EP:1
パープルスモーク |
怠い脚を引きずるようにして歩く。
小さなライトが、壁に浮かび上がらせる光の輪を見つめていると酔いそうになる。
固いコンクリートの地面は、かつて汚水を流した痕跡はほとんどなく、ただ埃とカビを舞い上がらせ、それ以外は静かに二人の足音だけを反響させていた。
トシマの町中からこの下水道跡に潜り込んで、どれだけ時間が経っているのか、時計を持たないアキラにはまったく検討がつかなかった。唯一時間を知る手段だったエマに渡された通信機は教会で壊してしまったし、自分の手を引いて前を歩く男の腕にも時計はなかった。あったとしても、この暗さではそもそも見えるかどうか怪しい。
アキラはただ黙々と、源泉の温かい掌を頼りに足を進めていた。大戦後は交通手段も限定されて、長距離を歩くことに躊躇はないが、この狭く反響の大きい単調な場所を進むことには精神力がいる。それを分かっているのか、もしくは彼も同じ気持ちなのか、時折アキラを励ますように声をかけてきた。
「疲れたか?」
アキラは曖昧に笑って済まそうとしたが、この暗さでは相手に自分の顔が見えないことに思い至り、小さく首を振った。気配で感じ取ったらしい男はアキラの肩に腕を回し、頭を抱え込むように無精髭の伸びた顎をアキラの頭にのせた。
「強がらんでもいいぞ。休むか」
苦笑か微笑といった気配で笑い、通路の端へアキラを導いた。
一本道の下水道にも、時折腰を屈めて進めるかどうかと云う、ごく狭い支道はいくつある。その段差に並んで腰掛け、アキラはまだ自分を抱える源泉の顔を見上げた。
源泉はこれから進むべき方向へ顔をやり、早速くわえた煙草に火を点けている。ライターの火が男の鼻先を赤く照らすが、表情は分からない。
「…おい」
「ん? なんだ?」
「手…はなせって」
間近にある首や胸元から薄い汗の匂い、そこに煙草の煙が漂ってきた。
予測できない展開で源泉と肌を合わせてから、まだ日数を経てないことを実感する。その時の記憶はあまりに鮮明にアキラの脳裏に浮かんだ。
「照れんなよ」
笑いを含んだ声で囁かれ、アキラは暗闇の中で赤面した。
「そんなんじゃない」
慌てた応答は彼の言葉を肯定してしまったかもしれないと思ったが、源泉はそれ以上は追求もせず、ただアキラに回された腕の力を強めた。
幾度目かの爆音と振動が、はるか頭上で響き、目的の場所へたどり着く前にここが崩れる危険もあったが、アキラは不思議と不安は感じない。
独りでないことが、これほどの安堵を与えることを、アキラはこれまで知らなかった。
|
* |
下水道を抜けた先は、日興連合軍が集結する駐屯地の直中だった。
重苦しい曇り空だというのに、位置確認のために周囲を見聞するには、明るさに目が慣れるまで幾分かの時間を要した。
荒いアスファルトの私道は装甲車のタイヤに削られて埃っぽい。広い、平らな敷地の中に大小様々な建物が複数あり、どれもプレハブでトタンやスレートの屋根だった。遠くには敷地を囲むフェンスが見え、フェンスの上には鉄条網も張られているようだ。
周辺を行き来する者たちの制服を見て、源泉は小さく溜息をついた。
「どうやら、大丈夫みたいだな」
「どこらへんか、分かるのか?」
「さてな。だがCFCのど真ん中に出なかっただけ、マシってことだ」
源泉はアキラの手を再び引き、近くに見える平屋建てのプレハブに向かって歩き出した。
内戦まで一触即発の状況だからか、行き来する兵士たちはやけに慌ただしく、明らかに部外者な二人を咎めることもない。こちらから声を掛ける余裕すら感じられない。
「大丈夫なのか?」
アキラは大人しく源泉に従いながらも、緊張を隠せず問うた。
「なにが?」
「CFCから来たって申し出るつもりなんだろ?」
「大丈夫だ。…難民扱いになるだろうな」
同じ日本の中でのことなのに難民というのもおかしな話だが、と独り言のように呟いた源泉は、大きな手でアキラの頭を撫でた。
「不安か」
明るい場所では顔を見られてしまい、返答に困る様までつぶさに観察されているようだ。
「…なんていうか」
