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ついかい  さすら   たみ
追懐を放浪う民


 大きさは丁度、クラウドの両手でひと抱えほどだ。
 薄い茶色の箱はボール紙で出来ており、ふたの角には真鍮色の金属で補強がなされ、それがアールヌーヴォーを思わせる植物のモチーフで飾られている。中央には見たことのないロゴマークが銀色で刻印してある。どうやら衣類か何かのようだ。
 正直、それがキッチンのカウンターに置き去りにされていなければ、興味を示さず済んだかもしれない。或いはもっと庶民的な意匠であれば、気にも止めなかったかもしれない。
 だが神経質に拭き清められているとはいえ、調味料の瓶やキャセロールの並ぶ、生活感溢れるキッチンに、どっかりと置かれた巨大な箱は余りに目立ち、異様ですらあった。
 好奇心に負け、覗き込む前に、クラウドはその不穏な空気を確かに感じ取っていた。




 今や伝説として語り継がれる小惑星の飛来により、この地に栄えた不夜城ミッドガルは、一晩で壊滅した。
 以来ずっとうち捨てられてきた都市の遺跡の上に、五百年ぶりに街が建設されていた。
 資源の確保に苦心し、大きな繁栄を得ることが出来なかったこの地の人間は、つい五十年ほど前に、地下に眠る大量の天然ガスを発見したのである。
 そして周辺の小さな村や町が、身を寄せ合うように集結し、それはいつしか、栄華を極めたミッドガルを彷彿とさせる、放射状に伸びるハイウェイに、幾重にも連なる環状道路が連絡され、高層ビルが建ち並ぶ、円形の近代都市に発展していった。
 一年前、辛い記憶の多い因縁の地に足を踏み入れたクラウドたちは、このネオ・ミッドガルと名づけられた都で、久々に文化的な生活を楽しんでいる。
 とは言っても長い間、通行人などありえない僻地に仙人のように住み着いたり、各地をひたすら旅してきたクラウドは、自分の身なりに余り気をつかう方ではなかった。
 クラウドとて、まだ子供のころはいざ知らず、人より長い間を生きている中で、服や装飾品に凝ったことが全くないわけではない。まだミッドガル周辺にエッジと呼ばれた街が栄えた頃には、着飾り、若者が好む店に出入りしたこともある。
 今はどちらかというと実利に偏りがちで、好みが出るとすれば、せいぜい色や着心地にしか拘っていない。無駄な飾りは戦闘の邪魔になるし、過酷な状況で破れたりしない丈夫なもの方がいい。
 まさかこの街中で戦闘服で過ごすはずはないが、普段はシャツにジーンズという学生のような格好で済ませていたクラウドに、ちょっと小洒落た上着や、革の靴を買い与えるのは、なんと連れの男の方だった。
 事前に出掛けた折りにでも、クラウドに似合う服を見定めてくるのか、無言で手を引いて連行され、問答無用で試着室に放り込まれ、反論する余地もなく大きな箱を片手に帰路についている。
「ちょっと意外だ」
 物がなんでも、この男にプレゼントされるのは、嬉しくない訳ではない。
 男は無言無表情のまま、片方の眉山だけを少し持ち上げた。
「あんたがこんなものに興味を示して、オレに買い与えるってのが」
 クラウド自身と同じく、男が文化的な生活をしていたのは、それこそ神羅軍に所属していた時代だ。当時から彼はずっと上の人間で、金銭にも困ったことはなさそうだが、当時はそんな風に店に連れて行かれたことも、彼が自分の衣類を買いに行った姿も見たことはなかった。
「昔は貰うばかりだったな」
「それ……同じ男としてかなりむかつく」
 確かにクラウドと出会う以前の彼には、それなりの女性の影があったようだ。
 相手が神羅の英雄ともなれば、裕福な女たちは、こぞって彼に物を贈ったことだろう。
「彼女たちの云う『着飾らせる楽しさ』というのが、ようやく理解できた」
 クラウドはげんなりした顔で、心なしか嬉しそうな男の横顔を見上げた。
「男が男を着飾らせるのはどうかとオレも思ったが、相手がお前なら、どうしてなかなか楽しい。月並みだが、剥ぎ取る楽しみもある」
 口元に薄く笑みを浮かべて見下ろされ、クラウドは動揺して箱を取り落とした。



 正直に言えば、それが自分へのプレゼントなのかとほんの少し期待していたこともあった。
 買ってきたのだろう男───つまりセフィロス自身の服なのかとも思った。それはそれで興味がある。
 そのどちらにしても、ふたを持ち上げ、覗き見た箱の中身は、クラウドにとって予想外の雰囲気だった。
 色は薄いアッシュブルーだろうか、光の加減によって、かなり濃いグレーにも見え、白にも見える。部分的に同系色の毛皮などもあしらわれているようだ。
 普段セフィロスはこんなに明るい色は着ない。とすると、やはりクラウドのために買ってきたものだろうか。
 光沢感と触れた手触りは滑らかでしっとりしていて、クラウドはくすぐったい気持ちになった。
 だが、更にそれを持ち上げ、開いた箱の上に広げたクラウドは絶句し、凍り付いた。
 長い裾、細身の身ごろ。
 どう見てもそれは女物のドレスだった。


 二人の住む集合住宅の部屋は、さして広くもなく、部屋数も多くない。
 キッチンから呼べば、どの部屋にいても聞こえる範囲だ。
 だが部屋の壁を震わせるほどのクラウドの怒号に、キッチンとエントランスの境目に寝そべっていたロビンは、獣らしい敏捷さで立ち上がり、リビングの方まで走って逃げていった。
 短く詰まった真っ黒な毛並みに埋もれるように、いつもは丸い目がきらきらと輝いているが、今は自分が怒られたと勘違いしたのか、遠まきに主人を見つめ、大きな耳は頭に張り付き、尻尾は後ろ足の間にすっかり垂れてしまっている。
「セフィロス!」
「そんなに大声で呼ばずとも、聞こえる」
 出先から帰宅したばかりでシャワーでも浴びていたのだろう、セフィロスは濡れた髪をタオルで拭きながら、寝室と併設されたバスルームの扉から顔を出した。
 湯でほんのり色づいた上半身は裸で、下肢はジーンズに覆われていたが、ファスナーもベルトのバックルもくつろげたままである。
 普段であれば、美しく盛り上がった腹筋に、眼を奪われているところだったかもしれない。しかし、そんな気分を完全に吹き飛ばしてしまうほど、クラウドの見た箱の中身は強烈だった。
「どういうことか、説明してもらおう。この変態オヤジ」
「酷い言い草だ。何のことだ」
「『何』だと? ふざけんな! あんなもんオレが喜んで受け取る訳ないだろうがっ!」
 ああ、そういうことか、とセフィロスは納得した顔をする。
 開き直った余裕の男に、クラウドは一層腹が立った。
「後で説明するつもりだった。アレはお前へのプレゼントだが、オレ個人の趣味ではない。仕事の為だ」
 クラウドのこめかみが、怒りで無意識に痙攣する。
「仕事? オレにアレを着て水商売でもやれっていうのか!」
 カウンターに両手の拳を叩きつけると、件の箱と、カウンターに置いた雑貨が一瞬宙に浮いた。
 戸口から様子を窺っていたロビンは、今度こそ尻尾を向けて一目散に逃げ出した。多分逃げ隠れる定位置は、リビングルームのソファの裏と壁の隙間である。残念ながら、不憫にもとばっちりで怯えた愛犬を、宥めてやる余裕は今のクラウドにはない。
「オレがお前にそんなことさせる訳がない。少し落ち着け」
「落ちついていられるか! なんだよ、あのドレスは!」
「経費はクライアント負担だ。一番お前に似合いそうな、一番上等な生地の服にした」
 確かに、その服は大層金がかかっていそうに見えた。本人が望まざるとも数度体験した女性用の服とは異なり、これは式典の場に着ていくようなドレスだ。
 しかし問題はそこではない。
「こ、の!」
 腹に据えかねて掴みかかった腕を軽々と捕らわれ、背後から抱え込むように押さえつけられた。
 体の前で交差した腕を後ろから掴まれると、殆ど身動きすら出来なくなる。
 時折忘れるが、この男は唯一クラウドが体力的に勝てない相手なのだ。
「落ち着いて説明を聞けというのに。無理矢理着せて欲しいのか」
 背中に触れたセフィロスの裸の胸と、耳に近寄せられた首筋からソープの清潔な香りが漂う。濡れた髪が流れ落ち、クラウドの肩を撫でる。
「そんなことしたら……殺すぞ」
 脅す言葉を口にしながら、不覚にも男に欲情している自分に気付き、酷く頼りない口調になってしまった。
 タイミングが反則だ。
 もしや意図的なのかと疑う。
 せめて射殺してやるつもりの視線で睨みつけても、セフィロスには効かなかったらしい。
「安心しろ。着せたら、責任もって脱がせてやる」


 事は二日ほど遡る。
 一本の電話を受けたセフィロスは、その相手の声に聞き覚えがあったらしい。
 半年ほど前、知り合った相手だった。
「誰だか分かるか?」
 説明を途中で止め、セフィロスは『説得されている最中』のクラウドに質問した。
「……総統?」
「当たりだ」
 さすがに購入してきたばかりの最上級品のドレスを、無理矢理着せて破かれたら堪らないと思ったのだろう。ドレスはキッチンに置いたままだったが、その代わりにクラウドのジーンズは腿まで下ろされ、半端に剥かれた場所はセフィロスと繋がっていた。
 無論最初は抵抗していたが、途中からはクラウドの方が夢中になってしまい、正直仕事の依頼内容になど興味はなかった。『総統』と答えながら、頭の中で思い出そうとした知己の顔が、セフィロスの動きにかき消されてしまった。
 今感じたいのは、背後の男の温度だけだ。
「聞いているのか」
 熱く焼けた鋼を思わせる陰茎が、ゆっくり出し入れされ、クラウドは問いの意味も考えず、頭を振って腰をうごめかせた。セフィロスとの行為に慣れた身体には、あまりに穏やかで、物足りない刺激だった。
「いいから。もっと」
 抉るように。
 引き裂くように。
「お前が説明しろと言ったのに」
 クラウドの言外の要求に対しても、セフィロスは従順だ。
 要求した通りに知られすぎた身体の中を探られ、少々乱暴に弱い部分を突かれると、抑えようもなく声が溢れる。声にして吐き出さなければ、命の危機を感じるような、えげつなく強烈な快感は苦痛と紙一重だ。
 喘ぎに開け放した唇からは獣のように唾液が流れ落ち、いつ運ばれたのか、もう記憶のない寝台のシーツに爪を立てる。
 指の間に寄ったシーツの皺を意味もなく見つめながら、恐らく自分は、あのひらひらした忌々しい服を、結局着ることになるのだろうと、クラウドは思っていた。


 この十年、ネオ・ミッドガルの統括を務めてきたヨハン・グレーデンは、先月総統として名実ともにこの街のトップになった。
 元々小さな村を寄せ集めたような街であるから、当初ネオ・ミッドガルの政は、村長たちが民主的な会議を開くことで、決定してきたらしい。その中でも、特にリーダーシップを発揮し、街の建設に大きく貢献したのが、ヨハンの父であるグレーデン卿だった。
 街の建設開始から二十年、人々の中心的役割を果たしてきたものの、高齢とそれまでの無理が祟ったのか、病に倒れ、息子がその跡を継いだのが十年前である。
 五十年計画と詠われたネオ・ミッドガル建設は、三十年でほぼその姿を完成させ、どちらかといえばソフトウェア───つまり、そこを治める法律や制度と、管理する人間の育成が遅れ気味であると云えた。
 既に人口は十万人を越え、村会の延長で支えられていた街は、一国の様相を呈してきたのである。
 グレーデン卿の引退を機に、他の村長たちもその地位を後継者に継ぎ、彼らは近年もっぱらそのソフトウェアを作ることに始終していた。
 法律が作られ、治安を取り締まる自警団や戸籍を管理する役所ができ、ようやく総統の座を設けることが決まった。
 過去の都市で行われた選挙による選出方法が検討され、成人市民全員による直接投票が実施されたのが一月前、当初間違いないと言われていたとおり、ヨハン・グレーデンがネオ・ミッドガルの初代総統に選ばれたのである。
 これまでの彼の働きや役割を思えば、もっと早くに就任してもよかった、というのがこの街の人間の総意だったろう。


