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青年未満
MISSION-6 ジュノン
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 ソルジャー採用試験。その為にクラウドは遠く離れた故郷から、このミッドガルへ出て来たといっても過言でない。
 今はその目標に前以上の意気込みを感じている。
 まだ若い───幼いといってもよいクラウドにとって、そこから全てが始まるような、そこに立たねば何も始まらないような気さえしていた。
 採用試験はまず試験に臨む前に、中尉以上の位にある治安維持部所属者の推薦が必要だった。それも同じミッションに参加したことのある、つまり一度でもその上官の下で戦績のある場合しか認められない。中尉といえば一般兵なら大隊長から中隊長クラス、ソルジャーならセカンド以上だ。
 だがこれは難なくクリアできた。
 丁度半期裁定で大尉に昇進したザックスが間近にいた為、彼に推薦状を書いて貰うことになった。
「ソルジャークリスやヨセフの方が位は上だけど、ホントにオレでいいのか?」
 苦手な書類作りを文句もなく引き受けてくれたザックスは、ペンの柄を噛みながら聞いてきた。
 彼の言うとおり、実際クラウドが手柄を立てた戦いはソルジャークリスやセフィロスの方が同行した回数も多い。だがセフィロスの推薦状では、効果以上に周囲への影響が大きすぎるし、ソルジャークリスとは個人的に接した機会は少なかった。ヨセフは数ヶ月前結婚したばかりで、彼の家に招かれたザックス曰く、ラブラブで目も当てられないのだそうだ。その新婚家庭を邪魔しに行く気にはならない。
「ソルジャークリスなんかお前をすごく買ってるぜ」
 クラウドが首を傾げるとザックスは、知らないのか、と言葉を続けた。
「ウータイの時、ソルジャークリスの代理やったろ? あれ、ソルジャークリスとお前んトコの小隊長の推薦だったらしいぜ」
「…知らなかった」
「ま、部下にはそういうこと言わないもんだよな。で、オレでいいのか?」
「あんたがいい」
 クラウドがきっぱりというと、ザックスは相好を崩して頭を掻いた。
「へへー。可愛い奴め。よし、お兄ちゃんに任せときな」
 『適当』なデスクワークで有名なザックスに任せておくのは危険なので、クラウドは彼の手元を覗き込みながら推薦状を仕上げた。
 推薦状と一緒に受験の申し込み書類を提出し、その後適正テストと筆記試験を受ける。二次審査の適正テストは体力測定や戦闘実技を含む。それに通って初めて最終審査の筆記試験だ。
 筆記はセフィロスの本棚と講義のおかげで、ファースト並みと太鼓判を押された。
 問題は実技である。
 入隊したころより身長もかなり伸びて、体重も増えた。筋力は普段の訓練だけでも十分ついたが、ザックスを相手に一年近く続けてきたトレーニングの成果で、剣を扱うのに相応しい腕や足が完成しつつある。
 だがそれでも、クラウドは神羅軍の中でも小柄な部類だった。ましてや演習場に現れる他のソルジャー志望者と比べれば明らかな差があった。
 入隊して二度目の誕生日を今月迎えたばかりのクラウドは十六、殆どの志望者は十八以上、二年の差は成長期の只中だからこそ大きい。
「実際お前は子供だ」
 不安を口にしたクラウドに、セフィロスはそう言った。
「あんた…意地悪いよな」
 事実だが悔しくて、やりきれなくて、クラウドはその日彼と一言も口をきかずに過ごした。
 クラウドが完全に拗ねモードに入ると、セフィロスはクラウドを放置するか、もしくはベッドに連れ込んでほだそうとする。だがこの時彼は前者を取った。
 そして翌朝起床し、寮に戻ろうとしたクラウドに、セフィロスの方が痺れを切らした。
「お前は何を焦っているんだ」
「焦って悪いか」
「…ガキめ」
 口喧嘩に発展しそうな物言いを互いにしながらも、セフィロスの腕が背に回ると、クラウドも大人しくそれに応えた。
 クラウドは、自分が慰められたいのだと知る。だから怒っていてもその腕を跳ね退けられない。
「お前はまだ成長する。焦るな」
「でも、早くソルジャーになりたいんだ」
「例え今期に採用されなくても、また来年受ければいい。オレが初めて抱いた時より、お前、どれだけ成長したと思ってる」
 実際、今年の初めから身長だけでも四センチ伸びた。
 それでも百九十強はある長身に抱き締められると、完全に仰向かなくては顔も見えない。
「早くならなきゃ駄目なんだ」
「待っててやる」
「…ホントに?」
「ああ、約束する」
「絶対だぞ」
 了承の代わりに抱く腕を強くされ、クラウドは目を閉じる。
 彼の腕の中は心地良い。そして限りない安堵がある。まるで親鳥が雛をその翼で包むような安定感だった。
 だが、クラウドは彼の隣に立ちたい。腕の中は時々でいい。
 守られるだけでなく守りたいのだ。
 与えられるだけでなく与えたい。
 だからこそ、まず採用試験をなんとしても通過しなければと、クラウドの思考は堂堂巡りを繰り返していた。
 月末に受け取った書類審査の通過通知書を広げた陰で、クラウドがこっそり安堵の息をついたのは言うまでもない。
 クラウドの二次審査は始まって二日目の九月一日。
 その日は朝から摂氏三十度を軽く越える暑さで、クラウドは初めてミッドガルに来た日を思い出した。


 演習場の周囲は目張りが施され、受験者以外が立ち入ることも、覗き見ることもできない。一人ずつ会場に入るため、受験者もまた他の候補者たちの演技を見ることはできない。
 控え室になっているロッカールームのベンチで、クラウドは膝についた両手を握り締め、下を向いて集中力を高めていた。
 そうしてまさに祈る気持ちで俯いていたクラウドを、係りの人間が呼んだ。
「三十一番、クラウド・ストライフ!」
「イエッサー」
「入室しろ」
 実技試験の会場は普段の訓練で使用される屋内演習場である。
 自主演習場よりもう少し広くほぼ正方形で、構造は似ている。その片側においた長テーブルに上層部の人間が居並んでいた。
 実技の審査項目は、マテリアとの相性を計るための魔法発動──これは殆どの受験者の魔力が低いため、実際に発動できる者の方が少ないらしい。クラウドもこれまで試みたところ、最下級魔法のサンダーやブリザドを二度唱えると、それだけで力尽きてしまう。発動にも時間が掛かるため『正直言ってまだ実用的じゃない』というのがセフィロスやザックスの意見だった。
 そしてソルジャファーストを相手にした剣と素手での立会いがある。
 剣技こそザックスとセフィロスのおかげで上達した。だが素手での格闘となると、未だにザックスには軽々と投げ飛ばされる。セフィロスに至っては掴ませてくれたこともない。試験での相手のソルジャーがどんな人物かはわからないが、少しでも小柄であることを祈るしかない。
「第一軽装歩兵師団、第一大隊第一小隊所属、一般二等兵クラウド・ストライフ。よろしくお願いします」
 靴の踵を合わせ、敬礼した。
 審査員の席にはまたもや赤いスーツを着たミズ・スカーレット、それに見たことも無いスーツ姿の中年が二人、それに研究者らしき白衣の男が一人、それにソルジャークリスと並んでセフィロスの副官をよく務める、ソルジャーミシェル。ミシェルはグラスランドエリアに出撃した際、部隊の副隊長だったソルジャーであるから顔を覚えていた。他にソルジャー一名の計六名。
 普段通りすがりであれば気に掛けないだろう人物に妙な威圧感を覚えるのは、クラウドの気分の問題なのだろう。
「若いな」
 最初に口を開いたのは白衣の男だった。
 色白で顔色が悪く、伸ばしっぱなしの髪を後ろでひとつにくくっている。厚いレンズ越しの双眸はまったく意思を読ませない。
「ストライフ、君はもう十六になったんだろう」
 今度はスーツの男だった。
「はい。先月に」
「ふむ。では規定に準じているということで、試験を始めていいかね」
 スーツの男はクラウドにではなく、最初に言葉を発した白衣の男の方に向いている。
「宝条博士」
 宝条博士と呼ばれた男が小さく頷いた。
「では最初にマテリアだ。武器を取って」
 審査員たちのテーブルとクラウドの間に置かれた台の上に、何振りかの剣──もちろん刃を潰したものだが──置いてある。クラウドは進んでそこから練習でいつも使っていたものと近い形と長さの剣を取った。
「魔法を試したことは?」
「訓練でサンダーとブリザド、それにケアルを使用しました。召喚魔法は発動できませんでした」
「ではサンダーを。制限時間は三十秒、標的は右側の人形だ。無理をするとこの後の実技に響くから、そこの所をよく考えて」
「イエッサー」
 脇に立っていた係りの兵士が進み出て、クラウドに緑色のマテリアを手渡した。
 クラウドがそれを武器のマテリア穴につけるかつけないかの内に、スーツの男が手を上げた。
「はじめ!」
 クラウドは足を少し開いて剣を挙げ、横にした刃に左手を置く。セフィロスの指導で何度も試した結果、一番集中しやすい姿勢だった。
 マテリアの魔法発動は呪文を必要とする訳ではない。集中力を高め、マテリアからイメージを受け取る。その精神集中のために呪文を唱えることが有効な時もある。
 そう言ったセフィロスの言葉を思い出し、クラウドは落雷のイメージを思い描く。
『サンダー』
 声には出さず、僅かに唇を動かして唱えた。
 次の瞬間、足元から物凄いスピードで魔力が這い上がるのが分かる。
 地からのエネルギーがマテリアを通して中空に集まる。それが単なるイメージなのか、それとも物理現象として存在するのかはクラウドには分からない。
 目を開き、標的の人形を確認して放出する。
 パンと弾けるような音が耳元をかすめ、同時に人形が千切れ飛んでいた。
 クラウドは審査員の方に振り返った。彼らは人形を凝視しており、その目前を人形の中に詰められていた綿のようなものがふわふわと舞っていた。
「時間は?」
 監督官のソルジャーミシェルの呟きで、ストップウォッチを持っていた男が慌てて時計を止めた。
「えー、ちょっと止めるのが遅かったか…。十一秒九」
「だるさを感じるか」
 宝条博士がいきなりクラウドに問う。嫌な視線だったが黙って首を振った。
「一度きりならなんともありません。二度続けると力尽きます」
「魔力は高いようだな。相性もいい。潜在能力も期待できるかもしれん」
 博士の独白を聞いて、審査員たちが審査の結果を書き込み始めるのを見つめながら、クラウドは心の中で笑みを浮かべた。
「では、次。マテリアを外して。剣はそれでいいか」
「はい」
「右の白線に立って。次は誰が相手をするんだったかな」
 マテリアを返し、クラウドが言われたとおり白線の引かれた場所まで移動している間に、奥の扉からファーストの制服をつけたソルジャーが現れた。
 ソルジャーはクラウドと対面する形に間を置いて立った。
「よう、クラウド」
 呼びかけられて慌てて顔を上げると、よく見知った顔があった。
「ソルジャーヨセフ」
 彼はザックスと共によく自主練習場で会い、ウータイ遠征の際も同じ部隊で戦い、仕事を離れて酒場へも行ったファーストソルジャーである。
 一瞬躊躇したものの、彼はザックスより一、二センチ低い程度の長身で、体重も同じくらい、ファーストの中でも屈強な体格である。
 どちらかといえば魔法向きの体質だと、彼自身が言っていたが、それでもウータイ戦の前に剣を合わせた時は、ザックスやセフィロスと同様に、小手先で弄ばれるような状態だった。
 あれから上達はしているが、彼とはそれ以来剣を合わせていないから油断できない。
 クラウドはふいに湧き上がる緊張と、不思議と高まっていく闘志に、剣を握る掌へ力を込めた。
「言っておくが手加減はしない。本気でかかれ」
 ヨセフの童顔はいつも優しげだが、この時ばかりは違った。魔晄の目が闘気に反応して光る。気弱な人間であればそれだけで竦む。
「制限時間は十分。剣を落としても時計は止めない。そのまま素手でかかってもよし。ソルジャーの剣を奪うか、一本取ることを目標に」
 スーツの男の事務的な説明に、クラウドはかろうじて頷くことで応えた。
 すでに戦いは始まっている。視線を外せば負けてしまうような気さえした。視界が狭くなり、審査員たちが意識から消えた。
 何か有効な攻め方を思い出そうとした脳裏に、セフィロスの顔が浮かんだ。そして今まで散々協力してくれたザックス、故郷の母と幼なじみの顔も。
「では、はじめ!」
 掛け声と同時にクラウドは、対するヨセフと彼の持つ剣だけに完全に集中した。
 ヨセフの動く気配を察知できなければ、思う通りに自分の身体が動かなければ、一撃で負けると本能が告げる。

