すべての物語には始まりと終わりがある |
地面は下草どころかひと欠片の苔さえもなく乾き、溶岩が冷え固まった後、残る気泡に砂が入り込んだ、ただ黒い地面だった。伸ばした手が触れたのは、その地面より固く同じように無機質な岩だ。
ようやく挙げた顔を巡らせて周囲を窺うものの、厚い雲に覆われ灰色に淀んだ空にはぼんやりとした光しか見出せない。頻繁に起こる落雷に周囲の単調な情景が照らし出されている。
夕暮れ時のように奇妙な現実感のない空気の色が心を沈ませ、何故こんな場所にいるのかと最初に浮かんだ疑問に、不安を一層上乗せする。
見下ろした指を包む革のグローブや身に着けた衣服、防具も慣れた感触であるのに、がら空きの背と手は何かが物足りなく、頼りない。
己の身を守るもの。
敵を排除する牙であり、時に盾ともなるもの。
言葉を捜しているうちに、数歩離れた地面に突き立った剣を見つけた。
身の丈ほどもある幅広の大剣だったが、柄を掴み、深く刺さった地面から引き抜くと、それが自分のものであることに疑いはなかった。いつもの動作で背のホルダーに戻すと、剣の重さに酷く安心する。
「よかった」
はぐれた親に、いやむしろ子どもに出会えたような安堵感に、思わず口元が緩んだ。
遠くに鳴る幾つもの稲妻が低い轟音となって風に運ばれてくる。埃っぽい風に髪を押さえ、乱れたそれをかきあげた時、剣の突き立っていた向こう側に人影が倒れているのを見つけた。
反射的に駆け寄った人影は、先程までの自分と同じようにうつぶせに倒れ、地面へ頬を埋めていた。
背に手をかけて軽く揺すってみる。随分と大柄で投げ出された足は長い。覗きこんだ顔は整っており、高い鼻梁を中心に、シンメトリーに構成された完璧な配置だった。
「大丈夫か?」
再び肩を掴んで揺する。
背中に広がった髪が流れ落ち、思わずそこに手を伸ばした。腰ほどの長さがありそうな髪だったが、これは間違いなく男だ。
なかなか目を覚まさない男に焦れて身体を見回す。外傷がないことを確かめて視線を戻した時、こちらを見ている男の目と出会った。
明るい青緑の虹彩は、秘境の鍾乳洞にある泉の色だった。猛禽類のように縦長に切れた瞳孔に小さく息を飲む。
そして目を開いても人形と見紛うような優美な顔が、唇を動かした。
「クラウド」
薄い唇が名を呟き、それが自分の名前なのだとクラウドは気付いた。
「あんたは誰? それがオレの名前?」
男は微妙な顔つきで上肢を起こすと、クラウドの顔をじっと見つけてきた。
「オレを覚えていないのか」
男の声には微かに批難の色が滲んでいたが、クラウドは正直に頷くしかなかった。彼の事どころか、自分の名さえも呼ばれるまで分からなかったのである。
「仕方が無い。いや、これも因果か」
謎めいた言葉に不審感も生まれ、伸ばされた手から身体を退いた。
逃れるよりも早く大きな手がクラウドの髪を撫でた。指先で前髪を払われ、その思いのほか優しい動きに硬直した。
「お前の声で、悪くない目覚めだった」
何も覚えていないが、どうやら彼とは既知の間柄らしい。しかも声で判別できるほど浅からぬ縁なのであれば、この漠々とした世界で独りではないと思える。
見た目どおり怪我はなかったようで、男は立ち上がった。
クラウドの頭ひとつ分以上背が高い。
黒い革の長いコートの裾を簡単に払うと、銀糸より硬質な、磨いた鋼の色の髪が清流のように流れた。
「ここは、どこなんだろう」
自分の名を知っているなら、その問いにも簡単に答えてくれるかと思われたが、男は僅かに頭を傾げた。
「さあな」
「オレ、さっきから何でこんなとこにいて、自分がなんなのかぜんぜん覚えてないんだけど、あんたはなんでそんなに落ち着いてるわけ? ここに住んでる人?」
「いや。気付いたらここにいた」
つまりはクラウド自身と同じような状況だということだ。
「だがどこにいようと、大して変わらない」
「そうかな」
他愛のない会話をしているだけで、言葉が砕けた。彼と話すことがあたりまえで、こうして隣にいることに全く違和感が無くなってくる。互いにここにあるべきだと確信する。
ただ、ここで何をすべきなのか。
「とりあえず水でも探そうかな」
命の危険もなく、独りでもないのなら、生きる為に必要なことからしようと決めて辺りを見渡した。もっとも先程から、視力の利く限りの範囲には、木一本すら生えていない。