 一年前、この街に移り住んだクラウドたちは『なんでも屋』を開業したわけだが、その最初の事件を調査している際、グレーデンと知り合った。
 正直きっかけは、人に褒められた方法ではなかったが、彼の器にはそれなりの許容量があったらしく、主にクラウドに対して、彼は好意すら寄せていたようだ。
 事件が終わった時、これ以上深入りされないようにと一度は牽制したのだが、その彼から電話があったということは、どうしてもクラウドたちの力が必要だと思い詰めた結果であると想像できる。
 だからこそ、彼からの電話を受けたセフィロスは話を聞いた。
 しかも、なんでも屋の報酬はそう高くないのに、以前の事件で一度壊されたバイクを、再度クラウドが購入したことで、手持ちの現金をかなり使ってしまった。仕舞い込んだ装備やマテリア、蓄えを売れば相当高額になるのだが、それを良しとせず、どんな仕事でも絶対受けると豪語していたのはクラウドだった。

「グレーデンの総統就任記念式典で、ボディガードをしろということだ」
 事が終わって乱れた息も落ちついた頃、クラウドたちは寝台の上で半裸の身体を沿わせて横たわっていた。
 まだ不機嫌さはぬぐいきれないが、一応激昂は治まった。
 背後から抱き締めてくる腕や胸は、まだ僅かに汗の湿り気を帯び、先程の行為の名残を感じさせる。
「ボディガードは珍しくないけど、なんでドレスなんだよ。オレはそれを怒ってんの」
「祝賀会も同時に行われるらしいが、既婚者ならば夫婦で、独身者も男女同伴ということになっているかららしい」
 横目でじろりと睨んでも、セフィロスは口元に笑みを浮かべて答えた。
「お前ならばさぞ愛らしい若妻に化けるだろう」
「……本気で言ってんのか? せめて普通にスーツや礼服でいいじゃないか」
 確かにただ警備をするだけなら着飾る必要はなく、場合によっては、街にいる自警団にタキシードでも着せて立たせて置けば済む。
セフィロスも総統に相談を受けた際には、クラウドと同じように答えたらしい。
「グレーデンの暗殺とテロ予告が来たそうだ」
「なんだそれ。会場を爆破でもしようっていうのか」
「何時の世でも、同じような輩がいるということだな」
 このネオ・ミッドガルが出来て数十年、グレーデンも事業を親から引き継いだが、街の開発に留まらず、生活する市民たちも二世代目に突入する時期である。
 ガス資源の開発が急ピッチで進む一方、かつてここにあった神羅の不夜城に比べれば、街そのものは緩やかな発展であるように見えた。
 それでも生活が便利になるのと同時に、自然保護団体や懐古主義の団体が出来る。その殆どが彼らの正義感から成るまともな慈善集団だったが、中には過激な一団もいた。
 それがグレーデン宛に脅迫状を送りつけてきた、アンチ・ネオミッドガルのテロ組織だという。
 脅迫状は先週、パーティーの開催がテレビニュースで取り上げられた後、庁舎に郵送で届いたらしい。

『我々が愛するよき時代に反する、ヨハン・グレーデンに聖なる裁きを与える。卑劣な手段で総統の座に居座る独裁者と、その信奉者を排除するため、祝賀の宴は、我々の手により血の海と化すだろう。この計画は、総統がその座を辞する以外に止めることは出来ない』

「その大仰な言い方がテロリストらしいなあ」
 元テロリストだったクラウドは、汗でうなだれた前髪を掻き上げて苦笑した。
 仮にもグレーデンは市民たちの投票によって選ばれた長だ。
 クラウドに民主主義を信奉する気はないが、皆で決めたルールによって選ばれたのなら、どんなに気に入らなくても一応従うのが妥当ではないかと思う。
 子供だってゲームに負けたら引き下がる。
 結果が気に入らないから、勝負に参加した人間を皆殺しにする───これはつまりそういう事だ。
 ベッドに転がったまま、総統から提供された脅迫状のコピーを眺め、ふと、封書の表書きのコピーを見やる。
 タイプで打った庁舎宛の住所と切手、消印、そして裏側の差出人を書くべき場所に目を止め、愕然とした。
「『アバランチ』だって?」
 確認のために見やったセフィロスは、表情も変えずに小さく頷いた。
 『アバランチ』といえば、かつてクラウドがミッドガルに来たころから存在したテロリスト集団である。
 アバランチは実は一つの集団ではなく、名前だけが引き継がれていく形で、束ねるリーダーも方法も様々だったが、対神羅カンパニーの反乱組織としての性質は受け継がれていった。
 ミッドガルを離れて五年後、過去を失った状態で再びミッドガルに辿り着いたクラウドは、ティファ、バレットが率いるアバランチの面々に雇われることになった経緯がある。
 当時神羅カンパニーがアバランチ側を陥れる形で、ミッドガルの七番街が爆破され、プレートは崩落し、大量の死傷者が出た。本来、神羅の強引な開発や淘汰に反乱を起こし、義勇組織と思われていたアバランチは、ただの過激なテロリスト集団という評価に成り下がってしまったはずだ。
 その後神羅カンパニーが壊滅し、ミッドガルが失われ、アバランチの名もまた歴史の闇の中に消えていった。
「なんで、アバランチなんだ?」
「ミッドガルの資料でも調べているうちに、その名に行き着いたのだろう。懐古主義にもほどがあるな。しかもオリジナリティの欠片もない」
 思えば、この街の名前でさえ、すでに五百年以上前に滅んだ街の名を借りているのだ。
「掲げるものがなんだろうと、奴等の破壊行為はただのPRだ。それを聖なる戦いなどと自称する精神が気に喰わない」
 神羅軍に所属したころ、セフィロスは過去のアバランチやその他のテロ集団を取り締まる側だった。セフィロスが当時から、テロリストというものを積極的に嫌悪していたことを、クラウドも覚えている。
 彼がそうして自発的に何かを嫌ったり、主張したりするのは、珍しいことだった。
「あんたはテロ嫌いだったよね。昔から」
「嫌いだな」
「オレ、そのアバランチに協力して手配されたことあるんだけど」
「その時にオレが追わずに済んだことを、ありがたく思うな」
「あんたが神羅にいた頃だったら、オレ絶対参加しなかったな」
 つい、出てしまった本音をしまったと思ったが、クラウドは書面に目を向けることで誤魔化そうとした。
「なぜ?」
 案の定聞いてきた。
 無論、勝てる気がしないからである。
 セフィロスの頭脳がそういった戦略や戦術にどれだけ長けているかも、実際に現場に出た時の戦闘能力の高さも、誰よりクラウドが一番良く知っているからである。
 しかしこれを口にしてしまえば、面と向かって彼を賞賛しているようになるので、抵抗がある。
 クラウドが黙っていると、セフィロスは答えを引き出すのを諦めたようだ。
「んで、犯人を叩けって?」
「選挙で当選したグレーデンを総統から引きずり下ろそうというなら、他の人間でも脅迫状がそこに届くだけの話だ。己の身を守るためだけではなく、街の安全確保のために根絶しておきたいという話だ」
 セフィロスは汗が乾いて冷えてきたクラウドの腹を撫で下ろし、肩口に顎を乗せてきた。
「自警団にも女性隊員はいるが、彼らはまだ警察組織としても未熟だ。グレーデンとしては、これまでには殆どなかったテロリストに対抗しうる戦闘力を雇いたいそうだ。オレたち以外に心当たりがなかった、と言っていた」
「それって……オレの女装も計算に入ってたってことかよ」
「グレーデンは他意はない、と言っていたぞ。パーティーは成功させたいが、犠牲は絶対に出せない、とな」
「オレ、見かけだけだって二十代半ばだぞ。明るい場所で見たら、絶対疑われるって」
「隠す所さえ隠してしまえば、男女の境目は実は余り多くない。お前次第だな」
 闘争心を煽る言い方だが、内心どうにかなるだろうとセフィロスが軽い気持ちでいることが伝わって来た。
「んで、報酬は?」
「前金で二十万、経費は全てクライアント持ち。犠牲者を出さずに終えたら二百万。実行犯の主犯格を捕まえたら更に百万」
「うわっ。それ超ゆらぐなあ」
 最高額の報酬は、現在の二人の稼ぎから言うと年収に近いくらいだ。
 正直、現金の貯蓄はバイク代に消えている今、撃退だけで半年以上の収入を保証されるのは好待遇だった。
 しかもセフィロスの買ってきたドレスは経費だというが、仕事を受けて、経費を請求しなければ自腹になる。それはあまりにも馬鹿らしい。
 他に活用のしようもない。
「よし、受けた!」
 クラウドは気合いを込めた声を出して、ベッドから起きあがった。
「こうなったら徹底的に騙くらかして、会場中の男を誘惑してやる!」
 セフィロスは額に手をやり、整った眉間に皺を寄せた。
「お前の女装は手段であって、目的ではないぞ」
「そんなこと分かってるよ。金の為だろ。金・の・た・め」
 クラウドはそう怒鳴ると、腰に乗っていたセフィロスの腕をすり抜けて、先程から寝室の扉をひっかいているロビンを招き入れるため、ベッドを飛び降りて走った。
 扉を開けた途端飛びついてきた愛犬を撫でてやっていると、背後からセフィロスの盛大な溜息が漏れた。




