本来、空を飛ぶはずの強固な流線型の機体は、海溝の遥か底へ沈んでも水圧に耐え、ハンガーの一部は今でも浸水を免れている。
円形のハッチから伸びるはしごを降り、ポーチの中から手探りで灯りを取り出したクラウドは、逆手に持ったフラッシュライトで足元を照らした。一筋伸びた光に、吐いた息が白く映し出された。
人が訪れるどころか、陽も差さない場所である。以前灯っていた非常灯の電力も尽きて、完全な暗闇である。艦内は冷え切り、静寂な空気が満ちていた。
クラウドがここに来るのは三年ぶりだ。
仲間と共に、神羅軍の潜水艦を撃沈し、ヒュージマテリアを奪還した時、偶然海底に沈むこのゲルニカ艦を見つけた。まだ世界が襲い来る小惑星(メテオ)の輝きに怯え、それを止めるための方法を求めて奔走していた頃のことだった。
元は神羅軍が使っていたこの飛空艇は、ハイウィンドよりも船倉部分が大きく、軍用に設計された多目的輸送機である。神羅軍時代にはクラウドも兵士として、この機で運ばれたこともあった。
以前訪れた時は、驚くほど貴重なマテリアや武器などがサルベージされることなく残っていた。そしてそれらは自分たちが粗方持ち出したはずだった。
だが今、クラウドが数年の時を経て再びここへ来たのは、ニブルヘイムに残る神羅屋敷の中で、海底に沈んだゲルニカの積載記録を見つけたからだ。
「寒いな」
通常の人間ならば、真冬の装備でなければ長くはいられない気温である。凍りつく寸前の低温が幸いして、目指すものが活動していなければいいのだが、とクラウドは改めて思った。
ハンガーの端に溜まった海水は穏やかに揺れている。
ハンガー内部は、物資を入れたコンテナや輸送中の装甲車などが墜落時の衝撃でめちゃくちゃに壊れ、隅の方に寄せ集めたようになっていた。床は斜めに落ち込み、数年前には剥き出しだった装甲車の残骸も、バンパーの一部を残して深く浸水している。
塩分を含んだ露が、壁や配管、鉄製の積み荷を酸化させ、赤茶けた錆の氷柱が幾つも垂れ下がっている。
二階分程度の高さがある内部の、一階部分がほぼ水没していることを考えると、水深は三メートル以上になるだろうか。灯りのない水中は、クラウドにも判別しがたい完全な闇になっていた。
二階部分にしがみつくように残ったスロープをゆっくり歩いて回り、水際を観察した。
緩い潮の流れが、ゲルニカの外壁を撫でるような低い轟音以外、水が跳ねる微かな音も聞こえない。スロープ部分に何の積み荷も残されていないことを確認したクラウドは、思わず溜息をついて静かな水面を凝視した。
潮の満干で変わる水位の跡が、壁や床にくっきりと残っている。水際にはふじつぼや海草類がびっしりと付着し、三年前とは随分様相が変わっているようだった。
目標のものは、どうやらこの水中にあるようだ。
こうして上から見ていても、ライトの光は反射するばかりで、様子を窺うことはできない。冷たい水に潜ることは、なるべくなら避けたかったが、致し方ない。
柵の壊れたスロープが一部折れ曲がって、水へ落ち込んでいる場所を選んで、クラウドは通路に剣を置くと、革のグローブを外し、ブーツを脱ぎだした。剣を持って潜るのは非常に泳ぎ難いが、水中にまったく危険がないとも云えない。しゃがみこんでブーツの紐を解きながら逡巡していると、これまで小波一つ立たなかった水面が、僅かに揺らいだ事に気付いた。
小波は波紋を大きく広げ、壁に当たり、ちゃぷんとごく小さな音が立った。
微かな音が密室状態のハンガーに思ったより大きく木霊して、クラウドは急ぎ、剣を拾い上げた。
波紋の中央に注視し、息を詰め、気配を探る。何者かの息遣いは感じることが出来ず、水面も静まりかえったままだ。
気の迷いだったかとクラウドが息を付きかけたその時、空を切る音が耳元を走った。
水中へと引きずり込む力に抗い、伸ばしたクラウドの左手がスロープの柵を掴む。剣を持つ右腕の肘あたりに、振るう動きを阻む何かが絡みついていた。
細い、冷たい軟体動物のような感触だった。ヒトデか珊瑚のように酸素や養分を摂取するための細かな穴のあいた管状のそれは、肘の内側にとげの刺さるような痛みを与えてくる。
反射的に唱えたファイアで管を追い払うと、それは慌てて水中へと逃げていった。
刺された腕を確認する。血の滲む虫さされのような痕が連続して残っていた。
誰も聞く者のいない舌打ちを洩らし、もう一度注意深く水面を見つめたその時、クラウドは異変に気付いた。
視界がぐらりと大きく揺れた。
一瞬ゲルニカそのものが傾いたかと思ったクラウドは、咄嗟に壁へ手をついたことで、揺れたのが自分自身であることを知った。
握っていたはずのフラッシュライトが固い音を立てて転がり、ハンガーの壁を照らして止まる。酷く動きの鈍くなった指を見下ろしながら、剣の柄を握るもう一方の手からも力を失い、クラウドは通路に膝をついた。
