不必要な案件と検証 |
アスファルトに削られ、擦り切れた掌へ蛇口から直接流れ出る水を当てる。既に乾いた血がなかなか落ちず、陶器の容器から出したハンドソープを泡立ててようやく洗い流した。
ソープが傷口に凍みて、思わず眉をしかめる。
酷く見えた傷口も泥を落としてしまえば、殆ど目立たない擦り傷ばかりだ。
小さくもれた溜息は安堵からだった。もし余り目立つ傷があると、ここの家主は必ず追求してくるだろう。
洗面台の前面を覆い尽くす、巨大な鏡を見上げたクラウドは、頬から口元にかけて残る痕を忌々しげに指先で辿った。
今は唇の端が切れて、その周囲から頬にかけて微かに赤くなっている。しばらくすると今度は青く変色した痕が残りそうだった。家主が帰って来る前に、できるだけ目立たないように冷やしておくのが良策だろう。
顔を洗い、水を止める。
常に清潔に保たれているリネンのストックから引き抜いたタオルで顔や手を拭い、そのままバスルームを出た。
直接向かったキッチンのフリーザーから氷のブロックを数個取り出し、タオルの中央へ積む。タオルで包み、ひんやりと中身の低温を伝えるタオルを頬から口元にかけて当てた。
徐々に冷たさが痛みに変わった。同時に意識しない程度に腫れはじめていた頬には快適な温度だ。
カウンターに据えられたスツールを引き出し、少し高いその座面によじ登るように座ったクラウドは、埃ひとつないカウンターの上を見つめながら、再び溜息をついた。
鏡面仕上げをされたグレーのカウンターに、ぼんやりと自分の顔が映っている。
子供の時からさして変化のない自分の顔が、クラウドは正直嫌いだった。
ここの家主のような絶世の美男でなくても、せめて親友のように、もっと男らしい顔立ちがいい。
クラウドの脳裏に浮かぶ理想の男の顔は、どれも交流のあるソルジャーたちばかりで、つまり羨むべきものは顔の造形ではない、力や経験に裏付けられた自信だ。評価され、与えられた仕事をこなす者の充実感が体現した顔は、そのどれもが造形以上に気を放っている。
クラウドの顔にはそのどれもがない。
不鮮明に歪んで天板に映る顔は、より一層惨めな子供に見えた。
もう一度溜めていた吐息を漏らして、肩を落としたクラウドが、タオルを反対の手に持ち替えた時、ふと玄関から鍵を開ける微かな音が聞こえた。
家主の帰宅に違いなかった。
慌てて氷をシンクへ捨て、冷たく湿ったタオルだけを手にリビングルームの方へ向かった。
頭からタオルを被れば頬も隠れるだろうと、髪を拭いているふりをして通路の角を曲がったところで、クラウドの脱いだブーツを見下ろす男と出会った。
何度か咎められたが、クラウドは懲りずにこの部屋に来るとブーツを脱ぐ。土足が禁じられている寮生活の癖もあったが、訓練で汚れた軍靴で、常に埃ひとつなく清掃されたこの部屋を汚したくないのが本音だった。
彼が何を思ってそれを眺めていたのか、想像する前に切れ長の魔晄の眼がクラウドを捉えた。
「セフィロス、おかえり」
何も答えず見つめてくる男は、微かに片方の眉を動かし、首を傾げるようにしてクラウドの顔を覗き込んだ。仕事から上がった軍人とは到底思えない優雅さで、長い髪が肩から流れ落ちた。
早くも気付かれたのかと、クラウドは無意識に顎を引いた。
「郊外訓練だったのか」
やっと視線が反れたと安堵した瞬間、突然の問いかけにクラウドは反応できず、瞬きで返した。
「ブーツが泥だらけだ」
「ああ……違うよ。基地内だったけど、昨日の雨で練兵場がぬかるんでたんだ」
「オレが昼間に見た時は、それほど濡れてはいなかった」
思わず息を詰め、硬直したクラウドの側までセフィロスはゆっくり近づいて来た。
間近に立たれると、顔が仰向くほど背の高い男である。頬の傷を見破られないようにと、再び視線を合わせるのを躊躇っていると、グローブを着けたままの指が、クラウドの顎を掬うように持ち上げた。
「何だ、この傷は」
もう片方の手で被っていたタオルを奪われ、濡れた部分で左の頬と口元の痕を拭われた。