不安なのではなく、自分が彼の後をついていくだけで、何もしていないことを不満に思っている、とは言いにくい。
源泉は答えあぐねるアキラに微笑みかけ、もう一度髪に触れた。
「まかせておけ。お前は、少し人を頼ることも覚えろ、な」
プレハブの中につめていた兵士に声を掛け、二人は難民が登録を行うという事務所へ案内された。
思ったよりも連合軍の兵士や事務員たちは応対がよく、アキラはCFCの役人たちと比べずにはいられなかった。
今更ながら、CFCのいびつさを思い知らされる。行き交う人々の表情からもそれが知れる。難民として扱われる自分たちに比べて、日興連に所属する兵士らは妙に生き生きして見えた。
登録所には、アキラたち以外にも十数名の人間がいた。彼らも内戦を目の前にCFCから逃げ出してきた者たちだ。全員共通して、その顔には不安と安堵が綯い交ぜになっている。
その全員が事務員の説明を聞きながら書類を書かされた。氏名、CFCでの国民番号と住所、職業、血縁関係などが主な項目である。登録処理は十日間ほどで完了するということで、それまでの間身を置く場所も与えられるらしい。正式な市民権を得るには半年以上の滞在が必要で、それまではCFC発行の旅券も無効だということだった。つまり海外へ出国することは出来ない。
同一国の同民族だとはいえ、CFCと日興連はそもそも自治は異なる。前世紀末から奨められてきた自治体法令の強固な名残で、国連をはじめ他国からは別国として扱われている。
だがこれから戦争をしようという相手だというのに、待遇は悪くない。
手続きがすむまで待てと告げられ、アキラたちは簡単なベンチを置いた部屋に移動させらた。速攻煙草を取り出した源泉に、そう感想を述べると、意外な返答が返ってきた。
「今に始まったことじゃない。これまでだって日興連に逃げ出すCFC市民は多かったぞ」
そんな話は聞いたことがなかった。
「情報規制があったからな」
「じゃあ、日興連は難民を歓迎してるってことか?」
「スパイが潜む可能性もあるが、そのリスクよりも人気とりが勝敗に関わるってとこだろう。内戦が終わって、人が減りすぎちまったら元も子もない。難民というよりは移民扱いなんだな」
日興連が統治する領土は広いが、市民の人数はCFCと大差ない。これまでCFCが優勢だったのは、大戦前の日本の自治の中心がその地にあり、経済の中心でもあったからだ。CFC市民の大半が日興連へ逃げ出してしまえば、CFCの勢力は衰える。どんなに支配する人間がいようと、支配される人間がいなければその勢力は無意味なのだ。
「CFCと日興連の境界は警備が厳しい。内戦のごたごたがなけりゃ、こっちに渡ってくるのも命がけだっただろうな」
源泉は煙を吐き出しながら、周囲に疲れた顔で座り込む難民たちを眺めた。
小さな部屋だった。板張りの四角い部屋に、パイプ製の簡素な二段ベッドが三つ並んでいるだけである。それでも廃墟の中で埃にまみれて雨露をしのいできたアキラにとっては、久々に手に入れた宿だといっていい。
そんな部屋が長屋状になったプレハブが3棟並んだ難民避難所は、座席のガタガタする古いバスに詰め込まれて、駐屯地から一時間ほど走った場所にあった。ここも敷地の周囲をフェンスに囲まれ、出入りするためにはゲートで難民用のIDカードを提示しなければならない。
手続きなどでかなりの時間を待たされ、避難所へ到着したのは陽も沈んだころだった。プレハブの外に設置されたテントでは、女達数人がブロックで組んだかまどに火を入れ、夕食の支度をしていた。その周辺では子供たちが駆け回り、時折笑い声もする。
アキラたちは割り振られた番号の部屋へ入り、溜息と共にベッドに座り込んだ。
偶然なのか、源泉とは同じ部屋だった。隣のベッドに腰を下ろした源泉も、安堵に似た息をつき、また煙草をくわえる。
「ここ、禁煙じゃないのか?」
「どこにもそんなこたぁ、書いてないぞ」
とぼけた顔で答えるのをよそに、アキラは仰向けに固いベッドに寝転がり、目を閉じた。
「…一緒の部屋になるとは、思ってなかった」
「なんだ。イヤなのかよ」
「そうじゃなくて」
