古の都市に眠る |
眼下に広がる平野部は薄く霧を纏い、ミスリル坑道を多く抱える山脈から一望することが出来た。
かつての繁栄の遺物を潜ませていた森は消え、今は近代的な都市の一部を覗かせている。その都市は、昔のそれよりもひと廻り小さい規模だ。上空からはきっと大小の円が二重に重なり、まるでこの東大陸の眼のように見えることだろう。
近年の街や国の急発展は、新しいエネルギー開発に伴うものだった。
数百年前の『メテオ』と未だに語り継がれる災害以降、魔晄エネルギーに変わる新たな資源は長年発見されず、大衆の文明は停滞、いやむしろ後退の一途を辿ってきた。
それがここ四十年ほどの間に急発展を遂げたのは、地下に眠る大量の天然ガスの発見のせいである。これまで主なエネルギーとされていた原油と違い、精製や加工の必要も殆どなく、噴き出すそれを備蓄する設備さえ整えれば、小さな規模でも使用が可能となる。今このガイア上の都市の期待を一身に背負っていると言っていい。
おかげでちょっとした大きさの街であれば、ガスを蓄える巨大なタンクを目にするようになった。
小さいものでも高さと直径が20メートルに及ぶそのモニュメントは、石や煉瓦、木材で組まれた歴史のある町並みには非常に不似合いだった。
その根元にそのガスを燃料とする発電設備、そこから各々の住居や工場などへ電気が供給されている。球体のタンクの根元から管を伸ばすその様子は、医療器具を取り付けられた瀕死の人間の頭部のようで、不気味極まりない。
だが不思議なことに、それを見て眉を顰める者はいない。急発展を遂げる人々の顔には希望しかない。
十数年が経ち高層建築が乱立するに至って、この街と、今は亡き大都市とのあらゆる符合をクラウドは感じ取っていた。
長い時間風雨に晒され、遺跡と呼ばれるようになっていた都市は、つい数十年前まで存在していたというのに。
だが、同時に懐かしくも思う。
大きな志だけを胸に、片田舎の村から一人長旅の後に辿り着いた夢の都市を目にした自分を。ここで幼いクラウドを待ち受けた巨大な組織と、その頂点に限りなく近くあった男の存在を。
数百年のちに、まさかこの地に再び大都市が構築され、そこに自分がその男と共に足を踏み入れるなど、想像できようのないことだった。
「懐かしいね」
思わず口に出した言葉を、隣に立つ男は立ち尽くしたまま聞いている。
彼にとっても、いい思い出ばかりではない場所のはずだった。むしろ忘れ去りたい事の方が多いかもしれない。
「忌まわしさを感じるオレは、おかしいだろうか」
「でも、あんたに初めて出会った場所だよ」
見上げる端正な顔は、当時よりずっとクラウドに近い場所にある。
「それに神羅がなかったら、あんたもいなかった。オレは今だからこそ、感謝してるよ」
呟きながら見下ろした新都市は、あのミッドガルのピザと同じ放射状に広がっている。
中央に経済の主要となる企業や住居の高層建築、そこから放射状に伸びる幹線道路、それを環状に繋ぐハイウェイ、外郭に沿って立ち並ぶ球状のタンク、何から何まであの都市と似通っている。
違うところと言えば上下に隔てる階層がなく、地を這う町並みの所々には公園や小さな林があることぐらいだろう。
「クラウド」
視線を移した先に、あの頃と全く変わらない男が見下ろしていた。
本当に変わらない。恐らくクラウド自身も実際に過ごした年月を思えば全く。
腕を上げ、風に揺れる長い髪を一房掴み、その手触りを楽しむ。昔から変わらないクラウドのその癖は、彼を愛しく思い、慰めたいと思う時自然と出る行動だった。
「たまには都市での生活もいいと思うんだ」
「何をしたい」
「そうだな。適当なアパートかなんかに住んで…そうだ、なんでも屋やろうか」
「…なんでも屋?」
「ああ。『なんでも請け負います』ってことさ。…ザックスが、やりたいって云ってたんだ」
懐かしい名前を口にして、以前は後悔ばかりだったそれに、酷く優しい気分を抱くようになっていたことに気付く。
「そうか」
隣の男の笑みも穏やかだった。
「行こう、セフィロス。まず住むトコ探さないとな」
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ミッドガル崩壊から数百年ぶりに建造された同規模の大都市は、その名もネオミッドガルという。
建設が始まってから二十年ほどで急成長し、その影響は周辺の町にも及び、産業や経済の仕組みまでも変えつつある。
幸い二人には、急変した社会でも生活に困ることがないほどの貯蓄があった。狩りをするような生活でも、今は貴重なマテリアを育てて売り払うと、驚くほど高額で取引できるのである。それに拾い集めた金やミスリルなどの高価な鉱物も馬鹿にならない。使う目的もないので自然と貯め込むことになり、総額を人に見せればちょっとした億万長者と呼ばれることになるだろう。
いきなり外部から来た人間に住居を貸すというのは、少々無用心な気もするのだが、続々と他の地域から移住者が入り込むこの時期、どこもそんなものなのかもしれない。それも金払いのいい客だと踏んだのか、賃貸物件を扱う壱番街の不動産屋の男は二人に上級の部屋ばかりを紹介する。
「どう思う?」
決定権を最初から放棄していたセフィロスは、店舗の壁に貼り出された物件の間取り図や、店内に置かれた街のガイドブックなどを物珍しく眺めているだけで、熱心に説明する従業員を一人で相手にしているクラウドに協力的とは到底云えない。
だがクラウドとてこういう事に慣れている訳ではないのだ。
本能だけで襲い掛かってくるモンスターならいざ知らず、相手は近代都市のサラリーマンである。仕立ていいのスーツに、きちんとセットされた髪。若々しい笑顔は人好きのする感じで、この街で生まれ郊外に出たことなどないと、その面が豪語している。
「場所が零番街と決まっているならば、悩むことはないだろう」
「その零番街って言ったって、広いんだから。あんたもちゃんと見てよ」
端から見ればセフィロスの方が兄、もしくは保護者と見えるだろう二人だが、会話を聞けば主導権はクラウドにあることは分かる。それを察した店員は、いかにも興味なさげなセフィロスを放置し、さらにクラウドへあれこれアドバイスを始めた。
「零番街はあまり治安がいいとは云えませんが、環状3号線より中央寄りの方が、商業地区として栄えていますよ。商店や住居も多いですし、住みやすくてお勧めです」
「いや、別に治安はどうでもいいんだ。商売するつもりだから、どこへでも出かけやすいところの方がいいけど」
「でしたらやはり三号線より内側ですね」
彼が指し示した地図にクラウドも視線を落とす。
このネオミッドガルは中央機関と大企業のビルなどが並ぶ中央地区を中心に、それを囲む形で環状1号線、その外側に2号線という風に同心円の主要環状道路がある。都市の一番外側を囲む6号線まで、全て高架道路である。
また放射状に伸びる幹線道路に仕切られて、ミッドガルと同じピザ状に分けられていた。零番街から六番街まで存在するというが、数こそ違うものの、その名称までミッドガルと同じだった。
「街の名前は、この地域にあった大昔の街から取ったらしいんです。ここの周辺は昔彗星が落ちそうになったという場所でしてね、大きな町がそれで崩壊したというんですが」
どうりで似ているはずだとクラウドは思う。
「この環状4号線より外側…つまり5番6番地区は、殆ど工場地区なんですよ。騒音などがあって、あまり環境がいいとは云えないですし、住宅も殆どありません。環状4号線の内側…4番地区ですね。ここから内側から住宅が増えます。4番地区は工場労働者などが多くて、3番地区より内側は企業に勤めるサラリーマンなどが多いんです。ご商売なさるんでしたら、やはり3号線より内側、3番地区をお勧めしますよ」
「じゃあ、その3番地区で探そうか」
「ええ、比較的家賃もお得ですし絶対お勧めです。ご商売というのはどんなことで? 店舗がご入用でしたら、違う物件を出しましょうか?」
「いや、連絡事務所として使うだけだからいいんだ。普通のアパートで」
たたみ掛けるように説明する店員に、クラウドは戸惑いながらも要望を伝える。その様子を腕を組んで見守るだけの男へ、クラウドは再び文句を言い出した。
「セフィロス! あんたもちゃんと話に入れって!」
「場所はどこでもいい。オレはどちらかというと家具に拘りたいんでな」
セフィロスの言葉を聞いてクラウドが思い出したのは、軍時代の彼の住居だった。
かつてのミッドガルの壱番街は高級住宅地で、神羅の上層部の機関やそこに勤める一部の人間しか住むことが出来なかった。軍のトップだった『髭達磨』を除けば、セフィロスこそが実質の軍部の頂点、その住居が立派だったのは言うまでもない。
仕事で余り自宅にいることもなかったセフィロスが、書斎のデスクと寝台にだけは拘っていたのを、クラウドも覚えている。
「家具もお求めでしたら、いい店を紹介しますよ」
セールスマンの話術は巧みだが、とにかく家具を入れる部屋を決めないことには、話が始まらないのだ。
「分かったよ。オレの一存で決めていいんだな」
「ああ」
クラウドは積み上げられた部屋の見取り図の中から数枚を抜き出し、セールスマンへ突き出した。
「案内してくれ」
セールスマンは目を見開いてクラウドを見た。
日々あらゆる人種と種族が流れ込む町で、余所者を迎え入れる仕事をしている彼にも、この二人は珍客であったことは間違いない。
まだ成人したてのようで生活感のない青年が保護者で、若く逞しいが恐らく三十は越えているだろう男が被護者とは。
それも二人の容姿のなんと目立つこと。青年は眩しいくらいの金髪をパンクロッカーかというように立て、男はにび銀の長髪である。共に面は整っており、彼らが商売するならその姿だけでもさぞかし客がつくことだろう。
物件まで案内する車の中で、彼は二人の動向を観察し続けたが、結局二人のIDを確認するまでその関係を察することはできなかった。
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ネオミッドガルに来て、零番街3番地区に住居を構え、ひと月ほど経った。
だが、長い間世俗から離れて暮していたふたりにとって、都市の生活は思ったよりも驚きの連続だった。
現政府が発行しているIDカードでは、クラウドもセフィロスも共にコスモエリア出身の二十五歳と三十歳の血縁ということになっている。十年近く前にナナキの手回しで手に入れてもらったもので、それ以降書き換えてはいない。
三十代のいい大人が、余りに世間を知らな過ぎるのは人々の目に奇異に映る。自覚はあったので、このひと月の殆どは都市生活に慣れるためにあえて人ごみへ出かけて行った。
数世紀前とはいえ、元々ミッドガルという大都市に生活していた彼らは、いざ中に入ってみれば確実に新たな都市生活に慣れていった。
二人の住むアパートメントは中廊下に二戸ずつの5階建ての4階、少し広めのリビングダイニングに小さな寝室が二つ、バスルームとキッチンというこじんまりとしたものだ。部屋の数こそ大昔セフィロスが零番街で住んでいたマンションと大した変わりないが、専有面積は半分くらいだろう。最も自分たちで家事をして暮らすにはこれくらいで十分だった。
アパートメントの目の前の通りを五十メートルほど行くと、零番街で一番大きな通り、それを百メートルも上れば繁華街に出る。
そのデパート街や商店街に出歩き、街の人間と同じように買い物をし、カフェで食事を取る。
これまでにそういった生活をまともにしたことがないクラウドには、なかなか楽しい体験ではあった。
「なんか、デートしてるみたいだ」
大通りに面した流行のカフェのオープンテラスで、洒落た飾りつけのランチを食べながらクラウドは溜息まじりに呟く。値段のわりに量が少なめなのは、洒落た内に入るのだろうか。
セフィロスは気にした風もなく、普段どおりに優雅に食事を終え、先程馴染みになりつつある老婆の経営するミルクバーで買った新聞を広げている。
「デート?」
「だって、芝居や映画見たり、買い物したり、こんなシャレたトコで食事したりさ」
「経験がないのか?」
「神羅兵だったころはそんな時間なかったし、出かけてもザックスなんかと一緒だったから、こういうのはなかったなあ。あんたとはこんなとこ来なかったし」
実際、神羅時代に二人が任務を離れて付き合ったのは、半年ほどの期間だった。二、三度町に出掛けたこともあったが、もう記憶の彼方である。
「では堪能するといい」
セフィロスは広げた新聞に視線を落としたまま、ランチについていたデザートの皿をクラウドの方へ無言で押しやる。デザートはカラメルのかかったプディングだった。
ありがたく頂きながら、クラウドはその新聞の裏面に目を止めた。
新聞の半面を使った広告欄には新しいバイクの写真と、購買意欲をそそるコピーが踊っている。
セフィロスはじっと見つめる青年の様子に気付いて、新聞を裏返した。
「なんだ?」
クラウドはスプーンを口にくわえたまま、セフィロスの手から新聞を奪い取り、再び見入った。
「デイトナだ。完全復刻モデルだってさ」
広げたそれをテーブルに置いて、黙々とデザートを口に運びつつ、視線は外さない。
かつて神羅が発売したハーディ・デイトナ、1200ccの巨大排気量を持つ大型バイクだ。
神羅時代に一度、セフィロスの後ろに乗った経験があった。それにセフィロスを追う旅に出た時、神羅ビルから逃げ出すために、展示されていたそれを奪って乗ったこともある。それ以降もクラウドの移動手段の殆どは、バイクかチョコボのどちらかだった。
気に入ったおもちゃを見つけた少年のような、きらきらと輝くクラウドの目に、男は口元を綻ばせる。
「買えばいい」
「高いよ」
「それくらいの金はあるだろう」
「生活費だし…あ、神羅の名前が出てる。サイテー企業だったけど、これだけは傑作だよなあ」
「金などまた稼げばいい」
「いいの? 買うよ、ホントに」
「乗りたいんだろう」
こくこくと頷く仕草もまるで子供のそれだ。
「稼ぐよ。買ったら、昔と逆で、オレがあんたを後ろに乗せる」
「…いい」
「なんで? タンデムがイヤなのか?」
「オレはお前に乗るからいい」
なんでもない事を口にするように言って、セフィロスはコーヒーを飲んでいる。
瞬時に赤面したクラウドは新聞に見入る振りをして俯いた。
「正直に照れるな。こっちまで恥ずかしくなる」
「馬鹿。あんたが言ったんだろ」
「今更照れるようなことか」
「いつまでも初々しくていいだろ」
「自分で言うな」
そんな言い合いは、今も昔も変わらない。
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都市の機能は現代的になったが、相変わらず街の周囲には時折モンスターが出没するし、人が集まる場所には強盗や殺人者もいるものだ。恐らく用心棒などの職にはありつけるだろうとクラウドは思っていた。
だが看板すら出していない『なんでも屋』に仕事がくる訳はなかった。
気休めに手書きのビラなどを作って、世話になった不動産屋と、ここひと月で常連になった近所のミルクバーやドラッグストア、カフェなどに貼っては貰っているが、まだ依頼は来ない。
先程帰宅途中のバイクショップで、早速新車の注文を出してきたクラウドだったが、『その分倍稼ぐ』と豪語したものの、取り付けた電話は鳴った試しがなく、
「こんなことばっかりしてると、駄目になりそう」
呟いたクラウドの声は、それでも心なしか弾んでいる。
久々に物欲をそそられるものに出会い、更に購入までしたものだから、クラウドは果てしなく機嫌が良かった。
照れる顔を見て欲情した、と帰宅するなり襲いかかってきたセフィロスを、逆にクラウドが押し倒しかえして、今はベッドの上である。
「そう云う割には乗り気だな」
からかう声と一緒に、クラウドの腿の内側に暖かい吐息がかかる。
それに背筋を震わせたクラウドはシャツの前をはだけ、パンツを片足だけ抜いた格好で、同じような姿のセフィロスの胸に跨り、彼の股間へ顔を寄せている状態である。
既に熱く重みのある幹を掴んで、舌触りのいい先端に唇を戯れさせ、クラウドは軽い興奮と淫らな気分を楽しんでいた。
動きを真似られれば数段巧みな愛撫に声が漏れ、クラウドは唇を離す。糸をひく唾液がブラインドの隙間から漏れる陽に光った。
「ライダーの方が鳴くのか」
「マシンは、ライダーに、悪戯したりしない」
「だが乗りこなすには技術がいる」
滑る暖かいものが尻の間まで入り込み、あられもない声を上げさせられて、クラウドは『マシン』の制御を放棄した。
「ゲームオーバーだな」
マシンがライダーに乗るなどあってたまるか、と不本意に掠れる声で文句をいいながら、体勢を入れ替えられ足が宙に浮く。それを長い指が撫で擦り、指の後を唇が辿る。
「あんたの番…」
「では、マシンらしくいい音で鳴け」
さほど慣らされていない部分へ少々強引にジェルを塗られ、押し込められる。ちりちりと焼け付く痛みも、内臓を抉られる苦しさも最初の一瞬だけで、内部を隙間なく満たされる感覚にクラウドは小さく歓喜の悲鳴を上げた。
甘美な感触は脊椎を伝って脳を侵し、正常な思考を奪い取る。囁かれるふざけた言葉遊びのせいで、まるで本当に彼の愛機になったような気さえした。
「まずはファースト…腕慣らしだな」
唇を撫でた指が乳首へ降り、そこを押しつぶすように刺激を与える。唾液で湿った指が這うだけでクラウドの息が乱れた。セフィロスは薄く笑みを浮かべて、クラウドを見下ろしていた。
緩やかなそれがもどかしく、自分を貫く男の腰に腕をまわし、引き寄せる。身体の中から擦れる音が響いて溜まらず腰を蠢かした。
「じゃじゃ馬なマシンだ」
ではトップに、と前置きして、浮いた足を肩に掛けさせ、いきなり数度奥に突き上げてきた。
内腑がセフィロスの動きに引きずられる。中へ外へと繰り返し、その度に無意識に引きとめようとクラウドの身体の奥が収縮する。
背骨に、頭蓋に響く強い衝撃が何度も与えられ、内側から性器を鍛える場所が擦りあげられ、同時に前を握り込まれ、自分でも悲痛だと思える声が抑えようもなく溢れた。
何度も高く上がった声を押さえるために、クラウドは片手で口を塞ぐが、セフィロスはすぐにそれを払いのける。
「マフラーは外せ」
「ばか」
つい笑いが洩れ、クラウドは身体を震わせてセフィロスの首へ両腕を回し、強く抱き寄せた。
「さっきから、もう。笑わせるなよ」
「余裕があるな」
薄く汗の浮いた額の髪をかき上げて、そのまま頭を押さえてゆっくり動き出す男を、細めた目で愛しげに見つめた。セフィロスが選んだ新しいベッドは軋む音も立てず、眠りへ誘うように静かに揺れる。見下ろす男の美しい瞳に、自分の姿が映っている。
ありきたりなと思いながらも、クラウドは幸せだった。
互いに何も変わらないことを苦痛に感じ、逃れたい衝動を覚えた事もあったが、それにも慣れて諦めてしまえば、互いがあることだけが支えだった。
この土地で昔出逢った時に出来た繋がりは、今や分かち難い強固なものとなっていた。
身体を繋げた時それが確認できる。
他にも知る方法はあるが、最も容易に、快感を伴って行うにはこれが一番だとクラウドはいつも思う。
「セフィロス。それ、もっと」
強請る仕草に薄く笑みを上らせた男が、その望みを叶えるべく、クラウドの足を抱え直した時のことである。
まだ一度も鳴ったことの無い電話のベルが無粋な音を立てた。
瞬時に揃って顔を上げ、同じタイミングでそれを見合わせた。
「仕事か」
「…出るなよ。放っておけば、また、掛かってくるから」
クラウドの抗議にセフィロスは口角を意地悪い笑みに更に歪ませ、圧し掛かった姿勢のまま、長い腕を伸ばし、サイドボードに乗った電話の受話器を取った。
「…ああ、待ってくれ」
冷静な顔で受け答えするセフィロスに対してクラウドはしっかり息を荒げ、差し込まれるものに、自らの身体の制御を明渡してしまっている。
だからこそ受話器を自分の耳に押し当てられた時、混乱する思考ではその意図を理解することはできなかった。ただ反射的に受話器を受け取っていた。
「え?」
『ああ、クラウドさんですか? 壱番街不動産のサイトウですが』
その名と声には覚えがあった。このアパートを管理する不動産屋の、クラウドたちの担当になった店員だ。
荒い息を整えようと、必死に理性を呼び起こしたクラウドは、受話器から流れ出る声に眉を寄せた。
『あのお預かりした張り紙を見て、仕事を頼みたいって方がいるんですがね』
「うわ!」
クラウドの上げた声は、電話の向こうの男への応えではなかった。
見惚れるような笑みを浮かべたまま、圧し掛かる男の動きによるもので。
「セフィロス!」
再び抗議を無視して、男は容赦なく腰を進めて来た。
『ご紹介しようと思ってお電話したんですが…クラウドさん?』
怒りと快感に頭へ血が上り、顔を真っ赤にしたクラウドは空いた手でセフィロスの胸を押し退けようと試みたが、厚いそれはびくともしない。
『そちらに直接伺いたいとおっしゃるので、住所をお教えしてもよろしいでしょうか』
「ああ、構わない…や、セフィロス、邪魔するなって!」
『クラウドさん?』
「ご、ごめん。ちょっと取り込み中で…住所、教えてもらっていいから。ありがとう」
