子猫の反逆 |
一般兵、主に軽装・重装兵の兵舎は、アスファルトの二車線私道を挟んで左右に、平行に並んでいる。兵士らの宿舎は、あらゆる部隊、あらゆる地位の者が入り混じって生活しており、出入りも激しい。
だがその宿舎をはじめ、ソルジャーは扱いが全く別だ。
サード、セカンドには一般兵の宿舎に好んで残って生活するものも多かったが、ファーストは通常、昇進と同時に専用の宿舎に移る。造りも、部屋の広さも設備も、一般兵の宿舎とは比べ物にならない建物だった-。
だからこそ、通りかかる謂れのないその場所に、ファーストの制服で佇む二人のソルジャーは人目を惹いた。
一人はソルジャーファーストには珍しくない、濃い藤色の袖無しのミリタリースウェター姿だった。眉間と口元の剛健な顔立ちで、強い黒髪が肩まで伸びている。野性的というよりは粗野な印象は、背のホルダーに携えた、巨大な幅広の剣のせいかもしれなかった。
もう一人はえんじのロングコート、腰に差した剣は長いレイピアである。剣と同じく優美な顔立ちで、柔らかな短い茶の髪が涼しげだった。
上背は黒髪の方が僅かに高く、体つきも茶髪の方が細身である。
彼らこそ、兵士たちの中で恐らく知らない者はいないであろう、ソルジャーファーストの頂一角を固める、アンジールとジェネシスだった。
戦闘力の高さだけでなく、同郷から同時期に輩出されたソルジャーでありながら、外見や性格が見事に対照的であることが、一層周囲の話題を呼んだ。
彼らを越えるソルジャーといえば、存命のうちに英雄と呼ばれているセフィロス以外にない。
一般兵舎に用事などなさそうな二人の前に、今、正にその『理由』がやってきたところだった。
「クラウド・ストライフか」
科学兵器に関する講習を受け、資料の束を手にしてねぐらへ戻ってきた少年兵は、立ちはだかったアンジールの姿に一度、瞬きをしてみせた。
講習から帰ってくるタイミングを狙って張り込んでいたことは明らかで、それを察知したのだろう少年は、不審な輩を見る目つきになりながらも、素早く立ち止まった足をそろえ、敬礼して姿勢を正した。
「イエッサー」
固まって歩いていた彼の同僚たちは、助け舟を出すでもなく、横目でクラウドの様子を眺め、兵舎の中へと入っていった。面倒ごとなら関わりたくないというのが本音だろう。
「第一歩兵師団、第一大隊所属ストライフ二等兵であります」
「あー……楽にしていい」
少年は再び歯切れのいい返答をして、揃えた足を少し開いて、休めの姿勢をとった。
二年目の兵士にしてはよく訓練されている。
戦歴を見れば更に一目瞭然で、ウータイやミドガルズオルム討伐のミッションにも参加している、本物の兵士だ。
だが、書類を持った腕は細く、神羅の制服の襟元から覗く首も少女のように華奢な印象すらある。生まれつきなのか色白の肌は、頬と鼻先だけが訓練で陽に焼けて薄く染まり、深い海の瞳は、その大きさばかりが目立った。
若い。
彼のパーソナルデータに添付されていた写真よりも、ずっと幼い印象だ。
「オレはソルジャー・ファーストのアンジールだ」
「存じております」
はきはきとした口調は好感が持てた。
しかも顔立ちからは想像できない、大人びた言葉選びと落ち着きぶりだ。
「へえ。セフィロスやジェネシスはともかく、オレを知ってるのか」
「はい。ソルジャー・ザックスが同室ですので」
「なるほど」
正面に立ったアンジールの目をじっと見上げる少年は、用件が告げられるのを待っているようだった。
既に彼の同僚たちは全員宿舎に入って行き、陽が完全に落ちた私道には、所々に設置された街頭が点灯しはじめた。遠くから聞こえていた訓練の声も止んでいる。
突然酷く静かになった場所で、少年は物怖じせず、アンジールの顔を見つめていた。
「あー」
聞きたいことはたったひとつだったが、その一言が聞きにくく、アンジールは思わず口篭もった。
「セフィロスの恋人ってのはお前だろう」
