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赤と金

 この港町はあまり多くの人間に知られていない。いや、正しくは町の座標を知っている者が限られているというべきか。
 広い外海に面した大陸の、小さな入り江の一つに町はある。
 陸づたいにこの町へ到着するには、昼夜とわず盗賊が出没する幾つもの深い森と、彼らが隠れているともしれぬ村を抜けねばならない。必然的に、この町を利用するのは海路を行く男たちばかりだ。
 かつて滑空する船が行き交った時代は、遙か遠い。
 今は、わずかな化石燃料と海風に頼った木製の船が、大陸間の唯一の足だった。
 ミッドガルと呼ばれた古い都市の遺跡が存在する中央大陸は、現在も多くの人々が暮らしている。そこへ西極にあるウータイの特産物や北大陸の獣の毛皮を運び込むと、大変な金額で取引される。
 それらを乗せた商船が大海をひしめき合い、その積み荷を奪うべく、海の盗賊───つまり海賊達も多く出没した。ここは、その仕事の成果を故郷へ持ち帰る前に、不届き者らが立ち寄り、少々の息抜きをする場所であった。
 町に名前はない。
 誰もが「あそこ」「あの町」と隠語で呼ぶ。
 狭い船着き場には、幾つもの雑多な船影が緩やかな波に静かに揺られ、涼しげな水音が響く。船番の少年が桟橋の入口に木箱を置き、その上でうつらうつらしながら『見張り』をしている。
 港に面して三、四階建て程度の建物が四つほど並び、その開け放たれた窓全てから、ランプや篝火の燃える赤々とした光が漏れていた。どこからともなく騒がしく鳴る楽器と、酔った歌声、グラスの割れる音から犬の吠える声までが騒がしい。
 建物の全てが酒場や、それに類する設備である。向かって左から、壱号館、弐号館と名前がついた店が四号館まで並んでいる。
 ここにはそもそも酒場と宿しかない。
 一階の酒場にはけばけばしい化粧と少々時代遅れな型のドレスに身を包む酌婦が幾人もおり、夜も更けると気前のいい客と一緒に、階上にある客室に消えていく。
 荒くればかりの客に囲まれ、守る兵士も持たない女ばかりの町だったが、不幸な話はあまり聞かなかった。
 陽の降り注ぐ甲板で赤く灼けた顔の男たちへ、一時の安らぎと快楽を与え、時には酩酊する彼らから、各地で起こっている事件や襲った商船の情報を聞き出し、それが彼女たちを守る盾ともなっていた。
 小さなこの町が海賊達の寄り道の定番となってから、ここで起こる事件といえば、毎晩のようにどこの酒場で喧嘩を始めた海賊連中が、刺し違えて二人死んだらしいとか、年老いた客の一人が、酌婦の腹に乗ったまま寝台で息を引き取ったとか、至って平和なものばかりだった。
「それがねえ、おとついの夜もうちの娘が一人殺されたのよ」
 赤毛の酌婦の一人が、両脇に座る船乗りたちのグラスに酒を注ぎ、思い出したように剥き出しの肩を震わせた。
 客の方は、彼女と揃いのように鮮やかな赤毛を肩まで伸ばした船乗りである。縄のように引き締まった身体に革のベストを直接着込み、なかなかの男前である。彼女の馴染みの男の一人で、まだ若いながら一隻の船長を務めている。
「綺麗な金髪の子でね」
「ああ、ベティか! 知ってるぞ、その娘」
 赤毛の女はそうそうと肯定しながら、声を潜めた。
 他の客達の喧噪に紛れそうになる小声に、テーブルを挟んで座るもう一人の船乗りと、それに侍る黒髪の酌婦は、一斉に赤毛の女へ頭を近寄せた。真剣な顔になって、酒臭い息を吐き出す船乗り二人へ、赤毛の酌婦は囁き声で続ける。
「口を塞がれて……叫べないようにね……手足はベッドに括り付けられてて、コルセットの上からも身体のあちこちに切り傷があったの。ベッドが真っ赤だったわ。医者の話じゃ、出血がすごくて、眠るみたいに死んだだろうって」
 実のところ、意外にも平和なこの町でひと月ほどの間に四人の娘が無惨に殺されている。
 殺された時間帯や状況、そして性的暴行を加えるでなく、血を好む残忍な手口が似ていることから、同じ人物が犯人だろうと言われていた。
 普通の町であれば、自警団や警察が捜査をしてしかるべきだが、ここはそんな秩序から無縁である。四軒並んだ宿主たちが慣れない事態に手をこまねいているあっという間に、犠牲者が増えた。
 しかも、その事実を恐れた女たちが逃げ出すという問題も発生している。
 町の背後の森は、女一人で準備もなく越えられるほど甘くない。溜めた金を客に支払い、船に便乗しようとする者や、船乗りと駆け落ちしようとする者も現れた。
 運良く逃げ出せた者はともかく、森で行方不明になった娘もおり、四軒の店からは明らかに女たちが減っているのだ。
「ルージュ。あんた、ベティの死体を見たの?」
「見ちゃったわよ。あの子の青い顔が夢に出てきて、眠るの怖いくらい! ベティでもう四人目でしょ。絶対あの犯人、金髪の子ばかり狙ってるんだわ。あたし、赤毛でよかったとほっとしてるんだから」
 一方の娘は黒髪だ。結い上げた髪に手をやり、小さく吐き出された溜息は、安堵から漏れたものだった。
「きれいな金髪になりたいって思ってたけど、親に感謝しなきゃ」
「オレぁあんたの黒髪が好きだな」
 ろれつの回らない口調で黒髪の娘にしなだれかかった船乗りは、背中に流した束を、真っ黒に灼けた手にとり、うやうやしく口づけた。
「お世辞なんかいらないわよぅ」
 娘は髪を振りながら舌を出したが、褒められたことはまんざらでもなさそうだ。
「でもね、今もうあたしたち、一見のお客と寝るのは怖くて。だから今日は馴染みのあんたたちがいいわ」
「少なくともオレたちは切り刻むよりは、イイことする方がいいよな!」
 自信満々に言い放った船乗りの耳元で、ルージュは赤毛のふりかかった頬を寄せて囁いた。
「イイことって何かしら」
 下品な笑いの上がるテーブルで、空になったグラスに新たな酒が注がれる。
「でもこのままじゃ、怖いわよ。うちの店だけじゃなくて、四軒のどこでも起こってるでしょ。最初は他の店の嫌がらせとか思ったけど、違うみたいだし」
「ここのママだって、他の宿の主だって馬鹿じゃない。何か手を打ってるんじゃないか?」
 赤毛の船乗りは注がれた酒に口をつけ、ルージュの肩口にもたれ掛かるように呟いた。
「どうなのかしら。ママが昨日いれた新人、すごい美形で金髪だったの。こんな時期に金髪の子をいれるなんて……。どうせ父親か男の酒代のかたに売られたクチよ。かわいそうに」
「すぐに標的になっちゃうわよ。ママもどういうつもりなのかしら」
「髪は染めるって言ってたけど、あの子、あのまま店に出てるわね」
 ルージュと黒髪の娘、二人の船乗りは同時に広いフロアに目を凝らした。
 煙草の煙に霞んだホールには、酒と女たちの安物の香水、それに料理の匂いなどが充満している。
 ひしめく客波に目を凝らしていると、ちょうどルージュたちの対角にある席に、幾人かの男たちに囲まれた、金髪の娘を見つけた。
「あの子」
 透き通るように白い頬は強ばり、明らかに固い表情だ。
 噂にのぼった金髪は高い位置で結い上げられ、耳の横から頬のあたりに流した束は、カーラーで巻かれている。
 隣の席に座り、激しく言い寄る船乗りが気に入らなかったのか、頬に流れる金の髪を揺らして、その娘は立ち上がった。思ったよりも背が高い。
 しかもルージュたちの胸元を見せるドレスと異なり、胸ぐりの浅いドレスを身に着けている。あまり酌婦らしい様相とは云えなかった。
「あれ、昔ママが着ていたドレスじゃない?」
「ちょっと……大丈夫かしら」
 金髪の娘は男の縋る手を払いのけ、明らかな嫌悪を表情にのせて、テーブルから立ち去ろうとする。
 酌婦たちには、余りに質の悪い客を拒む権利もあるが、一方で、少し身体に触れられたくらいで怒るわけにもいかない。
 何しろ相手は酔っぱらいで、しかも女達の身体を目的で来ている。男たちは酔っぱらいなりに酌婦たちを口説き、なだめすかして、それに成功した者だけが夜の供を獲得するという訳だ。
 席を立たれるほど娘に嫌われる男は、男たちの間でも鼻つまみだ。途端に周囲の船乗りたちに口々に野次られ、立場をなくした客は、不機嫌そうな顔と態度を隠さず、だが慌てて店の戸口から外へ出て行った。
 戸口へ消えた惨めな客に野次を飛ばし続ける男たちのただ中で、その娘は新人の酌婦の態度とは思えない威厳すら感じる姿で立っていた。
 四角くえぐった襟から、凛と伸びた首筋をとりまく黒いレースのチョーカーと、背中を大きく見せた紺色のドレスから、白い肌が際だっていた。決して華奢には見えないが、コルセットで締めただけでは得られない腰と尻の小さな体型が、膨らんだスカートで更に強調されている。
 野次を飛ばしていた男達に促され、娘はようやく元の席へ腰を下ろした。
 彼女を取り囲んだ男たちは、酌婦らしくない新人にすっかり虜にされたらしく、互いに牽制しあっている様子だ。
「あの調子じゃ、今晩客を取るのは無理ね」
 ルージュの漏らした呟きは、新人の不幸を嘆く先人の助言や同情というよりは、彼女の若さと美貌と、今は危険だと知りつつ、それでも煙草で煙ったホールで一際目立つ、輝く金髪への羨望と皮肉だった。
 彼女の肩にもたれた赤毛の船乗りは、その言葉に思わず浮かんだ笑みをグラスに隠した。