 翌日、久々の庁舎を、以前とは違い正面玄関から揃って訪れた二人は、受付で総統への取り次ぎを頼み、程なくして彼の筆頭秘書の女性に促されて階上へ上がった。
 グレーデンの秘書室長は、歳はまだ三十半ば、見かけも年相応だが人目を引く美形である。なぜ実年齢までを知っているかと言えば、半年前にここを『訪れる』為に調査をしたからだった。
 通された総統室───とはいっても、以前からグレーデンが使用していたオフィスの名前が変更されただけのそこには、形容しがたい表情の主以外に数名が待っていた。
 セフィロスに続いてクラウドが室内に入ると、中の空気が一変したのが分かった。
 全員に警戒されている。
「久しぶりだな。ミスターセフィロス、クラウド君」
 デスクに着いたグレーデンはそう挨拶し、セフィロスの背後から顔を出したクラウドを認めて、僅かに表情を緩ませた。
「総統就任、おめでとう。やっぱりあんたがなったね」
「ありがとう。以前は『世話になった』。依頼を受けてくれて嬉しいよ」
 クラウドは総統の皮肉ににやりと笑い、セフィロスは小さな頷きで返す。
 恐らく彼は初対面が、クラウドたちによる不法侵入や強盗紛いな行為であるとは、誰にも告げていないのだろう。脇を固めた二人のボディガードも、険しい目つきの男二人と女一人も、クラウドとセフィロスが何であるのか、推し量っているように見えた。
「まあ、皆座ってくれ」
 ソファセットの片側にセフィロスら二人、向かいに三人の男女が座り、ボディガード二人は立たせたまま、グレーデンは早速話し始めた。
「まず、紹介しておこうか」
 グレーデンは、三人の内一番デスクに近い場所に座ったスーツ姿の男を示した。
「手前から、自警団……これは来月から名称がネオ・ミッドガル警察に変わるが、警備部長のラッセル。僕の古くからの知己でね。今回の対策は全て、彼を中心に動いて貰うことになる」
 歳の頃はグレーデンと同世代、四十代後半から五十代前半というところだろう。街でも男前でしられているグレーデンとは対照的に、顔立ちはごく一般的で、短く刈った豊富な髪だけが、グレーデンと同じように白髪まじりになっている。
 ありがちな紺のスーツに隠れた身体は屈強で、立ち上がれば背も高そうだ。
 うさんくさげにクラウドたちを一瞥したが、総統の推薦だけにそう無下に扱えないという態度が、ありありとしていた。
「その隣が、ラッセルの伝手で今回警備を依頼したレイオン殿、更にその隣の女性はパートナーのセリー殿だ」
 紹介が終わる前から、クラウドは頬に突き刺さるような視線を感じた。
 視線の主はレイオンと呼ばれた男だ。
 長い前髪を後ろへ撫でつけ、首の後ろで一つにまとめ、背に流している。
 ノーネクタイのジャケット姿は、一見街の男のようにも見える。だが浅黒い肌に、琥珀色の切れ長の目が鋭く、細い銀縁の眼鏡がなければ只者でないとすぐに知れるだろう。
 視線だけでちらりと見返したクラウドに、敵視するかのような厳しい顔を向け、口元にもゆるみはない。
 男達に比べると、幾分穏やかな様子で、彼の隣に腰を下ろしたセリーは、丁寧に化粧が施された長い睫や赤い唇、軽くカールした肩までの赤毛は間違いなく女性だったが、日に焼けて頑丈そうな体つきは男と見紛うほどだ。こういう場合は頼りがいがあるというべきだろう。
 身体にぴったり沿う明るいブラウンのパンツスーツが、豊かな胸と、鍛えられたボディラインを強調し、よく似合っていた。
 この二人組みは背格好も目つきも、クラウドたちには慣れた気配だ。
 各地を渡り歩いて、時には村や町から依頼を受けて、積荷や商人の護衛をしたり、モンスターを狩ったりする傭兵だろう。
 グレーデンはクラウドとセフィロス二人を彼らに簡潔に紹介すると、すぐに用件に入った。
「無論、自警団も五百名体勢で警備に出向いてもらうが、今回の件は、それだけでは心許ないのが実状だ。僕の周囲はSPの二人に、いつも通り側に付いてもらい、君たち四人には危険物の発見と、アバランチメンバーの捜索を隠密に行ってもらうことになる」
「先に質問がある」
 レイオンが軽く手を挙げて発言した。第一印象よりも声は若く、三十歳前後と思われた。
 グレーデンは頷いて先を促す。
「敵の規模、人数はどれくらいだと予想してるんだ?」
「アバランチ自体は確認できただけで二十人程度の集団だ。当日の警備や、招待客の数を考えると、そのうち半数も潜入できるかどうかと思っている」
「閣下、これ以降は私が説明しましょう」
 後を引き受けたのはラッセル警備部長だった。
 彼が長を務める自警団の組織そのものは、神羅軍には遠く及ばない未熟な組織だ。そもそもは村を警備する青年団が肥大したような流れだから、仕方が無い。
 だが、ポストは総監にも匹敵する警備部長ならば、街の事情には相当精通しているだろうし、今回の警備計画も綿密に立てているはずだった。
「この記念式典および祝賀会の開催は───三週間後の十二月二十一日に予定されている。会場になる壱番街のホテル・オーバルだが、ここは宿泊とホールの棟がフロントを挟んで左右に分かれている」
 ラッセルはあらかじめ用意しておいたらしい卓上の紙を広げた。中央の丸い塔型の建物から、左右に羽を広げたような図面は、従業員用の部屋や通路まで書き込まれた、恐らく建設時のものだ。
「当日宿泊客は、ホールのある左棟には入れない。招待客はフロントのある中央から入り、ホール側に行く通路で金属探知などのボディチェックを設ける。約三百名の招待客のうち、庁舎の職員が六十名。他に演奏のバンドとホテル側の従業員九十名が出入りするな。従業員にやつらが紛れ込む危険も無論あるが、ホテルの方でも臨時で雇ったスタッフは入れないと言っている。つまり逆に、当日だけ君らにスタッフとして潜り込んでもらうには、少々目立ちすぎることになるんだ」
「それで客に紛れて警備しろってことなのか」
 クラウドが思わず呟くと、ラッセル警備部長は大きく頷き、続けた。
「そういうことだ。庁舎の職員に関しては、各部門の部長クラスとその奥方たちが出席する。内部調査はかなり確実だから、身内に奴らが紛れるとは思いたくないな」
 ラッセルは説明を中断して溜息をつき、針山のように短く刈ったまだらの頭をバリバリと音を立てて掻いた。
「だがホテルの外の警備も、周辺の街頭警備も、当日はかなり厳しい。そうなると、奴らもあまり大きな集団で行動するのは無理がある。少人数、もしくは単身のメンバーが潜入して、実行グループと逃亡支援グループ、というような感じになるだろうな」
「それが潜入可能なのはせいぜい半数だという理由か」
 レイオンが眼鏡越しに図面を見つめたまま呟く。
 ラッセルが無言で頷くのを見届けてから、レイオンは今度は総統へと視線を移した。
「それと、閣下の知り合いだっていうこっちの二人の身元調査は確実なんだろうな」
 そう言ってセフィロスとクラウドの二人を示す。
 どこの馬の骨とも分からない、という意味では、ホテルの従業員よりも怪しい人物に見えるのは否定できない。だが、あからさまに目の前で言われるのは、やはり気分の良いものでもない。
 クラウドはむっとした顔でレイオンを見返した。
 怒りを隠すのは容易いが、これから同じ目的のために協力する相手ならば、こちらの性格も把握して貰わねばならない。
 クラウドの怒気を察知しているだろうセフィロスは、相変わらず先程から一言も発していなかった。恐らく、黙って成り行きを見ているつもりなのだろう。
「あのさ」
 クラウドは総統へ矛先を向けた。
「信用しろって、オレたち自身が言っても無駄じゃないか?」
「難しいだろうね」
 グレーデンは苦笑して肩をすくめて見せた。
「んで、黒い髪のあんた」
 次に視線をレイオンへ移した。
「レイオンだ」
「レイオン、総統が選んだオレたちじゃ不満なのか?」
「いや。今日は全員の顔合わせのはずなのに、君たちのパートナーも見当たらないし、知り合いにでも頼むつもりなのか?」
「揃ってる。オレ、女に化けるから」
 平然と、足を組んでソファにくつろいだ姿勢のまま、クラウドが言い放った言葉に、セフィロスとグレーデン以外の者が硬直した。
 レイオンとセリーは顔をこわばらせただけだったが、ラッセル警備部長に至っては、口を開けたままになっている。
 誰もがクラウドの正気を疑ったのか、それとも『その』姿を想像しているのか、こちらを凝視していた。
「……なんだって?」
 かろうじて聞き返したラッセルへ無表情を向けて、クラウドはもう一度繰り返す。
「オレが女に化けて、セフィロスのパートナー役で会場に入る」
「あんたが?」
 次に聞き返したのは、ここで唯一の女性であるセリーだった。
 頷き返したクラウドを暫く見つめ、顔からゆっくり足元まで眺め下ろした後、艶やかなグロスの光る唇の横に手を添えて、何度か首を縦に小さく振り、ぽつりと言った。
「まあ、いけそうね」
 レイオンもラッセルも完全に困惑した顔でセリーを見て、小さく咳払いしたり、ソファを座り直したり、妙に落ち着きが無くなった。
「いっとくけど、オレの趣味じゃないからな。新総統が言ったんだから」
 女性らしい潔さで受け入れたセリー以外、男二人は、同時に総統を問いただす目を向けている。
 グレーデンは苦笑を洩らしながら、それでも心なしか楽しそうに男二人へ言った。
「初めて彼に会った時、僕は女装した彼を女性と信じて全く疑わなかった。まあ、今回もうまく化けてくれれば、敵の隙を突けるし、油断を誘えるかと思ったんだ」
 事実グレーデンは電話でも、同じ理由でクラウドの女装を依頼してきたらしい。
「だが見かけに騙されると、彼は強いよ」



 式典と祝賀会警備の初めて会議は、予想外の計画に動揺した不憫な男二人に疑念を抱かせたまま、それでも夕刻まで続けられた。
 途中から総統は他の用件でボディガードと共に席を立ち、主にラッセル警備部長とクラウドら傭兵四人の間で行われた。
 これまで始終無言で参加していたセフィロスだが、自警団配置の話になると、突然口を挟み始めた。具体的な位置や数の配分について、彼なりの意見があったらしい。
 ラッセル警備部長は決して石頭でも、無能でもなかったらしく、議論の末にセフィロスの意見を随分と聞き入れていた。
 陽が暮れる頃、詳細な打ち合わせもあらかた済ませてラッセルが辞すと、その場に残された傭兵四人の間には、微妙な空気が流れた。
 正直、クラウドはレイオンを嫌なやつだと思っていた。
 彼の方もクラウドを小馬鹿にしたような態度を崩さなかった。
 ローテーブルの上に広げた資料や書類をかき集め、それぞれ帰路につこうという時になって、ソファから立ち上がったクラウドの前に、レイオンは見下ろすように立ちふさがった。
「本当に女装なんかして潜りこむつもりなのか、君は」
 クラウドは顎を上げて、彼をまっすぐに見返した。
 レイオンは、セフィロスほどではないにしろ、かなり背が高い。世間的には余り大きい方ではないクラウドだが、喧嘩っ早さでは右に出る者はいないとは、セフィロスの評だ。
 威圧的な態度のレイオンに正面から喧嘩を買おうと睨みつけたクラウドだったが、目前を一瞬覆った映像に目を瞬かせた。
 懐かしく、苦しい記憶のフラッシュバック。
 神羅軍に所属して間もなく、丁度こんな目線である男を見上げた覚えがある。
 レイオンの質問に答える余裕もなく、その感覚に戸惑ったクラウドは、視線を揺るがせ、書類を持った手を下ろし、半歩後退る。
 すぐ背後に立っていたセフィロスに背中がぶつかり、クラウドは驚いて小さく飛び上がった。
「どうした」
 背後から肘を掴んできたセフィロスを肩越しに見上げ、僅かに安堵するのも束の間、レイオンは再び至近から問い質してくる。
「聞いているのか」
 質問された程度で怯えていると思われているのか。
 完全にクラウドを侮って、威圧的な態度の男に言い返してやりたいと思うのに、何故かクラウドの足はすくんでいた。
「ちょっと、レイオン。やめなよ」
 セリーが連れの袖を引っ張り、喧嘩腰な態度を改めるよう小声でまくし立てると、それが余計に気に入らなかったらしいレイオンは、クラウドの顔を近寄せ、眉間に皺を寄せて笑った。
「なよっとした男だな。ラッセルに頼みこまれたんじゃなければ、断りたい仕事だ。まあ、これくらいが女に化けるには丁度いいか」
「レイオン! いい加減にしな!」
「まあ、相棒が働いてくれれば、君は役に立たなくても結構だ」
 セリーがレイオンを叱咤する声が遠く聞こえた。
 こめかみから冷や汗が吹き出し、頬を流れ落ちる。視界が狭まり、まるで貧血を引き起こしたような目眩に、クラウドはセフィロスに掴まれた腕を残してその場に崩れ落ちた。
「クラウド」
 一瞬意識を手放し、次の瞬間目を開ければ、相変わらず無表情でいながら、酷く心配そうな目をしたセフィロスが、クラウドの背を支えて覗き込んでいた。
「突然どうした」
「……ザックスが」
 錯覚だと、単なるフラッシュバックだと気づいていながら、その名を口にする。
「ザックス?」
 長い黒髪と陽に焼けた肌以外、別に顔が似ているということはない。目の色もまったく違う。口調も、動作も、何もかも違う。
 それなのに、雰囲気が酷く似通っているのだ。
 そして声も。
 生きた彼の記憶は、全てが遺跡になるほど遠いというのに、鮮明にクラウドの中に刻まれている。
 クラウドを横抱きにするように支えるセフィロスは、ふてくされた顔で視線を逸らすレイオンを見て、そして小さく頷いた。
「そうだな、少し似ているな。だがあの男ではない」
「わかってる、けど」
 レイオンに問い質された時、まるで彼になじられているように錯覚したのだ。
「ごめんよ。大丈夫かい?」
 すぐ近くにセリーが心配そうな顔で腰を折っていた。
「許してやってよ。冷静そうな顔して、火がつくと暴走する男なんだ」
 意外なほど繊細な、白いレースのハンカチを出して、クラウドの額を拭ってくれた。袖口とハンカチから漂う微かな香水の香りが上品だった。
「そいつから離れろ、セリー」
 優しい彼女の動作と裏腹に、レイオンから発された声は明らかに怒気を帯びていた。
「オカマ野郎の病気がうつる」
 何度かそうして、セフィロスとの関係を察知した者に詰られたことはあった。
 住居を変える理由になったことも、そのことで新たな出会いが無駄に終わったこともあった。
 相手を殴って、関わりに終止符を打ってやることもあれば、諦めの気持ちしか起こらず、黙って立ち去ったこともある。
 だがこの時、クラウドがどうしようかと迷う間は与えられなかった。
 セフィロスに支えられていたクラウドの背が、ソファに預けられたと思った瞬間、大柄なレイオンの身体は、グレーデンの執務室の一番遠い壁まで吹っ飛んでいた。