 「力が入りすぎている」
 クラウドの剣を握る手をセフィロスの大きな手が止めた。
「いつでも、どんな動きにも対応できるように力を抜け。今力んでいると瞬発力が出ない」
「力を抜くって言っても…」
 困惑するクラウドの肩に両手を置き、セフィロスは一旦剣を下ろさせた。
「脱力しろ。息を吐け」
 剣先を地面につけ、深呼吸をしてからもう一度剣を持つ。息を吐いてからセフィロスを覗うと彼は黙って頷いた。
「オレが入れる時と同じだ。力んでいると怪我をする」
「……マジメにやってるのに、何言い出すんだよ」
「大真面目だ」
 何度か頭を振って雑念を追い払い、もう一度深呼吸。
 ふっと剣が軽くなったような気がして目を開き、セフィロスを見た。
「オレの言うとおりに瞬時に動け。右といったら右から、左下といったら左下から、オレの剣を受けると思って動け。余地があれば正眼に戻す。今の状態を忘れるなよ」
 頷いて、クラウドは構えた。

 『右』

 ヨセフの足が動いた途端に頭の中に声が響く。
 無駄な力を抜いたクラウドの身体は思うとおりに反応した。
 ギンと大きな音の後、肘まで痺れるような加重があり、クラウドは足を外側へと開くことで堪えた。
 間近にヨセフの顔があった。驚いたような顔をしている。
「……お前」
 彼には口を開く余裕すらあるようだが、クラウドは彼の剣の重さと押す力に耐えることだけで必死だった。
 押し返しながら後ろに飛び退き、剣先を正面に戻して息を吐く。
 クラウドが退いたと同じだけ、ヨセフも下がって剣を構え直した。
「止めやがった」
 呆れたようにヨセフが言った。
 クラウドは一度唇を噛み締め、直ぐに呼吸を保とうと口を開いた。
 間髪入れずにヨセフの足が前に、
『左上』
『右下』
 速いと思う暇もない。彼の動きについていくのがやっとだった。
『正面』
 斬撃が続けば続くほど、クラウドの僅かな遅れが後の動きに影響して余裕がなくなる。
 受けた剣を弾いて再び間合いを取った。
 構えなおした剣を握る掌がびりびりと痺れている。
 だがセフィロスの剣を受けた時は、クラウドは柄を握っていることさえ出来なかったのだ。

 「正面から相手の力を全て受ければ、早く疲れる上に、お前の筋力が負けるのは当たり前だ。水の流れを正面から受ければ、飛沫は高く上がるだろう。相手の力の流れを読め。受け止めるのではなく、受け流せ」
「どうしたら『流せる』のかが分からない」

 『受け止めずに引く。後ろへ下がるんじゃない、基本は横へ横へ動けばいい』

 右から来たヨセフの剣を流し、クラウドは右前に動いた。
 がら空きになった彼の側面に動き、引いた剣を上へと跳ね上げたが、これは止められた。
 立ち合いを始めてから、ヨセフの動きは段々とコツを掴んだように滑らかに、無駄がなくなっていくのが分かる。それに反比例してクラウドの余裕は奪われていった。
 剣先が絡んで火花を散らす。
 退いたクラウドを追いかけてヨセフの剣が突き出された。身を沈めて切っ先を紙一重でかわし、左へ転がった。
 立ち上がり際にもう一撃が頭上から降りかかり、横にした剣のみねを左手で押さえ、両手の力でなんとか止めることが出来た。クラウドの額から数センチのところに、ヨセフの剣の刃がある。押し返そうと渾身の力を込めても、それはぴくりとも動かなかった。

 ザックスの剣を受け止めて必死に堪えるクラウドは、彼の足が自分の方へ向いたことに気付かなかった。踏ん張っている片足を掬われて、あっという間にバランスを崩して、クラウドは無様に床に転がった。
「卑怯だ!」
「バーカ。戦いに卑怯もクソもあるかって」
「足使っていいなんて訊いてないぞ!」
「じゃ、今から素手アーンド足攻撃アリ」
 ザックスはクラウドに手を貸して引き起こし、跳ね上がった髪を抑えるように叩いた。

 『使える手は何でも使え。これはスポーツじゃねぇんだからよ。…ま、練習だからアソコは勘弁な』

 クラウドは受けていた剣を身体ごと引いた。体重を掛けてクラウドを押していたヨセフはわずかにバランスを崩す。尻を床に預けて足を伸ばし、両足をヨセフの膝下に掛けて引くと、彼もまた尻餅をつくように床に転がった。
 そこに飛び掛ったクラウドは、彼の腹部を挟むように身体を乗り上げ、剣を振り下ろす。
 だが早くも立ち直ったヨセフは、剣を持たない左手だけでクラウドのその腕を掴んで止めていた。
「甘い。力じゃオレのが上だっての」
 右手首を掴んだ彼の腕にクラウドは左手を掛ける。太く、掴みきれない彼の腕に効果的な抵抗すら出来ず、クラウドは唸った。
 ぎりぎりと締め付けられる手首が悲鳴を上げた。
 剣を持つ手から力が抜ける。だがそれを離してしまえば、只でさえ格闘は不利なクラウドにもう勝ち目はない。
 気力だけで剣にしがみつきながら、クラウドは必死に考えた。
 目標はソルジャーの武器を奪うことだ。ヨセフがまだ床についた右手に剣を握っていることを、視界の端で確認する。
 クラウドは左足の膝を持ち上げ、伸ばしたその足でヨセフの右腕を踏みつけた。
 後から上官の腕を踏んだと青くなったクラウドだが、この時はそんなことに構ってはいられない。
 体重をかけると、さすがにソルジャーといえど、仰向けに寝た状態からクラウドの足を払いのけることは無理なようだった。右腕を封じたのはいいが、クラウドもまた動けない。両手は塞がっているのだ。
 暫くその状態で硬直していたが、突然クラウドの手首を掴んだ左手が外れた。
 反撃のチャンスかと思われた剣を持つ手が、長時間の拘束で痺れ、まったくいうことをきかない。その内に、外れたヨセフの左手が今度はクラウドの右足を払っていた。
「うわっ」
 唯一地についていた足はヨセフの腕の上で、とても安定がいいとはいえない。身体を起こすと同時に更に左足を持ち上げられ、クラウドは後ろにひっくり返った。
 身体が宙に浮いたようだった。
 そして背中に何かが当たる感触。
「そこまで!」
 立ち合い終了の声に、クラウドは力尽きた。
 目線を動かして確めれば、右足首を掴まれ、クラウドの身体は逆さに吊り上げられている。ヨセフの剣はクラウドの背後に押し当てられており、実戦であれば狩られた獣のように捌かれていただろう。
 ヨセフが声を立てて笑い、クラウドの足の間から覗き込んで来た。
「強かった。でもお互いあんまり華麗じゃあなかったな」
 クラウドの口からも乾いた笑いが洩れた。
「お前、本気でオレに勝つつもりだったのか」
 無言で頷く。
「そりゃあ無理だ。ま、ソルジャーになったらライバルになってやるよ」
「いえ、ライバルはもういるんです」
「ザックスか?」
「……ええ、まあ」
 セフィロスと答えそうになって、クラウドは慌てて言葉を濁した。
「終わりだ。下ろしなさい」
 割り込んだ声はスーツの審査員だった。試験中であることを二人とも忘れていた上、会話する間ずっと逆さ釣りのままだったのだ。
 クラウドは床に両手をついて降り、ヨセフに一礼してから剣を拾って審査員の前に移動した。
「ご苦労。いい結果で大変満足だ」
「ありがとうございます」
「この後本社の研究室で体力測定を行う。係について別室で待機して」
 踵を揃え、敬礼をしてからクラウドは演習場を出た。
 ヨセフには負けたが、クラウドの口元には笑みがあった。


