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青年未満
MISSION-1 ミッドガル
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 少年は目の前に高くそびえる神羅ビルを見上げた。
 彼はこの夏に十四歳になったばかりで、自他共に認める世間知らずだが、この惑星上でこんなにも巨大な建築物があるという事すら知らなかった。
 ビルの先頭部分に飾られた神羅のエンブレムは、写真やテレビで幾度も目にしている。だが、たかがビルひとつがこんなにも威圧感を与えるとは、ちっぽけな故郷の人間達は誰も信じやしないだろうと少年は思う。
 彼の故郷は、今彼自身が立つ隣の大陸の、そのまた北の外れにある辺境の町である。記念すべき第一号の魔晄炉以外は、誇れる物は何も無い田舎町。閉鎖的で、了見もその敷地程度しかない村人に囲まれて育った。もちろん馴染めた試しはない。馴染む努力をしたかと問われれば自信を持って肯定は出来なかったが、元々他所の土地から来た母と、父のいない子に村の住人は冷たく、物心ついた頃既に少年はそこに溶け込む意気込みを失っていたのである。
 村で信用できるのは母と、唯一彼を分け隔てることなく接したひとりの少女だけ。
 二人に都会での成功を誓って出発し、このミッドガルにひと月かけて辿り着いた。
 見知らぬ土地に膨大な不安はあったが、まだ現実社会の冷酷さを知らない少年は、それを覆い隠すだけの野望と期待に満ちていた。

 「新兵の募集を見て来たんですが」
 巨大なビルの正面入口から入った目の前に、受付らしきものを見つけて、クラウドはその前に立っていた。
 美しく化粧を施し、人形のような笑みを浮かべた受付嬢は、少し高い位置からクラウドを見つめ、機械的に一枚の紙切れを手渡す。鮮やかな青い制服に、糊の利いたブラウスがより一層人形らしさを誇張している。
「そちらの階段を上がって三階の受付までいらしてください。こちらが三階のガイドです。申し込み書類はあちらで受け取れます」
 丁寧な口調と裏腹に、それ以上の質問は許さないとでも言う雰囲気だ。
「どうも」
 クラウドは地図を手に、広い吹き抜けのロビーの端にある大きな階段へ足を向けた。一フロアがそれだけ広く、迷う田舎者が多発するから見取り図を渡されたのだろう。
 床はクラウド自身の姿を映すほど磨かれ、真鍮の階段の手すりは、手を触れるなとばかりに黄金のように光っている。わざとそれに手を置いて、クラウドは階段を上った。
 正面入口から入ると目の前に見えるスクリーンは、この神羅が関わる事業の広告を垂れ流している。そのサイズも音量も、小さな部屋の中で見るテレビなどとは明らかに目的が異なる大きさだった。陽射しの眩しい南国風景をバックに水着の美女が笑い、沖で水上バイクに乗る男に手を振る。神羅が作った最新の水上バイクの宣伝なのだろう。
 コマーシャルが終わると壮大な音楽の後、ニュースへと画面が切り替わった。
 原稿を手に、各地で発生しているモンスターの情報を伝えるアナウンサーの背後には、記憶に新しい資料映像が映し出されている。それがスクリーン一杯にズームした時、クラウドは階段途中で足を止めた。
 画面中央で、神羅兵とソルジャーを従える長身の男に少年は見入った。黒装束に長い銀髪、印象的な魔晄色の目、携える長刀は伝説の妖刀だという。
 彼こそが、クラウドが神羅兵に志願するきっかけになった男だった。生きながらにして神羅の英雄と呼ばれ、同時に死神の仇名を持つソルジャー、セフィロス。
 英雄の活躍を褒め称えるナレーションと共に資料映像は続く。普通の人間にはとても使いこなせるとは思えない身の丈の刀を振るい、狼型のモンスターをなぎ倒していく姿は、よくニュースで目にするものだった。
 その強大な力を垣間見て、感心する以上に畏怖を抱く者が殆どであろう。
 だがクラウドは、彼のその強さにあこがれた。自分があれほど強くなれば、もう誰も文句は言えないだろうと。
 その映像に心励まされ、少年は階段を踏みしめる足を勇気で奮い立たせた。

 ミッドガルへ来たクラウドの一大決心に対して、新兵の受付処理はあっけなく終わる。
 身体検査と一般教養のテストが行われたが、そのあまりの容易さにクラウドは半ば肩透かしを喰らい、同時にどっと気を緩めた。