『了解しました』
息も絶え絶えでなんとか言葉を発し通話が切れたことを確認してから、クラウドは電話機に戻す余裕もなく、握った受話器を取り落とした。
動き続ける男を睨みつけても、いきなり掘り起こされた強い刺激に力が抜けるどころか、目さえ開けていられない。
「ば、か」
抗うクラウドを押さえつけて、一方的に動く男はもう何も言い返さず、ただ青年と快楽を分かち合うことに専念している。
せり上がる感覚に怒りも、初の依頼が来た喜びも思考から消えた。後は只、熱く満ちた足りた空間へ身を投げ出す誘惑に全てを委ねるだけだ。
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男の生理は不思議なもので、どんなに熱烈なまさぐりあいの後でも自然と身体を離したくなる。多分離れることで、至近にいる時との区別をつけているのだろうとクラウドはいつからか思うようになった。
いつまでも身体を寄せ合っていると、セフィロスは際限がない。一二度抱かれただけでくたびれるほどクラウドも軟ではないが、やり過ぎれば飽きるだろうと言って彼を押し退ける。もうそれを何百回と続けている訳だ。
シャワーを浴びて、これから訪れるという初の依頼人を迎える準備を整えた。
セフィロスはいつも薄手のシャツとパンツという姿で、ネクタイでも締めればそれなりに社会人にも見えなくない。
散々街を歩いて数年ぶりの買い物もしたが、クラウドは自分の買物には熱心になれず、セフィロスが選んだダークスーツが一揃いある以外はごくカジュアルな服しか持っていない。
それをあまり気にするでもなくTシャツにジーンズで部屋から出てくると、セフィロスはその姿を見て、何か言いたそうな顔をした。
「何?」
「その格好で客を迎えるのか?」
「そうだけど、なんか問題アリ?」
「…いやいい」
「なんだよ。Tシャツジーパンがあんまりだってことか。昨今レストランだってそうだろ。場合によっちゃ、あんたが社長でオレがアシスタントってことにすれば、問題ないだろ?」
つまりクラウドが実質のリーダーだということだ。
言い出しっぺの方が偉いんだ、とクラウドは小さく付け足した。
「そうだな」
その回答に、クラウドは彼はまだ不満があるのだと気付く。
「はっきりしないなあ」
「お前はどうせ言っても聞かないんだ。自ら身をもって知る方が効果的だろう」
「いつも遠まわしなんだ。あんたは」
クラウドはやり返し、言い合いが喧嘩に発展しそうな気配になったとき、玄関のチャイムが鳴った。
ここに住むようになって一ヶ月、初めて自分の家のチャイムの音を聞いたと思いつつ、玄関の扉を開けた。
くすんだ絨毯張りの内廊下、二人の部屋の扉の正面にエレベータ―がある。
それを背景に立っていた客は、スーツ姿の四十代くらいの男だった。
血の気が失せ、顔色が悪い。落ち窪んだ目が怯えるようにきょろきょろと動いている。
「はい」
クラウドが扉を開け声を掛けると、男はクラウドを見て、瞬時に顔を赤くした。
顔色が悪いという第一印象が、なぜこう途端に変わるのか不審に思っていると、
「あ、あの、なんでも屋さんってこちらですよね」
「そうです」
「先程零番街不動産のサイトウさんの紹介を受けました者です。ストライフさんはいらっしゃいますか?」
無論なんでも屋の張り紙に顔写真を載せている訳ではない。
だがクラウド見て本人だと気付かないとなると、一体どんな想像をしていたのだろうか。
「オレです。サイトウさんから連絡は入ってますから、どうぞ」
「え、で、でも、ストライフさんって男性ですよね」
「ええ、見てのとおりです」
クラウドが答えたと同時に、男は硬直した。
「だ、男性なんですか!?」
男の疑問をようやく理解したクラウドは、肯定するより先に不機嫌も露わに眉を寄せた。
つまり、クラウドを女と間違えていたということだ。
自分のどこに女のような柔らかな乳房やなだらかな腰があるというのか。胸倉を掴んで問い質したくなるのをかろうじて抑えたのは、単に彼が初仕事の依頼人だったからだ。
「何をしている」
クラウドの背後から覗き込んだ男の声に、クラウドは湧き上がった怒りから我に返って、客を中に招き入れた。
男は恐縮しながらクラウドに詫び、すぐにもう一人の男に気付いて、今度はあんぐりと口をあけた。
セフィロスはセフィロスの方で、まったくもって正体不明な容貌だ。彼に自覚はないだろうが、二メートル近い長身も、腰より長い髪も人離れした美貌も、怪しまれてしかるべきなのである。
元々気弱そうな男は、自分が客であることも忘れて、ぺこぺこと事あるごとに頭を下げながら、漸く客間のソファにその低い腰を下ろした。
「じゃ、早速用件を」
「はあ…」
そうは答えたものの、もじもじと落ち着かなげな男はなかなか内容を話さない。
セフィロスがサーバーからコーヒーを注ぎ、差し出すと、漸く口を開いた。
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「申し遅れました。わたし、壱番街五番地区で工場を経営しておりますジョアン・フェイと申します」
男は再び、自分の膝に額がつくほど深々と頭を下げた。
やつれた風貌と頭頂部の髪が薄いことから四十代と思ったが、実はかなり若いのかもしれないとクラウドは思い直した。
スーツの仕立ては悪くない。プレスの甘いYシャツが独り身であることを物語っている。それとも嫁に逃げられたのか。勝手な憶測をめぐらせているクラウドをよそに、男は真剣な眼差しで続けた。
「実は、その工場で最近妙なことが起きてまして。全く原因がわからないので始末に困っていたのですが、サイトウさんに話したところ、こちらであれば何とかしてくれるのではないかと申されまして…」
「それは内容にもよりますが」
「ええ。私もどこへ相談すればいいのか、よく分からなくなってまして」
フェイという男が話し出した事情はこうだ。
彼は壱番街の工業区域でプレスの商売をしている。精密部品の金型から製作して、部品を製造、それをもっと大きな工場に納めるまでを請け負う小規模の会社らしい。
親の代から受け継いだというその工場は、小さいながらも順調だった。
それがおかしくなり始めたのは、ほんのひと月ほど前だという。丁度クラウドたちがネオミッドガルに住み始めた頃のことだ。
「出る…というとおかしいですが、出るんです」
出る、という言葉は普通害虫や幽霊など、忌み嫌われる物に用いられる。
まさかシロアリ退治でも依頼するつもりなのかと疑ったが、蒼白な顔はふざけているようには見えなかった。
「まず深夜に工場が揺れたんです。地震かと思ったらニュースにはならない。どうもうちの工場周辺だけが揺れてたようなんです」
どれくらいの揺れかというと、金型を削るための機械…これは一トン近い重さの巨大なもの、それが横倒しになるほどだったという。
「それから数日経って、今度は残業していたうちの社員が襲われました」
「襲われたって…?」
「正体なんか分かりません。作業をしていた社員の背後から、まるで太い丸太に殴られたような衝撃だったそうです。十日も入院して、漸く戻ってきたところです」
「強盗や変質者じゃなく?」
その問いにフェイは神妙に頷いた。
「工場の周辺はけっして治安がいい方ではありませんが、だからこそ夜の作業中は内側から鍵を掛けるんです。気を失っていた社員を見つけたのは、私が翌朝出社して、自分の鍵で扉を開けてからなんです。他の窓や出入口も同じように閉まってまして、不審な足跡とかもありませんでした」
「なんか…推理小説みたいだな…」
感想を呟いたクラウドへフェイは苦笑を浮かべた。
「ええ、まったく。ですがそれから立て続けに無人の工場の機械が故障したり、正直仕事を続けられる状態じゃないんです」
大会社から小さな仕事を請け負っているからには、納期がある。納期を守れなければ違約金を請求されることもあるし、次の仕事にも影響が出るだろう。
フェイという男がすっかり消沈した様子で現れたのも無理はない。
「それで、オレたちにどうして欲しいんです? 警察には通報してるんだよね」
「もちろんですが…全く手がかりも掴めなくて、この調子じゃ警察がなんとかしてくれる前に工場が保てなくなります。一刻も早くこの怪現象を止める手立てがあれば、それを最優先に。それに原因究明と、人間が関わっているものであれば犯人を捕まえるのが理想です」
人間が原因ならばクラウドたちにも何とか解決できるだろう。
だが幽霊は範疇外だ。それとも昨今の幽霊はモンスターの内に入るのか。
「現場を見ることが先決だろう」
無意識に考え込んでいたクラウドの肩に手を掛けて、セフィロスが言った。
「まず工場へ行って、依頼を受けるかどうかはそれからだな」
ソファから立ち上がったセフィロスをクラウドとフェイは仰向いて見上げる。
大きな身体に、この時ばかりは頼もしさを感じたのか、老けた工場長は安堵したように表情を和らげ、全身の力を抜いたのが傍目にも分かった。
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フェイの運転する車で、三人は壱番街五番地区まで向かった。
ネオミッドガルの一番外側にある工場地帯は、大きな煙突や倉庫が立ち並ぶ、産業の要となる地域である。クラウドたちの住む地域に比べると、目的も様相も一変して、無骨な建物と人間が猥雑としていた。
クラウドはかつてのミッドガルを思わせるその様子を、今更ながら目を細めて車窓から覗き見ていた。嫌な思い出も多いはずなのに、懐かしい。
先頭部分の細い魔晄炉と異なり、丸い彗星のような形をしたガスタンクに変わってはいるが、すすけた街の雰囲気は良く似ている。通りは広く、両脇に立ち並ぶ工場や倉庫から、運搬用のトラックが頻繁に出入りしていた。
五番地区に入ってほどなくして、車は周囲に比べるとややこじんまりとした工場の門を潜った。一帯は思ったよりも閑散としており、隣の敷地までは百メートルほど離れている。
コンクリートの門柱に鉄格子の門扉を抜けると、正面は拓けていて、トラックや従業員のものだろう自家用車やバイクが駐車してある。そのちょっとした広場は固めた土が剥き出しのまま舗装されていない。
「古い工場でお恥ずかしいですが、父から受け継いだままでして…」
フェイは苦笑を浮かべて建物に一番近い場所で車を止め、セフィロスとクラウドは後部座席から外に降り立った。
周囲に満ちた鉄の焼ける匂い。それに埃と油。恐らくフェイの工場だけでなく、周辺一帯にこの匂いは漂っているのだろう。
プレスの材料になる薄い鉄板がコイル状に巻かれたものや、製造過程で出来た鉄くずがコンテナに山と積まれ、広場を囲むように、それらの雑多なものが雑然と配置されていた。
物珍しげに眺めていたクラウドたちを促して、フェイは工場の建物の正面に向かった。
そして正面の扉を開けた途端、室内から何か黒いものが飛び出して来た。
咄嗟に身構えたクラウドは、その正体を確認して今度はこれ以上にないほど笑み崩れた。
黒いものは挨拶するようにフェイの足元を二度周り、そのまま一直線にクラウドに向かって走ってきた。
「犬だ。犬!」
黒い、短い毛の大型犬は躊躇なくクラウドの元へ寄り、クラウドが伸ばした手をべろべろと舐めた。膝を折ってしゃがみこめば、今度は遠慮なく身体に這い上がって来る。
「うわ! おまえ…かわいいなあ」
暖かい背や頭を撫で、首筋をくすぐってやると、黒い犬はより一層クラウドに擦り寄ってきた。垂れた大きな耳が喜びに緊張して、頭に張り付いている。
「僕の、妻が飼っていた犬なんです。妻が死んでから自宅に残すのは忍びなくて、いつも連れて出勤しているんですよ」
夢中になって犬を撫で回しながら、クラウドはやはりフェイが男やもめだという予想は当たったと思った。
「名前は?」
「ロビンです。頭はいいんですが、他人に懐かなかったのに…珍しいですよ」
「ロビン」
名を呼ぶと先の尖った立派な尻尾がより激しく振られた。振る、というより回転している。クラウドが声を立てて笑うと、ロビンは興奮しきってもう訳が分からないといった様子だ。
「さあ、ロビン。オレたちは用があるからね。後で遊ぼう」
立ち上がって待たせている二人の顔を見ると、フェイはそんな顔が出来たのかと驚くほど、やつれた顔に明るい笑みを浮かべていた。一方セフィロスは仏頂面に磨きが掛かっている。
どうぞ、と先を行くフェイに従いながら、クラウドは訝しくセフィロスを覗き込んだ。
「…なんだよ」
「メスか、オスか、どちらかと思ってな」
「うーん、男の子じゃないか? ロビンって男名だし」
セフィロスは小さく頷いた。
「そうか」
さっさと扉に向かうセフィロスの背をクラウドは呆れて眺めた。足元にはまだロビンがまとわりついて離れない。
「あんた…バカ? 犬に妬いてどうすんだよ」
セフィロスは答えなかった。
ロビンを見下ろせば、黒い艶艶とした目でクラウドを見上げている。
彼の目は『まったくだ』と言っているように見えなくもなかった。
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ロビンは漸く興奮が冷めて、今は扉の近くに大人しく伏せている。
工場の中は思ったよりも広く、建物の形そのままに奥に長い四角で、部屋のように区切る壁は一つもない。右手に上る階段があり、正面奥の壁に取ってつけたような二階部分が事務所になっていた。
「上からなら作業場がよく見えますから、二階へどうぞ」
作業場の中央を走る通路は幅二メートルほどで、両脇に様々な機械が並んでいる。所々に機械が抜けたようになっているのは、恐らく原因不明の何かに壊された場所だろう。
通路を行く間に作業中の従業員も幾人かおり、彼らは雇い主のフェイとクラウドたちに無言で頭を下げた。仕事にも熱心で真面目な様子はそれだけで分かったが、皆一様に表情に不安がある。仲間が怪我をしたというから、当たり前かもしれない。
通路は右手に折れ、右の壁に取り付けられた鉄製の階段を上る。
事務所はプレハブ構造の一室で、中には机と簡素な応接セット、端末や電話機などがあるだけだ。作業場側にはガラス窓がはまっており、一階の様子が殆ど全て見渡せるようになっていた。
セフィロスは階段を上って事務所に入るなり、そのガラス窓を開けて下を見下ろした。クラウドもその隣に並んで覗き込んだ。
整然と機器が並んでいる。建物の中の床も舗装がされておらず、乾いた土の地面が剥き出しだった。
「従業員は何名?」
「今日出て来ているのは4名です」
随分こじんまりとした工場には違いない。
フェイは指を差して旋盤機やプレス機の説明を始めた。どれもが初めて見るものばかりで、それを操る従業員が何をしているのか、説明されてやっとわかる始末である。
「あの隙間が倒されて壊れた旋盤機のあった場所です」
フェイの示した場所は、先程通ってきた通路からは外れた所に、そこだけ黒っぽい色の土をした、三メートル四方くらいの場所があった。
今は修理に出しているそうで、その機械はないらしい。
「人が動かせるようなものなのか?」
「いいえ。運び出す時も周りの物をどかして、半分解体して、運搬用のリフトで漸く移動させたんです」
「他に動いたものは?」
「振動で揺れる程度はしたようですが、倒れるなんて大事になったのは、その一機だけでした」
クラウドがフェイの説明を聞いている間に、セフィロスは無言で階段を戻って、階下に下りて行った。そしてぽかりと機械の抜けた場所までゆっくりと、周囲を見回しながら歩み寄り、そこにしゃがみこんで指先で土をかき回し始めた。
遠くから見ても、従業員たちと比べて彼が大柄なことがよく分かる。その長い髪も目立つ。
「散々警察が調べていったんですが、何も出ませんでした」
フェイの言葉にクラウドは考え込み、彼が最初に言ったように、人ならぬものの仕業かもしれないと疑いを持った。
クラウドがミッドガルに居た時分は、近代的な都市の中にも、モンスターや不思議な力を持つ存在が混在していた。普通の市民であろうと勿論それを排除する方法や、うまく近寄らない方法を知っていた。
だがひと月この町に住んでみて、クラウドやセフィロスが生まれた時代とは、大きな違いがあることに気付いた。
都市に住む者の殆どが、モンスターなど異世界の存在のように考えており、街中に出現したらニュースになるくらいだ。クラウドたちにとっては馴染みのそれらは、遠く離れた深い森や山間、深海や人里はなれた荒地に存在するものだった。実際は夜にでもなれば、それらは獣と同じようにごく当たり前に、ネオミッドガルの周囲にも出没するのだが。
地中に住むモンスターが、機械の下から出て来たとしたら、巨大な機器を倒すこともあるかもしれない。だが一方で、クラウドが知る限り、そんな巨大で地中から現れるモンスターは、この界隈には生息しないはずだ。
セフィロスは相変わらず地面に顔を近づけて、旋盤機のあった場所を検分している。
「クラウド」
突然セフィロスが顔を上げ、二階にいるクラウドを呼んだ。
普通の人間より遥かに優れたその知覚で、何か異変を感じ取ったのかもしれない。
クラウドは階段を下り、セフィロスの元に向かった。土の上に佇むセフィロスの表情は真剣だった。その違いをフェイは感じることは出来ないだろうが。
「ここだけ土が黒い」
セフィロスは前置きもなく話し始めた。
「うん。上から見ても色が違ったよ」
クラウドは彼と同じようにその場所に立ってみたが、地面自体は固いようだ。軽く足踏みしてみても、そこから何かが出てきて再びその穴に戻ったのなら、もう少し土が泡立って、柔らかくなっていてもいいように思える。
「サンドワームだったらもっと柔らかい地面じゃないと出て来ないよなあ」
モンスターでないとしたら、もっと高尚な魔法を使う亜人か。いずれにしても、この時代に暮す人々とは縁遠いには違いない。
「魔晄の匂いがする」
セフィロスの言葉にクラウドは、はっと身体を硬直させフェイを見やった。彼は少し離れた場所に立っており、こちらの会話を聞き取った様子はないが、余りこの街の人間の前でその話をするのは、よくないことのようにクラウドには思えてならない。
「あんまり迂闊なこと言うなよ、セフィロス」
「間違いない。隠しては真相究明にならないだろう」
真面目な顔で問答していた二人に、フェイは遠慮がちに近づいて来た。
「あの、何か分かりましたか」
「いや、分かるっていうか…」
クラウドが口ごもるのを抑えて、セフィロスは依頼人に向き直り、静かに告げた。
「貴方の言うとおり、これは自然災害でも、普通の犯罪者の仕業でもないと思う」
「まさか本当に幽霊、とか?」
無言で首を横に振り、セフィロスは苦い笑いを浮かべた。
「だがオレたちを頼ったのは、もしかすると正解だったかもしれないな」
その言葉を受諾と取ったのだろうフェイは、安堵したように笑って頭を下げた。
「魔晄の匂いって、ホント?」
セフィロスが工場で言った言葉は、今のこの平安な生活に慣れつつあるクラウドに、少なからず衝撃を与えていた。
魔晄という言葉そのものに、二人は過去の記憶を蘇らせざるをえない。ましてやここは、全ての発端になった神羅と最も因縁深い土地なのだ。
「ああ」
「オレには分からなかった」
「お前はあの時以来、魔晄を拒絶しないからな。分かり難いかもしれないが、確かに感じた。ほんの微かに」
「じゃ、やっぱサンドウォームじゃない?」
「砂地ならともかくな。それに実体のモンスターが這い出して来たなら地面に穴が残る」
クラウドは黙り込んでセフィロスの言葉を確認のように聞く。
自分から始めた商売でありながら、今更酷く不安になった。
「そんな顔をするな」
呟いて、セフィロスはクラウドの腰を引き寄せる。
「『厄災』すら退けたお前に勝てる者などない」
まだ陽も高い上に、駅からの道は人通りも多いというのに、躊躇なくクラウドの腰に腕を廻して歩いた。
恥ずかしいという気持ちは不思議となかったが、彼が自分に対して甘いことを、その言葉と行動に再確認することになった。
「あんたは勝てる」
こんなに愛してやまない者に、クラウドは勝てるはずがない。
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* * *
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この街にいるかぎり出番はないのでは、と思っていたソードとマテリアは、一般人から見れば物騒な物かもしれない。
夜間、無人の工場に張り込んでみようということになって、一旦自宅へ戻り、夜、戦闘装備を整えて工場に戻った二人をフェイは驚いた顔で迎えた。
クラウド達にしてみれば、装備を着けた方が安心できるくらい馴染みな姿だ。
クラウドは濃紺のノースリーブのセーターとパンツ、どちらも見るからに戦闘用だった。それに革製の脛丈の戦闘靴に、剣を背負う為のサスペンダー。セフィロスは昔と変わらず黒い革の戦闘服だった。何度か作り直しているものの、肩当やベルト、コートも昔と変わっていない。そして身の丈の刀である。剣も装備も使い込まれていることは一目瞭然だ。