 夜半過ぎ、客を取れなかった酌婦がどうするかというと、席で泥酔する客が眠り込むのを横目に、大抵は自分の部屋へと戻る。
 今日が初日であった新人の金髪の娘は、いつまでも帰らない周囲の男たちから逃れるように、結局決めた客を伴うこともなく、自分の部屋へと帰っていった。
 眠り込んだ酔っぱらいのいびきが微かに響くホールを見下ろし、娘は二階への階段を上った。
 陽気に手を振って就寝の挨拶をする客たちに見送られ、そのまま二階の一室へ滑り込み、閉めた扉の内側で大きく溜息を吐いた。
「あー、疲れた」
 赤く塗った唇から漏れる言葉は、酷く低いものだった。
 階下のホールで彼女を取り囲んでいた男達が聞いたら、驚き、その顔を覗き込んだかもしれない。
「これで一晩過ごせってのか」
 大股にベッドまで歩み寄り、そのままそこへ仰向けに寝転がった。
 スカートを膨らませるペチコートは、鯨の髭で編んだ籠状になっている。そのまま寝転がると当たり前だが、完全にスカートの中が丸見えになる。
「邪魔。クソ忌々しい」
 突然、窓際のカーテンの影から押し殺したような笑い声が聞こえた。
 これまでまったく気配を感じなかった。
 娘が予測していたように顔を向けたそこには、黒く、背の高い人影のようなものが立っていた。
「囮の近くをうろちょろするなよ」
「そんな格好で、そんな風に寝転がるものじゃない。クラウド」
「あんたこそ、どこで犯人が現れるが分からないのに、俺の周りをウロウロしてたら、釣れないだろうが」
 勢いをつけてベッドから起き上がったクラウド───いやこの店ではクラウディアと名乗っているが───は、何時の間にか距離を縮めてベッド脇まで近寄っていた男の気配に一瞬息を止めた。
 目の前にせまった黒い、見慣れた戦闘用の革コートは見かけこそ大差ないが、出会った時分より薄い、普段着に近いものになっている。
 神羅が世界を制した昔のように、威力の強い多機能な銃や砲弾、強力な魔法を使う者さえ今はない。海賊たちの武器は剣と、船に備えた古典的な大砲が主である。
 そんな中、過去から剣一本で他を圧倒してきたこの男は、界隈では少し名の知れた用心棒になっていた。だがコスタ・デル・ソルで起こした事件以降、クラウドとこのセフィロスは御尋ね者、つまり立派な犯罪者として追われている身である。
 訳あって知り合った海賊たちの船に身を寄せ、成り行きでこの町へ辿り付いた。
 クラウドが不本意ながら古風なドレスを身につけて、女の格好をしている理由はさておき、間近でスカートの中を興味津々で覗き込む男には猛烈に腹が立った。
「何してんだ」
「興味深い構造だと思ってな」
 セフィロスは神妙な顔でペチコートを捲り、腰の周囲でスカートとそれを支える枠を手で探っている。
 クラウド自身からは、スカートの布が邪魔で様子が見えない。だが手の感触が明らかに違う意図をもって動き始めるのを、分からないはずもない。
「この変態野郎」
 かかとの高いミュールで男の腕を蹴り退け、クラウドはベッドの上を背中で這いずって逃げ出した。反対側にすべり落ちそうになるところを男の両手で引き戻される。
「あんたがここにいたら、犯人がこないだろう!」
「初日からひっかかる殺人犯など聞いた事がない。今日は来ない」
 店の喧騒の中で男たちに囲まれていたクラウドは、確かに犯人だと疑わせるような者には遭遇しなかった。
「だけど……犯人が男か女かも、わかんないだろ……部屋の外に、様子を見に来るかもしれないし」
 至近に迫った秀麗と呼ぶに相応しい顔に見惚れながらも、自制の言葉をもらしたクラウドは、薄暗い中で笑みを浮かべる唇に、自身の唇にのった紅を拭われた。
「やる気が出るよう、声でも聞かせてやるといい」
「アホか」
「囮だと疑われないよう、せいぜい可愛い声で啼け」
「これも、計画の内だとか言うなよ」
 重いスカートとペチコートの布地を首近くまで捲り上げられ、クラウドはもがきながらドアの方を見やった。
 冗談ではなく、こんな酔狂を演じて苦労するからには、つけ毛やおしろいを塗った『餌』に犯人が食いついてくれなければ意味がないのだ。


 そもそも事件に関わることになったのは、『赤毛』の船長のせいだった。
 物心ついた頃からこの町とこの店、弐号館の馴染みだという赤毛が、店を経営する女に相談を持ちかけられたのがきっかけだった。
 コスタ・デル・ソルから逃亡して以降、食客として赤毛の船に居座っていたクラウドとセフィロスだったが、久々に町に上陸すると早速この件について相談されたのである。
「いやあ、店長は元々店の女だったんだがな、オレの最初の『先生』なんで断れないんだわ」
 にんじんのような頭を掻きながら下げられた。
 つまり『そういう』ことである。
 事件の発端はひと月前ほどのことだ。壱号館から四号館まで、各店に十数から二十人ほど雇われている酌婦のうち、既に各店一人ずつ、四人の娘が犠牲になった。しかも前述のとおり、逃げ出した娘たちを含めると被害者、行方不明者は九人に達した。小さな町では驚異的な人数だった。
 幾ら店や町が客たちへ隠そうとしても、人の口にも耳にも戸は立てられず、海賊たちの間でもこのひと月のうちに、殺人鬼の話題は尾ひれがついて広まってしまっている。
 海賊たち、客が事件の標的だというなら自衛しろと突き放すところだが、女たちばかりが狙われているとなると、聞いてしまったクラウドとしても見捨ててはおけない。
「赤毛はお前が女たちを見捨てられないと思って、わざと聞かせた」
 セフィロスの指摘は事実だろうが、クラウドは話に乗った。
 そしてそれをすぐに後悔することになった。
 手口が判明していない以上、囮に本物の酌婦を使うわけにはいかないと言ったのは赤毛の船長だった。
「あんたならうまく化けられるだろう!」
 にこやかに、自信を持ってクラウドの肩を叩いた赤毛へ思わず回し蹴りを食らわせたのは言うまでもない。
 結局、人助けだとうまくいいくるめられ、弐号館の宿主の古いドレスとつけ毛を着け、おしろいを塗られて店に出た初日がまさに今夜だった。
 クラウドは自分が女の様相でなければ、海賊連中と飲んで騒ぐことに抵抗はなかった。
 彼らは一様に酒場では陽気である。また彼らなりの秩序とルールが、無言のうちに設けられていることも分かった。
 酌婦たちは存外丁重に扱われている。女は港というが、確かに自ら立ち寄るべき港を壊す海賊はいない。そんな町で、猟奇的な方法で連続殺人が起きるというのは、珍しいことなのだろう。
 犠牲になった娘たちは身元も、雇われた店も全て繋がりがなく、共通することは若い娘で、美しい金髪の持ち主だということだ。
 売春宿に売られた、もしくは逃げ込んだ娘の過去が幸せだったとは思えないが、己の場所を得た彼女たちはこの小さな港町から、永遠に戻らない旅に出立することになったのである。


