣れた。
 何度か小隊のテント地に書類を届けに出掛けたクラウドは、その日も小隊長と戦友に捕まり、その度にセフィロスの下士官になった感想などを飽きずに訊かれる羽目になった。
 羨ましがる者が殆どだったが、明らかに敵意を持って声を掛けてくる者もいる。それに全く面識のない別の小隊の人間が、遠目にクラウドを眺めて噂をするような様子も見かけた。
 セフィロスへどんな影響が出るか少々心配になったが、今の段階ではどうしようもない。
 下士官になったとはいえ、ソルジャー部隊出兵の間だけの代理なのだ。ミッドガルに帰還し、通常の業務に戻ってしまえば、その程度の妬みや批判は自然消滅すると思われた。
 そして執務室に戻れば、また無言の作業と本社の暇人たちの応対が待っているのだ。
 普段の兵士の仕事の方が身体を動かせるので、ソルジャー志望のクラウドにとっては望ましい任務だったが、この経験もまた無駄になるとは思えない。
 それにセフィロスの近くで働けるのは楽しいし、純粋に嬉しかった。
「『嬉しい』…?」
 クラウドは市庁舎へ戻る道中、自分の思いつきをつい口に出して呟いた。
 自分自身の気持ちが分からないというのは、今も変わらない。それなのに以前のような苦しさを感じないのは何故だろうか。セフィロスの言動が関係しているのかと思いをめぐらせるが、そんな節はなかったし、第一そんな疑問があることすらセフィロスは知り得ない。
 最初の夜、そして下士官に着任した日の晩、それから昨夜、クラウドはもう三度も彼と夜を過ごした。クラウドが剣の素振りをしたり、以前遊んだ子供につきあっているのをセフィロスが部屋の窓から眺めている夜もあった。執務室でそれぞれ本を眺めていた日もある。いずれにしてもこれまでないくらいに会話があり、クラウドは暇さえあれば彼を見ていた。
 彼の近くにいるだけで疑問が形を潜める。
 彼の傍にいるだけで、クラウドは彼で一杯だった。
 それを認めた途端、クラウドは見慣れつつある町の様子までが一変したような気分を味わっていた。
 しかし柔らかい陽射しの中を歩いて市庁舎に戻ってから、クラウドはここがまだ戦場であることを思い知らされた。
 執務室の扉を開けた途端に感じた緊迫感の出所は、もちろんセフィロスである。デスクに着き、受話器を持った彼と目が合った瞬間に、クラウドは何か異変があったことを察知した。
 何か一言受話器へ指示した彼はそれを電話機に戻し、立ち上がった。
「サー、なにか…」
 せめて仕事中は素に戻らないようにしている口調が、この時ばかりは無意識でも改まるような雰囲気だった。セフィロスは無言で壁際へ歩き、戦闘服を羽織り、刀を手に取った。
 『非常事態』とクラウドの心に言葉が浮かぶ。
 セフィロスの元に連絡があり、彼が出向くような事態があったとすれば、それは出撃して八日目になるソルジャー部隊の派遣先だ。
「村人が蜂起した」
 淡々とした口調で呟いたセフィロスは、クラウドを抱き締める時とは別人だった。
「通信室に行く。お前も来い」
 真っ直ぐ扉へ向う彼を追いながら、クラウドは問い掛けた。
「サーも、出動するんですか」
「状況次第だが」
 そして状況は最悪だったのである。


 通信室へ着くなり、通信機の前に座った兵士と彼の上官が、敬礼して司令官を迎える。真っ直ぐ進んだセフィロスを横目に彼らと敬礼を交わしたクラウドは、セフィロスの気配に言葉を発することも躊躇った。
 通信室の彼らとは幾度か電話機越しに放したことはあったが、顔を合わせるのは初めてだった。着任したばかりのクラウドの顔は彼らも知らない。だがセフィロスに付き従う一般兵と見て、副官補佐の下士官であることを察知してくれたようだった。
「ソルジャークリスです。繋がってます」
「代われ」
 無線機正面の椅子から立ち上がってセフィロスに場所を空けた通信兵は、顔が強張っていた。それが状況の悪さから来るものか、それともセフィロスを間近に緊張しているのか、クラウドは判断することが出来なかった。