ネオミッドガルにも流しの戦士は立ち寄るため、まったく見る機会に恵まれないとは思えないが、それでもそのまま旅に出てもおかしくないような本格的な戦闘員の姿は、この街で生まれ育ったフェイには珍しいらしい。
「お二人は、元々旅の戦士でいらっしゃる?」
「ここに来るまではずっと、あちこちを旅してたよ」
フェイが妙に恐る恐る問い掛けるのに、クラウドは笑みを浮かべて答えた。
戦闘服姿のセフィロスは、声をかけることさえ躊躇する気迫がある。それに比べればクラウドはいくらか柔和な印象を与えるだろう。
「すごい、気迫ですね、彼は」
フェイは幾分声を潜めて言ったが、恐らくセフィロス本人にも聞こえていたに違いない。
クラウドは苦笑を漏らしながら、フェイの視線を追うように連れの男を眺めた。
昼間、魔晄を感じたという問題の場所に立ち、再び地面を検分している彼は、フェイの発言には動じずにいる。
憎らしいことに、スーツも普段の洋服も文句なしに似合うが、それでもクラウドにはその姿が一番似合っていると思う。長い足を強調する長靴や、躍動感のある筋肉に覆われた胸から腹が露で、慣れてもつい見惚れることがある。同性として、理想の体格を持つ彼を羨ましいと感じることも以前はよくあった。
終業時間になり、帰宅していく従業員も皆、最初にセフィロスに、そしてクラウドにも視線を止め、彼らの雇い主と同じように口をあけたまま眺めていく。
だがセフィロスを『神羅の英雄』と結びつけて考える者は、これまでも居なかった。
例え、彼の横に『神羅の英雄』の写真を突き合わせて、例え似ていると思ったとしても本人とは思うまい。何せ『英雄』が存在したのは数世紀前のことである。
最初はそれだけ戦士が珍しいのかとクラウドは思ったのだが、多分驚きの半分は、かつての大都市では彼の顔や名は知らぬ者がいないほどに有名人だった、彼の存在感に驚いたに違いない。
事実、彼からは目を反らしにくい。平時でも全身から発される精神力の強さに緊張する。そしてひと度戦闘に突入すれば、肉体が放つ破壊力に畏怖すら感じる。
クラウドはそんな彼に、白状してしまえば欲情する。
彼の恐ろしい覇気にそんな感情を抱いていると知れば、隣に立つ依頼人はなんと言うだろうか。
「あの、クラウドさん」
よからぬ方向へ思考が流れていくのを止めるように、フェイがもじもじとクラウドを呼んだ。
「あの、私、最初あなたを女性と間違えてしまって…も、申し訳ありませんでした」
どうやらその謝罪の内容ゆえに、セフィロスが近くに居ない時を見計らっていたようだ。もしセフィロスには容易く聞こえていると知ったら、その紅潮した顔が今度は青くなるのだろうか。
「女に見えますか、オレ」
自嘲気味に笑って答えたクラウドに、フェイは一層縮こまった。
「いえ、あの、申し上げにくいんですが…」
「はい」
「死んだ妻に似ているんです、クラウドさんは」
「は?」
呆けた顔になったクラウドの前に、フェイは服の中にしまっていた古風な時計を取り出し、はねあげ式の蓋の裏を見せた。時計の作りとは対照的に、鮮明なカラー写真が小さな丸い形に填め込まれ、そこには色白の金髪の女性が笑っていた。
ショートカットの奔放にはねた髪型、小作りだが彫りのはっきりした顔立ち。青い目はクラウドのものより深海の色に近い。大きく数十歩くらい譲れば、確かに似ている、ともいえるかもしれない。
フェイに比べると随分歳若いように思える。どうして死別したのか理由が気になってはいたが、その若さなら、急病や事故での死だったのだろう。
「雰囲気が似ていたんですよ。そうやっていらっしゃると、今はどうして女性に見えたのか不思議なくらいなんですが、一瞬。多分、私が彼女の面影をずっと追いかけているからだと思うんです」
化粧やウィッグ、詰め物とドレスで女装をするならいざ知らず、どう考えても普段のクラウドが女に見えるとは思えない。だが、失った大事な女性に似ているというなら、納得できない理由ではない。
「オレも、昔好きだった女性と同じ茶の長い髪を見ると、期待するとき、あります」
「…そうですか」
「怒ってませんよ。安心してください」
少し感慨に浸る笑みを向けると、フェイは漸くほっとして苦笑した。
「本当にすいませんでした。でも、ロビンがクラウドさんに懐いたのも、多分その雰囲気のせいだと思うんです。犬って色がわからないといいますから、髪や瞳の色で判別している訳はないんですがね」
「それでロビンに懐かれたなら、感謝しなくちゃいけないな」
半ば本気でそう云い、話題の主であるロビンを見た。
邪魔にならないように、とフェイが少し遠ざけた通路の向こうで、真っ黒な顔に真っ黒な目をきらきらと輝かせて、ゆっくり尻尾を振りながらこちらを覗っている。
クラウドが笑いかけると、気配を察して尾を振る速度が上がった。
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フェイは自分の代わりにと、ロビンを残して自宅へ戻って行った。正体不明のものに職場や従業員を襲われて、本人が自覚する以上に心痛が重いことを思って、クラウドたちが追い返したのである。
広い、機器ばかりが並ぶ工場に、クラウド、セフィロス、ロビンの二人と一頭は、地面に座り込んで、来るとも知れないものを待ち続けていた。
深夜零時を回った。
時折他愛のない話などを交わしながら待ったが、こうも変化がないと暇を持て余してくる。ロビンに至っては既に地面の上に伏せて、安らかな眠りの中である。
「来ないなあ」
「来ないな」
鸚鵡返しに答えたセフィロスを強請る視線で見上げ、クラウドは横たわって彼の胡座の膝に頭を乗せた。否応もなしにされるがままの男を仰向いて覗えば、満更でもない様子だ。
「ひま」
「仕方あるまい」
「あんたはさ、何だと思う?」
「新種のモンスターか、それとも何か強大な力を操る人か、どちらにしても生き物の仕業だろう。これが自然現象とは思えない」
セフィロスは顔を上げて、目の前の問題の地面を見やる。動かない表情がどこか真剣だった。
「だよな。オレさ、思うんだけど」
「ああ」
「本能で動くようなモンスターなら、わざわざ証拠隠滅みたいなことしないだろ? あの整然とした地面、なんか、人の意思が動いているように思わないか?」
セフィロスは視線をクラウドへ下ろし、手探りで髪を撫でて来た。あまりそうされると眠くなるかと思いながら、柔らかな快感に負けて手を跳ね除けることは出来ない。
「そうだな。だが、実体がない可能性も高い」
「魔法やサイコキネシスだってことか?」
「魔晄の匂いがしたと言ったが、魔法ならばそんなことはないだろう。念で質量のあるものを動かせるような、オレたちの知らない生物が存在するのかもしれない」
「あはは。怖がらせるなよ」
「…怖いのか」
皮肉な笑顔で見下ろす男の髪を掴み、頭ごと引き寄せた。
「怖いって言っても信じないだろ」
「お前はモンスターより、作り物の化けもの屋敷の方が怖がるだろう」
降りた顔が近寄ってクラウドの唇を短く吸い取る。昼間したばかりだというのに、欲求は際限なく湧き上がる。
もしかしたら発情期なのかも、と独り言のように呟くと、声を立てて笑った男は、
「歓迎だ。」
そういって場所もわきまえず手をあらぬところへ這わせて来た。
「やめろよ…」
形ばかり抗ったが、止めるつもりで掴んだ手首を、そのままそこに押し留める。
仕事中である上に、様子の分からない敵を待ち伏せしている状況で、これは如何にもまずい。セックスはどうしても警戒心を失わせるから、静かに忍び寄られたら攻撃されるまで気付けないかもしれない。
甘美な感覚を噛み締めて、干上がった唇を舐めるクラウドを見て、半ば冗談だったらしい男の方まで次第に本気になってきた。
「ちょっと。待ったセフィロス。やっぱまずいよ」
見下ろす瞳の輝きに、明らかな欲情を見取って、クラウドはセフィロスの顎を押し退けた。
「お前が誘った」
不満そうな男の声を聞いた。
開いているはずの視界が、明滅するように白く、数度弾けた。
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周囲の風景が白っぽく光って見える。じわじわと足元から這い上がってくる快感は、普段と幾分違うように思えた。
仕事中、というここ最近ではありえなかったシチュエーションが刺激的だからだろうか。
セフィロスの手が生む感覚も慣れたもののはずなのに、やはり違うように思える。
優しく、こそばゆい。いつもはもっと乱暴なくらいだ。それなのに焼け付くように這い上がる欲望に抗えない。
己の身体を見下ろせば、捲りあがったセーターの下の胸にセフィロスが顔を伏せて唇を這わせている。乳首に近い場所にあるそれに、そのままそこを咥えて欲しいと願えば、彼は意思が伝わったかのように突起を唇で摘み上げた。
余韻を楽しむ間も与えずに、セフィロスの指が下肢を撫で上げ、クラウドを追い詰めた。高まらせる動きに目を閉じて、僅かに残った理性が早く終わらせてくれればいいと願う。
だが、その感触もいつもとは異なった。
身体を焼く感触が平らで一辺倒だった。
高まりに押し上げ、引き摺り下ろされ、翻弄されるいつもの動きとは違う。腹から手を突き入れられ、前立腺に電気信号を送られ、機械的に高められているようだ。
「セ、セフィロス」
胸から上げた彼の顔は笑いを張り付かせ、動かなかった。
これはまるで『懐中時計の中の写真を見ているよう』だ。
急激に感じた違和感に、クラウドは総毛立つ。見知らぬ男に抱かれている気分だった。
「やめろ」
一瞬で萎えたクラウドの性器を、セフィロスのものとよく似た指が根気よく撫で上げる。
「気持ち悪い。やめろ」
セフィロスに似た男が同じ表情でクラウドを覗き込み、拒む言葉をつむぐ唇に吸い付いた。入り込む舌の感触に鳥肌が立った。
押し退けようと腕を持ち上げたが、鉛の重さで動きはままならない。
何かがおかしい。
これはセフィロスではない。
クラウドの足を割り、今まさに挑もうと腰を押し当ててくる男は、クラウドの知らない何かだった。
知らない――いや、知っているその違和感と感覚は、ヒトの心を読み、操ろうとする恐るべき存在が見せる幻影ではないか。
「よせ!」
耳元で犬の吼える声を聞いた。
「助けろ、セフィロスっ!」
「クラウド!」
腕を引かれて引き戻された世界は、今日一日で見慣れた工場内。足元でロビンがけたたましく吼えている。脇から抱える腕や頬を押し当てた胸の体温も慣れたもので、視線を上げると不審げな顔が覗きこんでいた。
「起きろ。来たぞ」
セフィロスが示した先に視線を泳がせ、クラウドは唐突に我に返った。
数メートル先の問題の土の地面から、瘴気が漂っている。何かが迫る強烈な気配がした。
反射的に己の足で地面を踏みしめた。支えていた男はそれを確認して腕から解放する。
地面に落ちたままだった剣を拾い上げると、ロビンはクラウドを奮い立たせるように、傍らに控えたまま数度吼え掛けた。
「正気に戻ったか。いきなり呆けて、どうした」
剣を構えて土の地面を見据えながら、クラウドは左の頬が今更じりじりと痛むのを感じた。恐らく、幻に取り込まれていたクラウドを、セフィロスが平手で殴って正気に引き戻したのだろう。
「痛いじゃないか」
「仕方あるまい、緊急時だ。何が起こった」
少し後ろに静かに構える男は至って冷静に問い掛けた。
「あんたの顔した、あんたじゃない何かに、つっこまれそうになったんだよ」
「幻影か。余裕があるなら前を閉めろ。ファスナーが開いている」
クラウドははっと己の戦闘服の前立てを見下ろし、慌ててファスナーを上げた。
開いている、どころかパンツや下着まで半分落ちかかって、酷くみっともない様子だった。
「くそっ! これはあんたが開けたんだろっ。責任もってちゃんと閉めろ!」
「幻影の仕業かもしれんぞ」
男が含み笑う声が聞こえたが、地面から漂う気配は、今すぐにでもそこから飛び出してきそうに濃くなっている。
警戒時に交わす会話ではない。
久々に味わう戦闘前の緊張感、高揚感がクラウドの腕を武者震いさせた。
背後で、セフィロスが刀の鯉口を切る音がした。
それがいつもの戦闘開始の合図だった。
「来た」
巨大な獣が咆哮を上げるような声と共に、地中から何かが噴き出してきた。
まさかこんなに派手に登場するとは思わなかったそれは、二本の触手、それもドラゴンの首ほどもあろうかという太さは小型のサンドウォームにひけをとらない。
大蛇がうねる仕草で這い出し、周囲の機器の隙間をのたうちまわる。
先端に僅かな膨らみがあるから頭なのだろう。だが目も持たず、まるでミミズだった。
「気持ち悪い」
飛び退いてその動きから避けたクラウドの前に、セフィロスが進み出た。
「下がれ。実体じゃない」
「これも幻影だってのかよ」
「幻影じゃない。実体がないだけだ」
セフィロスの指差した触手の一方に目を凝らした。工場内は煌々と電灯がついているが、その触手には影がなく、それ自体が発光しているのか、ぼんやりと明るく青白い色が乾いた地面に映っている。
「魔法?」
「召喚獣のようなものか」
「…じゃあ攻撃されるんじゃないかっ」
クラウドが叫んだと同時に、触手の一方がセフィロスへと襲い掛かった。
手を挙げ、瞬時に張ったバリアを打ち壊し、触手の先がセフィロスの頬を掠めた。クラウドが剣を振って触手を払いのけるようにすると、一旦地中に戻っていく。俊敏な毒蛇の速さだ。
「セフィロスっ」
「騒ぐな。掠っただけだ」
覗き込んだ頬に一筋血が流れていたが、見ている端から傷が癒えていく。
「すぐ来るぞ」
地面を這いまわって様子を伺うようにしていた一方と、再び地中から姿を現した一方が同時に二人へ丸い頭を向けた。今やセフィロスもクラウドも敵と判断したようで、力を溜めている。
「あの触手にいくら攻撃しても無駄だろう」
「弱点か、せめて属性はないのかよ」
「元を断たねば」
「じゃ、オレがおとりになる」
クラウドは剣を逆手に持ち替え、頭を上げる触手へと走り出した。
「待て!」
制止の声を無視して踊りかかったクラウドの視界の端で、セフィロスは舌打ちし、触手の根元である地面ににじり寄った。
クラウドが立ち止まれば、案の定二つの頭は一斉にこちらに攻撃を仕掛けてくる。打撃に耐えようと足に力を入れて腰を落すと、一方は右の足首に、もう一方は首に巻きつき、クラウドは中空へと吊り上げられた。
「うわっ」
触手の感触は水のように冷たく、首元に巻きつかれてクラウドはまた総毛立った。
逆さになった頭の下で、ロビンが必死に吼えている。
セフィロスは触手の根元の地面に手を当ててしゃがみこみ、魔法の詠唱をしているようだった。
「セフィロスっ、早くしてくれ!」
「焦るな」
そうしている間に、足首の触手は、巻きつきながらその手を足の付け根へと伸ばしてくる。絞め殺すつもりなら一撃だが、捕らえた対象の様子を探っている動きだった。
実体がないはずなのに、ずるりと音がしたような気がした。腿に巻きつき、その頭が股間を這って腰まで到達した時、クラウドはその気色悪さに耐え切れず、悲鳴を上げた。
「人間以外はイヤだぞっ、オレはーっ!」
天空から光が降りた。
同時に大きな羽音を聞いた。
セフィロスが降ろしたバハムート零式の光弾が、地面の一点を撃ち抜き、地中深くにあるらしい本体を攻撃したのだ。
低い地鳴りが工場一帯を震わせ、あちこちのガラス窓がびりびりと振動した。
クラウドを捕らえた触手は、その身体を痙攣させ、形容し難い声を上げた。
急激にしぼんだ触手から解放され、クラウドは何とか受身を取ろうと身体を縮めるが、地面が近い。衝撃を覚悟して歯を食いしばった時、何かが柔らかく受け止めた。
無論セフィロス以外にない。
触手は既にその姿を消してはいたが、どんな敵が現れるともしれないこの時に、刀をうち捨て、両腕で落ちるクラウドを抱き止めたのだ。
「例え人間でも、オレの目の前ではさせん」
大真面目な顔で言うことか、と口答えはしたものの、柄にもなくクラウドの頬は熱く火照っていた。
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すっかり静まり返った土の地面を眺めながら、二人と一匹は二階に上る階段途中に座り込んでいた。問題の地面は、並ぶ機器の陰になって見え難いが、どうやらあの奇妙な触手が再び現れそうな気配はない。
「古いものかもしれない」
そう呟いたセフィロスを、クラウドは数段下から顔を仰向けて見上げた。
段に座った足の間でロビンの真っ黒な短い毛を撫でる。暖かく、非常に心地いい毛並みだ。
「どういう根拠で」
「いや、なんとなく、だ」
クラウドは鼻で笑ったが、セフィロスの真剣そのものの表情には不安が残った。
彼の示す古いものというのが、どれくらいの時期を指すのか。
「本体は多分百メートルは下にある。手ごたえが弱かった」
クラウドも魔力が高く、魔法に慣れてからは、その威力はセフィロスが発動するものとさして違いはない。だが、視認できない遠く離れた標的に、的確に当てることは非常に難しく、何年経ってもセフィロスのような正確さは生まれなかった。それだけ彼の制御力は半端でないということだ。
「そんな下にあるほど昔のものってことか?」
「いや。ここ数百年、この界隈でそんな噂を聞いたことはないだろう。地中を移動できるものならば、大昔の遺物が目覚めたのかもしれない」
セフィロスの言葉はクラウドを一層不安にした。
問題の地面から触手が現れる前兆のように、クラウドを襲った幻覚のせいだった。
あの感覚を、クラウドは以前にも経験している。
相手の感情を読み取り、心の弱点を正確についてくる。
「ジェノバ…」
つい不安を声に出して呟いた。それはセフィロスにも聴こえたようだった。
「まさか。オレとお前以外にはもう残っていないだろう」
「ナナキがいるじゃないか」
「彼らの種族は元々長寿だ。ただのジェノバ細胞の保持者と、オレやオレのコピーであるお前とは違う。現にここ数百年、ソルジャーの生き残りになど会ったことはないだろう」
大分年老いたが、まだコスモエリアに健在の仲間の顔を思い出し、クラウドは足元のロビンを見やった。
無論かつての仲間の仕業だと言いたい訳ではないが、自分たちの把握出来ていないところで、あの凶悪な災いの元があるのだとしたら、再び星の危機が訪れないとも言い切れない。その可能性もない、という根拠もない。
現に厄災の因子を、互いに持って、そして生きている身なのだから。
「いやな、感じだ」
呟いたクラウドの髪に、後ろのセフィロスは宥めるように触れる。
「だが、もしそうだとしたら、止められるのもオレたちだけだということだ」
もう長い間傍近くにいる男は、実は本質は何も変わっていないのかもしれない。
それでも、もう二度と自分を裏切ることはないのだと、この体温が傍にある限りどんな障害があろうとも乗り越えられると、クラウドは無条件で信じることが出来た。
「どうしようか?」
「お前がリーダーなのだろう。どうしたい」
「アレが現れるのは大抵夜なんだろ? 夜間にヒトが出入りしなければ、暫くは何とかなるんじゃないかな」
「ではとりあえずフェイにはそう忠告しておくか。それからどうする」
セフィロスは顎で旋盤機のあった場所を示す。
「まさか、掘って引きずり出す訳にはいかないだろ」
「もし地中を移動しているなら、それは不可能だ」
「正体が分からなきゃ手の打ち様がないよなあ。…調べてみれば、何か分かるかな」
どうすればいいのか皆目検討がつかないので、正直当てずっぽうでそう答えて男を見上げた。
セフィロスは口元に形容し難い笑みを浮かべていた。
「なんだよ」
「いい加減に言ってるな」
「分かってるなら黙ってろよ」
|
翌日の午後、二人はネオミッドガル一番地区にある市立図書館に来ていた。
かつてのミッドガルよりひと廻り小さいとはいえ、ここは一大都市だ。町中には学校やその他の教育機関があり、この市立図書館も市民だれもが利用でき、学生や研究者たちも出入りする都市最大のものだった。
学生や白衣を着た人間が多くいる中で、一際目立つ…というよりは怪しい人物に思われても仕方のない二人は、このネオミッドガルの建設にまつわる記録や手記を探して、館内を徘徊していた。
昨夜正体不明なものに襲われた二人は、朝出勤してきた工場主のフェイに、夜間工場に入らないと約束させ、今日は原因を調べるために費やすことにしたのである。
とにかく正体の検討もつかないまま敵を探るのには無理があった。
巨大な都市とはいえ、ネオミッドガルはわずか数十年の歴史しかない。当時建設に携わった人物がまだ多く残っているはずで、彼らに会って話を聞くことも可能なはずだった。
特に地区は限定せず、関係のありそうな事件や現象をチェックする。思ったよりもその数は多い。
クラウドは設置された検索用の端末の前を陣取り、セフィロスはそれに該当する書籍や記録を取りに行く、それの繰り返しを延々続ける訳である。
昼から始めて、夕刻にはすっかり飽きた様子で伸びをするクラウドを見て、背後の机で分厚い記録のページを繰るセフィロスは、溜息まじりに言った。
「お前が調べようと言ったのだろう」
「…だってこんな大変な作業だなんてな」
「オレはお前が調べるといったから、方法を提案しただけだ。オレのせいにするな」
