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EP:3
暗い部屋

 内戦が終わろうとしているころ、アキラは源泉との住居を海側の地域に移した。
 以前のアパートに入居した時分は、世間が混乱していて住む場所にしても選り好みしている余地はなく、家賃も安いとは言い難い。今は、CFCの敗退は確定と言われ、日興連の領地に戦火が及ぶことはほぼありえなかった。インフレも形を潜めて、非常に安定した生活が送れるようになってきた。
 新居は、戦前から建っているような古い4階建ての集合住宅である。
 灰色の無愛想な外壁で、内装も外と同じコンクリートが剥き出しだった。海が近いといっても、窓から見えるのは鬱蒼とした林と隣の敷地に立つ似たようなアパートで、海が見える訳ではない。
 6畳ほどの四角い部屋と、通路の途中についたキッチン、バスルームの端にトイレといういかにも典型的な独身者向けの部屋である。
 この部屋を選んだ理由は、収納用と思われる2メートル四方ほどの部屋がついていることだった。源泉はこの部屋を改造して、水道と排水設備を付けた。暗室として利用するためだ。
 アキラが日雇いやアルバイトで小銭を稼ぐ以外は、ほとんど源泉の収入で生活を送っている。
 源泉は日興連ではメジャーな報道雑誌の編集部につてを幾つか持ち、ジャーナリストを生業にしていた。写真をやるようになったのはトシマから逃れてきたここ一年ほどのことだ。暗室はその写真を焼くために必要だった。
 元々は科学者だった源泉だからか、現像の技術はあるようで、自力で一通りの作業ができるようにしたかったらしい。
「特ダネを、そこいらの店で現像したくはないだろ」
 源泉はジャーナリストといってもゴシップや衝撃的なスクープをねらうような記事は書かない。特ダネが何を示すのかアキラには分からなかったが、源泉は何に関しても、徹底的に自分でやりたがる性分なのは、これまでに承知の事実だった。
 アキラは源泉が以前から嬉しそうに器具を買いそろえる経過を見ていて、段々と写真に興味を持ち始めた。
 そもそも裕福な生活を送っている訳ではない二人なので、カメラや写真用品以外の財産といえばずっと使っているパイプ製のダブルベッド、中古のパソコン端末、テレビはなくラジオ、最低限のキッチン用品、衣類、これだけである。
 暗室完成記念とばかりに、アキラは源泉に写真を教えてほしい旨を言い出した。
「そう言い出すのを待ってた」
 嬉しそうにそう言い、二つしかないカメラの片方をアキラに差し出した。
「あれから、一年以上か。早かったな」
 目を細めてアキラを見つめる源泉は、口元に優しい笑みを浮かべて、その唇を額に押しつけた。
「指輪をやるわけにはいかんし、少々色気がないが…」
 照れながら言う源泉をじっと見返す。
「…なんだよ、一世一代の告白なんだぞ」
 不満そうな男の言葉にアキラは困惑していた。嬉しいような気もするが、それが源泉にとってどういう意味があるのか、アキラには分からない。
 指輪、といったからには結婚をほのめかしているのは明白だったが、いまでも男女間でしか認められていない上に、これまでの関係がそれで変わるものでもない。事実上夫婦のように生活している二人に、そんなものは無用だと思っていたのだ。
 困まった顔で首をひねるアキラを見て、源泉は寂しそうに苦笑した。