 不憫な娘たちの身の上も気にはなるが、クラウドは今現実に自分に起こっていることで精一杯だった。
 セフィロスが古風な女物の服に興味を示しているのは本当なのか、捲り上がって視界を塞ぐスカートの向こうで、何か得体の知れないことが起きている気がした。もぞもぞと探られたペチコートの中に頭を突っ込み、足の間を愛撫されても、クラウドにはそれは見ることも、無体な男の髪を掴むこともできないのだ。
「ちょっと」
 男の頭を退けようともがき、足を振り上げたが、腿までのストッキングに覆われた足首を捕らえられ、つっかけただけのミュールが床に落ちる音がした。
「趣味、悪い、ぞ」
「正直裸に剥ぐのは面倒だが、抵抗はされにくい。無理強いするには向いている」
「何の話だよっ」
「どうやって娘達が拘束されて殺されたのか、検証している」
 自分で実験するなと反論しようと開きかけた口から、思わずあられもない声が上がり、クラウドは自分の唇を掌で押さえた。
「女物の華奢な下着の中に、男の身体があるのは、一種異様な光景だな」
 笑いを含む声が告げて、股間が濡れた感触に覆われるのを、クラウドは一層掌を口に押しつけて堪える。見えない不安は確かにあるが、行為をいちいち実況されるのも悪趣味な話だった。
「異様だってなら、やめろ」
 酷く情けない気持ちになって、思わず目をきつく閉じる。
 感触だけを追うならいつもの行為と同じはずだった。
 突然大人しくなったのをどう思ったのか、セフィロスは一度起きあがってクラウドの身体をうつぶせに返した。肩越しに見上げた男は、思ったより真剣な表情でクラウドの着けているドレスの後ろボタンを外し始めた。
「そんな顔をするな。虐めている気になる」
 丁寧にドレスを剥がし、面倒だと言い放っていた立体的なペチコートを脱がされると、幾分動きが自由になった。
「だがお前がこの件に手を貸すと言い出したんだ」
 コルセットの背の紐を緩めながら、薄い唇が首筋の後ろを探る。感触はいつもと同じでも、やはりこの格好を意識しているのは、セフィロスだけでなくクラウド自身もなのだろうか。
「わかってるよ」
 少しふてくされて言い返し、甲冑のようなコルセットから解放されて緩い下着姿になったクラウドは、大きく溜息を吐きながら覆い被さる男へ手を伸ばした。


 揺さぶられる度、視界の端で自分の足先が揺れている。
 触れあった肌は汗に濡れ、クラウドの霞む目に映るものもいつもと同じだが、唯一異なるのは、足先が膝上までの白い靴下に覆われているということだ。
 セフィロスは普段女物の服をクラウドに着せる趣味などない。ただ、汗に濡れて脱ぎにくくなってしまっただけだ。
 薄い布の下で汗が滲み、身体の奥で沸き起こる感触に足指を蠢かしても、酷く居心地が悪い。足に気を取られているのに気付いたのか、セフィロスは視線を上げて、タイミングをずらした動きでクラウドの気を引いた。
 身体の中心に突き通った異物が、突然存在感を増す。
 喉元まで貫かれているような気分が思い出され、クラウドは湿っぽいシーツに縋って無意識に背を反らした。
「気を散らすな」
「散らしてない」
 仕返しのように入口を締めてみせたが、突然早くなった前後の動きに反撃は逆効果だった。喉の奥から大きく声を上げ、裂かれるような荒々しい快感に髪を振り乱した。
 素直な反応に気を良くしたのか、セフィロスは再び穏やかにした動きの中で、じっとクラウドを見下ろしている。船に揺られるような穏やかさに、不覚にもクラウドは眠気すら誘われる。
「気持ち、いい」
 靴下の足を片方、強靱な腰に絡め、素直な気持ちで漏れた呟きが口を割った。
「ああ」
 思わず閉じそうになる目を必死に開け、同意を返す男の稀少な色の瞳に魅入る。
 どこか心の端で背徳感の拭えない行為でも、クラウドにとっては代え難い時間であることは事実だ。
 金銭で酌婦を購う海賊たちにとっても、買われる女たちにとっても、他人の暖かな腕と胸を手に入れることが、なぜ残忍な殺人に繋がるのか、クラウドには理解出来なかった。
「殺した奴って、何が欲しいのかな」
 ゆるゆると揺さぶられながら、沸き上がった疑問を思わず口にしていた。
「……オレには、わからない」
「そうか」
 見下ろすセフィロスは低く笑い声を洩らした。
「何?」
「その殺人鬼は知らないが、オレにも衝動はある」
 腿を押さえていた足を引かれ、靴下の上から軽く歯を立てられた。
 尖った物が鈍くあたる感触に全身を震わせると、そのまま動いた歯につま先まで辿られた。
「あんたに?」
「お前の血の熱さをいつも感じたい。生命の火が消える瞬間の絶頂を与えたい。だから、こうしてお前を抱くことは、殺すことの代用なのかもしれない」
 動きを止めたセフィロスを、クラウドは息を詰めて見上げた。
 笑みさえ浮かべているセフィロスの目に、かつて狂気の中にあった時分の光を見出し、背筋に震えが走った。
「だが、お前を殺してしまっては、たった一度の快楽しか得られないだろう?」
 抵抗のひとつもしてない両手首をやんわりと捕らえられ、枕に縫い止められた。
 この男の本性がそれであることは、クラウドは良く知っている。時折こうして垣間見える狂気そのものにこそ、クラウドは捕らわれているのかもしれなかった。
 背筋を這うものは恐怖ではなく、クラウドにとって確かに快感だった。
「お前の中に、血と同じ熱を感じる。お前が声を上げて達する度、お前を殺している気になる」
 囁く音量の声に、クラウドは開いた唇から喘ぐように息を吐いた。
「セフィロス」
 普段であれば絶対に口にしないような直裁的な言葉で、男を煽った。
 もっと奥へ誘い込むように絡めた足に力を込め、男を捕らえた場所を締めて蠢かせ、同じ高まりを示す前を自ら慰めて、男と同時に忙しない呼吸の後の、小さな死を目指した。




 二晩目の夕刻、店に出る準備に追われる弐号館の酌婦たちの中に、唯一金髪の話題の新人は、まだ姿を見せていなかった。
 初日の気位の高い態度が、古株の女たちには気に障り、若い女たちには小気味よく映ったのだろう。誰一人、中身が男であることに気付いた者はいなかったが、本能的に異性の匂いを感じ取った者だけは、無意識に反感を薄れさせたのかもしれない。
 話題のクラウディアは、中身がクラウドだと知る数少ない一人、弐号館をとりもつ『ママ』と呼ばれる宿主の部屋で髪を結われ、化粧を施されていた。
 ママは背が高く、痩せた身体の背筋がすらりと伸びて、今でこそ黒髪に白いものが目立つが、若い頃はこの町で一番の売れっ娘だったという。
「慣れてるよね」
 ママの手つきをドレッサーの鏡越しに眺めながら、クラウドは不機嫌そうに呟いた。
「髭も薄いし、胸に詰め物をする以外、うちの娘たちと何も変わらないわ」
 淡々と返したママの言葉を聞いて、少し離れたところに置いた椅子に座り、一々を見守っていた赤毛の船長が声を上げて笑った。
 鏡越しに睨み付けて黙らせたが、視線の強さも、昨日と同じ甲冑のようなコルセットを見ると弱くならざるをえない。
「スカートはまだいい。これがいやだ」
 既に形良く見えるようにパッドの入ったコルセット巻かれ、背側に通る紐をきつく締められる。コルセットのウエストにかぶるように、骨組みの入ったペチコートを履かせられるが、これも重い。あばら骨のように格子になった骨組みの上に、スカートのボリュームを出すために、幾重にも重なったフリルが乗っている。ドレスを被ってスカートがこの上に乗ると、重さを裏切る軽やかな様子に見えるのが不思議だった。
 袖も、肩の周囲こそふんわりと膨らませているが、二の腕を覆う部分はぴったりと窮屈で、袖口の長いレースもまとわりつくようで邪魔である。
「これで足でも見えれば化けるのは難しいだろうが、女に見えるなあ」
 昨日に引き続き、無神経な感想を述べた赤毛は視線だけでクラウドに謝ったが、さすがに二日目にもなると、クラウド自身も開き直るべきだと思い始めていた。
「今日こそひっかかってくれないと困る」
「船長が信頼しているなら私も信じるけれど、本当に大丈夫? 相手はもう四人は殺している凶悪な奴よ」
 ママは白髪交じりの髪の後れ毛をなでつけながら、支度を終えてふうと息をついて、近くの椅子に座り込んだ。赤毛曰く、いつもはもっとはきはきと明るい女なのだという。他店の娘でも顔見知りが次々犠牲になっていく中、最後に死んだ娘はこの弐号館の酌婦だった。身体を売る女を仕切る宿の主とはいえ、女ばかりで店を支えてきた彼女にとって、娘達は家族も同然なのだろう。
「この兄ちゃんはな、見かけはこんなだが、店に来てる男どもが束になって掛かって来たって、勝ち目なんかない怪物なんだぜ」
「なんだよその言いぐさは」
 高く結った風に見せる巻き毛のつけ毛を揺らし、ふてくされた顔で腰に手をあてる娘がそれとは、真実の姿を知る赤毛以外に信じることは、到底出来ないだろう。
「だから大丈夫だって」
 苦笑するママの肩に手を置いて、なだめる赤毛の姿を見ると、クラウド自身の置かれた状況や姿に覚える怒りも静まった。