「セフィロスだ。状況を報告しろ」
 無線機の音質は悪い。ガーガーとアヒルの群れが騒ぐようなノイズの合間には、混線した様子の声まで混じっている。
『こちらイーグル部隊長クリス。現在、胡嵩村近郊に布陣。蜂起した村民は九十名、ソルジャー四名が死亡、重傷者五名が人質になっています』
 思ったよりもはっきりと応答が聞こえた。
「なぜ死んだ。死因は」
『毒殺です。村民が隙を見て昼食に混入させたようです。植物性のアルカロイド系毒物でほぼ即死でした』
「残党兵が村民にまぎれていたというのか」
『いえ…蜂起したのは全て地元に住むものばかりで、非戦闘員です』
 ソルジャークリスの答えを聞いて、ほんの僅かな時間、セフィロスは考え込むような顔になり、通信室は沈黙した。
 ウースウ村はウータイ市の町から南西へ五十キロほど離れた小さな村である。元はウータイに次ぐ大きな町だったが、数年の戦線によって今は僅か百名ほどの村民がいるだけのごく小さなものになっていると聞いていた。元々白兵戦を得意とする西極大陸の人種だが、大陸の中でも優れた戦士を生み出す土地として歴史のある村である。
 その村民が蜂起した。既に戦争が終わったとはいえ、実際に被害を被った国民は神羅に根深い恨みを持つ。先の南部平原での残党兵の抵抗も、規模が異なるだけで理由は同じである。
「向こうの要求は」
『神羅軍の西極大陸即時撤退、それに…失礼ですが、あなたの首だそうです。サーセフィロス』
「オレが行くまで交渉を引き伸ばせるな」
『なんとか』
「一時間で行く。一切手を出すな」
 セフィロスは一方的に通信を切った。そしてその姿勢のまま黙り込む。
 通信兵たちとクラウドは無言で彼の様子を見守った。
 何せ、相手の要求がセフィロスの首だという。確かにこれまでの勝敗を左右してきたのはセフィロスの存在が大きい。物量と技術力の違いで神羅軍の勝利が明らかだったとしても、セフィロスがいなければもっと時間がかかったに違いないのだ。事実、彼が本格的にウータイ戦線に足を運ぶようになってからたった二年で、それまで七年続いた戦争が終わったのである。
 だから彼らが要求する『セフィロスの首』は戦況に効率のいいものであるのは確かだ。今後も神羅と戦争を続ける気ならば。
 だが長年の対立で疲弊したこの国土は、たとえ神羅にセフィロスがいなくなっても、これ以上戦えないというのが現実だった。
 ザックスが以前クラウドに話したように、戦争は互いの主義主張を守る為の意地の張り合いなのだ。主義主張を守るのは延ては国益を守るためだろうに、これ以上この土地で戦い続けたら、国益どころか、その恩恵を受けるべき人間が根絶やしになってしまう。
「本社には連絡したのか」
 それぞれの馬鹿馬鹿しさとままならなさに怒りを感じていたクラウドを、セフィロスの声が現実へと引き戻した。
「イエッサー。規則ですので」
 通信兵の答えにセフィロスはあからさまな溜息をつく。
 現場司令官はセフィロスだが、本社のハイデッカーは彼の上官であり、このウータイ遠征の総司令官だ。規則上は必ず本社の指示を扇がねばならない。
 統括へ連絡が通っている以上、現場判断で勝手に動くことができないのが軍だった。
「髭達磨はなんと言っていた」
 蔑称で呼んだにも関わらず、通信兵は平然と答えた。
「サーセフィロスに従えと。ですが、伝言が」
 通信兵は口ごもり、恐らく通信記録なのだろう紙面に視線をうろつかせてから言った。
「人質を犠牲にしても……彼らを殲滅しろ、と」
「蜂起した者たちが非戦闘員だと伝えたのか」
「伝えました。はっきりと」
 セフィロスが舌打ちした。
 これほどまでに苛立ちを露にする彼を見るのは初めてだった。
「…駐留の第一小隊へ通達。ウースウまで車を出せと伝えろ。一四○○に町の入口だ」
 駐留の第一小隊はササキを小隊長とするクラウドの隊だ。
「アイアイサー。統括への連絡はどうしましょう」
「オレがいう事は何も無い」