 源泉は取材の為に数日帰らないことがある。
 日興連に移民する形で住みつき、丁度8ヶ月目に正式にパスポートが支給され、海外に出国できるようになってから源泉は既に二度ほど海外取材に行っていた。その間、アキラは一人でアパートにいることになる訳だが、昼間はアキラも仕事に出ているし、そもそも独りでいることには慣れている。
 それでも、源泉が帰って来る日は少々落ち着かない。部屋で本を読んだりしている間、アパートの扉の鍵を解錠する音が、いつするか待っている自分に自覚があった。
 新しいアパートに移って一週間ほど経ったころ、三度目の海外取材で源泉が出かけて行き、その日は5日ぶりに彼が帰国することになっていた。
 アキラは昼間アルバイトに出て、夕刻帰宅した。昼過ぎに着く便で帰ってくるはずの源泉はまだ帰っておらず、軽い食事をして風呂にも入り、部屋でラジオを聞いていた。
 聞き慣れているはずのDJの声が妙に白々しく感じるのは、この部屋に馴染みがないからだろう。以前から変化のない生活用品は、小さな軽トラックに積み切れてしまうわずかな量だったし、天井には電球が二つの暗い部屋である。
 孤児院から出て、なんの絆もない家族と別れて以来、アキラはずっと独りだった。誰かと住むことも、今は亡き幼なじみでさえ泊めたこともなかった。むしろ他人がずっとそばにいることは苦痛だと思っていた。
 だが、人恋しいと今は思う。
 話をしたいわけでもなく、ただ慣れた気配がそばにないだけで、妙な不安に襲われる。
 そこは自分の居場所ではない、というような。事実、居ついたばかりの新居はまだアキラの場所ではなかった。
 焦燥感を煽る考えに辿り着き、アキラはそれを振り払うように服のままベッドへ潜り込んだ。眠ってしまえばそんなネガティブな考えから逃れられるような気がした。
 ベッドの柵にさげたラジオを消そうと、手を伸ばす。
『あー、緊急ニュースが入ったそうです。麻生さん、お願いします』
 いつものんびりした口調で喋るDJが、ニュースを伝える麻生というアナウンサーに話を振ったところだった。籠もったような音声になり、別のスタジオに繋がれたことが分かる。アキラはなんとはなしに、スイッチに伸ばした手を止めた。
『情報部麻生です。先程入りました情報によりますと、日興連共通時間午前11時に上海発ハママツ着予定のチャイナエアサービス122便が太平洋上空で消息を絶ったとのことです』
 アキラははじかれたように上半身を起こし、毛布をはねのけた。
「上海…」
 源泉が取材にいったのは中国大陸だったはずだ。遺跡を見てくると言っていた。
 アキラは源泉が出かけていくとき、いつも日程を簡単にメモ書きして、玄関ドアの内側に貼り付けて行くことを思い出し、ベッドから飛び降りた。
 『122』という数字に妙なつっかかりを感じるのは、見覚えがあったからだ。
 源泉が帰ってくる便は。
 せり上がる不安と戦いながら、アキラはメモの帰国便の記述を指先で追った。
「ウソだ」
 思わず口にした。同時に喉の奥からわき上がってきたものが、ぐうという呻きになって唇から漏れた。嘔吐しそうな気分の悪さがあり、アキラは口元を押さえて床に座り込む。
 チャイナエアサービス122便。源泉が自分の手で書いたメモが事実なら、それは源泉の帰国便だった。
 首筋が早くなった鼓動と同じ速度に脈打つ。
 胸と喉に熱く重いものが詰まる感触があり、顔からは血の気が引いた。
「落ち着けよ……落ち着け」
 自分へ言いきかせるように呟きながら、アキラは何をすべきか考えた。
 まずはニュースが正しいのかどうか確かめなければならない。そう思い至って、アキラはラジオの前に走りボリュームを上げた。
 アナウンサーは何度か同じニュースを繰り返し読んでいたらしく、先程と同様の便名を伝えている。DJが日本人の乗客人数について質問をし、キャスターは憎らしいほど淡々と答えた。日本との直行便だけに、約二百名の乗客の内、半数ほどが日本人だという。名簿が発表され次第乗客名を読み上げます、とアナウンサーが言った後、スピーカーはCMを流し始めた。
 アキラは据え付けのクローゼットから上着をつかんだ。
 ポケットに入れっぱなしになっている携帯を取り出し、番号案内のサービスへ電話をかける。この部屋に固定電話はないのだ。チャイナエアサービス日本支店の番号をオペレーターに頼み、無機質なデジタル音声が伝えるそれを、雑誌の端に書き付け、片手でページをちぎり取った。
 切った電話をポケットの中につっこみ、IDカードと財布が入っていることだけを確認し、玄関へと走る。スニーカーをつっかけ、玄関脇に置いた鍵を掴み、字のごとく部屋を転び出た。
 部屋のある最上階から階段を駆け下りる。冷たい金属の手すりを頼りに、一段飛ばしに走り下った。
 航空会社には移動しながら問い合わせるつもりで、携帯と一緒にポケットへつっこんだ雑誌の切れ端をさぐり、それに目を落とす。
 そちらに目を奪われた途端、アキラはしっかり足の入っていなかったスニーカーに足を取られ、残り少ない段を踏み外した。
 一瞬ふわりと浮かんだように感じた。
 速度に反して、身体がどう落ちるのかスローモーションで自覚する。
 唯一支えになるはずの手すりを持つ手に力を入れると、その手首に全体重がかかった。
 どすん、と鈍い衝撃があり、身体がやわらかいものにぶつかり、止まった。
「アキラ!」
 手すりを掴んだ腕だけを残し、滑り落ちかけたアキラの身体を誰かが支えている。
 力強い腕、大きな身体、嗅ぎ慣れたタバコの匂い。
 反射的に見上げた目の前に、驚きに目を見開く、無精髭に覆われた顔があった。
「何、ムチャな降り方してるんだ、馬鹿!」
 目の前のものが信じられず、もしかしたら夢を見ているのかと思う。だとしたら匂い付の夢なのだろうか。
「……なんとか言え。遅くなったのを怒ってるのか?」
 無言のまま見上げるアキラの目の前で。憮然とした声を吐き出す唇が動いている。
 指を伸ばし、唇へ頬へ触れる。指先に暖かな体温があった。
「……アキラ…?」
 首筋に抱きつき、そのまま男の身体を抱き締めた。
 後ろに押し倒しそうな勢いだったが、男は少しよろめいただけで踏み留まった。
「どうしたってんだ…」