 クラウドは年齢の割に小柄だった。それは彼自身のコンプレックスでもある。新兵募集の規定には届いていたし、問題はないと分かっていたが、クラウドは申し込みが受理されたと聞いた瞬間、自分がそれにすら拒絶されるのではないかと不安に思いながらひと月近くも旅をしていたのだと気付く羽目になった。
 同時に新兵受け入れの安易さゆえに、ソルジャーになるにはここからが問題なのだと言われているような気がする。
 英雄セフィロスを筆頭とするソルジャーは神羅所属の全ての兵から選出されるが、その為には中尉以上の上官の推薦と、多岐に渡る試験を通過する必要がある。それに年齢を満十六歳以上と定められているから、クラウドは少なくとも一年以上資格がないことになる。
 クラウドの計画ではこの一年の内に準備を整え、十六歳になった直後の定期試験を受け、ソルジャーになるつもりであった。
 だが、千の兵に対しソルジャーは三十名足らずで、神羅兵全体の三%程度。セフィロスと肩を並べるソルジャーファーストに至っては、更にその一割。非常に狭き門である。
 クラウドは受付済の印が押された書類を持ち、今度は入寮手続きをするために、少し離れた兵舎に向かっていた。
 神羅ビルの裏手にある軍用施設の敷地はかなりの広さがあった。近いと思った地図の示す場所まで、徒歩では暫く掛かるようだ。受付の際にバスの停留所を教えられたが、クラウドは乗り物があまり得意でない上に、所持金も少ない。ここで無駄遣いをする気にはなれなかった。
 北国育ちのクラウドにとって、八月のミッドガルは苛酷な気温と湿度だった。
 ささやかな風をビルが塞ぎ、道路は熱と排気を撒き散らす自動車がひしめいている。空気も悪い。背中を流れる汗にシャツが張り付き、不快極まりない。
 それなのに陽射しは容赦なくクラウドを攻撃する。
 都会はこんなものなのだろうか。故郷の山にはあと三月もすれば雪がちらつくというのに。
 辟易しながら一番近い軍用地のゲートまで正味一時間かけて辿り着いた。
 ゲートでは銃を掲げた警備兵が両脇に立ち、その背後には黄と黒の斜線が入った遮断機、監視小屋の中にも兵がいる。今年の四月にウータイとの休戦協定が結ばれて以来大きな戦闘はないというが、ミッドガルでのテロ事件も多発しているから警備が厳重なのは道理だった。
 クラウドは書類を示して、通用口から敷地に入っていった。
 ここから目指す一般兵舎まで碁盤目状に通る道はアスファルトで舗装されており、それが陽射しの熱に融け、異様な匂いを発していた。二車線程度の幅の私道には装甲車の轍がしっかりと刻まれている。
 遠く陽炎の向こう、施設の間から見えるグラウンドには一般兵が立ち並び、上官の指示の元、訓練する様子が伺える。
 もうすぐこの一員になるのだという自覚がじわじわと沸き起こった。
 多分、楽しいことばかりではないだろう。無論前線に行けば負傷もする。死ぬことも珍しくない。現にこうして次々と兵士を募集するのは、大きな戦闘でそれだけの兵士を失っているからに違いないのだ。それくらいクラウドにも分かる。
 敷地内の様子を眺めながら早足で進んで行くと、五十メートルほど先の施設に兵士たちが続々と集まっていくのが見えた。横目に通り過ぎようとしたところ、兵士の囁きあう言葉を耳にして、クラウドは思わず足を止めていた。
「ソルジャーの立会いしてるらしいぜ」
「マジかよ。英雄自ら出てくるってのは初耳だな」
 兵士の人だかりに私服は訝しまれるという心配を、『英雄』という言葉にクラウドはすっかり忘れ去った。
 見せろ見せろと押し合う兵士の足元をさっさとくぐりぬけ、壁に突き当たったところで立ち上がる。
 室内演習場らしきそこは体育館のような建物だった。何もない広い空間は一面リノリウムの床、周囲の壁にサンドバッグや標的が並んでいる。
 皆が覗き込む窓はクラウドが立つと漸く顔が出る程度の高い位置にあった。幸い兵士達は皆、頭一つ分ほど長身なので見咎められる気配はない。
 窓のサッシに手を添えて室内を見渡すと、幾度も映像で目にした姿がクラウドの目に飛び込んで来た。
 背が高い、それが第一印象。他のソルジャーたちが低く見えるほど。
 流れる髪は薄い金髪ではなく、鋼のような硬質の銀色をしていた。それが真っ直ぐ背中に落ちる様は視線を奪う美しさだった。