 フロアを見に行くと言って先に部屋を出たママを見送り、赤毛とクラウドはそれぞれ椅子に腰を下ろし、神妙な顔になった。
「そんで、あんたの方の調べは進んだのか?」
 囮役を頼まれると同時に、赤毛の方は船員を使って情報収集を買って出たのだが、ここ数日の成果はかんばしくない。同じ船に乗る赤毛の仲間は信頼のおける者ばかりだが、いかんせん若く、久々の陸の酒場とあっては『任務』を忘れかけてしまうのだそうだ。
 二十名近くになる船員たちは、壱号館から四号館まで各店に散っている。
「報告は受けてるんだが、どれも手がかりにはならんなあ」
 そもそも、多くの人間が出入りするこの町だが、店の経営者、下働きの者、酌婦たちを除けば、あとは海から上がってくる船員ばかりである。普通の村にいるような商店を営んだり、畑を耕す村人はひとりも居ない。
 突然連続事件が起こったとなれば、海から流れてくる者がもちろん怪しい。一晩に町に滞在する船乗りは三百人近くになる。
 そうなると店のオーナーや従業員も、船乗り一人一人を把握している訳ではない。
「それでもひと月近く事件が起こり続けてるんだ。普通の船ならせいぜい一、二週間しか停船しないだろ。ひと月もいたら目立つはずだ」
「だがなあ、それらしい船は今んとこないんだよ」
「事件の起きた晩に停船していた船は分かっているのか?」
 突然、窓からかかったよく通る声に、赤毛はだらしなく座り込んでいた椅子から飛び上がった。
 声の主は窓辺のカーテンの影に隠れるように立っていたが、今は背後の西陽を受けて、その姿は露わだった。
「その中に一度出航し、この事件の間に再び戻った船はいないのか」
「なんだ、あんたか。銀髪の剣士。どっから現れたんだ?」
「誰か心当たりを見つけたのか、セフィロス」
「いや」
「確かに船を下りてても、気付かれてない奴がいるのかもしれねえな。他の船のことなんて船乗りはいちいち調べやしない」
「だとしたら、女たちに聞いた方が詳しい」
 セフィロスの一言で、赤毛は椅子から立ち上がった。
「ちょっくらウチのモンに伝えてくる。いろいろ調べ直しだ」
 ママの部屋を飛び出した赤毛を見送って、クラウドも椅子から立ち上がった。さわさわと布ずれの音をたててスカートを持ち上げ、窓辺に立ったままのセフィロスを振り返る。
「あんたは目立たないようにしてろよ」
「分かっている。陽が暮れてから、お前が見えるところに移動する」
「じゃあ、いってくる」
 クラウドにとっては完全に戦いに赴く心境だったが、肩越しに見たセフィロスの口元は笑っていた。


 階下のフロアに降りた途端、クラウドもといクラウディアを待ちわびるがごとく出迎えたのは、昨日彼を取り囲んでいた客たちだった。そして予想外にもう一人、赤毛の美しい酌婦ルージュがクラウドと同じテーブルについた。
「ママがね、あんたのこと心配だから見ててやってくれって」
 胸元から顔を幾度も往復する視線は無遠慮だが、少々険のある表情が解けると弐号館の酌婦たちの中でも、もっとも美しい女だ。
 完全な自毛だという腰まである長い髪は真っ赤で、赤毛の船長よりも映える深紅だった。赤毛に負けない赤地のドレスには、その色を際だたせる黒いリボンで縁取られて、よく似合っている。
「心配しなくても平気だよ」
 どうせボロが出てくるならと、クラウドは余り言葉に気を遣っていなかった。昨日一日で男言葉に慣れたのか、客達は驚いている様子もない。
「まあ、あんたのお手並みを拝見するとするわ」
 にやりと笑って見せたルージュと並ぶクラウドは、昨日と同じような形の黒いドレスだった。
「それも、昨日のもママのドレスでしょう。昔、見たことあるわ」
「うん」
「そんな地味なドレス着なくても、あんたみたいに若ければ、もっと似合うものいっぱいあるでしょうに」
「いいんだ、これで」
 正直、女に化ける目的さえ果たせれば、その意匠がどうのと文句をつける気はさらさらない。
「興味ないんだ」
 そっけなく呟いたクラウドに、ルージュは驚いたように目を見開いて見せた。
「あんた、変わってるわね」
 二人の間の会話はそこでうち切られたが、元々人気のあるルージュと新人の娘とあって、二人のテーブルに便乗する男たちは後を絶たない。
 現在、港には八隻の船が寄せている。各々規模は異なるものの、殆どが二十人以上の船員を抱えているとすると、今夜、町には計二百人近くの客がいることになる。
 この弐号館に立ち寄る常連は、ルージュと顔見知りが多い。オーナーは恐らく、ただ不安が理由ではなく、調査のためにルージュをクラウドに着けたのだ。
 クラウドは新しい客がテーブルに立ち寄るたび、どの船に乗る船員かとルージュへそれとなく聞いた。
「……なんか知りたいことでもあるの?」
 客に聞こえないように囁いた彼女の呟きに、クラウドはただ笑顔で返した。
 こういった場合、下手に答えると余計な話をしてしまいそうだった。女の勘は馬鹿にできない。
「変わった子ね、本当に」
「事件のこともあるし、正体の知れない男は嫌だなって思って」
「だったら、あんたのその髪、なんとかしないと」
 高く結った部分にルージュの指が伸び、そこに触れた瞬間、彼女は怪訝な表情になった。
「そうだなあ。オレはクラウディアの髪が好きだけど、今は危ないって話だもんなあ」
 昨日も顔を出した髭面の船員が、悲しい顔になってクラウドの髪を示した。
「本当に金髪の娘だけなのかい。狙われてんのは」
 男達の会話に事件の話が上るのは、今日に限ったことではない。
「他の店で死んだ娘も、みんな金髪だったなあ。もったいねえ」
「そうだよなあ。殺しちまったら、何にもならないなあ」
 不謹慎な話だが、『普通の』彼らにとって、生きている娘こそ価値がある。
「クラウディア、あんたその髪で怖くないのかい?」
 誰かがクラウドへ問うた瞬間、周囲のテーブルで酒を片手にしていた男たちの視線が、一斉にクラウドへ集まった。
「怖くないよ。だって生まれてずっとこの頭だから」
「その髪なら狙われることも多かっただろうなあ」
「そうかな。金髪の人なんていっぱいいるだろ」
 肩をすくめてからルージュを見やると、どうやら彼女は長く垂らしたクラウドの髪がつけ毛であることに気付いたようだった。
「ルージュと並ぶと、まさに赤と金だ」
 突然、背後から掛かった声に振り返ると、そこにはまだこの店で見たことのない男が立っていた。
「あら。すっかりお見限りだったわね、オーロ」
 白いシャツに革色の細身のズボンを身に着け、陽に焼けた肌は若々しい。そして金色という名にふさわしい、肩にかかるほどの金髪である。中背のバランスのいい身体や、ぱっちりとした目元や端正な口元も、どこか王子然とした風格があった。
「ルージュ、久しぶりだね。他の店も回ってみたけど、今はみんな黒く染めてしまってるんだねえ」
 うやうやしくルージュへ挨拶の礼をとった男は、典型的な青い眼をクラウドへ向けて笑った。
 クラウドに興味あることを隠さないのは、どの客も同じだが、その目の輝きには得体の知れない自信がある。
「勇気のある行動だね、新人さん」
「あんたは? あんたも金髪じゃないか」
「僕は狙われる方なのかな?」
「髪の色もそうだし、男前だろ」
 胼胝のできた手を見れば、船員だということは分かるが、如何にも船員らしくない、つまり海賊らしくない風体の男だった。
「不思議な娘だ。君のその完璧な髪と目に挨拶をさせてくれ」
 両手をとって、少々強引にクラウドを振り返らせた男は、その手の甲に熱烈に口づけた。
 同時に周囲から上がった野次と羨望の怒号に、クラウドは慌てて取り返した手で耳を塞いだ。