家族で逃げてきた者は、同じ部屋になるようにすると係の兵士が言っていたのを聞いた。だが、アキラと源泉はそれぞれ独り身であるし、適当に隙間に割り振られる可能性のが高いと思っていたのだ。
「親子で申請したからな」
呟くように吐かれた言葉に、アキラは一瞬硬直し、弾かれたように半身を起こした。
「…はあ?!」
「いや。その方がいろいろ面倒がないと思ってな。親子で登録した」
絶句したアキラだが、CFCではそもそも血縁関係にある者同士の家族のが少ないといってよかった。事実アキラも産み親ではない人間と家族になった時期もある。そういった事情を日興連の人間も認識はしているだろうから、血縁ではない者同士を親子として登録しても構わなかったのだろう。
「兄弟でもよかったんだが、さすがにお前と兄弟ってのもサバ読みすぎかと思ってな」
にやりと笑ってみせる源泉の顔を見つめて、アキラは脱力した。
「そういうこと、なんで黙ってするんだよ…」
「だから、役人の前でこうやって議論するのはまずいと思ってな。イヤなのか?」
「イヤっていうか」
確かに親子として扱われれば、こうやって自ずと同じ部屋に割り振られ、後々アパートでも借りて同居するには都合がいいかもしれない。
ふと、そこまで思い至ってアキラは源泉の顔を見直した。
下水道を歩く最中、源泉はアキラを墓の中までつれていくといっていた。そういうつもりで『親子』になるということだろうか。
「なんだよ。そんなにイヤなら、申請しなおすか?」
「…いいよ。『親子』で」
頬が熱いように感じて、アキラは板床に視線を落とす。
「んじゃ、とりあえず風呂でもいくか。それに、さすがに腹も減ったな」
空腹はあまり感じられなかったが、そのまま部屋で二人きりでいることは妙に照れくさく、アキラは立ち上がった源泉に続いた。
避難所の敷地には共同のトイレやシャワー室があった。脱衣所と、簡単な仕切がついただけのシャワー室だったが、トシマではろくに風呂に入ることもできなかったから、これも十分である。汗と埃と、体にしみついていそうな血糊を洗い落とし、ついでに着ていたシャツと下着も洗った。
シャワー室から出てきたアキラは、まだ服を着たままの源泉に真新しいタオルを放られた。
「これだけありゃ、なんとかなるだろ」
敷地内に購買もあり、CFCの通貨を日興連公認のドル紙幣に換金して利用することができたらしい。
自分のタオルを手にして、源泉は入れ替わりでシャワー室に入っていく。ありがたくタオルで体を拭い、さすがに裸で歩く訳にもいかないので、素肌にジーンズをはき、ジャケットを羽織った。そしてトシマからずっと持ったままだったタグを、改めて首に着ける。
もう用はないはずのタグだが、失った者たちを忘れないためにもいいかもしれないと思い至った。脱衣所の壁沿いにすえられたベンチに腰をおろし、アキラは首に下がるタグを見下ろした。
死そのものに対して、アキラは今でもあまり感想がない。以前よりはずっと生きる意味を見出してはいるが、そう簡単に人は変われないものだ。
ただ、今でこそ実感できるのは、死んでいった者と生きている自分とに、大きな隔たりがあることだ。彼らはこうやってシャワーの湯の温かさの余韻に浸ることはできないし、真新しいタオルを気持ちいいと思うこともない。
自分が要因で運命を狂わせてしまったかもしれないケイスケ、気迫を感じるほど生に執着していた猛、本当の意味で血を分けた兄弟といってもよかったナノ、彼らの声はもう聞けない。アキラの声も彼らには届かない。
シャワーを利用する男たちが数人出入りする声が聞こえたが、アキラは何かに滲みる目を伏せ、ベンチに乗せた脚を抱え、そうやって暫く動かなかった。
「アキラ…どうした?」
反射的に顔を上げたアキラを、驚いた顔の源泉が見下ろしていた。
上気した素肌の腰にタオルを巻いただけの彼は、水を吸った髪がうなだれ、別人のように見えた。
頬に流れるものを、伸べられた指に拭われる。
「髪、ちゃんと拭けよ。風邪ひくぞ」
以前にも聞いたような台詞を苦笑しながら吐かれ、アキラは慌てて顔をうつむけた。
