ブラザーズ・アフェア1
生きる意味 |
ザックスは18歳でソルジャーになった。
針金のように固い長髪は黒く、同僚たちはハリネズミだのハリモグラだの勝手な仇名で彼を呼んだ。不思議とその呼び名に親しみを感じるのは、何でも笑い飛ばすザックスの性格が幸いしていた。
ザックス自身が、自分は酷く楽天的な人間だと思っている。神羅に入隊して戦場に出るようになり、それはより一層ザックスのアイデンティティになった。
多くの兵隊が殺伐とした空気の戦場にあり、身体と共に精神を患っていく中で、彼の明るさは奇異にも映ったかもしれない。だが、そんな状況でも明るく笑い飛ばす性格が、周囲を助けると同時に彼自身を支えていたのは言うまでもなかった。
とはいえ、ザックスとてヒトの世界の底を目にした。
16歳で兵士になり、たった二年でソルジャーに昇格したことでも、彼が決して心底から笑える状況ばかりになかったのは、誰にでも想像できる。
腕っぷしだけでなく、精神と肉体のバランスが取れてこその強さが、彼にはあった。
だからこそザックスへの周囲の認識は『真に強い戦士』なのだ。
その彼が二十歳を目の前にして、あるミッションの任を受けた。
突然隊の上官に呼び出され、赴いた本社ビルで、ザックスはソルジャーになって初めて、大将クラスにしか出入りできない治安維持部門の執務室がある上層に上がった。
神羅ビルは下層こそ誰でも出入り出来るが、上層になると特定のIDを持つ人間でなければエレベーターに乗ることも出来ないのだ。
上官に伴われて踏み込んだ階は、その床の作りからして他とは異なる。磨かれて滑りそうな大理石の化粧張りや、所狭しと並ぶセキュリティカメラがいかにも物々しい。
ザックスが両開きの扉の前に辿り付くと、セカンドやファーストの制服を着たソルジャーが五名ほど立ち尽くしていた。
何かの任務には違いないだろうが、この脈絡のない人選はなんだろうとザックスは思う。
ファーストからサードまでの混成部隊が組まれることは少なくないが、それにしても明らかに少人数編成だ。
ここまで呼び出されたからには、恐らく秘密裏に行われ、それだけ困難なミッションということになる。そこにサードである自分が特別呼ばれるというのは、セカンドへの出世を間近にした身としては嬉しいが、何か裏がありそうだった。
その廊下に放置されたソルジャーたちは、皆壁に寄りかかって長時間待ちぼうけを食わされた。ザックスも手持ち無沙汰に近くにあった観葉植物の葉を毟ることに集中していた。
「ようザックス」
低く声を掛けてきたのは、官位やクラスこそザックスの上だが、入隊したばかりの頃から馴染みのソルジャーヨセフだった。非番には飲みに行ったりもする、気心知れた仲だ。任務の中でなければ自然と口調は砕ける。
「おうヨセフ。いつまで待たされるんだ、オレたち」
「まったくだが…葉っぱを毟るなよ、ザックス」
「いいじゃねーか、どうせニセモンだ」
糸のように縦に裂ける葉は明らかに模造品だ。
手はそれを裂くことに熱中しながら、ザックスは友人に問い掛けた。
「なあ、これ一体どういう編成なんだ? サードなんかオレっきゃいねーぞ」
「そうなんだよ。この少人数で、おまけにオレたちセカンドも、全然面識ない奴らばっかなんだよな。なんかヤバイ感じがするよ」
セカンドの中にはヨセフのように昇進したばかりの者もいれば、ファーストへの昇進間近と言われているソルジャークリスもいる。ザックスは彼と一緒の隊で戦ったことはなかったが、セカンドの中ではファーストに匹敵する実力を持つ、周囲が一目置く戦士だった。
無名と有名が入り混じっている、人数は二十名に満たない。
そして誰もがこの人選に眉根を寄せているとき、目の前の扉が開いた。
そのフロアでも目立って豪華な木製の厚い扉を開けたのは、数年前に突然、兵器開発部門の統括に抜擢されたミズ・スカーレットだった。
近くで見ると背の低い、細身の女だが、その高慢な表情や態度が彼女を大きく見せる。
男であればつい目をやってしまうだろう豊かな胸、細い腰、上向きに盛り上がり引き締まった尻がはっきりと分かるタイトなスーツは赤。トレードマークのハイヒールも赤。
まったくその風貌に相応しい名前だ。
「入って」
簡潔で媚のない口調に、恐らくその場の半数は頼もしさを感じ、半数は反発心を煽られただろう。扉を開いてソルジャーたちを促し、全員が入室したところで再び扉を閉めた。
大会議室は大きな長い机が中央に鎮座している。
一番奥に白いスーツの若い男がいる。両脇に立つ長髪と剃髪のダークスーツはタークスの人間だろう。そして両脇に治安維持部門統括ハイデッカー、席に戻ったスカーレットがいる。
そして扉に近い下座にいるのはサーセフィロスだった。白いスーツの青年の真正面に、大きな背をザックスたちに向けて腰を下ろし、尊大とも思える態度で長い足を組んでいた。
ザックスは壁沿いに他のソルジャーたちと並んで立ち、そこにいるアッパーの人間たちを眺めた。そして思う。
一番下座に座るセフィロス、彼が最も王者の風格を備えていた。
彼のすぐ下で戦ったことはまだないが、隊長としての采配の確かさや、彼個人の戦闘力の高さはよく知っている。
神羅の英雄。誰もその名を疑わない強さを持つ者だからこそ、ソルジャーは皆彼を誇りに思う。ザックスも同じだった。
至近で見れば美女と見まごうような端正な顔である。それでも女々しさを覚えないのは、その黄金率に配分された全身から発する威圧感と存在感が凄まじいからだ。
硬質な横顔が真っ直ぐ前を見据え、その先にいる青年と睨み合っているようだった。
セフィロスの視線を受け止める青年もまた、殺人光線をものともせず受け止めるだけの度胸はあるようだ。薄く笑みを浮かべた口元は老成した男の狡猾さを感じるが、実年齢は相当若いに違いない。恐らくザックスと同じか、少し下くらいかもしれない。
「ソルジャー諸君、こちらはわが神羅の副社長ルーファウス様だ」
自慢げ、というのが相応しい言い方で青年を紹介したハイデッカーに倣い、ソルジャーたちが一斉に敬礼した。
「ご苦労。君たちと顔を合わせるのは初めてだが、僕がルーファウスだ。今回のミッションは父から一任された。よろしく頼む」
座ったままきりりと上げた顎は細く、少女のような可憐さが残っていた。長い睫毛や染みひとつない頬や額、撫で付けた美しい金髪が育ちのよさを感じさせ、ソルジャーやセフィロスを目の前にひるまずのたまう口調は命令することに慣れている者だとザックスは思った。