 別室で待たされた受験者は、クラウドの前後番号の数名を合わせて二十名ほどの団体で、小型バスに押し込められ、本社ビルへ向かった。
 なぜ体力測定ごときで本社に移動する必要があるのかと疑問に思っていると、クラウドたちは上層専用のエレベーターで、普段兵士が立ち入ることが出来ない六十七階の科学研究所まで連れてこられた。
 様々な計器が所狭しと並ぶ研究所は、階下の華やかな神羅ビルの様相とは全く雰囲気が異なり、強い消毒薬の匂いが立ち込めている。
 以前これと同じ匂いを兵舎の医療室で嗅ぎ、セフィロスが緊張したのを思い出していると、まさにその彼が、エレベーターホールの脇の壁に寄りかかって立っていた。
 彼は各部門の統括たちと肩を並べる地位にあるのだから、ここにいても何の不思議もないのだが、彼が恐らく嫌っているのだろうこの匂いの中にどうして立っているのかが疑問だった。
 セフィロスの存在に気付いた受験者たちがざわめいた。
 受験者の殆どが、この神羅の英雄に憧れてソルジャーを目指していると言ってもいい。だからこそ、注目度は限りなく高い。
「ソルジャーセフィロス、どうしました?」
 受験者を迎えに出て来た研究者らしき白衣の女性が、まずセフィロスに気付いて声を掛けた。受験者たちも何故彼がここにいるのか、好奇の聞き耳を立てている。
「宝条がソルジャー候補の検査をするというので、来た」
 クラウドはセフィロスの口から、あの暗い博士の名が出たことに驚いた。
「ご心配ですか」
 女性研究員は苦笑まじりに訊く。
「当たり前だ。何をたくらんでいるのやら」
「ただ魔晄の順応検査をするだけですよ。よろしければご同席ください」
「勧められるまでもない」
 先に立って歩くセフィロスを研究者は溜息をついて見送り、そして我に返ったように受験者たちを促した。
 少し奥に入った部屋は、周囲こそ雑多なものが並べられているが、中央が広く空き、診察台のようなものが幾つか置いてあった。
「ソルジャー候補の皆さん、これから体力測定と魔晄照射の順応検査をします」
 一瞬受験者たちがざわめいた。
 ソルジャーの施術に魔晄照射が用いられることは誰もが知っている。ソルジャーの持つ青緑色の瞳は、それによる副作用の結果である。
「御存知のように、ソルジャーは魔晄照射を行いますが、同じだけ照射してもどれだけ効果があるかは個人差があります。それにこれまでに数名、魔晄の不適合で強度の急性魔晄中毒症を発症した例があります」
 またざわめきだした受験者を、彼女は事務的に静まってと制止して、さっさと話を続けた。
 化粧気のない顔だが、顔立ちは若く、明るい色の髪が美しい。とても研究者には見えない女性だ。セフィロスとも顔見知りのような慣れた態度であったし、見かけ以上に長く勤めているのかもしれないとクラウドは思った。
「発症してからでは遅いでしょう? そのための検査ですから危険はありません。これをしたからソルジャーになるということももちろんありません。ただ検査直後は軽い眩暈や吐き気を感じる場合があります。数時間放置すれば直りますから、気分が悪くなったらむやみに薬を飲んだりせず、とにかく安静にすること。質問は?」
 子供にものを教えるように、彼女は早口で受験者に言い聞かせる。
「質問がなければ早速検査に移ります。まず上半身は脱いで、IDやアクセサリーは外して、そちらで受験番号順に身体測定を受けてください。人数が多いから急いでね。終わったらこっちの診察台に寝て。こちらの検査も五分程度で終わりますから。じゃ、よろしく」
 さっさと説明を終えて、彼女は離れた場所にある診察台の横に歩いていった。
 受験者たちは言われた通りにするしかない。少なくとも前日の受験者は同じように検査を受けたのだから、今更引く訳にもいかないのだ。
 クラウドも他の兵士に倣って、上着とシャツを脱ぎ、受験番号の書かれたダンボール箱にIDタグやピアスと一緒に放り込む。そして係りの者に預けて検査待ちの列に並んだ。
 診察台の横の壁に寄りかかって、セフィロスがこちらを見ていた。
 何か考え事をしたり、不満がある時の表情だ。それがそうと分かる人間は少ないだろうが、さすがにクラウドはもうセフィロスの気分くらいなら量れるようになっている。
 彼から伝染したかのような不安に襲われたが、クラウドはとにかく指示されるとおりに血液を採取され、肺活量や筋力の測定を受けた。
 番号の早い者は既に診察台に寝て、心電図のような計器にあちこちを繋がれている。そして女性研究員が合図すると、頭上から不透明のカプセルのようなものが降りて来た。
 日焼けに使うタンニングライトに似ている。
 診察台をすっぽりと覆うような白いカバー状のそれが受験者に被せられ、暫くすると僅かな隙間から緑色の光が洩れてきた。時間にして二、三分、カバーが上がっても、中に寝ている受験者に変化は様子もない。
 体力測定を受けながらそちらを気にしていた受験者たちは、みなこっそりと安堵の息を吐いていた。まるで子供の予防接種のようだ。
 クラウドも測定を終え、順応検査の順番を待っていた。
 セフィロスがまたこちらを見ている。
 上半身は完全に裸なので妙に視線が気になったが、彼のそれに好色な気配はない。むしろその様子に不安が増す。
 緊張を紛らそうとクラウドが周囲に置かれた用途不明の計器やカプセルを眺めていると、エレベーターホールの方から宝条博士がやってきた。
 その容貌からここの研究所の人間であることは予測できる。だが実技試験の審査はどうしたのだろうと思っていると、宝条博士は壁際に立つセフィロスに気付き、ゆっくりと彼に近寄っていった。
「久しぶりだな」
 博士の言葉にクラウドは少なからず驚いた。
 セフィロスが嫌う薬品臭は、やはりこの場所を連想させるからなのだとはっきりしたからだ。
「久しぶりでも見たくない顔だ」
 セフィロスの声は皮肉どころか、関係を否定するような冷たいものだった。クラウドには一度として向けたことのない声だった。
「そう言うな。検査を見に来たのか」
「ああ」
 いつも話す相手をじっと見るセフィロスが、今は自ら視線を反らせ、まるで博士の姿を視界から排除しようとでもいうようだった。セフィロスは相当この陰気な博士が嫌いらしい。
 そんな様子を眺めている内に、クラウドの順がやってきた。
 診察台に横になったクラウドへ研究員が二人掛かりで計器を繋ぎ、あっという間に上半身は吸盤だらけになる。手首と足首にも巨大な洗濯バサミのようなものをはめられた。ディスプレイを眺める女性研究員は、ただ事務的にそれとクラウドを交互に見ていた。
「カバーが降りたら、いいというまで目を開けないこと」
「はい」
 味気ないシャンデリアのようなカバーが軽いモーター音と共に下りてきた。
 クラウドは目を瞑った。
 一瞬セフィロスの視線を感じたが、確認する間はなかった。
 がちりとロックのはまる音がしたと同時に、瞼を透かして緑色の強い光が照らした。
 電灯と違い熱さは感じない。体温にほど近い。温かな、まるで母親の胎内にいるような気分だと、覚えてもいないことを思った。
 だがそろそろ終わりかと思った頃、クラウドは突然身体を何かが駆け抜けていく感覚に息を飲んだ。
 脳裏を様々なイメージがよぎる。怒涛のように次々襲い掛かるそれは具体的な映像でなく、声に似ていた。それも叫びなのか囁きなのか、喜び、戸惑い、怒り、悲しみ、全ての感情を一度にぶちまけたような───訳の分からないもの。
 悲鳴を上げそうになってクラウドは唇を噛んだ。恐ろしくて、何かにすがりたかったが、カプセルに閉ざされた中で掴めるものは自分の掌だけだった。爪が食い込むほど握り締め、歯を食いしばる。
 我に返るとカバーが上がり始めていた。
 冷や汗が空気に触れて乾いていく。寒かった。
「統括、来てください!」
 女性研究員の声に目を開けると、クラウドの視界は歪んでいた。瞬きしても直らない。
「これ、どう思います?」
 歪む視界の中に陰気な博士がいた。彼はディスプレイを睨むように覗き込んでいる。
 研究員が彼を『統括』と呼んだことで、クラウドは漸く宝条の名を思い出した。
 科学開発部門統括。つまりハイデッカーと肩を並べる、部門のトップである。
「うむ。珍しい。…やはり若いからか」
 独り言のようにぶつぶつと唱える博士の言葉に、クラウドは朦朧とした意識の中で不安を掻き立てられた。
 この順応検査で悪い結果が出れば、どんなに実技審査が良くても不合格になるかもしれないとやっと気付いたのだ。女性研究員は『軽い』症状があるかもしれないと言ったが、これはそんなものではない。
 クラウドはなんとか意識を正常に保とうと首を振った。
「反応過多だな。いいサンプルだ。記録したか」
「もちろん」
「じゃあ、もういい」
 宝条博士は途端に興味を無くしたように診察台を離れた。
 クラウドも早くこの台から降りたかった。とにかく乗り物酔いを数倍酷くしたような気分だ。
 研究員が計器を外し、クラウドは上半身を起こした。
 その目の前にセフィロスが壁から背を離して立っていた。
 その姿がぶれる、強烈な眩暈。
「あなた…!」
 診察台から落ちかかったクラウドを女性研究員が支えた。視界が暗くなって、血が足元へ下がっていく感覚があり、クラウドは必死に診察台の縁に縋った。
 だが指が縁から離れた。ふわりと浮き上がったと錯覚するのは、診察台から落ちたからだろう。
「クラウド」
 耳元で呼ぶ声にクラウドは目を開けた。間近に秀麗なセフィロスの顔があった。
 落ちたのはセフィロスの腕の中だったらしい。多分気を失ったのは二、三秒間。
「寝かせる場所は他にないのか」
「診察台は検査に使うから困ります」
 研究員の答えを聞くか聞かないかの内に、セフィロスが歩き出す。
 まだ朦朧とした意識の中で、受験者たちの多くの視線を感じた。
 自分もクラウドのようになりはしないかという不安、それに羨望、蔑み。セフィロスに抱き上げられているという状況は、平時のクラウドであれば最も他人に見られたくない姿だ。セフィロスはそれに頓着せず、エレベーターホールに向かっている。
「セフィロス。その少年と知り合いか」
 声は宝条博士のものだった。
 奇妙に甲高い声がクラウドの精神をさらに毛羽立たせる。
「だったらどうした」
「それは珍しいな。お前がそんな一兵卒に興味を示すという事実が、だ」
「オレの生活だ。貴様には関係ない」
「お前の生活…? それは余計に興味深いな」
 宝条博士は押し殺したように笑う。
 セフィロスが彼を嫌う理由が、クラウドにも少し分かったような気がした。苦手な虫や両生類を傍に置かれたような明確な嫌悪感がある。
 クラウドは力の入らない手でセフィロスのコートの襟を掴んだ。
「もう検査は終わったな。これはオレが預かる」
 陰気な博士の前から退いたセフィロスの腕の中で揺られ、暫くしてエレベーターの動く感触が伝わってくる。どこかに運ばれている。
 エレベーターを降り、彼が向かう先はどこなのだろうと思っていると、事務所のような小部屋に入った。
 広い窓を背にしたデスクとシンプルなソファセット。
 初めての場所には、よく知った匂い。
「オレの部屋だ」
 恐らく上層階の治安維持部フロアにあるセフィロスの執務室なのだろう。
 意外なほど丁寧に降ろされ、クラウドはソファに横たわった。
 強烈な頭痛が続いている。吐き気も治まらない。なにより眩暈で視界ががくがくと地震のように揺れている。
「ここで少し休め。仕事が終わったら家に連れていく」
 セフィロスはそう言ってクラウドの額を撫でると、デスクに戻っていった。デスクの目の前に据えられたソファからはセフィロスの顔が良く見えた。
 気分は最悪だが、クラウドはそれだけで吐き気の引いていくような安堵を感じていた。
 宝条博士の気になる言葉を振り切るように、何とか眠りを得ようと目を瞑った。
 だが身体は疲れているはずなのに眠りはなかなかやってこない。
 そしてやっと得た浅い眠りの中でも、クラウドは現実により近い、酷い悪夢を見た。