源泉はそれ以上は何も言わず、アキラが力無く手にしていたタオルをとりあげ、アキラの頭にかぶせた。乱暴にも思える力で髪の水分が拭われる。
「全然拭けてないじゃないか、まったく」
目の奥が一層熱くなり、アキラは渾身の力を込めて目を瞑る。髪からではなく、顎を伝った滴がジーンズに落ちたが、源泉はアキラの髪を拭き続けた。
彼の、彼らしい気遣いが嬉しかった。
彼の気配があることに、アキラは感謝せずにいられなかった。
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蛍光灯が一本あるだけの部屋は薄暗い。その少ない光量をものともせず、源泉はベッドの端に腰掛け、愛用の手帳に目を落としていた。
シャワー棟から出て、再び立ち寄った購買で新しいシャツと下着を一枚ずつと、当面の非常食を仕入れ、二人は宿舎棟の部屋に戻ってきた。製造法はCFCも日興連も変わりないらしい携帯食の食事を済ませ、やることもなくなったアキラは、ベッドの上で横になり、そんな源泉をぼんやりと眺めている。
先程まで、室外を走り回る子供の声も聞こえていたが、今はすっかり静まり返っていた。源泉の呼吸だけが微かに聞こえる静寂は、疲れたアキラの身体に心地よかった。
「何を、読んでるんだ?」
彼が、トシマでプロジェクト・ニコルについて調査していたことは知っている。家族への償いか、それとも彼の良心からか、自分自身の贖罪のためか、ニコル・プルミエを抹殺しようとしていたことも。
手帳にはそれらの調査の結果が具に書き記してあるはずだった。
だが彼の表情は、まるで懐かしいアルバムを見るように穏やかだった。
「処分しようと思ってな」
源泉は閉じた手帳を掲げ、目を閉じた。
じっと源泉の顔を窺うが、まるで他意の感じられない穏やかさだ。
「こんなものが日興連の手に渡ったら、またあのプロジェクトを復活させようなんて輩も現れかねない」
手帳を上着の内ポケットに戻し、源泉はアキラに習うように隣のベッドへ横たわった。ひじを突いた手に頭を乗せ、狭い通路ごしにアキラを見つめ返す。
「お前と生きるには、不要だ」
ごく真剣な表情で、据えられたままの目にアキラは魅入った。親子ほどの歳の差がありながら、そういった彼の表情は若々しい青年のように見える時がある。
エリアRAYにも、トシマにも、そんな目をした大人はいなかった。ちぐはぐに中途半端に整備された秩序の中で、日常を演じてきた大人たちと源泉は、明らかに違う何かを持っていた。
「お前がそのタグを…トシマでの事実を背負うなら、オレは手帳を捨てる」
シャワー棟で泣き顔を見られたことを思い起こし、アキラは無意識に顔を背けた。
「お前一人が、そのタグを抱えることはない。オレにも寄越せ」
首にかけたチェーンから、新しいシャツの胸元に落ちるタグを見つめる。
感謝すべきでこそあれ、彼へこの過去を押しつけるのは余りに傲慢な気がした。だが、戻した先の源泉の表情の決意は固そうだった。
「オレには、その権利があるだろ」
伸ばしたままの無精髭の頬が、皮肉げな笑みに歪む。いつも煙草をくわえる唇には似合いの笑みだ。
だがそう思うと同時に、アキラは胸を押さえつけられるような息苦しさを覚えた。
源泉に出会って以来、彼を見ていると時々そんな感触がある。そしてそれを取り払う為の方法を、アキラはひとつだけ気づいていた。
上半身を起こして、横たわる源泉へ口を開いた。
「そっちに、入れろよ」
一瞬驚いたように目を見開いて、すぐに目を細めた源泉は、ついた肘を枕の下に降ろし、身体をずらして空けた自分のベッドの横を叩いた。
アキラは自分の毛布を取って、源泉の横に上がり込んだ。ベッドはお世辞にも広いとはいえなかったし、マットは薄く、固い。わずかに源泉の温もりが残るシーツに身体をよこたえ、行き先を迷った顔は源泉の胸元に埋める。
一枚の毛布を掛け、その上から源泉の腕がアキラを抱いた。
「なんつーか…かわいいな、お前」
「かわいいって言うの、やめろよ」
必死に口答えをしてみたものの、少しだけ胸の苦しさは去っていった。