プレジデント神羅の嫡男にしては、父親と似通ったところは一つもない。
一代で成り上がった手腕は評価されるが、プレジデントには民衆の目を惹きつける王者の風格やカリスマ性は殆どないのだ。それに比べてこの息子は、整った容姿と涼やかな声、明瞭な口調など父親のそれを遥かに凌いでいる。
セフィロスほどの風格はないにしても、この次期社長がいる限り、神羅はまだこの世界に君臨し続けるだろうと思われた。
ソルジャーたちに言葉を掛け、微笑んでさえ見せたルーファウスは、再び正面に顔を戻し、セフィロスと睨み合った。
「ルーファウス様、我が治安維持部門の中でも特に先鋭のソルジャーたちを選びました。これで今回は大船に乗った気持ちで…」
ハイデッカーの長演説が始まるのかと、ザックスたちがこっそり溜息をつく間もあらばこそ、ルーファウスは手を上げて彼を制した。
「ハイデッカー統括、君の口上は結構だ」
ソルジャーたちは陰でにやりと笑いを浮かべる気分を味わった。
ハイデッカーは遮られた語尾を濁らせ、ぐうと唸るような声を上げたが、ルーファウスは気にした素振りも見せず続ける。
「ソルジャーセフィロス、君が乗り気でないのは分かったが、このミッションはプレジデントの意向だ。変更はない。こちらとしてはせめてもの譲歩として、今回の差配を君に一任する。…どうだ」
物腰も柔らかに言い含める口調でありながら、意思を問うというより、部下の目の前で逃げ場を封じたようにザックスには聞こえた。
ルーファウスの言い様で、セフィロスが今回の出陣を渋っているということを、ザックスたちも一瞬で知ることが出来る。隊長が迷いを見せれば部下はもっと迷う。上官の心理を巧みに操る言葉は、成り上がりの商人の息子にしては少々出来過ぎだ。
「好きにやれということか」
せせら笑うような態度で答えたセフィロスに、ルーファウスは一層笑みを深くし、横に立つタークスの人間を見上げた。
「目的を果たす限り、方法は問わない。責任は僕が取る。資料をソルジャー諸君に配ってくれ。ツォン、ルード」
男前というには幼い、美少年ともいえる副社長の独断的な物言いは、ハイデッカーに感じるのとは違う嫌悪感と、ほんの少しの好感をザックスたちに与えた。 |
* * *
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バリアのマテリアを、ザックスは手の中で弄んでいる。
初めて配給されたそのマテリアは、本来ならばセカンド以上でなければ持つことは出来ない。レベルが低いため、まだ最下級の物理防御しか唱えることは出来ないが、対人戦では圧倒的に有利になる。
何故そのマテリアがザックスの手にあるかといえば、無論今回のミッションにおいて特別措置で配給されたからだった。
「悪い予感が当たったかな」
独り言を呟いたザックスに、隣にいたヨセフが顔を向ける。
「縁起でもないこと言うなって」
苦笑と共に吐き出された言葉は酷く聞き取りにくかった。機内の雑音が大きいせいだ。
あの時本社ビルの大会議室に集まったソルジャー全員が、今このゲルニカ機内にいた。ゲルニカはミッドガルから飛び立ち、アイシクルエリアに向けて航行中である。
ザックスらと同じように機内の貨物室に座り込んでいるのは、部隊長セフィロスにファーストが8名、セカンド8名、サード1名の計十八名。サードはもちろんザックスだ。
このミッションで特別編成された部隊の名はハンター。特別なマテリアを探索しに行く部隊としては、余りに捻りのない名称だと思った。
あの幼くも見える気障な副社長が命名するなら、もっと凝ったものになるだろうと思うのに。
アイシクルロッジと呼ばれる雪深い町から徒歩で雪原を進行し、ゴルフボール大かもしれないマテリアを捜して練り歩く必要がある、苛酷なミッションである。
アイシクルエリアという土地は、大昔から雪と氷に閉ざされた大陸だった。南部には地元民の住む町や観光地も存在するが、夏になっても雪解けの来ない北部に至っては、恐らく人ひとり住まない無人の雪原ばかりだった。ましてや今は12月、これから一層雪深くなる時季なのである。
人里はなれているからこそ、そこに未知の力を秘めたマテリアがあっても、確かにおかしくはない。だが一方でそれがあるという確証もないはずだった。
「なんでこんなことになったんだろうなあ」
ザックスは元々温暖な土地の生まれだ。雪遊びに行くならともかく、凍え死にはご免被りたい。
「なんでも科学部門の連中が、その付近で強大なエネルギーを発するモンを探知したって話だ。巨大な力を持つマテリアだってことは予測してるらしいぜ」
「探知だと? じゃあやっぱり誰かが見たとか絶対あるって話じゃないんじゃないか」
「科学部門の研究員が、あんな辺鄙なところへテメエの足で行く訳ないだろ」
ヨセフは乾いた苦笑を漏らしているが、怒りを感じていない訳がない。上層部の人間は、いつだって下の者を手駒としてしか利用しないのだから。
「なんでそんな不確定情報で治安維持部が動くんだ?」
「そりゃ、神羅以外の勢力がかぎつけて『すげえお宝かもしれないブツ』を持っていかれたら困るだろう」
「まあ、そうか…じゃ、いざ対面したらシケたゴミって可能性は念頭にねえんだな」
「サーセフィロスは違うだろ」
ヨセフは顎で貨物室の端を陣取る長身の上官を示した。
詰まれた物資の木箱の上に腰を下ろし、右足だけ曲げて抱えるように座っている。左手には片時も離さない刀をつき、目を閉じている。肩を流れ落ちる銀髪は、水の流れのように美しい。彼の戦闘力を知らなければ、多分軍人には見えないだろう容貌は相変わらずだった。
「なあ、サーセフィロス、もしかして、それで副社長にガンつけてたんじゃねえか」
無表情から判断はできないものの、彼の無口さはザックスには不機嫌ととれる。
「さあなあ。でも上の連中ほどは内容も過程も、楽観はしてねえだろうよ」
ヨセフはそう答えて大きなあくびをすると、到着まで眠るつもりなのか、立てた膝に頬を埋めた。
友人のあくびに釣られてうとうとしていたザックスは、着陸を知らせる赤いサインの点灯に目を開けた。
小さな窓から覗き見た下界は、既に一面銀世界だった。
黒っぽい岩肌を覗かせた高い山脈と、陸の縁を際立たせる暗く荒い海、何もかもが故郷とは対極にある。数年前にミッドガルのある東大陸が他大陸との合併をはかる以前は、全くの異国だった土地だ。
我が物顔で雪原に降り立ったゲルニカが、大きく振動しながら次第に速度を緩めていった。
