王国へ7.5 |
小旅行 |
折れたバスターソードを壁に立て掛け、クラウドは寝台に寝転んだままそれを眺める。
かつて自分を庇って逝った、勇気と正義に満ち、その精神も肉体も本当に強かった友人の遺品でもあるそれは、おおぶりな刃を操るための柄を失っていた。
その友人の愛用だったころ、苛酷な任務にもいつも耐えてきた剣だというのに、英雄と呼ばれた、クラウドが知る限り最強の男との短い対決で、いとも簡単に鍔の元から折れてしまったのだ。
その戦いで、クラウドは己が人に告げた言葉を、身を持って証明したことになった。
勝ちたいと願う強さが勝負を決する。
クラウドは誰よりもその男に勝ちたいと願い続け、彼を倒すべきは自分であると思い続けていたから、クラウドを慕い、今世界の命運を握る少年よりもずっと強いだろうその男と、互角の対決をすることが出来た。
一人、世界を放浪していた数十年、クラウドはそれだけの為に生きていたようなものだったのだ。
今、クラウドはトラヴァースタウンの二番街にある、町で一番大きな宿にいる。寝台は快適で、物思いにふけるクラウドの身体を優しく支えてくれた。
もうオリンポスコロシアムに留まる理由がなくなったクラウドは、そのまま男――セフィロスを連れて、隣に位置するこの町にやってきた。
この街は、クラウドがこの世界に来たとき、最初に辿り付いた場所であり、クラウドが大事に思っている仲間たちが暮らしていた。中でも、ずっと心配してくれていた少女に、男を見つけることが出来たと報告するつもりだったのだが、幸か不幸か、少女はこの町を仲間と共に離れてしまっていた。
長い間野宿を続けていたクラウドは、身体を休めるためにも、暫くこの街で宿を取ることにした。暫く少女たちの帰りを待ってみて、帰らなければこちらから探してもいい。
報告するのは少女への礼儀であったが、同時にそれは気の重い義務でもあった。何せ、探していた男はかつて、少女の命をその意思で奪った人物でもあるのだ。
クラウドの複雑なその心境を、理解しているのかしていないのか、問題のセフィロスは部屋の中央に据えたソファを陣取って、長い剣を近くに立て掛け、微動だにせずに長いことそこに座り続けている。クラウドが仮眠を取る前と、姿勢すら変わっていないように思えた。
クラウドから見える端正な横顔は、時折目を閉じるくらいの変化しかなく、まるで人形を見ているような気にさせる。
玩具じみた造りの街と同様、この宿の部屋は現実味のない内装で、それが一層彼をそんな風に見せるのかもしれない。離れていても分かる瑞々しい肌は、とても人形などではありえないのだが。
「心配しなくても、お前がここにいる限り、オレは動かない」
突然そう声にした男へ視線を戻せば、開いた目をこちらに向けている。
彼は以前から、静かに目を覚ましたクラウドの気配にも聡い。元々睡眠時間が短いようだが、己の気配は殺し、クラウドの傍でじっと佇む姿は、影に潜んで従う召喚獣や守護神のようだった。
「当たり前だ」
顔だけ彼の方に向けて、頬をシーツに埋めたまま、くぐもった声で返した。
「オレの許可がなくちゃ、あんたは動いちゃだめなんだからな」
「ああ」
反論する様子も見せず、穏やかな視線でクラウドを見つめる。
「だが、咽喉が渇いたんだが」
「…オレも」
「どこかに出ないか。酒くらい手に入るのだろう」
彼の申し出にクラウドは突然思い立った。
この街に来た日、善意でクラウドに酒を振舞ってくれたバーの女がいた。彼女と口約束を交わしていたことを思い出したのだ。
宿と同じ二番街の片隅に、小さなカフェバーがある。住宅が並ぶ只中に、年季の入った木製のドアは、この街でこの店が愛されている証拠なのだろう。
クラウドが最初にこの街で入った店だった。
男を影のごとく従えて、クラウドはその扉を開いて店内に入った。夕刻までには少し時間もあり、店は開いているがまだ客はいない。カウンターの内側で、その女は一人グラスを磨いていた。
彼女は以前会ったときと同じような古風なブラウスを着け、豊かな胸の谷間も襟元から露に、下品さはない色っぽさをかもし出している。顔を出したクラウドに直ぐに気づいたらしく、艶やかな笑顔を向けて来た。
「あら、いらっしゃい。元気だった?」
明るく声を掛けてきて、後ろに従えた男の存在に気付いたらしく、彼女は隠しもせず大きく目を見開いた。
「お連れ様? まあ、大きいこと」
「でかいけど、別に噛み付かないから」
真面目に言った言葉に、彼女は一層驚いて、それから笑った。
「どうぞ。座って。何を飲む?」