 そしてソルジャーの証しである翡翠に似た青緑色の一対の眼は素晴らしい切れ長で、居並ぶソルジャーたちを冷ややかな眼差しで見つめている。
 本人を目の前にするのは初めてのクラウドは、兵士達の囁きあう声を背後に室内の様子に釘付けになった。
 演習場内の兵は皆ソルジャーの制服を着ている。その中で彼だけが黒装束を纏っていた。テレビや写真で見るものとは違う薄い開襟シャツのような上衣、革のパンツ、胸部に交差するベルトも軍靴も黒である。携える剣は練習用の木刀だが、持ち主の名と並んで有名な妖刀正宗には満たないものの、他の人間にはとても扱えない長さだった。
 神羅軍は教官でも軍服を着ているというのに、彼はやはり特別なのだ。
 一方、対峙する者はファーストが身に付ける暗い藤色の制服。その黒髪のソルジャーは英雄を目の前にして動じることなく、背に負った大剣に手を伸ばし、正眼に構えた。
 見守る兵士たちは一様に唾を飲み込んだ。
「これから相手する若造、この間サードからファーストに昇格した奴だぜ」
 古参らしい兵士の一人が呟く声に全員がどよめいた。
「静かにしろよ。始まるぞ」
 再び静まり、二人の動向を見守る。
 英雄はまだ太刀を左手に持ったままだった。
 兵士達はどちらの動きを見るべきか迷うのだろう、少年の頭の上で左右をきょろきょろと落ち着きがない。クラウドは逆に迷うことなく英雄の姿に視線を留めた。
「はじめっ」
 審判役のソルジャーが掛け声と共に小さな旗を振り下ろした。
 同時に動くかと思われたが、英雄も、対するソルジャーもぴくりともしない。クラウドは英雄を見つめたまま頭の中でシミュレーションを行うが、やはり思考の中の少年も動くことは叶わなかった。
 隙が無く、動けないのだ。
 まだ剣技の一も知らないクラウドだが、それでも分かることもある。自分が相対している訳でもなく、緊張も恐怖もないのに、足は動けそうにない。
 無意識に汗の滲む掌を握り締めた。
「何をしている。早く動け」
 皆が息を飲んで見守る沈黙の中、静かに英雄は口を開いた。
 姿こそ映像で見知っているが、クラウドは彼の肉声を初めて聞いた。思ったよりも低い、涼しげな声だった。
 それに聞き入っている余裕はない。
 時間の経過がわからない。
 恐らく対峙するソルジャーも、クラウドと同じ気分に違いない。
「動けねえよっ」
 黒髪のソルジャーは吐き捨てるようにいい、剣の柄を握り直した。
「立ち会えといったのはお前だ。動け」
 威圧感は声や言葉からではなく、その全身から放出される由来のものだ。握り締める掌が冷たくなり、クラウドは頭から血が下がっていくのを感じていた。
「ではオレから動くか」
 英雄はまるで散歩に出掛けるか、というような暢気さで。
 次の瞬間、彼がなぎ払った木刀を黒髪のソルジャーは両手に持った剣で受け止めていた。
 英雄の太刀筋はクラウドだけでなく、見物する全員が視認できるスピードではなかった。
「止めた!」
 叫んだのは演習場の中にいるソルジャーたちだった。
「よく止めた」 黒髪のソルジャーは歯を噛み締め、その太刀を止めるのに必死で、冷ややかな褒め言葉に答える余地はない。合わせた剣を押し合い、二人は飛び退いて間合いを置く。
 クラウドには剣がかち合う時の火花が見えたような気がした。練習用の木製のそれでは火花など起こるはずがないというのに。
 一気に空けた間合いを詰め、すれ違う一瞬、二人は動きを止めた。
 静寂の中、数秒を置いて黒髪のソルジャーが手にしていたはずの大剣が、派手な音を立てて離れた床に落ちる。
「しょ、勝負あり!」
 審判の声に観衆はどよめき、黒髪のソルジャーは右手首を左手で掴み、膝をついた。英雄は静かに立ったまま。
 クラウドはその光景を酷く遠くに感じた。
 これはとても追いつけるような種類の強さではないという絶望なのだろうか。じっと眼を据えていたというのに、その動きのひとつとして掴むことは出来なかった。
 新米とは云うが、ソルジャーファーストをたった二撃で。
 余りに強い。この世のものではないような。
「ぼうず! おいっ」
 遠くに聞こえる声が、まさか自分のことを呼んでいるとは思わず、クラウドはその場に崩れた。
 なんだどうしたと口々に兵士が喚く。クラウドが倒れた場所に隙間が出来る。
