叢に埋もれし指 |
初めて出会った時、その猫の鉤尻尾は黒い色をしていた。無論、耳も。
夜盗に囲まれた彼を助けてやったのはほんの気まぐれで、珍しいその鉤尻尾が食われてしまうのは惜しいとでも思ったのだろうか。今でも何故かかわったのか、その時の感情も思い出せなかった。
だから本当に魔が差しただけだったのだろう。
そして、すぐにでも再会すると思われた彼に、それから長い間会うことはなかった。
『虚ろ』の侵食が激しい森の中を、やたらに進めば命が危ない。森を抜ける商人も、自分と同じような賞金稼ぎも、誰もが必ず裏道を使う。何度も同じ商人を見かけることもあるそこを、その黒猫は使っていないようだった。
よくあることだ。きっとどこか誰も通らない場所で、冷たい躯になっているに違いない。
別に自分が気に病むことではないと言い聞かせる。
そこかしこの茂みへ、木々の根元へ視線を走らせるたびに、無意識にあの黒猫の姿を探していた。
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赤い月は去り、今、ライの傍らにあの猫はいる。
耳や尻尾の色は本来の白茶に戻り、互いに暗い影を背負ってはいても、表面上は以前よりも平穏な日々が戻ってきた。
もう『虚ろ』の存在に怯える必要はない。
だが闇から呼びかける声は途切れず、重い過去の記憶は消えることもありえない。
だから、大いなる敵に打ち勝ったあの大木の要塞の跡から、藍閃への帰路へつく間、そうして互いに寄り添い合って足を進めたことも、きっと当たり前のことだったのだ。
あの帰り道はもとより、今向っている藍閃の外れの森でも、コノエは一歩前を歩くライの白い尾に目を据えて、一言も言葉を漏らさずに、歩き従っている。もし自分が道を間違えでもしたら、二人で森深くに迷い込むことになるとは、露とも思っていないのだろう。
それは全面的な信頼を得ていると喜ぶべきことなのか。それとも、彼の余りに無防備なことを嘆くべきなのか。
向かう先は、あの呪術師の祠である。
リークスの件では彼に世話になった。彼の助言無くしては、リークスの元に辿り着くことができたかどうかも分からないと、コノエは相当な恩義を感じているらしい。
あの大木の要塞で起こった事を、彼へ報告しておくべきだろうというコノエの意見には、ライも賛同した。
猫の亡霊たちに襲われた藍閃は、以前とまったく同じというわけではなかったが、既に街の猫たちは壊れた家の修繕や、怪我をした猫の看護と走り回って賑やかなものだ。そんな街中を抜け、賛牙としてのコノエの訓練をしたあの空き地を通り過ぎ、森の中へと入って行った。
リークスが没してから、たった四日後のことだった。
『虚ろ』が存在しなくなったとは言っても、数日前には『虚ろ』に満ちていた森が立ち枯れ始めたという情報が、藍閃に流布されたというだけで、ライや身近な猫がそれを直接確かめたわけではない。
あの奇妙な違和感を覚える、極彩色の森が枯れることが信じ難い。
だが、呪術師の祠に向う途中でも、恐らく元は『虚ろ』の森だったのだろうと思われる、枯れた一角を見つけることができた。
範囲としては狭い。小さな泉の周囲を取り囲む一辺が五十歩ほどの茂みだった。腰丈の木々から足元の下草まで、明らかに茶色くこげたように枯れ、泉の水もまた涸れている。
「ホントに『虚ろ』だった場所かな」
コノエは自信なさげに呟き、普通の森と、その枯れた一角の境界線に立ち、恐る恐る枯れた葉に手を伸ばした。
ライは慌てて彼の腕を捕らえて止めると、無防備な顔を見下ろした。
「確証もないのに、うかつに手を出すな」
疑うことを知らない猫だ。
あれほどの過酷な運命に翻弄され、今、その諸悪の記憶まで背負ったというのに、コノエは何もなかったかのように振舞っている。それが意識してなのか、それとも無意識なのかも、ライに感じ取ることはできなかった。
そして耳を垂れ、項垂れる姿を見れば、ライはまるで自分が悪いことをしたように思わざるをえない。
「ごめん」
彼が謝る理由もわからない。
「お前に、無用な怪我をさせたくない。それだけだ」
まだ葉をつけたまま枯れた枝には、指さえ触れていないだろうが、ライは握った腕を引き寄せ、その指先を撫でて確かめる。
滑らかで細い指。