男の方を窺うと、同じように周囲を見渡した後、クラウドへと戻した視線と出会う。
同じことを考えたのだと気付いて、クラウドは目を見開いた。
「絶望的な提案だな」
肩をすくめて的確な表現で感想を述べた男の仕草につい吹き出し、笑い声を上げた。
「わかんないだろ。岩陰にトカゲの一匹でもいるかもしれない」
一番近くの岩へと近づき、その周囲に目を走らせ、岩に足をかけてみる。移動させるには重すぎたそれを、ゆさゆさと揺らしてみるが、残念ながら目的のものは出現しなかった。
随うように近寄ってきた男は、先程の男を真似て肩をすくめたクラウドを見下ろした。
「お前が笑う顔を久しぶりに見たような気がする」
突然の言葉に少したじろいだクラウドは、返答に困って視線を泳がせた。
見つめてくる男の目は笑って躱すには真剣すぎて、受け止めるには最適な方法がわからなかった。戸惑っている内に更に近づいて来た顔は、記憶がないとはいえ、これまでクラウドが出会った人間の中で最も美しかった。見つめられるだけで心臓が跳ねるほどの威力があった。
クラウドは男の視線から逃れるように、水場と自分たち以外の生物を探して歩き始めた。どこかに行くつもりはない。とにかく目指すもの、目印になるものがないのである。
大小の岩の転がる土の上を、どれくらいの間黙々と足を運んでいただろうか。周囲は霧のようなものに煙り、視界が悪くなった。嫌な匂いもする。
突然、すぐ後ろを歩いていた男に腕を掴まれ、引かれた。
引かれるまま数歩蹌踉めいて下がったクラウドの目の前に、地表から白い煙と湯気の立った液体が激しく吹き出した。
比較的広い岩の地面に数メートルの割れ目が走っている。その隙間から吹き出したものは、ただの蒸気でもないようだ。強い、鼻の曲がりそうな硫黄臭がする。
「気を付けろ」
「間欠泉……?」
「こっちだ」
掴まれた腕はそのまま引かれ、安全な方へと導かれた。
見上げた男は向かう場所を選んでいるのか、顔をまっすぐに向け、クラウドを振り返ろうともしない。そもそもなぜ彼が、黙って自分に随って歩いているのか。
「あの」
男は歩みは止めず、顔だけをクラウドの方へと向けた。
「あ、りがとう」
一瞬の間を置いて、それが先刻間欠泉の攻撃から守った礼なのだと分かったのだろう、セフィロスは小さく頷いて見せた。
「お前に礼を言われるとは思わなかったな」
「初対面の相手に、オレってそんな礼儀知らずだったのか?」
男はちょっと複雑な顔になって、それから腕を掴んでいた手をクラウドの背へ回して来た。
見た限りそれほど情熱的なタイプではないとは思うのだが、こんな風に同性の大人を抱擁するということは、もしかして兄弟や肉親なのかもしれないと思い至った。
「オレ、まだあんたの名前も思い出せないんだけど」
「セフィロスだ」
「セフィロス」
胸の奥がちくりと痛む。
声に出して呼べば、どこか甘さもある。同時に大切なことを忘れているような焦燥に駆られた。
「セフィロス」
何か思い出せはしないかともう一度唇を動かすと、顎の下に指が添えられ、仰向いたそこにセフィロスの唇が降りてきた。
驚いて片手で押しのけた身体は揺るぎもせず、背けようと振った頭は顎と頬を掴まれて再び引き戻される。手馴れた様子で固定された場所に、挨拶や肉親の抱擁程度とは言い難い熱烈な口づけをされて、クラウドは混乱した。
相手が素手であることを忘れて、クラウドは背のフォルダーから剣を引き抜いていた。
手加減する間もなく横薙ぎに振った剣は手応えがなく、セフィロスは数歩飛び退いて、容易く刃を避けた。長い髪とコートの裾が揺れ、僅かに動いたと感じさせる以外、表情に変化はない。
「なんで男のあんたがオレにそんなことするんだよ」
「またそこから口説かせる気か」
「また、って……何なんだよ、あんた」
剣を構えていた腕を下ろす。自分の頬が熱く火照っているのを自覚して、クラウドは手の甲で唇を拭い、そのまま言葉を失って俯いた。
自分の知らないところで、この男と自分がそういった関係だったのだと、言葉の端から察知した。だが彼に非難されようとも、受け入れ難い事実だ。
「覚えてないんだって言ってるだろ」
「もう一度試して、やはり嫌だというなら考慮する」