 どれくらい時間が経ったのだろう。
 窓の外は素晴らしい夜景が広がっていた。
 それが見えるのも、デスクで仕事をしているセフィロスが部屋の明かりを点けず、デスクに置いた小さなスタンドライトだけに光量を落としているからだろう。クラウドの眠りを妨げまいと、灯りをしぼってくれているらしい。ソファに横たえた身体にはきちんと制服が着せられ、IDやピアスも元通りに着けられていた。
 眠っている間に彼がそうしてくれたのかと思うと、沸き上がる嬉しさを口の中で噛み締め、同時に眠りにつく前の顛末を思い起こして、クラウドは息を吐いた。
 口の中が苦い。
「起きたのか」
 セフィロスはデスクについたままクラウドを見ていた。
 彼はよくその言葉を口にする。クラウドが目を覚ます時、彼が近くで起きていることが多いからだ。
「オレ…」
「記憶は飛んでないな」
「うん。ちゃんと覚えてるよ」
「そうか」
 静かに答えて書類に目を戻すセフィロスの、長い睫毛を見つめる。
「オレ、ソルジャーになれないのかな」
 核心の言葉を口にしながら、クラウドの心は酷く乾いている。
「あの博士が言ってた『反応過多』って、そういうことだろ?」
 セフィロスは黙っている。
 書類からも目を離さない。
「なあ…」
「お前の検査データが出ている。通常の数十倍の数値だ」
 事実はわかってもそれが何を意味するのか、クラウドには分からなかった。
 黙っているクラウドへ視線を上げ、セフィロスは溜息をひとつ漏らした。
「一定の魔晄照射に対する反応値だ。若い人間は比較的反応過多の傾向にあるが、お前はその中でも特に強い」
「反応値って、具体的に何なんだよ」
 セフィロスは立ち上がり歩み寄ると、クラウドが横たわるソファの端に腰を下ろした。彼の見下ろす視線は真剣だった。
「魔晄照射はソルジャーの肉体改造の一環だが、主に魔力の増強に有効だ。ある程度の魔晄を浴びれば、格段に能力が上がる。だが中にはその照射量に耐え切れない人間もいる」
「それが、オレ?」
 セフィロスは頷いた。
「もしお前がソルジャーの施術を受けて、ソルジャーのレベルまで能力を引き上げる魔晄を照射されたとする。少量でも敏感に反応するお前は、そんな大量の照射を受ければ、精神破壊を起こす可能性が高い」
 クラウドは音を立てて唾を飲み込んだ。
「精神、破壊って…」
「脳や脊髄を損傷して、植物人間になることがあるだろう。あれに近い。魔晄照射で体機能を奪われることは殆どないらしいが、記憶や言語中枢を根こそぎ損傷する。つまり、ココがやられる」
 セフィロスは指先で自分のこめかみを叩いた。
「これまでに数名例がある。俗に魔晄中毒と呼ばれる。ソルジャーの施術に失敗した者だけでなく、事故で魔晄炉に落ちた者もそうなった記録がある」
「なんで…そんなことに」
 指先の震えが止まらなかった。
「優秀な魔晄の研究者も魔晄の全てを解明してはいないが…魔晄を浴びると知識が流れ込んでくる。お前も先程分かったろう。雑多に混じった感情が、脳や身体の中を駆け回るような、あの感じだ」
 クラウドは先程の検査で覚えた感触を思い出し、頷いた。
 まるで見知らぬ大勢の人間が、頭蓋へ土足で踏み込んでくるようだった。
「あれに耐え切れば、様々な知識が得られる。そして魔晄がヒトの中に眠る能力を引き出し、強化される。だからこそソルジャーはヒトより強い。だが、堪えられねば壊れる。オーバーヒートするようなものだ」
「じゃあ…」
 クラウドはセフィロスのコートに両手でしがみ付いた。
「じゃあオレはソルジャーになれないんだ。それが体質だっていうなら、何度試験受けても無駄ってことなんだ」
「年齢を経れば、体質が変わることもある。元々若い人間は統計的にも反応過多になることが多い。だが」
 セフィロスは目を伏せ、襟元を掴むクラウドの両手首を握り締めた。
「もしお前が年をとって検査を通過できたとしても……オレは反対する」
 クラウドは目を見開いた。
 セフィロスはあの時以来、クラウドがソルジャーになることを止めなかった。むしろ協力的だったと言っていい。
 その彼がなぜ今更反対するのか。疑問には彼自身が答えた。
「強度の中毒症を発症すれば、何も分からなくなる。身体の機能を失うんじゃない。お前がお前であるべきものを全てなくすんだ。そんなものに賛成できるはずがない」
「でもっ、あんたはオレがソルジャーになるの、許してくれるって言ったろ」
「単なる記憶障害とは訳が違う。習慣記憶すら失う。一生苦しみ、周囲で呼びかける者の声も聞こえない。しかも皆短命だ。そんな状態になる可能性が高いというのに、むざむざお前にそんな肉体改造を試させる意味はない」
 断定的なセフィロスの答えに、クラウドは掴まれた腕を震わせた。手首を易々と掴み取る掌は冷たい革の感触で、その中にある彼の温度を感じ取れない。
 まるで無機質なロボットのようだ。
「あんたにはなくても、オレにはあるんだ」
 まだ痛みの残る頭を腕と一緒に振って、拘束する手を振り払った。自由になった掌で自分の顔を覆い、唇を噛み締めた。
「オレは一生追いつけないのか? あんたの背中をいつも遠くから眺めているだけかよ」
「近くにいればいい」
 彼の答えにも首を横に振る。
「近くにいて、それでどうするんだよ。一生あんたの足手まとい? いっつも守って貰うだけ? それならなんの為に傍にいるんだよ!」
 顔を上げて睨み付けたセフィロスは無表情でクラウドを見下ろしている。
 彼はいつもそうやって感情を隠していながら、クラウドを庇護する親鳥のように無言で包み込む。なんの見返りも求めず、ただそうしている。
 最初は気分が良かった幸せだと思っていた。
 だが気付けばクラウドはそれに何も返せない。
 彼に口先の言葉は通用しないと言っていい。そしてそれ以外に気持ちを現す手段は少ない。
 結局クラウドは何も出来ない。彼の腕の中でぬくぬくと過ごしているだけだった。
「嫌だ。嫌だ……オレ」
 よろめきながらも立ち上がり、クラウドは戸口に向かった。戸にしがみ付いて身体を支え、まだソファの横にいるセフィロスを振り返った。
「オレ、あんたの、何?」
 一番確認したくなかった言葉だった。
 日々の雑多な生活に阻まれているのをいい事に、クラウド自身が直視を拒んでいた問いだった。それでもクラウドは口にした。
 膨れ上がった熱いものが目尻から零れ落ちる。
 彼の前では絶対に泣きたくなかったのに、クラウドは堪え切れなかった。
「隣にいるのに、あんたはやっぱり遠い。ソルジャーになる以外、近寄る方法なんてオレは知らない」
「クラウド」
 制止の声を無視して、クラウドは部屋を飛び出した。