 「あの気障な男、どこの人?」
 今は離れたテーブルで他の酌婦を侍らせているオーロを見やり、クラウドはルージュへ問うた。
 いつの間にやってきたのか、視線を戻した彼女の向こう隣に座っていた赤毛が代わりに応えた。
「ありゃ、王子だ」
「……王子? どこの国の?」
 不審な顔になったクラウドを見て、ルージュが言い添えた。
「違うわよ。ただのあだ名。キャンベル号って名の船の船長よ」
「船長にしちゃ若くないか?」
「いや、歳はオレとそんなに変わらないはずだぞ」
「彼はうちだけじゃなく、他の店の女たちにも人気があるのよ。今もほら、みんなで彼を取り合ってるもの」
 確かにオーロの両隣には、弐号館の若い二人の酌婦が侍り、あからさまに彼の夜の供になろうと必死な素振りだった。
「へえ」
 じっとそこに視線を据えて観察しているクラウドをどう思ったのか、ルージュは少し笑いを含んだ声で言った。
「クラウディアはああいう男が好みなの?」
 クラウドは絶句し、赤毛は一瞬置いた後に爆笑しはじめた。
 異様なほど大きな笑い声に驚いて、周囲の視線が集まった。
「気障な男が好みだったのか」
 ようやく笑いを収めても、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべたままの赤毛を睨み付け、ミュールの踵でテーブル下の男の脛を蹴った。
「キャンベル号って、いつからどこに停まってる?」
「……沖に停泊してる、マストが赤いやつだ。いつから停まってるかは、覚えてねえな」
 港は狭く、大抵の大型船は沖合に停まって、船員たちはそこから小舟に乗り換えて町へとやってくる。
「キャンベル号は、たしか副船長がやつの弟だったはずだ。背の高い短髪の、年はもう十ほど若いか。兄貴とは随分雰囲気の違う男だ」
「ふうん」
「なんだよ、気になるのか?」
「セフィロスの言う条件に合うかどうか、確かめただけ」
「でもやつは船長だし、例え長く陸にいたとしても、さすがに事件の首謀者にはなれんだろうよ」
「あんたたち、もしかしてオーロがあの事件の犯人だって思ってるの?」
 ルージュがらしくないほど小声で口を挟んだ。
 さすがに今までの会話を聞いていれば、どんなに鈍感な人間でも、クラウドたちが何か企んでいることに気付くだろう。当初はごまかすつもりだったらしい赤毛は、その赤い頭を掻いて言いよどんでいたが、クラウドはルージュの近くに顔を寄せて、呟いた。
「そうじゃないけどね。犯人、捕まえてやろうと思ってさ」
 一瞬驚いた風な表情を、ルージュはしばらくすると逞しい笑みへ変えて見せた。

 夜半近くなった弐号館のフロアの一角には、いつの間にか各店に散っていた赤毛の部下たちが集まっていた。恐らく報告を受けているのだろう赤毛の表情は、いつになく真剣である。
 クラウドは休む風を装いながら、バーカウンターの内側で、酒を準備するバーテンの横に並んでカウンターに肘をついて彼らの様子を眺めていた。
 そしてすぐ背後の厨房への戸口には、驚くほど長身な人影がひっそりと立っていた。
 布を深く被っているが、中身はセフィロスだ。
「あんたの方も、やっぱり気付いた?」
 肩越しに振り返った先で、布の下から見据える目に出会う。
 こぼれた長い髪が胸に垂れ、一枚の布では隠しても隠し切れていない気迫がにじみ出ていた。
「長く停まっている船は他にもあるが、キャンベル号は最初の事件の前の晩から停泊している」
「ずっと停まりっぱなし?」
「いや、最初の事件の前日に入港してから、五日で出立している。二件目の事件はその翌日、それから一週間後、三件目の事件の前日に再び入港して、今まで滞在しているな」
「二件目の晩───それがどうにかなれば、キャンベル号がいよいよ怪しいな」
「あの男」
 布に隠れた頭が少し振れて、クラウドの視線を店内へ促した。
 ちょうど二階の客室へ上がる階段の踊り場あたりに、キャンベル号の船長オーロが二人の酌婦と供にたむろしていた。最後の最後まで、どちらの娘にするか迷っているのか、それとも二人とも連れ込むつもりなのだろうか。
「オーロ? 確かにオレの金髪に拘ってはいたけど、赤毛も言ってたみたいに、船長なんて立場のやつがそんなやばいことするかな」
「いや、あの男はどこの店にいても目立つ。だがあれの弟という副船長」
「オーロとは随分雰囲気の違う、背の高いいかつい印象の男だって、赤毛がいってたよ」
「宿の者、女たちに聞いても知らないと口を揃えて言う」
「宿に泊まってないのか。いつも船にいるってこと?」
「港に着いても、陸に上がらぬ男が何を思って船にいるのか、気になるところだ」
 薄く笑う気配が布の影から伝わった。
「キャンベル号の様子を見てくる。副船長の風体も知りたいしな」
 厨房の奥へ大柄な影が音もなく消えた時、少し離れたテーブルで赤毛がクラウドを呼んでいるのが見えた。
 重いスカートをたくしあげて歩み寄ると、顔見知りの船員たちがクラウドの姿に釘付けになっていた。他店に派遣されていた船員も多いので、クラウドの酌婦姿を目にするのは初めての者ばかりだったのである。
 船の上では剣の稽古をつけたり、並んで甲板を磨いたりしているクラウドが、まさかこんな格好で弐号館にいるとは思っていなかったのだろう。
 口が半開きになったまま硬直している若い船員を見下ろし、クラウドは片方の眉を引き上げた。
「……なんだよ」
 化粧の施された唇から漏れた声は、普段より輪をかけて不機嫌なものになった。
「すげえや。知ってても騙されそうだ」
 感嘆といっていい呟きに、周囲も頷いて同意したが、クラウドは射殺す視線を呟いた船員へ向けた。
「騙されるなよ〜。騙されたら最後、銀髪の先生の剣の錆だぜ」
 赤毛の船長の楽しそうな忠告に、船員たちは慌てて視線をクラウドからそらし、姿勢を正した。
「んで? 何なんだよ」
「ああ。こいつらの話を聞いてたら、おもしろいことが分かったぞ」
 赤毛は『おもしろいこと』と告げながらも、一瞬で真剣な表情になって、テーブルの上に走り書きをしたくしゃくしゃの紙を示した。
 カレンダーのように日付が並んだところに、いくつかの×と○印がついている。
「この赤い×印が事件の起きた晩。○印が、キャンベル号の停泊してた晩だ」
 先程もセフィロスと話していたものが、まさに表になっているというわけだ。
 一件目と三、四件目の事件の夜、キャンベル号は入港しているが、やはり二件目の晩にはこの町を出た後のようだった。
 そして事件の前夜には必ず、△印がついている。
「この△はなに?」
「こいつらが裏を取ってきた。殺された娘たちがオーロに買われた晩だ。つまりそれぞれが殺される前夜に、四人ともオーロと寝てるんだよ」


 キャンベル号はその大きさやマストの高さ、形は他の船と大差ないが、赤い欄干が遠目にも美しい船だ。港の沖合に似たような船体が浮かんでいる中でも、一際目立つ。
 甲板には人影ひとつもない。
 殆どの船員が陸を楽しんでおり、船内には当番を務める幾人かの船員だけになっていることだろう。
 今夜は月がなく、僅かな星明かりと、遠く町の灯を望むだけの光量では、甲板に降り立つ海鳥の影もおぼろだ。そこに音もなく寄せた小舟から黒い影が動き、微かな縄の軋みだけで甲板へと上がってきたとしても、当番の船員には気付く余地もなかっただろう。
 甲板に降り立った人影は、船員が詰める操舵室に近寄り、窓から中を覗き込んだ。
 オイルランプが赤々と見える操舵室では、比較的若く見える船員二人が、並べた椅子の上にだらしなく座り、定期的に船をこいでいる。横の机には空の酒瓶があり、二人が酔って眠り込んでいることは明らかだった。
 人影は操舵室の横にある、船倉へと降りる階段に消え、そのまままるで何事もなかったように静まりかえっていたが、しばらくすると再び甲板へ戻ってきた。
 先程と同じ姿勢で眠りこけている船員を横目に、人影は甲板を横切り、そのまま欄干を乗り越えて小舟に戻ると、何事もなかったように港へ戻っていった。