 ほんの一瞬意識を途切れさせたクラウドは倒れて数秒で覚醒した。復活した視界を埋めるものは、雲のない空を背景にした兵士たちの覗き込む顔だった。
「おい、大丈夫か。どうした」
 まだくすんだように暗い中で、見覚えのある顔がクラウドに問い掛けた。
 窓から顔を出すのは、先ほど英雄と対峙していた黒髪の若いソルジャーだった。
「貧血か? っつーか、私服ってことは外の子供か?」
 クラウドは問われて、貧血のような症状で倒れたのだと漸く自分の状態を理解した。答えようとしたが、血の回っていない頭では言葉が出ない。
「何事だ」
「なんか、貧血らしい」
 黒髪のソルジャーは振り返って誰かに状況を告げているらしい。
 クラウドはせめて起き上がろうとしたが、とても出来そうにない。伸ばした手が演習場の壁に届いた。
「わ、わ、無理に立つなって!」
 慌てた声を上げる黒髪のソルジャーの横に、新たな人影が現れた。
 銀の髪、魔晄の眼、端正な顔は見れば見るほど彫刻のようだ。
 英雄セフィロスに拠りにもよってこんなみっともない所を見られるなんてと、クラウドは唇を噛んだ。
「頬が赤い。熱中症だ。誰か手を貸してやれ」
 窓から外を覗く顔が兵士たちの方を向き、促した。グローブに包まれた指先がクラウドを指し示す。
「大丈夫です。立ちます」
 何故声が出たのか、クラウド自身にも分からない。
 掴んだ壁にすがり立ち上がろうとしたのは多分意地だった。だが意地もそこまで、膝が萎え、クラウドは再び地面を近く感じる。
 衝撃を覚悟したが、それはやってこなかった。
「…全く」
 代わりに聞こえた低い声は意外なほど近く。
「どこから入り込んだんだ」
 クラウドは窓を飛び越えてきたのだろう英雄に支えられたまま、弁解するより先に、己の身分を証明する書類を無意識に捜した。
「新兵か。まだ子供ではないか」
「子供っても、もう十四だってよ」
 答えたのはクラウドではなく、地面に落ちていたそれを拾い上げ、中の書類を検めた黒髪のソルジャーの方だ。
 そして予期せず身体がふわりと浮き上がった。
「関わりついでだ。医務局へ届けてくる」
 囲んでいた兵士達が道を開ける。クラウドは頬が熱くなるのを感じた。
 本当に熱中症なのか、それとも憧れの人物に抱えられていることに身の置き場のないほど恥辱を感じているからか。
 多分後者だろう。
 明るい私道を、まるで何も持っていないかのように颯爽と運ばれ、クラウドは抗った。
「あの、もう歩けます。下ろしてください」
「…軽い」
 見下ろされると顔が至近になる。完璧な無表情からその意図は読めない。
「体重は」
「あの」
「質問に答えろ」
 口調は普通だが反論の余地はやはりない。
「四十七キロ…」
「女のようだな」
 クラウドは顔にかっと血が昇らせた。
 一番云われたくない言葉だった。それが例え憧れの男でも許せなかった。
「…最低だ」
 思わず口にした言葉に英雄は片方の眉を微かに上げて見せた。それも皮肉なほど絵になる。
 抱えられて触れる胸は厚い筋肉に覆われ、惚れぼれするほど逞しい。
 どうして神は、この男をここまで完璧に作り上げたのだろうか。彼の十分の一でも理想的な強さや肉体を自分に下賜されれば、こんな恥ずべき状況にもならなかっただろう。
「下ろしてください」
 暴れれば無礼と斬られるかもしれないと思いながらも、クラウドは不満も顕わな声で食い下がった。だが男は再び無表情を向け、クラウドの顔を見つめて云った。
「ここでお前を下ろしたとしよう。お前は数歩歩いてまた倒れ、それを放置したオレは言われるんだ。『冷徹な殺人鬼セフィロスは倒れた子供を捨て置いて、見てみぬふりをした』とな」
 唇の端を上げ、自嘲するような薄い笑みはまだ見ぬ顔だった。
 先程から報道や神羅の宣伝で見せるものとは大きく違う彼のせいで、クラウドはあの『英雄』を目の前にしている事実に対し、全く実感が沸いていなかった。
 これは自分の知る『英雄』ではない。
 同じ姿はしているが、自分の憧れた『英雄』ではない。
 張り付いた笑みがクラウドを見下ろす。
「不満そうだな。英雄とやらががこんな男で幻滅したか」
 おまけに人の心まで読む。
 クラウドは無意識に男を睨み付けた。
「下ろしてください」
「図星か」
「下ろせ!」
 立場も忘れて激昂するクラウドにセフィロスは低く声を立てて笑った。