 その三十分ほど後、グレーデン総統の部屋は、それぞれソファに座った相棒の膝を借りて、横たわる男が二人という構成で埋められていた。
 部屋の主が今日は帰ってこない予定だということで、機転の利く秘書が、応急手当の道具を手配してくれたのだ。
 セリーの膝に頭を乗せ、腫れ上がった頬を氷で冷やしているレイオンは、まだ完全に自失しているようだった。
 時折髪を撫で付けるセリーの指先は優しく、二人の親密さが伝わってくる。
 テーブルを挟んで反対側のソファで、セフィロスの膝を借りて寝そべっていたクラウドは、救急箱と一緒に秘書が運んでくれたコーヒーを、悠然と飲む男を見上げて呟いた。
「やりすぎ」
 あの時クラウドを罵倒したレイオンは、セフィロスの右の拳一発で数メートルの距離を吹っ飛ばされた。
 壁に激突した彼は、完全にノックアウトされていたのである。
「手加減した」
「手加減しても相手が大怪我したら意味ない」
「あの程度、一日で腫れは引く」
 まったく反省していない様子の連れに、溜息を吐く。
 普段であれば、気に食わない相手への報復はクラウド自らがする。基本的に助勢を好まないし、それはセフィロスもよく分かっているようだ。
 だから、こんな風に彼が直接手を出すことは珍しい。
「セリー、すまなかった」
 身体を起こして向かいに座る彼女にわびると、セリーは苦笑を漏らした。
「いいよ。レイオンにはいい薬になったろ」
「いや、あんたの相棒が悪いんじゃない。オレがちょっとパニックしたんだ」
 レイオンの髪を撫でる手を止め、セリーはその相棒と良く似た琥珀色の瞳を静かにクラウドへ向ける。
「理由は聞いていいのかい?」
「昔の知り合いに似てて、驚いたんだ。……それだけだよ」
 セリーはふうんと納得したような返事を返したが、どう見てもそれ以外の理由の存在を疑う顔だった。
 それこそその『知り合い』が生きていた頃から、クラウドに女性は騙せない。
 幼馴染みの彼女も、そして彼と自分が愛した彼女も、クラウドの嘘や隠し事は簡単に見破った。
 レイオンがザックスに似ていると気付いた時から、これまで暫くの間思い出すことのなかった当時の記憶が、まるで器にたまった水が溢れるように止めどなく流れ落ちてくる。
 ただでさえ、彼らの思い出はクラウドを感傷的にさせるのだ。
 封じ込めずとも、それらをコントロールすればいいのだが、予期せぬきっかけにクラウド自身戸惑っていた。
「クラウド」
 思案に落ち込みそうになったクラウドの額に、長い指が触れた。
 少し冷たく感じる指先が、額にかかる髪を避ける。
 セフィロスは名を呼んだきり口をつぐんでいたが、クラウドには彼がどうしたいのか分かる気がした。
 懐かしい彼らの記憶が、クラウドには優しいだけのものではないのも、全てはこのセフィロスが起因している。だからこの男は、反省でも後悔でもなく、ただ自分が思い悩む原因を与えた責任らしきものを感じているのだ。
「これはオレ自身の問題なんだ」
 ザックスは自分を許してくれている、そう信じられない自分自身の弱さが問題なのだと、もうずっとずっと以前から気付いていることだった。




 グレーデン総統から直接連絡が入ったのは、翌日の午後のことだった。
 なにやら突然思い立って、夕方にも人を紹介したいという話である。
 普段どおりの戦闘服と違い、女装するクラウドだけでなく、全員が正装で会場に赴くことになる。まさかタキシードやドレスで、いつもの長い正宗やアルテマウェポンを持って行けない。
 それはもう片方の二人組、レイオンとセリーも同じはずだった。
 当日持ち込みたい武器と衣装を持参すれば、それに隠れるような剣帯や装備品を作ってくれる職人がいるというのだ。
 クラウドもセフィロスも興味があったので、グレーデンの誘いに乗ることにした。
 約束の夕刻、丁度陽が落ちたころ、再び総統室を訪れたクラウドたちを迎えたのはいつものSPの片割れだった。
 今日は世間的には休日なので、秘書はいないらしい。
 総統室にはSPのもう一人と、件の職人だという老人が待っていた。
 老人は小さな針金のような身体に、皺だらけの顔と節くれ立った手で、しかし挙動と視線が只者ではない。傭兵などを相手にしている職人だからだろうか。クラウドには何か懐かしくすら感じる気配だ。
「良く来たね。着替えるなら奥の化粧室を使ってくれ」
 総統室の奥の扉から現れたグレーデンは、週末らしくノーネクタイのシャツ姿だった。
 彼が指差した先は、総統専用の化粧室で、簡易のシャワー室なども備えられている。以前クラウドがここに潜入した時には、グレーデンをそちらに追いやった間に、非常階段からセフィロスを引き入れた。
 グレーデンが着替える、と口にしたのは、セフィロスが抱えた箱を見てのことだろう。
 衣装に隠れるように装備品を作ってもらうならば、あの忌々しいドレスを着なければならないことは確実で、クラウドは大層抵抗したが仕方のないことも分かっている。
「オレはあっちの化粧室を借りる。お前はこっちの部屋で着替えろ」
 問答無用で奥を自分専用にすることを宣言して、グレーデンやSPにも、
「トイレは外のを使え」
 そういって、絶対に化粧室には立ち入らないと誓わせた。


 クラウドは化粧室の大きな鏡の前を陣取った。
 シンクから続く大理石の化粧台はかなり広く、きれいに掃除がなされ水滴ひとつ落ちていない。持って来た箱をそこに置き、鏡に映る己の姿を見つめる。
 昔、ティファを助けるため、ドン・コルネオの屋敷へ潜入しようとしたあの時、初めて女に化けた。エアリスは大層楽しそうにクラウドのドレスを誂え、そのおかげで目的を果たすことは出来た。
 あらゆる理由とタイミングで、確かにクラウドは女装する機会が多かったようにも思う。
 ミッドガルが健在の頃、確かにクラウドは若く、その姿の中に女の性を見出すことも可能だったのかもしれない。厚く化粧を塗り、男の特徴たる場所を隠してしまえば、セフィロスの言うとおり男女の差はあまりないのだ。
 だが、今目の前の鏡に映る男は、見かけこそ変わっていないが、その目が違う。
 この数百年、クラウドは多くのものを背負い続け、あらゆるものを見続けて来た。
 その積み重ねが目に出ている、と我ながら思う。
 本当にあの時のように騙せるのだろうか。
 とりあえず箱を開け、ドレスを出してみた。
 隣に置いたバッグには、ドレスに隠れそうな短剣や細身の剣を詰めてきた。普段アルテマウェポン一本で事足りてしまうので、数はそう多くはない。飛び道具を仕入れることも考えたが、使い慣れていない武器は、いざという時余り役には立たないことを知っていた。
 着ていたシャツやジーンズを脱いで、化粧台の端に放り、頼りなく白っぽいドレスの袖を通してみる。
 女性用の下着や詰め物をしている訳ではないので、胸が余る。尻も緩い。
 肩幅とウェストサイズがぴったりなのは、多分そこしか合わせるべき場所がなかったのだろう。
 首の後ろに四つほど並んだ留め金に苦戦していると、化粧室の扉がノックされた。
「入るぞ」
 しわがれた声はあの職人の老人だろう。
 彼ばかりは、この姿を見られることは避けられない。
「ああ。丁度いい、後ろんとこ留めてくれないか。構造が分からない」
 老人が入ってくる気配を背後に感じ、首の後ろを指で示すと、閉じた扉の前で老人は硬直していた。
 眉間にこれ以上は無理なほど皺が寄り、ぐううとくぐもった唸り声が漏れている。
「……世も末じゃな」
「……笑ったらこの世を終わらせてやる」
 負けないくらい渋面で答えたクラウドへ、老人は首を横に振った。
「いいや、うちのかみさんより似合っておる」
 この老人の妻なら老女以外にはありえない。
 一体どういう褒め方だ。
「死にたくなるようなことを言うな」
 唸りながら、なんとか自分で留め金を征して、一応形になったドレスの裾を払う。
 丈は膝程度で、袖口も開いており、割と動きやすかった。
 裾は前後左右で長さに変化がある、不思議な形のスカートだ。
「このドレスじゃ、武器は脚にでも隠すしかないな」
 持って来た剣のうち、細身の剣の一本を鞘ごと腿に押し当ててみる。
 腰周りは思いのほかぴったりしている。そのままでは鞘の形が分かってしまいそうだった。
「鞘は捨てて、直接差せるベルトを作るかの」
 老人の言葉に従って、クラウドは近くにあったスツールを引き寄せて、片足をその上に載せ、スカートの裾をまくった。足元はいつもの無骨なブーツのままである。
 剣の鞘を抜いて床に放り投げ、剥き出しにした腿に当ててみると、鞘さえなければスカートに完全に隠れそうな気がした。
 ただし、柄を下向きにしないと、スカートを腰まで捲り上げないと抜き難い。
「親爺。刃をこうやって上向きに出来るか?」
 スカートを足の付け根まで捲り、剣を腿に押し当てた状態のまま顔を上げると、老人はクラウドの足を見つめている。
「親爺?」
「残念だな。完全に男の脚だ」
「なんの話だ、まったく」
 結局クラウドは右腿の外側に細身で短めの剣一本と、左腿の内側にナイフを一本隠すことにした。
 老人が見本にと持って来た装備の出来は素晴らしく、柔らかくなめした革は、これまでクラウドが使っていた装備品よりいい仕立てだった。
 剣のストッパーの形や、ベルトの向きなどを、使い勝手に関わるような細工を全て聞き取るあたり、老人はかなり慣れた職人だと思えた。
 せっせと採寸をして、イメージを固めているらしい老人を横目で眺め、クラウドは呟いた。
「親爺、事が済んだらオレの装備を改めて作ってくれないか」
 老人はクラウドの採寸を終えてメモを取りながら、ちらりとクラウドを見やった。
「さっきあっちで見たが、お前さん、いつもはあんなでかい剣を持っているのか」
 あんな、とは執務室の方においてきたアルテマウェポンを見て言っているのだろう。
「ああ」
 どういう意味なのか、ひとつ肩を竦めてみせ、わかったと承諾する。
「お前さんたちといい、後から来た二人組といい、今時めずらしい。傭兵とは」
「傭兵っていうか、なんでも屋なんだけどね。……セリーたちも来たのか」
 クラウドは用は済んだとさっさとドレスを脱いで、箱に仕舞いながら聞いた。
 昨日の別れ際を思えば、セフィロスとレイオンの間は相当険悪になっていそうだ。
「やばいな」
「何がだ」
「いや、こっちは終わった。早く部屋に戻ろう」