もう慣れた煙草の匂いを、源泉の新しいシャツからも感じて息をつく。
「おねだりだと受け取っていいのか」
意味を汲みかねて見上げた源泉は、悪戯げな笑みを浮かべて、アキラを抱き寄せる腕の力を強める。
「おねだりって?」
源泉は問い返しには答えず、枕の下にあった左腕でアキラの頭を抱えるように固定し、顔を近寄せた。
「…抱くぞ」
憮然とした声でつぶやき、アキラの反応を待たずに唇が塞がれた。
源泉の舌が口内で縦横に暴れる激しさについて行けず、思わず目を閉じる。彼の鼻先が頬を擦るように動いて、より深く唇が合わさり、そのまま飲み込まれそうな勢いで舌を吸い上げられた。
これほど激しい、濃厚なキスをされたことはない。数日前、初めて源泉と寝た時は、まるで教えられるように優しく、一方的に高められるだけで、むしろドライだったと言っていいのかもしれない。だが今の源泉は、欲望を隠すことなく、まるで頭から食べようと獲物に爪を立てる猛禽類を思わせた。
鼻から切なげな吐息が漏れ、アキラは自分のそれの甘さに驚いて身を竦ませた。前回も少しは感じることができた交合による快楽には、もちろん期待があったが、あからさまに男を煽るような声は、自身のことながら嫌悪感をかき立てる。
声を飲み込んだアキラに気づいたのか、源泉は唇を解放し、囁くような声で告げる。
「声、聞かせろって」
左手でアキラの前髪をかきあげ、腰を抱いた右手は毛布の上から上下に背や腰を撫で、間近からアキラの目を見つめてきた。
「最も、あんまりでかいと、隣の部屋に聞こえちまうかもな」
含み笑いながら、だがアキラが返答する間は与えず、再び唇が言葉を阻んだ。毛布の中に入り込んだ掌が、シャツの裾をたくし上げながら這い登り、同時に仰向けにされた上に源泉がのしかかった。
戸惑いが残るアキラの舌を弄び、強く、弱く吸い上げられる度に力が抜ける。抵抗を失わせる接吻の間にも、源泉の右手は迷うことなくアキラの衣服を剥いでいった。
下腹とジーンズの隙間から手が差し入れられ、指先が直接触れると、アキラは身体を震わせながらほんの少し我を取り戻した。
「お前…下着着けてなかったんだったな」
新しい下着は先程買ってきてはいたが、一旦ジーンズを脱いで履き直すのがおっくうになって、すっかり忘れていたのである。
「あのな、お前。オイチャンをそんなに喜ばせたいのか?」
笑われて、今度は恥ずかしさに声を飲み込み、源泉を睨み付けた。
「バカ。これ以上煽るなよ」
細めた目に見つめられながら、ファスナーを降ろされ、手際よくジーンズを捕り上げられる。少しひんやりとした外気に晒されたのも束の間、熱い口内に身を起こしかけた股間を導かれた。
驚きと、未知であった甘美な感覚にアキラは肩を跳ね上げ、反射的に源泉の髪を掴んだ。まだ湿り気を帯びた髪が指の間を滑るだけで、更に背筋を震えが這いのぼる。
「いや…だって、ば」
「なんでだ?」
銜えたままくぐもった声を吐かれ、アキラは赤面どころか全身が真っ赤になるような恥辱感に襲われた。
「汚い、から」
「風呂には入っただろ」
一蹴して愛撫を続ける源泉は、アキラがどんなに抗っても止める様子はない。次第に、そこだけに血液が集まっていくような感覚に、アキラも朦朧としてきた。枕に片頬を埋め、目を閉じ、与えられるざわつくような射精感に耐える。
アダルトビデオやポルノ雑誌で少なからず知識はあっても、実際のそれとは比べるべくもない。あからさまにBl@sterの勝者に言い寄る女には嫌悪感があり、そんな期待を彼女らに懐いたことはなかったが、源泉の与えるそれは、まぎれもなくアキラが深層で期待していた行為であったことに気付いて、更に恥辱は募った。
反面、弛緩しきった身体は自然と源泉を迎え入れている。そして唾液に濡れた指が後ろに入り込むと、より一層力が抜けていった。
妙にくすぐったく、きつい場所を抜ければ指先の異物感だけがある。最初の時のような苦痛は欠片もなく、同時に前を弄ばれれば、源泉の指を限界まで受け入れることは容易だった。