思わず痛みに顔をしかめたクラウドを無表情で見下ろし、今度は脇へ下ろしていた両手首を捕られた。
掌の傷を検分し、羽織っていたシャツの袖を肩近くまで捲られた。
「喧嘩か」
「……オレが売った訳じゃない」
「売ろうが買おうが、独房入りだぞ。しかも、なんだこの傷の多さは」
「うるさいな。奴らには三倍返ししてやったよ!」
肘と肩近くに浮いた痣を見て、反対側の腕も検分され、傷がないことを確かめてから、今度は前ボタンを外された。
「やめろよっ!」
「奴らというからには、リンチだろう。傷を見せろ」
「いいって! あんたには関係ないだろ」
セフィロスの手を振り払い、手際よく二つほど外されたボタンをはめ直した途端、見上げた男をとりまく空気が豹変していた。
「……なんだよ」
「関係ない、か」
予期せず逆鱗に触れたことに気付いて逃げようとしたクラウドは、片腕を捕らわれ、取り返そうと伸ばした反対側の手も捕まり、暴れる身体を軽々と肩へ担ぎ上げられた。
「や、めろ! 降ろせ!」
完全に抗議を無視してずかずかと廊下を進み、投げ落とされた場所は寝室のベッドの上だった。あちこちの傷が痛んで、思わず身体を庇った腕にも激痛が走り、無体な男を見上げた瞬間、猛烈な勢いで部屋の扉が閉じられた。
「痛いって!」
「オレには関係ないな」
無情な言葉を吐いたセフィロスは、グローブとコートを床へ脱ぎ捨て、剣帯を放り、片膝だけを寝台に乗り上げて来た。
「なんでオレが喧嘩したら、あんたがオレに乗るんだよ」
「それも関係ない。傷だらけのお前を想像したら、欲情しただけだ」
ふざけるなと怒鳴るつもりの唇を塞がれ、口元がぴりりと痺れるように痛んだ。
シャツを破く勢いで奪われ、ジーンズの上から性急に愛撫されると、既に逃げ出す気力も口実も、クラウドは失っていた。
恐らく、あちこち痣だらけの身体を組み敷くのは気が引けたのだろう、セフィロスはクラウドを横向きにしてしつこく弄っていたが、恐れたような乱暴はされず、いつもよりごく静かに身体を繋げただけで、互いに達することもなく抱き合うだけに留まった。
気付けば暮れかかっていた陽は完全に落ちて、真っ暗になった寝室に、身体を沿わせて横たわっている。
背中から腰、尻、足にかけて暖かく感じる身体がぴったりと寄り添い、その温度が心地いい。
一方で、尻の間にはセフィロスのものが侵入したまま、小さく息をつく度、どうしても収縮する中をクラウド自身が意識せざるをえない。違和感は拭えないものの、暖かな身体に離れてほしくないのも本音だった。
セフィロスは微かに上肢を動かし、クラウドの肩口に唇を這わせた。
乾いた唇の感触が肩先から腕、背中へと移動していくと、身体を動かしたことで収められていたものが、ずるりと抜け落ちた。
同時に内部にあった温度が冷えて行き、クラウドは背筋を震わせる。
身体を離してしまえば、地位と力を兼ね備えた大人の男と、何の共通項もない矮小な子供───別々の身体に戻るだけだ。
「何を泣いている」
「別に、泣いてない」
「傷が痛いのか」
「……痛い」
「強情を張るからだ。こちらを向け」
セフィロスは床に脱ぎ散らかした衣服の中からバングルを探り出し、それをはめた手でクラウドの身体のあちこちを探った。
肘、肩、腿と膝、脛と痣の残る全ての部位に回復魔法を施していったセフィロスは、次に両手をとって掌を見下ろした。
「これは、いい。もうふさがってるし」
「そうか」
「顔も、直さなくていい」
掌の傷と異なり、顔の腫れは恐らく一番重傷だ。
訝しげな顔になったセフィロスへ両手を伸ばし、首の後ろを抱えた。
「あんたに治して貰っちゃうと、悔しいのも忘れそうなんだ」
「そうか」
「うん。顔なら訓練に支障ないし、痛いって思うたびに、奴らには絶対負けないって気になるだろ」
「なるほど」
「こんな腫れた顔のやつと寝るんじゃ、あんたは興醒めだろうけど」
少し身体を離して顔を上げると、セフィロスは思わぬ真剣な表情で、苦笑するクラウドを覗き込んでいた。
「いや……」
持ち上げた指先で、そろりと口元の傷に触れる動作は彼らしくない印象だった。