近年は大型のモンスターであろうと恐れることはなかった。
油断がなかったとは言い切れないかもしれない。だが、神に等しい男を倒した自分を躊躇させる生物は、既にこの世界には存在しなかった。
それが、まるで新兵の頃の未熟さを思い出させるこれは、麻痺と強毒、混乱の状態異常だ。
壁へ背を預け、何とか通路に座り込み、取り落としそうになる剣を握る指に必死の力を込める。これだけは手放してはならないと、クラウドに染みついた戦士の本能がもやのかかった頭の中で怒鳴っている。
壁に反射したフラッシュライトの明かりが、再び波打った水面をきらめかせた。
身構えようと緊張した身体は、微かに痙攣するに留まり、果敢なくも剣は床へ転がり、冷や汗の滲み出るこめかみからは、滴が滑り落ちる。
それは、音もなく黒い水面から頭部らしき身体を覗かせた。
くらげにも似た半透明の白っぽい頭は細長く、サメのような細く奥まった目が濁った色でこちらを見た気がした。
頭部だけで一メートルは下らない。
特筆すべきは、頭部の側面から直接生えている大小の足である。鮹のような根元が太く先の細い触足は本体と同じ白っぽい色で、最初にクラウドを襲ったものだろう管状の触手は、体液に酸化銅を含む青っぽい血管を透かし、それぞれが意志をもつように蠢いている。
モンスターはその手足を水面から半分ほど持ち上げ、クラウドを試すようにじっとしていた。毒の効果が出ているか、相手が弱っているか、確認しているようにも見えた。
クラウドはこれ以上混乱状態が進むのを避ける為に、自らの身体を傷つけるという手も思い至ったが、とにかく指一本がまともに動かせない。麻痺が切れて、自由を取り戻すまでの辛抱だと心の中で唇を噛むが、モンスターが動き出す方が早かった。
水面から再び伸びた幾本かの青い手が、冷たい感触でクラウドを捕らえた。
通路に投げ出した足首から膝、太股へと這い上がったものに両足を拘束される。片腕と胴にも一本ずつの手が絡み、抵抗が弱いことを確認したそれは、身体を大胆に近寄せて来た。
唇のない口が迫り、クラウドは思わず顔を背けたくなった。
薄く開いた口の隙間から、人間のような四角い歯が並んでいるのが見えた。鳥に似た丸く細い舌が伸び、蛇を思わせる動きでのたうった。
気色の悪いモンスターだが、それ以上に今は命の危険を感じずにはおれない。
一撃で殺されなくても、水中に引きずり込まれれば、クラウドとて五分が限界だ。
己の最期を予感して、一瞬仲間たちの姿が目に浮かぶが、毒のせいかその像までぼやけてくる。
ふくらはぎの辺りで微かに痛みを感じた。クラウドの足を捕らえたモンスターの手が、再び麻痺と混乱の牙を立てたのか、だがそれを確認するには意識が鈍り過ぎていた。
次第に水中へと引き寄せられる動きを察知しながら、朦朧とする意識の端で、何故かあの男の姿が像を結んだ。
*
海底に沈むゲルニカを訪れる前、クラウドはニブルヘイムの神羅屋敷にいた。
故郷の村に唯一、昔のまま残っている屋敷に、クラウドは今も足しげく通っている。セフィロスに関するデータは、殆どが神羅ビルで灰になったと思われるが、ここにはその一部が保存されていたからだった。
そして先日、地下の研究室でレポートや実験資料を漁っていると、これまで見たことのない名称に行き当たった。
『プロジェクト・ジリアン』
ジリアン、とは女の名前だ。そのプロジェクトはセフィロスを生んだジェノバ・プロジェクトと同等に扱われたものであったこと、また研究チームは、宝条の部下だったホランダー博士が率いたもので、彼は研究半ばで神羅を追われたのだということは、すぐに判明した。
クラウドが見つけた書面は、その『プロジェクト・ジリアン』の残された検体をミッドガルへ運ぶための指令書である。書面の制作者はクラウドたちが倒した宝条博士で、他にも幾つかの部署を経由した、正式のものだった。だが、指令書の写しと共にファイリングされた報告書によれば、輸送中のゲルニカが海へ墜落し、検体を引き上げることは不可能に近い、というものだった。
墜落事故について報告された部分に、クラウドは目を止めた。
ゲルニカの機体番号に見覚えがあったのである。
メテオがまだ空にあったころ、海底に沈むその番号のついた機体の中でタークスに遭遇したことを考えると、すでに彼らが回収した可能性が高いかもしれない。
そもそも、『プロジェクト・ジリアン』の検体がどんなものなのか、クラウドには知識がない。詳しい資料も残されている様子がない。
だがジェノバ細胞から派生したものの一つである限り、『プロジェクト・ジリアン』の検体もまた、リユニオンの媒体と成り得る存在だった。もしも指令書とレポートの通り、未だに多くの検体が残っていたとしたら、セフィロスの復活を可能にしてしまうかもしれない。