云いあぐねる問いを簡単に奪われ、思わず物凄い形相で振り返った先は、近くの壁にもたれかかって立つジェネシスである。
いつものように顔色ひとつ変えず、尊大にも思える腕を組んだ姿勢のまま、視線だけが容赦なく少年兵を見つめていた。
「お前、頭の上から、そんな直球な聞き方するなよ」
文句を言った後、すぐに少年へ向き直ると、彼はもう一度音が立ちそうな瞬きをして、それから表情も変えずに口を開いた。
「何か勘違いをしてらっしゃいます。オレは男です」
「そんなことは分かってる。まあ娘のように見えなくもないが、そういう意味じゃない」
ジェネシスは淡々と少年へ問い掛けた。
「お前、セフィロスと付き合っているだろう。いや、付き合っていることは知ってるんだ」
「おい、ジェネシス。そんな聞き方じゃあ、この子だって答えにくいだろうが」
少年の反応を待たずにジェネシスへ噛み付いたアンジールは、少し目線が下の友人と睨み合った。
「お前こそ。曖昧に聞いたところで、余計この子は迷惑だろう」
それは確かにそうだ、とアンジールは返答に詰まり、怪訝な顔つきで見上げている少年へ向き直った。
「あー、変なことを聞くようなんだが」
「聞く前から十二分に不審者だ」
「うるさい。ジェネシス、お前は黙ってろ」
見下ろした少年は、先程の驚いたような幼い表情を消した。
眉間が僅かに寄り、大きな目が細められて、不機嫌そうにも見える。
「君がセフィロスとつきあっているのは、君も同意の上なんだろうか」
一瞬、少年の口元が強張ったのを、アンジールは見逃さなかった。
だがすぐに立ち直り、アンジールを見据えて少年は答えた。
「確かにサー・セフィロスには演習場で訓練していただいたり、ソルジャー試験のアドバイスをいただいたり、良くしていただいてます。でも間違っても恋人じゃありません。誤解されては、サー・セフィロスにご迷惑をかけます」
強情に言い張る口調でもなく、ごく自然にセフィロスの恋人であることを否定する少年は、恐らく、神羅の一部で二人の関係が既知であることを知らないのだ。
関係を隠すのは、純粋にセフィロスの立場を思いやってなのだろうか。
それとも己の保身のためか。
アンジールはもう一度周囲を見渡し、気配を探り、少なくとも誰かが聞き耳を立てている可能性がごく低いことを確認した。それでももしクラウドが、神羅の調査機関に盗聴器でも仕掛けられていたら、その限りではない。
見下ろす位置の小さな黄色い頭に向かって、静かに問う。
「クラウド。オレたちの名前を知っているのなら、セフィロスとオレたちがそれなりに親しくしていることも知っているだろう」
クラウドはアンジールを見つめ返して、しばらくしてから無言で頷いた。
曇りのない大きな青い目は、視線が合うだけで吸い込まれそうな印象だ。そして何故か見ているだけで、自分が酷く汚れているような気にさせられる。
しかも、同じ年頃の少年兵のように、口だけが回る調子の良さもなく、彼は深慮深い。
「別に君を責めているわけじゃない。ただ、気付いているだろうが、君の年齢の少年と関係を持つ事自体、そもそもミッドガル市の条例違反だ。違反を密告するつもりはさらさらないが、せめて、君にとって、セフィロスとの関係が不本意ではないと確認がしたかった」
「要はセフィロスが強姦魔じゃないことを確認して、お前が安心したいだけだろう」
早速口を出したジェネシスを睨みつける。
「お前は黙っていろと……」
「お二人は」
じっとアンジールの言葉を聞いていたクラウドは、突然明瞭な声で発言した。
再び言い合いに発展しかけた大人二人が、同時に少年を見下ろすと、彼は無表情を通り越して、怒りの色をその顔に浮かべていた。
引き結ばれた唇からは強固な意志が窺え、男の顔に変化している。
「お二人は、サー・セフィロスのご友人ならば、彼自身の言葉を信用すべきではないでしょうか」
「それを証明するのは君の返答なんだ」
「オレの一存で、先程の質問にお答えすることはできません」
言い放って睨みつけてくる目からは、殺気に近い気迫を感じる。