「オレがお前を痛めつけているようで、いつもより自制するのに苦労した」
目を見開き、正直少々引きながら同時に呆れた。
「あんたって……ホント変態なんだな」
「そうか」
「多分みんな知らないか、遠慮して言わないだけだよ」
「お前が暴露しなければ、誰も知らない」
不意に持ち上げられた両掌の傷を交互に舐められて、クラウドは顔をしかめた。
もう乾きかけた傷は痛みを訴えるよりも、くすぐったい。
掴まれた手首をそのまま引き上げられ、枕の上に縫い止められた。
「ちょっ、と、セフィロス。これからするのか?」
「先に謝っておく」
「そういう問題じゃないだろ」
痛みのなくなった足を抱えられ、まだ先程の名残の残る場所に容赦なく突き入れられて、クラウドは声を失った。
幾ら慣れても、挿入される時の息苦しさだけは拭えない。
「痛、い」
「そうか」
「ホントに、苦しいって」
微かに笑った気配を漂わせたセフィロスに大きく動かれて、唇が震えた。
無意識に両手で押し返した広い胸に爪を立て、後頭部を枕に押しつけるように逃げ腰になる。
「お前を痛めつけるのも、苦しめるのも───オレだけだ」
酷く歪んだ独占欲を示したセフィロスを恐怖するより、何故か嬉しい気持ちが強い。
彼の何かを満足させるものがクラウドにあるのならば、気に入らない自分の顔も、身体も、僅かなりとも価値があるだろう。
「あんたの悪趣味、知ってるのも……オレだけ」
なんてネガティブな充実感だろうと思いながら、力強く引き寄せる腕に答えようと、クラウドは必死に自分の腕に力を込めた。
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ミッドガル八番街にある第一神羅基地は、歩兵師団のための大規模な練兵場と、ミッドガルに駐屯する多くの兵士たちの宿舎、それに一部の戦闘機、輸送機の発着場を兼ねている。
敷地の東側に固まっている宿舎棟には、一般兵からセカンドまでのソルジャーが寝泊まりをしており、彼らの利用する食堂やリクリエーション施設も併設されていた。
基地内の勤務や演習の間は、大抵三度の食事をこの食堂で摂る。
無論利用した分は給与から天引きされる訳だが、外食するより余程値段は安いし、クラウドが思うに味は悪くない。
クラウドが今朝からの街頭警備の任務を明け、基地へ戻り、昼食を摂りに食堂へやってきたのは、昼食時も少し遅めの十四時過ぎだった。
とはいえ、同シフトでクラウドと同じく警備の任務についていた者や、時間の自由になるソルジャーたちもおり、食堂内は常に混雑している。
空いている席はあるだろうかと広い食堂内を見回していると、ふと、窓際の一角から、こちらを見つめる三人ほどグループを見つけた。
顎を引き、睨み返せば全員が目を反らした。
「クラウド、昨日第五小隊の奴らと喧嘩したんだって?」
背後から小声で問うのは、同じ小隊の同僚だ。
「黙ってろよ」
「チクりゃしねえけど、小隊長がお前の傷見て、なんか不審そうにしてたぜ。大丈夫か?」
「何か聞かれたら、転んだとでも言うよ」
「奴らに近づくと、絶対喧嘩したってバレるぞ」
肩を竦め、丁寧に忠告してくれた同僚と並んで配膳カウンターへ進んだ。
配膳の列に並んだ兵士たちは、今日のメニューについて雑談を交わしている。一般兵用の食事は日替わりのメニューで選択の余地はないので、IDを見せて、配膳されるトレイを受け取るだけだ。
徐々に進む列の最後に並んでいたクラウドは、ふと周囲の雑談が止まったことに気付いて、床のタイルから顔を上げた。
列に並んだ兵士たち、食事中の兵士たちが一様にエントランスの方を見つめている。
何事かと振り返ったクラウドのすぐ背後に、背の高い人影が視界を塞いでいた。
「おお、クラウド! これから飯か」
食堂中に響き渡る大声で怒鳴ったのはザックスだった。
ソルジャーの中でも背が高く、逆立ったような真っ黒な髪も、なによりその大声が酷く目立つ存在だ。未だに一般兵と同じ寮に留まっていることもあって、彼だけはクラウドの周囲の兵士たちの間でも、ごく馴染みのソルジャーの一人である。