軍支給の戦闘用ブーツの足が、脛まで積雪に埋もれる。これでも雪の少ない岸壁の傍を歩いているというのだから、広い雪原の真中を進軍すれば動くことすらままならないに違いない。紺色のパンツはもちろん防寒機能があるのに、布地を通して骨の髄までじわじわと冷たさが染み込んでくる。いつもの戦闘服の上に着込んだフードつきのジャケットは厚く、動きを妨げるが、それがなければ一歩も動けなくなるような寒さだった。
「ったく、冗談じゃねーぞ」
口の中の呟きが、横殴りに吹き付ける風の音に紛れて消えた。降雪が止んでも強い風に巻き上げられた雪の粒が舞い、吹雪の中にいるのと変わらない。
ただ、先頭を行く隊長の背中を追って、前へと足を進めるのが精一杯だった。
一方その隊長ソルジャーセフィロスは、雪など物ともしない様子で黙々と足を運んでいる。隊長のすぐ後ろに列を組んだザックスだけでなく、後ろのソルジャー達も難儀しているというのに、だ。
やはり彼だけが他とは違う。彼は特別なのだ。
延々と続く白い世界に心中で唾を吐きかけながら進み、漸く雪のない洞窟のような場所に辿り着いたのは、アイシクルロッジの街を出発して約十一時間後のことだった。
天井が高い、その鍾乳洞のような洞穴は入った場所が広く拓け、奥は曲がりくねってどうなっているのか想像がつかなかった。岩の表面は滑らかで、半透明の鍾乳石で覆われている。
「すげえな」
身体についた雪を叩き落としながら、ソルジャー全員が周囲を見渡し、溜息をついた。
僅かに発光しているのは苔だろうか。灯りがなくてもソルジャーの目には歩くに問題ないくらいの光量を感じる。
「ここが水晶の洞窟か」
「ただの水晶じゃない」
ヨセフの呟きに注釈を加えたのはサーセフィロスだった。
行軍中、始終無言だった彼の声を聞くのは、出発以来だ。途中モンスターが現れても、雪に阻まれて勝手のつかめない部下を置いて、さっさと彼一人がそれらを排除していた。神羅では「ソルジャー」と言外に含む羨望を受ける自分たちが、まるで役立たずといわれているような鮮やかさで。
発した声は思ったほど不機嫌には感じられなかった。
もしかすると、いつも機嫌が悪いと思ったのは思い過ごしで、彼はただ無口なだけなのかもしれない。
「魔晄を含んでいる。だから発光しているんだ」
「この緑がかった色が? 苔じゃないんだ」
「おい小僧。サーになんて口きいてんだ」
サーセフィロスの説明にいつもの調子で相槌を打ったザックスを、強面のソルジャーイサミが嗜めた。
ザックスが誰彼かまわずそんな口調だということは有名だ。最初はそうやって注意していた上官や先輩までもが、どんなに言われても態度を変えないザックスに次第に諦める。
だが生憎とその彼とは殆ど面識がない。
「しっつれーしましたあ」
堪えた様子の見えないザックスに小さく溜息をついて、彼は直ぐに矛先をおさめたが、ザックスの性格を知る者はこっそり笑いを漏らしている。
未開の場所に足を踏み込んだ不安が、その笑い声によって形をひそめた。
これこそが自他共に認めるムードメーカーたる所以である。
「今日はここで休みますか」
ソルジャーイサミがセフィロスに声を掛けると、彼は無言で頷き、拓けた場所にある鍾乳石に腰を下ろした。他の者もその辺りを野営地と決め、隊長の座する周囲にそれとはなしに集まる。
雪原でビバークするための一人用テントは所持していたが、ここは外からの風や雪も殆ど吹き込まず、気温も大分暖かいように思えた。ザックスは気心知れたヨセフと並んで、毛布を広げた。
「火が焚けたらいいんだけどなあ」
ザックスの呟きは洞穴の中を反響して皆に聞こえたようだ。
同意の気配が上がったが、途中にも燃やせるような木々はあまりなく、あったとしても拾いながら進むような余裕がなかった。
「ザックス、お前の服を燃やせば少しはあったかくなるぜー」
ヨセフがザックスのジャケットの袖を引っ張って見せると、全員が声を上げて笑った。
「よ、よせよ。オレは寒がりなんだからな!」
「お前が犠牲になれば皆が助かる。さっさと脱いで寄越しやがれ」
「その栄誉はお前に譲ってやる。お前の服を寄越せ、ヨセフ!」
ふざけて掴み合う二人へソルジャーたちは、それやれと野次を送る。
その中央で二人を咎めもせず、無表情を保ち続けていた隊長の方に視線を向けると、彼の口元はほんの少し笑んでいるように見えた。
そしてふっと小さく、確かに笑った。
「あ、サーセフィロスまでオレの服を燃やせってんじゃないでしょーね!」
わざと悲しげな顔と声で話し掛ければ、セフィロスは唇を意地悪そうに吊り上げ、細めた目でザックスを見た。
彼の笑顔など初めて見る者が殆どなのか、驚きを隠せない顔でソルジャーたちの視線が集まっていた。
「脱がないならお前ごと燃やしてやろうか」
どっと周囲が笑ったが、ザックスは彼の言い分は冗談じゃないのではと半ば心配になりつつも答えた。
「ひ、酷い。みんなアタシのハダカを見たいのねー!」
「ザックス、そのカマ口調やめろ! 気味悪ィ!」
ヨセフだけでなく他のソルジャーたちの攻撃を受けながらも、ザックスは思いがけず目にしたセフィロスの笑みから視線を外すことが出来なかった。
何の問題もなく一夜過ごしたソルジャー部隊は、陽の昇る前に鍾乳洞の奥へと進軍を再開した。
穴の深部は曲がりくねってはいるが、大人三人くらいが十分に並んで歩ける幅で、時折入口付近のように拓けた場所もある。横穴はどれも細く、途中ですぐに行き止まりになっていた。
神羅の科学部が使用するような巨大なスキャン装置がある訳でもないから、どのくらいの大きさなのかも分からない目的のマテリアを、一体どうやって探せというのか、とにかく己の目を頼りにするしかない。だが平坦な鍾乳石の壁には、マテリアが潜んでいるような岩陰もなく、ソルジャーたちはただ奥へ奥へと進んで行った。
太陽が覗えず、時間の感覚は失われつつあった。
腕の時計は正午近い。
六七時間もひたすら一本道に近い洞穴を進んでいるのに、マテリアの気配など感じることは出来なかった。
そもそも神羅の科学部門が察知したというエネルギー体が、本当にマテリアなのかどうか、見た者がいない以上、確証もない。
「休憩と食事を取る」
再び、少し開けた場所に出た一行は、セフィロスの一言で足を止めた。
適当な場所に腰を下ろして取る食事は、もちろんレーションで、味気ない上に不味い。アイシクルロッジを出てまだ二日目だというのに、ザックスは既にまともな食事が恋しくなっていた。