 「やあクラウド」
 少年のような挨拶をしてきたセリーに応えると、壁に立てかけていたクラウドの剣に見入っていたらしいレイオンが立ち上がり、こちらを振り返った。
 左頬には湿布らしきものが貼られている。
 腫れはセフィロスの言う通り引いているが、青っぽく変色した痣は隠せない。
 つい吹き出しそうになるのを堪えて口元を押さえたが、どうやら見破られたらしい。
「昨日は悪かったな」
 どういう風の吹き回しか、酷く不満そうな顔を反らしたまま、レイオンは一応謝罪の言葉を口にした。表情は完全にすねている。
「オレが言い過ぎた」
 クラウドもセフィロスの方を見やる。
 中傷されたのはクラウドだが、殴ったのはセフィロスなのだから、この場合はセフィロスに一言謝らせるべきだろう。
 窓際に立っていたセフィロスは、やはり持ってきた礼服の上着に袖を通していた。
 何か言えよ、と視線で訴えるクラウドを見て、セフィロスは口を開いたが、
「こちらも少々力を誤った。あれでも手加減したつもりだったんだがな。」
 ───失敗した。
 横を向いたレイオンの口元が、怒りに痙攣している。
「戦士を侮辱したんだ。当然の報いだね」
 セリーのフォローがなければ、もう一度乱闘になっていたかもしれない。
 視線で彼女に礼を言うと、話題をそらすためか、セリーはクラウドの剣を指さした。
「あんたのかい?」
「うん」
「すごい剣だね」
「セリーたちも剣を使うのか?」
 セリーはもっぱら格闘と飛び道具だということで、装備作りの老人にも銃の隠し場所を作ってもらうことになったようだ。
 レイオンは剣を使うらしく、再びクラウドの剣に注視している。非常に機嫌の悪い彼も、何故か剣や武器の話になると僅かに表情がなごんだように見えた。
「あんたはどんな剣を使う?」
 クラウドが問いかけると、レイオンは無言で壁に立てかけた荷物を顎で示した。
 セリーのものらしいバッグと一緒に、カーキ色の帆布で出来たカバーに包まれた細長いものが立てかけてある。
 レイオンはさっさとそれを取りあげ、中から出した剣は、幅広の身の片刃だった。
 よく手入れされた刀身が白っぽく光っている。刃渡りはアルテマウェポンよりはだいぶん短い。
「いい剣だな」
 クラウドが素直に褒めると、レイオンは意外そうな顔の後、微かに笑顔になった。
「君の剣もな。だがお互い今回は出番はなさそうだ」
「確かに」
 男三人の剣は、どれも服の中に隠せるような大きさではない。セフィロスもレイオンも、普段とは違う短い刃物や飛び道具を隠すことにしたらしい。
 セフィロスはいざとなれば正宗を『呼ぶ』ことも出来るが、人前でそれはきわめてまずい。
 老人はセリー、セフィロス、レイオンと順番に要望を聞きながら採寸をし、手帳にメモを取り、なにやら納得した風に頷きながら帰り支度を始めた。
「できあがるのは二週間後だ」
 式典のぎりぎり数日前になると宣言して、そそくさと帰って行った。
 クラウドと化粧室で雑談した以外は、必要なことしか話していない、なんとも無愛想な親爺だ。
「あのじいさんは、僕がここにくる前にいた村でも有名な職人でね」
 それまでずっと傍観していたグレーデンは、老人を見送った姿勢のまま、閉じた扉を見つめている。
「名人と呼ばれて、君たちのような傭兵や戦士が、たくさん出入りしていた。今は、そういう生業の者もだいぶ減ってしまったようだよ」
 意外と寂しがり屋なんだ、と含み笑いを漏らして四人を眺めた。
「休日に突然呼び出しただけの価値があるものを、期待していてくれ」
 無論、自分の身を守る傭兵たちに、礼服で捜査と警備をしろというからには、出来るだけのことをしようと言うのが、グレーデンの意図であろう。
 だが同時に、昔なじみの老人に、彼は仕事をする喜びも与えた。
 報酬に惹かれて受けた仕事ではあるけれど、このグレーデンという男はどうにも憎めない。忌々しいドレスを着ることになってしまったが、この男のためであれば、それでもいいという気にさせる。
「でも残念だな」
 いきなり消沈したような声でグレーデンが呟き、全員が彼に注視した。
「なにが?」
 若干の嫌な予感を感じつつも聞いた。
「いやね。君のドレス姿を先取りで見られるかと思ったんだが」
 ちょっと信用したらこれだ、と喚いたクラウドを、セフィロスが背後から押さえ込んだ。


 休日の、しかも夜の庁舎は静かだった。
 殆どのフロアの電灯が消え、非常用の緑色のライトがぼんやりと無人のオフィスを照らしているだけで、動くものの気配がない。
 グレーデンの脇をいつも離れないSP二人は常に人形のように無言で、揃いのダークスーツを着ている。どこで見つけてきた人材かは知らないが、グレーデンは絶対の信用をおいているようだ。
 庁舎のエレベーターの乗り降り、通路を行くにも、必ず一人が先に立ち、もう一人はすぐ隣か、背後に付く。
 この時、クラウドはセフィロスと共に彼らの前を歩き、暗い庁舎を少々懐かしく眺めていた。
 以前潜入した時は、こんな風にグレーデンから依頼を受けるようになるとは思っていなかった。
「あんまり変わってないね」
 隣を歩く連れに呟いたクラウドは、セフィロスの無表情を見上げた。
 セフィロスは前を見据えたまま静かに頷く。
「まだ名前が変わってふた月くらいだもんな」
 まだまだ未熟な街を支えながら、逆恨みをする連中にも対抗しなければならない、グレーデンも大変だ。
 当の本人はどれだけプレッシャーを受けているのか感じさせないように、今はセリーの肉体美を褒めている。さりげなく口説いているように聞こえるのが、彼のすごいところだ。
 エレベーターを下りて、エントランスホールへ向かう通路を過ぎた時、突然セフィロスが立ち止まった。
 反射的に足を止めたクラウドは、再びセフィロスを見上げて身体を強ばらせた。
 セフィロスの表情が違う。
 他の誰が分からなくても、クラウドには分かる。
 彼の超人的な感覚が、何かの異変を察知している。
「止まれ」
 セフィロスの片手が上がり、後ろに続くグレーデンらを止めた。
 前を見据え、クラウドは背に差した剣の柄に手をかけた。
 聴覚や視覚、嗅覚に関して言えば、セフィロスほどではないにしろ、クラウドも普通の人間よりは遙かに優位だ。その感覚を信用するのであれば、休日の、しかも夜の庁舎の一見無人のホールに、異常な人数の気配がする。
 横目で見やったホールのカウンタには、受付時間が終了したことを告げるプレートが立てかけられ、受付嬢の姿は見えない。
 いつもならそこに警備員の一人もいるはずだが、その姿もない。
「カウンタに二人」
 クラウドは囁く音量で、早口に告げた。
「エントランスの右の柱に二人、左に一人」
 セフィロスはクラウドに真似るように呟き、シャツの袖をまくる。
 長い袖に隠れた彼の腕には、マテリアをはめ込んだバングルが装備されていた。幾つかの属性魔法と回復治療などが備えてある。
 二人の言動に、レイオンとセリーが真剣な顔をして前に出てきた。
 SPたちはグレーデンに密着して立ちふさがった。
「クラウド」
 幾分不安げな声のセリーの手には、扱い慣れた銃が既に携えられていた。
「セリーとレイオンは総統を頼む」
 二人が同時に頷く気配があり、クラウドも頷いたのを合図に、セフィロスが足を踏み出した。

 薄暗いエントランスホールに閃光が走った。
 セフィロスの唱えたサンダガの切っ先に、柱の影に隠れていた二人の侵入者は同時に捕らえられ、驚愕の声を上げただけで倒れ伏す。
 同時に受付へ走ったクラウドは、視界の端に銃を向ける帽子を着けた男の影を確認し、身体を丸めながら、カウンターに手をついてそれを飛び越えた。
 クラウドの動きについていけず、あっという間に間合いに入り込まれた侵入者は、気合いのような声を上げて、銃の先をこちらに向けて来た。
 アルテマウェポンの刀身を眼前に突き立て、連射された銃弾を弾き返す。
 金属音を聞きながら、柄を掴んだ手を軸に地面を蹴り、足を跳ね上げた。数歩の距離からオート連射で敵を捕らえ、勝利を確信していた侵入者は、いきなり目前から消え、背後に降り立ったクラウドに気づかなかった。
 侵入者の襟足が、クラウドの目の前にあった。明るい茶の髪の男は、慌ててクラウドの姿を探して、首を左右に巡らす。
 床に突き立てたままの剣へ向かって突きとばした。男はアルテマウェポンへ頭を強打して、そのまま倒れ込んだ。
 銃を奪って、カウンターの中を改めて見渡すと、倒れた椅子に縛り付けられ、昏倒した警備員の姿が見えた。外傷はないので、気を失っているだけだろう。
 二人と感じた気配の片方はこの警備員だったようだ。
 カウンターから顔を出すと、エントランスのあたりで、侵入者の一人とセフィロスが対峙していた。
 侵入者は全員同じ迷彩色のキャップを被っていた。彼らの服装はまちまちで、手にした銃も、軍さがりの長銃だったり、短銃だったり、軽量タイプのマシンガンだったりと統一性がない。
 セフィロスの正面で銃を構えて立ちすくむ男は、長銃を手にし、腰にはオートマチックを差している。彼も、既に倒れた三人も、クラウドとそう変わらない年頃の外見だ。
 あっというまに仲間が倒され、引くか、死を覚悟して押すか、青年には迷いが伺えた。
 対峙するセフィロスは一見丸腰だ。だが魔法を使うことは、仲間が倒されたことで気づいているはずだった。
 銃を発砲するのと、魔法の詠唱どちらが早いか、経験していれば容易に分かる。
 この場合、相手がセフィロスであることが、その侵入者の不運だった。
 僅かな望みを掛けて、連射された銃の弾丸は、セフィロスの目前で全て跳ね返された。
 クラウドのように剣の刀身を盾とした訳ではない。
 目には見えない魔力による防壁が、銃弾の威力で波打った。
 侵入者は呆然と口を開け、銃を持った手を下ろした。
「武器を捨てて、投降しろ」
 セフィロスの言葉に従うように、彼は銃を床に取り落とした。
 だが続けて服の埃を払うような安易さで、胸元にあったピンを抜き、放り捨てた。
「伏せろ」
 セフィロスの声は冷静で、そしてよく響いた。
 通路の方でSPとセリーたちに庇われ、とっさに床に伏せるグレーデンを、そしてウォールの防壁を張り直すセフィロスを確認して、クラウドはカウンターの中に身を伏せた。