「おつかれザックス。声でかいよ」
「まあまあ」
背中をもの凄い勢いで叩かれ、むせそうになるものの、ザックスの大声にもひるまず彼の背後の方へ集まる衆目が気になった。
目隠しになるザックスの身体を避けるように伸び上がり、その背後を覗き込んだクラウドは、目を見開き、名を呼びそうになった唇を慌てて閉ざした。
「……オレが連れてきたんじゃないからな」
囁き声の言い訳を漏らしたのはザックスだ。
「あんたが連れてきたのか」
「だから違うって。勝手についてきたんだよ」
ザックスのすぐ後ろまで歩み寄り、まるで配膳の列に並ぶように随ったのは、神羅軍で知らぬ者はいないソルジャー・セフィロス、それに何故かアンジール、ジェネシスの三人だった。
セフィロスはいつものコート姿で、アンジールはファーストの制服、ジェネシスはえんじ色のコートと一般兵の中ではその風貌も特に目立つ上、彼らは目の前のザックスよりも更に一回り近く大柄だ。
「奇遇だな」
無表情でクラウドと視線を合わせたセフィロスは、明らかにクラウドのいる時間を狙ってここに現れたに違いない。
セフィロスの存在を無視するように列の前に向き直ったクラウドは、背後のソルジャー達から目を離せず、挙動のおかしい同僚の背を叩いて促した。
「列が進んでる」
止まっていた列が慌てて進んだ。
後ろを見ないように、平静を努めて自分の分のトレイを受け取ったクラウドは、一人で座る場所を探して顔を巡らせた。
「逃げるな、こら!」
すぐに追いついたザックスに捕まり、露骨に嫌そうな顔を向けて、クラウドは小声で詰め寄った。
「何なんだよ。まさか一緒に食おうっていうのかよ!」
「あのな、じゃなきゃあの人らがこんなとこまで来る訳ないだろ」
「あんたはともかく、なんで……」
トレイを受け取り、近寄ってきたセフィロスに気付いて言葉を途切れさせた。
「どうした」
見下ろすセフィロスは無表情に見えたが、目が笑っている。
しかも『意地の悪い方』の笑みだ。これ以上クラウドが逃げても、絶対に追いすがってくる腹づもりだ。
「問題ありません、サー・セフィロス」
トレイを片手に持ったまま敬礼したクラウドを見て、セフィロスは今度は口元にも笑みを浮かべて見せた。
「窓側が空いてる。そこにしよう」
セフィロスが指さした方へ顔を振り、クラウドは硬直した。
丁度五、六人が座れるテーブル一つ分が空いているが、その隣はクラウドの喧嘩相手の三人組だ。師団の中でも評判の悪い彼らの周囲は、いつも人が寄りつかない。
さっさとそこへ足を進めるセフィロスを制止する間も与えられず、クラウドはザックスに背を押されながら、同じテーブルへ向かった。
前を歩くセフィロスには、周囲のテーブルから常に視線が集まった。余りじろじろ見るのは失礼だろうと遠慮する一方、好奇心にも逆らえないらしい。
恐らくセフィロスのようなトップのソルジャーがこの食堂に現れるのは、クラウドがここを利用するようになった一年ほどの間で、初めてのことだ。
遠く、ソルジャーのことを語る囁き声がクラウドにも聞こえた。ということは、セフィロス達には丸聞こえだ。
「すげえ効果だな」
背後で呟いたザックスを振り返ると、片方の頬を上げてにやりと笑いかけられた。
しぶしぶ足を進めた先のテーブルでは、早くもセフィロスが一つの椅子に座り、隣の席のテーブルをノックするように叩いて見せる。
ここへ座れ、ということだろう。
彼の背後、すぐ隣のテーブルには喧嘩相手の三人組がこちらの様子を窺っていた。
だがクラウドにというよりは、間近で見るソルジャーに目を奪われているようだった。クラウドの頬以上に傷跡の残る三人の顔は強ばり、緊張と好奇心でなんとも云えない表情になっている。
一瞬出会った視線に力を込めて跳ね返し、クラウドは決意してセフィロスの隣の椅子へ腰掛けた。
「お前たちはいつもこんなものを食っているのか」
「はい」
改まった答えになったクラウドへ密かに笑みを浮かべたセフィロスは、スプーンでライスをかき回しながら呟いた。