 神羅ビルからどう歩いたのか全く覚えていなかった。
 見知らぬ通りだということは分かる。だが見覚えのある場所に出ようという気力もない。
 ずっと続いている頭痛は一向に良くなる気配がなく、余りの疼痛に時折吐き気もする。頭から血が引いているのはクラウドにも自覚があった。
 昼間は苛酷な残暑で生ぬるい気温だったというのに、日が落ちて随分涼しくなった。おまけに霧雨まで降っている。
 まだ人通りのある道は帰宅中のサラリーマンが行き交い、ふらふらと歩くクラウドを気味悪そうに避けていく。クラウドは彼らの波から外れて、細い路地に入ったところのコンクリートの壁に肩をつき、立ち止まった。
 安っぽいテレビドラマみたいだ、と独り言を呟いていた。
 夢に破れた主人公が町を彷徨い、雨が降ってきてずぶぬれになる。そこに大事な人が現れて傘を差しかけてくれるのだ。
 自分の発想に苦笑を漏らして、クラウドは俯いた。
 テレビドラマならば主人公は挫けず再び夢に向かって、最後には必ず成功する。
 だがクラウドには再度挑むチャンスも与えられない。
 そしてドラマの主人公ように、夢の為に全てを捨てることはクラウドには出来なかった。
 自分がセフィロスを忘れることなど、選べるはずがない。その可能性が高いというセフィロスの言葉通り───いや、可能性が低くてもクラウドは決断できないに違いない。自分が何もわからなくなって、彼にも見捨てられ、一人死に絶えていくなど、考えたくもない。
 そんなに強くない。本当は彼の腕の中で甘えていたい。
 悲しいのに、泣いてしまいたいのに、あれきり涙が湧く様子はなかった。ただ胸と咽喉に何かがつかえたような苦しさがあるだけだった。
 クラウドは胸を押さえ、暫くそうしていた。
 そしてふと自分を街灯の光から遮る影に気付く。
「クラウド」
 訊きなれた声に顔を上げ、そこに見慣れた顔を見つけた。
「なんで…あんたなんだよ」
 いつもは尖っている髪が水を吸ってうな垂れ、トレードマークの笑顔は欠片もない。
「何言ってんだ、ボケちまったのか」
「ザックス。どうして?」
「セフィロスから電話があった」
 クラウドの目の前に立ったザックスは、湿った髪をかき上げる。
「自分が行ってもきっと逃げるから、オレに捜してくれってよ。セフィロスに来て欲しかったのか?」
 友人を見上げた首を横に振る。
「話は聞いた。だけど同情は出来ない。もうソルジャーなっちまったオレに、今のお前を同情する資格はないからな。でもな…」
 大きな手が伸びてクラウドの髪を軽く掴み、ザックスは言った。
「オレもお前に生きてて欲しい。お前と喋ったり、遊びに行ったりしたい。楽しいことあってもお前だけ分からないなんて状態、オレはごめんだ。絶対」
 鼻の奥がつんと痛んだ。
 胸や咽喉につかえていたものがせり上がってくる。
「セフィロスだって、オレと同じ気持ちだって分かってやれよ。クラウド、お前には分かるんだろ?」
 声が漏れそうになって引き結んだ唇は、意思に反して勝手に歪んだ。
 嗚咽が小さく溢れると、もう抑えられなかった。
 慟哭し、ザックスの胸元に顔を突っ込む。
 小雨に隠すのは無理だろう涙が首まで伝った。
「まったく…泣きつく相手、間違えてんじゃねえか」
 ザックスの手が髪を掴み、乱暴なくらいに揺さぶられる。
「泣け。泣いちまえ。お前はいつも独りでグチグチ考えすぎなんだよ」
 広い胸を八つ当たりに拳で何度も何度も叩き、顔を押し付けた。
「忘れたく、ないよ! そんなこと、オレ、出来ないよ!」
 わあわあと言葉にならない声で喚き、崩れる身体をザックスの腕が支える。
 いつもそうしていた男とは違う腕でも、縋りつかずにはいられなかった。
「でも、強くなって、対等に、なりたかった! セフィロスにも、あんたにも、誰にでも、顔を上げてられるように、ソルジャーに。オレは……」
「お前、可愛い顔してるくせに、男だな。ホント」
 言い様に腹が立って見上げた友人の顔は、とても嬉しそうに笑っていた。
 睨み付けようとしたのに、クラウドは意気を失い余計に顔が歪む。
 ザックスは更に笑みを深めた。
「パーになっちまうって分かってソルジャーあきらめたからって、誰もお前を責めやしねえよ。強くなる方法は他にもあるかもしれないだろ。今からそんな悲観的になるなよ、馬鹿」
 髪を撫で、背中を叩く掌を感じながら、クラウドは捨て置いてきたセフィロスの、最後に見た顔を思い出す。
 例え魔晄に耐えられない身体だと知らなくても、彼が本当にソルジャーになってほしくないと言うなら、今のクラウドならば彼の傍にいるために諦めただろうと思う。
 しかし事実が判明した現在そう思うのは、それが本当にセフィロスのためなのか、それとも自分の臆病への言い訳なのか、クラウド自身にも分からなかった。
「帰ろうぜ。シビレ切らしてる奴がいるからよ」
「今は、会いたくない」
 それが誰を指すのか、もちろんザックスには分かっているだろう。
 強情だな、とザックスは呟いて渋い顔をになった。
「電話、するから」
「じゃあ、今すぐ掛けな。そんで寮に戻ろうぜ」





 電話を掛ければすぐに出るだろうと思ったセフィロスは、思惑に反して捕まらない。何度か掛けなおしても、ずっと圏外のアナウンスが流れているだけだった。
「なんかあったのかな」
 不審に思いながらも寮に戻ったクラウドとザックスは、寮のエントランスホールで奇妙な慌しさに出会い、顔を見合わせた。
 時間は既に十時を回っている。普段であれば数名が談話室に集まって、他は各々の部屋で寛いでいるくらいの時間である。
 それが今はわいわいと賑わう談話室、その前の廊下を慌しく行きかう兵士たち、戦闘服を着たソルジャーも数名いた。
「何事だ?」
 ザックスが近くを通った一般兵を捕まえて問うと、兵士は落ち着かない様子で話し出した。
「知らないんですか。ジュノンでテロがあったんですよ」
 テロ自体は珍しいことではない。神羅はウータイや北大陸に多くの敵を抱えており、終戦前後問わず常に小さな反抗勢力にテロ攻撃を受けていた。
 だが東大陸の端のジュノン港は、ミッドガルの次に大きな神羅基地があり、駐留する兵士の数も多く常に警備は厳戒だった。おまけに町は元々小さな漁港で、住人も少なく、人の出入りが多いミッドガルに比べて反抗勢力が隠れる余地はない。
 その鉄壁ともいえるジュノンが狙われるというのは、非常に珍しい。初めてと言っていいだろう。
「被害はどれくらいなんだ」
「今、テレビでもやってますよ。北側の棟が半壊してます」
「駐留してる第二師団や空挺部隊はどうした」
 ジュノンにはクラウドと同じ軽装歩兵の第二師団が常勤している。数は二千人以上。他にもゲルニカや飛空艇を有する空挺部隊や武装船、潜水艦を所有する海上部隊もいる。
 兵士が知っていることを伝えようと口を開いた時、寮内のスピーカーがアナウンスを流した。
「緊急出動要請発令。以下の所属の者、戦闘装備でゲルニカ発着所に二三○○までに集合せよ。第二、第三ソルジャー部隊、第一軽装歩兵師団第一、第三、第五大隊。繰り返す…」
 アナウンスの声が同じ内容を続ける中、目の前の談話室からわらわらと兵士たちが出てきた。皆、アナウンスで指示を受けた兵士だろう。
「どうりでセフィロスが電話に出ない訳だ」
 呟いたザックスは現在第二部隊に所属している。クラウドは第一大隊。つまり二人とも出撃命令を受けた隊だった。
「ザックス! もたもたすんな!」
 聞き覚えのある声はソルジャーヨセフである。
 彼は二人の元に走り寄ってくると、クラウドの肩を掴んだ。
「よお、クラウド。さっきの礼は今度な。…もう第一部隊の奴らはサーセフィロスと出撃したぞ。お前たちも急げ」
 急かされて、準備のために部屋に駆け出した三人は、階段を上がった。
「今回はやばいぞ。駐留の第二師団が殆ど壊滅した」
「壊滅ぅ?」
 素っ頓狂ともいえる声を上げたのはザックスだった。
「テレビで映像見てねえのか? 基地の北側が爆発でぐちゃぐちゃになってる」
「空爆されたのか?」
「いや、内部から何度も爆発したらしいから、多分時限装置付きの爆薬だろうな。それに飛行中のゲルニカが何機か対空砲で撃ち落とされた」
「対空砲って…。テロリストがンなもん持ってるのかよ!」
「いや。味方の砲台を占拠されたんだろう」
 クラウドたちの部屋の前にたどり着いたところで、情報収集は中断された。
 とにかく急いで準備をしなければならない。時計を見れば指示された二十三時までは三十分程度。常に出撃命令に対応できるように整えてはいるが、二人は狭い部屋を慌しく駆け回って着替え、装備を確認する。
 短銃の手入れを怠らなくてよかったと思いながら、ホルスターとレーションや弾丸の入ったポーチを腰に着け、クラウドは準備完了。軍靴を履いて、廊下に飛び出る。
「クラウド!」
 後について出て来たザックスが、クラウドの腕を掴んで引き止めた。
「あいつとちゃんと話すまで、絶対ヤケになるんじゃねえぞ!」
 ザックスの真摯な顔を見上げる。
「死んだりしやがったら、あの世に行っても恨んでやるからな」
 クラウドは胸の奥にじわりと広がるものを噛み締め、大きく頷いた。
 まだ頭痛はかなり残っている。
 でも戦える。ましてや死んでなどやるものかと、クラウドは決意して走り出した。