 男は、紛れもなく源泉だった。



 「うへえ。マジで消息不明なのか」
 胸に、しがみついて離れないアキラを抱えたままベッドに座った源泉は、ラジオから流れるニュースを聞いている。

 その時源泉は帰宅し、アパートの階段を上ろうとしたところに丁度『アキラが落ちてきた』らしい。
 慌てていた理由を問われても、完全にパニック状態だったアキラは混乱していて、うまく説明すら出来なかった。長距離を走ったわけでもないのに、息を荒くし、肩を震わせ、顔を強張らせたアキラを見て源泉も状況を悟ったようだった。頭と背中を撫でられ、抱えるようにして部屋に辿り着き、「落ち着け」と言われた途端にアキラは床に崩れ落ちてしまった。
 まるで子供をなだめるように声をかけられて、少し落ち着いたアキラだったが、未だに抱きついた胸から離れられなかった。
「飛行機、落ちたって…」
 それだけの説明から源泉は何を察したのか、ラジオをつけて、ニュースを耳にしてやっと状況が分かったらしい。

「途中の列車が遅れてな、その便に間に合わなそうだったから、キャンセルして次の便にしたんだ。オレは122便には乗ってない」
 漸くまともな反応を返せるようになっていたアキラは、源泉の顔を見上げ、もう一度その胸に顔を埋めた。
「あんたが…死んだかと思った」
「大丈夫だ。オレは122便には乗ってない。ここに、いるだろ」
「あんたが化けて出たか…それとも夢かもしれないって…」
「ここにいる。土産も買ってきたぞ」
 離れようとしないアキラを抱えたまま、源泉は床に置いた旅行カバンの中から、中国情緒たっぷりの香の箱と、お茶の包みを取り出した。
「ろくな土産物がなかったんでな、こんなだが」
 苦笑する源泉の顔をじっと見つめれば、更に苦笑を深めてアキラの髪と頬を撫でる。
「そんな…じっと見るなって」
 顔を近寄せ、柄にもなく恥らう男の唇に口付けた。
 触れた顎や頬の髭が、ちくちくとアキラのそれを刺激する。構わず押し付けて、舌で唇を丁寧に舐めた。すぐに答えてきた源泉は、片手でアキラの頭を固定し、より深く合わせてくる。
「まだ、夢だと思ってるのか」
 土産物を床へ降ろし、座っていたベッドに丁度いいとばかりにアキラを押し倒す。
 組み敷かれたアキラも手を伸ばし、帰宅してそのままだった源泉の上着を剥ぎ取った。
「欲しいのか?」
 無言で頷き、髪を撫でてきた手を取って、その指先を口に含んだ。
「そりゃ、まあ…歓迎なんだが…」
 なぜか恥ずかしそうにそっぽを向いて言う様が、如何にも源泉らしい。
 首の後ろに手を回し、きつく抱き合い、源泉の重みを感じる。
 ようやくこれが現実なのだと、アキラは安堵の吐息を大きく漏らした。