一年前セフィロスがジェノバの頭部を媒体に復活した時、クラウドは彼が実体化する恐ろしさを実感した。彼が目的を達することはこの世の終わりを意味する。
同時にクラウドが心の奥底で、彼の復活を望んでいることに気付いてしまった。
己の中に残るセフィロスの細胞が、そう望むのか。
それとも生前のセフィロスへ抱いた恋慕が、クラウドを未だ惑わせているのか。
無意識に思考することを拒んできたクラウドは、ただジェノバ細胞の残骸を探索してきた。
ジェノバの頭部以降、未だ大きなジェノバ細胞には遭遇していない。それを目の前にしたとき、自分はどのような選択をするのだろうか。
海底のゲルニカへわざわざ足を運んだのは、その為だった。
『素直になれ。本当の望みは、オレと共にあることだろうに』
耳の奥に直接響いた聞き覚えのある声は、驚きではなくクラウドの全身を震わせた。
低く、耳を撫でるような吐息まで感じる。
『お前の中に眠るオレの細胞だけでは、お前へ快楽を与えることは出来ないからな』
一瞬後に言葉の意味を理解し、クラウドは頬へ血を昇らせた。
否定する言葉を吐くにも、唇が動かない。不自由さに不審を抱くと同時に、黒いグローブの手に手首を捕らわれ、衣服を引き剥がされる。
拒絶の声を上げた瞬間、クラウドの一瞬だけ途切れていた意識は浮上し、身体を押し包む冷たい水の中で目を見開いた。
*
光は僅かに水面から感じるだけで、さすがのクラウドでも水中は殆ど視界の利かない、漆黒の闇だ。光を捉えたところで、海水に塵が舞うだけで、クラウドの助けになるようなものはない。
無意識に藻掻く手が反射的に何かを掴む。掴んだと思った瞬間、逆に手首を掴まれ、強い力で引き寄せられた。
顔や腕に何かが触れた感触に目を凝らす。
細い、糸のようなものが煌めきながら揺れ、その向こうに男の顔があった。
『セフィロス』
思わず呼びかけたものの、流れ込む塩辛い水に慌てて口を閉じた。
幻影ではなかった。
冷たい水の感触は確かなもので、これが夢であるはすがない。
セフィロスは記憶にある射るような目でクラウドを捕らえ、唇には薄く笑みを浮かべている。更に引き寄せられた背に、長い腕が回る。
自分がどんな顔をしているのか、クラウドには分からなかった。
腕の感触で、はじめて男が全裸であることに気付く。人形のように整った美しい顔が近づき、クラウドが解放された手で揺らめく髪を退けると、冷たい唇で頬へ触れてきた。
逆らえずに高鳴った鼓動に動揺する。
驚きはした。だがそれ以上に安堵していた。
自分の先に待ち受けるものが同じ死だとしても、モンスターに捕食されるより、この男の手に掛かることを望んでいたからだ。
頬に触れた唇がそのまま首筋を這い、鎖骨を噛まれる。沸き上がる何かが快感であることは間違いなく、水中でなければ声が漏れていたに違いない。
強めの力で抱きしめられ、その手が次第に下肢を探り、服の隙間から指先が入り込んだ。布と肌の間を進む冷たい手が熱い場所を見つけ、揉み扱かれた。
男の肩へ僅かな抵抗を示して爪を立てる。
その瞬間、乱暴に掴まれた服を剥かれ、ちぎれた布地が水中へ漂った。外れかけた装備のベルトの下からシャツの裾を捲り上げられ、唇で腹から胸を嬲られる。
性急な動きに違和感を覚える間もなく、尻の間に潜った指に身体を割られ、クラウドは再び声なき悲鳴を上げていた。
意識を失っていた一瞬に見た幻と同じ展開だった。
だが今度は醒める夢とは違う。
水の圧迫感と視界の利かない闇、身体中に回った毒が手足の自由を一層奪い、容赦なく探り、狭い場所を押し広げる指の動きが微かな痛みと、忘れられない愛撫を思い出させた。
残り少ない空気を思わず吐き出しそうになり、身を竦めるが、二本の指で無理矢理開くようにされた場所へ、滑る感触が這い回った。喉が詰まるような圧迫を伴って、身体の中へ入り込む。
記憶にある熱さはなく、むしろ冷たく、柔らかい肉に違和感が増す。
セフィロスの愛撫はもっと力強く、頭にくるほどクラウドの弱点をわきまえ、同時に彼には不似合いな熱を帯びた指や吐息があった。水の中とはいえ、これは何かが違う。
クラウドの動揺を余所に、挿入されたものが内臓をかき分ける感触に、声なく喘ぐ。
抵抗なく、痛みも殆ど感じずに受け入れたものの、何かざらざらした不快感が内側を刺激する。
セフィロスの肩を掴んでいた指に力を込め、離れるように押しのけると、笑みを口元に留めたまま背へ回した右腕と、手首を掴む左手の拘束力だけが増した。
厚い肩から手を放し、引き締まった脇から広い背へと手探りに指を下ろして、腰を撫でる。
だが、その先にあるはずの臀部がない。
行き当たった柔らかい感触の壁───いや、壁ではなく、先程クラウドを捕らえたモンスターの本体から、セフィロスの姿をした上肢が『生えて』いるのだ。
驚愕と同時に一瞬で沸き上がった吐き気は、己を犯しているものの正体を知った嫌悪感からだった。
