遥か、空高くに浮かぶ飛空艇が広大な草原に黒く影を落とし、草地をなぶる風に合わせて揺れている。
港に停泊する船とは違い、飛空艇は滞空するのに燃料を必要とする。舵の役目を果たす大きなプロペラが、目に見える速度でゆっくりと回転し、晴れた空にその美しい輪郭を晒していた。
こんな情景を、昔どこかで見たことがあった。
ジュノンのエアポートや、それともミッドガルの基地内のどこかか、いずれにしても軍に所属していたころの話である。
夕暮れの複雑な色の空に、飛空艇のシルエットが浮かぶ様もとても美しかった。いずれも魔晄の力や、神羅の技術力をなくしては存在しない人工的な風景だったが、幼いながら、それに見入った記憶もまた事実である。
人の記憶は不可思議なもので、記憶に残る情景には必ず香りや気温、視覚的なもの以外の記憶が、対になっているものだった。
ジュノンのエアポートは潮の香りがした。
ミッドガルは焼けたアスファルトの匂いだ。
そしてすぐ横には、まだ小さかったクラウドの視界を遮るほど背の高い、男の影があった。
連想して思い出された記憶に、クラウドは慌てて首を横に振る。
「クラウド、どうしたの?」
すぐ後ろにいたティファの声に、現実へ引き戻された。
美しい幼馴染みの笑顔に苦笑で返し、クラウドは騎鳥の首筋を撫でた。
「昔のことを、ちょっと思い出してた。あんな風に、飛空艇が浮かぶ姿を見たことがあったな、って」
「ステキよね」
クラウドにならって空を見上げ、雄大な飛空艇へと目を向ける。
彼女の長い、まっすぐの黒髪が風になびいて揺らめいた。そこから香る、薄い石鹸かシャンプーの香りに胸が鳴る。片田舎のニブルヘイムにはありえないほど、あか抜けて愛らしい少女だった彼女は、今はすっかり大人の女になっていた。
告白もできないまま、子供の遊びの延長のような約束を交わすのが精一杯だったクラウドの初恋は、もう記憶の中だけにあるものだ。今は、これほど近くにありながら、手が届かないほど遠い存在になってしまった。
「クラウド。急ごう」
ティファの更に後ろにならっていたヴィンセントが、静かに口にした。
「そうだな。時間が惜しい」
誰とはなしに視線を移した北の空に、巨大な赤い球体が浮かんでいる。
燃えるような色の、毒々しい光を放つそれは、今、大空洞に身を置く男が呼んだ彗星だ。
あのメテオが衝突するまで、あと五日。
最初に見たときより、間違いなく視界を大きく埋めている。頭の上に落ちてきそうな圧迫感は数倍に増しているように思えた。
「本当にラウンド・アイランドにマテリアはあるのかしら」
「分からないが、少しでもセフィロスを倒す助けになるものが欲しいな」
風を切る音の合間に仲間二人の声を聞きながら、クラウドはそこにいる現実感を徐々に失っていった。
ふと、目を閉じるだけで、あの男の気配を感じることができる。
北の果てで、己の到着を待つ男の様子が瞼に浮かぶ。
岩のごつごつと突き出た空洞の底で、流れ落ちる魔晄の滝に囲まれ、そこから降り注ぐ青緑色の光の中心に、目を閉じ、佇むように。
その姿は、飛空艇を共に見上げた時と何一つ変わらず、穏やかで、風の音が聞こえるほど静かだった。
クラウドは目を開き、手綱を持たない手を持ち上げて、指を折った。
「五年だ」
クラウドと、あの男の記憶は凍りついたまま動かなかった。世界があらゆる事件と、人々の思惑に生命を揺さぶられている間、クラウドたちは眠ったまま何一つ変わらずに過ごしていたことになる。
五年も経てば幼い恋心も、初恋の彼女も、これほど淡い思い出になるというのに、あの男との記憶は何一つ色あせず、クラウドの中に残っていた。
全ての記憶を取り戻したクラウドにとって、あの魔晄炉での事件は、たった数ヶ月前の出来事と同じなのだ。
指折った掌は力を失い、弱々しく開かれた。
下草を揺らす穏やかな風が掌を撫で、チョコボの背の羽根をそよがせ、通り過ぎる。
「大丈夫だ」
「クラウド?」
独り言を聞き逃さなかったティファへ、曖昧に笑って答えた。
「なんでもない。大丈夫だ」
多くの大事なものの為、そして全ての者の名誉の為、あの男を生かしておくわけにはいかない。本気の全力をもって、命を掛けて、彼を倒すことに躊躇いはなかった。
自分自身の決意は揺るがないことを確認し、開いた掌を見つめる。そこに薄っすらと残る、刃を掴んだ痕に目を据えた。
「大丈夫。あんたを独りでは逝かせない」
夢見ごこちな声は風に紛れ、先にチョコボを進めた仲間へは届かなかったに違いない。
クラウドは傷痕を眺めたまま笑みを浮かべ、その手で握った手綱を操り、チョコボを北へと走らせた。
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