コノエの身体はそれなりに鍛えられているが、肘から先は細く、指もまるで女子供のように繊細だった。剣も人一倍扱いなれているのに、その手には賛牙らしく弦を持つのが相応しいように思える。
「ライ?」
指先をまさぐられ、コノエは怪訝そうにライの顔を覗き込んだ。
「お前、弦は扱えるのか?」
コノエは片手をライに預けたまま、首を横に振った。
「やったことはないんだ。やってみたいとは思ってるけど、今はなかなか手に入りにくいと思って」
事実この混乱の中では、悠長に頼まれてくれる楽器職人も少ないだろう。
「やっぱり弦を使えた方が、歌の幅も広がるかな」
「確かにな」
そう答えて指を開放し、コノエが触れようとしていた枝に手を伸ばした。
乾いて茶色くなった枝は、元あったように葉をつけたまま枯れている。触れた瞬間、指先に堅い感触はあるが、葉は乾いて軽く、少しひっぱっただけでぽろりと枝から外れ、舞い落ちた。
無論ライの指を傷つけもしない。
だが不用意に触れたライの手を、今度はコノエが引っ張った。
「あんた……!」
目を見開き、食い入るようにライの指先を見つめるコノエは、顔を強張らせていたって真剣な表情だ。
すり傷ひとつない指を見て、ほっと溜息をつくと、その指を握り締めてライの顔を見上げてきた。
「大丈夫だったな。触れてみろ。完全に枯れている」
反対の手で、無造作に細い枝をひとつ折り、コノエの前に差し出した。
コノエはゆっくりと枝を掴み、葉のついた部分を目の前に近づける。僅かな風にそよいだ葉は、かさりと小さな音を立てて枝から離れ、茶色い地面に降り立ち、判別できなくなった。
「行くぞ」
ここにじっとしていても仕方ないと先へと促したが、コノエは枝に魅入られたように目を据えたままライの気配を追って足を進めた。
決して足場はよくない森では、木の根に足を捕られそうだと思っている端から、コノエは前につんのめりそうになる。二の腕を掴んで支え、不安定な姿勢からライを見上げてくる猫は心ここにあらずなようだ。
いつもなら馬鹿猫、と罵る声を飲み込み、枝を持っていない方の手首を取って、先へと進む。
暫く、正面へ向けた自分の頬を見つめている気配があり、そこから外れた視線はまた、枯れた枝へと向けられた。
「リークスは、新しい世界の苗を植えたんだ」
「苗?」
「『虚ろ』は猫を排除しただけで、森の中には普通に存在してた。猫以外にとっては、ただの森だ」
枝を見据えていながら、コノエの視線の焦点は遥か遠くに合っている。
リークスの記憶を得た……いやコノエの言葉を信じるのなら、彼に『戻った』コノエは彼に共感することを隠さなくなった。そもそも共感しやすいという器の体質は、器が満たされても変わらないのかもしれない。例え相手が元の本体であろうと、だ。
「新しい世界を彩る森の苗、それが『虚ろ』の森だった」
あらぬ場所を見据え、宣託のように呟くのはライの知るコノエとは違う猫だ。
「お前は」
先程ライが手渡した枝を乱暴に奪い取り、横の茂みに投げ捨てる。
奪われた衝撃で我に返ったように、コノエがライを見上げてきた。
「それはな、肉食獣が捕食する理屈だ」
ライの言葉を理解し難かったのか、コノエは無言のまま問いただす視線を向ける。
「オレもお前も、そうして弱い獣の肉も食う。いつかは、オレたちが魔物にでも食われるかもしれない。だが食われる方が、大人しく捕食される理由もないだろう」
草食獣は肉食獣から逃れるための速い足を、草食獣の餌となる草木はトゲを、そうしてあがく術を長い長い間に身に付けてきた。それは猫とて同じことなのだ。
「お前の爪は―――その腰の剣は、ただの飾りか?」
片目で見下ろすと、表情を厳しくしてライを睨み返してきた。いつも優しげな口元を引き締め、上目遣いに見つめてくる目には力がある。
「お前の歌はこけおどしじゃないだろう」
「違う」
掴まれた手首を振り払うように取り返し、コノエは強い調子で否定する。
ライの知るコノエに戻ったその顔を、意地の悪い笑みで見下ろす。
「馬鹿猫が。分かっているなら、そんな戯言を口にするな」
踵を返して目的地へと歩を進める。
暫くしてすぐ背後に、つがいの猫がつき従う気配を感じた。
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呪術師の祠は、藍閃から半日もかからず着く場所にある。