「大体怪しいもんなんだから、怪しいところから調べればいいだろ」
「怪しいところというのは、どんなものだ。生き字引とも言えるお前やオレに心当たりがなければ、片っ端から調べるほかあるまい」
口を動かし、目は文面を追ったまま告げるセフィロスの様子は、大昔、執務室に座り、書類を捲る彼の姿を彷彿とさせた。
それを懐かしいと思いながら、クラウドはその頃の自分に思いを馳せた。
苦しいことも多かったが、まだ友も健在で、青春と呼ぶに相応しい生活を送っていた日々を。
「あ」
クラウドは突然声高く叫び、立ち上がった。
椅子が勢い余って倒れそうになるのを慌てて捕らえ、顔を上げれば、周囲の利用客が訝しげにこちらを見ている。
「何だ」
「忘れてた」
「だから何だ」
「でっかい奴がいたよ。この近くに」
「でっかい奴?」
興奮して腕を振り回すクラウドを押し留め、セフィロスは隣の席にクラウドを座らせた。
確かにあったのだ。このミッドガルの周辺で、大きな事件が。
記憶に埋もれてしまうほど昔のことであるから、もちろんクラウドら以外に覚えている者はいないだろう。
「ウェポン」
「…なんだと?」
「ウェポンだって。スカーレットがジュノンからここに移動させた魔晄キャノンで、倒された奴だ」
図書館から出た二人は今、官庁街の端にある小さな食堂に居た。
仕事帰りのサラリーマンや大学生で賑わうそこでは、図書館ほど二人を目立たせはしなかったが、今度は女性の熱い視線を集中して浴びるセフィロスに、クラウドはやきもきする羽目になった。
昼間にカフェに行こうが、デパートに買い物に行こうが、兎に角セフィロスは女のいるところでは無条件に注目される。それをいちいち気にしている訳でもないのだが、何故かこの時は無性に気になった。
横目で覗ってくる女性客に、ガンつけ気味の目線で応戦していると、ビールのグラスの濡れた場所を額に当てられ、クラウドは驚き、飛び上がりそうになった。
「何するんだよ」
「お前は人の話も聞かずに、一体どこを見ている」
「あんたに色目を使う奴を牽制してんの」
「馬鹿なことを。大体色目の先が自分であるとは何故思わないんだ」
ビールを口にしながら、セフィロスはクラウドの視線とは逆の方向を顎で示した。
クラウドがそれに従って視線を移動させると、他の学生らしき女性客数名のグループがこちらを見ている。クラウドが気付いたことを知ると、憚ることなく無邪気に手を振って来た。
「見たことか」
そう軽く口にするセフィロスは、気付けばクラウド以上に機嫌が悪い。
「あんたが一緒にいるんだ。オレだけじゃなくて、あんたが目当てだろ」
「少なくとも今はそんな気分じゃない」
自分よりもセフィロスの方がずっとやきもきしていたのだと分かり、クラウドはどこか安堵すると同時に、苦笑が漏れるような、しかし幸せな気分を味わっていた。
つまみにしていた料理は既にあらかた片付いているが、付け合せの皮付きポテトフライをフォークに突き刺して、それを男に向ける。
「ほら、セフィロス。残ってる」
なんの疑いも持たずに開けたセフィロスの口へ、クラウドはポテトを押し込む。咀嚼する口元を眺めながら左右の女性客たちを覗うと、今度ばかりは、彼女らは一斉に視線を反らした。
クラウドもポテトの欠片を片付けながら、口元は否応なく笑みに歪んだ。
「何なんだ、お前は」
にやにやと笑っているクラウドを疑わしく眺める男に、いっそ口付けしたい衝動を感じながら、笑みはついに声になった。
「独占欲」
「…訳がわからん」
「それより、なんだっけ?」
「ウェポンだ。魔晄キャノンが倒したというウェポン。今回の原因がそれだという確証が欲しい」
セフィロスは空いた皿を片手で退かし、図書館でコピーした書類を広げた。
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数百年前、神羅の魔晄キャノンが、ミッドガルを襲撃した当のウェポンの胸を貫き、貫通した光線は北の大空洞を覆う結界を打ち砕いた。そして、大空洞の周囲を塞いでいたその結界を作ったのは、クラウドの目の前に座る男であった。
昔のことを穿り返すのはクラウドも嫌だったが、この際仕方がない。
もし本当に事件の犯人があのウェポンであれば、いずれにしても、かつてのクラウドやセフィロスが無関係ではないはずだからだ。
ウェポンは、大昔古代種がジェノバを厄災と呼んだ頃、ジェノバの猛威に対抗するために星が生み出した生物兵器のようなものだといわれる。それが使用されることはなかったというが、クラウドが渡した黒マテリアをセフィロスが発動させたとき、傍近くに封印されていた彼らも目覚めたのである。
「オレたち自身の行動のツケが、今更回ってくるなんてな」
「まだ確証はない」
セフィロスが広げている書類は、このネオミッドガル建設に関する工事記録である。
図書館では一部の物しか手に入らず、余り参考になるとも思えない。
「でもさ、ウェポンが魔晄キャノンに倒されたのは、ミッドガルより随分北側なんだよ。丁度大空洞への延長線上になるんだからさ。暫く野ざらしになっているのは見た記憶があるけど、オレが大空洞やニブルヘイムに行っている間に、何時の間にか消えてたんだよ」
実のところ、クラウドの記憶は定かではない。
ミッドガルに立ち寄ることは少なかったし、既にジェノバとの戦いが終わり、まさかウェポンが復活するはずはないと油断していたこともある。
「他のウェポンはどうなった」
「あんた、見てなかったのかよ…」
あれだけ大事になったというのに、彼らを起こした原因の当人は何処拭く風という訳だ。
「えっと…アルテマウェポン、ルビーウェポン、エメラルドウェポンはオレたちが倒した時、爆発して粉々だった。あとはジュノンを襲ったやつも、魔晄キャノンを至近距離で受けて頭吹っ飛んでたなあ」
指折り数えて記憶を掘り起こすクラウドは、四本の指を折った手をセフィロスに向けた。その残った一本をセフィロスが倒す。
「戦闘不能になっていたそれが、星の意思で再び封印されたのではないのか?」
「…そんで、それがこの下まで移動してたってことか? なんで?」
「魔晄炉があっただろう。ここに。八機も」
「魔晄が豊富な場所に移動したってことか?」
セフィロスはクラウドの拳を握ったまま、唇の片端を上げて笑い、見つめる。その不敵な顔に、笑ってる場合じゃねえだろ、と心の中だけでなく声に出して呟きながらも、今更怒る気にならないくらい昔の話だ。
「ガイアの生物の全てのエネルギーは魔晄の流れに左右される。だからこそ、あの時もウェポンは大空洞に封印されていたのだからな。オレが同じ場所に留まり、時を待っていたのもその為だ」
「じゃあ、あんたのその知識豊富な頭に聞くけど、なんで今更それが暴れてんだよ」
「封印が完璧ではなかったかもしれない。この街の建設の時、天然ガスの発掘で障りがあったのかもしれない」
「やっぱ推測じゃないか。どっちにしろ」
「お前な…」
セフィロスは再びビールのグラスをクラウドの額に当てようとしたが、二度目のそれはさすがに避けた。
「お仕置きが必要らしいな」
凄んで見せる彼に顔を近寄せ、にっこり笑ってその脅しも華麗に避ける。
「やれるもんなら、やってみな」
人間数百年も生きていれば克服できるものもある、ということだ。
苦い顔になったセフィロスの腕を励ますように叩き、クラウドはテーブルに広げた書類に見入った。
「話戻すけど、そんなデカイもんがホントにこの地下にいたとしたら、記録に残ってるんじゃないか?」
図書館の資料室からコピーしてきたものには、この都市建設の工事記録もあった。だが施工業者の名称や工事期間などがあるだけで、建設過程での障害や携わった工夫の記録などは載っていない。
「見つからなかったか、見つけはしたが隠蔽したか、それとも」
「見つけても重大さに気づかなかったってのもあるな」
「だろうな。だとしたら、こんな誰にでも閲覧できる資料に、そんなものが載っているはずがない」
「どこに、あるかな」
「機密の度合いによるが、建設省庁の鍵の掛かった資料室か、それとも庁統括の執務室か。…まさかお前、政府機関に不法侵入するつもりか?」
そんな無粋な真似をしてくれるな、と云いたそうな顔だったが、それ以外に方法がないなら仕方がない。
そもそも、クラウドはかつてテロリストと呼ばれたこともあり、実際不特定多数の人間を巻き込むような事件に加担したこともある。セフィロスなどは世界的に被害を受けた、厄災を到来させた首謀者だ。
「オレたちはもうずっと昔っから大犯罪者なの。今更、不法侵入くらいでひるんでどうする」
余裕の笑みを見せれば、先程から苦い表情を張り付かせているセフィロスは、咥えた煙草に火をつけながらクラウドを見つめて云った。
「昔のお前とオレが逆転してしまったな。今ではオレの方が余程、常識人らしい」
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* * *
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現在ネオミッドガル市を治めるのは、元々この地域にあった町の長の家に生まれたグレーデンという男である。
世界中にガスの開発が進み、いち早く町にそれを取り入れた先代のグレーデンは、周囲にその功績を絶賛され、周囲の同じような町と協力して、このネオミッドガル計画を立ち上げた。もう30年近くも前のことだ。
ネオミッドガルは50年計画と言われた、壮大なプロジェクトであった。その論に則るなら、この町は完成までにあとニ十年は必要ということである。
先代のグレーデンは、ネオミッドガル計画が軌道に乗り出した20年ほど前に、突然脳溢血で倒れた。幸い死に至らずに済んだものの、引退を決意し、それを引き継いだのが彼の一人息子である今のグレーデンだったのである。
三十年の歴史を語るのはさておき、このネオミッドガルの統括に治まったグレーデンは、決して無能な男ではなかった。父親の七光りと呼ばれたのは最初の一年で、特に都市計画を街の末端まで行き届かせ、その為の資金を捻出する手腕にも長けていた。
少々貧相な髪の毛だった先代に比べて、白髪交じりの巻き毛は豊富で、面長の人相も、とにかく女性に受けがいい。父親の代に活躍した面子が、老いと共にメインステージを去って行き、残された若者たちの中で、長を務めることができるのは、彼でなくてはならなかった。
政をするには多少汚い手を使うこともある。だが特に流血沙汰になるような惨い真似をすることもなく、彼のこれまでの二十年は順風満帆であったと云えるだろう。
あえて弱点を挙げるならば、グレーデンは女に弱い。
特に彼の好みの女性となれば、社交辞令のごとくオープンに口説くので、反対勢力がそれをスキャンダルに取り上げるまでは至らなかったが、その数は、実は相当なものだった。
五十歳を間近にして、未だ妻子がないことが、彼のその衝動に拍車をかけていた。
多少誰にでもあるだろう欠点も兼ね備えたグレーデンは、その日も執務室に泊まり込む覚悟で自分のデスクについていた。
執務室は各省庁を詰め込んだ、ネオミッドガル市舎の二十階。二十二階建ての市舎は、最上階とその下の二フロアが展望室となっており、オフィスが詰まった階は、この二十階が最上階にあたる。
夜のネオミッドガルは美しい。
家や店の明かりがぽつぽつと燈る様子は、星空を眺めているような気分にさせる。こんな光景は、彼が二十歳の時分にはなかったものだった。
彼にとってはこの街が子供であり、激務が妻だった。人並みに感じる寂しさは優しい恋人たちが慰めてくれる。だからこそ、この歳になっても独り身で我慢できる。
「誰か、コーヒーをポットで持ってきてくれ」
そうやって秘書のデスクにインターフォンで告げれば、大抵の我儘は訊いてもらえた。『統括』とは呼称で、位としては市長、実質この周辺の政治を差配する立場であり、要は一番偉い訳である。
寂しくはない、はずだったが、グレーデンとて人の子。このところ何も気兼ねせず傍にいてくれる者が欲しい気持ちもあった。
書類を捲りながら、仕事を終えたら今付き合っている三人の中でもお気に入りの一人に電話でもしてみようか、と思いを馳せ、グレーデンはデスクに据えられた小さなモニタに目をやった。
秘書がコーヒーを持ってくるには早いような気もするが、戸口前の防犯カメラの映像には、秘書らしき女性の姿が映し出されている。
『統括、コーヒーをお持ちしました』
いつも出入りしている女性秘書たちと声が違う。
「誰だ」
『マリアさんから言付かって来ました。アシスタントのユフィです』
マリアとは筆頭秘書の名前で、これまでにも彼女のアシスタントが出入りすることはよくあった。
グレーデンはロックを解除してアシスタントを招き入れ、無言でポットを置くようにデスクの端を指差しながら、はたと目を止め、硬直した。
結論を先に云えば、彼女は素晴らしく美形だったのだ。
秘書に就くには幾分若い、二十歳を越えたばかりの容姿は、水を弾くだろう滑らかな肌で組み上げられ、その配置がまた理想的だった。
ワンレングスにした輝く金髪が、短いことが惜しまれる。そのまま伸ばして、よく見かける巻き毛にしたら、まるで陶器の人形のように艶やかなことだろう。
閉じた自動ドアを背後に立つ姿は長身だった。長い首が黒いタートルネックに包まれて、折れてしまいそうに見える。タイトなロングスカートに隠れた、細い腰と長い手足がモデルのような印象を与え、胸が少々小さいことを除けば完璧な造形に見える。
グレーデンは、まさに理想の女性をそのまま具現したような彼女が、目礼をして近づき、給仕をしようと身を屈める様子に見入っていた。
「君は…今日からかい? マリアから紹介がなかったが…」
「いえ。正式には明日からなんですが、今はマリアさんが手が離せないから、と、代理で参りました」
落ちついてはいるが、か細い声が遠慮がちにそう告げ、湯気の立つコーヒーをカップに注いでいる。ポットを持つ手は、長く開いた袖から指先を残して隠れており、秘書には珍しくマニキュアをしていない。
「随分と若いね。しかし…美しい金髪だ」
「ありがとうございます」
「いや、正直見惚れてしまったよ。ウチの秘書課は美人ぞろいだが…まいったな、影で女ったらしとまで呼ばれている僕が、気の利いた言葉の一つも出て来ない」
彼らしくなく照れた笑いを浮かべると、逆にそれが彼女には好印象だったようだ。
小さく前歯を覗かせた笑顔は少女のようにも見える。
再びその顔に見惚れながら、グレーデンは差し出されたカップを受け取った。が、余所見をしていた手が滑り、カップは低い位置からデスクの上に落下した。
「危ない!」
ユフィの片手が素早く倒れたカップ起こして、もう片方の手が書類を持ち上げた。大事な書類は彼女の機転で難を逃れたが、デスク上を流れたコーヒーが僅かにグレーデンのワイシャツとタイにかかった。
「あ、熱!」
グレーデンは急いで椅子を引いて立ち上がった。
「大丈夫ですか!」
「いや、大したことない」
「こちらは拭いておきますから、洗っていらした方がよろしいですわ」
「そうしよう。ここは頼んでいいかい」
「ええ」
ユフィが身を屈めてデスクを拭き始めた。その小さな尻を横目にグレーデンは一旦部屋を出て、隣接するレストルームの向かった。
洗面台に備え付けのペーパーで、ワイシャツとネクタイに掛かったコーヒーを拭き取り、少し染みになったものを洗い流そうとして、ある企みを思いつき、グレーデンはそのまま部屋へ戻った。
彼女はデスクをあらかた拭き終えて、コーヒーを注ぎ直しているところだった。
「染みになってしまった」
椅子に戻って、今度こそ両手でソーサーを受け取り、グレーデンは小さな溜息と共に漏らした。
「申し訳ありません。私のせいです」
「いや、君のせいじゃない。僕が余所見していたからだ。まあ…君が見惚れるほどの美女であるのは、原因の一つかもしれんがね」
彼女はまあ、と呟いて俯いた。照れているようだ。
女性は往往にして褒め倒されることに弱い。
「謝れなんて言ってないよ。でも良ければ明日、買い物に付き合ってくれないかな?」
「明日…買い物、ですか」
首を僅かに傾げて繰り返す様子は、グレーデンの胸を少年のように高鳴らせた。
「ああ。新しいネクタイを、君に見立てて欲しいんだが」
「ええ、と」
困ったように視線を彷徨わせ、子供の口調で口ごもる彼女の手が、トレイを掴んでいる。
「それは、承知しかねます」
「何故だい? 仕事の一環と思ってくれればいい。本音を言えば、食事に誘いたいところだが」
「あの…」
グレーデンはこれまでになく真剣な顔で、彼女の答えを待った。
「結婚してるんです、私」
予想外の答えだった。だが、その理由自体はよく訊くものだ。
「断る理由としては不出来だよ。既婚者にしては随分と若いし、君はエンゲージリングもしていないじゃないか」
グレーデンは彼女を責める口調にならないよう注意して、優しく答え、彼女のトレイを持つ左手を指差した。
「あ、あの、そのう…」
「恋人がいるのかい? でも仕事でなら怒られないよね。黙っていれば分からないし」
彼女は決して、全身から強烈な色気を発散するようなタイプではない。グレーデンの周囲にはそんな大人の手管に長けた女たちが溢れていたが、そもそも彼の好みは、ユフィのような健康的で少女のような可憐さのある女性なのだ。
いつもならそこまで警戒されれば身を引いていたグレーデンだが、今回は彼自身が自覚するほど本気になりそうだった。彼女であれば、身を固めてもいいと思えるほどに。だからグレーデンは追い討ちを掛けたのだ。
だが彼女がふと上げた顔は、これまで困惑していた様子とは打って変わって剛健な表情になっていた。意思の強い大きな碧い目が、視線を釘付けにする。
彼女はこんなオフィス街で、秘書などをやるには相応しくないとグレーデンは思った。
もっと広い土地で、伸びやかに生活する方が似合っているかもしれない。
「君…」
「ごめん。オレ、男だからムリ」
グレーデンはいきなり低く変わった彼女の声に驚き、目を見開いた。
「それ以前に、オレの妻を口説いて欲しくはないな」
続く声はユフィからではなく、グレーデンのデスクの横から響いた。更に驚いて振り返った先に、恐ろしく長身な、長い銀の髪の男が立っている。それまで物音一つも、気配すら感じなかったのに、今その全身から発される殺気が、本能に危険を訴える。
見知らぬ侵入者を認め、グレーデンは反射的にデスク上の端末に手を伸ばした。ボタン一つでワンフロア下に控える警備員が飛んでくるようになっているのだ。
だが、伸ばしたその手を上から押さえつけられ、グレーデンは短い悲鳴を上げた。
「な、何っ?」
グレーデンを拘束したのは、それまでグレーデンが口説いていたユフィの手だった。長袖に隠れていた腕の肘までを露にし、グレーデンの甲をデスクに縫い止めている。滑らかな肌は美しいが、その形も力も、間違いなく男のものだった。
「ごめん。騙して。男なんだよ」
ローズレッドの唇が発する声も口調も、確かに男のものだった。
命を狙われてもおかしくないグレーデンは、その状況も忘れて、理想の女性と思ったものが実は同性だったという事実に、気を失いそうになっていた。
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ダンディさを売りにしているグレーデンは、とてもではないが他人――特に女性には見せたくない状況で、執務用の椅子に座っていた。
ロープなどで拘束されている訳ではないのに、身動き一つ出来ないのは、どうやら後から現れた男がグレーデンを魔法で縛り付けたようだ。その証拠に、男がその手首に填めた銀色のバングルには、緑色のマテリアが幾つもついていた。
この状況から早く逃れるためにも、彼らの要求を聞きたいのだが、口を開くことも叶わない。
「まったく、誰が『妻』だよ!」
ユフィと名乗った金髪の女、いや青年は、グレーデンの混乱と屈辱を他所に、先程から長身の男に喰って掛かっている。
「いつあんたと結婚したんだ、オレは」
「お前が結婚している、と言ったんだ。だとしたら夫はオレしかあるまい。それとも何処か他で結婚していたのか、お前は」
「バ〜カ」
先刻の可憐な様子とは打って変わって、青年はすっかり粗野な口調になって、男をなじった。
「そんなの誘いを断る常套句だろ。大体今更何が結婚だよ。適齢期を大幅に過ぎてるっての!」
青年が吐き捨てた言葉に、男の方は少々安心したような、同時にかなり消沈したような、僅かな変化を見せた。
他人の、それもこの街の長たるグレーデンの部屋に押し入った暴漢にしては、どちらも真剣味に欠けている。自分を殺すためであれば、これまで幾らでも機会があったところを見ると他に目的がありそうだ。だがそれが何なのか、全く想像がつかなかった。
青年は美しく化粧をした顔をグレーデンに近寄せて、小さく眉を寄せた。
「悪いな。別にあんたの命を取ろうっていうんじゃないから、安心して。大声出さないって約束してくれるなら、魔法解いてもいいけど」
グレーデンは幾度か頷いたが、残念ながらそれは気持ちの上だけで、首を縦に振ることも叶わなかった。