 セフィロスはそれだけ言うとさっさと扉に向った。クラウドは部屋に残された二人へ敬礼してから慌てて彼を追った。
 時計を確認すると十四時まではあと十分ほどだ。
「クラウド」
 時計から顔を上げると、彼は前を見て早足で歩きながら呼びかけていた。
「お前も来い」
「オレが第一小隊だから、あの指示を出したんですか」
「そうだ。部屋で戦闘服に着替えたらすぐに出る」
 小走りで追いつき、彼の顔を横目で盗み見た。苛立たしげな口調に反して表情はない。
「いい機会だ。同行して、その目で見ておけ」
 執務室の扉の前で立ち止まり、セフィロスはクラウドを見下ろした。完璧な無表情がいっそ恐ろしくもあった。
「お前の目指すソルジャーの現実を」


 ウースウ村に派遣されたソルジャー部隊は一部隊で約四十名、新しく編成されイーグルと名づけられた第五部隊である。第五部隊にはザックスもいたはずで、それに気付いた途端、クラウドは死亡もしくは人質となったソルジャーに彼がいたのではと気が気でなかった。
 先の南部平原で人員が欠けてはいたが、ササキ小隊長とクラウドを含め六名がドライバーなどを勤め、装甲車二台に分乗し、セフィロスに同行していた。
 ウースウ村に向かう道は、距離こそ五十キロ程度だが、長い戦いの間に被害を受けて悪路が続く。真っ直ぐに走行しても速度が出せず、セフィロスが無線で伝えたとおり、一時間はかかるだろうと予測できた。
 セフィロスは先程から一言も言葉を発していない。車に乗り込む際に、急げと言ったきり口を閉ざし、装甲車の開けた窓に片腕を乗せ、ただ進行方向を見据えている。
 職務にクラウドへの私情を持ち込まないと言った傍から第一小隊を同行させている訳だが、それを批難する状況ではないことはクラウドにも分かった。
 本社の指示は、恐らく彼にとっても不本意極まりないものだったのだ。
 もちろん彼は神羅軍の遠征隊司令官であるから、軍の利益を考えているとクラウドは思った。
 そもそも神羅軍は一政府の正規軍ではない。現実的には世界最大規模でも、本来一企業が抱える私立軍隊なのである。
 そして人質になっているのは重傷のソルジャーであり、人質にしている村民は全て非戦闘員。なんとか人質を救出し、蜂起のリーダーを摘発し、村民を説得するのが神羅軍の立場であるはずなのだ。
 結果的に神羅軍の利益になるとは思えない統括の二つの指示に、彼の立場か彼自身が納得できないことが、苛立ちの原因だと思われた。
 声をかけることも出来ず、クラウドは黙ってセフィロスの隣に座っていた。激しいバウンドを繰り返す装甲車に乗車していながら、余りの緊迫感に酔うことさえ忘れていた。


 小一時間で到着したウースウ村は見た目は非常に静かで、現在起こっている事態を荒れ果てた村の様子に隠していた。
 集落から百メートルほど距離を置いた場所に、ソルジャーたちが固まって待機している。部隊長であるソルジャークリスの姿があり、到着したと同時にクラウドが捜したザックスもいた。
 死亡や重傷のソルジャーには悪いが、クラウドは心中で安堵の息をつく。
 四十名のソルジャー部隊は、死亡者と人質を抜いて、それでも三十名程度が健在だった。ソルジャーファーストもザックス含む九名おり、元々戦闘員でない村人が生きているのは人質があるからなのだとクラウドは思った。
 その主張に賛同することは出来なくても、皮肉にも蜂起した彼らの方法は的確だったのだ。
 到着したセフィロスを彼らは整列敬礼で迎えた。明らかに苛立っているセフィロスの様子にもひるまないのは、いつも彼と行動するソルジャーならではの慣れなのだろうか。
「状況は」
「変わっていません。人質の五名は致死量には至っていなかったようで、戦闘不能ですが健在と思われます。彼らを拘束して村の中央にある道場に立てこもっています」
 直立不動で答えたソルジャークリスは、セフィロスの様子に眉を顰めた。彼は多くのミッションでセフィロスの副官を務めているらしく、上官の無表情ひとつで、上層部の決定が不適切であると察知できたようだ。