ソルジャーたちが勝手な場所に座り込んでいる一方、いつもなら休憩時はじっと動かないセフィロスが珍しく歩き回っていた。ザックスは口の中のものを咀嚼しながら、彼の動きを目で追っていた。
不味いレーションをいつまでも飲み込まないのは、それに気をとられていたからだ。
ここも天井は高く、壁近くには鍾乳石の柱が幾本も立ち並び、まるで意図して作った神殿のようにも見える。広さはゲルニカの貨物室くらいはありそうだ。
そして洞穴の石の表面は滑らかだが、柱候補の塊がぼこぼこと突出しており、足場は複雑だった。セフィロスはその隙間を覗き込むようにして、周囲を見回っている。
「なんか、あるんですか」
ザックスが声を掛けると、セフィロスはちらと視線を送ってから奥の方にある柱を指差した。
「折れている。見えるか」
「あ、ああ。見えるけど?」
「どういうことか分かるか」
謎かけめいたセフィロスの言葉を頭の中で反復していたザックスは、ようやくレーションを飲み込んで、答えた。
「って…誰かが折ったっていうこと?」
「誰だろうな」
完全にはぐらかされたと思って、ザックスはむっと眉を寄せて立ち上がった。
セフィロスの横に立って見上げた柱は、丁度半ばほどから折れている。天井部分までを十メートルとするなら五メートルあたり。折れた柱はよくみれば一本ではない。おまけに周囲には砕けた石の欠片が散乱していた。
「鍾乳石は柔らかい。だが魔晄を含んでいるから、ここのは通常のものより少しは固いはずだ。それがあんな高さで折れているということは」
「…いうことは?」
「それだけ力のあるものが、ここを極最近通ったということだ」
セフィロスはそう独り言のように呟き、ポケットから出した紙巻を一本咥え、火を点けた。緑色がかった洞穴内にそこだけ赤い火が燈る様子は幻想的だった。
ザックスはその場に座り、思案を始めたセフィロスを眺めながら食事を再開した。
彼が考えていることはよく分からないが、思っていた以上に強く、孤高の男であることは間違いない。そして思っていたほど親しみ難い人物ではなかった。
ザックスも彼の出ている神羅の広告を見て入隊した口なので、多いに彼の挙動や性質に興味を引かれている。
名声の為に戦うような男ではない。
では何故敵を求め、神羅の手足となって戦っているのだろうか。
栄養を取るだけの食事はすぐに終わり、ソルジャーたちは武器の点検をしたり、歩き詰めの足をマッサージしたりと準備に余念がない。もうそろそろ進軍を再開するだろうと皆が思っているのだが、セフィロスは洞穴の奥を眺めて立ったままである。
「サー」
ファーストのソルジャーミシェルがセフィロスに声を掛けるが、ほんの少し顎を動かしただけで答えた。
「皆準備できています。進みますか」
「待て」
小さく答えたセフィロスの両目が魔晄の色に輝くのをザックスは見た。
「…来る」
「は?」
セフィロスが見つめる深部は、これまで進んで来た穴よりも比較的広いように思われた。四五人が並んで歩けるくらいは幅があって、何より天井はこの開けた場所と同じ高さが続いている。
セフィロスの視線の先をそれぞれ見やっていたソルジャーたちは、セフィロスが床についていた刀を持ち上げたと同時に、はっと身を竦めた。
気付いたのはザックスだけではなかった。
ソルジャーの人知を超えた聴覚が、前方から何かが近づく足音を捕らえた。速度は人間の早足程度、だが周囲に響く音量はとてつもなく大きなもののように思える。
「サーセフィロス」
「戦闘態勢。マテリアも装備しろ。ファースト、前へ。セカンド、サードはブレスに気をつけろ」
ソルジャーたちは手早くマテリアを装備しながら気付いた。
ブレス攻撃とは大型のモンスターが使う属性攻撃である。魔法防御力が低いと、一撃で死に至ることもある。
ミッドガルや、ザックスが出撃したことのあるウータイ、西大陸ではそこまで大きなモンスターが現れることは少なく、唯一グラスランドエリアの沼地に現れるミドガルズオルムがそれに相当するであろう。
ごくりと音を立てて唾液を飲み込み、ザックスはバスターソードの柄を握りなおした。
既に足音は普通の人間にも聞き取れるほど近づいている。足音は二体分だ。
砕け散る鍾乳石の音がそれに混じる。
そして、恐ろしげな咆哮が聞こえた。
「ドラゴン…」
ヨセフの呟きに部隊は騒然となった。
「うろたえるな」
セフィロスが静かに言い、正宗の鯉口を切った。
洞穴深部の暗闇から光る目がこちらを見た。青い宝玉のような目が四つ。
「…アイスドラゴン!」
誰かが悲鳴のような声で叫んだ。
「防御魔法を。尾にやられるなよ」
コートの裾が翻り、ソルジャーの中のソルジャーは、今その全身を晒した巨大なモンスターへ向かって駆け出した。
ザックスはその一部始終を、まともに剣を振るうことも忘れて目で追っていた。
刃文の美しい長い刀は薄闇の中で閃き、その度にドラゴンの固い鱗を切り裂いて、確実に傷を負わせていった。二体の内の一体は、セフィロスのたった三振りで地に倒れ伏した。
もう一方は、片割れが倒れたことで怒りに高揚し、突然、近寄るのも憚るほど暴れ出す。その太く長い尾が鍾乳石の柱をなぎ倒し、ソルジャーたちもその打撃を直に受ければ無傷ではいられなかった。
まとめて三人が跳ね飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
骨の折れる音がした。ソルジャーだとて頭蓋や脊髄が割れれば即死する。
一瞬うろたえたソルジャーたちに向かって、ドラゴンは鋭利な牙の並ぶ口を大きく開き、ごうと音を立てて息を吸い込んだ。
「ブレスだ。防御を!」
先に忠告されていたことで、ソルジャーは一斉に己の身体に魔法防御を施した。唯一サードのザックスは最下級のプロテスしか使えない。せめて直撃を避けるために後退りしようとした目前に、音もなくセフィロスが立ち塞がった。
仲間を切り伏せたセフィロスを最大の敵と見たのか、ドラゴンは周囲の水分を白く氷結させながらブレス攻撃をしかけくる。
セフィロスはザックスとドラゴンの間で左の掌を掲げ、完璧な防御魔法で凍気を跳ね返した。余波を受けたセカンドやファーストたちは皆少なからずダメージを受けたというのに、セフィロスはまさに涼しい顔だった。
「ファイガ」
ブレスを吐き切り、隙が生まれたドラゴンへ、セフィロスは火炎の最大級魔法を放つ。
気迫と共に放出される魔力の凄まじさを、傍にいたザックスは肌で感じることが出来た。