「かなり量があるんだな」
「オレなんかこれじゃ足りないぜ」
クラウドの右隣りに座ったザックスは、既に自分の皿に手をつけている。
今日のメニューは、ライスに肉と根菜の入ったカレー風味の煮込み、それに炒めた豆と揚げた鶏肉、付け合わせの野菜とピクルスというところだ。出会った当初、南国育ちのザックスがよくぼやいていた通り、常に皿の上が茶色いっぽいのが、この食堂で出される食事の特徴だった。
「見かけはともかく味は悪くありません」
クラウドは平静を保ちながら告げて、自分のスプーンを手に取り、さっさと食事を終わらせることにした。
「そういえば、お前は携帯食が嫌いだと言ってたな」
確かウータイの駐屯地での会話だったと当時を思い出し、クラウドはむせそうになった。
水を飲もうと手を伸ばして、そういえば取って来なかったと口を押さえて咳き込むと、目の前に水のボトルが突き出された。
「大丈夫か」
ボトルを差し出したのは、向かいの席にトレイを置いたアンジールだった。
混乱しつつも、無言で礼をして水を受け取り、一口飲み干してからもう一度礼を呟いた。
「ありがとうございました。助かりました」
無言で頷いて席に着いたアンジールの横に、ジェネシスは無言で当たり前のように腰を下ろす。
正直この二人には、以前宿舎の前で待ち伏せされて尋問めいた質問をされた記憶しかなく、あまり良い印象がなかった。しかも去り際に暴言を吐いていたこともあって、クラウドはどう彼らと接していいか分からなかった。
しかも何故自分が、ソルジャー1STに完全包囲されて、食事を摂らなければいけないのだろうか。
「お前らの分も持ってきたぞ。水」
「お、気が利くね、アンジール。サンキュー!」
「そういうのお前が気づけよ、ザックス。後輩だろうが」
誤魔化すようなザックスの笑い声を境に、全員食事に手をつけるが、クラウドは正直味が全く分からなかった。
「ソルジャーフロアの食事よりうまい」
食堂に現れて初めてジェネシスが声を発した。
優美な風体を裏切る悪舌のジェネシスは、予想外にも一般兵の食事が口に合ったらしい。
「お前、意外とジャンクな食い物好きだもんな」
アンジールも応じながら、黙々とスプーンを口へ運んでいる。どこか食べ方がザックスと似ている印象があった。
「オレやアンジールがここに居たころは、こんなに美味くなかった」
そのザックスはもうあらかた食事を片づけてしまい、おかわり貰ってこようかなどと、信じ難い台詞を呟いている。
「食欲がないのか」
自分の皿に視線を据えたまま、セフィロスはクラウドに問いかけた。
「食欲っていうより……落ち着いて食べられない」
囁き声で呟く。
「なぜ」
「これじゃ、ミドガルズオルムに囲まれて食事をしてるみたいだ」
一斉にソルジャー四人の視線がクラウドに集まった。
「なんだよ、クラウド。オレにまで緊張してんのか?」
ザックスは笑って背中を叩くが、あんたは別、と小声で返すとわざとらしく肩を落として見せた。
「オレたちは通りすがりだ。空気だと思ってくれていい」
アンジールの如何にも嘘っぽい返事には、クラウドの代わりにザックスが鼻で笑ってみせた。
「オレはアンジールのつきあいだが、気に入ったから、今日から毎食通うかな」
ジェネシスは黙々と食べ続けながら呟いて、ちらっと長いまつげの下からクラウドの方を見た。
「まあチョコボの坊やが嫌がりそうだから、やめておくが」
次にミドガルズオルムの主たる男に視線が集まったが、ゆっくりスプーンを口に運んでいるセフィロスは悪びれもせずクラウドを見て答えた。
「ザックスがここの食事はうまいというから、味見をしに来た」
嘘をつけ、という四人の心の声が唱和した気がした。
「ジェネシスも言ったように、本社のソルジャーフロアの食堂は余り美味くないんでな。ここを参考にさせようかと思っている」
「マジかよ」
ザックスのツッコミは無論無視され、セフィロスはどことはなしに視線を巡らせた。