「髭達磨の指示は殲滅だ」
 前置きもなく言ったセフィロスの言葉に、ソルジャーたちは騒然とした。
「人質を犠牲にしても殲滅せよ、とな。オレの首を差し出すとは言わなかったらしい」
「……捨て駒かよ」
 呟くように、しかしはっきりそう言ったのはザックスだった。ソルジャークリスが発言は許可していないというような言葉で彼を押し留めようとしたが、ザックスは堪えた様子も見せず続けた。
「そりゃ死に損ないのソルジャーより、サーセフィロス一人の首の方が価値があるだろうよ」
 ザックスの言葉は統括へ向けられた皮肉だったのかもしれない。
 だがクラウドはつい先程まで心配でならなかった友人の言葉に、激しい怒りを覚えた。
 セフィロスの真意を知らずしても、そのセリフを彼に聞かせるのはやめてくれと言いたかった。
 セフィロスの意思ではないのだと。
 彼が『神羅の英雄』と呼ばれ、その身に羨望と憧憬の視線を浴びる一方で、敵からは『死神』と囁かれるのも、彼のせいではないのだと。
「人質を犠牲にしろと命は受けていない。すでに四名が死亡している以上、蜂起した者を攻撃する理由はある」
 ザックスはセフィロスを睨むように見据えて沈黙した。
「だが殲滅は指示だからな。たとえ後に神羅が非道だと批判されても、髭達磨が責任を取ってくれるのだろうよ」
 セフィロスはそう言って低く笑いを洩らしたが、クラウドには彼が何を思っているのかが分かるような気がした。
 当事者たちは統括を責めるだろう。
 だが矢面に立つのは常にセフィロスだ。同じ国の村を消滅させられたウータイ人や、遠く離れた都会で管理されたニュースしか目にしないミッドガルの人々は、セフィロスを極悪非道な司令官だと罵るに違いない。
 セフィロスだけでなくソルジャーもまたそうだ。神羅の戦況を左右するソルジャーは、一般兵よりも危険な前線に派遣されながら、市民の評価は『残忍な狂戦士』だった。
 敵対し、銃口と刃を向けてくる者を、その人並みはずれた一撃で倒す。外せば自分が命を落とすのだ。戦場にいればそれが当たり前の行動だと、クラウドもそこに行かねば理解することもなかったかもしれない。
「クリス。ファーストを四名…いや三名選べ。それにザックス。全員治癒と回復、それに全体化の効く属性魔法を装備しろ。オレに続いて突入したらまず敵を蹴散らして人質の元へ向かえ。多少傷つけられても回復させれば保つだろう。村の外へ運びだすことを優先させろ」
 セフィロスは皮肉な笑みを浮かべてザックスを見た。
「仲間を犠牲にしたくないなら、お前が善処するんだな」
「アイアイサー」
 ザックスは表情を固くして答えた。
「他の者は村の包囲して待機。逃亡する村民がいたら討て。一人も逃がすな。女も、子供もだ」
 ソルジャーたちは一斉に装備を確認し、直ぐ戦闘態勢へ入る。
 それをクラウドたち一般兵は眺めているしかない。
 セフィロスは小隊に向けて言った。
「お前たちは距離を置いて装甲車とトラックを守れ。村人が近寄ったら迷わず発砲しろ」
 クラウドたちが乗ってきた装甲車以外に、ソルジャー部隊が進軍する際のトラックが三台村の外にある。小隊長が了解し、クラウドたちもそこまで後退することになった。
「クラウド」
 移動しようとしたクラウドをセフィロスが呼び止める。
 クラウドは彼を見つめ、その無表情から何かしらを読み取ろうと試みるが叶わない。
「まだオレの隣に来る気があるか」
 警戒態勢に準じて肩から下ろした長銃の銃身を握る。
「返事は、後で聞く」
 セフィロスはクラウドを置いて村へと身を翻す。
 五名のファーストとセフィロスを残し、彼の手の合図に従ってソルジャーが散って行く。配備が終わったか否かの内に、セフィロスは愛刀を抜いた。
「しくじるな───出る」
 彼が走る後に四名のソルジャーが続く。
 クラウドは彼らの瞳が魔晄の色に閃くのを目にし、息を飲んでそれを見送った。


 魔法で引火したのか、数箇所から燃え上がった火は村人の小屋を焼いた。炎が小屋よりも高く吹き上がり、黒い煙を立ち上がらせている。