訊かれたものの、クラウドたちの世界とは酒の名称も違うのかもしれないと思う。現にラベルに書かれた文字は見たことのないものばかりだ。
「その透明のは?」
「ウォッカよ」
「じゃあ、それとライムを。あんたも同じでいい?」
右隣の席に座った男は無言で頷いた。
女は磨かれて光るグラスを二つ取り出し、慣れた手付きで注いで、櫛形に切り分けたライムを添えたそれを差し出す。
香りは少し違うが、味は殆ど同じだった。
「お連れの彼は? お友達?」
無口な客たちへ微笑みを浮かべて訊いてきた女の口調は、問い質すでもなく、場を和ませるものである。だがその形容にクラウドは、そしてセフィロスもまた少々面食らった。
「友達じゃない」
一瞬絶句し、即立ち直って答えたクラウドの様子を見て、彼女はまた見開いた目を細めて笑った。
「まあ」
普通は面と向かってそんな風に連れを否定しないだろう。だがそれが不自然と気付く以前に、彼との関係を正しく形容する言葉を、クラウドは知らない。
「喧嘩中?」
「いや、和解したばかりだ」
店に入って初めて口を開いたセフィロスを、女は複雑な顔で見ている。
「それならいいけど。なんだか二人良く似てるわね。血縁?」
「兄弟みたいなものだ」
それはある意味事実かもしれない。だがクラウドは不本意だった。
「あんたみたいな兄弟は願い下げだ」
そう言って顔を背けたクラウドは、頬に二人の視線を感じながらグラスを口に運んだ。
さすが女のカンは鋭いというが、彼女の指摘が正しい形容であると同時に、セフィロスの表現には反感を覚える。自分を何だと思っているんだと、殴りつけてしまいたいくらいだ。
「あら。やっぱり喧嘩してるの?」
「ずっとご機嫌斜めなんだ」
「オレは一人っ子だ!」
「あらあら」
セフィロスの言葉のせいで居心地が悪くなったクラウドは無言になり、早いペースでグラスを空けていた。
セフィロスと女は、時折他愛のない会話を交わしている。完全にそれの聞き役に回っていたが、静かで暖かい色の明かりが燈る店内で、低く心地よい二人の声を聴いていると、クラウドは久しくなかった大きな安堵を感じていた。
クラウドの世界のものより爽やかな味の酒、三人の吸う煙草の煙の香り、大昔、傍らにあることが当たり前のようだった男の気配、どれもクラウドには、肩の力が抜ける要素だった。
酔いが回る。
最初はカウンターに肘をついて、その手に頬を預けていたが、いつしか隣の男の肩に寄りかかっていた。体温と記憶にも鮮明な男の肌の匂いを近くに感じ、さらに酔いは心地いいものになり、
「クラウド」
男の声を間近に、クラウドは漸く素直な気持ちで笑うことが出来た。
「このまんまで」
「大丈夫か。気分は」
「いいよ」
目を閉じれば、女が静かに笑う声がした。何に笑っているのか、クラウドはもう考えもしなかった。ただこの夢見ごこちな気分で、その声を聴いていたいと思う。
「随分弱いのね。可愛らしい」
「オレと飲むといつもそうだった。普段はかなりの大酒を飲みなんだがな」
「そういうものよ。一番安心できる人と飲むときは、一杯でも酔えるんだから」
薄目を開けているのに、視界は酷く歪んでいた。煌びやかなネオンと赤いランプの明かりが滲んでいる。この様子は、この街に来て、目覚めた時に見たものと同じようだった。
身体がふわふわと揺れているような気がした。
まるで上等の羽根布団のような、暖かいものに囲まれている。
「あんなに早いペースで飲むからだ」
その暖かい胸を通して響く音声は、低く心地良い。
「セフィロス」
呼べば、応えの代わりに男の長い髪がクラウドの頬に降りかかる。
「雨」
「雨? 雨など降ってないぞ」
「冷たくて気持ちがいい」
額に触れる髪が肌を滑る様子は、まさに雨の恵みを受けるようで。
「泥酔、だな。仕方のない奴だ」
だるい腕を上げて、自分を抱き上げて運ぶ男の首の後ろにそれを廻し、しがみ付いた。
ずっとこうして傍にいてくれるのなら、もう何も望むものはないのだと、口にこそしないが紛れもない事実であるのだ。
「離れるなよ。約束、なんだからな。オレがいいっていうまで」
「ああ」
セフィロスの答えと吐息を感じて、瞼を閉じる誘惑に負けた。
「誓いは破らない。もう二度と」
破られた時の苦しみを知っているからこそ、信じたくない気持ちにもなり、過去信じて与えられた優しい記憶は、また信じたいという気にさせる。そして、クラウドが信じないといえば、きっとこの男は信頼を取り戻す為に、一生己に尽くし続けるように思えた。
バカなやつ、と唇を動かしたが声が出たかどうかは定かでない。
それは男が発した言葉を信じようとしている己に対しての自嘲でもあった。