 源泉に愛された後はいつも、そこが痺れるような微かな痛みが残る。最中にそれを意識することはなくても、終わってしまえば身体の痛覚はまともに働くということだ。
 まるでそれを宥めるように、源泉が背を何度も何度も撫でてくるのも通例だった。
 汗が渇くくらいの時間はそうやって身体を寄せ合い、頭の上で源泉が吸う煙草の匂いを嗅ぐ。
「驚いたな」
「そりゃ、驚きもするよ。だって」
 偶然とはいえ、尊敬するほどの強運の持ち主だ。
 まさか次の便に乗っていたなど、相当な楽天家ででもなければ信じることは出来ないに違いない。
「いや、そうじゃなくてな…」
 語尾を濁らせた男を間近で見上げ、無言で問う。
「お前が、あんなに取り乱したところは、初めて見た」
 たしかに自分自身でも信じられないほどパニックしていた。その自覚もなかった。
 誰かを失う経験は、アキラは普通の人間より多くあったかもしれない。それでも源泉のように自分から一緒に居ようと決めた者は多くない。過去を振り返っても、亡き幼馴染みくらいだった。
 その源泉が、生存の確率が低い事故機に乗っているとしたら、慌てることはごく自然だが…。
「ちょっと…嬉しかったぞ」
 源泉は呟くように言って、煙草を挟んだ指で頬をかいた。
「不謹慎だ」
「いや、被害者には悪いが、お前がオレをそんな大事に思ってくれてるとはな」
「大事っていうか…」
 語尾をにごらせるアキラを見下ろし、なんだちがうのか、と呟く男はまた寂しそうな顔をする。
「あんたがいなくなったら、オレはどうすればいいのか、想像つかないんだ」
「そうか。でもな、オレの方が遙かに年上だ。お前よりは早く死ぬことになると思うぞ」
 寂しそうでいながら、源泉は口元から笑みを消さない。
 大事なものを抱える仕草で、アキラの背を撫でる手の動きも止めない。
「それにな、人は意外と強いもんだぞ。失っては生きていけないほど大事な者を無くしても、もっと大事なもんを捜そうと、無意識にするもんだ。オレが事実そうだったようにな」
「あんたの…今一番大事なものってオレなのか?」
 腕を伸ばして、ベッドサイドに置いていた灰皿へ煙草を押しつけながら、源泉は声を立てて笑った。
「そういう事を面と向かって聞くからガキなんだよ、お前は。まったく」
 胸の上にアキラを乗せていた身体をかえし、もう一度アキラに乗り上げてくる。間近で見下ろす源泉の真摯な目を、真正面から見つめ返せば、源泉は目を細めて首筋に顔を埋めてきた。
 不覚にも先程の熱がぶり返してくる感触に、アキラは小さく喘ぐ。
「だって…オレには…オレだったら」
 意味のないつぶやきを漏らしながら、今更溢れそうなものを隠そうと、右腕で目を覆う。
「あんたと生きようって決めたのに、あんたがもし事故で死んだりしたら、オレは何に復讐すればいいんだ…」
 源泉は動きを止めた。
 目を隠すアキラには、彼がどんな表情でいるかは分からなかった。
 暫くして源泉はアキラの目を隠す腕を退けさせた。細めた目も引き結ばれた口元もどこか優しげで、目と鼻の奥が熱くなる。
「復讐なんか無駄なんだと、お前がオレに教えたんだ。もしオレがいなくなっても、お前はそのまま生きればいい。しぶとく生きて、まともな死に方をして、それで気が向いたら…」
 大きな掌が、奥歯を噛みしめる口元に触れ、そのまま頬を包んだ。
「また、オレのとこに、戻ってきてくれ」

 その時の源泉の微笑みを、アキラは二度と忘れないだろう。
 同時にそれを形にして、いつも側に置ければと思った。いつまでもそんな風に自分の側で笑っていてくれればと、祈るほどに強く願った。