以前と同じに気配も感じさせないたたずまいは変わらず、穴倉へ踏み込むと陽の当たらない場所独特の、湿気と冷気が漂っていた。
コノエは穴倉の奥の扉をノックしてから押し開ける。返答があるとは端から思っていないが、念のための礼儀だろう。
「そろそろ来る頃合と思っていた」
大して広くもない部屋の奥から、聞き覚えのある声がした。
灰色の髪をした呪術師は、その実年齢よりは遥かに若い姿をしている。バルドと同じくらいに見える肌や毛艶だが、なにより目が、数十年の年月では得られない深さだった。またその語り口も酷く老いて感じられる。
進み出たコノエが彼を見上げ、何かいいあぐねるように唇と視線を泳がせた。
「お前のいいたいことは理解しておる。よう生きて、ここへ来てくれた」
「あんたに、礼をいいたく、て……」
コノエは語尾を濁らせて俯いた。
こみ上げる感情を押さえきれなくなったのか、こちらに向けた背が小さく震えている。
「わしは何もしていない。いや、何も出来なかった」
静かに答える猫は、僅かに耳を垂れていた。
「全てはお前自身と、お前のつがいである、そこな白猫の力よ」
コノエの肩にそっと手を置き、近くにあった木の長椅子に座らせ、ライには視線で隣に座るよう示した。
そして呪術師はコノエの肩から外した手で、ふいにライの右手を取った。反射的に引きそうになった腕を思わぬ力で引かれ、コノエの落とした肩に導かれる。抗うこともできず、ライはコノエの肩を抱いていた。
一瞬こわばったコノエは、しばらくすると力を抜き、ライの方へと身体を預けてくる。
「案じるな。ここに居るのはわしだけだからな」
茶をいれてくる、と呟いて背を向けた呪術師が奥に消えると、コノエが溜めた息をほうとついたのがわかった。
ここまで張り詰めていたものが、呪術師の言葉と、ライの腕によって融解したのかもしれない。
ライは自分の力が、コノエにとってどこまで影響するものなのか、未だ判じ難いと思っていた。こうすることでコノエの気持ちを少しでも支えてやることが出来るなら、そういった方法も探り出していかなければならないのだろう。
コノエの身体は暖かい。
いつか追い求めて、獲物の血潮に見出した温度よりも、息づく肉体の暖かさは何にも替え難い。そして珍しく頼りない腕の力でライの膝に手を置き、もたれかかるコノエは、感じる温度よりも強い感情でライの心に触れてくる。
ふと傍らの猫がどんな顔をしているのか気になり、俯いた頬に手を添えて持ち上げてみた。
触れられたことに驚いたのか、目を丸くして見上げる猫の耳に指を滑らせる。縁を辿り、髪と一緒に撫で下ろすとコノエは目を細め、もう一度小さく息を吐いた。
肩に回した掌に力を込め、一層引き寄せる。わずかに空いていた隙間が密着し、体温はより近くに。
コノエの小さな頭を肩口に抱き寄せて、この祠の主が戻ってくるまでの間、しばらくそのままで居た。
暖かい茶を口にし、落ち着きを取り戻したコノエが主に語ったのは、顛末のほんの一部である。
どういう訳なのかこの呪術師は、ある程度を見透かしているようでもあったし、単に彼が聞いたところで意味はないと思ってもいたようだった。
ただ一通り話を聞いた後に、彼はライの、そして次にコノエの両の指先を取り、僅かの間目を閉じてじっとしていた。
二人の何を見ようとしているのかは分からない。彼も多くは語らない。
「リークスは、お前の中におるのか」
コノエはその事実を口にはしなかったが、彼には分かったようだ。頷いて肯定したコノエの眼を見つめ、呪術師は同じように頷きで返した。
「お前の負ったものは大きいが、決して一人で背負った訳ではない。手を貸せることは多くもないが、思い悩み、己を忘れそうになった時には、わしも力になろう」
コノエはもう一度頷いた。
「そして白き猫」
コノエの指先を持ったまま、面をライの方へ向けた呪術師は、かすかに目を細め、何かを見透かすように見つめて来た。
「お前の闇もまた、一人で背負い切れるものではないと、理解しているか?」
ライは片方の眉を上げ、無言でその言葉の意図を問う。
「お前の求めるものは、他人から与えられるものだ。親から与えれるそれは無償であるべきかもしれん。だが、今お前がそれを手にするには、いささか努力が必要だな」
「努力?」
ライは視線に険を込めて睨み返した。