 ミッドガル内の軍用滑走路はたった一本しかない。
 並んだゲルニカにソルジャー部隊、続いて第一第五大隊の一般兵が乗り込み、計六機が次々と飛び立った。
 空路ならばミッドガルからジュノンは二時間弱の距離である。
 薄暗い機内でクラウドたちは上官の慌しい説明を受けた。
 ジュノンは海に面した崖っぷちを覆うように作られた軍港で、海空軍両方の部隊の拠点である。そこに陸軍以外の部隊が終結していることもあって、兵士たちの住居や商店などが密集し、町としても大きなものになっている。一方、崖下にあるそもそもの町は小さく、細々と漁業を営む人間が千人程度しかいない。
 テロ発生は午後八時過ぎ。
 崖上にある司令室や通信室を含む、北側の棟が爆破された。兵士たちの居住区もあって、駐留する第二軽装歩兵師団はほぼ壊滅らしい。混乱の中、テロリストと思われる一団に爆発から逃れた主要部分を占拠され、途中の地区の火災が酷いこともあって、神羅軍は状況をつかめていない。
 おまけに着陸のため近づいたゲルニカ二機が撃墜された。一機は不時着ながらもなんとか助かったが、一機は操縦不能になって海中に沈んだ。
 攻撃元は不本意にもジュノン基地。つまりソルジャーヨセフが言っていた通り、砲台を占拠したテロリストが、神羅のゲルニカを撃ち落したのだ。
 機内で身を縮めて座るクラウド達に、この機に同乗している第一から第十小隊を束ねる連隊長がマイクを通して指示を出した。
「本作戦総司令官はサースカーレット、作戦隊長はサーセフィロス。先行したサーセフィロスとソルジャー第一部隊が、我々の拠点確保を目的に既に作戦を決行している。
「我々はジュノン内からの敵の砲撃を逃れるため、海側ではなく陸側に着陸して、南棟から進行。目的は敵兵の発見、兵士の救出活動、それに敵の侵入及び脱出経路の封鎖だ」
「アイアイサー」
 同乗した百名ちかくの兵士が一斉に返答した。
 説明を終えた頃、機体が高度を下げる。
 気流が不安定でかなり揺れがあるが、不思議とクラウドは気分も悪くならず、渡されたライフルの点検をしていても酔うことはなかった。
 自分は本当についてない、と溜息を吐く。
 ソルジャーになるのは絶望的。一般兵としてクラウドは決して無力ではないけれど、幾ら昇進しても気分は良くならないように思えた。
 ここで戦績を上げて何になると悲観的になるかと思っていたが、戦場を前にクラウドは自身の心が高ぶるのを否定できない。でなければ、飛び立った瞬間に酔いに襲われているだろう。
 セフィロスがいるからだと確信した。
 誰がなんと言おうと、自分自身を疑おうとも、クラウドは彼の近くで、彼と一緒に戦いたいのだ。
 クラウドの足元で着陸用の車輪が動くのが分かった。
『着陸態勢。揺れに備えろ』
 機内アナウンスが流れて、クラウドたちは壁についたポールを握る。普段と違い、整備されていない平原に着陸すれば、相当な揺れがあるに違いない。
 握った手に力を込めた瞬間、足元から突き上げるような衝撃があり、ゲルニカは荒れた地面を滑走した。



 ジュノン基地の海側には広い通りがある。基地内で商店を営む者たちは皆その通りに出て、クラウドたちの行軍と、未だ煙を上げる北側の棟を、交互に眺めていた。
 町はあらゆるものが燃えた異臭が漂い、降り落ちる煤がアスファルトを舞っている。銃撃の音はないが、時折小さな爆発音が響いている。恐らく続く火災がライフラインを誘爆させているのだろう。
 クラウドたちは南側の棟に集結し、それぞれ分担を割り当てられた。
 とにかく現地に駐留していた第二師団のほとんどがダメージを受け、たまたま南の棟に来ていた者以外は死傷して壊滅状態なのである。基地そのものの警備もままならず、放っておけば新たなテロリストが侵入したり、既に潜入した者を逃がすことになってしまう。
 第一大隊は二十個小隊の二百名強。第一から第十小隊の百名は北棟に向かい、潜んでいるテロリストの発見、怪我人の救出と消火活動を、第十一から第二十小隊と後続の大隊は、南棟と周辺警備に当たることになった。
 クラウドたち第一小隊はまだ火災も続く北棟担当である。セフィロスもその周辺でテロリストたちを捜しているに違いない。
 隊列を組んで進み、通りから北棟の居住区に入ると、途端に火災後の熱で汗が吹き出した。異臭も強くなる。ゲルニカ機内で配布された無線機とインカムを着け、担当区へと走った。
 兵士の居住区は四階建ての建物が横に連なったような形をしている。
 壁は共有しているが内部で区切られ、通りに面した通路を入ると階段がある。一つの建物で三棟、階段も三本、という構造だった。
 第一小隊はその中でも一番北側の建物に入った。
 一階から見上げれば、最上階は天井がなくなっている。
 ササキ小隊長がインカム越しに指示を出した。
「二名以上で行動しろ。生存者を見つけたらまず職務質問しろ。味方の生存者は既に南棟に集められている。人がいれば敵兵の可能性の方が高い。それに爆発物がまだ残っているかもしれない。不審者、不審物を見つけたら直ちに報告。問題が無ければ通りに集合。怪我人は巡回の兵士に引き継げ。…行け!」
 ライフルを構えて、煙の立ち込める中をフラッシュライトで照らしながら階段を上がる。ライフラインが断絶されて、もちろん電灯は点いていない。
 各階の部屋は焼け焦げたベッドや生活用品が並ぶだけで、確かに怪我人などは救出された後のようだ。だが確実に死んでいる兵士は放置されたままだった。爆発の衝撃を受けたのか、火災の煙にまかれたのか、特に四階の兵士たちの部屋は煤けた色の制服が何体か横たわっている。
 端から頚部に手を当て、脈をとっていく。既に死後硬直も始まり、とても生存者など見つけられそうにない。
 いたとすれば、それは爆破の後、騒ぎに乗じてここに逃げ込んだテロリストの方だろう。
 不審物の捜索の為、部屋の隅々までライトを照らしていく。別段おかしなものは見つけられず、クラウドは階段に戻り、同じ小隊のハニバン三等兵と並んで爆破で空いた屋根の大穴を見上げた。ハニバンはウータイ戦後の隊編成で他の小隊から異動してきた男である。
 大穴のふちは、内側からの爆発で分厚いコンクリートの鉄筋を空に向かってめくれ上がらせていた。隣の棟との間の壁も噴き飛んでおり、どうやら爆発の中心は中央の棟の四階部分にあったようだ。
 爆心を挟んで、クラウドのいる方と反対側の棟まで行き来ができるように、壁がなくなっていた。大穴を覗き込むと、隣の棟の四階の床もかろうじて一部を残している。
 クラウドはインカムで小隊長を呼んだ。
「四階の壁が吹き飛んで、大穴が開いてます。隣の棟へ移動しますか?」
『行けそうか』
「イエッサー」
『先行しろ』
 クラウドはハニバンに無言で合図し、先に立って壊れた壁を乗り越え、隣の棟へと進んだ。
 やはり三つある中央の棟が爆心部である。まるで床の真ん中をくりぬいたように崩れ落ちて、床は周囲の壁際に二メートルほどかじりついているだけだ。そこに足を置いても思ったほど頑丈で、崩れ落ちそうな気配はない。
 四階の部屋に入ると、室内は原型が想像できないほどに吹き飛び、熱で焼け溶けた生活用品が残った床面に散乱していた。
 その時、何かが動いた気配を感じて、クラウドは床に向けていたライトを上げた。
 部屋の奥の壁にも大きな穴が空いている。
 穴はぽっかりと人が通れる大きさくらいで、人影はない。
「なんスか、これ」
 クラウドの後ろにいたハニバンが呟いた。
 穴はこの爆破で崩れたというより、意図して破壊したような感じだった。先程の天井や壁の大穴と違い、鉄筋のめくれが手前側を向いているのだ。
 それに、この建物は崖に沿うように作られているので、建物の背面にあたる壁の向こうは掘削した岩壁のはずである。だが穴の向こうには通路のような、居住区とは違う壁面が見えた。
「ササキ隊長、ストライフです。中央棟四階の背面の壁が、意図的に爆破されています。穴の向こうに通路が見えます」