セフィロスへ注視していた周囲がさっと顔を反らせたが、セフィロスの顔は隣のテーブルへ向き、そこに座る三人組で止まった。
「お前たち」
声を掛けられた三人は強ばった顔を上げて、こちらを見た。
三人はクラウドよりも数歳年上の、まだ若い部類の兵士たちだ。
その顔が老人のようにすっかり血色が悪くなり、一瞬クラウドと出合った視線は怯えて揺れていた。
「は、はい。なななんでしょうか、サー!」
見下ろす青年兵らの顔に残る傷を、必要以上にじっくりと眺めたセフィロスは、口元にあからさまな笑みを浮かべた。
クラウドはセフィロスの本当の目的を確信した。
クラウドの喧嘩相手の様子を見る、もしくは牽制すべくここへ来たのだ。
このテーブルに座ったことですら、偶然であるはずがない。セフィロスである限り、偶然などあり得ない。彼はわざと彼らの隣のテーブルを選んだ。
「お前達もここの食事は好きか?」
予想外の質問だったからか、三人はまさに豆鉄砲を喰らった鳩のように呆然として、弾かれたように肯定の答えを返した。
「それはよかった。毎日泥だらけ、傷だらけになって訓練するお前たちに、食事くらいの楽しみがないと困るな」
今度は同意することもできなかった三人は、うろたえ、逃げるようにトレイを持って立ち去っていった。
機嫌のいいセフィロスが、部下たちへ気さくに声を掛けたように聞こえただろうか。それとも、普段見ることが出来ない笑顔に、不穏な何かを感じ取った者が僅かでも居ただろうか。
食事を終えた周囲の兵士たちも段々と数を減らし、後から食事に来た者は、最初からセフィロスたちのテーブルには近づこうとしない。
とうに皿を空にしたソルジャーたちの中で、未だに居心地の悪いクラウドだけが半分ほど残した皿の中身をいつまでもかきまわしていた。
「クラウド、早く食っちまえよ。午後の訓練あるんじゃないのか?」
ザックスのいつもと変わらぬ声に、クラウドは心ここにあらずな声で答えた。
「今日は……夜勤だから夜まで自由時間」
「じゃあ寮へ帰って寝な。オレも本社戻るわ」
ザックスがトレイを持って立ち上がったのに随って、アンジールとジェネシスも「じゃあな」と言い置いて席を立った。
一人、クラウドの隣に残ったセフィロスは、綺麗に片づけた皿を前に、これ以上ないほど優雅に足を組み、食堂内の様子を眺めていた。
「あんたも、帰れば? ……用は済んだんだろ」
囁く音量でもセフィロスには聞き取れる。
「まあな」
「もう来るなよ。平気だから」
「そのようだ。そもそも一対一の喧嘩なら、オレも口は出さない」
「うん」
セフィロスが過剰な介入をするとは最初から思っていない。
「質が悪い相手なら、殺される前に必ず言え」
「分かってる」
「お前は自分を無力だと思い込んでいるが」
突然、胸の内を読まれたような言葉を告げられ、クラウドは弄んでいたスプーンをトレイへ置いた。
「他人を味方につけるのは、立派な能力だ」
「そんなの……」
「オレだけじゃない。ザックスやあの連中が興味半分でもついてくるのは、お前の能力ゆえだと忘れるな」
横目で窺ったセフィロスは、酷く優しい目をクラウドへ向けていた。
そのらしくない優しさがクラウドのプライドを傷つけるのだと知っていて、それでも彼はここへ来たのだろう。
「今日は夜勤だといったな。明日の昼間、時間が出来たら部屋にいる」
トレイを持って、立ち上がったセフィロスは別れの挨拶もせずにクラウドへ背を向けて去って行った。
多くの視線と一緒にその大きな背を追い、嬉しいような、悲しいような複雑に絡む思いを断ち切って目を反らしたクラウドは、軽く首を振って冷え切った食事の残りをかきこんだ。
夜間警備のシフトまでは残り五時間。
急いで寮へ戻って一分でも多く眠ることが、今のクラウドには必要だった。
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不必要な案件と検証(了)
08.03.15
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