それでも彼は意図を汲んでくれたようで、ルージュをひいた唇を微かに動かすと、グレーデンを暖かい魔法の気が包んだ。子供の頃一度だけ、虫の毒に当たった時、村の魔法医が施してくれたものと同じ『エスナ』だった。
「君らは…」
乾いた咽喉に言葉が絡み、グレーデンは緊張を自覚せざるをえなかった。
青年の見事な化けっぷりも、突然現れた長身の男の正体も、そして今時珍しい魔法をいとも簡単に操る様子も、彼らが只者ではないと証明している。
「君は本当に…男なのか?」
捕らえられ、緊迫した状況で思わず最初に問う用件としては、あまりに常軌を逸脱していた。
それがおかしかったのか、青年は笑い、
「見せようか」
と呟いて、長いスカートの裾を膝まで捲り上げた。
「やめてくれ」
「よせ」
グレーデンの拒否は男の制止と同時に発された。驚いて男を見上げると、彼もグレーデンを困ったような顔で見下ろした目と合う。
どうやらこの男は、この青年に特別な感情を持っているらしい。
「君はともかく、この男はどこから入ったんだ」
この部屋はビルの内部でも最も警備が厳しい。エレベーターにはカメラがついているだけだが、この部屋に入るためにはグレーデンのIDカードを使用するか、グレーデンがユフィを招き入れた時のように、デスクについた端末から解除するか、警備室から解除するか、三つの方法しかない。
普段使っている正面のドアの他に、デスクの横に災害時に使う非常口があり、直接地上に出られるが、そのロックも端末から操作しなければ開けることは出来ないはずだった。
見やった非常ドアに壊された様子はなかった。もちろん、そんな音も聞いていない。
「あんたがレストルームに行ってる間に、オレがこれで開けたんだ」
青年はデスクの端末を指差した。
「…コーヒーは…そのために零したのか」
「うん。あんたの買い物には付き合えないけど、今度ネクタイを見立てて贈るよ」
「あ、ああ」
どうにも緊張感を削ぐ会話に、グレーデンはより混乱しつつある。
理由を知りたいが、彼らが一方的に強く何かを要求するでもないのは何故だろうか。
「セフィロスはでっかくて目立つから、警備員の目から逃れるにはこの非常口から登ってこさせるしかなかったんだ。なるべく痕跡も残さないで、騒ぎにもしたくなかったから、こんな手段取ったんだけど」
「…何か盗みに来たのか」
「違うよ。えっと…どこから話したらいいんだろう?」
話が本題に入ろうというところで、青年は言葉を濁して、話の続きを男の方へ振る。
「貴殿に聞きたいことがある。まずは、オレたちの話を聞いてくれるか」
引き継いだ男は、デスクの上にあったコーヒーポットを取り、グレーデンのカップへ注ぎ足しながら言った。
「この街の存続に関わることだ。貴殿の記憶力に、命運が掛かってくるやもしれない」
男がカップを顎で示した。
グレーデンは何やら奇妙な侵入者の顔を見比べながら、促されるままにカップを手に取り、冷めかけた液体を口に含んだ。
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クラウドは説明が不得意だ。特に順序立てて簡潔に、というのが一番苦手である。
そういったものはセフィロスに任せてきたこともあって、必要以上にそんな役目を放棄して、今まで済んでしまった。
大きなデスクの端に腰掛けようと思ったが、丈の長いスカートでは座りにくい高さで、仕方なく、部屋の真ん中に据えられたソファに座った。
それを目で追いながらセフィロスが口を開いた。
「先日、壱番街で奇妙なものに遭遇した。モンスターかと思われたが、ただのモンスターにしては大きく、どうやら地下を移動しているように思われる」
「モンスター…だと。このネオミッドガルの市内に?」
セフィロスは無言で頷いた。
「ウェポン、というものを、知っているか?」
「ウェポンといえば、昔厄災が飛来した時代に現れたという、巨人のことか。『八人の勇者が巨人を倒し、古の種族がガイアの力を呼び覚まし、厄災を退けた』――子供でも知っている伝説だ」
セフィロスは今度は首を横に振った。
「五百年以上もの年月が過ぎれば、伝説と思われても仕方のないことかもしれない。だが、メテオの飛来も、ウェポンの出現も、事実だ」
「その時にミッドガルを襲ったウェポンの一体が、当時この街にいた軍の兵器で倒されたんだ」
セフィロスの言葉を引き継いで、クラウドが説明を付け加える。
グレーデンはクラウドの顔を凝視して狼狽えた。
信じられないという顔だ。こんな風に押し入った強盗のような男二人に、突然五百年も前の話を持ち出されるとは思っていなかったのだろう。
「そのウェポンは倒されはしたが、完全に破壊された訳ではなかったようだ。先日、壱番街で遭遇したものは、恐らくそのウェポンが、このネオミッドガルの地下深くで目覚めたものだと、オレたちは考えた」
グレーデンは再びセフィロスへ青ざめた顔を戻し、激昂した。
「バカな! もし本当にウェポンが居たとして、何故それが五百年も経った今になって復活するんだ。理由がないだろう」
「だからそれを調べている。これまで何百年も沈黙していたとしたら、この時期にあれを起こすような刺激を受けたということだ。この街は、まだ建設されて間がない。この建設の時にそれらしい物を掘り当ててしまったのではないかと、オレたちは疑っている」
「僕らが、起こしたと…?」
グレーデンは震える両手を組んで、デスクの上に置いた。
「その可能性が高いかもしれない、と言っている。逆にそれらしい原因が見当たらなければ、あれがウェポン以外の物である可能性も考えなければならない」
「あんたより、この街の建設に詳しい人間はそう多くないだろ。何か、心当たりがないか? 公開してない工事記録とか、あんたがそれらしい物を直接見たとか…」
「そんなことを言われても、ウェポンがどんなものかも、分からない」
グレーデンの指摘に、クラウドはセフィロスと顔を見合わせた。
本当のことを告げて信じられるとも思えないが、これでは埒があかなかった。クラウドたちの正体を、彼には教えるべきかもしれない。信じるかどうかは、いっそ賭けになる。
「なあ、オレたち、卑怯な手でここに来たけど、あんたしか頼りにならないと思ったからなんだ。オレたちのこと、信じてくれるかな?」
クラウドは声を落として、グレーデンにゆっくりと訊いた。
彼はデスク越しにクラウドの顔を見つめ、暫くして頷く。
「僕は、二十年この街で、人の裏も表も見て来た。君が嘘を言っているようには思えない。第一、それで僕を騙したところで、何の利益があるのか心当たりはまだ見出せない」
「ありがとう」
クラウドは正直それまで、グレーデンという男を余り評価していなかった。だがかつてのミッドガルを治めた神羅に比べれば、彼は指導者としても、一人の人間としても、予想以上に良く出来た男だと思えた。
同時にその彼が重い責務を担い、作り上げてきた街を見守りたいという気持ちも強くなった。
きっと彼と、彼を支持する人々ならば、かつてのミッドガルよりずっとまともな街に育ててくれると、クラウドも信じることが出来た。
思わず浮かんだ心からの笑みを見て、グレーデンは何故か顔を赤らめ、戸惑うように視線を反らす。
「ウェポンは生物って云うけど、見かけは機械みたいだ。体長は五十メートルはないくらいだと思う。測ったことはないけどね。足だけで二、三メートルあったから。装甲は胸や肩が特に厚くて、全体の形はヒトに近い」
「君は…見て来たように言うんだな」
「まあ、その、見たんだよ」
「どこで。壱番街でか?」
五百年以上前に、とは言えず、クラウドは戸惑い、セフィロスへと視線を送った。助けを求めたところで、正体を明かしにくいのは彼とて同様だろう。
本当のことを言って、本題を見失っては困るのだ。
「…見た、とだけ云っておこう。それで、貴殿に覚えはないか。この街の建設の際に、何か正体不明の大きな物体を掘り当てたりした記憶はないのか」
「それが――ウェポンがこの街の地下にいて、それが壱番街で出現したということか。そんな報告は受けていないぞ」
グレーデンはそれまで、自分や自分の街とは関わりのない出来事だと認識していたのだろう。
彼の会話の姿勢はこの時限りなく真剣になった。それはクラウドやセフィロスの言葉を、彼が信じ始めている証明でもあった。
「治安部には通報されている。だがヒトの仕業と思って、捜査を進めているようだな」
「確かに、全ての事件が僕に報告される訳じゃない」
「壱番街のアレが、ウェポンだと推測する根拠はいくつかある。第一に、オレたちは世界をずっと回って、あらゆるモンスターの生態にも詳しいと思ってもらっていい。そのオレたちが、壱番街のアレを『ただのモンスターではない』と判断した。
「第二に、ウェポンというのは、ライフストリームの流れの中にあり、そこから原動力を受けている。かつてこの街の外に倒れたが、ライフストリームの恩恵を受けるにはこの街の下で眠る方が、都合がいいのも事実だ」
「ライフストリーム…」
グレーデンは昔のことを必死に思い出そうとしているのだろう。両手を組んで肘をデスクに置き、細めた両目で遠くを見つめている。
「そういえば、まだこの街の基礎工事の段階で、ライフストリーム脈に行き当たったことがあった」
「それはどの辺りだった? あんたが幾つの時?」
「まだ親父が一線にいたころ…僕たちがこの地に移動してきて一年目だ。ガスタンクや配管の工事をしている段階だったと思う。この街は、零番街から壱番、弐番と順に建設していった。その当時だと零番街か壱番街だろう」
グレーデンは遠い目のまま、ロマンスグレーの巻き毛を掻いたり、コーヒーカップをもてあそんだりして、本気で思い出そうとしているようだった。
こういう時は慌てさせず、ゆっくり待つべきだと思ったのか、セフィロスは質問も説明も中断して、彼の様子をただ見つめている。
「僕も、ずっと工事現場にいた訳じゃないから。でもライフストリームに行き当たったって大騒ぎになってね。当時のスキャン技術は今ほど進んでなかったけど、直径百メートル弱の脈が三本、このネオミッドガルの下を横切っているという話だった。でもそれしか報告は受けていないし、そんな巨大な生物がいたら、スキャンできたような気がするんだけどな」
「当時のスキャン画像はあるか?」
問うたのはセフィロスだった。
不鮮明でもスキャン画像があるのなら、確認できるかもしれない。何しろ相手は体長五十メートル近い巨体なのだ。
「ああ、恐らく建設省の資料室になら。建設開始当時の資料や履歴は、一般人が見られない域も多いからな」
「あんた、そこに入れる?」
「ああ」
「見せてくれない?」
首を傾げて問うと、グレーデンは再び頬を赤らめてて頷いた。
不思議に思って彼を見つめるクラウドの横に、セフィロスは立ちはだかって云った。
「お前、自分がスカートを着けているのを忘れているな。下着が見えるぞ」
ソファに座ったクラウドは、膝まで裾を捲くった足を大きく開き、膝に両肘をかけている。
「女性はそんな風に座るもんじゃない」
グレーデンの呟きを訊いて、クラウドは慌てて立ち上がった。
「オレは、女じゃないってば!」
どうしてこの緊迫した話の最中に、そんなに間の抜けた冗談が言えるのか、クラウドは心底不思議に思った。
セフィロスもグレーデンも相当な大物か、でなければ相当の大馬鹿者だ。
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何よりも先に放棄したかった女物の服を、クラウドは脱ぐことを許されず、そのままの格好でエレベーターに乗った。
脅しつけた訳でもないのに、グレーデンは自ら先に立って歩き、二人を建設局のある庁舎の階下に案内している。受付も通さず上がってきたクラウドたちを、警備員が見咎めるかと思われたが、統括であるグレーデンの後ろを静かに付き従っていると、彼らは怪しみもしなかったようだ。
「ちょっとさ、警備体制に問題あるんじゃない?」
違法行為をしているのが自分たちであることも忘れて、クラウドは思わず警備員ら全員の上司にあたるグレーデンに文句をつけていた。彼は苦笑で誤魔化した。
侵入者だと喚こうと思えば助けも呼べる状態でありながら、グレーデンはまるで客人を案内するような態度である。警備員にアイコンタクトを試みるでもなく、完全にクラウドらの目的の協力者となりつつある。
もしかすると先程の話を全面的に信用したのかもしれないし、逆に決定的に侵入者を捕獲出来るように、意図があっての行動かもしれなかった。彼の真意はわからないが、クラウドはセフィロスと一緒に行動する限り、逃げ出せないような状況になるとは端から思っていない。
いざとなったらタイタンでも召喚すれば、コンクリートの壁くらい軽く吹き飛ばせるからだ。
そうこうしている内に建設局のある10階に到着した。
真っ直ぐ資料室へ向かうグレーデンの後に続き、角を曲がると、セキュリティシステムの付いた大きな扉に行き当たった。
「ここにデータベースがある。僕か、建設局の局長、局長補佐以外の人間では開けることはできない」
セキュリティ解除は網膜スキャンらしく、緑色の光を淡く放つ小さなスキャナがついている。それを指差し、彼はもう一度二人の顔を順に見つめた。
「君たちの目的がこの町の為になると信じて、僕は協力している。信頼していいんだな」
彼はセフィロスを見上げ、そのまま視線を据える。
セフィロスを正面から見ることは、かなり度胸のいることだ。だがグレーデンはひるまなかった。
「オレたちのクライアントは貴殿ではないからな。貴殿の思う通りに動けるとは限らない。だが、クライアントがこの街の住人である以上、ひいてはこの町の人々の為になるとは思わないか」
「わかった」
グレーデンはセフィロスからクラウドに視線を移動し、クラウドが同意の頷きを返すのを見て、素早くIDを打ち込み、スキャナ部分に左目を当てた。微かな機械音がして、スキャンは数秒で完了し、その後扉の中央でロックが外れる音が響いた。
両開きの扉に手をかけ、グレーデンは二人を室内へ招き入れた。
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「これが、ウェポン」
「恐らく」
資料をデータベース化してあるという端末から、この街の建設当時の膨大な画像を呼び出し、グレーデンが探し出した二枚のデータにそれは写っていた。
温度差を色別で表示するだけの粗い画像は、ウェポンらしき姿をはっきりと映し出している。建設に携わった者たちが不審がらずにいたのが不思議なほど、人型の影は明瞭だった。
外形を示す青い色は温度が低く、中央に向かうにつれオレンジ色になっていく部分の方が温度が高いという訳だ。
「はっきりとは分からないが、多分四、五十メートルはあるだろう」
グレーデンはキーボードの脇に肘をつき、その手で己の頭を抱えた。事実そこに投影されたものを見ても、やはり信じ難いらしい。
「ちょっと形が違うような気がするんだけどな」
クラウドはディスプレイの表面をなぞりながら、直感で思ったことを呟いた。
ダイヤウェポンは人に近い型をしていたが、スキャン画像にあるものは頭部のてっぺんを欠いたようへこんで見えた。
「魔晄キャノンが胸の中央を貫いたんだけど、頭の形はちゃんと残っていたようにも思うんだ」
「ウェポンではないかもしれないと?」
セフィロスを見上げれば、彼もまたクラウドを見ていた。
ウェポン以外のものであったなら、今日一日の調査は的外れだったことになる。セフィロス以上に、クラウドの方が余程消沈すべき事態だ。わざわざ、こんな格好をしたというのに、無駄足なのはご免被りたかった。
「君は…まるでウェポンを見て来たように云うんだな」
卓上に肘をついたまま、背後に立つ二人をグレーデンが見上げていた。
クラウドは口が滑ったことに気づきながらも、とにかく先を促した。
「後で何でも質問に答えるからさ、もう一枚の方も見せてよ」
渋々グレーデンがエンターキーを押すと、もう一枚の画像が表示された。こちらの方がもっと外形がはっきりと分かる。
「やっぱりそうだよ。頭の形はちょっと変形しているみたいだけど。ここの肩の部分と、足の形は間違いない」
クラウドが言い切ると、セフィロスとグレーデンは同時に大きく溜息をついた。
「よかったな、クラウド。女装の甲斐があった」
「…僕は、どうすればいいんだ」
グレーデンは今や両手で頭を抱えてしまっている。
まさか自分たちの住む街の足元に、こんな怪物を住まわせていたとはにわかに信じたくない事実だろう。ましてや伝説になるほどの巨人、暴れ出せば恐ろしい事態を引き起こすことは凡人だろうと想像できる。
「あんたの責任じゃないよ」
クラウドは哀れな男の背中を軽く叩いて云った。
「あんたたちじゃどうしようもない事なんだから。オレたちがなんとかするから」
「こんな大きな怪物を、君たち二人でどうできると言うんだ。この街には自警団や調査機関はあっても、かつての大国のような軍を持つわけじゃない」
実際、かつての神羅軍は数体のウェポンを彼らの力で退けたが、同時に失うものも多かった。ジュノン港を襲ったサファイアウェポンとの戦いでは、ジュノン駐留の兵士ら、半数が命を落とした。
この街にある自警団程度では、とてもウェポンを倒せるとは思えない。
「大丈夫だよ。なんとかするって」
「その根拠を教えてくれ。さっきも言ったが、君らはまるで数百年前の襲撃を知っているような口ぶりだったな。君らの正体は? そろそろ教えてくれてもいいだろう」
クラウドはセフィロスの反応を窺った。
セフィロスがせっかく事実を濁しながらうまく説明していたというのに、自分が口を滑らせたことでぶち壊してしまった。
セフィロスは薄く自嘲の笑みを浮かべて見返した。
「彼が安堵できるなら、別に構わないのではないか」
「ホント?」
「ああ、構わない。それで追われる身になったとしても、今も既に罪は犯しているのだからな」
「事実を云っても、絶対信じないと思うよ」
「そもそもウェポンを起こしたのはオレだ。後始末の責任がある」
グレーデンは更に混乱し、二人を忙しなく交互に見上げながら叫ぶように大声で言った。
「君がウェポンを起こした…? どういうことなんだ。さっき君らは、僕達がこの街を建設する際にウェポンを起こしたと云っていたじゃないか!」
「ええっと、あのね」
初めて激昂したグレーデンを宥めようと、口を開き掛けたクラウドを、セフィロスが押しとどめた。
クラウドを庇うように、グレーデンの正面に対峙したセフィロスは、静かに彼を見下ろした。
「貴殿はウェポンを伝説だと言っていたが、他の伝説は知っているか」
「…伝説?」
「先程言っていたな。彗星の飛来の話はどこまで知っている?」
「私が読んだ本は……『かつて世界を救った英雄が裏切り、天から破壊の星を呼び寄せた』というような内容だった」
「メテオ、つまり小惑星が飛来した時、ガイアが自衛手段としてウェポンを封印から解き放った。ウェポンとはそもそもこの星が生み出した、我々と同じ生物だ。オレがウェポンを起こしたと云ったのは、現在ではなく、その時代のことだ」
「五百年以上も前の話だぞ」
「そうだ。正確には五百五十年前だ」
肯定し、さらに仔細な説明を付け加えたセフィロスを、グレーデンは口を開けたまま見上げた。
「君は…その時に、五百年以上前に、そこに居たといいたいのか」
セフィロスは頷き、
「オレはその頃、かつてここにミッドガルを建設した大企業神羅の私設軍隊に所属していた。そして、これも」
そう言って、クラウドを顎で示す。
「ば、馬鹿な!」
二度目の叫びは悲痛ささえ感じるほどだった。
二の句が継げなくなったグレーデンは、クラウドへ救いを求める視線を向け、そして両手で唇を覆った。その指先の震えが彼の驚愕のほどを知らせる。
だがそれは、彼がセフィロスの言葉を、半ば信じた証明でもあった。
「信じられないかもしれないが、貴殿の言う伝説は過去現実に起こったことだ。そしてオレたちはその場にいた。オレとこれは、肉体的な理由で死を迎えずに今まで過ごしてきた。事実、証人もいる」
「しょ、証人?」
「厄災の飛来を止めるために戦った八人の勇者の中に、一人、長寿の獅子族がいた」
現在一般的に獅子族と呼ばれるのは、ナナキの種族のことだ。
「現在、コスモエリアに住む獅子族たちの長を務めている」
「生きている…?」
「ああ」
グレーデンは本気で信じ始めている。
クラウドの説明ではこうはうまく信用されなかったに違いない。
「では、仮にその話が本当だとして、君たちがその時代から五百年もの間、生き続けているとしよう。それでウェポンが現れて、君たちに任せておくのが最善だという確証はあるのか」
「これが、一度倒した」
セフィロスは再び顎でクラウドを示し、
「これは、貴殿が八人の勇者と呼んだうちの一人。ウェポンを倒し、狂気の英雄を退け、厄災の飛来を止めた」
グレーデンは目を丸くしてクラウドを振り返った。そして女物の衣装をつけたクラウドを上から下まで眺め、可哀想なくらい情けない表情になった。
普通なら騙されていると思うだろう。信じたとしても、子供のころから本で読んだ、伝説の勇者の正体が女装の若造では消沈もする。