『多分それは上層と繋がる通路だ。ちょっとまて、確認する』
 元々ミッドガルに常勤する第一師団はジュノンの構造に詳しくない。図面を確認しているのだろう時間が僅かに空いた。
 クラウドはその間に奥の壁にある穴から顔を半分出し、そっと覗き込んだ。
 通路は三メートルほどの幅、左は二メートルほどで行き止まり、右は傾斜して上へと登っている。そして穴の正面、つまりクラウドの覗く壁と通路を挟んで反対側には扉があり、そこには『0410』と番号がふられていた。
『分かった。目の前に倉庫があるだろう』
「0410と番号がついた扉があります」
『それだ』
「右は通路が上りになってます。人影はありません。非常灯がついてます。進みますか?」
『よし。グレード、ガイス、ヤマモトの三名は残って別の棟の探索を続けろ。他の者は各階の探索を終えたら、四階へ上がってストライフに続け』
 数名の応答を聞いてから、クラウドは穴から足を突っ込んで向こう側の通路に下りた。
 非常時に点く緑色のライトが所々に点灯しており、歩く分にはフラッシュライトは必要ない。爆破の破片や粉塵が散乱している以外には何もなく、この穴を通行を目的に開けたことは明らかだ。
 床に散った粉塵の上に足跡を見つけた。自分がつけた軍靴の靴底とは違う。つまり神羅兵のものではない。
 先程感じた人の気配は気のせいではないかもしれないとクラウドが考え込んだとき、通路を上がった上の方から足音が聞こえた。
 丁度クラウドの後に続いて、ハニバンが足を穴から出そうとしていた。
 クラウドは彼を無言で押し止め、自分は穴の脇の壁に背をつけ、身を低くした。
 クラウドのいる通路は上りきった所で突き当たり、左右にもう少し広い通路が伸びている。その右側から足音は近づいて来た。
 人影が通路に現れた。距離は八十ほど。
 中背の男が二名、武器は神羅一般兵が使う長銃をストラップで肩に掛けている。制服は明らかに神羅のものではない。二人は立ち止まって何事かを相談しているようだが、聞き取ることは出来なかった。
 クラウドは息を殺し、二人が去るのを待った。今気付かれれば、身を潜める場所もない。狙い撃ちにされる。
 暫くすると二人の人影は通路の左へ走って行った。
「ストライフです。今、通路を二人通り過ぎました。敵兵と思われます。追いかけます」
『待て!』
「気付かれないようにします。遅れると見失う」
『分かった、許可する。無理するなよ。報告を続けろ』
 クラウドは後に続くハニバンに手を貸し、二人揃って足音を立てないように進んだ。
 狭く長い通路は音が響く。だがもたもたしていると見失う。
 突き当たりに来て、身を隠しながら左右を覗きこむと、右は十メートルほどで行き止まり、左には走り去る二人の背中が小さく見えた。
 長い通路の左右の壁には、所々先程と同じような倉庫の扉があった。このあたりは爆破の影響を受けておらず、他に人影もなく整然としている。クラウドは小走りで二人を追い、時折柱に身を寄せながら進んだ。
 暫く行くと通路を塞ぐ防火扉の前に、二人がしゃがみこんでいた。
 恐らくシャッター式のそれのロックを解除しようとしているのだろう。こういった非常事態には敵の移動を妨げるために、コンピュータ制御でロック出来るようになっている。先行したソルジャー部隊の処置かもしれない。
 二人は長銃を床に降ろして、作業に没頭していた。
 クラウドとハニバンは左右に別れて柱の陰に身を隠した。距離は五十メートルは離れているが、自然と鼓動が早くなる。長銃の安全装置を静かに外し、唾を飲み込んでから正面にいるハニバンに合図を送る。彼が頷いたと同時に、柱の陰から長銃を向けた。
「動くな」
 クラウドは静かに言った。
 二人はしゃがんだまま動きを止めた。
「手を上げて、所属を言え」
 二人は黙ったままだ。
「手を上げろと言ってるだろう」
 ハニバンが繰り返した瞬間、二人の内の一人が振り向きざま発砲した。
 クラウドは飛び退き、柱に隠れた。ハニバンも同じようにクラウドの正面に退いたが、ライフルを持った右の二の腕を左手で押さえている。指の間から血が床まで流れ落ちた。
 続けて何発か発砲された弾丸が柱を削る。短銃だったことを幸運に思った。ライフルの連射だったら腕が千切れているところだ。
「ハニバン」
 クラウドが呼びかけたとき、防火扉のロックが破られ、ガラガラと音を立ててシャッターが上がった。走り去る音を聞いて柱の影から覗くと、既に二人の姿は無かった。
 扉の向こうに横切る手すりが見えた。
 奥の部屋は、恐らく下の階から吹き抜けになっているのだろう。通路の左右どちらかに二人は逃げたに違いない。
 クラウドはハニバンにここで待つように言うと、二人を追って走り出した。
「ササキ小隊長、ストライフです。ハニバンが負傷しました。オレは追いかけます」
 片耳につけたイヤホンからササキが制止が聞こえたが、クラウドは止まらなかった。
 ザックスに忠告されながら、この時のクラウドは確かに自暴自棄になっていたのかもしれない。もしくは、ソルジャーになれなくても、自分の戦闘力が劣るとは思われたくなかったのかもしれない。
 とにかく恐怖心は感じなかった。
 防火扉を抜けた場所は長方形の大きな部屋で、下の階から吹き抜けになった倉庫のような空間だった。ゲルニカの貨物室をそのまま大きくしたようで、構造はよく似ていた。
 階下の中央は拓けていて、木箱やダンボールが幾つか積まれている。
 幅一メートルほどの鉄製の通路が、部屋の二階部分を囲むようにつけられており、クラウドのいる出入口はそこに繋がっていた。
 既にテロリストの一味であることが明らかな二人は、クラウドから見て、丁度長方形の対角あたりにある階段を下りようとしていた。
 クラウドは彼らの足元を狙って発砲した。
 鉄板を組んだ通路は弾丸を弾き、その音が彼らの足を一瞬止める。
 クラウドは躊躇なく走って追いかけた。そしてクラウドが長い方の通路の中ほどまで来た時、彼らは階段を降り始めていた。
 が、二人が再び足を止める。
 彼らの目は階下に釘付けになっている。その証拠に追いかけるクラウドの存在を忘れたように、立ち止まって硬直していた。
 不審に思って下を覗き込んだ。
 クラウドにとっては見慣れたその姿。
 だがテロリストの二人にとっては、足を止めるほどの人物には違いない。
「セフィロス」
 クラウドは思わず声に出して彼の名を呼んだ。
 それに気付いたらしく、セフィロスはちらりと視線だけをクラウドに向けた。
「クラウドか」
 頷いて見せると、セフィロスは直ぐにテロリストたちに視線を戻し、彼らへ正宗の先を挙げた。距離は数メートル開いているのに、まるで咽喉元に突きつけられたような気がするだろう気迫だった。
「武器を捨てろ。もう逃げ場はない」
 先行したソルジャー部隊と共に行動しているはずのセフィロスは、今は一人だった。
 彼が入ってきたと思われる一階部分の扉は閉められていて、他に人影も見当たらなかった。
 クラウドもライフルの銃口を二人に向け、じりじりと近づいた。
「もう一度だけいう。降伏しろ」
 駄目押しのように告げたセフィロスに従い、二人はのろのろと短銃と長銃を降ろす。そして一人がジャケットの前をゆっくり開いた。薄汚れたシャツを身に着けていた。
 その腹の周りにベルトが捲かれ、丸いものが四つ。
 手榴弾。四つの安全ピンは紐で繋がれていた。
 クラウドは反射的に一歩身を引いた。
 視界の端で、階下から自分の方に跳躍するセフィロスを見た。
「あばよ、神羅の死神!」
 男の叫びを聞いた。
 セフィロスの身体が男たちから遮るように覆い被さり、クラウドは目を瞑った。
 瞑った瞼を通す閃光。
 頬や手に熱を感じ、その後恐ろしい突風と衝撃。
 足元が揺らぎ、落下する感覚があった。
 轟音を耳にする前に意識が途切れた。