 今度こそ本気で暴れようとしたところ、突然目の前に封筒が突き出された。それがクラウドを止めたのか、それともセフィロスを止めたのかは分からないが絶妙のタイミングだったには違いない。
「何やってんだよ。ほら、お前、これ入寮の申し込みだろ」
 黒髪のソルジャーはクラウドの書類を渡す為に追いかけて来たらしい。セフィロスの腕の中で暴れようと振り上げかけた手へそれを押し付けた。
「一応上官なんだから、暴れんじゃねえよ。大人しくしてな。サー、あんたも子供をからかって大人げないなあ」
「ザックス。来たならついでにこいつを連れていけ」
「いやだね。オレは女の子しか抱き上げないって心に決めてんの」
「だから、下ろせって云ってるんだ!」
 まるで荷物のように扱われるのも腹が立った。
「五月蝿い」
 明らかに機嫌の悪い声を境に、一瞬のうちに無表情に戻った顔は先程と打って変わって冷ややかで、クラウドは背筋を凍らせた。気配が変わったことに気付いた、ザックスと呼ばれたソルジャーもまた振り返っている。
「本当に立って歩けないよう、足をへし折るか」
 ここで反論でもしようものなら本気で実行しそうな口調に、クラウドは身を竦ませ、押し黙った。
 恐らくこれがこの男の本性だ。一国の正規軍以上の兵を抱える神羅の、たかが一兵卒に関わる謂れなどない人物。気まぐれに手を貸し、同時に戦場で必要とあれば十人を切り捨てるだろう。
「あんたが他人に手を貸すなんて珍しいな」
 肩越しに振り返りながら先行するソルジャーが呟いた。軽薄な感じのする男だが、空気を図るのはうまいらしく、冷え切った雰囲気を僅かだが和ませる。
「ここは前線ではないからな」
 やりとりの間もずっと運ばれ続け、彼が扉を開けて、その一棟にある医務室に入った。
 消毒薬の匂いのする部屋に入った瞬間、セフィロスに密着していたクラウドは、自分を抱える男の腕が強張るのを感じた。
 この最強の男が緊張する何かが、ここにあるのだろうか。
 考えている間に少々乱暴に簡易ベッドに投げ出され、何も云わずにセフィロスは出て行った。
 文句や礼を云う時間も与えられなかった。
「気にすんな」
 共に背を見送っていた黒髪のソルジャーは苦笑しながらクラウドへその顔を向けた。
 人好きのする笑みはセフィロスとは対照的だ。
「いつもあんななんだ、あの人は」
 そう云い置いて、奥の部屋から出てきた医務員にその場を引き継ぐと、陽気なソルジャーも手を振って帰っていった。


 クラウドはセフィロスの云ったとおり、軽い熱中症にかかっていた。
 一時間も炎天下を歩き続け、おまけに今日は朝から一食も食べていなかった。旅の疲れもあったのだろう。仔細を医務室に常勤する医者に聞かれ、正直に答えていたクラウドはいきなり叱られた。
「馬鹿か、お前は。育ち盛りの男がそんなことしたら、ぶっ倒れるに決まっとる。寮へ入ったら人の分まで奪って喰うくらいのつもりで喰いまくらんと、骨だけ育って関節炎で立てなくなるぞ」
 幸い氷嚢を当てて暫く休んでいただけで回復した。初老の医者は脅しに近いアドバイスを幾つか与えてから、クラウドを医務室から追い出した。
 なんとも手荒な感じはするが、いっそ爽快さすら感じる。大した処置もせずに延々と世間話をしたがる故郷の医者とは大違いだ。
 クラウドはすっかり回復した足取りで入寮手続きに向かった。無事済ませたら、早速寮の余り美味くもないだろう食事を、アドバイスどおりしっかりいただこうと思い描きながら。


 「で、どうだ、調子は」
 鍵を受け取り、寮の与えられた部屋へ入ったクラウドを迎えたのは、あの黒髪のソルジャーザックスだった。彼の髪は後ろ向きへ派手に尖っているから、間違えようがない。
 クラウドは戸口で少なからず驚き、部屋番号のプレートに表示された名前を確認する。名札は自分で書いて貼ることになっているので、その乱雑な文字は彼の手によるものなのだろう。
「縁があるな。よろしく頼むぜ、クラウド・ストライフ」
 大きな手を差し出してきたソルジャーは、クラウドより頭ひとつ分は背が高い。
「同室だよ。っていうか、何人かいた新兵の中で、オレがお前を指名したんだけどな」
「…どうして」
「だから云ったろ。縁があるなって」
 明るい笑顔の片目がばちりとウィンクし、躊躇するクラウドの手を強引に握った。