 弐号館に二日続けてやってきた、酌婦たちにも人気のオーロは、昨夜とは違う女を横に侍らせていたが、夜もふけた頃、突然その女を下がらせると、連日男たちに囲まれているクラウドの前へやってきた。
 『クラウディア』を取り込む男たちから、一瞬怯む気配が伝わってくる。
 セフィロスのような気迫とは違う。だが異性を目の前にした時に、このオーロという男には絶対の自信があるのだと分かる。
 不思議とその過剰なほどのナルシズムが、言葉や態度には現れない。この気配は同性のみに働く牽制なのだとクラウドは思った。
 事実、例えばクラウドが過去に好意を持った女性たちには、オーロを近づけたくない。戦っても勝てないことを本能的に知らされるような、そんな不快な敗北感だ。
 一方それは、今日も同じテーブルについているルージュには分からないらしい。ルージュほどのベテランの酌婦でありながら、やはりオーロに某かの魅力を感じるのだろう、表情がやわらいでさえ見える。
 無意識に、彼が座る場所を周囲が作る。
 誰もが連日狙っているクラウドの隣ではなく、オーロは狭い幅のテーブルをはさんだ正面に席を確保し、満面の笑みを浮かべながらそこに落ち着いた。
 じっと目を見つめてくるオーロに、出来る限り無表情で返したクラウドをどう思ったのか、彼は首を傾げた。
「さっきから視線を感じたんだ。君は、僕を見てた?」
「別に。随分自信があるんだな、あんた」
「君こそ、その男言葉は決して色気もないのに、これだけの客を取り巻きにしてる」
 会話だけを耳にしたら、まるで喧嘩をしているような言葉だった。
「だがそろそろ今夜の相手を決めてもいいんじゃないかな、姫君」
「姫君ってなんだよ」
「言葉のとおりさ。お気に入りの家臣は見つかったかい?」
「あんたがそうだと、言わせたいのか」
 正直、多少いやらしい言葉で誘われても言い返し、身体を触られたら遠慮なく顔を張り、気ままに客たちと接してきたクラウドは、この狂気の沙汰にも少し慣れて来てさえいた頃だった。
 本当の酌婦としてここで働く女ならば、どんなこだわりがあろうと夜を過ごす客を取れなければ、商売にならない。クラウディアを取り囲み、ここ三日通いつづける男たちも、今は初心で少々乱暴なつれない女でも、いつかは自分の番が回ってくるだろうと期待を込めているわけである。
 彼らのいっそ純粋な下心は、同性のクラウドには良く分かる。だが、オーロの過剰な自信には、同性として反感を覚えた。
「オレは商売だろうと、オレより強い奴としか寝ないと決めてる」
 オーロを始め、周囲の客、そしてルージュまで全員が揃って不思議な顔になった。
 酒場女が、まさかそんなことを言い出すとは誰も思っていないからだろうが、面々の滑稽な驚き方に、クラウドは思わず笑みを浮かべていた。
「オーロ、あんたは自他ともに認める男前だけど、オレと寝たいなら、オレのルールに従ってもらう」
 驚いて開いた口を閉じることが出来ない男を見下ろしながら、クラウドは席を立った。
 スカートをたくしあげて、座っていた背もたれのない長椅子を跨ぎ越し、隣に座る客の腰にあった剣へ手を伸ばした。
「うわ」
 剣を奪われた客は慌てて鞘を押さえたが、素早く剣だけを抜き取ったクラウドを見上げて、一層慌ててみせた。
 重いスカートの布を捲くり、ミュールの片足を椅子の上に乗せる。膝あたりまで露になった靴下の足は、剣を奪われた男の目の前にあった。
 クラウドは肘あたりから前腕を覆うレースの袖を捲くり、握った剣先を正面のオーロへ向けて突き出した。
「勝負しろ。勝てば今夜、オレはあんたのもんだ」
 鼻先に突きつけられた剣の切っ先に、オーロの視線が止まっている。
 促すように振れた剣先に随い、立ち上がったオーロは、当初驚きの表情を消さずにいたが、しばらくすると突然真剣な顔になり、クラウドと同じように椅子を跨ぎ越してから、自分の腰の剣に手をかけた。
 普段客同士が刃物を抜こうものなら、入り乱れた喧嘩に発展していくだろうが、今回は酔っ払った客たちにも、事態を見守るだけの好奇心があったようだ。クラウドとオーロの立つ場所を空けて下がった彼らは、息を飲んで経緯を見守った。
「勝って奪えというなら、僕も腕に自信はあるぞ」
「たのもしいな。でも負けたら怪我するくらいの覚悟はあるんだろうな」
 何時の間にか、騒動に静まり返ったフロアの中で、クラウドの声は良く通った。
 頷いて応じたオーロは、よく手入れされた細身の両刃剣を抜き、正面へ突き出した剣先とバランスを取るように、もう一方の腕を背後に上げる。
「上等だ」
 クラウドも紅を塗った唇の端を吊り上げ、同時に襲い掛かった突きを上方に跳ね上げ、もう一方の手でスカートの裾を掴み直した。

 オーロという男は決して見かけだけの男ではない。
 一隻の船長を務めるには人望も必要で、日に日に海賊たちへの警戒を強めていく商船を狙うには、個人個人の武力や戦略も問われてくる。そんな点で、キャンベル号に乗船する船員たちの間で、オーロは全く文句のない男だった。
 だが、その時弐号館の新人酌婦クラウディアと船長の戦いを眼にした者は、驚きと同時に若干失望を覚えることになる。
 あれほど強いと思っていたオーロ船長が、クラウディアの剣先にまるで弄ばれているように見えた。
 剣の腕が落ちたのか。
 否、相手が全くもって強すぎる。
 レースの袖から伸びた、剣柄を握る手首は細く、コルセットに整えられた腰周りも剣を使うようには見えない女のものだ。それが、オーロと並べれば遜色ないような美形の顔には余裕の笑みさえ浮かべ、突きを払い、間髪いれずに上段から切り下げる。それを紙一重で斬撃を避けるオーロの顔には、徐々に最初の笑顔は失われ、青ざめてきているのが分かった。
 僅かな隙を狙って攻撃に転じても、重いスカートの裾をさばき、膝まで露わになるのを気にもしないクラウディアは、椅子に登り、その上を走るように移動して、絶え間のない突きを次々に避けていった。
 ずっと攻勢にいたクラウディアが、そうしてオーロの渾身の突きを避けていた時、二人の切り結ぶ場所を広く開けて見守っていた客たちの目の前を、何かの影が横切っていった。
 それが移動しつづけるクラウディアの、足元あたりのスカートにぶつかる。彼女は一瞬だけ足元をふらつかせた。
 音もなくスカートから跳ね返り、今度は盛大な音を立てて板床で砕け散ったのは、ビールを注ぐ陶製の大ジョッキだった。
 客たちがその破片に目を奪われた後、あっと歓声が上がっていた。
 間合いを詰めたオーロの剣先が、クラウディアの首筋を切り裂こうとしていた。
 オーロほどの男であれば、その寸前で剣を止めることができるだろうと、一同が祈るような気持ちで硬直した。
 そして動きを止めた双方のうち、片方が一呼吸置いて床に崩れ落ちた。




 「気が付いた?」
 問われた男は暗闇の中で目をしばたかせ、そこが弐号館の客室のひとつであることに気付いたようだ。
「クラウディア」
「ごめん。手加減したつもりだったんだけど」
 目をしっかりと開けたオーロは、言われてようやく痛みの元を探り、自分の首筋を撫でている。
「ズキズキする」
「これで冷やすといいよ」
 ベッドサイドの灯りをつけて、濡らしたタオルを手渡してやると、少し寝汗をかいていた前髪をかきあげながらオーロはクラウドを見上げていた。
「一体君は、どんな女なんだ」
「別に、強い女なんか幾らでもいるだろう。オレの幼馴染みだって、すっごく強かった」
 オーロは受け取ったタオルを首筋へ当てながら、懐かしい思い出を探って目を細めたクラウドをじっと見つめる。
 この男の勘は決して悪くないから、クラウドの正体に気付く頃かもしれない。
「まあ、いいや。それより今夜はここで寝ていけよ。一晩経てば、首もまともになるから」
「待ってくれ。そばにいてくれないのか」
 自分はソファにでも寝ようと背を向けたクラウドへ、オーロは思いもかけないことを言った。
 振り返ったベッドの上で横になったまま、まるで子供のように頼りない目を向ける男を、少々呆れながら見下ろす。
「あんたはオレとの勝負に負けたろ」
「でもこうして看病してくれてる」
 すっかり完敗したというのに、横になったままクラウドの手首を掴んで引き、見上げるオーロの目には次第に力が蘇って来ているように思えた。だとすれば、頼りない様子を見せたのもまた、同情を誘う彼の手口だったのだろうか。
「ホントに自信過剰な男だな」
 クラウドは笑いをこらえきれずに漏らしながら、引かれるままベッドに膝で乗り上げた。
「だけど、オレに乗るのに、あんたには試練が多すぎる」
 オーロの下肢にかかった毛布の上を、跨いで乗り上げたクラウドは、その膝の上に座った。
 積極的にも思えるクラウドの行動に、驚いたように目を見開いてから、オーロはクラウドの腰へと手を伸ばす。クラウドがその手首を掴み、いきなりスカートの中へ導いた時も、オーロはたじろいだりはしなかった。
 だが、厚いペチコートを掻き分け、薄い下着の上から、そこにあるべきではないものに触れさせた時、彼は一瞬怪訝な顔になった。
 正直、服の上からでも他人に股間を触れさせるのはごめんだったが、こうすれば話は早い。クラウドが隠せない嫌悪感に顔をゆがめるのと、オーロが真実に気付くのと、思いがけず部屋の小さな灯りが突然消えるのは、ほぼ同時のことだった。