何度も舌先の感触がきつい門をかすめ、唾液が尻を伝うほど念入りに開かれ、足の間から源泉が顔をあげたときには、アキラは貫かれることに何の疑問も躊躇いも感じなくなっていた。
身を起こした源泉がアキラの片足を抱え、ずり上がり、間近でアキラの目を覗き込んだ。
滲んだ涙で微かに歪む視界に、天井の蛍光灯を背に、影になった源泉の顔が見えた。
二度目、とはいえ、挿入されるときの痛みがごく僅かだったことを除けば、この感覚に慣れることはないのだろう。
背骨を内側から叩かれるような衝撃を伴って、源泉はアキラを突き上げる。止める間も与えず、内臓を引きずり出されるように腰が引かれる。直接射精感につながる痺れを起こす奥も、むずがゆいようなヘヴィローテーションの刺激を与えられる縁も、アキラの意志ではコントロールできない。呼吸も全て源泉に支配されていた。
隣に聞こえると揶揄されたことも忘れ、アキラはただ本能的に沸き上がる悲鳴のような声を絶えず漏らしている。時折それを盗む口づけが落とされて、源泉の顎を伝う汗が頬に落ち、酩酊しそうな意識が引き戻された。
濃く影の落ちた源泉の顔で、ただ二つの目だけが爛々と輝いて見えた。アキラの反応を見逃すまいとするように、瞬きも殆どない。奥を突き上げられて思わず高く声をあげる度に、彼も感じているのだろう快感に僅かに寄った眉根が震えている。
細めた目に見下ろされ、薄く開いた少し荒れた唇から男っぽい喘ぎが漏れ、アキラは例え様のない喜びを噛み締めた。
「いい、のか。あんたも」
乱れた呼吸の合間に問えば、動きを緩やかにして、源泉は口端を吊り上げて笑った。
「ああ」
溜め息のような返答、そして脇についていた手で、もう片方の足を肩に掛け、あられもなく股間を晒すアキラを二つに折り曲げる。震える高まりに手を添えられ、アキラは思わず目を閉じた。
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* |
汗の残る背に当てた手をゆっくり動かす。
源泉の、短いが濃い睫毛の目はしっかりと閉じていて、アキラの動きにも冷めそうにない眠りの中に彼はいた。
奥に燻る熱と、苦にするほどではない後ろの痛み、その余韻の中でアキラは酷く穏やかな気分を味わっていた。身体は疲れているはずなのに、初めて出会うものに静かな興奮があり、目を閉じても睡魔はやってこない。
安らかな寝顔をこちらに向ける源泉は、眠りに落ちる間際に呟くように言った。
『許可が下りたら、アパート探そうな。もっと、声を立ててもいい部屋にしような』
含み笑いを唇に残し、まるで添い寝のぬいぐるみのようにアキラに腕を回したまま、すぐに寝息を立てはじめた。
胸を詰まらせていた苦しさは、くすぐったいような、笑ってしまいたくなるような、そしてこの気持ちを失うかもしれない未来へ僅かな不安にすり替わり、アキラを穏やかな気持ちにさせた。男の寝顔をずっと見つめていたい欲求があり、ただそれだけで掴み所のない充足を感じている。
そんなものが自分の生に必要だとも、そんな感情があることも、アキラはこれまで知らなかった。以前のアキラにあったものは抜け殻である自覚だけで、その内部を埋めるものが何であるか、気づくことすらなかった。
今は、与えられ、求められ、支えられること、それらを受け入れられそうな気がした。彼となら叶えられそうな気がした。
───源泉が言ったように、彼と夢を見てみるのもいいかもしれない。
源泉の鼻先に触れるか触れないかの口づけを落として、アキラはベッドからゆっくり抜け出した。足元に丸まっていた毛布を持って、自分のベッドに戻る。シーツは冷たかったが、アキラは毛布を被って満足げに吐息を漏らす。
通路を挟んでこちらに顔を向けて眠る男を視界に入れて、漸く訪れた眠気に身を委ねた。
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2005.03.04(了)
アイコ<http://www.natriumlamp.com/B1F/>
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