クラウドは苦笑するしかなかった。
「勇者ってのこそ伝説だね。後世の人が勝手にそう信じたんだろ。半分はテロリストの集団だった。それにウェポンが現れた時、正確には七人だったし、戦ったのはオレ含めて三人だけだよ」
「こういうことだ。知識と経験のあるものがいれば、貴殿も心穏やかだろう」
つまり心の安寧を得る為に、グレーデンは二人が『五百年以上も生きている』という事を信じねばならず、それは市庁舎に不法侵入し、統括を拉致した犯罪者にこの街の運命を任せることと、さして変わらないくらい困難だったであろう。
グレーデンに、二人の真実を話すのが適切な判断だったのか、クラウドは今でも迷うところだ。
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「グレーデンにはああ云ったけど、実際どうなんだろう。本気でウェポンが暴れ出したら、悪いけどこの街の半分くらいは吹っ飛ぶよ」
市庁舎から自宅への道すがら、クラウドは未だ着けたままのスカートの裾を翻しながら、セフィロスの数歩前を歩いていた。
「ウェポンを、街の外におびき出して倒す方法を考えねばならないな」
「でもさあ、どうして起きたんだろう。街の建設の時に掘り当てたのはまずいと思うけど、動き出すまで随分時間がかかってるよね。ウェポンはガイアの意思でなければ動かないはずだろ。ここ最近、昔みたいに土地が病むような刺激があったっていうこと?」
「オレは古代種じゃない。星の声は聞こえない」
セフィロスの呟きに、クラウドは無意識に一瞬硬直した。遥か昔のこととはいえ、その種族の名をセフィロスが口にすることは、クラウドにとって未だ禁忌だった。
「すまない」
クラウドの動揺を察知したのか、セフィロスは呟く小声で詫び、顔を背けた。
恐らくセフィロスにとっても、その名は苦い記憶を掘り起こすものなのだ。実はクラウドよりも傷ついていながら、どうして先に謝ることができるのか。
「謝るなよ。責めたくなるから。議論は後にして、早く帰ろう。この顔に革貼ったみたいな化粧を今すぐにでも落としたいんだよ」
「似合っているのに」
小さな声で呟きを漏らしたセフィロスを今度こそ睨みつけ、クラウドは足を速めた。
アパートメントに戻ってからも、クラウドは機嫌の悪さを露にしたままリビングのソファに寝そべっていた。無論化粧は落し、シャワーを浴びてシャツとジーンズに着替えてある。
だがシャワーでは洗い流せない記憶を掘り起こされて、クラウドの気鬱は去る気配がない。
何度かセフィロスが話し掛けようとしているのが分かったが、字面を追うだけで内容を理解するつもりもない雑誌の紙面から目を離す気はなかった。
「クラウド」
セフィロスが静かに呼びかける声に、クラウドは漸く視線を動かした。
だが窺い見たのは覗き込むセフィロスの顔ではなく、彼の後ろにある時計にである。時刻は明け方近くになっていた。一昨日までは連日市庁舎の下調べと統括確保の計画を練っており、昨日は朝から女装までして市庁舎に侵入した事を思い返せば、本来なら眠気が来てもいい頃合だった。
「クラウド。頼むから機嫌を直せ」
完全に困った表情でソファの脇に屈み込んだセフィロスを、やっと正面から見た。
「悪かった。失言だった」
彼がこれほど明確に、感情を顔に表すのは未だに貴重な瞬間だ。
だがクラウドの苛立ちは、男が過去に起こした事件にではなく、そうやって自分自身の傷の疼きに鈍く、無視することに長けたその性分に対してだということに全く気づいていない。
クラウドにとって、今も昔も最も大事なものはこの男で、それを思いやれないセフィロスには、矛盾しているようだが怒りを覚えるのである。
広げていた雑誌を閉じれば、セフィロスは明らかにほっとした表情になった。
もしかすると、セフィロスにそんな気を遣わせるクラウド自身が、クラウドの敵なのかもしれない。どちらにしても矛盾していることになる。
「店から手紙が来ているぞ」
セフィロスは先程からそれをクラウドに告げようとしていたらしく、手にした封書を示して言った。
「店?」
「注文したろう。今日以降に納品出来るらしい」
クラウドは雑誌床へを放り投げ、勢いよくソファから起き上がった。
「ほんと?」
「そう書いてある」
「やっ…たあ。今日? じゃあ、後で工場に行く前に取りに行っていい?」
「ああ」
先程の気鬱が嘘のように晴れ、クラウドはソファを降りて落ち着きなく歩き回った。
セフィロスはクラウドの退いたソファに浅く座り、うろつきまわる青年を見つめていた。
機嫌を直すことは出来たが、方法は間違えてしまったようだ。浮き足立った青年に睡眠を取らせることも一苦労し、ベッドの中で思い出したように笑い出す奇妙なクラウドと半日を過ごすことになった。
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* * *
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風を切る感覚はチョコボに乗っていても感じることができる。だが、カーブを制覇する時、遠心力で身体が外に押し出されるのを、内側に車体の重さと腕力でねじ伏せる――その爽快感はこれでしか味わえない。
内側の膝が路面の限りなく近くを滑る。
カーブを曲がり切り、外への力から解き放たれ身体を起こした瞬間、己から一切余計なものを捨て去ったように思えた。
背後から腰に回された連れの腕は、思ったより気にならなかった。男の体重移動が完璧だからだろう。
そもそも初めてクラウドがこのバイクに乗ったのは、今後ろに乗っているセフィロスが前にいてハンドルを握っている時だった。ヘルメットも着けずに乗ったので、セフィロスの髪がクラウドの視界を塞ぎ、爆走するバイクに初めて乗った恐怖を倍増しにされた記憶がある。だがハイウェイの街灯や横を走る乗用車のヘッドライト、テールランプが光の筋になって背後へ流れて行く様は、幼いクラウドを夢中にさせた。
今は陽が高いが、思えば遥か昔の記憶とも風景は変わっていないように思えた。それなのに、いつからかクラウドは恐怖を感じなくなっているようだ。
生物である以上、恐れをなくすことは生命の終わりを示すのだが、多分それはセフィロスと共にいるからなのだろうとクラウドは思う。彼が助けてくれる事を望むでなく、彼が共にいる場所でこの世に別れを告げるならば、それがクラウドの何よりの望みだからだ。
飛び過ぎていく風景を目を細めて眺めながら、クラウドは円弧を描くインターチェンジの高架を回り、幾分狭い一般道へと降りた。
地面を這う小型乗用車を数台追い抜いてから、漸くセフィロスが何か言っていることに気づいた。
「なに?」
「スピードを落せ。ここはハイウェイじゃないぞ」
むっとして肩越しに振り返ると、ゴーグルの奥のクラウドの目を見て、セフィロスは微かに眉を顰めた。
「前を見ろ」
小姑付きのツーリングでは仕方ないとブレーキをしぼると、車体から伝わるエンジンの振動と、顔を洗う風が力を弱める。その途端自分を大地に繋ぎとめる鎖が増えるように感じた。
インターチェンジを降りると、フェイの工場はすぐ近くである。T字路で一時停止して対向斜線を走る乗用車を数台やり過ごし、右折したすぐ先に。短いツーリングはあっという間に終わりである。
クラウドは新車をもう少し走らせていたい誘惑に駆られた。だが元々今日の午前には工場でフェイとおち合い、これまでのことを報告する手筈になっていたのだが、すでに陽は中天を越えている。クライアントとの約束を、これ以上遅らせる訳にはいかないだろう。
ブレーキを絞り、門から進入し、玄関前の拓けたスペースにバイクを止めようと片足を下ろしかけた、その時、背後のセフィロスがクラウドに回す腕の力を強くした。
どうしたのかと問うより先に、肩越しに見上げた男の目が鋭く光る。獲物を見つけた時、もしくは敵の気配を感じ取った時の表情であることは、つきあいの長いクラウドには一目瞭然だった。
バイクが完全に停止するより早く、車体の側面に簡易に取り付けたホルダーからセフィロスが無言で正宗を抜き取った。バイクにまたがった姿勢のまま長い足を地面に降ろし、工場の入口辺りに視線を留めている。
クラウドはまだ何も感じない。
通常の人間よりはずっと気配や殺気、五感に敏感なクラウドでも、セフィロスには敵う訳もない。クラウドにはむしろ、常に傍近くにいるセフィロスの異変を察知する方が、己の感覚よりも確実で信用出来るのだ。
だからこそ何も聞かず、ゴーグルを首まで引き下ろして、連れが注視する工場の入口の方向から気配を探ることに集中した。
両開きの扉はぴっちりと閉じられて、一見した限りは平穏な、普段と変わらない風景に思えた。
だが、少し探れば分かるはずの室内の人間の気配が感じられない。この時間であれば、幾ら人員が減っているとはいえ数人の従業員はいるはずである。工場主であるフェイや、彼の相棒であるロビンもいるだろう。だがその一切の気配が掴めない。
室内が危険であるならば、誰もいないと考えるよりも、いるはずの人間全てが完全に自失して意識を無くしているか、もしくは息絶えているか、そのどちらかの方が可能性が高いようだった。
見知った顔が多いだけに、クラウドの不安は急速に高まった。
従業員たち全てが怯えていた、あの数日前に見た奇妙なもののせいで誰かが命を落としたとしたら、この事件を預かったクラウドたちの責任だ。
エンジンを切らずに地面に足を下ろした状態で、クラウドもホルダーから剣を抜いた。
「お前は、ここで待て」
バイクを停止させてから初めてセフィロスが口を開く。
「見てくる」
「オレも行く」
「…構わないが、エンジンはかけておけ」
止めても無駄だと思ったのだろう、先に立ったセフィロスは振り向かずに、まるで兵士時代を思わせる口調で言い、工場の入口に向かった。
乗用車並みの排気量を持つエンジンをかけたまま、スタンドを下ろしてクラウドは立ち上がった。
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セフィロスの一歩ほど後ろを歩き、彼が扉に手をかけても、クラウドはまだ人一人の気配も感じ取れていない。
意外なほどあっさり両側の扉を引き、セフィロスは戸口の中央で仁王立ちになって立ち止まる。彼の肩越しからでも工場内の様子はよく見えたが、いつもと変わらず多くの機器が並び、未舗装の床も、天井から下がる蛍光灯も変わりはない。ただ従業員の姿は見えなかった。
「…なんだ…?」
若干拍子抜けしたように漏らしたクラウドの声が、広い、静かな工場の中に異常に反響して聞こえる。
機械も停止したままで、単に今日は作業を休みにしているだけなのかとクラウドがほっと心中で胸を撫で下ろしたその時、セフィロスが振り返った。
脅かして何のつもりかと抗議しようと口を開く前に、クラウドを振り返ったセフィロスが僅かに身を屈め、顔を近寄せてきた。
「セフィロ、ス」
彼の口元には笑みがあった。
クラウドに緊張感をもたせる為にからかったのか。軽く反撃しようと上げた掌は片手で軽々止められ、微笑が張り付いた口元が更に近寄った。
その笑い方には覚えがある。
彼自身ではないもの。クラウドがかつて恐れていたもの。つい最近も白昼夢のように見た、『あの』幻影の彼だ。
笑いに歪んだ唇がクラウドのそれに重なり、噛み付くような動作で覆われる。激しさはあっても、彼らしい情熱の欠片も感じない。偽者と知れた彼にはクラウドは高ぶることも出来ない。
「へたくそ」
普通の男が恋人のそんな言葉を聞いたなら、顔を赤くして怒り出すか、もしくは落ち込むだろう言葉を平然と吐き、クラウドは解放された唇を笑みともつかない形に歪めた。
「人を食い散らかすくらいしか脳のない単細胞が」
抱き締めようというように伸ばされた腕を片手で払った。
「人を謀るつもりなら、もう少し練習してこい」
セフィロスの半分ほどでも、と心の中で付け足した。
その瞬間、ぐにゃりと視界が歪む。濃い蜃気楼の向こうに世界を見るように工場の機器類が、セフィロスの長身が揺れ、砂の城が水を被って崩れるように映像が溶解した。
一瞬感じた眩暈に似た感覚がすぐに去り、視界に現れたのは工場中に散らばる横倒しになった旋盤機や、巻いた鉄板を立てるポール。土の地面のあちこちが抉れ、散乱した残骸の中に幾人かの人影があった。
紛れもなく本物に違いないセフィロスは、その倒れた人間の脈を取っている。クラウドへ顔だけを向け、小さく頷いた様子からすると、命に別状はないらしい。
だが二度までも幻影を見て、クラウドの中には確信が芽生えていた。
あんな風に、心に強くある人物の姿を借り幻影を見せるものと言えば、クラウドの知る限りたった一つしかない。
「ジェノバ」
声に出した呟きに、セフィロスが微かに片方の眉を上げた。
そしてすぐに目を細め、戸口近くに立ったままのクラウドを見つめた。正確には、クラウドのすぐ後ろ辺りに。
「フェイ」
セフィロスが声に出して呼んだ者の名前は、クラウドにとっては意外だったが、気配もなくすぐ背後に現れたことにはさして驚きはなかった。
ゆっくりと振り向いた先、開いた扉の近くにこの工場主であり、クライアントでもあるフェイが立っていた。工場の内部の惨状を見て愕然としているようにも見える。前回会った時と同じシャツを着ており、汗と埃で汚れ、しわだらけになっていた。
「酷い…」
フェイは工場を一通り眺め、感情が欠落したような抑揚のない声を漏らした。
「酷い?」
クラウドは鼻で笑うような声で返し、彼に向き直った。いつも連れているはずのロビンの姿は近くになく、一層確信を強めた。
「あんたが隠してる奴がやったことだ。直接抗議したらいい」
冷淡にも聞こえる音声で静かに言い放ち、クラウドは剣を握る手に力を込める。
「人間を隠れ蓑にするのは、今も昔も変わらないんだな。大した学習能力だ」
「近すぎて気付かなかったオレたちも同じことだ」
クラウドの後ろでセフィロスが自嘲気味に漏らすが、一緒にするなと吐き捨てた。
「何を…言ってるんですか」
怯えたように呟くフェイはいっそ哀れだった。
「自覚などなくても、あんたはつけ入られたんだよ」
優しく言い聞かせるようにクラウドは呟き、上げた剣先をフェイに向ける。正宗のような鋭い刃ではないものの、その巨大で大雑把にも見える幅広の剣は見る者を圧倒した。
「…奥方を亡くしたと言っていたな」
やはり聞こえていたらしいセフィロスが静かに言い、フェイはその言葉にあからさまな動揺を見せた。
「彼女を…僕の元に返してくれると、約束したんです」
くしゃりと顔が歪み、片方の目尻から大粒の涙が落ちた。
その望みが純粋であればあるほど、アレがつけいる隙を与える。深淵に眠る欲望を突きつけ、それを与えてやると囁くのだ。
「あなたたちを、呼べと、あれが言ったんです」
温和でおおらかなフェイの体躯から、殻を破って飛び出して来たのは、圧力を感じるほど気配だった。彼の足元からそれは益々膨れ上がり、拡散寸前まで気配が高まった。
「クラウドさん…あなたの体に、彼女の意識を呼び戻してやると言われたんです」
どん、と突き上げるように地面が鳴り、周囲の瓦礫や工場の壁面が一斉にきしんだ。続けて地震のように大地がずれる地鳴りが起こり、次第に強く、近くなってくる。
立っていられないほどの激しい地震に、フェイはついに膝をつき、前のめりに倒れこんだ。その彼の下から数日前に見た大蛇のような半透明の触手が無数に噴き出してきた。
「クラウド!」
背後から逞しい腕に抱えられ、クラウドは男と一緒に飛び退いた。常であれば落下にそれなりの衝撃を感じるのだが、着地までにかなりの余裕を感じる。魔力を押さえることなく最大に発揮したセフィロスの跳躍は、滞空時間が異様に長い。
ふわりとクラウドを抱えたまま地面に降り立った時、それは触手だけでなく、工場の壁の一部を崩し、本体の頭部を現していた。
硬い、装甲のような首が土の地面から生えている。鈍い鉄の色をした首の先は爆発してめくれ上がったように崩れ、そこに巨大な脳みそのような肉塊が詰まっていた。赤黒く浮き出た血管が周囲を覆い、脈打つたびに躍動する脳髄の間から、一つだけ瞼すらない目玉が覗いている。それがぎょろぎょろと周囲を見渡し、セフィロスらを見つけて『笑った』。
「何なんだ、あれ」
あまりの醜悪さに震えすら帯びるクラウドを腕に抱えたまま、セフィロスは平然と巨大な怪物の頭部を見つめていた。
「半壊して意識を無くしたウェポンの体を『乗っ取った』のさ」
二人の男と怪物が睨み合うように対峙する間、それの触手は近くに倒れこんだフェイの体をもてあそぶように触れ、意識がないことを確かめてから、いきなり興味を失ったように投げ捨てた。周囲の瓦礫や残骸の上に放り出され、フェイの体は力なく転がって、止まった。
「間違いない、ジェノバだ。でもこれは『母』ではないな」
大昔、神羅が発掘して安置したジェノバとも明らかに姿が違う。感じ取れる意識や意志も数段あれより低く、セフィロスが『母』と呼んだものに比べると犬猫くらいの知能かもしれない。
今はクラウドの体内にもジェノバ細胞は存在し、同じ細胞をもつ者の意志はかなり感じ取れる。だがそれが語りかけてくる声は、あのオリジナルのような明瞭さはなく、断片的にしか感じ取れないのである。
『マツ……マツ』
意味をなさない単語が脳裏に浮かんだ。
敵意を滾らせる背後のセフィロスに対して、目の前の奇怪な生物にあからさまな敵意が感じられない。必死でそれが発する言葉を聞き取ろうとすると、腕の力を強めた男に止められた。
「無理に読むな。取り込まれるぞ」
「でも、なんて言ってるのか、わからない」
「待っていた、と」
少し力を弱めてクラウドを解放したセフィロスは、上げていた刀の先を落とし、細めた目でそれを見下ろした。
「今更なんのつもりだか」
セフィロスの言葉を理解したのか、怪物は半透明の触手を縮め、更に土の中から這い出そうとする。地面が震え、瓦礫が音を立てて崩れ落ち、捲れ上がった工場の壁をさらに広げながら、それは胸の辺りまで姿を現した。
「フェイが」
瓦礫の上に放り出された男の体が、滑り落ちて埋もれてしまいそうになる。クラウドは反射的に跳躍し、怪物の脇に倒れる彼の体をに飛びついた。
フェイの体を抱え込み、そのまま飛び退ろうとするクラウドの右足首に、のたうちまわっていた触手が絡みついた。これまで現れたものの殺意を示さなかったそれが、明確にクラウドを敵と判断したのだろうか。
フェイを巻き込むことを恐れて、クラウドは反射的にセフィロスを見やった。視線に受け止めろと言葉をこめて、クライアントの体をセフィロスへ向けて放り投げる。
セフィロスは軽く床を蹴って瞬時に近寄り、連れの望みどおりにフェイの体を受け止めた。その時既に、クラウドは怪物のおぞましい頭部近くまで引き寄せられていた。
ひとつしかない目玉が、逆さまに吊り上げた獲物をぎょろぎょろと観察する。それほど長い時間ではなかっただろう、獲物の体内に自分と同じものを見たのか、怪物の気配が変化した。
『リユニオン…』
一瞬にして変わった気配は、警戒し、検分するものからペットが主人を慕うような、つまり懐いているような様子になる。だが足首にしっかりと巻きついた触手を放すつもりはないらしく、吊り上げたクラウドの体を顔の前に移動させた。
脳髄のような肉塊は、近寄ると生臭い匂いを発していた。それから伸びた血管のような幾本もの細い管は、もとはウェポンだったはずの首や胸まで這い、侵入し、完全に支配しているように見える。
モンスターを見慣れたクラウドでも、グロテスクな構造に吐き気をもよおした。そして肉塊の一部が開き、小さな尖った無数の歯が並んでいるのを見れば、それの意図を察知できない者はいない。
『その汚らしいものを退けろ』
フェイの体を足元に横たえ、顔を上げたセフィロスが低い声で告げた。
僅かながら振動の続く工場内にも男の声はよく響く。単なる音声ではなく、これは同じ細胞を持つ者へ呼びかける方の声だったかもしれない。怪物の動きが止まった。
口のような割れ目を開いたり、閉じたり数度繰り返すのは、どうやらクラウドを食うかどうか迷っているらしい。
「冗談じゃないぞ…」
いつか終わりが来ると思っていても、こんなおぞましいものに食われて果てるのは御免だった。数日前これの一部を目撃したときもそうだが、実体がないとはいえ感触はある。冷たい幾本もの触手に絡め取られ、興味本位に身体をまさぐられて、これ以上ないほど嫌悪を感じた。
「オレのものを離してもらおうか」
激しい嫌悪に悲鳴をあげたくなるクラウドを正気に戻したのは、久しくないほどに高めたセフィロスの殺気だった。地面や空気から伝わるそれは、怪物に触れられるよりも肌を泡立たせ、自分に向けられたのではないと知ってなお、全身に震えを走らせる。
「離さぬなら取り返す」
ふっと上げたセフィロスの左手が怪物に向けられ、同時にクラウドを捕らえる触手の中ほどが赤く光り、炎を吹き上げた。
怪物の口らしきものが開き、ガラスに爪を立てるような耐えがたい悲鳴を発する。クラウドを取り落とし、触手の根元を大きく痙攣させた。
セフィロスは大きく跳躍し、着地したクラウドを攫い、怪物の肩を飛び越えて外へ飛び出た。