 反射的に身をかがめたクラウドの頭上を、剣の刃が音を立てて空を切る。
 身体を縮めたまま、反対側のベッド下へ転がり落ちて次の一閃を避け、そのまま身を一転させて起き上がろうとしたところ、スカートの裾を踏んだクラウドは、立ち損ねてよろめいた。
 外からの僅かな灯りしかない視界の中、知る感触の手にその身を支えられ、クラウドは安堵感の中で身を起こす。セフィロス、と名を呼びそうになった口を押さえられ、無言のまま腕を引いて導かれた先は、扉の前だった。
 一瞬で間合いを詰めて、再び切りかかってくる何者かの剣は、隣に立ったセフィロスの正宗に弾き返された。
 クラウドは慌てて扉の近くに置かれたランプへ手を伸ばし、種火に絞っていた光量を最大まで上げる。大きなオイルランプの灯りは部屋全体を照らし出すのに十分だった。
 部屋の中には、未だ状況がわからずベッドに横たわったままのオーロ、クラウドの横にはフード付きのマントを被ったままのセフィロス、そしてベッドの脇にはクラウドが見上げるような大柄な人影が、片手に光る剣を下げたまま立っていた。
 口元を隠すように巻いた布の隙間からは、オーロと良く似た明るい金髪が覗いている。真っ黒に焼けた頬と、革の胴着から見える腕は船乗りのもので、膝下までの丈のズボンに革のブーツを身につけていた。姿形は良く見る船乗員のもので、なんら特筆するところはないが、ただオーロより短く切った金髪だけが印象に残る。
「来るなら明日だと思ってた」
 思わず漏れたクラウドの呟きに、まったく身じろぎせず青い目を向けていた人影が、びくりと身体を揺らした。
「お前がオーロを打ち負かしたことが、相当腹立たしかったんだろう」
 セフィロスがその答えを代弁し、ずっと被ったままだったフードを肩に落とした。
 途端に流れ落ちた銀の髪が、鋼の色に輝いて目を奪う。
 オーロも、乱入者すらもセフィロスの存在感は無視できなかったらしい。
「クラウディア、それにあんたたちは、一体……」
 混乱気味なオーロはベッドからそろそろと降り、クラウドへ必死に問い掛ける目を向けた。
「オレとあんたは、こいつを引きずり出すための囮なんだよ」
「こいつ、って……誰だ?」
 こいつ、と呼ばれてクラウドに指をさされた乱入者は、視線だけをオーロへと向けた。
 青い澄んだ色の目が出会った瞬間、オーロは全身を強張らせて、その名を呼んだ。
「ブール! 何故ここにいる!」
「あんたの弟なんだろ?」
「あ、ああ。だがいつも船にいて陸には降りないんだ……」
 ブールと呼ばれたオーロの弟は、脱力したように降ろした片手に剣を下げたまま、ただ愚鈍に立ち尽くしているように見えた。
 だが相対するセフィロスと共に、ゆったり構えているように見えながら、この部屋の中で誰が強い『敵』であるのか、互いを理解しているような気迫が満ちている。
 クラウドは息を殺しながら、少なくとも自分の身を包む慣れない布の塊が、セフィロスの邪魔にならないことだけを考えていた。
「弟じゃない。妹、だろう。まさか己の肉親、それも副船長の性別を知らなかったわけはあるまい」
 セフィロスの言葉に、クラウドは飛び上がった。
 信じられずに見たセフィロスは悠然と笑みを浮かべ、オーロの顔は否定する余地もなく強張っている。
 そして変わらず無表情で立ち尽くす、女だという乱入者は、オーロよりもはるかに背が高く、造作もいかつい。
 ただその声を一回も聞いていないことに気付いた。
「女……妹なんだ?」
 問うクラウドへ、彼女はやはり答えず、頷くこともしなかった。
「クラウド。そうした格好をしているお前が男に見えないように、このブールという副船長は紛れもない娘だ。昨夜、悪いがキャンベル号の船室へ行って、確かめさせてもらった」
 今度は彼女が少し身じろぐ番だった。
 巻いた布の上から覗く青い眼が、信じられないというように見開かれてクラウドの化粧をした顔を見つめた。
 それから、唯一状況を正しく判断しているのがセフィロスだと気付いたようで、問い掛ける青い目をセフィロスへと向ける。
 問われる前に、セフィロスは更に彼女へと口を開いた。
「この酌婦クラウディアは連続殺人犯を引きずり出す囮だ。中身は正真正銘の男だがな。お前が、お前の兄と寝た酌婦でも、特に金髪の娘へ執着していることは明らかだった」
「馬鹿な!」
 セフィロスの言葉に反論を返したのは、ブールではなく兄のオーロだった。
「妹は見かけは粗野でも、花や動物を愛でる、優しい子なんだ! なぜ……殺人なんか!」
「なぜ? お前が気付いていなかったとは言わせない。お前と寝た翌日に、金髪の娘たちは躯となって発見された。二件目の事件以外は、お前の船は港へ入っていたではないか」
「……だが二つ目の殺人が起きた時、僕らの船はこの町にはいなかった!」
「だからこそ、お前は己の妹が犯人であると、気付いていたんだろう。その時、副船長は船には乗っていなかった」
 珍しく饒舌に語るセフィロスをちらりと見上げたクラウドは、気付いて見下ろしてきた男へ問う。
「裏、とれたんだ?」
「ああ。キャンベル号の船員たちに確認した。二件目の事件の朝、出航したキャンベル号に副船長は乗っていない。今回以外にも月に一度ほど、陸に下りたまま乗船しないことがあると」
 ブールは相変わらず黙ったまま否定も肯定もしない。
 だがオーロは明らかにこの事実を知っていて、詳細が漏れてしまったことを後悔している顔だった。
「ブールは……月のものがくると、酷く体調を崩すことがあるから船から下りるんだ。それに女だとバレる確率も高くなるから」
 いかにも彼らしくない、ぼそぼそと篭るような声でその理由を答えたオーロは力なく視線を妹へと向けた。
「なんでそこまでして、女だって隠してたんだ?」
「船に女が乗ることは、不吉だとされてる。男所帯で間違いが起きないとも限らない。それでも、ブールは船に乗りたいと……だからもうずっと何年も、男のふりをし続けてたんだ」
 じわりとクラウドの心にわきあがったのは、怒りだった。
「あんた、そこまでしてる妹の気持ち、わかってたんだろ?」
「だが間違いなく血の繋がった妹だ」
「関係ない、そんなの!」
 その場の問答をただ見下ろしていたブールは、突然ベッドサイドにあった消えたランプをクラウドへ投げつけた。とっさに避けたランプは、大きな音を立てて床でガラスが粉々になり、鉄の枠だけを残して、周囲に油が広がった。
 押し黙ったクラウドやセフィロスを見つめるブールの、その名に相応しい澄み切った青い目は、幾人もの娘たちを殺した殺人者のものではなかった。他人の心をこれ以上語ることは許さないと言うように、微かな怒りと、何かを諦めたような光がそこにはあった。
 彼女が、己の兄への道ならぬ恋を、ずっと語ることはなかったのだろうか。
 不自由な足を抱え、その理由を己の口から述べることも適わない人魚姫のように、彼女は想いを隠しつづけ、男として振る舞っていたのだろうか。
「ブール。あんた……」
 問おうとした言葉を中断するように、彼女は大きな身体を翻し、背後の開けたままの窓枠を乗り越え、外へと飛び出した。
 後に続こうと走り出して、スカートに足をもつれさせたクラウドが唸り声を上げると、すぐ脇を走り抜けたセフィロスがその後を追って行った。
 窓に掛け寄り、瞬く間に二階から地上へと飛び下りた二つの人影が、港の方へ移動していくのを確かめながら、同じく窓辺に駆け寄って窓から乗り出したオーロは、妹へ向かって叫んだ。
「逃げろ、ブール! 逃げろ!」
 目抜き通りを抜け、まっすぐに一つだけ伸びる桟橋へと走りこんだ二つの人影が、月明かりに照らされて、思いのほかはっきりと見通すことができた。長い髪をなびかせるセフィロスの姿を見誤ることはなく、だが追われるブールの身体能力も抜きん出ているらしく、セフィロスの足をもってしても追いつくことができない。
 じりじりと間合いを狭めながら、先を行くブールの影は桟橋の端まで辿り付き、そのまま躊躇することなく海面へと飛び込み、消えた。