「与えることができる唯一のもの。それが何かは分かっていようが、得るためには、お前が身を呈して守らねばならぬ」
厳しい顔を動かさないライに対して、呪術師は常に微笑んだような口元を変えず、二人は微動だにしなかった。
「貴様に言われるまでもない。誰にも譲る気もない」
呪術師は一瞬驚きを隠さず目を見開き、そして苦笑しつつ肩をすくめて立ち上がった。
「わかった、わかった。余計なお世話だったようじゃな」
指先を開放されたコノエは、不安そうに呪術師とライを見比べている。
意味が分かっていないなら、それでいい。
呪術師は天井近くに小さく切った灯り取りの窓を見上げた。夕暮れの赤く眩しい光が差し込んでいた。ここを訪ねたのは昼頃だったのに、いつのまにか夕刻になっていたらしい。
「よい賛牙と闘牙になれ」
背後に差し込む夕陽を受けながら、老いた目が二人を見据えた。
「今後もずっと、お前の歌は、お前と闘牙に安らぎと希望を与えるだろう」
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日暮れ前に藍閃に戻るつもりが、随分長居してしまったことが災いして、道程半ばですっかり陽が落ち、しかも陰の月は新月で殆ど視界がきかない。
無理に進むことは諦めて、見つけた木と岩の隙間で夜を明かすことにした。
この辺りに魔物が出る話も聞かないし、至って安全なものだ。ましてや藍閃に帰ったところで、ねぐらにしているバルドの宿は、先の騒動で半壊している。隙間風が吹くのは、どこも変わりない。
常に持ち歩いている葉を、水筒のふたに少量水を注いで差し、岩の上に置いた。
ぼんやりと辺りを照らした青い光に、落ち着いた様子でさっそく毛づくろいを始めた猫に目を据えながら、ライは荷物を探った。
長い外出になるとは思っていなかったので、手持ちの物は多くない。出掛けに荷物に忍ばせてきた食料は、コノエが好むクィムの実が数個だった。無言で取り出し、コノエの目の前に差し出す。腕から顔を上げたコノエは、果実ごしにライを見て、首をかしげた。
「あんたは食べないのか?」
「オレはいい」
「なんで?」
「腹が減っていない」
コノエの手に果実を押し付けて、ライは荷物を避けて岩に寄りかかった。
手にしたクィムを見下ろしていたコノエは、表面を撫でながら、それでも口にする様子はない。
「お前は少し食べろ。ずっと、何も口にしてないだろう」
藍閃に戻ってから、簡単ながらバルドが用意した食事にも、手をつけている様子がなかった。ましてやライの目がない場所で、コノエが食べ物を口にしているとも思えない。
コノエは決して小食ではなかった。むしろライの方が燃費がいいくらいだった。
「貸してみろ」
そのままずっと手に持っているだけで、食べる気配がないので、ライはコノエの手から果実を取り、ベルトから抜いた小さなナイフで、クィムの皮を剥いた。普段ならば皮ごと食べられるが、皮を剥き、香りを嗅げば、食欲もそそられるのではと思ったのだ。
半分ほど皮を削ぎ、コノエへ差し出した。
だがライの顔と実を見比べるばかりで、手を出そうとしない。
「お前は……まったく」
母親以外の乳を拒否する、獣の赤ん坊と同じだ。
ライの呟きをどう解釈したのか、コノエは顎を下げ、頬を赤く染めて唇を噛んでいる。ただ食欲がないという理由で拒否するにしては、煮え切らない態度だった。
ライは腰をずらしてコノエの横に座り、警戒に身体を堅くするコノエの肩を引き寄せ、彼の目の前で皮を剥いた実を齧り取った。
ゆっくり咀嚼すれば、甘酸っぱい独特の香りが漂う。
ライの口元を見上げたコノエは、小さく唾液を飲み込んだようだった。
「口を開けろ」
命令する口調で告げた言葉に、コノエは大人しく従い、おずおずと唇を開く。
恐らく実を口に運ばれると思ったのだろうが、ライは自らもう一口実を齧り取り、困惑するコノエの唇にそれを運んだ。
果実の甘さよりも、コノエの唇の隙間から漏れる呼吸の方が甘い。
何をされるのかと怯えるコノエも、一瞬驚きに身体を強張らせただけで、果実の欠片とライの舌を受け入れた。
深く探らずに唇を開放し、見下ろしたコノエは薄く目を開いている。
視線だけで噛むように促すと、まるで噛み砕く行為を覚えたての幼児のように、果肉を食む。
彼の口元から目を離さず、ライもまた一口齧り、噛み砕く。コノエもライの唇に注視している。