 見渡せる村の中心通り、舗装もされていない道が土埃を舞い上げて、まだ小屋から小屋へ行き交うソルジャーたちの足元を曇らせた。
 小さなボールが村の通りを転がった。
 子供向けに神羅が配給しているあのゴムボールだった。
 その向こうからソルジャーたちが引き上げてくる。一様に背の高い、彼らの屈強な身体が、どこか小さく縮こまってみえるのは陽炎のせいか、クラウドの気持ちを反映しているのか。
 彼らが村の外へ集結しだした頃、燃え続ける小屋の間に既に見慣れた人影を見つけ、クラウドは掌を握り締めた。
 艶のある色素の薄い髪が、周囲の炎に照らされて赤毛のように見える。大きな身体を影のように見せる黒いコートの上を火の粉がすべり、髪を煽っていく。
 右手に提げた正宗は血の曇りのひとつも残していないように見えた。
 だがそれを操ったセフィロスは、黒いコートや剥き出しの胸、頬や髪にも大量の返り血を被っていた。柄を握る手はグローブの色が全く見えないほど。
 その凄まじさは村人たちの最期を想像させる。
 白皙の美貌に浴びた血が一体幾人のものなのか。
 彼らは死ぬ間際、この美貌の死神を見たのだろうか。
 クラウドはふとそれが酷く幸せなように思えた。犠牲者当人は怒るだろうが、ただ直感的にそう思った。
───彼の瞳を見て息絶えるなら。
 クラウドの思考は部隊長が敬礼したことで中断される。
「点呼完了です」
 途中ザックスらが助け出した人質のソルジャーは、クラウドたち小隊の近くに寝かされ、手当てを受けていた。
 もう村の中には、皮肉にも自らの命を縮める計画を練った村人しかいない。
「下がれ」
 セフィロスは呟いて部下たちに背を向け、コートのポケットからマテリアを取り出した。クラウドは初めて見る赤い珠を正宗の根元に付け替え、刃は鞘へ収めた。
「炎獄より出巨人、従いし主の怨敵に怒れ」
 マテリアが光ったと同時、セフィロスの周囲に濃い陽炎が立ち、何か巨大なものが姿を現した。角を持つ半獣の巨人。
「イフリート…!」
 呟いたのはいつのまにかクラウドの直ぐ横に来ていたザックスだった。
 セフィロスは実態のない召喚獣を普段より無表情に見上げ、村を指差した。
「焼け。生命の源へ連れ帰るがいい」
 前触れもなく巨人が炎を吐き、炎の属性魔法など足元にも及ばない火力と風圧で、くすぶっていた村の外れの小屋までも燃え上がらせ、押しつぶした。
 村人たちはすでにソルジャーたちの手で命を断たれているに違いない。まだ僅かに意識があった者もこの炎に捲かれては、骨も残らないだろう。
 恐らくこの事態そのものを隠蔽するために焼き尽くしたのだ。焼け焦げた残骸が多少残ろうが、骨まで灰になってしまえば、誰も幾人が炎獄の犠牲になったのか、どんな事態が起こったのか、想像すらつかなくなる。
 呆然と見つめる小隊に対して、ソルジャーたちは皆小さく溜息をついて安堵の表情だ。
「駐留地へ帰還する」
 いつのまにか召喚獣は消えていた。振り返ったセフィロスは静かに言い、装甲車へと歩き出した。
 髪を揺らして歩くセフィロスの後姿を小隊の仲間が走って追うのを、クラウドは暫く立ち尽くして見つめていた。
 彼は自分から問うた質問の答えを聞かずに行ってしまった。
 その背はクラウドの何かを明らかに拒絶しているように見える。
「お前ら…なんかあったのか?」
 クラウドの肩を叩き、顔を覗き込んだザックスは何時になく眉を顰めて真剣な表情だった。クラウドは曖昧な笑みで答えることしか出来なかった。
 その時村の公会堂が轟音を立てて完全に崩れ落ちた。


 夕闇の中トラックと装甲車はウータイ市へと走り、夕食時には町に入った。
 復路、小隊は装甲車ではなくトラックに乗せられ、クラウドは短い時間ながら少し車酔いしたような状態になってトラックを降りる。乗車中の有り余る時間に、クラウドをはじめ小隊の一般兵たちは一様にウースウでの出来事を頭の中で反復していた。