 「死体は上がってないが、町へ戻った様子もない。キャンベル号にも戻ってない。完全に消えたな」
 いつも薄く笑んだような赤毛も、さすがに神妙な顔になっている。
 今は入港しているため、器具で固定した舵へもたれかかり、酷く疲れた様子だった。
 この事件に関わって以来、確かに一番苦労したのは女装までさせられたクラウドだろうが、実は赤毛もずっと動き回っていたのである。
 船縁にセフィロスと並んで腰を下ろしたクラウドは、今は臙脂のシャツに革のズボンと、まともな男の格好に戻っていた。甲冑のようなコルセットとペチコートから解放され、しかも風の清清しい夕刻の静かな船の上は、波も穏やかで大層居心地が良かった。
 だが結局、昨夜海中へと逃げたブールの行方は知れていない。
 取り逃がしたセフィロスはまったく後悔している様子もなく、クラウドとしても四人を殺している殺人者とはいえ、彼女をこれ以上追い詰める気力は沸かなかった。
「ママや町の連中も、もう無理に追うことはないだろうって言ってる」
「オーロはもうこの町に来ないんだろ? だったら彼女が戻ることもないだろうな」
 オーロは事件の重大な関係者とはいえ、彼が直接娘たちに手を下したわけではない。逃亡にも直接手を貸していなかったため、町の人々もオーロを咎めることはできなかった。
 だが彼がこの町に留まれば、ブールが戻ってくる可能性がある。キャンベル号はこの町への入港を、今後一切拒否されることになり、オーロもそれに応じた。
 あの赤い欄干の美しいキャンベル号は、既に出航してその姿はない。
 クラウドは赤毛の船の上から、オーロがいつもは自信に満ち溢れた肩を酷く落とし、副船長を乗せることなく出航していく姿を見送った。
 妹の想いに答えることは出来なくても、彼なりの肉親の情は確かにあった。それを知っていたからこそ、長年強く迫ることも出来なかったブールの心が、どこからか奇妙に歪んでしまった結果だったのだろう。
 ブールは愛しい兄と寝る女たち、それも自分と同じ金髪の女だけを殺害し、だが『クラウディア』がオーロに勝負を挑んだ時には、クラウドの動きを邪魔しようとジョッキを投げつけた。オーロが勝てば、つまりはクラウディアは兄と夜を共にすると分かっていたのに、それでも兄が負けることを否とした。それは彼女の中では決して矛盾ではなかった。
 クラウドに彼女の気持ちを全て理解することはできないが、その苦悩の片鱗は感じることが出来た。
 もう少し、彼女が饒舌で、もう少し自分勝手に己の気持ちを優先することができたとしたら、こんな悲劇は起きなかっただろう。
「なんで、彼女、何も言わなかったんだろう」
 ぽつりと漏らしたクラウドを、セフィロスと赤毛が同時に見下ろした。
「言えばよかったのに。ブールの方が身体だって大きかったんだし、無理矢理襲えばよかったのに」
「クラウド、あんた顔に似合わず、すっげえこと言うなあ」
 神妙な顔をようやく解いて、大声で笑い出した赤毛を見上げ、クラウドは頬を微かに膨らませて答えた。
「だってさ、別に何に背くでもないだろ。子供作ったりするんでもなければ、実際の兄妹だって困ることないんだし」
「あの娘は」
 セフィロスの途切れた呟きに顔を向けると、その指先がクラウドの喉元を辿った。
「幼い頃、後天的に声を失っていたらしい」
「……だから」
 不自然なほどに無口で、目でものを語る娘だとは思った。
「どうりで女だってバレなかったわけだ」
 事件のずっと以前からブールを知る赤毛も納得の顔になった。
「じゃあ、本当の人魚姫だったんだなあ」
 恐ろしい殺人犯であることは事実だが、道ならぬ恋をかなえることなく、海の泡に戻った娘のお伽噺に酷く重なることが多い。
 泡になってしまった彼女が幸せだったのか、彼女の行方を知らずに過ごした王子がその後どうなったのか、全てが謎のままの奇妙なお伽噺だ。
「まあ、事件は終わりだ。明日の午前中にはオレたちも港を出るから、今日が最後の夜になるぜ」
 赤毛はもたれていた舵から身を起こし、二人へ問い掛けた。
「ママも随分世話になったと感謝してた。今晩は酒も宿もおごりだって話だけど、あんたらはどうする?」
 再び弐号館に戻るとなると、昨夜まで接客していた男たちに遭遇する可能性が酷く高い。
 完全に男の格好のクラウドを見て、クラウディアと同一人物だと気付く者が現れないとも限らない。
「なんか、知ってるのに会うと、めんどくさそうだな」
「では、船で寝ればいい」
「じゃあちょうどいい。今夜の船の番はあんたらってことで」
 赤毛は勝手にさっさと決定し、船室に残っていた船員二人に声をかけ、三人そろって小船に乗り込み、いそいそと町へ向けて漕ぎ出した。
 夕陽が赤く染める海面を、静かに進んでいく小船から、なんだか酷く嬉しそうに三人が手を降っているのを、クラウドは船縁に肘をついて見送った。
「ああ、でもなんか飲みたい気分だな」
 心のどこかにトゲのように残るものを洗い流すには、酒でも喰らって酔うのが一番いいと経験上知っていた。
「あいつら呼び戻して、差し入れでも頼もうか?」
「赤毛の酒の隠し場所を知っている」
「よし。それを飲もう。あんたもつきあえ」
 当人は知る由もない会話を交わし、小船で行く赤毛の姿を見送るのを打ち切り、クラウドはこの船の船長室へとセフィロスを促した。



「オレ、人魚姫の話、嫌いなんだ」
 甲板に敷物代わりにした毛布の上で怠惰に寝そべり、隣で同じように身体を伸ばす男へ寄りかかる。
 自分にはこうして寄り添い、共に歩む伴侶もあるが、無に還るしかなかった人魚姫はいかにも救いがない。ただ若い娘の無知さをたしなめ、身の程をしれという教訓だったら、夢もない。
 なんだか酷く落ち込んでゆく気分を他所に、触れた男の唇から、口内が熱く焼けるような、度数の高い酒を口移しにされる。喉を焼きながら落ちてゆく感覚を楽しみ、同時にそのまま胸元へ、そして乳首へと移動する唇の感触に更に酔う。
「どういう終わりなら、納得すると?」
 ここ数日、すっかり振り回し、いいように使われていたセフィロスには負い目も感じているので、好きなようにさせていたクラウドは、それでも微かに胸元に走った痛みに顔をしかめた。
「そうだな」
 薄く開いた視界には、晴れた夜空に無数の星が散らばり、ゆっくりと流れる雲も穏やかな様子である。
「どこか知らない海でもう一度生まれて、旅をするんだ」
 手探りで慣れた手触りの髪を掴み、その匂いをかぐように口元を寄せる。
 ひんやりと冷たいような、金属質な髪の感触がクラウドは好きだった。
「今度は相愛の男に会ってさ、一緒に旅をして、本人はそれと気付かないで元の海に帰ってくるんだ」
「なるほど」
「あんな不幸な話、一メートルも泳げないカナヅチが、人魚をひがんで書いた話だよ。きっと」
 思いつきで呟いた言葉に、男は低く声を立てて笑った。
 少しだけ笑われたことに腹を立てたクラウドは、近寄ってきた唇に歯を立てて、それから静かにそれを吸った。

 その時船底を叩く波音とは違う、魚の跳ねるような音が足元で起こった。
 すぐに波間に紛れて消えた音の存在を、クラウドが朝まで覚えていることはなかった。

08.07.27(了) 10.04.20(改稿)
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