 硬い胼胝の出来た、戦士の掌だった。
「よろしく、お願いします。サー・ザックス」
「待った」
 習いたての敬礼をしたクラウドをザックスの手が制した。
「この部屋ん中で敬語はナシな。オレ、苦手なんだわ」
「でも」
「外は仕方ない、一応規律とかって堅っ苦しいもんがあるからな。でもここではナシ。敬礼も」
 クラウドがまだ戸惑っていると、ザックスはセットした髪を豪快に掻き、そして気付いたように手招いた。
「ま、とりあえず入って荷物開けろ」
 漸く部屋へ入ったクラウドが小さなバッグを床に置くと、彼はそれを見て言った。
「て、それだけか? 荷物」
「はい」
「だから、止めろっていってんだろ。さらにサーとか言われると背中痒くなるんだって。お前、オレの背中掻いてくれんのかよ」
 自分が彼の背を掻いている姿を想像して、クラウドは眉間に皺を寄せた。
「いやだろ?」
 にやりと笑った顔を見上げ、頷く。
「お前のベッド、そっちな」
 彼自身曰く、ザックスという男は南のゴンガガという村の出身で、温暖な気候に相応しく日に焼けた肌が、その体格の良さを引き立てている。セフィロスより少し背は低く、だが身体の厚みは同じくらいか。
 演習場で木製とはいえ大剣を振るう姿は豪快だったが、性格はそれを上回る豪快さだった。一緒に出向いた食堂で、まさに他人のものまで奪い取りかねない大食ぶりに、クラウドはそれに負けじと慌てて食べる羽目になった。
 部屋に居ても何かと話し掛けてくることが多く、テレビをつけて大声で笑い、彼には狭い備え付けのベッドの上で筋トレまで始める。
 なんとも賑やかで、だが気さくな彼を嫌う理由はクラウドにはなかった。


 新兵と扱われる兵士は総勢百名ほど常時存在する。クラウドもその一人となった。
 軍律の講義に始まり、基本的な行進や銃の構え方、体力づくりのためのトレーニングなど初歩的な演習を行う研修期間がひと月設けられ、それが終了すると一般三等兵として隊に配属される。
 だがクラウドのように基礎教育を終えてすぐに入隊する者は少なかった。殆どが高等教育を終えて就職先として神羅を選ぶ、年齢も十七は越えている者だった。
 中には大学まで卒業し、いきなり少尉以上の将校として軍に入る者もいて、それはクラウドたちとは違うエリートとして扱われた。彼らは研修期間だけをクラウドたちと共に過ごし、それを終えれば本社勤務に就き、兵舎に残って前線に赴くのはごく一部だという。
 自然と同年代の者同士で固まり、小さなグループが出来た。
 クラウドと同じく十四歳の最年少組も十名ほど存在したが、クラウドは彼らと特別懇意になることはなかった。
 同年代の子供を何よりも嫌うクラウドである。それも最年少組は皆、クラウドと同じような辺境の村から出てきた者ばかりで、その思考や性質も故郷の少年たちと変わらない。十七、八歳の連中も似たようなもの、エリート組など端から相手にしないし、されない。
 クラウドは結局孤立していた。
 村にいる時と状況は何も変わっていなかった。
 唯一、寮の部屋に帰って会うザックスだけがクラウドの友人だった。彼らの部屋に訪れるのはザックスの遊び友達や同僚で、その時だけクラウドは人の輪に入る。ひと月も経てば自然と仲間が出来るものだが、一人として部屋を訪ねてくるものがいないとなれば、その状況にザックスも気付いたのだろう。
「お前、友達いないのか?」
 無言で返すクラウドに、ザックスは太い眉を顰めて苦い顔で腕を組んだ。
「お前さあ、つまんなくないか?」
「なんで」
「自由時間、暇だろ?」
 ザックスは既にソルジャーファースト、決まった訓練は殆どなく、実戦のミッションと合同演習で拘束される以外は基本的に自由時間である。
 一方クラウドはやっと研修を終え、これから部隊が決まる新兵なのだ。
 おまけに義務教育しか受けていない者は自由参加の講義があったし、空いた時間の殆どを体力作りなどに充てて、更に部屋へ帰ればソルジャーになるための勉強をしている。正直クラウドに遊んでいる暇はなかった。
 寮の部屋へザックスの客がくれば、勉強は中断せざるをえない。純粋に彼らと過ごすのも楽しかったから、クラウドは本を閉じ、彼らの輪に入っていたのである。
「暇なんかない」
「なんでだよ。オレのダチが来ると、一緒にゲームやカードやるだろ。お前のダチだって呼んでいいんだぞ。もしかして遠慮してるのか?」