とてつもない、恐ろしい力だ。
これが強固な表皮に守られたドラゴンでなく人間ならば、間違いなく即死するだろう熱と衝撃だった。
炎に巻かれたアイスドラゴンは弱点を突かれて、一気に戦意を失う。だが逃亡する時間は与えられず、跳躍したセフィロスの斬撃を甘んじて受けることになった。
ドラゴンの一抱え以上ある首が、どさりと音を立てて落ちた。
その傍に音もなく、コートの裾を従えて降り立ったセフィロスは、横目で断ち切った首を見下ろしながら刀の血糊を払う。
その仕草は場にそぐわないほど優雅だった。
「怪我人は」
呟きに、ザックスと同様呆然と見つめていたソルジャーたちははっと身体を竦めた。
尾に跳ね飛ばされた三人のソルジャーは、まだ壁際に倒れ伏している。
セカンドが二人、ファーストが一人。
「おい、しっかりしろ!」
ソルジャーイサミが最初に駆け寄って脈を取った。
だが全員息絶えていた。
セカンドの一人は背骨が完全に砕けたのか、奇妙な方向に折れ曲がっていた。他の二人も頭部などを強打しているようだった。
ファーストたちが立て続けに蘇生魔法を施すが、三人とも息を吹き返す様子はない。
「サー…」
イサミがセフィロスを見上げ、眉を寄せた。セフィロスは顎を小さく動かして彼を退かせると、その場にしゃがみこみ、並べて横たえられた三人のソルジャーに手を翳す。
言葉はないが、ザックスは彼のバングルにはまったマテリアが一瞬強く輝くのを見た。
二三度それを繰り返し、暫くしてファーストソルジャーの一人がふっと息を吸い込んだ。
ソルジャーたちは一斉にどよめいた。
セフィロスが立て続けに施した魔法で、一時は心臓すら止めていたファーストを己の足で歩けるほどまでに回復した。
だが奇跡もそこまでだった。
結局、旅程半ばに遭遇したドラゴン二体によって、ソルジャー部隊は早くもセカンド二名を失ったのだ。
ドラゴンがやってきた洞穴の奥へ、残った十六名のソルジャーは進軍を再開した。
相変わらず洞穴はほぼ一本道で、途中、ドラゴンの巣だったらしい横穴を見つけた以外はやはり怪しい場所も見当たらない。
迷う心配がない一方で、単調な道は戦士たちの覇気を削いでいく。
ザックスも同様だ。
いつまでこれが続くのかと部隊がうんざりしかけた頃、一行は再び拓けた場所に出た。天井の高さは変わらないが、その広さはこれまでの倍はあろうか。ソルジャーたちが通う、ミッドガル基地内の演習場くらいはありそうだった。
だが、その中央には直径十メートルほどの大穴が空いていた。
覗き込んだ穴は深く、遠くに緑色の光が見える。魔晄だった。
「魔晄…」
落ちれば這い上がってくるのは不可能な深さだ。
「他に道があるか、手分けして調べろ」
セフィロスの指示に従って、ソルジャーたちは周辺を細かく探索した。
だが彼らが進んで来た道以外に、横穴は見つからない。ここが洞穴の終着点らしい。
「サー! サーセフィロス!」
ソルジャーヨセフが奥の壁際に屈み込んだまま声を上げた。
「光が見えます」
彼が指し示した場所に全員が集まり、ヨセフの示す部分を覗き込むと、人一人が這って進めるくらいの穴の奥に、岩石の間から白い光が見える。吹き込んでくる空気は冷たい。
「外か」
「恐らく」
「ミシェル、ここから外に出るとするとどの辺りだ?」
セフィロスが問い掛けたソルジャーミシェルは、地図を広げ、指で指し示した。
「我々が入ったのはこの大氷河の入口からですが、恐らく…このたてがみ岩の辺りまでは到達しているかと思われます」
ここまでの洞穴内の道は比較的平坦だった。山頂にあるたてがみ岩の辺りということは、この横穴は山の斜面に向いていることになる。
「外、ではないだろうな。とすると、この中か」
セフィロスが顎で示したのは、広間の中央に口を空けた大穴だった。足がかりになりそうな凹凸もほとんどない、ここに降りるのは不可能に思える。
「この魔晄をヒュージマテリアと勘違いしたのではないんですか、科学部は」
ソルジャーイサミは穴の底を覗き込みながらセフィロスに聞いた。
「確かに、北大陸では魔晄が湧き出ることは殆どない」
セフィロスが珍しく雄弁なこともあって、ソルジャーたち一同は、底の魔晄の流れと部隊長の顔を交互に眺めながら聞いていた。
セフィロスの言うように、アイシクルロッジやこの大氷河のある北大陸には、魔晄炉がない。
魔晄炉は地表近くまで魔晄の流れがあるところに建設する。つまり地下水脈の上に井戸を掘るようなものだ。
ところが何故か北大陸には、最北にある切り立った断崖に囲まれたクレーター近くに魔晄が集中し、一帯には浅い魔晄の流れは存在しない。この土地が雪解けを向かえず、年中雪に閉ざされた極寒にあることも、魔晄の流れが大きく関係しているという説もあるそうだ。
「だが、こういった魔晄の泉は、時間帯によって満ち引きがある。移動する魔晄の流れと、固体のマテリアとは完全に異なる波でスキャンされる。魔晄やマテリアの発掘に命を賭けている科学部が、間違えることはないだろうな」
セフィロスの説明に聞き入りながらも、ザックスはこの穴を降りることは出来るだけ避けたいと神に祈るような気持ちだった。
高い所が苦手という訳ではないが、ロッククライミングの趣味はない。
「降りるか」
「…げえ〜」
呟くような上官の声に、ザックスは間髪入れずにうめいていた。
周囲のソルジャーは一斉に吹き出した。
「ザックス、おまえ、正直すぎるぞ」
ヨセフに小突かれ、それでもザックスは不満も露に言った。
「だってよー、こんなトコ、誰でも出来れば願い下げだろ〜」
「それもそうだな。全員降りる必要はない。イサミ、それにザックス、お前だ」
「えっ?」
セフィロスは淡々と名指しし、ザックスへ意地の悪い笑みを向けた。
「セカンドに昇進する機会だと思え」
「あんた、意地悪い〜」
本気で涙目になったザックスを、ソルジャーたちはまだ笑っていた。
腰には命綱がある。
だが命綱というものは、そもそも『念のため』であり、一本のロープが本当の意味で人の命を支えているといことは、人生の中でも余りないように思える。
今はまさにそのロープが、魔晄の泉に向かって降りる三人の命を支えていた。
先頭にセフィロス、サードのザックス、ファーストのイサミと続いている。向かう先は、セフィロスが見つけた横穴だったが、余りに下方すぎてセフィロス以外の目には捕らえることは叶わず、二人は隊長を信じてただ下へと足を運んでいた。だが頭の中では、何故セフィロスがファーストのイサミはともかく、最も下っ端の自分を選んだのか、そればかり考えている。