どういう意味だと反論する前に、再び伸びてきた手に捕らえられ、抱きすくめられた。
クラウドにとっては初対面の男と、しかも二度もキスするのはごめんだと思ったものの、その腕には覚えがあった。
今と同じように抱き締められ、そこに自分の手をかけ、それを枕に眠ったことがある。あまりに幼かった自分とほんの少し今より若い印象のセフィロスの姿が、幻影のように脳裏に浮かんだ。
クラウドは片手に握りしめていた剣を取り落とし、セフィロスの腕の中から周囲を見渡して、小さく喘いだ。
「オレ、あんたを知ってる。でも」
断片的に浮かぶ情景と、今この場所は余りに異なる。まるで違う惑星だ。
「ここはオレたちの元の世界ではない。恐らくあの戦いのあった世界の名残だな。カオスに破れたコスモスが復活するまでは、こうした断片的で不完全な世界が幾つも存在するということだろう」
男の言葉を殆ど理解できずに混乱していると、間近で見下ろしていた顔が再び近寄り、予告したとおりの口づけがもう一度降って来た。
強引な展開とは裏腹に、探るように優しく舌先で唇を割られ、様子を伺い合う舌を触れ合わせた。滑る感触と暖かさが、決して夢幻ではないと教えてくる。幾度も触れあってから、今度は唾液と一緒に少し強めに吸い上げられれば、身体中を何かが駆けめぐる感覚に満たされる。
「ここがどこだろうと関係ない。どこへ行こうとお前はオレと出会い、時に拒絶し合い、また互いに求め合う」
呪文のようにクラウドを縛る言葉が、低く心地良い声で吹き込まれ、再び触れてくるものを拒めなかった。
「次は忘れるな。ここより少しまともな場所で出会ったら、オレもお前との昔の約束を果たそう」
「あんたのこともちゃんと覚えてないんだから、約束なんて……もっと覚えてるわけない」
「では、次にお前がオレを覚えていられたら、教えよう」
次、とはなんだろうと改めて首をかしげたクラウドを抱きしめる腕の感覚が鈍くなった。
いや、腕どころか顔も身体も全てが虚ろな印象になって、それまで鼻をついていた硫黄の匂いが消える。そしてついに掌は互いの身体に触れることすらできなくなった。
「なんだ、これは」
自分の身体を見下ろして、セフィロスではなく、クラウド自身が虚ろなものになっていることに気付いた。
視界にあるものは色を失い、目の前の男の整った顔は背後のどんよりした雲を透かして見えた。
「案ずるな。コスモスの復活と新たな世界の構築まで、例え一億の年が必要だったとしても、オレたちにとってはたった一瞬の出来事に過ぎない」
「そんなこといわれても!」
必死に縋り付こうと伸ばした腕は、男の身体をすり抜け、空を掴んだ。
黒い地面や岩を踏む感触が消え、重くたれこめていた雲と、その隙間に光る稲妻の色も消え失せる。
闇─いや混沌に飲み込まれようとしている。
「今、会ったばっかりだろ! 馬鹿野郎!」
視覚を閉ざされる瞬間、それまで表情を殆ど動かさなかった男の口元が、微かに笑ったような気がした。
*
クラウドが消え、名残も薄れると、ただ広々と地平線までを見渡せる広大な荒れ地が広がっている。
「覗き見とは趣味が悪い」
ふと、何もない空間へセフィロスは呟いた。
その相手は気配よりも先に、低い含み笑いを洩らしてから、セフィロスの背後に姿を現した。
陽に灼けた肌に幾つもの刺青を刻み、半裸に近い装束はとても戦う者の装備とは思えない。彼は以前、水中で行うスポーツの選手だったのだと語っていた。
顔には大きな傷痕があり、身体のあちこちにも大小の傷があった。どんなスポーツなのか知らないが、その身体は戦士に劣りはしなかった。
「お前さん、あの兄ちゃんとデキてたのか」
にやにやと笑いを浮かべながら、自分一人納得したように頷いているのは、ジェクトと名乗ったカオス軍の戦士だった。一方、彼の息子のティーダはコスモス側の戦士として参戦していた。
答えないセフィロスをどう思ったのか、ジェクトは頷きながら話し続けた。
「いや、別にどうこう言うつもりないんだがな。他の奴らと違っててめえのことは何も話さなかったお前さんが、どういう因果で参戦してたのかと興味があったんだわ。あれが理由か」
質問の答えを探しながら、セフィロスは最後にクラウドが掴み触れてきた自分の腕を撫でる。