狭間へ手を伸ばせば、淫靡に蠢きながらクラウドの身体を暴くものは、かつて情人だった男の陰茎などでは断じてない。触手のようなあの青い管が幾本か、我先にと巣穴へ潜り込むように入り込んでいた。
必死に抜き出そうと引っ張ると、クラウドを拘束する腕だったもの、セフィロスの顔をしていたものが、突然色と形を失い、モンスターと同じように白っぽい半透明に変化し始めた。
端正な顔の彫りは扁平に失われ、力強さの象徴だった腕が細く間延びし消えていく代わりに、クラウドの腕や腰に絡み付くのは、張りのない感触の長い管状の触手だった。
肺に残る最後の空気が唇の端から漏れ、新たな空気を求めて反射的に水を飲み込む。
擬態しただけのモンスターに操られ、犯されて死ぬのは屈辱だった。それとも、いっそ惨めな自分には相応しい死に方なのか。
だが幸か不幸か、喘いだ唇の隙間から求めていた空気が流れ込んで来た。
水中から引き上げられる水飛沫と、鉄の板床の上に滴が落ちるバタバタと騒がしい音と、必死に空気を求めた気管が鳴る引きつれた音と同時に、クラウドの身体は水に濡れた床へ押しつけられた。
気管の水を咳き込んで吐き出し、冷たい鉄板の床へ頬を擦りつける。苦しさと生命の危機から逃れるのに夢中で、どういう状況なのか非常に把握し難い。
それでも、あちこちがひりつくような痛みに襲われ、クラウドはようやく己の身体がどうなっているのかを見下ろした。
右の手首、左の足首から膝、右の腿から腰まで、縄が巻き付くように触手で戒められた身体は、スロープの床部分にぞんざいに投げ出されている。
痛みを感じる場所は、体液にでも溶かされたのか、衣服がちぎれて肌が露になっている。腰の辺りの衣服は破り取られ、足の間には何かが蠢いている感触が続いていた。痛みこそないが、更に沸き上がる吐き気は禁じ得ない。
息が整うのを待たずに、狭い床の上で拘束されたクラウドは、衣服の切れ目から、新たな青い手に入り込まれて、身体を震わせた。悲鳴は唇を噛みしめて堪えるが、次の瞬間、尻の狭間を撫でられて総毛立った。
冷たい、柔らかい感触が陰嚢を揉む。虫の動きで陰茎に巻き付き、締め上げては緩む動きに息を飲んだ。
「やめ、ろ! この……」
水中では不確かな感触が明瞭になる。嫌悪の拭いきれない事実と裏腹に、機械的に高める動きで肉体は反応していた。
先程のセフィロスの擬態を思い起こして、大きな震えが走った。熱い掌にまさぐられる様を思いだして頬が火照り、熱を逃がそうと唇から息を漏らした。
力の抜ける瞬間を待っていたのか、狭間に潜り込んでいた触手は、目覚めたように動きを再開し、クラウドは手足を硬直させた。
「は」
思わず漏れた声が、驚くほど大きくクラウド自身の耳へ届いた。
クラウドを犯すモンスターの手足が水音を立てる以外、半ば密閉された空間は静かだった。速くなる呼吸音も、嫌悪と快楽の狭間にある声も、時折身体の中で立つ濡れた音のどれもが、はしたなくクラウドから漏れだしている。
「う。くそ……」
せめて口汚く罵ったつもりが、声に出たのは語尾だけで、幾本差し込まれているかも分からない手が抜き出される喪失感に、その語尾すらも掠れた。
内臓を暴くものが去ったことに息をつくのも束の間、放り出されたまま壁とハンガーを反射しているフラッシュライトに、再び近づいてくるモンスターの頭部が照らし出された。
相変わらず特徴の掴みにくい、ぶよぶよとした白っぽい頭部は、斜めに落ち込んだ通路を這い上がり、床へ縫い止めた獲物を小さな目で見つめている。息を詰めて、開かされた己の足の間から見返すクラウドは、逃げ出すことはおろか、足や腕一本を動かすことも出来ない。
「この、色ボケの、化け物め!」
雑言を理解した訳ではないだろうが、二歩ほどの距離をあけて止まると、他より長さの短い足を伸ばし、その先端でクラウドの太股の辺りに触れてきた。
粘る感触に目を細めて身体を縮めた。先端が細く丸みを帯び、矢の返しのような段差が幾つか付いていて、青い体液の流れが幾筋も浮き出て見える。根元の方は太く、クラウドの手首くらいはあった。粘液のようなものに覆われている表面が、奇妙なほどてらてらと光っていた。
明らかに他の手足とは違う形状のそれを見て、嫌な予感が沸き上がった。
逃げることも叶わないなら、いっそ見たくもないと顔を背け、歯を食いしばった。
あの男がクラウドを抱く時のような、様子を窺いながらという配慮は全くない乱雑さで、尻の狭間に先端らしい感触が触れた。押し込むような力が掛かり、滑る粘液の助けを借りて、勢いを伴って侵入する。
裂かれる痛みは弱いものの、体内を暴かれる圧迫感に呻き、どこまでも奥を目指して侵され、えづいた唇から唾液が流れ落ちた。すぐに引き出される動きには内臓を抜かれる恐怖を覚え、身体が竦み、自然と締まる門をこじ開けるように、生殖器の返しが縁を捲り上げた。