コノエの喉が波打って飲み込んだのを見て、もう一欠片同じように彼の口に運んだ。自ら唇を開いて迎え入れる様子は、まるで鳥の雛だった。
「美味いか?」
囁くように問うライに、コノエは無言で頷き返した。僅かに頬を上気させてはいるが、恥ずかしさの余り混乱しているということもない。彼がいつものように、恥らうが故に全てを拒絶し始めてしまう前にと、齧り取っては口へ運ぶ動作を淡々と続けた。
そんな無垢の子供のようなコノエの様子に、ライは限りない官能も見出している。
肌の柔らかさを強調する色づく唇は、その肌よりも熱い体温を想像させる。見上げる薄い茶の瞳が、まるで誘惑するように濡れて揺れる様は、ライの動きを縛った。
あの月蝕の朝以来、こうして近く身を寄せて触れ合う機会もなかった。
そのまま奪い取ることは容易いが、性的な行為に潔癖なコノエには拒絶されそうな気もする。
数度身体を重ねたところで、コノエはライに全てを許したわけではない。ライの侵入を許したことがあるとすれば、ほんの数瞬だ。
小さな果実ひとつを、半分ずつほど食べ終えるのに、さほど時間はかからない。中の種を草むらに放り、与える果実を失ってもライはコノエを手放し難く、そのまま濡れた唇に触れ続けた。
コノエはどう感じているのか、マントの中の身体へ這わせたライの腕に手を添え、時折離れる唇の隙間から、乱れた息をつく。次第に吐息に掠れた声が混じる。
そのまま土の上に身体を倒し、コノエの身を組み敷いた。
「ライ……待っ」
「お前が」
上衣の裾から手を差し入れ、胸までたくし上げながら言葉を一度切れば、コノエは続きを聞こうと口をつぐんだ。
「お前が一言、抱けと命じればいい」
彼が瞬時に顔へ血を上らせたのは、半分は恥じらいで、半分は怒りのためだ。
「なんでオレが!」
「オレはお前に無理強いしたいわけじゃない」
両の頬を掌で包み込んで、味わうように口付ける。
「お前は、オレの傍にいたいと言ったな」
そう確かに言った。
リークスの前で、既に進退の選択余地がない、あの場所で。
間近で見つめ返してくる目は、厳しく、勝気な光ではあったが真剣だった。
優しい色味の瞳の奥に、決して汚れない何か特別なものがコノエには備わっていて、ライはそれに囚われたのだ。
恐らくあの初めて剣を交わした森の中で。
「言ったな」
それはライの心に巣食う闇よりも、ずっとずっと強かった。
「ああ! 言った」
噛み付く勢いで、牙を剥き出したコノエは大声で肯定した。
ライは片方の眼を細めて、口元を笑みに吊り上げた。
「オレもそうすることにする」
コノエは一瞬反論しかけた口をつぐみ、硬直している。
「お前は、見張っていないと気が気じゃないからな」
思わず漏れた笑みを声に出し、髪が乱れて露になった目の前の額に口付けた。
「傍にいるなら、たまには、こうして触れさせろ」
素直な気持ちを言葉にしたというのに、聞いたコノエの方はガチガチに緊張してしまったようだ。
宥めるのにさらに時間を要し、つがいらしい行為に及んだのは夜半も近くなっていた。
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初めて出会った時から、その猫の尻尾は鉤型に曲がっている。
夜盗に囲まれた彼を助けてやったのはほんの気まぐれで、だがその後不思議なめぐり合わせで、今は傍らにある。
根元から静かに、短い毛並みに沿って手を這わせ、鉤型に曲がった部分にそっと噛み付いた。
あの時、まさかこうしてその尻尾の先に触れるなど、想像もしていなかった。
過敏に反応するその場所を、意地悪くも執拗に攻めて、本気で怒り出す手前で止める。
重ね合わせた掌の熱さは同じで、吐き出す悪態も同じ温度で、繋がる場所はどこからが自分で、どこからが彼なのか分からなくなるほど熱く溶けていた。
夜の森は、星の光さえ木々が遮り、弱い葉の灯りだけでは艶めく肌も、震えて喘ぐ唇も、全てが闇に紛れて見える。
だがこうして、土の地面を掴み締める手に、絡めた指の力を強めれば、以前のようにもう見失うことはないだろう。
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2006.12.23(了)
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