自ら一億年と例えてみたものの、コスモスの復活が叶い、世界が再建されても、再びクラウドと再会できる保証はどこにもない。
「そういうお前はどうしてだ」
「オレか?」
ジェクトはバンダナを巻いた黒いぼさぼさの頭髪を掻き、その手で今度は顎の無精ひげを撫でながら、少し小さな声で答えた。
「親馬鹿でアレなんだが、まあ、息子に会いたかったからだな」
「敵としてでも、か」
「オレたちは最後までゆっくり話す時間も、顔を見る時間もなかったもんだからよ。アイツに会えるんなら、敵でもなんでもよかったんだ」
ジェクトの説明はセフィロスに対してのものであると同時に、自分自身に言い聞かせているようでもあった。長きに渡った親子の確執があったのだろうと、言外にも分かる。
しばらくの沈黙の後、セフィロスは前触れもなく口を開いた。
「オレにとってあれは半身。そもそもひとつだったもの」
「そりゃあ、精神的な話か?」
「物理的にも」
「じゃあ家族みたいなもんか?」
「家族の定義がよく分からないが、むしろ肉親だな。肉体の一部を共有しているといってもいい」
ははあ、と意図の分かりにくい声を上げたジェクトは、再び頭を掻いてから照れたような笑みを浮かべた。
「なんつーか。聞いちゃまずいことを聞いた気がするな」
「セクシャルな意味じゃない」
カオスの軍勢に加わっていながら、このジェクトという男は至ってまともな男なのだとセフィロスは感じた。狂人ばかりの集団ではあまりに馬鹿らしいが、兎に角変わり者が多かったのは事実だ。
「まあ、なんだ。あんまり虐めると、ウチの息子みたいにグレるから気を付けろよ。ちゃんと愛してるって言葉で言ってやんねぇとよ」
「お前こそ息子へ伝えたのか」
「ああ。まあ、そうだな。伝わったと思う」
セフィロスは肩をすくめて見せ、ジェクトはもう一度照れた笑みを浮かべた。
そしてすぐにその笑みを消して、遠い地平線の方を見ると、小さく舌打ちした。
「ああ、残念だな。お前おもしろいのに。もうタイムリミットだ」
セフィロスもゆっくりと背後を振り返り、頷いた。
「この世界そのものが、そろそろ限界だ」
再び、混沌の波が打ち寄せてきた。
グローブをはめた掌を握りしめ、開くと、地面の色が透けて見えた。次はセフィロスの番だった。いや、ジェクトの身体もまた虚ろにぼやけて、双方が存在を失おうとしているらしい。
「達者でな。会うことがあったら、頼むぜ」
「お前の世界へ行っても、お前の息子には関わらないでいてやる」
「おう。わかってるじゃねーか」
カオス軍の戦士とは思えない明るい笑顔を最後に、セフィロスの視界も闇に閉ざされた。
かさついた岩の地面も雲の中の稲光りも、黒い闇に飲み込まれ、上も下もなく全てが無に返る。
最後に残ったのは、光の戦士たちが守り通した、微かな一筋の光。
創造の神が、その清浄な一筋の中から産まれ、成長し、新たな世界を切り開くのはそう遠いことではないと思われた。
*
腰ほどの丈に生えそろった青々とした草が、断続的に吹く風に揺れている。身を切るような冷たい風ではなく、頬にも指先にも快い温度の風だ。
どこからともなく花の香りが漂い、それを目標に飛んでいるらしい蜜蜂の羽音が、耳元を過ぎる。蜜蜂を追うように飛んでいった花の綿毛が、幾つか散って、二の腕に止まった。
頭の上には数羽のひばりが飛び越えて行った。ゆるやかな丘と丘の間を飛び過ぎ、麓に広がる水場へと向かっているらしい。麓の湖は時々風に揺らぐ適度に穏やかで、動物たちの格好のオアシスになっている。
湖の向こうには、堅牢な城壁と城がそびえていた。幾つも連なった尖塔と、霞みを通してようやく判別のつく小さな窓が、巨大な城の規模を表している。鏡となった湖面が遠くに望む城を写して、実物の二倍も大きな城に見えた。
かつては、この辺りで最も美しい城として知られたフィン城である。
先のパラメキア帝国軍の襲撃により陥落し、今城内はどうなっているともしれない。
その城を見下ろす青年は、丘の中腹あたりに佇んでいた。
ターバンの中に銀髪を押し込め、丈の短いのマントを風になびかせていた。腰には長剣を携えている。旅装の細身の身体そのものが、レイピアのような鋭さを感じさせ、年若い青年にしては表情は酷く大人びて、何かを決意した者の顔をしていた。