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* * *
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クラウドとセフィロスは、身体を休めることが目的で留まったトラヴァースタウンを、三日目に出た。待つつもりだったエアリスたちが暫く帰って来ないとアクセサリー屋の店番に聞いて、ここに留まる理由もなくなったからだ。
少なくともシドか、グミシップで移動できる者に送り届けてもらわなければ、この町を出ることも叶わないはずなのだが、セフィロスの一言でその心配は排除された。
「ゲートを開く」
「ゲ、ゲート?」
「お前の望むところへ、何処にでも。オレが行ったことのある場所でないと迷うがな」
そういえば彼が迷っていた、とソラを介して聞いた。
「お前にはできないのか」
「…んなコト出来るかよ。出来たらあんたを探すのにこんな苦労してないって」
「待っていれば、もうすぐ行くと言ったような気がするんだが」
上目遣いに男を窺えば、躊躇なく伸ばされた指に前髪をかき上げられた。
確かに聞き覚えがある言葉だったが、それはクラウドの夢の中でのことだ。それでも受け入れられたのは、かつて自分たちの世界にいたときに、遠く離れたクラウドに、彼が呼びかける声が聞こえたこともあるからだ。
それがジェノバの与えた特殊な伝達力であるのかどうかは、確める術がない。
「…ハロウィンタウン」
「ハロウィンタウン?」
「あんた行ったことあるんだろ。ジャックに誘われたんじゃなかったのか?」
心を見透かされた礼とばかりに、他人から聞いた出来事を、クラウドは無表情で告げた。
「…どうしてお前が知っているんだ、それを」
「言わなかったっけ?」
とぼけて見せれば、聡い男はすぐにクラウドの意図を察知して、微かに眉を動かした。
とても彼らしい表情が、どうしてこんなに心を沸き立たせるのか。無性に抱き締めて、口付けたい衝動に駆られながらも、クラウドは男の顔を見上げ続けた。
セフィロスは小さく頷いて、クラウドを路地裏の暗がりに伴って行き、行き止まりの壁に向かってグローブに包まれた手を翳した。
濃い闇が集まって渦巻き、何もないはずの空間にぽっかりと穴が広がり始めた。同時に、まるで周囲全体にグラデビをかけられたような重圧感を感じる。これは、この世界では慣れてきた、ハートレスが現れる時の感覚である。
「ハートレスが出る」
セフィロスは手を掲げたまま静かに言った。
明らかな闇の力は、それが強ければ空間さえ操るということだ。だが同時に力を使えば、それに誘発されたハートレスをも呼び寄せる。
クラウドの背後に幾つかの気配を感じた。
肩越しに見たそこに、クラウドが最初に出会ったような、小さな闇の捕らわれ人が形を成し始めていた。
クラウドが背中に負った剣は、今は柄が折れて使い物にならない。武器といえるのは、この世界に来てからシドにあつらえてもらった左手の爪だけだ。
雑魚とは言え敵を前にして、クラウドは反射的に腰を低く、構えの姿勢になった。
が、それをセフィロスの空いた手が止めた。
「そんな雑魚に、お前が力を使うことはない」
何もさせないつもりなのかと、クラウドは男の顔を睨みつけた。セフィロスはクラウドの身を自分の陰に引き寄せ、放した手を蠢くハートレスたちに向けた。
薄く笑んだような唇を微かに動かす。
セフィロスとクラウドの立つ場所を中心に、同心円状に火柱が上がった。
熱風が髪を巻き上げ、強烈な力が周囲に広がる。数対のハートレスは一瞬にして灰になり、吹き飛んだ。まさに影も形もなく。
何度もセフィロスと互角に戦い、それに勝ってきたクラウドだったが、彼の力はとても自分が太刀打ちできるようなものではないと思えた。
力が大きくとも、使い方を誤れば、どんな強者でも簡単に負けてしまうものなのだ。例えセフィロスのその力が、ジェノバ細胞と融合した身体故のものであっても、彼の戦闘力の高さは、彼のセンスがずば抜けているからだと思い知らされる。
クラウドの動揺を他所に、当の男は何事もなかったように壁に向けて掲げていた右手を下ろし、顎でクラウドを促した。
そして、素直に従ったクラウドを両腕で抱き締める。
「な、なんだよ」
「離れると二度と狭間の世界から出られなくなる。抵抗せずにしがみ付いていろ」
「こんなに密着する必要があるのか?」
「いや。身体のどこかが繋がれていれば、はぐれることはないだろうが、手だけ繋いでいるのも、気恥ずかしいものだろう」