「セフィロス本人は、君とは合意の上だと言っているぞ」
「ではサー・セフィロスのその言葉を、友人であるあなた方が疑うこと自体間違っています」
まだ声ばかりは幼さが残る高さながら、玲瓏と響いた言葉にアンジールは凍りついた。
この少年は只者ではない。
最初の印象と全く違うものに変わっている。
「セフィロスは必要なことを言わないけど、絶対に嘘も言わない。友人だっていうなら、そのくらい知ってるだろう」
口調ががらりと変わった。衝撃のあまり、セフィロスの名を呼び捨てにしていることに気付けなかった。
「訓練があるので失礼します」
立ち尽くす二人の大人を前に、きちんと足を揃えなおして敬礼し、クラウドは兵舎の方へと小走りで去っていった。
兵舎の通用口へその姿が消える瞬間、ジェネシスだけが振り返ってその背を見つめていた。
「さすがセフィロスのステディ、と、ツっこむべきか?」
ショックを隠せないアンジールを覗き込んだジェネシスは、どこか楽しそうな笑みを浮かべ、顔を強張らせた幼馴染みを嘲笑した。
「……お前だって驚いただろうが。笑うな」
「驚いたが、楽しい。あれが女だったらオレも欲しいな」
「あんなチョコボの皮を被った小セフィロスみたいな娘がいいのか !?」
ジェネシスは吹き出し、アンジールの背を叩いた。
「小セフィロス、それは言えて妙だ。だが、セフィロスには欠片もない可愛げが、あの子にはちゃんとあるじゃないか」
「アレが可愛く見えるなら、オレやお前の方がもっと可愛いと思うぞ」
違いない、と声を出して笑いながら、基地の外へ向かって歩き始めた友人を追い、アンジールも足を進めた。
クラウドに逃げられてしまっては、兵舎にもう用はない。
日が暮れて、街灯がぽつぽつと照らす私道を歩く。基地の敷地内へ唯一出入りできる、遮断機の降りたゲートを抜ければ、しばらくひらけた軍用地が続く。
枯れた草がまばらに生えるだけの空き地に沿って、二人は黙々と足を運んでいた。
「お前がお前の倫理観でセフィロスを責めるのは、セフィロスがそんな男だと思いたくないからか?」
一歩先を行くジェネシスが、振り返らずに突然問いを発した。
「そりゃそうだ。オレたちソルジャーの『英雄』が、少年を手ごめにする変態だとは、思いたくないだろうが」
「実年齢がどうかはともかく、あの様子じゃ無理矢理手に入れた訳じゃなさそうだ」
「……まあ、互いに好き合ってるっていうならな、目を瞑る。他人が口を挟むことじゃない」
「じゃあ、満足だろ」
「ジェネシス。じゃあお前は、なんでオレについてきた? お前はあの子に何が聞きたかったんだ」
同じ歩幅と速度で進んでいた、えんじ色のコートの背中が立ち止まり、その肩越しに友人を振り返る。
セフィロスとは異なるタイプながら、整った目元がアンジールを横目で睨むように見据えた。
「アンジール、お前はあの『セフィロス』が、本気で誰かを愛したらどうなると思う?」
常に叙事詩を持ち歩き、詩的な言葉をつむぐ声が『愛』という単語を発したことに、アンジールは何故か酷い違和感を覚えた。
いや、ジェネシスにではなく、セフィロスにはどう考えても似合わない言葉だったのである。
「情に流されず、的確に冷静に敵を突き、滅ぼすのがソルジャーだ。そのために作られた戦士。セフィロスはその筆頭だ。オレたちだってそうだ。彼に起こることはオレたちにも起こり得る。特定の一人に執着することで、もし、それを守るために、大儀とされてきた神羅を見捨てれば」
ジェネシスの話す仮定に、アンジールは駆け下りる冷たいものに背筋を震わせていた。
「やめろ。そんな話」
「セフィロスは、世界を滅ぼせる男だ。つまりあの少年は、皇帝を狂わす楊貴妃になり得る存在ということだ」
いつもの皮肉な笑みさえ浮かべて呟いたジェネシスに対し、アンジールは視線を下ろして黙り込んだ。
顔を前へと戻して、再び歩き始めた友人を無意識に追う。
もしもアンジールに唯一守りたい者が出来れば、己はどうするだろうかと考え始めていた。己の全てを賭けるほど、愛した者は今までいない。