数日前、彼は実の親とも慕っていた養父母を、その戦いで失っていた。そして彼自身も城下から脱出する際、義兄と離ればなれになっていた。
彼にとってこれから始まる旅は、家族を取り返す物語であり、そして既に失った家族の復讐でもあった。
ふと、青年は何かに気付いたように視線を向け、背後の草むらへ注視する。
今までどおり風に揺れる草に変化はないが、彼は異変を感じた場所に意識を集中し、じっと息を止めていた。
「フリオニール」
突然呼びかける声がして、フリオニールと呼ばれた青年は丘の麓の方角へ顔を戻した。
「マリア」
丘を少し下ったところにあるガテア村から走り出てきたのは、青みがかった滑らかで長い髪を揺らした少女だった。青年よりは軽装な革のベストに肩当てと胸当て、小手や脛当ても身に着け、細身の短剣を腰に差しているが、背にある長弓と弓矢が使い込まれていることは見れば分かる。
とはいえ、繊細で優しげな少女が、そんな戦いの装備でこの場所にいることが、ほんの少し違和感すら与えた。
「そろそろ出発しましょう。早くこの指輪をヒルダ王女へ届けなければ」
「ああ、わかった」
厳しい顔を少しだけ笑みに緩め、青年は彼女を伴って丘を降りて行った。
彼らの影が小さくなり、風の音とひばりの遠く鳴く声しかしなくなったころ、先程青年が注視していた草むらがざわと動いた。
「ばれたかと思った」
溜息と一緒にそう洩らしたのは、草地に腹這いに伏せ、頭を限りなく低く草むらに紛れていたクラウドだった。
「オレは気付いている方に賭けてもいい」
応じたのはその横に仰向けに寝転がったセフィロスである。
「お前、オレのことも、カオスとコスモスの戦いも忘れていたのに、あれのことは覚えているのか?」
「彼だけじゃない、バッツもジタンもスコールもみんな覚えてるよ」
クラウドは共に戦った友人たちの名前を連呼した。嘘偽りはなく、顔かたちまで明瞭に思い出せる。
どうやらセフィロスは、クラウドが彼の存在を記憶から失い、フリオニールたちのことは覚えているのが気にくわないらしい。
「では、どうして隠れた?」
「あんた、敵だったんだろ? 一緒にいるところを見られたくなかったし。それにここは彼の世界だっていうなら、オレが邪魔するべきじゃない」
「律儀なことだ」
フリオニールたちの姿がすっかり見えなくなって、クラウドは草むらから身体を起こして座り直した。
「フリオたちのことも、ホントは部分的にしか覚えてないよ。ただ、何処へ行ってもみんなを忘れないって誓ったことだけは覚えてる」
それまで寝転んだまま聞いていたセフィロスは半身を起こし、草の上に片膝を立てて座ると、開いた掌を上に向け、音もなく手を開いた。
「これをお前にやろう」
何もないセフィロスの掌の上に注視していると、赤いバラの花がぼんやりと浮かび上がった。濃い緑の葉と少し曲がった茎の先に、明るい紅色の花弁が美しい。
「どんな手品だよ」
驚きつつも幻の花に指先で触れると、心地よく暖かな感触と共に、幻がふわりと消えた。
「お前と、お前の仲間たちが大切にしていたものだ」
セフィロスの言葉に疑問を覚えながらも、今度は広げた自分の掌にその花があることを確認した。現実の花ではなく、これは誰かの思念が形をとったものらしい。
「これ、バラかな」
「『のばら』だそうだ」
「なんで敵のあんたが、オレにくれるんだ?」
「お前がここにいるなら、オレが持っていても仕方がない」
「よくわかんないな」
いつも難解な謎かけのようなセフィロスの言うことは聞き流し、それでも手の中の花には興味を引かれて見入っていると、
「それにお前の方が似合う。」
草の上に座り込んでいる男は、自分が恥ずかしいことを口にした自覚はないらしい。返答に困ったクラウドは視線を背け、湖を見下ろす。
相変わらず湖面は城を写して静かに揺れていた。
そのフィン城がフリオニール達と反乱軍の手によって奪還されるのは、少し先の話だった。
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すべての物語には始まりと終わりがある(了)
2010.02.06
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