 天気がいい。
 窓からリビングのフローリングに差し込む太陽は、冬を感じさせる気温を和らげてくれる。
 この部屋の中で暖かい場所、涼しい場所を最も詳しく理解しているのは、恐らくクラウドでもセフィロスでもなく、彼に違いない。
 野生と警戒心を失った証明のような、怠惰な姿で日向に横たわっている。安らかな呼吸で絨毯のような真っ黒い毛並みが微かに上下していた。
 すぐ足下のそんな愛犬の姿を眺めながら、クラウドも彼に負けないくらいの怠惰さで、壁際に置いた二人掛けのソファに、仰向けに寝転がっている。
 何故か、何もする気が起きない。
 ロビンの姿に僅かに心が慰められるが、行動を起こす原動力にはなっていない。
 ぼんやりと、ガラス越しの空に目を向ける。ゆっくり流れる冬の雲が、窓の端から端へ消えていくまでたっぷりと時間が過ぎて行った。
「クラウド」
 名を呼ばれるまで、すぐ近くに男が立っていることに気づかなかった。
 警戒心のなさではロビンを責められない。
「うん」
「まだあの事を気にしているのか」
 あの事、とは、先日の庁舎のエントランスで起きた騒動のことだ。
 計四名のアバランチが、予告したパーティー以前にグレーデンを襲撃したことは、あの後、庁舎宛にメールで届いていた犯行声明で判明した。
 グレーデンを始め、警護する者ら一人としてかすり傷も負わなかった事が幸いだ。
 侵入者の三名まではセフィロスとクラウドの手で捕らえられ、一人は持っていた手投弾で自爆した。四名の中でも一番歳若いと推定されるメンバーだった。
 捕らえられた者は、駆けつけた自警団に連行されたが、その翌日捜査員たちの目を盗んで、なんとその三名までが隠し持っていた毒で自決したというのだ。自警団本部の中で、である。
 アバランチの実態を知るためには、彼らの取り調べ結果が重要だったし、対外的にも容疑者が調査中に自殺とは、酷い失態だ。
 ラッセル警備部長から直接事の顛末を知らされてから、クラウドは酷く無気力になった。
 テロリストには違いない、かつてのクラウドたちと同じ名を名乗るアバランチが、一体何を最終目標にしているのか、理解出来なかった。
 グレーデンを引きずり下ろすのが目的であれば、あの若者が自爆行為に走る意味がない。犯行声明の通り、『グレーデンの独裁』に抗議するにしても、彼の対抗勢力として政党なりをうち立てる方が、余程意味があることに思える。
 クラウドの知らない事情があるのかもしれない。
 あの若者個人が、死を求める理由を持っていたのかもしれない。
 だとしたら余計に、大儀をかざすことは不遜に感じられる。
「気持ちが悪い」
 漏れ出た呟きを、男はどう理解したのか、クラウドの頭を持ち上げて空いた場所に腰を下ろし、その膝に改めてクラウドを寝かせた。
「彼らを理解しようとしても無駄だ」
 その膝に抱えることで、彼はクラウドの脳内を読みとっているのだろうか。
 何も口にしなくとも、セフィロスの指摘はいつも的を得ている。
「無駄なんだ」
「ああ。そもそもお前と彼らでは、掲げるべき正義が違うのだから」
「あんたが『正義』なんて言葉、すっごく似合わない」
「お前にはよく似合うな」
 オレ?と男の膝に預けた首を傾げ、クラウドは問う。
「ああ。お前にとって正しいものは、剣、戦士の誇り、か弱きもの、ひたむきなもの」
 羅列する言葉は酷く詩的に聞こえた。
 意味を理解しようとする気力はなかったが、その声が心地よい。
「お前の正義はとても野生的だ。森の暮らしが長いからか」
「ふうん」
「お前のことだぞ」
 苦笑するくぐもった響きに目を閉じる。
 瞑った瞼に雨が降るように、長い髪が降りかかった。
「アバランチの連中はどう動くんだろう」
 結局気になっているのはそれだ。
 あんな風に会場で自爆行為をされたら、大量の死傷者が出る。
 無論、依頼者のグレーデンも危険に晒される。
 対テロリストの経験がない自警団の補助として雇われたクラウドたちだが、出来ることは限られていた。クラウドが経験したのは『テロリストだった』ことのみで、対テロのベテランなのは、正直セフィロスだけだろう。
「もっと大きな組織であれば、内部からほころびが出る。テロ組織に対抗するには、内通者からの情報や潜入捜査が不可欠だ」
「そういうものなのか」
「ああ。あとは爆発物の撤去や警備の強化、それしか出来ることはない」
 会場となるホテルは、配管設備や通気口まで、今から継続的に検査が行われているという。それらは全てセフィロスが指示したことだった。前日になって突然検査したところで、以前からの変化に気づきにくいからというのが理由だ。
 式典の日を明日に控えて、まだ不審物は発見されていない。
「長く活動しているテロ組織ならば、一定の思考と行動のパターンが読めるようになる。そして、どんなテロ組織だろうと、動機は存在する。それが分かれば、芋蔓式に容疑者も絞れるものだが、現在のアバランチはごく小さな、新しい組織だ。内通者がいなければ、情報も掴みにくい。どの程度理論的で、狂信的な集団なのか、オレにもまだ検討がつかないな」
「お手上げだって聞こえるけど?」
 セフィロスは小さく肩を竦めて続けた。
「今回の予告と先日の襲撃が、奴らの初めての行動だったと言っても過言じゃない。テロリスト集団は武器を集めるにも、計画を実行するにも資金が必要で、それらの機が熟したのだろうな」
「つまり、どういう手で来るか読めないから、注意するしかないってことか?」
「そういう事だ」
 まさにお手上げだと、動作で示して見せると、下から見上げた男は柔らかい微笑を浮かべていた。
「敵が男か女かも分からない。お前の苦労が報われるといいな」
 あからさまにうんざりした顔を、突然何か暖かい舌に舐められた。
 二人の声で目を覚ましたのだろうロビンが、横たわるクラウドの頬や額をべろべろと舐め、鼻先を押し当てて匂いを嗅いでいる。
 くすぐったさに嬌声を上げながら、彼の頭を押さえ込んで止めさせ、起きあがった自分の膝に前足を乗り上げさせて、正面向きに対峙した。
「信じられるか?」
 クラウドは飼い犬に向かって問いかける。
「腕やら脚やらの毛、全部剃ることになるんだぞ。お前だったらどうする」
 握りしめたロビンの前足は密に短い毛が生えている。
 無論言葉を理解していない彼は、首を傾げるようにして主人を見返しているが、何か不穏な空気は感じているのだろう。
「お前でいうと、この辺だな!」
 掴んだ前足の先を、逆毛を立たせるように擦ると、彼はそれが不快だったのか慌ててセフィロスの方へ逃げた。それでも捕まりそうだと思ったのか、ソファから飛び降り、本気で逃げ出した。
「逃げるな」
 キッチンの方へ走って行くロビンを捕まえようと、立ち上がり掛けたクラウドの腰を、今度はセフィロスに捕らえられた。
「邪魔するなよ」
「動物虐待はやめろ」
 簡単にソファへ引き戻され、腰を抱かれたまま男がのし掛かってくるのを、クラウドは笑いながら受け入れた。
「あんたのコレは虐待じゃないのか」
「可愛がっている」
「いやがる男にスカート履かせるのも虐待じゃないのかよ」
「履かせるよりも脱がせる方がいい」
 そう言っているうちに、クラウドのジーンズとシャツは奪われて、床に放り捨てられていた。
 会話が微妙にずれていっているのを自覚しながら、触れてくる指先は跳ね退けがたい心地よさを生んだ。
 剥き出しにされた胸や腹、尻や腿にも、愛しげに頬と唇を押し当てられ、目が眩む。
「バカ……やめろって」
 一度逃げたロビンが戻って来そうだと、小さな声で呟くが聞き入れては貰えず、震えだした唇から、明らかに乱れた息が漏れた。
 触れてもいない前が反応するのは、男が与える快感を覚えているからだ。後ろが浅ましく蠢くのは、男の欲望の形を覚えているからだ。
 人並み以上に強い、男であるというクラウドの矜持をうち砕き、彼の手に陥落する。
 無気力に捕らわれそうになっていたクラウドを、無理矢理にでも引き上げようとしていることに気づきながら、それから逃れることは出来なかった。
 ささやかな快楽に呼び起こされた期待の声が、唇を内側から割った。


 最初の入口を裂かれる痛みは一瞬で、そこを過ぎてしまえば、次第に苦痛は遠のく。じりじりと侵入が深くなるにつれ、内臓を押し上げられる息苦しさはつきまとうが、次第にそれも緩和される。
 引き出される時は、内臓を引き出されるようで一瞬恐怖が走る。反射的に閉じる口が男を締め付けるので、恐らく彼にも耐え難い快感なのだろう。
 僅かに眉間に皺が寄り、堪えるような表情になるセフィロスを、クラウドは下から瀕死の息づかいでいながら、眺めていた。
 殆ど動かない彼の表情の変化を盗み見て、堪えきれず自然と口角が上がる。
「ふふ。あはは」
 笑い声を上げるクラウドを見下ろしたセフィロスは、倣うように口元に薄い笑みを浮かべた。
 悪い企みを思いついたような微笑で、印象的な眼の奥には肉食獣の輝きが宿る。抵抗する他の生物を足の下に組み伏せ、喰らい、犯し、奪い去る雄の光だ。
「セフィ、ロス」
 名を呼んだのは誘う意図があってのことだった。
「少し、力を抜け」
 噛みつく場所により力を入れる。
 セフィロスは一瞬腰を震わせ、クラウドを睨み付けた。
 だが口元はやはり笑っていた。
「性悪め」
 両足首を片手で捕らえられ、頭の横に膝がつきそうなほど押される。少し浮いた腰を両手で掴まれ、狭間を割り開くようにして、繋がった場所が引かれた。
 内臓を引きずる音が体内から響き、抜ける寸前まで引き出された楔と狭間に、潤滑剤の冷たい感触が振りまかれる。
 再度押し入ったものは、過剰なぬめりを帯びて、簡単に根元まで侵入した。
 自分でも意味不明な悲鳴が唇の隙間から漏れる。
 身体の中央に剣で突き通されたような、わずかな恐怖と、そのまま壊してほしいと願う心が同居していた。
 粘ついた音を立てて、剣は出入りを繰り返す。剣の形に添って、姿を変える内臓が目に浮かぶ。割り開かれる場所の隙間から、はしたなく液体が流れ、クラウドの狭間と床を濡らす。
 どんなに熱く男に愛されようと、その場所の先に未来はない。
 生命を産む種は目的を果たさず、零れ落ちていくだけだ。
 だがこうしている間は余裕も思考も奪い去られ、急所を明け渡し、クラウドはただ受けとめ、受け入れる存在になっていた。




 その日、街の人々の多くがテレビ中継を気に留め、一握りの人間がその場所に集まったグレーデン総統就任記念式典は、ネオ・ミッドガル設立以来、指折りの一大イベントとなった。
 人数の規模から云えば、毎年行われるネオ・ミッドガルの立憲記念日の式典が、もっともこの都市で大きな祭りである。
 だが今回の式典は、始めての総統になったグレーデン個人のためのイベントであり、招待された人物も、彼の個人的なつきあいが主流であるから、世間は新総統の人脈やきらびやかな有名人たちの姿に、大層興味を引かれているらしい。
 壱番街のホテル・オーバルは、このネオ・ミッドガルの中でも最も格式高く、設備、サービス共に最高級といわれているホテルである。
 中央の塔のような建物にはフロント、ロビーやレストランなどの施設があり、向って右翼が客室棟、左翼が結婚披露宴や式典を行うホールとなっている。地上五階地下一階のアールデコ風の建造物だ。もうクリスマスも近くに迫ったホテルの内外は、柊の葉と赤い実であちこちがデコレーションされ、大小のツリーもあちこちに設置されていた。
 会場の左翼のホールは普段、パーテーションで区切り小さなホールに分けて使用しているらしいが、今日は全てを開放して、ひとつの大きなパーティー会場になっている。
 広大なホールの角にはクィンテッドの奏者たちが居並び、音合わせを始めている。
 その隣の少し上がった段上には、祝辞などのスピーチを行う演台が設置されていた。
 ホールの長い一辺と、中央に大きなコの字に並べたテーブルには、輝く銀製の食器や鮮やかな陶器に、花とフルーツで飾り付けられた食事が盛られ、並べられている。
 開場時間が過ぎたばかりで、まだ招待客はまばらだったが、ぞくぞくと集まりつつある彼らは、ロボットの様に統一された動きのボーイが配るウェルカムドリンクを片手にさざめくように談笑していた。
 この会場にどれだけの人間が招待されているのか、彼ら自身はよく知らない。
 だがここの誰もが、自分たちはそれなりに厳選されて招待された客なのだということを、入場の際、否応なく知らされることとなった。
 何より、ここまでの警備が余りに厳重だったからだ。
 特に中央ロビーから左翼の棟へ入る前の、身体検査が厳しい。
 手荷物はどんな小さく華奢な女性用のパーティーバッグも、X線検査が行われた。護身用に持ち歩く銃やナイフはもちろんのこと、化粧ポーチの中に忍ばせてきた、華奢な爪ヤスリも持ち込みは許されなかった。
 若干気を悪くした招待客らは、警備員が居並ぶ通路を通り、式典会場に入った瞬間、その煌びやかで賑やかなフロアに、無粋な警備の存在を忘れていた。
 実際、ホールのフロアには警備員や自警団の制服姿は一人も見受けられなかった。実は礼服やドレスを身につけた自警団員が紛れこんではいるのだが、招待客にはわからない。
 こっそりインカムで連絡を取り合う彼らの姿を、目にする者もいたかもしれないが、今回式典の主役であるグレーデン総統を、そして同じフロアを泳ぎ回る、著名な作家や役者の姿を探す方に気を取られていた。
 あそこに役者の何々がいる、と囁く声を聞いて、若い娘から中年の女性たちまでが浮き足立った。作家の誰々がいると聞いては、近寄り難さに遠巻きにその姿を眺めている。
 並べられた食事は冷めても美味な前菜から、メインディッシュのローストした肉などは、ホテルのシェフが自慢げに切り分けてくれる。
 そんな賑々しい会場の隅、明らかに一般の招待客が出入りする場所ではない扉から、何やらひっそりと会場に入る二人の男の姿があった。
 この扉はグレーデン総統が使用する控え室へ続く。特に厳しく出入りを制限したそこにはクラウド、セフィロス、レイオン、セリーの四人の他、警備部長のラッセル、そしてグレーデン本人とSPのみが出入り出来る。
「仕事じゃなければご馳走になりたいところだ」
 盛大な料理を見て呟いたレイオンは、横に立つセフィロスに視線を移し、その只者ではない迫力に苦笑した。
「君はこの会場で誰よりも目立ちそうだな」
 セフィロスはちらりとレイオンの方を見たきり、表情も動かさない。
 レイオンは黒のタキシードに薄いブルーのボウタイ、今日は眼鏡をつけていない。セフィロスは同じく黒のロングタキシードに深い緑のタイで、服装としては、今日は普通の男性客の中でも目立ったものではない。
 自警団員からの定期連絡が行われるイヤホンは、上着の中の背を通し耳まで繋がり、襟や胸ポケットにつけた造花にはマイクが仕込んであったが、一見それとは分からないよう、上手く隠してある。
 だがどちらも、明らかにデスクワークの役人や、グレーデンの親戚縁者とは違う威丈夫だった。
 他より頭一つ程度高い背、広い肩幅や引き締まった腹や手足は、見る者によっては一目で戦士の身体と分かる。
 しかもセフィロスの珍しい銀の髪は、それだけで人目を引いた。
 早くも二人の若い男の存在に目をつけたのか、女性客がさざめき出した。あわよくば、近づく機会を窺って視線が集まる。
 次第に二人の男と距離を詰める彼女らもまた、夫や恋人と共にこの会場に来ているはずなのだが、男たちは男たちで、普段は近くで目に出来ない女優に興味を引かれ、彼女たちの隣にはいないようだ。
「セリーたち遅いな。開場時間の三時には出てくるはずなのに」
 セフィロスたちは控え室に繋がる扉のすぐ横で、彼らのパートナーが姿を現すのを待っていた。
 これでも予定より十五分ほど過ぎて、客の入り始めた会場に来たのである。
「女たちの身支度は時間を要するものだ」
「女、ね」
 呼んでくるか、と小さく呟き、扉に向かおうとしたレイオンが動きを止める。
 扉の前には低いパーテーションで衝立がしてあったが、男二人からは扉を出入りする姿が良く見える。
 マゼンダ色のぴったりとしたドレスを着た、セリーが最初に現れた。
 レイオンたちの姿を確かめ、すっと気取ったポーズを決める。
 広く開いた胸は、鍛えられていながら豊かな谷間が形成されて、その上を流れる、幾重もの細い鎖状のネックレスをウエスト近くまで垂らしている。膝上丈のスカートから、贅肉のない足が見え、同じ色の踵の高いミュールを合わせている。
 肩から剥き出しの腕はよく陽に焼けていたが、健康的な美しさと色めかしさが同居した、大人の女の魅力があった。
 プロの手に頼んだのだろう、しっかりとアップにされた赤毛は、波をうって顔の右側だけに流れ落ちていた。
 ところが、小さく口笛を吹いて賞賛するパートナーに、その姿をきちんと見せるのもそこそこに、再び扉の奥へひっこんでしまった。
「なにやってんだ」
 苦笑しながらも彼女を連れ戻そうとするレイオンが、数歩進めた足を止め、硬直した。
「クラウ……じゃなかったクラウディア! 早く出て」
 セリーが腕を引いて強引に引きずり出し、後ろ手に閉めた扉の前に、彼女よりもほんの少し背が高い、もう一人の少女が現れた。
 銀色の髪飾りで留められた鮮やかな金髪以外、服も靴も、肌も白い。
 ホルターネック風の喉元に、銀と模造ダイヤモンドで蘭を模したモチーフが縫いつけられている。首の付け根から切り替えのあるラグラン袖は、柔らかく腕を包み、七部丈で広がって、袖口には布地と似た薄いブルーグレーのアンゴラ毛があしらわれていた。
 身体を包む身ごろは、セリーのドレスほど身体にそってはいないが、細い腰と小さな尻の形は分かる。膝のあたりで若干細くなって再び広がるスカートの裾は、右側だけが少し長く、左側は膝上辺りまでスリットが入り、丈に変化のある形をしていた。
 足元は少しカジュアルな印象を与える、踵の低い、膝下までの編み上げのロングブーツである。
 どこか人形を思わせる格好に出来上がっているが、驚くべきは、若干逞しいその首から上の造形だった。
 元々長さがあまりない髪は、エクステンションを足して、高い場所で結ったように見せている。いつも顔を隠している長い前髪と、耳の前あたりに少し降りた自毛は、カーラーをあてられて渦を巻いている。
 白さを強調させるような染みひとつない顔は、丁寧な化粧で肌理が整えられ、いつもより更に若く見えた。つややかな唇は男を誘うように濡れ、上向きに立ち上げられた長い睫毛とアイラインで、元々大きな目が一層大きく強調され、輝いている。
 ガラスケースの向こう側にいるのが相応しいような、非の打ち所がない美少女だった。
 ただ惜しむべきは、その表情は明らかに不機嫌極まりない。
 眉間に皺が寄り、目つきも悪く正面を睨み据え、尖った顎が引かれて完全に膨れ面だった。
 間違いなく、その少女はクラウドだった。