自分の身体がどうなっているのか心配するより先に、再び押し込まれ、息を飲む内に抜かれる、その繰り返しである。
人外のものに、そして愛し合った相手以外に犯される衝撃に、唾液の流れる顎が震える。どこか諦めていた生命でも、踏みにじられれば堪えきれない屈辱感があった。
身体中をまさぐるように這う冷たい手に、微かな快感を見出した時にも、自分へ対する嫌悪が一層気持ちを沈ませる。
どうにかこの状況から逃れようと、剣を探す指先は微かに床を掻くだけで、罵ろうと開けた唇は言葉の代わりに、あられもない声を吐き出すだけだった。
水に濡れ、冷たいハンガーの床に押しつけられ、苛酷な陵辱に長時間晒されて、普通の人間であればとっくに低体温で瀕死のはずだった。だが、未だ意識を完全に失うことはできず、化け物に身体を嬲られているのは、クラウドが特殊な身体という理由だけではないようだ。
弄ばれる場所もいい加減感覚がなくなっていい頃合いだろうに、不思議なほど明瞭になるばかりだった。クラウドの後ろを犯す生殖器は、まるでそこにあるのが当たり前のような具合に収まり、時折形と硬度を変えながら、人肌より少し冷たい先端が、弱い場所を探り出していた。
濡れた衣服に熱を奪われて、痛いくらい冷え切っていた身体も、今は逆に少し暖まって感覚を取り戻している。
機械的な愛撫にも萎えていたクラウドは、いつしかされるままになり、一度達した己のもので腿の辺りが温く滴るのを感じてからは、拷問のように耐えていた恥辱心を捨てた。
混乱と麻痺を促す毒のせいかもしれない。
粘液が媚薬のような効果を持っているのかもしれない。
唇を撫でるように近づいてきた手を口腔へ受け入れれば、深い接吻のように舌や上顎を弄ぶ動きに頭の芯まで鈍く酔った。もうどうでもいいと身を任せるのを、このモンスターは待っているように感じられた。
身体に与えられる波のような快楽と、ぼんやりと脳内にかかったもやの中で、クラウドは昔のことを思い起こす。
あの北の地で、五年ぶりにセフィロスに再会したときも、こんな気持ちではなかっただろうか。
本物の身体ではあったが、やはり下肢を失っていたセフィロスを前にして、セックスから得るよりも強い快楽をリユニオンの本能に感じていた。
この男と一体になるのだと思っただけでつま先まで震えが走る、そんな感動にも似た感情だった。
「セ……」
無意識に唇が動いて、声に出していた。
快感がより深まることに気付き、クラウドは頭を左右に振って少し意識を集中させ、男の姿を思い浮かべた。
「セフィロス」
過去に三度、男を死の国へ追いやったのはクラウドで、その彼を思うのは勝手な話だ。それでも拭いきれない恋情が、今でもクラウドの胸に確かにあり、身体をも縛っていた。
セフィロスと同じ雄の身体でありながら、あの男の前ではヘテロな存在であることを否定したくない。そうすることで、身体も心もひとつになれるからだ。
「ヒトツ」
獣の唸るような声が、クラウドの思考を具現した言葉を洩らした。
はっと目を開き、もう小一時間は開かされたままの足の間から、不動の頭部を見下ろす。人間と同じような、だが巨大な四角い歯の並んだ口が、もう一度同じ言葉を呟いた。
「ヒトツニ」
我に返り、一瞬で血の気が引く。
「オマエノ、細胞、セフィロス……ヨヨヨヨコセ」
思わず手の辺りを戒める触手を握りしめると、それまでゆるゆると動いていた生殖器が大きくのたうち、クラウドの狭間を抉った。
唇を悲鳴が割る。
激しく暴れる触手の動きは快楽と同時に痛みを与え、歯を食いしばって耐えるクラウドの目元から無意識の涙が流れ落ちた。
震える顎を上げ、喉を反らす。噛みしめた歯の隙間から吐息が漏れる。
正常に保ちきれない意識が飛びそうになる瞬間、これまで見たことのない情景が、クラウドの脳裏をよぎった。
赤いコートをまとった青年が目の前に立っていた。
セフィロスよりは幾分若く見える、このソルジャーには見覚えがある、とクラウドは思った。
『セフィロスが魔晄炉の事故で死んだ今、ジェネシス、君の劣化を止める手だては永遠に失われた』
震える声は聞き覚えのない中年の男である。
どうやらクラウドの視覚は今、この声の男と同調しているようだった。
『ジェノバ細胞ならばソルジャーたちも持っているはずだろう。神羅ビルにはオリジナルもあるはずだ』
ジェネシスはこちらへ詰め寄るように言い放った。クラウドの記憶にある彼は鮮やかな赤毛だったが、その髪の色は白っぽく色褪せ、顔色も良くない。
『ジェノバでも、ソルジャーでも駄目だ。純粋なセフィロスの細胞でなくては劣化は止められないんだ』
「セ、フィロス」
クラウドの唇が男の名前を呟き、その自分の声で数秒途切れた意識が戻る。
まるで夜明け前の夢のように明瞭な光景は、この醜いモンスターの持つ記憶なのだろうか。