身体能力の優れているファーストを向かわせた方がいいのではと思う。もしかしたら、捨て駒に使うなら階級の低い方がいいと考えて、自分を指名したのでは、とも思った。
だが確かに、ここで戦績を上げればザックスは帰還してから昇進は間違いない。
ザックスはまだセフィロスという男の性分をわかっていない。
これまでのウータイや西大陸の出陣では、同じ部隊に配属されたことはなく、常に彼は現場司令官という遠い存在だった。生きながら英雄と祭り上げられていながら、彼の風評に美談は少ない。ザックスの元に届く彼についての情報は、どこかで必ず改ざんされたものでしかなかった。
遠くにいても、彼が本当に強い戦士であることは疑っていない。そして有能な司令官であることも間違いない。それは先ほどのドラゴンとの対戦でも、これまでの指示の的確さでも証明している。
完全なる鉄面皮かと思っていれば、ザックスを見て他の兵士と同じように笑ったり、冗談を言ったりもする。普段の表情は乏しいが、人柄が噂に聞くほど人間離れしているとは思えなかった。
しかしやはり、これまでザックスが出会ってきた人物と同じように計っては、きっと読み違えると本能が告げるのだ。
高さを意識しないようにと、そんなことを考えながら、着実に縦穴を降りていた。
仰向けば、見守る仲間たちの姿は随分と小さくなっていた。そろそろ終点かと下を覗き込むと、丁度横穴に到達したらしく、セフィロスがそこに潜り込もうとしているところだった。
こっそり安堵の息を吐いて、ザックスは壁を蹴って横へと移動し、セフィロスの消えた場所に近づいた。
横穴は高さ一メートルほど、中は深いようで先に行ったセフィロスの背中が見えた。穴の中に降り立ち、後に続くイサミに手を貸して、ザックスも奥へと進む。
細い穴を二十メートルほど屈んだまま進むと、少し開けた場所に出た。とはいっても、上の洞穴とは違い、熊の穴倉程度の広さだ。
中央にセフィロスが立っている。
その正面に何か光るものがあった。
「これ…?」
岩の隙間に収まっている光り輝く結晶は、ラグビーボールよりも少し大きいくらい。薄い緑は魔晄の色だ。
「で、でけえ」
「ヒュージマテリアだ」
傍に近寄れば、直視出来ないほどの光を放ち、魔法マテリアとは比較にならない力の大きさを肌で感じることが出来る。普通のマテリアであれば、指で触れるだけで何に使うものか、そのマテリアの性質を推し量れるものだが、これは触れずとも放出するエネルギーを感じた。だが何に使うものなのか、用途は分からない。
「何に使うんだ、こんなでけえモン」
物珍しく見入るザックスの様子を見やってセフィロスは答えた。
「魔晄の呼び水になる」
「呼び水?」
「魔晄炉に設置される。これで、魔晄の流れ自体を変えることもできる。巨大な兵器の燃料として使うことも出来る」
「万能なんだな」
「ああ。だから科学部も必死になる」
皮肉な笑みを浮かべたセフィロスは、ヒュージマテリアを囲む岩に手を触れて、サンダーを唱えた。小さく弾けるような音がして、岩肌に亀裂が入る。
高い魔力を闇雲に放出するだけでなく、こんな風に微妙な調節が出来るのも英雄たる所以か、ザックスなら間違いなく貴重なマテリアまで壊しているに違いない。
周囲の岩をザックスとイサミが手で崩し、ヒュージマテリアだけを取り出した。携帯用のナップザックに納めてから、セフィロスはそれをザックスに差し出した。
「背負って上れるか」
「これでオレの昇進決まりってなら」
任務を果たした安堵も含めて、ザックスは満面の笑顔で答え、受け取った。
漸くここから出ることが出来る。上に戻ったら、元来た道を戻って数日後にはミッドガルだ。
早くも暖かく慣れた寮の寝床に思いを馳せながら、ザックスは降りた時とは正反対の気持ちで、決して軽くはないヒュージマテリアを担ぎ、仲間の待つ地上への世紀のロッククライミングに挑んだ。
「大丈夫か、ザックス」
声を掛けてきたのはヨセフだった。
しかしザックスはいつもの調子で冗談めかして答える余地もなく、鍾乳石の床に仰向けに倒れこんでいた。荒い息もまだ治まらない。手足の筋肉が緊張しきって、無意識にぶるぶると震える。
「駄目だ。死んだ」
無様にへばっている理由はもちろん、未経験のロングコースを登ったせいだった。
「ごくろーさん。一応大活躍じゃねーか」
「一応じゃねえよ。十分働いたっての」
今晩はこの縦穴の近くで一泊し、明朝から帰還すると先ほどセフィロスが言い置いて行った。少量だが飲酒の許可も下りて、ソルジャーたちはかなり寛いだ雰囲気になっているというのに、ザックスはまだそんな状態だった。
洞穴内では火を焚くことは出来ないが、外からの月明かりが雪に反射して大層明るい。先刻他のソルジャーたちが、ヨセフの見つけた穴を魔法で広げて抜け道を作ったのだ。
「あの抜け道どうだった?」
「たてがみ岩って呼ばれてる、岩山の斜面に出た。結構積雪が深いし、行軍するには向かねえな」
雪があるから水は補充できたらしいが、結局明かり取りにしかならないようだ。
「ま、明日までゆっくり休みな。また丸一日洞穴歩いて戻って…それからまた雪道だからなあ」
外はまだ静かに雪が降っているが、風は穏やかになっていた。洞穴内にはセフィロスやソルジャーたちが吸う、配給品の紙巻の香りが漂っている。
そして皆が休む中央の岩の上、薄いナップザックを透かして巨大なマテリアが淡い輝き放っていた。その用途とは正反対に優しい光だ。
ミッション中にこれほどのんびりした空気は余り感じる機会が少ない。
身体の疲れも相まって、ザックスは自然と眠りに誘われた。
「おい、ザックス、もう眠る気かよ」
ヨセフの声が聞こえたが、目を開ける気にもならなかった。
物音、いや、もっと微かな気配がする。
誰かがザックスのすぐ足元を歩いて行った。
まだ酒を飲んで起きている者がいるのかと、ザックスは薄目を開けて覗うが、仲間たちは皆各自の寝袋にくるまって、こんもりとした影を作っていた。
洞穴の一番奥を陣取っていたザックスは、通り過ぎて行ったセフィロスの後姿を寝ぼけた目に捉え、はっと身を起こした。
セフィロスは、ヨセフたちが開けた外への抜け道に消えた。
時計を見ればまだ深夜、こんな時間に一人どこへ行こうというのだろうか。
セフィロスが起きたことに誰も気付いていないのかと周囲を見渡すと、中央に置かれていたはずのナップザックがない。どこかに移動させたのかと見回しても、あの柔らかな緑色の光はどこにも見当たらなかった。
