接吻 |
最初は唇の先で軽く、つまむように。
完全に離れる前に再び押し付けて、その暖かさをなるべく広い面で感じ取り、触れた互いのそこが同じ温度になる頃、積極的に差し出した舌先を、隙間へ。
微かに開いた上唇と下唇のその空間は、まるでこちらの焦燥を計算済みとでもいうように絶妙だ。拒むでもなく、だが全開で迎え入れるでもなく、乾きすぎず、濡れすぎず。閉じられた歯列の門を舌先でノックすると、遠慮気味に、小さく門扉を開けて見せる。
優しく進むのはここまでにして、一番奥まで一気に侵入し、歯の裏も、舌の裏も余すところなく探り出す。息苦しそうに鼻から漏れる吐息が、無意識に快楽を肯定する声を紛らせていた。
後頭部の金髪を掴んでいた指を滑らせ、前髪を掴みなおして後ろへ引くと、染みひとつない喉が仰向いた。反射的に開いた唇を、更に無遠慮に貪る。
このまま舌で口腔を犯し、もっと奥まで侵入することができるのなら、この喉の内部はどれだけ熱く柔らかいのか妄想する。
この美味な舌よりもざらついているのか。
いや。繊毛のない食道は滑らかだろうか。
もう一方の手であらぬ想像を紛らすように喉仏を優しく撫で、表皮に薄く浮かび上がる静脈を辿った。
飲み込む勢いと強さで吸い上げ続けたせいか、胸に置かれた両手が拒むように、強い力で押し返してくる。吸う力を緩めてやると、苦しげに鼻から息を漏らした後、唾液が唇の端から流れ落ち、それを飲み込んで留めようと、喉が大きく鳴った。
喉の上を伝った唾液を指先で拭ってやり、唇に残ったものもゆっくりと舐め取る。
「セ、フィロス。苦し、い」
離れた瞬間を狙ったように苦情が吐き出された。
「なにが」
「息」
「苦しめている」
「……変態め」
苦しいといいつつ、密着した身体は彼の変化を布越しに伝えていた。膝頭でからかうように小突くに留め、まだ触れ合ったままの唇に戻る。
体液に濡れ、肌より温度の高い柔らかい粘膜は、己の欲望を飲み込む下の口よりも自在で、変化がある。
上顎のざらざらした感触を舌先で味わい、奥歯の上面の窪みを辿る。まといつく舌を軽く噛んでやり、向こうからの反応を誘うように引いて、目を開き、間近にある顔を見下ろした。
長い睫に縁取られた瞼はしっかりと閉じ、微かに眉根が寄っている。
眉間の細い皺は息苦しさ故か、それが綻ぶと同時に、白い、清楚ささえ感じる顔に、花が咲くように両の眼が開いた。澄みきった南の海の青さに、淫蕩な香りが漂っている。
確認した途端、彼の方から攻め返し、舌を絡めて来た。
力なく背に回されていた両手が、耳の辺りの己の髪を乱暴に掴み、離れないように固定された。
開いたままの眼がじっとこちらを見つめ、自然と口腔の奥へ戻ろうとする舌を、掘り返すように掬い、きつく吸い上げる。
どちらのものとも分からない唾液を、行儀の悪い音を立ててすすり上げ、噛み取る寸前の強さで舌に歯が立った。小さな八重歯の尖りが痛い。微かに血の味がする。
不覚にも血の匂いに獣の本能を呼び起こされるのは、彼も同様だった。
顔の角度を変え、貪る動きが一層激しくなった。
「ああ」
歓喜も露な声は、青年の唇から漏れていた。
自分の肩ほどの背丈しかない彼の、完全に仰向いて反らされた喉が、速度を上げた呼吸に掠れた音を立てる。
「どうした。苦しいんじゃなかったのか」
始終抱き締めていた引き締まった腰が、腕の中でもどかしく捩れた。
固くしこる彼の兆しは、もう無視できない大きさまで成長してしまったようだ。
「ああ、もう」
彼らしい怒ったような口調で、苛立たしげに。
求めは理解できても、黙って与えてやる気はなかった。
隠せなかった薄い笑みを読み取られたのか、見上げてくる彼は子供のように不満な表情を露に、だが子供と呼ぶにははばかるほど、あからさまな目で訴えた。
「触って」
手首を捕らわれ、促された指で、布の上からおざなりに触れてみるものの、そのままもう一度唇を覆う。
「む、もう、なん、だよ」
たどたどしく抗議する舌を吸い上げ、上下の唇を力を入れずに噛み、舌で辿り、再び吐息ごと奪うように深く合わせる。
不満そうだった彼も諦めたのか、両手が持ち上がり、首の後ろへ回され、己の髪ごと抱き寄せた。
こそばゆい感触に薄目を開けると、きつく閉じられた両目の睫が、間近で微かに震えて、頬をくすぐっている。
造作ひとつひとつが繊細に出来上がっている彼の顔の中で、思えばこの唇が最も強靭で、雄弁だった。それともやはり、今は閉じられたこの眼が、最も強く、他をも従わせるものだったか。
そこでふと気付いたのは、己が彼の顔をとても気に入っているということだ。
多くのことが平坦に見えるこの世の中で、彼の顔、その大半を埋める大きな目、この意志が強く、時に淫らな唇が愛おしい。
唇を解放し、鼻筋を舐め上げ、目頭から目尻へ向けて、睫の生え際を舌先で辿る。
瞼の上、眉毛もなぞるように、そのままこめかみ、耳元へと唇を動かした。
彼の弱点のひとつである耳と首筋へ移行した途端、声の調子が変化する。反射的に顔を退けさせようとしたのか、髪が引っ張られた。
「も、邪魔だ、この髪!」
髪が指に絡んで一瞬動きを封じられた彼を、声を立てて笑い、ようやく床へ押し倒した。
そうやって彼を拘束できるものは多くないはずだ。
笑われたことに本気で怒り出される前に、手っ取り早く舌で弱点だけを探り出した。
髪へ絡む指が幾度も強く引かれ、己の動きをあやつり人形のように制御している。ずっと以前は、彼を道具のように操っていた己が、逆の立場になるなどと、考えてもみないことだった。
「セフィロス」
首筋から顔を上げれば、生理的なものだろうが涙目で見上げられて、己の中の何かが目覚めた。
「もっとエロいことしろ」
命令形なのが、クラウドらしいせめてもの反抗だったのだろうか。
了解の代わりにもう一度その唇を吸い、鼻先に触れた肌の匂いを嗅いだ。
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2007.09.30 (了)
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