「ワタシト、ヒトツニ。オマエノ、セセセセフィロス細ボ、ワタセ」
白い頭全体を震わせるように、歯をむき出してモンスターは呟き続けた。
「あんた……ホランダー博士……?」
声に出して問いかけた途端、それまで動き回っていた触手も足も動きを止め、逡巡するような沈黙が流れた。
「ホホホホランダー博士」
このモンスターに完全な意識が存在するわけではなく、残像のような記憶の欠片を、ただ再生しているのかもしれない。それともホランダー博士の亡霊がいるとするならば、未練のあまり化けて出たということもあり得る。
だがクラウドはかつて自分の手で倒した宝条博士の最期と、ホランダー博士がどうにも切り離せなかった。己の研究成果を証明するために、己の身ですら研究に捧げた結果の姿が目に焼き付いている。
このゲルニカに放置されていた『プロジェクト・ジリアン』の検体が、ホランダー博士自身の亡骸だった可能性もあった。
「劣化ヲ、トメロ。トメロ」
クラウドは奇妙に静かな気持ちになって、不気味で厭らしい姿のモンスターを見下ろした。
元は人間だったかもしれないモンスターの、人間の尊厳が完全に失われた姿だ。これこそが自分自身のなれの果ての姿だとクラウドは思った。
このモンスターが、探索に来た『プロジェクト・ジリアン』の検体そのものなのは間違いない。
そしてクラウドの体内にあるセフィロス因子を求めることを本能として動いている。
クラウドの身体を暴き、身も心も奪いさえすれば、このモンスターがクラウドを取り込むことが可能なのだろうか。
セフィロスに関わるもの全て引き剥がし、持ち去ってくれるというなら、その後、例え命がなかったとしても、クラウドは静かにライフストリームへ戻っていけるのではないか。
セフィロスへの執着を捨てられず、こうして何かを追い続けているならば、いっそここで───。
「持っていけるなら、持っていけよ」
握りしめた指を放し、身体の力を抜いて息をつく。
これまで舌足らずな言葉を呪文のように吐き出すだけだったモンスターの頭部が、重そうな動きで口を開ける。クラウドを戒める手足が、四角い歯の並んだ口へとその身体を引き寄せる。
できるだけ一息に喰ってくれと思っていると、クラウドのブーツの足先に触れる直前で動きを再び止め、低く長い唸り声のような音を発した。
クラウドの狭間に収められたままの管が蠕動し、断末魔のように痙攣して、粘液を零しながら抜き去られた。足首や腿に巻き付いていた触手も次第に力を失い、巨大な縦長の頭も、遂にどうと重い音を立てて倒れる。
異変に気付いて身を起こし掛けたクラウドは、突然倒れたモンスターの周囲に、何か霧状の闇が渦巻いているのを見た。
「レ劣化ヲヲヲ」
弱々しく呟くような声を最期に、モンスターは完全に動かなくなった。
同時に闇色の霧は、小さな竜巻のように縦に長く伸びる。始めて見る現象だったが、あの男が現れる前兆だと本能的に察知した。
破れて襤褸布のようになった衣服を無意識にかき寄せ、右手が剣を探す。水中に落としたのか、遠くに飛ばされたのか、手元に見つからないことに気付き、視線を戻した瞬間、半身を起こしたクラウドの目の前に、黒いブーツの足が立っていた。
視線だけで足から上を見上げる。
見下ろす視線に出会う。
鼓動の高鳴りは単なる驚きでも、緊張だけでもない。
「こんな化け物に身体をくれてやろうとは。大した慈善家だ」
「セフィロス」
モンスターの擬態をそれと信じた事が馬鹿らしく思えるほどの、比類ない覇気、圧倒される存在感に思わず喘いだ。
いつもの黒い装束が水の反射を写して鈍く光る。
絹織物のように背中を流れる鋼色の髪は健在だが、幸いその手に正宗はない。クラウドは剣を探していた右手を握りしめた。
「それとも孤独に飽きて、この化け物の与える快楽に溺れたか」
屈辱的な言葉を吐きかけられ、クラウドは思わず激情にまかせ、男へ殴りかかろうと立ち上がった。
しかし、立ち上がるはずの足は完全に萎え、蹌踉めいた身体が再び通路の上へ崩れ落ちる。床の鉄板に叩きつけられると思った瞬間、長い腕が伸び、脇を抱えられた。
せめてもの拒絶と反抗の視線で睨み付けると、セフィロスは美しく整った顔を皮肉な笑みに歪ませた。
「何故……実体が、ある!」
両腕を掴まれて、はね除けることもできないクラウドは、一番の疑問を怒鳴り声でぶつけた。顔を近寄せたセフィロスは少し首を傾げるようにしてクラウドの顔を覗き込んだ。
「お前の中にあるオレを、こんな化け物にくれてやるつもりはない。だからホランダーの亡霊を動かすジェノバ細胞を、オレがリユニオンした」
「リユニオン……?」
力の抜けた足で後退ろうとすると、いつの間にか背に回った腕に引き留められた。
先程から何度か同じ行動を繰り返している気がした。本物のセフィロスなのだろうかと改めて疑問に思い、見上げた顔へじっと視線を据える。