「…まさか」
ザックスは起き上がり、眠る仲間の間を足音を立てないように歩いて、抜け道を潜った。雪は止んでいるが積雪は深く、洞穴の外に一歩踏み出した途端、膝まで雪に埋もれる。
そしてザックスは雪に残った跡を見て気付いた。
セフィロス、そしてもう一人分の足跡がある。
ザックスは必死に雪に埋もれた足を抜き出し、足跡を追った。
岩山の断崖に棚になったその場所はなだらかな斜面で、一面バージンスノウに覆われている。足を引き抜く度に細かな雪が煙のように舞い上がり、低くなった月を反射してきらきらと光った。
夜目にもセフィロスの銀色の髪は良く映える。そして彼の前方には、薄緑色に光るものが見える。
下手すれば凍えるほどの気温の中、ザックスは汗が滲むほど夢中で上官を追いかけ、セフィロスまであと十歩というところまで近づいた時、彼と、その前を行くマテリアを背負った男が止まり、振り返った。
「ソルジャー…イサミ?」
ザックスは声を潜めることも忘れ、もう一人の男の名を呼び、その場に立ち尽くした。
丁度同じくらいの間隔を置いて、三人のソルジャーは膠着した。あからさまな殺気がセフィロスと、ヒュージマテリアを携えるイサミから発されている。
さして広くもない棚は、イサミのすぐ前方で途切れており、ザックスには彼が一体何所へ向かうつもりだったのかわからなかった。
「…気付いていたんですか、サーセフィロス」
イサミの声は僅かに震えていた。
無論寒さゆえではないだろう。
「当たり前だ。お前は只でさえ大きなミスを犯したぞ」
直立不動のまま、背を向けているセフィロスの肩が小さく揺れた。
笑ったのかもしれないが、ザックスから彼の表情は見えない。
「このミッションの目的が『ヒュージマテリア』であることそのものが、幹部以外は知らぬことだ。それなのに、お前はそれを目にする以前から知っていたな。科学部のスキャンしたエネルギー体が、魔晄泉と間違えたのではないかと意見したのは、お前だったろう」
「うかつでした」
ゆっくりとセフィロスの横に進んだザックスを、イサミは静かに見た。
何かを覚悟した者の強さを、戦場経験の豊富なザックスはよく知っている。彼の視線はそんな者のものだった。
「ソルジャーイサミが裏切り者だっていうのか」
「そうだ。オレは元々ウータイの生まれ。両親はオレが生まれる前にミッドガルに移民したが、戦争が始まってから国へ帰って…殺されたんだ」
そう言って俯いたイサミは背負ったマテリアの袋を静かに降ろした。
「お前だけではない」
突然のセフィロスの言葉に、イサミとザックスは同時に彼を見た。
何の感情の変化も見られない顔は、真っ直ぐに神羅の敵を見据えている。
「このミッションそのものが、裏切り者を炙り出すために計画された。今回同行しているソルジャーの半数近くが、お前と同様にウータイや他国籍の縁者を持っている」
「…何だって?」
「ザックス、お前は別だ。それにミシェルやクリス、お前と同期のヨセフも圏外だな。だがイサミを入れて8名は最初から内通の嫌疑が掛かっていた」
ザックスは愕然として、両手を脇に垂らした。
つまり神羅幹部とセフィロスは、ザックスらソルジャーたちを最初から騙していたということだ。
「科学部がヒュージマテリアのスキャンに成功したはいいが、すぐに外部に漏洩していたことが分かった。だがいつどんな敵が動くか分からない。だからこちらから炙り出すつもりで、嫌疑がかかったソルジャーを、あえてこのミッションに参加させた」
「だから、疑いがないオレを降下させたのか」
「誰が動くかあの時まではわからなかったが、イサミがヒュージマテリアを口にした時点で、目が離せなくなった。それに他にイサミと結託した者がいないとも限らない。ミシェルたちを残しておけばそうそうしくじりはしないだろう。それに…」
あの意地の悪い笑みを浮かべ、セフィロスは続けた。
「お前は体力がありそうだったからな。力仕事をさせるには最適だと思った」
ザックスはもう何も答える気にならなかった。
顛末を語るセフィロスに静かな視線を注いでいるイサミと対照的に、ザックスは一瞬でも意外といい奴なのかもしれない、と思った自分に無性に腹が立ち、あからさまな膨れっ面にならずにはおれなかった。
「さあ、お喋りは終わりだ」
セフィロスはイサミに向き直って、刀に手を掛けた。
「それを戻せ。今なら命を助けてやることは出来る」
「これが神羅の手に渡れば、またウータイの民が死ぬ。渡せません」
「だがウータイに渡したところで同じこと。ミッドガルや他国の民が死ぬだけだ」
冷ややかな言葉を吐いて刀を抜き、その切っ先をつい先刻まで部下だった男に向ける。
ザックスは怒りを忘れ、思わず上官たる彼に飛びつきそうになった。
「ソルジャーイサミを斬るってのか、あんた」
「オレにはその権限がある」
「でも!」
だが動けずに立ち尽くしたまま、対峙する上官と先輩ソルジャーを交互に見やった。
圧倒的な気配を発するセフィロスを、イサミも動じることなく見据える。剣を抜こうともしない。恐らく、剣を交わしたところで勝てる相手ではないことを、よく知っているからだ。
イサミはファーストソルジャーで、ソルジャーミシェルと同じくずっとセフィロスの近くで戦って来ているはずなのだ。時には重要なミッションで、仲間としてセフィロスの助けになったこともあるはずだった。
その彼をも、セフィロスは斬るというのか。
斬れるものなのか。
「サー、お願いがあります」
イサミはヒュージマテリアの袋を雪の上に下ろし、静かに告げた。
「オレはどうせ、ミッドガルに帰れば処刑される身です。だからここでサーに斬られて死んでもいい。でも、これだけはどうしても神羅の連中に渡したくない。オレの首を差し出す代わりに…このマテリアは処分してくれませんか」
遺言だとでも言うように、イサミは悲痛さの滲む懇願を吐き出して、その場に膝をついた。
「どうか、どうか、お願いします」
「それを神羅に戻し、出頭する気はないんだな」
セフィロスはイサミの元に歩み寄り、彼を見下ろした。
ザックスは唇を噛んだ。
二人の間で交わされる言葉に、ザックスが口を挟む余地はない。完全なる部外者だった。
せめて、その懇願を飲む振りだけでもしてやれば、死に行く者を安堵させられるというのに、セフィロスはそれもしない。
そしてザックスが止める間も与えず、セフィロスの刀は素早く振り上げられた。