 これが神羅の実態であると、自分たちもその軍内の者であると、じわじわと心を侵食する自覚は、彼らを苦しく攻め苛む。
 降車して集合したソルジャーたちにセフィロスは解散の意向を伝えると、一人市庁舎の方角へ歩いて行った。
 部隊長のソルジャークリスも上官の様子に困惑したような顔つきだったが、立ち尽くすクラウドに気付いて少年を呼んだ。
 他のソルジャー部隊はあと数日経たねば帰ってこないが、クリスが戻った以上、クラウドの下士官としての任務は終了したことになるに違いない。
「ストライフ、今日はとりあえず小隊へ戻れ。何かあればオレが対応する。明日午後には通常任務に戻るよう辞令も出るだろう」
 クラウドが了解と答え敬礼すると、ソルジャークリスは目を細めてクラウドを見た。
「お前、サーの下士官はどうだった。働けたか?」
「サーセフィロスの評価は訊いていません。ですがオレは普通に言われた仕事をしました」
「そうか。一週間ご苦労だったな」
 クリスはセフィロスを追って市庁舎の方に去り、残されたイーグル隊と共に小隊はテント地に向かった。
 イーグル隊ソルジャーのテント設置を手伝っている内に夕食時刻となった。
 だがいつもなら我先にと行く第一小隊の全員が、やはりどこか消沈している。クラウドもいつもどおりに振舞おうとすればするほど、昼間のウースウでの光景が沸きあがって、酷く静かな苛立ちと怒り、それに憂鬱な気持ちに交互に襲われていた。
 公会堂に集まっていたという村人全員が、端からセフィロスの刀に斬られていく様を目の当たりにしなかっただけ、クラウドたちは救われている。遠く響いた村人の悲鳴は一生クラウドらの心に残るだろうが、まざまざと遺体を見ていればきっと食事など今以上に咽喉を通らない。
 いつも陽気なソルジャーたちも席を固めず、テーブルのあちこちに散らばって着いて食事を摂っている。
「クラウド」
 食事の乗ったアルミのプレートを持って、ザックスがクラウドの隣に座った。
「大丈夫か、お前」
「その言葉、ザックスにそのまま返すよ」
「ナマ言いやがる」
 決して悪くないはず食事の味は殆ど感じられない。スプーンの先でライスと豆をかき回しているだけだ。
「セフィロスの下士官はどうだった?」
 ザックスはクラウドの背を軽く叩いてから食事に手をつけ始めるが、彼もまたいつもの豪快な食べっぷりからは程遠い。
「みんな、それを訊くんだ」
「興味あんだろ? なんたってあのセフィロスだからな。オレはお前があの人に虐められてやしなかったか心配なんだよ。アノ人、構う人間全員に意地悪だからなー」
「それは云えてる」
 小さく笑いが洩れた。ザックスもクラウドの様子を見て、安心したような顔つきになる。
「心配無用ってか。充実してたんならいいさ」
「うん。でも」
 ライスをかき回していた手を止め、クラウドは同時に言葉を止めた。
 部下たちへも何も云わずに市庁舎へ帰っていったセフィロスの後姿が、クラウドの脳裏から離れない。すでに下士官として用済みであるのは承知しているつもりなのに。
「でも、なんだよ」
「セフィロスが…気になる」
 ザックスも手を止めてクラウドを見下ろした。
「お前、前にもそう言ってたな」
「そうじゃなくて…! セフィロス、どうして何も云わずに戻ったのかな。村を殲滅させるのは統括の指示だったんだ。別にセフィロスが望んだ訳じゃない。人質だってちゃんと助けたろ」
「オレたちがな」
「サーセフィロスの指揮だ」
「あの人に口答えできる人間なんか、神羅には殆どいないんだぜ。統括の指示が気に食わないって思うなら、反抗すりゃいいじゃねえか。下っぱのオレ達がなに言ったって遠吠えだけど、あの人が自分のクビをかけて出来ないことなんかないんだ」
 ザックスの顔はごく真剣なものだったが、クラウドは全くひるまずに彼を睨みすえた。
「ザックス、前にオレに言っただろ。あの人には主張がないって。でもオレ、あの人が神羅をやめない理由、分かったような気がする」