『リユニオン』
抱えられたままのクラウドは振り返ることはできなかったが、それは巨体を地中から更に這い出させて追ってくるつもりのようだ。再び地面が激しく振動し、地鳴りは工場の外まで伝わり、通りに見える電柱やブロック塀をみしみしと震わせている。
このままここで戦えば、この街は半壊するだろう。
協力者のグレーデンとの約束もある。街の人間の被害は最小限に止めねばならないと、クラウドは反射的に思った。
「ここでは、ダメだ…!」
揺れ続ける地面に降り立ち、セフィロスは止めてあったバイクの近くにクラウドを下ろす。スタンドで立ててあったはずのバイクは地震で倒れていたが、エンジンはかかったままだ。
「乗れ」
言われる前にクラウドは車体を起こし、剣をホルダーに突っ込むと、手に入れたばかりの愛車にまたがる。アクセルを二度ふかしたところで後部席にセフィロスも飛び乗った。
地面から足を離してスタートさせたところで、怪物の手の一本がバイクの倒れていた場所に突き立った。
逃げる者を負う性なのか、全身を現したウェポンの巨体がドンと地鳴りを響かせて立ち上がる。
昔見た姿とは頭部だけでなく明らかに違った。二本の腕の内、左の一本は上腕の途中から断ち切られ、そこから幾本もの半透明の触手が伸びていた。恐らく最初に遭遇したとき、セフィロスの召喚獣が砕いた腕だ。
胴体や足は昔のままだが、以前シスターレイが貫いた胸の中央からも、同じような触手が伸び、何かを探すように蠢いている。
クラウドはその姿を確認したところで、顔を前に戻した。二人を乗せたバイクは工場の門を抜け、街の中央から放射状に伸びる幹線道路に飛び出た。
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いきなりアクセルを最大にふかすと、車体を歓喜するように震わせてデイトナはその能力を見せつけるべく、反動をつけて加速した。
いきなり町中に現れた巨大なモンスターに驚いたのか、制限速度など無視して走るデイトナには気にもとめず、道を行くトラックや乗用車は路肩に急停止して、ドライバーたちは窓から身を乗り出してその姿に釘付けになっていた。視界にはっきりと姿を捉えた者は悲鳴を上げ、慌てて車を捨てて、クラウドたちを負うモンスターから蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「離れろ!車を捨てて逃げろ!」
クラウドは叫びながら更に速度を上げ、間隔の短くなった巨大な足音の距離感だけを頼りに、ひたすら道を走らせた。
「ここでは手を出せない。街の外へ出ろ」
それの、地面をも震わせる足音と、周囲の悲鳴、デイトナのエンジンが発する爆音にもかき消されないセフィロスの声が告げた。クラウドも元よりそのつもりである。
最初は推理小説みたいな事件だ、などと暢気に考えていたのはなんだったのか。便利屋くらいのつもりでのんびりやるはずの『なんでも屋』に、最初に来た依頼がコレとは全くもってツイていない。
「なんで…あんなもんが!」
やつあたり気味で叫んだクラウドの問いに、セフィロスが小さく笑った気配がした。
「オレたちが起こしたのさ」
「何にもしてないだろ!」
「恐らく神羅がジェノバを見つけたときに、アレも一緒に発掘されて、このミッドガルにあったんだろう。ネオミッドガルの連中が魔晄脈を掘り返したとき、ウェポンの死骸を見つけて寄生し、魔晄の中で機会を待っていたんだろうな」
「なんの機会だよ!?」
肩越しに会話しながらも、それが遠く離れすぎないように距離を測って、速度を調整している。路肩に止まった車や街灯、幹線道路の塀を破壊しながら、それはクラウドたちを追ってきていた。まさに『ペットが主人を慕って駆け寄ってくるように』。
「あれはオレに還りたがっているのさ」
耳元で囁かれた言葉に、クラウドは一瞬現状も忘れて背筋を震わせた。
今でも時折クラウドを誘う、セフィロスへのリユニオン。恐らく同じ細胞を抱えている限りそれは本能なのだろうと思う。食欲や睡眠欲、性欲と同じように、抑えることは難しい甘美な欲求だった。
今も昔も、クラウドとは一つになりたくないと言うセフィロスの強い意志がなければ、最初の戦いの時に既に取り込まれていたはずである。
「あんたと、ひとつに」
「ダメだ、クラウド。お前は『オレ』になってはいけない」
「あんなバケモノの気持ちが分かっちまったオレは、どーすりゃいいんだ」
奥歯を噛みしめるクラウドの耳元で、セフィロスはまた小さく含み笑った。
「オレたちは他にひとつに繋がる方法を知っているだろう。クラウド」
言外に含まれる意味に頬が熱くなったが、クラウドは無視して答える。
「アレも…あのバケモノも、そうやってなだめるつもりなのか?」
「あのままでは無理だ。ウェポンへの寄生を引きはがして、アレの本体だけをオレに取り込めばいい」
具体的な案なんてないくせに、とクラウドは呟いたが、この余裕のない状況で考えることでもない。
6番街を抜け、もうすぐ街の外へ降りる幹線道路の出口があるはずだ。街中で追いつかれては、その場で戦闘になってしまうだろう。
これまでは幸い幹線道路を一直線に進んでいるから、その周囲以外に害は及んでいないようだが、今でも十分被害が大きい。なぎ倒された電柱が、道の脇に立つ建物に食い込み、切れた電線が着火させたのか火の手も見えた。肉迫してくる怪物に追いつかれず、離れすぎず、なるべく街から遠く離れなければならない。
漸く出口を示すサインが見え、左が出口、右は一番外側の環状線6号に降りる。クラウドは側道に降りる分かれ道を左に折れた。
ぐるりと円を描いて坂を下り、すぐ下にある信号は無視して、正面に見える街の出口へ向かった。
出口には検問所があり、何か事件があったりすると封鎖され、通行を制限されることもある。普段は出入り自由で、門に設置された遮断機も開け放たれたままになっている。
検問所に立っていた自警団員らしき制服が、猛スピードで近づくバイクに気づいてこちらを見た。だが彼もまた、その背後から地鳴りを響かせ走ってくる怪物に気づいて、ぽかんと口を開けていた。
「逃げろ!」
通り過ぎる瞬間叫んだクラウドの声が聞こえたらしく、自警団員は持ち場を放棄して一目散に逃げ出す。ほどなくして怪物は彼がいた詰め所や遮断機を粉砕しながら、門扉を吹き飛ばし、バイクを追ってきた。
障害物がなくなったせいか、それは街の外に出た途端速度を上げた。
ミッドガル周囲のグラスランド平原は、その名の通り丈の短い下草に覆われている程度で、立木も少ない。土煙を巻き上げて爆走するバイクへの距離をじりじりと詰め、海風を感じるくらい海岸に近づいたころ、その差は五十メートルにも満たない近さだった。
「ここでいい。止めろ」
村や人間の影すら見えない場所に来て、セフィロスがバイクを止めさせた。
もう数百メートルもいけば海岸線である。この周囲には人が住むような場所もなく、野生のチョコボが時折通り過ぎるくらいだ。
後輪を滑らせながら急停車したデイトナに向けて、巨体が突進してきた。
すぐに飛び降りたセフィロスには目もくれず、バイクを倒しかけたクラウドに向けて、一本だけの腕を突き出してきた。
のけぞって後転し、降ってきた掌からクラウドが飛び退いた。その場に残されたバイクの上に風を切って落ちてきた2メートルほどのウェポンの掌は、頑強な車体をぺしゃりとオモチャの様に押しつぶす。
「わあ!」
クラウドは思わず声を上げていた。
買ったばかりの夢の愛車の命は、クラウドのものになってからたった2時間。あまりに短い、短すぎる。
砕かれた車体から部品が飛び散り、クラウドの足下にバックミラーの一部が飛んできた。それを拾って、まだ車体を掴むようにあるウェポンの掌に襲いかかりそうな勢いのクラウドを、背後のセフィロスが止めた。
「バカ。もう遅い」
「バカってなんだよ!新車だぞ!デイトナだぞ!」
完全に癇癪をおこしたクラウドは、とても人様には聞かせられないような口汚い罵声をウェポンに向けて浴びせ、引き留めた腕に噛み付き、それでも解放しない男の腕の中で暴れ続けた。
『リユニオン…セフィロス』
昔のウェポンとは異なり、それはバイクの車体を押しつぶしたまま、四つ足でにじり寄ってきた。その姿をしても、まるで獣のような動きである。
相手がセフィロスであれば、すぐに襲いかかって来る様子もないので、そのまま睨み合って様子を伺う。その緊迫感をクラウドの罵声が破る。
「こんちくしょう!玉があるなら叩きつぶしてやる!この低能動物が!」
どうやってウェポンからジェノバを引きはがそうかと真剣に方法を考えている男は、クラウドを少々呆れた風に眺め、ふと思いついたように腕の力を強めた。
「ひとつになりたいか」
静かに呟いた言葉に、にじり寄ろうとするそれと、クラウドが同時に動きを止めた。
「な、に?」
吐かれた言葉はウェポンにとりついたジェノバに対してだったのか、それとも自分になのか、クラウドは一瞬うろたえた。
硬直したクラウドの首筋に背後から唇を這わせ、抱え込んでいた掌と長い指が、戦闘服の上から青年の体を撫でる。こんな状況で、しかもクラウドは愛車を壊され怒り心頭になっている時に、あまりに非常識な行為だった。
「アレを誘う」
再びセフィロスが小声で囁いた。
「誘う…?」
「いくらオレでもウェポンごとアレは取り込めない。自分から寄生を解かせる」
混乱気味なクラウドを放置して、セフィロスは片手に携えていた正宗を土の地面に突き刺し、空いた両手でクラウドを攻略し始めた。鮮やかすぎる手順でベルトを解かれ、下着ごとパンツを脱がされそうになると、クラウドは我に返って再び暴れ出した。
「なに、考えてんだっ!」
「見せてやるのさ。オレとお前がひとつになる様を」
バカな、と開いた口を唇でふさがれ、性急に前を弄ばれ、クラウドは震える足で必死に体を支えた。いくら人里離れた場所とはいえ、外で、しかも快晴といっていい草原のど真ん中である。しかも目の前には巨大な敵、どう考えてもセックスなどしている場合ではない。
殴って止めさせるには肩越しに見下ろす男の表情は真剣すぎて、それに流されるまま大した抵抗も出来ず、唾液でぬらした指先を背後から突き入れられた。
びくりと顎が震え、慣れた感触に瞬時に身体が弛緩した。
セフィロスとのリユニオンのために地中から這い出てきた怪物の目の前で、二人がひとつであることを見せつけるのは、クラウドの独占欲を限りなく刺激もする。
相手がなんであろうと関係ない。
セフィロスが真の意味で統合を切望するのは、自分だけだという自負がクラウドを長年支えてきたのだ。
「あんな…バケモノと…あんたがリユニオンするのか…?」
乱れてくる息を整えようとあがきながら、抵抗を止めたクラウドは指先が与える感触を追う。こんな状況で勃起するのは難しいが、慣れから来る快感はあった。
セフィロスは肯定せず、ただクラウドの顔を覗き込みながら口元に笑みを刻んだ。ベッドの暗闇でよく目にする笑みに、クラウドの身体は反射的に反応する。男として悔しさを少しは感じるが、背後に回した手でセフィロスの前立てを解き、引きずり出す。
敵前にありながら、セフィロスのものはしっかり立ち上がっていた。行為を強請る言葉を吐く間もなく、腿まで着衣をずらされ、剥き出しにされた狭間から指が抜かれ、すぐに代わりのものが与えられた。
悲鳴にも似たクラウドの小さな歓喜の声に、怪物が身じろぐ。
この怪物がもし本当に、ミッドガルに現れた二人に反応して動き出したのであれば、この一ヶ月ほどの間、二人の行為をずっと観察していたのかもしれない。だからこそフェイを使って二人を己の近くにおびき寄せ、最初にフェイの工場を張り込んだ時には、セフィロスの顔でクラウドに性夢のような幻影を見せた。
知能の低いこれには、二人のその行為が何であるのかすら分かっていないに違いない。
ヒトの激しい独占欲や執着心、ましてや愛憎など、この無知きわまりない幼児のようなジェノバに分かってたまるか、と心中に浮かんだ罵声を溜息に変える。
いつものように激しい注挿はせず、ただ繋がったまま唇を貪られるだけで、クラウドは敗者のない勝利に浸った。
「クラウド」
含み笑う甘さを滲ませた呼び声に聞き入り、小さく頷いた。
「なんだ、感じてるのか」
「そうじゃなくて」
潤いも殆どなく入れられても、引きつる鈍い違和感があるだけだ。それでも繋がっている事実がクラウドの足を萎えさせ、上肢は完全にセフィロスに預けてしまっている。両足を下ろしたままでは体勢が維持しにくいと思ったのか、セフィロスはクラウドの片足を腕に掛け、持ち上げた。残した足のつま先が浮きそうになっても、揺るぎない広い胸は安定感があった。
じっとしていたセフィロスが、からかうように二、三度腰を突き上げた。
続けて数度喘ぎが漏れ、それと同時に動きを止めていたウェポンに変化が現れる。
胸の中央や片腕から伸びていた触手が、体内に引き込まれるように消えた。ぎょろぎょろと絶えず動いていた一つ目の目玉は、じっとセフィロスら一点に据えられて、ウェポンの体中に這っていた管が、ビデオ映像を逆回しにするように縮んでいく。
巨体を支えていた四つ足が力を失い、頭からどうと地面に倒れ、土煙がもうもうと舞い上がった。
そして倒れ込んだウェポンの頭部から、ジェノバの肉塊が這い出そうとしていた。
外側から見えていた姿よりも若干大きく、だが手足も持たないそれは、ぶよぶよとした内臓や脂肪のような塊でしかなかった。動きも遅く、下草の生えた土の地面を、ずるずると形を変化させながら移動している。
一方、ジェノバの寄生から解かれたウェポンの身体は、みるみるうちに化石のようなくすんだ色へ変化していった。ウェポンもまた、動かすものの意志やエネルギーの源であるライフストリームから離れれば、単なる装甲に過ぎない。シスターレイに貫かれた胸部は、ぽっかりと大きな穴が空き、周囲が焦げたように黒ずんで、ジェノバに食い荒らされたのか、壊れた頭は首の奥の方まで空っぽである。
ウェポンの脈動が消え、それが動くたびに大地を揺らした地鳴りがやむと、草原に静寂が戻った。
セフィロスはクラウドを抱えたまま、ジェノバの肉塊を無表情で見つめている。それの意志を読みとるかのように。だがジェノバは少しずつ地を這って近づいて、ただぶつ切りの単語を直接語りかけてくる以外、無力な存在になっていた。
「オレに還れ。お前の意識など必要ない」
ひやりとするほど冷酷な声は、昔、竜巻の迷宮で再会したときのセフィロスと同じ音声だった。
もたげた不安に顔を上げ、覗き込もうとすれば視線が合う。
「クラウド。お前に言っているんじゃないぞ」
「でも」
意志を持たねば、足下の肉塊と一緒にセフィロスに溶けてしまいそうで、それは魅力的な想像でもあった。エクスタシーすら感じる幻想に捕らわれそうになる。
誰よりもセフィロスに溶けやすい意識と肉体、それが本来のクラウドであり、コピーの本能だ。
「いつまでたっても、バカな子だ。愛しいオレのインコンプリート」
苦笑を混ぜて優しくなじられ、繋がったまま、クラウドの身体は地面に押し倒された。
セフィロスはうつぶせのクラウドの腰を持ち上げ、物理的に繋がっていた箇所を覗き込み、唾液を付けた指で潤いを足して動き出した。深い挿入に反り返る背中に覆い被さり、地面についた手の上から掌を重ね合わせる。クラウドは急激に沸き上がる飢餓感に逆らわず、背や肩に流れ落ちてくるセフィロスの髪とコートに身体を沿わせた。
自然の摂理に反した行いでも、半身の彼の身体の一部を取り込む行為は、クラウドに何物にも代え難い幸福感と充足感をもたらす。
身体の近くまで擦り寄ってきた哀れな肉塊には嫌悪があったが、それでも確かに二人の同族には違いない。
『お前も、オレたちの一部になるんだよ』
クラウドが胸中で呟いた言葉が聞こえたのだろうか。
急速に高められ酩酊してくる意識の端で、肉塊が繋がる二人の身体を取り囲む感触がした。目を瞑っていればグロテスクな物体を見ることもない。ひんやりとした感触は意外にも火照った肌には丁度よく、気味悪さも半減する。
皮膚にしみこむように、何かが入り込んでくる感触があったが、身体を貫く楔の与える快楽とわずかな痛みの方が、クラウドの意識を占める割合が遙かに大きい。交互に重ね合わせた長い指を、えぐり取った土と一緒に掴み、セフィロスの支配を受け入れた。
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土にまみれ、そのままもつれ込んだ性交が終わった頃には、ジェノバの姿は消えていた。
肉片の一欠片も落ちていない。全てセフィロスに再統合されたのか、もしくは一部はクラウドの中に統合されたのか。あの物体とひとつになるなど思い起こせば気持ち悪さが先に立つが、クラウドも目の前で着衣を直す男も、どこにも変化は感じられない。
内部に吐かれたセフィロスの体液がいつもより熱く感じられるくらいだ。
「これ、どうするんだ?」
乱れた服を着直して、クラウドは側に散乱したウェポンの死骸を指さした。このまま放置しておく訳にはいかないし、またこういう事になっても面倒である。
「離れろ」
バイクの残骸の中から剣を拾い、街の方へ少し歩き出した。百メートルほど離れた場所でセフィロスが振り返る。
微かに唇が動いたと同時に二人の脇に召喚獣が現れた。暮れかけた夕陽の中で白く輝く美しい身体はシヴァだった。無言でセフィロスが指さした先にシヴァはするりと移動し、掲げた掌から凍気を放出する。
遠目にも白くけぶる空気に包まれ、みるみるうちにウェポンの躯が凍結していく。そして最後にシヴァの放った波動が、周囲の空気を震わせながら凍結した巨体を粉々に粉砕した。
凍ったままの細かな破片が、ダイヤモンドダストのようにきらきらと輝きながら大地に降り注いだ。
もともとウェポンとはこの星が生み出した生物だ。誰にも知られず、土になり、母なるガイアへと還っていくだろう。
「あとは…フェイが心配だな」
遠くに見えるネオミッドガルの様子は、ここからでは分からない。
だが巨大な怪物の突然の出現に、今頃はネオミッドガルあげての大騒ぎになっていることは想像に容易い。
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バイクを破壊され徒歩で戻るしかなかった二人が街に到着した頃、既に日が落ちて、本格的な夜が始まっていた。サーチライトをとりつけ、発電機を積んだ自警団の車両が行き交い、惨状を照らしていた。
混乱に乗じて外門から街中に入ると、なんとも見事なほど一直線に、破壊の跡が残っている。
巨大なブルドーザーが通ったらこんな風になるのだろうかと思えるほど、倒れた電柱の角度までが均一だった。原形をとどめずぺしゃんこに潰された乗用車は放置されていたが、まともな車や人は脇に退けられ、代わりに救急車やレスキュー隊のトラックが忙しなく行き来している。
一般人も救助活動に借り出されているようだが、行き交う人々の様子から察するに、思ったよりも人的被害は少なかったのかもしれない。
破壊された幹線道路を中心部に向かってしばらく進む。先程はバイクで爆走したから一瞬だったが、今度はそうはいかない。フェイの工場へ辿り着いた時には、ここからウェポンが現れてからかなりの時間が経ったことになる。
案の定、フェイの工場は救助活動などが終わり、自警団も既に引き上げた後だった。玄関側の壁は完全にめくれ、粉々になったモルタルの破片が散乱し、一部の鉄骨だけが剥き出しになっている。ウェポンが這い出て来た跡は、土が泡立ち大きな穴になっていたが、周囲にあった機器類が落ち込み、外から見る限りではどうなっているか分かりにくい。
ウェポンに踏みつぶされたらしい門だった物の前には自警団員が立ち、入り込めないようにロープが張られて、工場内は暗く人気が全く感じられなかった。
クラウドは警備の者に声を掛け、中の様子を聞いた。知り合いとでも言えば、従業員の安否くらいは教えてくれるに違いない。
「ああ、工場長と従業員は隣の区の病院にいますよ。怪我はしてたみたいですが、意識ははっきりしてましたから」
なんの疑いも持たずに答えた様子からすると、意識があったというフェイは自警団にクラウドたちのことを何も告げていないのだろう。
しかし正直、結果的に操られていたフェイにも、そもそもこの事件の原因であったクラウドとセフィロスにも、すぐに顔を合わせていいことがあるとは思えなかった。
「病院、いかないほうがいいかな?」
俯いて呟いたクラウドの何を感じ取ったのか、セフィロスはその肩を抱き寄せてクラウドの髪を撫でる。
「命に別状がないのなら、暫く様子を見る方がいい」
無言で頷くクラウドを促して、自宅の方向に足を進めた二人は、工場の前から去ろうとしてふと立ち止まった。
工場のある横道から大通りに出るT字路の角、歩道のど真ん中に、ちょこんとうずくまる黒い塊があった。二人の気配に気付いたのか、すばやい動作で顔を上げ、大きく一声吠えた。
「ロビン!」
セフィロスの腕から抜け出し、クラウドはフェイの飼い犬に走り寄った。彼は無我夢中でクラウドに飛びつき、その顔を舐め回し、ちぎれそうなくらいピンと立った尻尾を振り回した。