「せっかく実体を手に入れたのだから、お前と剣を交えるのも一興だが」
肌理の整った作り物のような頬が、ふと緩む瞬間をクラウドは目にする。
掴まれていた両腕が通路の壁へ押しつけられ、クラウドは痛みに顔をしかめた。
「冷えているな」
淡々と言葉を放った唇が首筋に這い、驚いて拒絶の声を上げる。確かな実感を伴った唇は服の破れ目を辿って、肌を確かめる。
「やめ、ろ!」
首を横に振って振り払おうとすると、胸元から離れた唇に口づけを求められた。
舌先に唇を割られ、熱い感触で口内へ入り込む。濡れた柔らかい舌は紛れもなく現実で、夢幻でも、偽物でもなかった。
受け入れた深い口づけが思いの外心地よく、舌を強く吸い上げられて、元々力の入らない足から更に力が失われた。両腕を掴まれて支えられ、慌てて縋った指先はようやく麻痺から感覚が戻りつつあった。
「本当に止めてほしいなら、その手で振り払え。クラウド」
指先は微かに動いただけで、何をするともなしに抵抗を止める。
「あんたはこんなことする為に、出てきたのか」
視線を反らし、上がった息を落ち着けようとするクラウドへ、セフィロスは少し驚いたような表情を見せ、それから笑った。
「そうではないが、その方がよかったか?」
「意味が分からない」
「お前は、相変わらずだ」
垂れ下がった服の布地をかき分け、破れ目から侵入したグローブ越しの手が冷え切った肌に触れた。
横たわるモンスターの死骸を、先程と同じように揺さぶられながら朦朧と見つめる。
自分を抱く男が、モンスターの中にあったプロジェクト・ジリアンの検体とリユニオンしたということは、魂は違えど、形作る物は同じだとも云える。
何のことはない、同じものに犯されているのかと、少し嫌な気持ちになった。
それでも、グローブを外し腰を掴み操る指も、クラウドの身体へ埋められた楔も、先程のモンスターとは違って酷く熱い。堅い先端が狂う場所を抉り、立て続け返しに煽られて、全身を稲妻が駆け巡る。身体の奥に炎が灯る。
「あ」
漏れ出た声を塞ごうと、壁に縋る己の指に噛みつく。
「どうした」
殆ど裸に近い背中を、セフィロスの髪が雨のようにくすぐった。
「化け物の方が良かったか?」
「あんたも、化け物、だろ」
「それは否定できんな」
低く漏れた笑い声に耳朶を嬲られて、背筋が震える。
背後から伸びた指先が、腹の中心から胸へと這い、乳輪の色の変わる際を執拗に撫でる。段差を玩ぶように小さな乳首を摘んでは放し、千切れる強さで擦り上げた。
微かな痛みさえ覚えながら、赤く腫れた場所が一層敏感になる。指の先から足の先、髪の一本一本の先まで、神経が剥き出しになったように感じていることを知られるのは、知能の低い化け物に陵侮されるよりも癪だった。
「身体中、管に拘束されて、醜い生殖器を挿入されて、それでも感じたか」
「どこから、見てたんだ、暇人め!」
唸るように罵ると、突然動く速度を変えられて、クラウドは壁に爪を立てて目を瞑った。屈辱ながらセフィロスの愛撫と動きは、クラウドの性癖を誰よりも知っていて、抗いようがない。目の前に迫った絶頂を容易く越えてしまいそうになり、唇を噛みしめ、腰を掴む手の甲へ、せめてもの仕返しに爪を立てて耐えた。
「う、あ」
いつの間にか前を捕らえたセフィロスの指が、根元を掴んで引き留め、それからわざと強く揉みしだく。せっかく堪えた波が再び襲い掛かる。
「魔晄の流れに身を任せるのもいいが、確かにそろそろ飽いていた。余興にお前の姿を見るのはいい」
切羽詰まった声を上げ、愛撫する手にしがみつき、必死に止めた。
「まだ……まだ、いやだ。いきたくない」
冷え切っていたはずの肌は上気して、壁とセフィロスの腕に縋る指は火照り、こめかみから汗が滴る。肩越しに振り返った唇を塞がれ、唇と舌で無言の会話をしながら、何度も波に呷られる。
止めてほしいのか、早く終わりを迎えたいのか、自分自身が分からない。
クラウドは我を忘れて続きを強請る言葉を口にしたものの、陰茎が抜かれる直前の浅い場所を嫌味なほどゆっくり行き来され、焦れた腰が揺れた。
「良くしてやる。お前も楽しませろ、クラウド」
傲慢な言葉を囁きかける男の吐息は微かに上がり、確かな熱と陶酔が感じられた。
甘美な快感を分け合っている事実に逆らわず、素直に頷く。
すぐに望むものは与えられ、唾液に濡れた唇を震わせて、幾度も男の名を呼んだ。
「いい子だ」
クラウドを操る呪文の後、セフィロスは低く笑った。
*
「プロジェクト・ジリアンは、オレを生み出したプロジェクトとほぼ同時に進行していた、ホランダーの研究だ。ジェネシス、アンジールを生んだのがそれだ」
既に身繕いを終えた男は、ハンガーの端に残るコンテナの上へ腰を下ろしている。
クラウドは服の殆どが再生不能になっていたので、セフィロスが積み荷から漁ってきた毛布を身体に巻き付け、床の上に寝ころんでいた。