 ザックスの問いに首を横に振って、クラウドは呟く。
「興味ないんだ」
「…なにが」
「オレと同年代の奴ら。みんな、子供っぽくて」
「つきあってらんねーか。お前、ませてんもんなあ」
 大きな手がクラウドの髪をかき乱し、背中をばしばしと叩く。
「痛いって」
「ま、無理につきあえなんて言わねえけど、なんだか小セフィロス見てるみてーで、心配なんだよ」
「小…セフィロス…?」
 恐ろしいことを聞いたような気がして、クラウドは繰り返す。
 英雄セフィロスには入寮の日に会っただけで、それ以降姿を見かける機会はなかった。
 部隊に配属されれば合同演習で会うこともあるらしいが、そもそも一兵卒が対面して言葉を交わすような立場ではない。噂では年中行われるミッションを行ったり来たりで、それは多忙らしい。
 またクラウドは初対面以来、あれだけ憧れていると思っていた英雄に、あえて会いたいとは思わなかった。彼と会う度にクラウドの目標とする『英雄像』が壊されるような気がしたのだ。目標はあくまで目標であり、英雄は神羅が作り上げた理想の兵士の姿だ。彼ではない。
 そう思うようにして自分の目指す場所を検めていたというのに、唯一の友人はクラウドを『小セフィロス』などと言う。
「言い方悪いか? ま、実際小さいけどよ。どっちかってーと『セフィロス予備軍』?」
「なんだよ、それ」
「セフィロスを凄えって云う奴は一杯いるけど、なんかお前はセフィロスそのものになろうとしてるみたいに見える。意識はしてねーかもしれないな」
 そこまで云って、ザックスは背を向けるとベッド脇に取り付けた小さな冷蔵庫を開け、瓶入りの清涼飲料水を取り出し、その一つをクラウドへ投げた。自分は缶ビールを取り出し、プルトップを開ける。
「お前、ソルジャーになりたいって云ってたよな。毎日必死で勉強してるのも知ってる。時間外も訓練所行ってるのもな。そんで、どうしたいんだ? ソルジャーになってどうしようって?」
 クラウドは瓶のキャップを捻った。圧縮された空気が抜ける音が、狭い部屋に間抜けなほど大きく響く。
「オレは…強くなりたいだけだ」
「強く、なってどうする」
「守れなかったものを、守れるように」
「おふくろさんか?」
 それもある。そしてもう一人クラウドにとって象徴的な守るべき対象がある。
 だが云いたくない。
 クラウドは黙って頷いた。
「ソルジャーってのは…」
 今度は何故かザックスの方が言葉を濁した。
 いつも鷹揚で豪快な彼らしくない。そもそもこんな風に説教じみた問いかけを繰り返す彼も初めてだった。だからこそ、それがクラウドにとっても重要な話なのだろうと思って、言葉の続きを待った。
「ソルジャーのオレが言うのもなんだがな…他人が守りたいと思うものを徹底的に壊すのが仕事だ。奴らの家族、奴らの主張、奴らの国、なんでも片っ端から力にものを言わせて壊す訳だ。オレたちは所詮一企業の利益の為に働く犬だってのにな」
 ザックスがそんな風に思っているのも意外だったが、彼の話はクラウドにとって衝撃でもあった。
 つまりクラウドが守りたいと思うものを神羅が害することもあり、自分がその立場に立つこともあるということだ。
 考えれば簡単に分かることなのに、クラウドはそれに気付いていなかった。
「セフィロスは……あの英雄は、多分お前みたく守りたいものも持ってたと思う。昔はな。尊敬する人や戦友もいたはずだ。でもそれを全部亡くして、気付いた時にはあのザマだ」
「あのザマって、なんだよ」
 自らあの英雄を否定するようなことを考えていたクラウドだったが、長年憧れた存在を他人に貶されることは、酷く不快だった。
「…主張がない。だから誰でも斬れる。迷いがないから強いんだ」
 クラウドは瓶を持つ手に力を込めた。
 何故ザックスが、彼をそこまで悪し様に言うのか分からない。だがただ猛烈な怒りがクラウドを支配した。上官を責めるのは面倒そうだが、クラウドはどうせまだ配属も決まっていない立場である。
 いっそ彼を黙らせるために殴ってしまいたかった。
 そして、クラウドもどうして友人の言葉にそれほど怒りを感じるのか理解した。
 英雄を蔑む言葉に怒ったのではない。自分のことを云われているように感じたからに他ならない。
「怒ったな」
 見上げたザックスの顔は笑っていた。