クラウドは、大剣を持った大の男二人が『仲良く』手を繋いでいる様を想像し、
「これでいい。」
そう言って、男の背にも腕を廻した。
「いい子だ」
セフィロスは微笑んでからクラウドを抱き締める腕を強め、二人が同時に潜るには少々小さい空間へ身を滑り込ませた。
ゲート、とセフィロスが呼んだ空間は、まさしくクラウドがこの世界へ紛れ込む際に通った扉の中と同様に、上も下もなく、光の一筋もない無の世界だった。
だが不思議なことに自分と、その身体を抱き締める男の姿だけははっきりと見える。
広い肩口に埋めていた顔を仰向け、間近で見上げた彼は出口を探しているのか、一方を見据えたままだった。
「移動している感覚がない」
正直な感想を口にしても、男はクラウドの顔を見ない。
「ああ。自分がどちらへ進んでいるのかは分からないな。出口に行く方法は分かるから安心しろ」
「あんた、オレを探しているとき、こんな訳わかんない場所をうろついてたのか?」
「ああ」
何の含みもなくさらりと返された答えに、クラウドは湧き上がるものを堪えようと奥歯を噛み締めた。
馬鹿な、と声にしなかったのは、彼を本当に傷つける言葉を吐いてしまいそうだったからだ。
恐らくセフィロスがこんな技を使えるようになったのは、この世界に来てからだろう。似たような技が元の世界で使えたとしても、ここでは魔法の摂理すら違う。現にクラウドにはサンダーすら発動させることは出来なかった。
世界の仕組みを理解すれば、身の内に潜在する闇の力を使うことが出来るようになるかもしれない。だがまだここへ来てそれほど月日は過ぎていない。クラウドを探している内に、目的の場所に正しく辿り付く方法も見つけたのだろうが、それまで彼は当てもなく、クラウドを探すために、一人こんな場所を漂っていたのだ。
出られなくなるとは思わなかったのだろうか。
ハロウィンタウンだけでなく、あちこちの世界に到着してはクラウドの気配を探り、その度に再びゲートを開けてそこに飛び込んでいたのだろう。
「迷ったんだろ、だいぶ」
この、動揺というよりは感動に近い心の震えが、声に現れないようにするのに、クラウドは必死だった。
「ああ。だがお前がいるところならば辿り付けると思った。お前が呼んでいることも知っていた」
「怖く、なかったのかよ」
「怖い?」
セフィロスはやっとクラウドの顔を見下ろして、眉間に皺を作るほど眉を寄せた。
「この世界に来るまでは、オレの意識はここと似たような、闇しかない空間を漂うだけだった。それが肉体を得た。力は使える。その先にお前がいると知っていて、なぜ怖いんだ?」
訝しげに問い返された言葉には答えず、クラウドはセフィロスの胸に顔をうずめた。
信じられるかもしれない。時間は掛かっても。
そうして、昔のような気持ちにまたなれるかもしれない。
「どうした」
「何でもない。どうでもいいこと、訊いた」
「どうせなら、もっと分かりやすく言ってくれ」
本気でそう答えている男を、漸く笑顔で見上げることが出来た。
「…それよりあんたさ、ハロウィンタウン以外にはどんなトコに行ったんだ?」
「そうだな」
セフィロスは再び一方を見据えて、記憶を掘り起こす顔になった。
「意識が戻ったのは、ホロウバスティオン。谷の狭間にある不思議な城郭だ。そこでこのゲートの開き方を…教わった」
「教わった? 誰に」
「女だ。魔女だと言っていたな。名前はマレフィセント」
クラウドは訊いたことがあるように思ったが、誰の口からだったか思い出せなかった。
「そこでお前がオリンポスコロシアムにいると分かった。ゲートを開いて…最初に辿り付いたのは、古風な、美しい城の中で、獣の姿をした男に会った。それも人探しをしていて、オレの開いたゲートを貸してやった」
そこでの顛末を思い出したのか、セフィロスはふっと笑みを口元に刻んでクラウドを見下ろす。他人のことを話しているセフィロスが、そんな風に優しい顔つきになることは滅多にない。
クラウドは微かに湧き上がるもやもやとした気持ちを押し隠して、男の腰に廻した腕の力を強めた。
「守るべき女を探すと言っていたな」
唇が髪の間に埋められて、クラウドは目を閉じる。
一瞬でも妬きもちを焼いたなど言えようはずがない。
「そういえば、会えただろうか。あの男は」
閉じた瞼に光の当たる感触があった。
どうやら出口は近いらしい。
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03.10.24(了)
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