 クラウドはザックスの瞳を見つめる。セフィロスと同じ魔晄を浴びた者の色だ。だが彼の方がずっと鮮やかで、透き通って見える。
「セフィロスは分かってる。でも言い訳嫌いだろ。だから黙って帰ったんだ」
 クラウドの呟きの後半は完全に独白だった。
 ザックスが訝しげに覗き込んでも、クラウドは見つめたプレートの上から目を離さない。
 そして立ち上がった。
「オレ、セフィロスのとこ、行ってくる」
「クラウド?」
 自分で下げなければいけないことになっている食べかけのプレートを、テーブルの上に置いたまま、クラウドは町へ向かって走り出した。
「クラウド!」
 ザックスの制止の声が背に届いても、クラウドは振り返らなかった。


 ここ一週間で見慣れた市庁舎玄関の番兵は、クラウドをすんなり中へ通してくれた。
 階段を小走りで駆け上がった執務室の前で、丁度室内からソルジャークリスが出てきたところに鉢合わせする。敬礼すると、短いながらも下士官を務めたクラウドのために、クリスは閉じかけた扉をもう一度開けて部屋の中に声を掛けた。
「サーセフィロス、ストライフが来ましたよ」
 入室を断る理由がないと判断したクリスは、今更少し躊躇したクラウドの背を室内へと押す。デスクの前に立つセフィロスの無表情と視線が合った。
 彼は入れとは言わなかった。
「では、明日」
 クリスが敬礼して出ていき、クラウドは閉じた扉の内側に取り残された。
 セフィロスはデスクの前に立ったまま書類を眺めて、クラウドの方へ顔を上げようともしない。
 拒絶の意思を露にされてクラウドは一気に消沈し、弾んだ息を整えながら俯いた。
「そんなとこに立っているな。座れ」
 セフィロスは目は紙面に据えたまま、顎で長椅子の方を示す。
 彼が見ている書類はさほど重要なものでも緊急のものでもないようだ。もしそうなら、仕事中だとクラウドの入室は許可しなかっただろう。
 セフィロスもまた、クラウドが伝えに来た『あの時』の返事を、僅かに緊張して受け止めようとしているのかもしれない。
「どうした」
「返事を、しに」
 漸く顔をクラウドに向けたセフィロスは、一度瞬きをした。
 なんて小さな彼の表情。ほんの少しでも目を離していれば、見落としてしまうような。
 だからこそクラウドは彼と一緒にいると、彼の顔から目が離せなくなる。
「オレ、あなたの横へ行く」
 彼の表情は動かない。
「あなたが好きだ」



 床に引き倒された。
 日が暮れて気温が下がった室内も、板が張られただけの床も冷たい。
 それなのに互いに毟り取るように衣服を脱がせ合って、唇は一瞬も離れることなく。
「馬鹿なことを」
 セフィロスは先程から何度か同じその言葉を呟いていた。
「地獄を見ただろう。恨み事を叫びながら死んでいった村の者たちの様を、直接お前に見せるべきだったか」
 低い声が濡れた唇の隙間に囁かれた。
「オレ、好きだった、憧れてた。神羅の英雄に。でもあなたは全然それとは違くて、意地悪だし、冷たいし、オレの理想像を壊して…嫌いだった。あなたは全然『英雄』なんかじゃない」
 セフィロスの唇が離れ、首筋を吸い上げ、鎖骨に歯を立てる。
 クラウドは言葉を途切れさせて喘いだ。
「こんなことして。いっつもオレを子供扱いするくせに」
「十分子供だろう」
 脱ぎかけた服の隙間から手を差し入れられ、身体の中心を性急に煽られた。熱い手、長くて力強い指が、魔法のようにクラウドの四肢を踊らせる。
「オレのような男に騙されて…十分子供だ」
 囁きを吐息に紛らせながら、彼が中心を口に含むのもされるがままに。
「早く大人になるから…」
 それまで待って。
 それまで騙し続けて。
 そう何度も懇願し、ただ今唯一できること、彼の情炎を受け入れ、自分の欲望を示す。
 これまでのどこか受動的な交接とは違う、クラウドは稚拙ながらも彼を必死に求めて、この時確かに男に何かを刻み付けた。


青年未満mission4
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