 「感光設定をフィルムに合わせる。これは入れたフィルムの表示のまま。被写体に合った絞りに設定して、照度計の明るさに……何で調整するんだっけ?」
「シャッタースピード」
「それ、それ」
 源泉から譲り受けたカメラを手に、指折り数えて確認していたアキラは、背面についているシャッタースピードの設定を変える。
「お前、それ早く慣れないと、肝心なシャッターチャンスを逃すぞ……」
「わかってるって」
 その時の源泉の表情こそ、アキラが撮りたい一枚だったに違いない。
 教えることは嬉しいのに、若干飲み込みの悪い生徒に少々うんざりしたような、もう二十歳を越えたというのに、子供のようにカメラに夢中になっている青年の妙な可愛さに気恥ずかしさを覚えたような、そんな苦笑だった。
 漸く設定を合わせてアキラがレンズを男に向けた。
 ファインダーの中の男は、まだ火を点けていない煙草をくわえ、ライターを構えたところだった。
 背景はやっと自分たちの場所になりつつあるアパートの部屋の壁である。
「なんかさ、こう…イイ顔してよ」
「ムチャクチャ言うなぁ、お前は…。自然なとこを撮りたかったんだろう」
 アキラは頷いて、愛用のジッポーで火を点ける姿や、アキラの構えの悪さを指摘する源泉にフォーカスを合わせ、何度かシャッターを切った。
「いけそうな気がする」
「ま、慣れてくれば、カンでなんとかなるもんだ」
 降ろしたカメラを今度は源泉が手に構え、レンズをアキラへ向けた。数段手慣れた様子で、同じアングルのアキラを、しぼりやシャッタースピード、レンズフォーカスを変更しながら数枚撮る。
 まだ撮られることにも慣れていないアキラは、きっと奇妙な表情になっていただろう。レンズを向けられると構えてしまうことが分かっているらしく、源泉はいつも不意打ちでシャッターを切っていた。
「なあ、提案なんだが」
 カメラを降ろした源泉は、酷くにやにやした顔になっていて、アキラは警戒の目を向けた。
「授業料代わりに、モデルやらんか?」
「…オレが?」
 二度続けて頷いた源泉に、更に警戒をあらわにしながらアキラは暫く考え込み、躊躇しつつも了承した。
「あんたの写真だけ撮って、オレだけ撮られないのはフェアじゃないから…いいよ」
「よし。善は急げだ」
 しゃがみこんでいた床から立ち上がり、源泉はアキラの二の腕を掴んで立たせる。室外で撮るつもりなのかと、大して抵抗もせず従ったアキラは、源泉の向かう先にあるものを見て、その腕を乱暴に振り払った。
「あんた……なに考えてんだ!」
 源泉はアキラの腕を掴み直し、ベッドの上にカメラを置くと、逃げかかるアキラを両腕で抱き止めた。相変わらず、見かけに寄らない握力と腕力で、暴れるアキラをものともしない。
「ヌードだよ。オレも初挑戦なんだから、ちゃんと協力してくれよな」
 源泉の声は真剣だったが、顔を見上げるとアキラの反応を楽しんでからかっていることは明白だった。
「ふざ…けんなっ!」
「オレは真剣だからな。やると言ったら、やる」
「この……! エロオヤジ……!」
 抵抗空しくベッドに押し倒され、唇を塞がれ、何度も舌を吸われながらあちこちを撫でられると、既に抱き合うことに慣れた身体から力が抜けていった。
「せっかく暗室作ったんだ。いろんなお前を撮らせろよ」
「いや、だ」
「誰にも見せない」
 いつの間にか着ていた緩いスウェットとジーンズは取り去られ、殆ど裸の状態で、その素足の腿の辺りに源泉のものが当たっていた。昨晩も二人ともへとへとになるまで散々愛し合っていたのが嘘のように、欲望が復活している。
「オヤジのくせに…元気なんだ、から」
「ああ。当分死にそうにないだろ? 安心したか?」
「バカ」
 カメラの存在を忘れ、ベッドメイクしたままの毛布の上で、つい声を出して笑い合い、それから熱い抱擁に没頭した。


 夢うつつの中で揺さぶられている時、何度かシャッターの音を聞いた気がしたが、アキラはその回数も、どんな時に聞いたかも覚えていない。
 確実に撮られてはいる。が、源泉はその写真をアキラには見せようとしなかった。知られれば取り上げられることは源泉も分かっているらしい。
 見つからないようにこっそり暗室にこもって、印画紙に焼き付ける姿を想像すると妙におかしさがこみ上げて、それ以上追求する気にはならなかった。
 だがアキラは、自分に与えられたカメラを日々持ち歩いて、あちこち撮りながら密かに心に決めている。
 いつか仕返しに、『その』時の源泉を、同じように写真に収めてやろうと。


2005.03.11(了)
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