鮮血が飛沫になって真っ白な雪の上に散る。持ち主の温もりを残すそれは、冷たい雪を溶かし湯気を立てた。
イサミは呻きも叫びも何ひとつ漏らさず、静かに雪の中に倒れた。
何所からか風に乗ってきた雪の欠片が、音もなく骸に散る様子は花びらにも似ていた。
「バカな奴だ」
セフィロスの小さな呟きに顔を上げたが、彼は部下を斬った者とは思えないほどの無表情で、半ば断ち切られた彼の首の断面を見つめていた。
「この世のどこに、命を賭けるほどのものがあるというんだ」
表情のない顔を裏腹に、冷徹とも思える言葉には、不思議とセフィロスという男の苦悩が滲み出ているように、ザックスは思った。
セフィロスの無情な命令で、ザックスは先刻まで先輩だった男の骸を洞穴へ運んだ。
往路につけた轍があるものの、まだ温かさの残る身体を持ち上げて進むのは気分の悪さを助長する。穢れのない、柔らかな積雪には引きずった跡と血の跡が残った。
固い地面に辿り着いてからは担ぎ上げた。
洞穴内で眠る仲間はまだ目覚めた様子がない。就寝前の酒も手伝って、皆眠りが深いのだ。もしかするとセフィロスはそれすら見込んで、飲酒の許可を出したのかもしれない。
マテリアの袋を持ってザックスに従ってきたそのセフィロスは縦穴の近くで立ち止まった。
そして無言で目の前に口を開けた穴を、顎で示す。
ザックスは彼の意図が理解できず、首を傾げた。意図どころか彼の表情も分からない。
「落せ」
「は?」
「穴に、イサミの死体を落せといっている」
ザックスは骸を担いだまま固まった。そして反抗心も露に上官を睨みつけ、歯を食いしばった。
「あんたは、慈悲って言葉を知らないのか」
「騒ぐな。皆が起きる」
「起きたら困るのはあんただもんな」
ザックスは肩に載せたイサミの服を掴み、声を荒げた。
彼を誅したのは仕方ないにしても、命を賭けて故郷を守ろうとした彼の心を、少しは汲んでやってもいいではないか。同情は迷惑かもしれないが、神羅の標的がもしもザックスの故郷だったら、きっと彼と同じようにした。
「命令だ。従わないなら強行する」
「してみろよ」
「ザックス」
頑なにイサミの身体を離さないザックスを見やって、セフィロスは小さく溜息をついた。
「仕方ない」
呟きと同時に、ザックスの身体は硬直した。身体中の筋肉が金縛りにあったように、指の一本も動かすことが出来ない。これは魔法だとすぐに思い至ったが、ザックスには抗う術はなかった。
セフィロスは音も立てずに歩み寄り、ザックスの手からイサミの体を降ろした。イサミはザックスよりも小柄だったが、それでも大の男を軽々と抱え上げ、背を向ける。
『よせ!』
制止の言葉も声にならない。
そしてセフィロスは何の躊躇も示さず、かつての部下の身体を穴に向けて放った。
落ちていく骸の行方を見届けるつもりか、彼は暫くその場に立ち尽くしていた。
「声を立てないなら、解いてやる」
セフィロスは振り返らずにザックスにそう告げて、確認するでもなく魔法は突然解けた。
息を乱すザックスに背を向けたまま、手を差し出す。
「マテリアを」
サードなど相手にならないとでも言うようで、だが対抗する手段も見出せないザックスは奥歯を噛み締め、先ほどセフィロスが地面に置いたマテリアを拾い上げた。
まだ穴を見下ろしているセフィロスの手に、それを渡す。
イサミが死を覚悟の上で奪おうとしたマテリアは、相変わらず袋を透かして淡い光を放っている。多くの命を奪うかもしれないなら、イサミの言うとおり、ここで処分してしまう方がいい。
そう思った時、セフィロスは袋を受け取り、ザックスを振り返った。
「お前は何も見ていない」
訳が分からず、ザックスは無言で上官の怜悧な顔を見つめた。
声を立てるなと言われていなかったとしても、声など出なかった。
「マテリアは、イサミが抱いて魔晄泉に身を投げた」
セフィロスは静かに、見たこともないような笑みを浮かべ、手にしたマテリアを袋ごと穴へと放り投げた。
「あ」
見下ろした魔晄の泉の中に、マテリアはイサミと同じく音も立てずに沈み、あっという間に見えなくなる。
「お前とオレは、イサミが落ちるのだけを見た。そう報告する。いいな」
確認であると同時にそれは命令だった。
振り返った時、セフィロスは既にザックスから離れ、自分の寝床に歩き出していた。
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* * *
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翌朝、ソルジャー部隊は帰還の途につき、マテリア探索のミッションは終了した。
ミッドガル上層部に報告された内容は、セフィロスがザックスに言い聞かせた筋書きと殆ど差がなかったようだ。
裏切り者の発見こそ叶ったわけだが、貴重なヒュージマテリアを失った失態の責任は、結局セフィロスとその場に居合わせたザックスが被ることになってしまった。
処罰といえど、馬鹿ではなさそうな若い副社長の計らいでもあったのだろう、セフィロスは二ヶ月の減俸、ザックスは見込まれていたセカンドへの昇進が延期となった。
神羅の英雄が減俸など、多分初めてのことに違いない。
セフィロス、神羅の英雄。
ウータイの民からは死神と呼ばれ、神羅の内部でも似たような仇名が幾つもあった。
生きながら英雄になった男はその名に相応しい強さを持っているが、つまりはそれだけ多くの生物を殺め、彼の地位はその骸の上に成り立っている。
その出生や生い立ちについては全てが極秘とされている。秘密だからこそ、推察され、憶測が彼の戦歴を華々しいものにするのだ。
だがセフィロスという一人の男は、英雄の秘密以上に知られていない。
間近で見ていたザックスにも、まだよく分からない。
彼の人物像は、英雄、ソルジャーという明確な肩書きとは正反対に、余りにもちぐはぐで曖昧だった。
何の躊躇もなくかつての部下を斬ったかと思えば、ミッションの目的だったはずのマテリアを同じように躊躇なく捨てる。
彼が何に則り、何を柵として生きているのか、その行動から理解するのは不可能に思えた。
そしてその柵を探すことこそ、彼の生きる意味そのものなのかもしれないと、ザックスは思った。
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03.09.03(了)
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