麻痺の毒がまだ身体に残っているような感覚もあり、しかも立て続けに乱暴され、正直ぼろぼろだと言っていい。油断すると眠ってしまいそうなくらい、身体が疲れきっている。
「ジェネシス、アンジール……口にするのも懐かしい名だな」
セフィロスを除けば一、二番と言っていいくらい有名なソルジャーだが、クラウドは殆ど接触のなかった二人だ。
「あんたの友達だったんだろ。二人とも」
「ジェノバ・プロジェクトも、プロジェクト・ジリアンも知らないころは、な。どちらもジェノバ細胞を利用した研究ではあったが、彼らの方は劣化する」
「劣化?」
セフィロスは肩越しに倒れたモンスターをちらと見下ろした。
「ジェノバプロジェクトとは比べるべくもない簡易な施術だけで、オリジナルと近いコピーを簡単に生み出す事が出来る。一方で、オリジナルが劣化していく。コピー側だけでなくオリジナルにもバグが増える。オリジナルの劣化を止める為には、バックアップとなるものが必要だったらしい」
デジタルデータと同じように考えていい、とセフィロスは注釈した上で、通路の端に倒れたままのモンスターの死骸を指さした。
「あれがお前を取り込み、喰おうとしたのはそのせいだ」
「……意味が分からない」
「プロジェクト・ジリアンで生み出された生物の劣化を止めるのは、ジェノバ自体ではなく、唯一、オレの細胞だけだ」
そしてクラウドへ指を動かした。
「現存するのは、つまりお前の中だけだ。クラウド」
返す言葉を失い、ただ見つめ返すクラウドの顔を見て、セフィロスは口元を笑みに歪めた。
「だから、もしもまたどこかでこういうものに出会っても、喰われるなよ。愛しいオレのインコンプリート」
「あんたは」
クラウドは床に手をついて半身を起こし、酷く落ち着いた様子の男を見上げた。
「あんたは今、そこの化け物の細胞をリユニオンして実体化してると言ったよな」
「ああ」
「あんたはセフィロスだけど、今オリジナルの細胞を持ってないのか?」
「だから言っただろう。時間がない、と。完全なリユニオンには母の身体か、オレの元の身体が必要だな。あいにくとどちらも手元にない」
要は今のままでは劣化するということだ。
見ている限り、まだ外見に変化はない。
「どのくらい、もつんだ?」
「さてな」
「劣化しない方法は……?」
クラウドはそう口にして、すぐに方法が自分にあるということに気付いて、下を向いた。
「お前の精液でも飲んでみればよかったか」
真面目な声で呟いた言葉を聞いて、クラウドは不覚にも真っ赤になり、セフィロスを見上げた。
「……そんなんで劣化しなくなるのかよ」
「わからない。ホランダーの研究の詳細は知らんが、試すのはやぶさかじゃないな」
「絶対やるな。絶対」
強い調子で言い放ったクラウドへ低い笑い声が降りかかる。
そして座っていたコンテナから立ち上がると、クラウドへ背を向けて、一歩足を進めた。
「では、行く。お前の前で劣化して朽ちるのは遠慮したいからな」
今すぐ行くのか、とは訊けなかった。
そして自分の身体を差し出す勇気は、クラウドにはなかった。今は大人しくしていても、セフィロスの本性はこれではない。彼はこの世界にとって、害を成す存在だった。
「心配するな。オレは自分が戻りたいと思えば、お前が止めようといつでも戻ってくる」
「こなくていい」
後ろ姿から目を反らし、モンスターの死骸の方へ顔を向ける。姿を見ていると酷く切ない気持ちになったからだ。
「身体が寂しくなったら、呼ぶといい」
「早く消えろ。変態め」
「傷つくことを言うな」
心地いい笑い混じりの言葉の後、一瞬で気配が消えた。
ハンガーの扉を開けて出ていった訳ではなく、かき消えた後にはなんの痕跡も残っていない。セフィロスが実体化した事実も、クラウドの見た幻だったような気すらした。
毛布にくるまったまま膝を抱える。
ふと己の胸元へ目をやって、そこに赤く残る愛撫の痕をみつけ、何だか涙が出そうになった。
いつもそうやって去って行くのは、セフィロスの方だった。だが今回、クラウドの前で消滅してみせなかったのは、男の配慮だったと気付いていた。
もしセフィロスが、あの幻に見たジェネシスのように劣化し、朽ちていく姿を目の前にしたら、クラウドは平静ではいられないだろう。本当に今度こそ自分の身体を差し出したかもしれない。
大空洞のセフィロスへ黒マテリアを届けたときも、一年前にセフィロスが復活したときも、そして今日も、クラウドとのリユニオンを望んでいないのは、誰よりセフィロスだという気がしていた。
顔を振って立ち上がり、訪れた時と同じように静まりかえったハンガーを見渡す。
毛布を身体へ巻き付け直し、失ったままの剣を探しに、クラウドも足を踏み出した。
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