「オレは特定の者に執着したことがない」
アンジールの心中を代弁するように、ジェネシスが呟いた。
「偶然だな。……オレもない」
「だから身近なセフィロスが、誰かを愛したことに、オレは動揺した」
「動揺?」
「不安になった。もし自分がそうなった時、己自身を見失うことを」
アンジールはジェネシスの背を見つめたまま絶句した。
この幼なじみはアンジールのように、倫理観に捕らわれた訳でも、好奇心に駆られた訳でもなかった。
つまり、己に恋の病が降りかかるのを、恐れていたということだ。当事者の少年を直接見て、少しでも安心したかったのだ。
「おい」
アンジールは前を歩く、コートに包まれた肩を掴んだ。
「なんだ?」
「お前、意外と可愛いな」
立ち止まったジェネシスの肩から手を上げ、その柔らかな髪をくしゃくしゃと撫でた。
大昔、まだソルジャーの存在など知り得なかった幼い頃、泥だらけになって遊んだ時分と比べ、互いにその手足を酷く汚してしまった。だがこの髪の柔らかな感触だけは変わらない。
共に幾人もの人間やモンスターを殺めてきた戦士でありながら、ジェネシスの意外な一面を見て、アンジールは彼が酷く愛しいものに思えてきた。
当のジェネシスは眉間を寄せて、唇をゆがめ、その表情は写真に収めておきたいほどに複雑だった。
「なんだ、お前。気持ちの悪い」
「気持ち悪いって……もう少し言い方があるだろうが」
バシバシと音を立てて背を叩き合った。
それぞれ抱いていたセフィロスに関わる不安を共有したことは、二人の胸を塞ぐ何かを僅かに解かしてもいたようだった。
皮肉な笑みではない笑顔が友人の顔に浮かんだことで、アンジールもまた、口元をほころばせる。
「しかし、あのとんがった少年を、どうやってセフィロスが口説いたのか興味があるなあ」
「『とんがった』って、あの髪型か?」
ジェネシスの返答に吹き出したものの、確かにどうやってあんな形になっているのか、気にかかった。
「あんな激しい癖毛は見たことがないな。気の毒だ」
「ありゃ癖毛か! チョコボと思えば愛情が湧くかな」
自分で例えた動物を頭に思い浮かべ、昔、牧場で見た金色に輝く海チョコボを思い出していた。あれと同じ金色の頭だった。
「でもチョコボはあんな風に噛み付かない」
「ふむ。確かにそうだな」
「あれは野良猫だ」
クラウドが去り際に二人へ言い放った言葉を、ふと思い出す。
まるで猫が威嚇するように、逆立てた背中の毛が見えそうな具合だった。
「その野良猫に、オレたちはセフィロスの友人失格だって言われたんだぞ」
ジェネシスは相槌も打たず、黙ったままだ。
アンジールよりもジェネシスの方が、意外とああいった非難を気にしているはずだ。
「でもあの子は、セフィロスをよく見ている。いい方向に行ってくれればいいと、本気で祈るぞ。オレは」
「ああ」
会話しながら黙々と歩いているうちに、神羅ビルの程近くまで到達していた。
すぐにソルジャーフロアに戻る気がしない。
終業時間までまだ一時間ほどあるが、待機中の命令が出ていない限り、ソルジャーの行動はわりと自由なのである。
「酒が飲みたいな。ジェネシス、お前もくるか?」
「行く」
二人、ほぼ同時に取り出した携帯端末の電源を切った。
本社から連絡があったら、電波の届かない場所にいたとでも云えばいい。
繁華街へと向かった二人の顔を、真昼の陽射し以上に明るいネオンが照らす。色鮮やかなネオン管の光を受けるジェネシスの顔は、なぜか酷く楽しそうに見えた。
気楽な相手と馴染みの店へ繰り出して、セフィロスとあの子猫の話を肴にしてやろうと、アンジールは心に決めた。
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子猫の反逆(了)
07.12.28
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