先程まで、クラウドが犬相手にフェイの事情を必死に説明する様を眺めていたセフィロスは、複雑な心境で一人と一頭の一歩後を歩いている。
普通頭のいい飼い犬は、顔見知りでもそう簡単についてはいかないものだ。ということは、彼はクラウドの説明を理解したのだろう。
かなり長い距離を歩き、自宅の数百メートル手前に至って、クラウドは漸く同居人であるセフィロスに同意を得る必要に気付いたようだった。
「暫くフェイが入院するようなら、面倒みる人間が必要だろ? 家に連れてってもいいよな?」
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* * *
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大騒ぎになった怪物来襲事件から4日目、世間はまだ、怪物がどこから来たのか、どうして街を破壊しながら姿を消したのか、学者や博識者たちがメディアに出演して論争を交わし、興奮冷めやらぬ状態だった。
中には割と的を得ている学者の発言もあったのだが、目撃証言や一般人が8ミリフィルムで撮影した映像があるくらいで、殆どの物証がなく、想像の産物だとその意見の検証すら立ち消えになった。
結局のところ、突然変異のモンスターであるという意見が大半で、ああいった巨大なものが現れる可能性は百年に一度くらいだろうと予測が立てられると、街にも落ち着きが出てきた。
巻き込まれて死んだ人間は十名にも満たず、少し大きな交通事故の方が死者は多いかもしれないくらいだ。犠牲が最小限に済んだことは、クラウドたちにとっても胸を撫で下ろす要素だった。
壊された幹線道路は通行止めのままで復旧の見込みも立っていないが、元々環状5号線から6号線を繋ぐ幹線道路の、ごく短い距離である。殆どの住民には支障なく、数日経てば平穏なネオミッドガルが戻ってくるだろう。
その時、セフィロスは一人、壱番街第3地区にある総合病院のロビーを歩いていた。
白く清潔な壁や床が続く病院内で、セフィロスの長身と長い銀の髪は非常に目立つ。セフィロスにとっては普段着である黒いシャツにパンツの黒づくめも、病院には不似合いだったようだ。これが零番街の第2地区あたりなら役者などと間違われて相手の方が目を合わせないようにしてくれるのだが、入院患者や見舞い客、果ては看護師たちの物珍しげな視線が彼の後を追った。
手には見舞いの果物の袋を持ち、セフィロスはひたすら廊下を進む。フェイの病室は事前に病院へ連絡して確かめてある。
これまでに二人に追手がかかっていない以上、フェイが誰かに情報を漏らしたとは考えにくいが、万が一のことを考えて今回はセフィロス一人がここに来ることになった。追われるはめになっても逃げる手段はいくらでもある。だがクラウドは傷つくだろう。彼は元々そういった性分だ。
病院側から告げられた病室の前に行くと、番号の下にフェイの名前があった。個室だったことを幸運に思いながら、扉を軽くノックし、応答を確かめてそれを開いた。
小さな病室にはパイプの柵がついたベッドが一つ、来客用の長いす、洗面台とトイレが設置されている。セフィロスは一瞬神羅時代の独房を思い出していたが、ここは窓から明るい日差しが差し込んで、記憶のものとはあまりに印象が異なった。
ベッドに横たわったフェイは、セフィロスの姿に驚くことはなく会釈した。
「待っていました」
そしてカーテンの死角になっていたフェイのベッド脇の椅子には、あのグレーデン統括が座っていた。
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「まずは謝りたいと思います。私が弱いあまりに、結局あなた方だけでなく多くの人を巻き込んでしまった」
軽傷だと言いながらも、フェイは右足大腿部を骨折し、その他にも手足のあちこちに捻挫や打撲を作り、顔にも傷があった。身動きしにくそうにベッドに横たわり、リクライニングで起こした上肢を折ってセフィロスへ頭を下げた。
「貴殿のせいではない」
「でも意図してあなたやクラウドさんをだましたのは事実です」
俯くフェイの首筋にも包帯が巻かれていた。セフィロスと同じように、椅子に腰掛けたグレーデンもまた彼を無言で見下ろしている。
「私は、妻を失ってから、少しおかしかったと思います。来る日も来る日も、彼女が戻ってくることを夢見て、いつもそこに無いものを見ていた。…だからアレが、私に囁きかけて来たとき、信じたんです」
上げたフェイの顔は苦悩があったが、以前のように疲れ切った様子ではない。
「接触してきたのは、いつ頃から?」
それを聞いたのは、ここに来て初めて口を開いたグレーデンである。
「あの怪事件をなんとかしたくて、零番街不動産に行って、セフィロスさんたちに調査をお願いしに行った、あの日です」
「オレとクラウドが、貴殿の工場であれの一部を見た日だったな」
「アレは、一体何なんです?」
「太古にこのガイアが生んだ守護兵。この街がもっと巨大な組織で統率されていた頃の遺物だ」
セフィロスは見舞いの紙袋をベッドの端に置き、ベッドの正面に据えられた長椅子に腰掛けた。
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数日前グレーデンに話したことを繰り返し、セフィロスは説明を終える。
自分たちが数百年生きていることは無論告げなかった。口も挟まず聞き手になっていたグレーデンも未だ半信半疑だろうし、信じたとしても、彼もまたそれは伏せておくべきだと思ったのだろう。
フェイは少なからずショックを受けているようだが、セフィロスらが完全にウェポンを始末したと聞くと、あからさまにほっと溜息をついた。グレーデンもまた心中では安堵しているに違いない。
「あれは天災のようなものだ。悪意ある人の意志で動くこともない。工場は潰されたが再建が出来る。そこは統括の助力が必要だな」
セフィロスはグレーデンを見やり、視線が合って身を固くした統括へ意地の悪い笑みを見せた。
「我々としても、出来る限りのことはしよう」
神妙な顔で答えるグレーデンの言葉に、フェイは更に安心したようだった。
途中から騙していたとはいえ、真実を知るセフィロスらからすれば、フェイこそ被害者である。ウェポンを操ったジェノバはあそこを訪れたセフィロスとクラウドを見つけ、リユニオンを果たす目的で彼を誘惑したのだ。
だからクラウドは来なかった。
良心の呵責に耐えられず、真実を告げてしまうだろうから、と彼自身が言っていた。
以前のように、自分の意志でジェノバを操っていたセフィロスと、クラウドは根本的に何かが違う。セフィロスはクラウドを苦しめたことは後悔しているが、今でも他人やこの世界に未練がある訳ではない。セフィロスにとってこの世界を守ろうとする意識があるのは、ここでしか半身と共には存在しえないからだ。
フェイが愛した妻を取り戻そうとした思考は、皮肉にもセフィロスには良く分かる。もしクラウドを失ったら、至って平静にそれ以外の全てを捨て去り、取り戻そうとするだろう。
「報酬はどうしましょう、セフィロスさん」
フェイの遠慮がちな声に我に返ったセフィロスは、これが彼から依頼された調査の結末だったことを思い出した。
「貴殿の工場を犠牲にしてしまったからな、依頼が果たせたとは思えない。報酬は受け取れない」
「いえ、大変迷惑を掛けましたし、工場は失いましたが私にもそれなりに蓄えがあります。規定の料金くらいなら支払えますよ」
笑って告げる依頼人に、どう返答したものかと迷いがあったが、こういう場合はクラウドがどう答えるかを考えればいい。
「では、犬を」
は?と声を揃えて、フェイとグレーデンはセフィロスを見た。
「実は貴殿の飼い犬を預かっていた。連れが大層気に入っている。譲って貰えれば」
フェイは動揺したような表情で視線を彷徨わせていた。
セフィロスには飼い犬に執着する主人の気持ちは理解できないが、それでも共に生活していた動物を手放すのは躊躇するだろうとクラウドを見ていれば分かる。自分の手をじっと見下ろしたフェイは、だが暫くすると決意したように頷いた。
「そうです、ね。私はそろそろ妻を忘れなければならないです。ロビンには、妻の思い出が多すぎる。慰められることもありましたが、私には重荷でもあった。それにひと月は入院することになるし、その間預ける当てもありません。クラウドさんには懐いていたから、喜んでお譲りしますよ」
セフィロスは無言で頷き、立ち上がった。
「望むなら貴殿が退院したころ、一度クラウドに連れてこさせよう。その時正式に譲り受ける」
堅苦しいセフィロスの言い様に、フェイは柔らかい笑みを見せた。
「それまで、ロビンを頼みます」
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来た通路を足早に戻り、病院の正面玄関を抜けたところでセフィロスは背後から呼び止められた。
「ミスターセフィロス」
追ってきたらしいグレーデンに対し、セフィロスは肩越しに振り返ることで答える。
「先程の話は真実の全てなのか? 本当にウェポンはもう現れないと?」
いきなり確信をつく問いだったが、患者や見舞客が大勢通る場所で話すことではない。遠巻きにボディガードらしきスーツ姿の男も二人見えた。
「ここで話してかまわないのか」
「構わない。ボディガードたちは余計な話を聞かないように訓練されている」
セフィロスの横を見舞客らしき若い女が通り抜ける。
一瞬セフィロスの髪を見つめた後、足早に過ぎるのを待って口を開いた。
「真実ではないとするなら、どんな説明が望みだ」
「私はこの街の預かる身だ。この街をもうあんな怪物が襲うことがないと、確証が欲しい」
「確証?」
「あの怪物がミスターフェイの工場から現れたと報告を受けて、君らのクライアントが彼であると思った。だから彼に面会を求め、それなりに経緯は聞いたつもりだ」
セフィロスはグレーデンに向き直り、固い表情を見下ろす。セフィロスがそうすることで、相手が受ける威圧を十分計算した上のことである。
「それで」
「君たちのことも少し調べた。彗星が飛来した五百年前の資料はどれも確信はない。伝説程度にしか捉えられていない。だが実在していたと承知の上なら、分かったことも多かった」
フェイがどこまで統括に事情を話したのかは知らないが、恐らくグレーデンはセフィロスらの話と併せて、何かを確信したに違いない。
「『かつて世界を救った英雄が裏切り、天から破壊の星を呼び寄せた』ここまでは以前のから知っていた話だ。問題はそのあとだ。『この星を破壊しようとした彼を抹殺すべく、ウェポンと呼ばれた生物が目覚めた』と。これは以前やさっきの君の話とも合致する。そして…」
セフィロスはグレーデンの懐疑の視線を受け、思わず口元を吊り上げていた。
「英雄の名は『セフィロス』」
「だとしたら、どうなんだ」
「…あのウェポンは、君たちを追って出てきたのではないのか?」
この男も馬鹿ではないらしい、とセフィロスは改めて思う。だが真実が分かったところで、彼らにはどうすることもできないと理解させるには、真実を聞かせる必要があるのかもしれない。
「慕って来た、という方が正しい」
「慕う?」
「あれはウェポンではなかった。正確にはウェポンの死骸に、『ウェポンが敵とみなすもの』、つまりオレと同族のものが寄生していた」
グレーデンはぽかんと口を開け、硬直していた。
その事実が理解しがたいのか、それともセフィロスがグレーデンの知る『英雄』だと認めたことに驚いているのだろうか。
「神羅がオレ以外の同族を所持していたのは、今回初めて知った。ここは神羅の中心だったミッドガルの跡地だ。それは貴殿も周知だな」
「あ、ああ」
「同族とは言っても、アレは己の意識を殆ど持たない小さなものだ。忘れ去られ、この地の地下深くで眠っていたものが、この街の開発のときに掘り返され、ライフストリームに落ちたのだろう。そこでウェポンの死骸を見つけた。そしてヤドカリのように寄生したのさ」
声も失いかけたグレーデンが哀れにも見えたが、セフィロスは続ける。
「この街に来たオレに気付いて、それが這い出てきたには違いない。だがアレはもういない。ウェポンの屍も破壊した。だからもう現れることはあり得ない。万が一現れたとしても、それはアレとは別物だな。それこそ天災とでも思うしかない」
「ではこの街の人間には、もう心配はないと告げても…また現れたときの対策を考える必要はないのか?」
「それはオレの考えることではない。今のオレは単なる一市民だ」
セフィロスの微笑はさぞ意地の悪いものに見えたことだろう。
「今回のことと同様に、君はウェポンを操ることもできるんだろう」
「クラウドはともかく、オレには造作もないことだな」
冷淡に平然と告げた言葉にグレーデンは、ぎゅっと手を握りしめ、必死な面もちでセフィロスを見上げた。
「だが今はそんな事をする理由がない。オレに理由を作らせない為にも、これ以上オレたちに干渉するな。ましてや、好奇心で昔の事を聞くな。それは貴殿が知る必要のないことだ」
別れの言葉もなくきびすを返し、セフィロスは歩き出した。
緊迫した二人の間の空気とは対照的に、晴れた午後の陽射しが病院前のロータリーへ柔らかく降り注いでいる。
「クラウドに」
そのまま立ち去ろうとしたセフィロスの背を、今一度グレーデンの大声が追った。
「ネクタイの染みは取れたと伝えておいてくれ」
肩越しに見やった統括の強ばらせた表情には、いかにも不似合いな台詞である。真剣な彼には悪いが、セフィロスは思わずこれまでとは違った笑みを浮かべて答えた。
「それでいい」
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* * *
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この街に腰を落ち着けて4ヶ月目になるころ、新しい同居人にも慣れ、二人は至って平穏な日々を送っていた。
僅かながら仕事の依頼も来るようになり、その殆どは他の街に行く際の護衛や、郊外に現れた極々小さなモンスターの退治だったが、中には引っ越しの手伝いなど訳の分からない依頼も混じる。クラウド曰く、それも『なんでも屋』であれば上等な依頼にあたるのだとか。
あの事件からニヶ月が過ぎたころ、クラウドは退院したフェイを訪ねて、ロビンと共に彼の工場を訪れに行った。
セフィロスが今回の報酬としてロビンを譲り受けたいと申し出たことを告げると、クラウドは最初猛反対していた。預かるというのとは訳が違う、主人が変わるロビンの身にもなれと、セフィロスを責めさえした。
ふた月ぶりに訪れた工場跡は、瓦礫と半壊した建物は既に解体されて、そこにプレハブの小さな作業場が建ち、無事だった機材をそこに運び込んで戻ってきた従業員と共に工場の再建をするのだと、フェイは明るい笑顔で説明したという。
フェイはロビンとの再会を喜んではいたが、既にクラウドに譲る決意は固めており、ロビン自身もまた主人が既にクラウドであると理解していたらしい。
そして、フェイの隣には同じ年頃の女性の姿があった。入院していた病院の看護婦をしているという彼女は、フェイと結婚の約束まで交わし、非番には工場を手伝っているそうだ。
「もう、亡くした奥さんを枷に思う必要はないよな」
結局ロビンと共に自宅に戻ってきたクラウドは、心なしか消沈したような表情で、開口一番セフィロスにそう言った。
「なぜそんな顔をする」
「なんでだろうな。自分でもよく分からない」
クラウドはソファの定位置に座り、セフィロスの定位置を奪ったロビンは、当たり前の顔でその隣に身体を伸ばす。
対面の位置で煙草を吸うセフィロスから顔を反らしたクラウドは、ロビンの頭を撫でながら小さく溜息をついた。
「彼の主人は、フェイではなく奥方だったんだろう。それにペットというのは主人が自分を手放す気配というのを感じ取るというだろう」
「そういうことじゃなくて」
猛反対していたクラウドは、彼を譲り受けた件については既に了承しているらしい。
だがクラウドの気鬱が何に発端するものなのか、セフィロスはまだ分からなかった。
「死んだら、ただの思い出だもんな」
独り言のように呟き、ロビンの前足を取ってからかうクラウドを見て、セフィロスは目を伏せる。
「人は弱く、一生は短い。伴侶を見つけ、共に生きるのは全ての生物の本能だ。亡くした者を思い出にするのも、執着し続けるのも、全て忘れるのも、それは生きる術だろう」
慰めともつかない言葉にクラウドは何を感じたのだろうか。小さく笑って翳りを消し去り、漸く目を合わせたセフィロスへ問いかけた。
「あんたは?」
「何だ」
「あんたは、オレが死んだらどうするんだ?」
「今度死ぬときは相討ちだと言ってなかったか。最期の力を振り絞ってオレを倒せ」
「本気でオレと一緒に逝ってくれるんだ」
セフィロスは灰皿に煙草を押しつけ、無言でクラウドを呼んだ。
躊躇うことなく素直に立ち上がり、座ったセフィロスの膝を跨いで抱きついて来た。腕が背中へ廻り、首筋に顔を押しつける様子は、小さな子供が親に縋る仕草にも似ている。
「答えるまでもない」
普段であれば、いつも二人の間に入りたがる寂しがり屋のロビンは、抱き締め合うセフィロスと主人の背中を見ていた。こういう時、動物は人の気配や気持ちに酷く聡い。今邪魔をしたら、セフィロスが本気で怒りを向けることを察したに違いない。
両手で金色の強い髪をかき上げて、顔を上げさせたクラウドは、潤んだような大きな眼でセフィロスを見下ろしている。何か言いかけた口を唇で塞ぎ、言葉を摘み取った。
「寝室ではなく、ここで抱きたい」
恐らくクラウドが言おうとしたのだろう要望を制し、セフィロスの手は既にクラウドの服を脱がしにかかる。普段は冷静なセフィロスも、彼に感じる欲情は我ながら唐突だと思う。
「ここ、で?」
「あれに見せてやる。お前の番いがオレであると」
クラウドは背後に視線を感じたのか一瞬抵抗して見せたが、やがて力を抜き、はだけた場所に唇を当てるセフィロスの髪を掴んで小さく呟いた。
「悪趣味」
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ブラインドの隙間から見える空は、紫色に染まり、夕陽も姿を潜めた。薄暗い部屋の床に寝そべったセフィロスの胸に頭を乗せたクラウドは、背中を撫でるセフィロスの手に眠気を誘われるのか、夢見心地な表情でぼんやりと宙を眺めている。
ソファに置いているクッションを枕にする以外は、服を脱ぎ散らかしたフローリングの硬い床の上だが、暑くも寒くもない室温で快適である。
完全に見せ付けられてしまったロビンはというと、いつしか向かいのソファの上から移動して、部屋の隅、バルコニーに続く窓の前に伏せて、暮れかけた外を眺めていた。
「ロビン」
セフィロスは彼の名を初めて呼んだ。
垂れた耳をぴくりと動かし、顔をこちらに向ける。同時に眠りかけていたクラウドも頭を上げた。
「来い」
左腕にはクラウドを抱えているので、右手で佇むロビンを手招くと、彼は太い尾を振りながら二人に近寄って来た。並んで寝そべる二人の横に座ると、まず主人の顔の匂いを確かめ、それからセフィロスの手をそっと舐めた。
まるで二人の添い寝をするように寄り沿ってその場に伏せ、尾を振り続ける姿は、従順な飼い犬以外の何者でもない。
クラウドが世話を怠らず、艶々光る毛並みの頭を撫でれば、尾を振る速度が上がった。
その様子を見て、セフィロスの腕の中で体を震わせてクラウドが笑う。
「なんだ」
「あんたも主人と認めたんだな。なんて荒療治なんだ」
「どういう意味だ?」
「普通飼い犬って、家族の中で自分を下から二番目と思うらしいけど、あんたも主人だと思うようになったってこと」
つまり、二番目のポジションを確保しようと、これまではセフィロスと争っていたという訳だ。
「オレはこれと同等か」
「だからそうじゃないって分かったんだろ。主人のオレとあんたが対等だってこと、ちゃんと気付いたんだ。いい子だね、ロビン」
いつもは自分が口にする言葉を、青年から聞くのは不思議な感覚があった。
「子のようなものなのか」
「そうだよ」
胸の上に寝そべったままロビンを撫で続けるクラウドは、満面の笑みである。
「今日から正式にオレたちの子供だよ、ロビン」
只でさえ、人間よりは犬の方が寿命は短い。まだ4歳程度だというロビンがどんなに長生きしたところで、クラウドが子と呼んだ彼が先立つのは目に見えている。
命あるものは、与えられた時間を輝かしく生きる。それが短く、弱いほどに。
これほど容易くクラウドに笑顔を与えるのも、それ故なのか。
セフィロスはこの時やっと、彼を身内として受け入れた。
この日は、長い長い生涯の中で初めて『家族』を得たセフィロスの、記念すべき一日になった。
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古の都市に眠る(了)
2005.08.15
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