 完全に硬直し、口が開け放しになっているレイオンの横を過ぎ、セフィロスが音もなく近づいて来た。
 仕方なく衝立の影から足を踏み出したクラウドは、さりげなく伸べられた手に、薄い手袋に包まれた己の片手を預ける。
「オレが、今どんな気持ちかわかるか?」
「カードのいかさまが露呈しないか、心臓が鳴っている感じか」
「よくわかってるじゃないか」
 見下ろしてくるセフィロスは、黒い、埃ひとつついていないロングタキシードを着こなし、素晴らしい男ぶりではあるけれど、今はそれを見ることに集中できないくらい、心臓はバクバクと音を上げている。
 グロスを塗った唇を閉じるだけで、表情が硬くなる。
 自覚しながら見上げると、己の顔に目を据えたまま、淑女を迎えるように取り上げた甲に口づけられた。
「見かけは完璧だ。その言葉づかいさえ改めれば、誰にもわからない」
「本当か?」
「『本当に?』だろう。十分に会場の男を誘惑できる」
 訂正した男へにっこり笑いかける。
 文句を言うなと怒鳴る代わりだ。
 衝立の影から出てすぐに、こちらを注視する視線を幾つも感じていた。
 普通の音声の会話が聞き取られる距離ではないが、いくら何でも怒鳴ればバレる。
 クラウドの正体が知れる、一番の危険をはらんでいるのは声だ。なるべく無口なふりをして、会話を避けるほかない。外国人で言葉が通じない設定が一番楽だ。
 普通のパートナーらしく、セフィロスは腰に手を回してきた。
 このドレスは首の後ろの留め具の下から、ウェストあたりまで背中がばっくり開いている。なんとも無防備極まりない。
 セフィロスの大きな手が素肌に触れると、反射的に身体が跳ねた。
「なんて趣味の悪いドレスだ。こんなんで知らない男にでも触られたら、鳥肌物だ」
「知らない男が触れたりしない。こういう場所では誰もが紳士だ」
「嘘つけ。オレの目の前に、狼がいるじゃないか」
「バレていたか。うまそうな背中だ」
 冗談めかして言うセフィロスを睨み付け、大きく溜息をついてふと振り返ると、未だにレイオンは少し呆然とした表情でクラウドを見ていた。
 隣に立つセリーはレイオンに呆れた表情だ。
「どうだ、レイオン。セリーのお墨付きだぜ」
 そう言って思わず浮かべた挑戦的な眼は、マスカラとアイラインで強調されてはいるが、女らしくは見えなかったかもしれない。
「ああ、そうだな……」
 レイオンは意味不明な相づちを打った後、ごくりと唾液を飲み込んだ。
「降参するか?」
 何がどう負けなのか、誰も問わなかった。
 レイオンは無言で頷くと、頭の横に両手を上げて見せた。


 クラウドにとっては茶番でも、周囲に倣って礼服を身につけて会場にいる理由は、とにかく動き回っても招待客に不審がられず、警戒されないためだ。
 料理を取る振りで、ちらとテーブルの上や下に不審物がないか視線を走らせ、挙動のおかしい者がいないか観察する。制服を身につけて、眼をつけた人間に近寄れば確実に避けていくだろうが、ただの招待客であれば、なるほど自由に会場を泳ぎ回ることができる。
 クラウドはセフィロスと、そしてレイオンはセリーと、恋人か夫婦のような顔をしてそれぞれ会場に紛れ込んだ。
 だが、唯一誤算だったのは、クラウドとセフィロスの二人の周囲に、妙に人が集まり、注目されていることだ。どうやら役者の類と勘違いされている。
「敵にしてみりゃ、君たちみたいに目立つのがいれば、近くで仕事がしやすいだろうな」
 レイオンは皮肉でも何でもなく、真剣な顔で呟いている。
「君たちの周囲にいる人間の、その外側に注意しているとするさ」
 はじめは料理を見て回ったり、演奏を聴いたり会場を動き回っていた二人は、グレーデンが会場に入ったのを見て、さりげなく彼に近寄り、談笑している振りをする。
 だが話を途切れさせた途端、すぐ近くで声がした。
「あなた、モデルさんか何かですの?」
 自分の母親ほどだろう歳の女性は、細かい花柄のワンピースにふくよかな身を包み、その身体ごとクラウドに急接近してきた。
 単刀直入に質問されたクラウドはドリンクの入ったグラスに口をつけたまま、無言で首を横に振った。
 大体、幾ら同じ招待客だとはいえ、初対面の者に名乗りもせずに職業を聞くのは礼儀に反するんじゃないか、とは抗議出来ない。声を出せばバレる、とクラウドは思っているのだ。
「ただの招待客ですよ」
 普段であれば無口無表情を通すセフィロスが、すかさず助け船を出した。
 軽く会釈すらして見せ、グラスを持っていないクラウドの手を取り、自分の腕に廻させる。
「あら。お二人ともお美しいから、俳優さんか何かと思いましたの」
 優しく上品にほほほと笑い声を上げ、口元を押さえた手には大きな宝石がはまっている。
「お嬢さんは何かスポーツでもやっていらっしゃるの?」
 会話を切り上げたいのに、婦人は興味津々で聞いてくる。
 セフィロスの威圧感に押されてか、声を掛けずに遠巻きに眺めていた客たちも、その婦人の言葉をきっかけに、なんとなく会話に参加し始めた。
「私もそう思いました」
「それともスポーツ選手? スレンダーですのに、とても鍛えてらっしゃるように見えますわ」
 様々な年齢層の婦人たちが一気に押し寄せ、口々にクラウドの服や髪を褒め、セフィロスを見上げては見惚れ、互いに意見を交わし合っているのである。
「この人たちってさ」
 クラウドは限りなくセフィロスの耳元に口を近づけ、囁く音量で尋ねた。
「みんな知り合い同士なのか?」
 セフィロスは苦笑して首を横に振った。
 新婚か、仲のよい恋人同士の語らいを邪魔するのもものともしない彼女たちは、更に突っ込んだ質問を投げかけた。
「グレーデン閣下とはどういったご関係ですの?」
 ああ、一番答えにくい質問を。
「チョコボを嗜むもので」
 とっさに思いつきで出た返答を口にする。
 それまで始終無言で、人形のようにセフィロスの隣に立っていたクラウドが口を開くと、周囲の視線が集まった。
 ネオ・ミッドガルでは移動は自動車やバスが主流になっているので、チョコボに乗ることは競技の一つと捉えられている。
「まあ。チョコボを」
「勇ましくていらっしゃるのね。チョコボの背は高くて怖くありません?」
 一斉に返され、ひるみそうになるのを、顎を引くことで押さえ込む。
 巨大な竜や凶暴なモンスターよりも質が悪い。
「そうそう。グレーデン閣下と自警団のトップのミスター・ラッセルもチョコボレースをされますわね」
「昔はよく対戦されたそうよ」
 実はクラウドはグレーデンがチョコボに乗ることも、ラッセル警備部長とそういったつきあいがあることも初耳だった。思いつきが割といいアイデアだったようだが、婦人たちの会話は一層弾んでしまった。
「閣下もラッセル様も、お父上が元の村の村長でいらしたお家柄でしょう。この土地に来て、随分お若い頃からおつきあいがあるそうですわ」
「お二人ともお父様が偉大だと大変ですわね」
「あら。どちらの殿方も、お父上を越えたんではなくって?」
 確かにそうだとクラウドも思い、婦人たちも口々に納得している。
「でもグレーデン閣下はいつもチョコボレースでもお勝ちになって、今回はおめでたくも総統に就任されて、ラッセル様は複雑じゃございませんこと?」
「警備部長のポストも十分魅力的ですわ。今度は総監におなりでしょう」
「総統の選挙には、ラッセル様は立候補なさいませんでしたし」
「それはグレーデン閣下の人気が、圧倒的だったからじゃございません?」
 会話が白熱してきた婦人たちの間に、微妙な空気が流れた。
 暗黙の了解で口にしてはいけないことに、触れてしまったような気まずさだ。
 こういった空気を読むことは、女性の方が優れている。
 彼女たちが思っただけでなく、実際に彼らの間には、何らかの軋轢があったのだろう。
「ご婦人方」
 暫く傍観していたセフィロスが、静かな、しかし良く通る声を発した。
「知り合いがおりましたので、これで失礼を」
 ちらりと視線を動かした先に、レイオンとセリーの姿があった。このまま捕まっている訳にはいかないので、彼らに助けを求めようということだ。
 ごきげんよう、と会釈をし合い、セフィロスの腕に手を預けたまま、なるたけしずしずと足を進める。
 背にはまだ彼女たちの視線を感じるが、クラウドは頭も動かさず、隣の男へ囁き声言った。
「今、この期に及んで大変なことを聞いた気がする」
 固い表情で近づいてくるクラウドを、レイオンたちはからかうような笑顔で待っている。
 彼らにもこの話をする必要を感じて、クラウドは眉根を寄せた。