 ぱらぱらと、何かが落ちてくるような音に顔を上げた。
 その音が妙に響くのは、閉鎖された広い空間だからだろうか。
 非常灯も吹き飛ばされて、まったく灯りがなく、二階部分の防火扉も再び下りてしまったらしい。周囲は完全な闇だった。
 クラウドは手探りで腰につけているはずのライトを探し、スイッチを入れた。
「セフィ、ロス」
 左手でライトを照らし、右手で辺りをまさぐる。歪んだパイプや崩れた瓦礫、吹き飛んできた木箱の残骸などが酷く散乱している。
 二階の通路にいたはずなのに、ここは一階部分の床だった。
 手榴弾は四発、同時に爆破させれば威力は増大する。
 恐らく倉庫全体に及んだ爆発が、二階の通路を下に落としたのだ。
「セフィロス」
 残骸から判断すれば、クラウドも吹き飛んで当たり前の威力だ。それが目立った傷もなく動き回れるのは、どう考えてもあの時セフィロスが自分を庇い、防御魔法をかけたからに違いない。
 胸につかえる苦しさを飲み込んで、クラウドは必死で呼びかけながら周囲のものを触れてまわった。
 ふと柔らかいものを見つけ、クラウドはライトを向けた。
 コンクリートの床にグローブに包まれた大きな手。
 それに続く腕。
「セフィロス!」
 ライトを床に置き、セフィロスの身体の上に乗っていたパイプをどかし、引き起こす。
 覗き込んだ顔は目を閉じ、細かい傷が無数についていた。指先で血を拭って、重い身体を引きずり、瓦礫の山に背を凭れさせた。
 暖かいし息はしている。脈も大きな乱れはない。
「セフィロス、セフィロス」
 ライトを当てて、身体に傷がないかとあちこちに触れる。
 腕は折れていない。右手にあるはずの剣はどこかに飛んでしまったらしい。
 胸や腹に触れ、背中をまさぐると、コートのあちこちが破れており素肌が剥き出しになっていた。クラウドは滑る感触に手を引いて、その手にライトを当てた。
 べっとりと赤い血がクラウドの掌を染めていた。
 それほど傷は深くないようだが、広範囲のやけどと裂傷になっている。
 クラウドは辺りの破片を足でのけて、彼の身体を横に倒した。
 救援を呼ぶ必要に気付いて無線に話し掛けようとしたが、着けていたはずのそれがない。インカムもイヤホンも、爆発の衝撃や落下でどこかに吹き飛んでしまったらしい。
「セフィロス!」
 クラウドは必死に呼びかけながら、ねじれた下半身を真っ直ぐにしようと、彼の足に手を這わせた。
 右足。パンツとブーツの革の感触は所々裂けてはいるが、傷は殆どない。
 そして左足。腿に触れ、クラウドは手を止めた。
 セフィロスのあの長い足、それも他と群を抜いて美しい膝下は。
 ―――なかった。
 ライトを当てる。膝の半ば、まさに引きちぎったように。真っ赤な断面から骨が飛び出している。
 クラウドは息を飲み、口元を片手で覆った。
 無意識に悲鳴のような、うめくような声が漏れた。
「セ……セフィロス。セフィロス!」
 傷だらけでも端正な顔に近寄り、悲鳴まじりに呼びかけた。
「答えろよっ、セフィロス! 目、開けろよ!」
 床には血が大量に広がっている。
 クラウドはヘルメットを外して放り投げ、制服の上着を脱いだ。上着の袖を片方引きちぎり、止血をしようと手を伸ばした。
「う…さい」
「セフィロス!」
「うるさい。声が、大きい」
 ライトを向けた彼は薄く目を開き、クラウドを見ていた。
 確認した途端口走りそうになった罵倒を飲み込んで、クラウドは無言で彼の足元にしゃがみこむ。
 ライトを頭と肩の間に挟み、引きちぎれた左足の腿を持ち上げようとしたその時、セフィロスの手がクラウドを止めた。
「待て」
「血、早く止めないと…」
「千切れ飛んだか。どうりで痛いと思った」
 まるで気付いていなかったとでもいうような彼の言葉に、クラウドは一瞬呆然とした。だが事故で骨が折れたのに、気付かず家へ歩いて帰った者の話を聞いたことがある。極度の外傷に、人間は痛覚を鈍らせる。
 今のセフィロスはきっとそんな状態なのだ。
「千切れた足を捜してくれ」
 彼の声ははっきりとしていた。普段と違いを殆ど感じない。
「どうすんだよ。今は止血する方が先だろ!」
「いいから、捜してくれ。命令だ」
 冷静な声と明確な言葉は、自分の状態にパニックしている人間のものではない。
 クラウドは躊躇しながらも頷き、彼から離れて彼の膝下を捜し始めた。暗い上に瓦礫が散乱し、とても捜せるような状態ではなかったが、彼がそう言うからには何か理由があるのだろう。
 目を凝らし、手探る指先が擦り切れても止めず、五分もしない内に、元は通路だろう鉄板の下から探し当てた。
 持ち上げた足は重かった。ライトを口にくわえ、両手で運ぶ。
 彼とは浅からぬ仲になったが、どんなに深い仲でも、相手の膝下を運ぶ者は多くないだろうと思う。そして、どうして自分はこんなに冷静なんだろうと、クラウドは不思議に思った。
 彼の元まで運ぶと、セフィロスは自分の足元を指差して言った。
「置け」
 不審に思いながらも指示に従って、クラウドは元あった場所に足を置いた。そしてライトで患部を照らす。
 セフィロスは上半身を起こし、それを掴むと、まるで傷口を繋ぎ合わせるかのように押し付けた。
「ケアルガ」
 セフィロスの小さく呟いた言葉にクラウドは驚いて顔を上げた。
 幾ら回復の上級魔法、それも魔力の底知れぬ彼が唱えたとしても、千切れた足を繋ぐことなど不可能だと思った。そんな話は聞いたことがない。
 だが、彼がバングルにつけたマテリアが一瞬薄明るく光ったと同時に、傷口に異変が起きた。
「気味が悪いぞ。見ない方がいい」
 彼の忠告に、クラウドはむしろそこに目を釘付けにした。
 何かが動いている。
 赤い糸のような、恐らく筋繊維や血管が、蠢いている。
 虫が這うさまに似ていた。イソギンチャクが水中で揺れているようでもあった。
 クラウドは息を飲んだ。
 完全に途切れて、血を流していたはずのそれらが修復されようとしていた。
 もう一度口元を掌で覆った。そうでもしなければ、情けないほどの悲鳴を上げてしまいそうだった。
 見ている現象が信じられず、クラウドは首を横に振る。
「便利だが、こういう時こそオレは呪われていると思う」
 見据えていた傷口から、彼の顔に必死で視線を動かした。
 あの自嘲の笑みを浮かべた顔はクラウドを見ていた。
「他のソルジャーたちには、ここまでの回復力はない。オレだけだ」
 何か答えなくてはと考えるクラウドの耳に、ガンガンと扉を叩くような音が届いて我に返った。
 二階部分の、先程クラウドが通ってきた防火用のシャッターが鳴っている。
「行ってこい」
 セフィロスが手を振って促すのに従い、クラウドはシャッターの下まで行く。やはりシャッターは爆破の火の気を感知してもう一度閉じてしまったようだ。二階に上る階段も、通路そのものも爆発で倒壊してしまっている。
「ササキ小隊長!」
「ストライフ! 無事か!」
 篭った声だがササキに間違いないようだ。
「オレは無事です! 通路が落ちて、二階に上れません! サーセフィロスが…」
 言いかけたクラウドは、自分の両目から突然湧き上がった大量の涙にうろたえた。
「サーセフィロスが!」
 言葉を続けられなくなり、涙声になるのを必死に耐えて叫ぶ。
「怪我を、してるんです! 早く救援を呼んでください!」
「爆発で歪んだのか、シャッターが破れない。下から行くまで待て!」
「アイアイサー!」
 返答を聞いて、シャッター近くにいた小隊長らが走り去る足音が聞こえた。ほどなくして救援が駆けつけてくれるに違いない。
 クラウドは堪えきれなくなってその場にしゃがみこんだ。
 静かな空間に嗚咽は良く響いた。
「クラウド」
 セフィロスの呼ぶ声に一層涙が溢れた。
「ここに来い。こちらからは行けないんだ」
 クラウドは涙を拭き、鼻をすすりながらよろよろと瓦礫の中を歩いて、セフィロスの元へ戻った。
 床に座り込む形でいるセフィロスはクラウドを見上げている。
 投げ出した足は、まだ赤い肉や白っぽい皮下細胞を生々しく見せているが、回復をあらかた終えた患部の骨や筋は繋がったようである。
 出血も僅かだ。
「来い。ここに」
 クラウドは素直に従ってセフィロスの横に膝と手をつき、身を屈めて、投げ出した彼の腿の上に額を押し当てた。
「よかった…セフィロス。よかった」
 革の戦闘服の上に音を立てて涙が落ちる。
 止められそうにない。
 蛇口の壊れた水道のように、後から後から溢れてくる。
「よかった」
 ソルジャーになれないと分かった時、ザックスの言葉に気を緩めて泣いたのは数時間前のことだが、これほど涙は出なかった。
 ソルジャーの地位より、今のクラウドにはセフィロスの存在の方がずっと大事なのだ。
「お前は、怯えないのか」
「何でオレが怯えるんだよ」
 セフィロスの生存をもっと確かにしようと顔を更に押し付けるが、焦げた匂いが強くて、彼の肌の匂いはわからなかった。
 動物のように擦り寄るクラウドの頭を、大きな掌が撫でた。
「こんな化け物のような身体、お前が恐れて嫌悪しても、責めはしない」
「何で嫌がるんだよ。礼を言いたいくらいだ、あんたの身体に」
「クラウド」
 起こされて、セフィロスの顔を見ろした。普段見下ろすことの少ないそれは、そっぽを向いたライトの影になっていて良く分からない。
「よかった」
 美しく闇に光る瞳をじっと見つめ、クラウドは自分から彼の唇に口付けた。
「あんたがもし死んだりしたら、今度こそソルジャーにならなきゃって思った」
「…どういう意味だ?」
「魔晄中毒になったら、忘れられるんだろ。何もかも」
 自殺する勇気なんてきっとないから、とクラウドは心の中で呟いて、もう一度口付ける。
 セフィロスの腕が背に回り、クラウドをきつく抱き締める。その腕の感触にクラウドは身体を揺らした。
 シャツ一枚を通して、セフィロスの胸がクラウドの胸と触れ合っている。染みこむような温かさがあった。
 彼が生きていることを、自分が生きていることをもっと確かめたい。最も確実な方法で、彼を感じたい。ただ抱き締め、抱き締められただけで胸に湧き上がったものは、紛れもない欲情だった。
 突然先程と同じような金属を叩く音が盛大に響いた。
 クラウドは身をすくめて驚き、セフィロスにしがみ付く腕の力を強めた。
『サーセフィロス! ストライフ!』
 酷く篭った声は、今度は一階の通用口の扉ごしに響いている。
 クラウドがライトをあてると、両開きの鉄の扉が揺れていた。
 扉の前に爆発で落ちた二階通路が斜めに覆い被さっていた。
「クリスだ」
 セフィロスは言葉少なに促し、クラウドは頷いて扉の前まで進んだ。涙を拭い、なるべく平静を装って応える。
「第一小隊ストライフです! ソルジャークリスでいらっしゃいますか!」
「無事か! サーセフィロスは?」
「応急処置は済んでます。心配ありませんがまだ出血しているので、早くお願いします!」
「扉が開かないんだが、そっち側はどうなっている?」
「二階通路が落ちて、扉を斜めに塞いでいます。ちょっと手じゃ動かせそうにありません」
「了解。扉を焼いて穴を開ける。お前とサーは下がっていてくれ!」
「アイアイサー」
 クラウドが数歩下がると、早速大きな音がして、扉の真ん中あたりに鉄の溶けた光が滲み出してきた。多少時間がかかっても確実にここから出られそうだった。
 クラウドはセフィロスの元に戻り、先程引きちぎった袖を、まだ少し出血している患部に巻きつけた。形ばかりの応急処置でもしなければ、それこそ救援に来た皆が不審に思うだろう。
「さすがに歩けはしないか」
 膝を動かそうとして、ままならないことを確めたセフィロスは呟き、クラウドは呆れた。
 ついさっきまで離れ離れになっていた膝上と膝下を、今ここで動かせたら、それこそ恐ろしいくらいの奇跡だ。
 残った片袖を引きちぎって、もう一度上から巻きつけ終え、端を結ぶ。出血は僅かとはいえ袖の青い布地はすぐに真っ赤に染まった。
「クラウド」
 名を呼ばれ、先程と同じように膝をついたクラウドが見下ろすと、セフィロスは見たこともないような複雑な表情をしていた。
「どうしたの?」
「クラウド」
 扉を焼き切るバーナーの音が大きくなり、セフィロスの声は聞き取り難い。
 振り向いた扉の穴は大きな四角の二辺まで切り取られていた。
 もうすぐこの密室から出られる。
「なに?」
 目線を扉にすえたまま、彼の口元に耳を近寄せた。
「愛している、クラウド」
 視線をセフィロスに戻した。
 彼の暖かい吐息が頬に掛かる。

 「愛している」


青年未満mission6(了)
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