「…怒ったよ」
「ならどうして黙ってる」
「そうかもしれないって、自分を…疑ってるんだ」
 再び俯いたクラウドの肩を叩き、ザックスは自分のベッドの端へ腰を下ろした。
「オレも、英雄に憧れて入隊した口だ。どっちかっていうと、あいつみたく有名になってやるってばかり考えていたけどな」
 それはクラウドも同じだ。
 彼のように世界に名を馳せれば、誰にも文句は言われなくなるだろうと思っていた。
「こう見えてもオレは強い」
 ザックスが突然自慢げにいうので、クラウドは小さく吹き出した。
「笑うなよ。実際サードからファーストへ上がったのは異例だし、実はオレ実戦での戦績もいいんだぜ」
 笑ったのは彼の言い方がおかしかったのであって、決してその内容を疑った訳ではないのだが、クラウドは弁解せずに続きを促した。
「あいつと一緒に何度か実戦も経験した。そのオレから見ても、あの強さは半端じゃない。なのに目的意識がないことを、あの頭のいい男が気付かないわきゃないだろ? 見てるこっちが苦しくなるくらい、あいつは常に探してるんだ。戦う理由を」
「あんたの…戦う理由は?」
「そりゃ、一旗上げる為さ」
 ザックスは親指を立てて、にかっと明るく笑う。
「あの英雄が焦るくらいに有名になってやる。それだけじゃないぜ。仲間と酒盛りして、楽しく騒ぎたい。キレーな姉ちゃん達と遊びたい。だからオレは生きて帰りたい。帰るために強くなる」
 まるで欲望の塊のような云い様だったが、ザックスが云うとそれが例えようもなく楽しいことのように思えた。
「理由があって戦うのか、戦うから理由を作るのか、そんなのどっちでもいい。でももし神羅の上層部がお前の故郷を攻めると言ったらどうする? もしお前の預かり知らないところで、故郷が全滅したらどうする」
 さらりと云われたことにクラウドは動揺した。無表情に隠したつもりでも、ザックスはその僅かな変化を察したようだった。
 ザックスはヘビーな例え話で悪いな、と呟いて続けた。
「以前のオレだったら、たとえお前の故郷が標的でも出陣したろうさ。有名になるチャンスはウータイと休戦してからめっきり少なくなったしな」
「ザックス…あんた」
「話は最後まで聞けよ。今はお前の故郷を潰すなんて作戦、あったら出渋るに決まってる。なんたってお前の故郷だもんな。で、お前は故郷の肉親や友人を守るためなら、他の村は殲滅させるのか?」
「そんなこと、しない!」
「それが母親を守ることになるとしてもか?」
「意味が…分からない」
「例えばだ。お前の故郷にある魔晄炉を、どこかの国の人間が壊したいと思ったとする。魔晄炉が大爆発でもすりゃ、お前の村は壊滅だ。それが現実に起こるかどうかじゃない。もし軍の上層部が、そんな嘘だかデマだかかもしれない理由をつけて、どこかの国を滅ぼしたがっているとする。お前―――その命令に従うか?」
 ちらりと視線だけを向けた彼の表情は、本当にこれまでに見たことがないほどに真剣だった。恐らくクラウドが答えを出さないうちは、その目を外さないとでも言うような強さで、クラウドは思わず音を立てて唾液を飲み込む。
「従う…かもしれない」
 ザックスはその答えに小さく頷いて見せる。
「軍人や兵士ってのはそういうもんだ。正義なんてものは、戦争を始めるときの言い訳にしかならない。てめえらが守りたいものを守る、その意地の張り合いで勝った方が勝ちなんだよ。だからなクラウド、お前は戦うための理由を誰よりも多く持て。出来るだけ未練がましく生きろ」
「未練がましく」
「そうだ。だから勉強ばっかしてねーで、トモダチも作って日々楽しくやれってことだ」
 漸く、どうして彼がいきなりそんな話を始めたのか分かった。
 不器用な彼の一面を見た気がした。
 限りなく優しい男だと思った。
「あんたがいる」
 クラウドの返答にザックスは一瞬呆け、そしてもう一度満面の笑顔になった。
「…可愛いコト云うじゃねーか、こいつ」
 いつもの豪快さを取り戻したザックスは、サービスのつもりなのか、冷蔵庫から取り出した飲料をもう一本クラウドへ投げて寄越した。
 炭酸飲料だった。
 開けられる頃には温くなっているに違いない。


青年未満mission1(了)
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