 「ラッセル警備部長が怪しいっていうのかい?」
 セリーの声は少し笑いすら含んでいた。
「冗談もほどほどにしろよ」
 レイオンの返答はごく真剣で、だが怒っているというよりは、クラウドを宥めるような音声だった。
「オレたちを雇ったのはラッセルだぜ。彼にはかなり以前から仕事でつきあいがある。報酬も普通かちょっと上くらいの、いいお客なんだ」
 確かに、もしもクラウドが疑ったように、ラッセルがアバランチの活動に関わっている、もしくは首謀の一人だったとすると、今回警備のためにレイオンたちを雇った理由が分からない。
 ひとつ、クラウドが気がかりに思う可能性は、レイオンたちもまたラッセルと共謀していることだ。
 そんなクラウドの不安を察することなく、レイオンはまるで説得するような具合で言い募った。
「大体この間の庁舎が襲撃された時だって、オレたちがいなかったら、簡単に閣下は殺されてたかもしれないだろ」
「だけど、あの休日の夜にオレたちが庁舎に行ったのは、昼間急に連絡が来て決まったことだ。グレーデンがいちいちそれを、ラッセルに伝えていたかどうかは分からない」
 思い当たる節があったのか、セリーの表情が僅かに強ばり、持っていたグラスを口に運ぶ。
「最初の会議でSPたちに確認した」
 そう呟くように発言したセフィロスは、火を点けたまま放置していた紙巻を一口吸い込み、静かに煙を吐いて続ける。
「グレーデンの公務スケジュールに関しては、全て自警団に伝えられている。恐らくあの日の午後、グレーデンが庁舎にいることは、総統の警護に関わるもの全員が知っていただろう」
 つまりはごく簡単に、アバランチにも情報が漏れる。
 それだけでラッセルが怪しいということにはならない。
「オレたちが庁舎に行ったことが、アバランチに伝わっていたかはわからない。だがオレなら、もし知っていればその日は避けるだろうな。襲撃計画を妨害する者は少なくともSP二人程度にしておきたい」
 整った顎でセフィロスが示した先では、会場を動き回りながら挨拶を交わし続けるグレーデンの両脇を固めるSP二人が、鋭い視線を周囲へ走らせている。
 これまでもグレーデンにしっかり張り付いてきた二人だ。たかだか四人という少人数で襲撃したアバランチにしてみれば、数で勝るとはいえ、強敵には違いない。
 さらにそこへ実力不明なボディガードが四人もいるとなれば、数でも負ける。
 実際あのアバランチは全員自決することになった。
「そういえば」
 クラウドは遠くに眼をやったまま、手袋の指の先を苛立たしく噛んだ。
「あの自爆したやつ以外の三人って、何にも喋らないまま死んだのか?」
 襲撃の翌日、自警団に尋問を受けている最中に、服毒自殺したという話だったが、三人とも全員ということが、今更ながら不自然な気がする。
 一人自殺したとなれば、他の二人の身体検査を更に行い、監視も厳しくなるだろう。同じ方法で全員が自殺するには、ほぼ同時に行わねば成功しないに違いない。
「オレは何も聞いてないが……」
 レイオンも完全にラッセルの疑いを晴らせず、少し苛ついているように見えた。
「何か喋ったという話は聞いてないわね」
 ラッセルが疑わしいとは思うが、結局彼が深く関わっているという証拠は何もない。グレーデンに危害を加える『かもしれない』動機が存在するだけでは、犯人とは云えない。
 もう間もなく式典が始まる。
 アバランチが動くのが式典の前なのか、最中なのか、後なのか、一切情報は掴んでいないのだ。
 会場の周囲に並ぶフランス窓から外を見れば、建物の外の植え込みの向こうに、自警団員と民間の警備員の制服がちらちら窺える。ホテルの建物内も、配管や通気口のチェックが、今この時も自警団員により行われているはずだ。これらは配置やスケジュールにセフィロスが関わっているので、ぬかりはない。
 会場の賑やかさに眼を奪われ、注視されない外は、厳戒態勢なのだ。
 客に紛れ込むにも、入口で厳重に検査が行われ、危険物の持ち込みは困難である。
 それでも彼らが爆弾をしかけるか、それとも直接襲撃するつもりなのか、手がかりはないままだった。
「兎に角、何か分かるまでは不審者や不審物に眼を懲らしているしかない」
 レイオンの言葉はもっともだった。
「それに……最も疑いたくない人だけど、君の意見も無視できない」
「そうだね。あたしもそう思うよ」
 セリーも同意した。
「セフィロス、あんたはどう思う? 専門家だろ?」
 見上げた男は、深刻な面もちの三人に比べ、悠然と構えているように見える。
 彼のこの余裕はたのもしくもあり、時折酷く憎らしく感じる部分だ。
「疑う要素は多い。この厳戒態勢の中で動きやすいのは彼であることも事実だ。武器も所持しているだろう。だが、会場の真ん中に爆発物を持ち込むのは困難だろうな。一方で、グレーデン暗殺だけが目的なら、カプセル大のプラスティック爆弾一つで、会場中をパニックに陥れることは出来る。その隙に彼を直接狙うかもしれん」
 アバランチの、犯人たちの目的がグレーデンの暗殺なのか、それとも無差別テロなのか、それに寄って方法も変わってくる。
 あの予告状からはその判断はしにくい。
「何が起こるにしても、式典中が一番効果的だろうな」
 不謹慎な言葉を呟きながら、セフィロスは不謹慎な笑みを浮かべて見せた。


 再び会場に散ったクラウドらは、グレーデンから余り離れないようにしながら、会場の招待客たちに注意を向ける。
 何か小さな手がかりでも見つけなければ、グレーデンだけでなく招待客たちまで巻き込まれ、犠牲は多くなると考えられる。
「焦ってもしかたない。不安は分かるが顔が強ばりすぎているぞ」
 さりげなく腰へ回される腕を、跳ね退ける余裕もない。
「セフィロス」
 ラッセルとグレーデンの確執の噂を耳にした瞬間、実は最初に疑ったのはラッセル当人だけではなかった。
「レイオンたちは、アバランチとは関係ないよな?」
 ラッセルが疑わしい以上、レイオンとセリーが共謀である可能性は高い。
 先ほど、ラッセルが二人を雇った理由が分からないと思ったが、仲間であればなんの矛盾もないのである。
 だが、グレーデンが自分の身を守らせるのに、連れて来られた傭兵を、なんの調査もなく雇い入れるだろうか。
 それは脳天気なところのあるグレーデンでも、余りに警戒心がなさすぎる。
「お前は、彼らを疑いたくないのだろう」
 セフィロスはクラウドを至近から見下ろし、その心の内を言い当てた。
 そうだ。
 クラウドは彼らを疑いたくない。仲間だと思いたい。
 その願望が、真実への道筋を違える原因になりそうで、恐怖を感じる。
 クラウドはセフィロスを見つめたまま、頷いた。
「お前がレイオンを疑いたくないと思うのは、ザックスに似ているからか?」
 セフィロスは無表情で続けるが、腰に廻された腕には力が籠もった。
「苦しい。セフィロス」
「もう数百年が過ぎているというのに」
 近寄った薄い口元は、何か不穏なものを感じる笑みが浮かんでいる。
「あのザックスが、お前にこれほど深く根付いていることに、嫉妬する」
 端から見れば、恋人同士が場所もわきまえず抱擁しているようだったろうか。
 完璧な配置の目鼻立ちが、クラウドのすぐ目の前で壮絶な笑顔を浮かべ、口づける寸前まで迫っている。
 クラウドは自覚のないまま、押さえた吐息をついていた。
 長い間共にいて油断していたが、この男は『セフィロス』なのだ。
 恐ろしい相手であることを忘れてはならなかった。
「オレの……」
 触れそうな程近くに寄った唇に、吐息が掛かる。
「オレの中から、あいつを消すか?」
 笑ったつもりが、うまく口角を上げられなかった。
「消せるものなら、それがいい。あの時の苦しさも全部消える」
 ミッドガルに単身戻った時のように、忘れてしまえるものなら。
 目の前で姿形を失うほど銃弾を受けた彼の、血と肉片を浴びた感触を、掠れた声で己を呼んだ声を、雨に溶けて流れた赤い色を忘れさせてくれるのなら。
 セフィロスは笑みを消し、真剣な視線でクラウドの眼に見入った。
 互いの瞳の中に、互いの眼が映る不思議な感覚の中で、セフィロスは長い睫毛に縁取られた切れ長の眼を瞬かせる。
「それは、お前を形造るものの一つ、なのだろうな」
 結い上げた後頭部の髪を撫でられ、苦笑の混じる唇が、グロスを塗ったクラウドのそれを押し包み、思わぬ優しさで吸い上げられた。
 恥じらいも忘れて口づけを受け、クラウドはゆっくり眼を閉じた。
 今は、女の格好をしている。誰かが見ていたところで、新婚とでも言えば許される。
 頬の上に流れ落ちたセフィロスの髪が降りかかった。
「お前の心に従おう」
 眼を開けると、顔の両側に銀色の覆いが掛かっているように見えた。
「レイオンたちを疑いたくないとお前が思うのなら、オレはそれに従う」
「オレの感情だけで判断を鈍らせて、グレーデンを死なせることにはしたくない」
 クラウドは思いの外はっきり声に出すことが出来た。
「お前の直感はそう悪くない。己を信じて行動すればいい」
 愛撫するように肩を撫で下ろされ、クラウドはセフィロスに預けていた身体をはっと起こした。
 心を塞いでいた栓が、外れたような気がした。
 彼が信じると言うだけで、クラウドはこれほど自由になれるのだろうか。
 見上げた男は穏やかな表情に戻っている。
「グロスがついた」
 セフィロスの唇にはクラウドのグロスが移り、少し光って見えた。
 指を伸ばして拭うと、白い手袋の指先にピンク色のグロスが付着した。
 こういった上品な手袋は使い慣れない。まだ式典は始まっていないというのに、汚してしまった。そういえばクラウドの唇も、グロスがはげてしまったかもしれない。
「セリーと化粧室にいってくるといい」
 無論化粧室の中も、変装した自警団員も巡回しているが、不審者や不審物がいないか、クラウドたちも確かめる必要があった。
 抱きしめられていた腰が解放され、逞しい腕の中から逃げ出す。
「頬が赤い」
 思わず頬に手をやるが、クラウド自身に見える訳がない。
「初々しいな」
 いつもなら蹴りの一発でも繰り出すところだが、クラウドはスカートの布を掴んで堪え、怒りに震える笑顔で言った。
「お化粧室に行ってきますわ」


 セリーを探し出して向かった女性用の化粧室は、なんとも華麗で煌びやかな場所だった。とても用を足す場所とは思えない。
 無論会場の下見の際に、男性用はしっかり見ているのだが、女性用には入っていなかった。普段は入る機会などもちろんあるはずがない。
 通路の壁は、ところどころを削ったような空間があり、そこには花かごが飾られていた。
 中は広く、最初の部屋の片側は化粧を直すためのカウンターとスツールが並び、片側は足下まで確認できる大鏡である。
 更に進むと、通路を曲がった先に、トイレの個室が両側に並んでいた。
 窓などは一切なく、人も多いので、不審者が何かするとすれば、個室の中くらいだろうが、清掃員に化けた自警団員が定期的にチェックして回る手はずなので、問題は感じられなかった。
 セリーに促されて空いた鏡の前に立つ。
 隣のセリーや、他の女性たちも、身だしなみの確認と化粧直しに真剣な面もちだ。
 鏡に映る自分の姿を見て、クラウドはなぜかぎょっとした。
 いつもの自分でないことが第一、そして悔しいかな、周囲の彼女たちと並んでいる姿に、違和感がないことが第二の理由だ。
「ああ」
 思わず出た声に、セリーがぷっと笑いを漏らす。
「クラウ……クラウディア。さっきセフィロスとキスしてたでしょ」
 返答する以前に、ごくりと唾液を飲み込んだクラウドは、鏡の中のセリーを横目で見やった。
「み、見てたのか……しら」
 言葉が変だと自覚はある。
「見てたわよ。レイオンがびびってた」
「……ほっといてくれ……ない?」
「ほっとけないわよ。グロスが完全に落ちてるわ」
 飾りのような小さなバッグに、化粧をしてくれた人物に言われるまま押し込んできたバラの形のグロスケースを取り出す。正直、最初の化粧は人任せで、クラウド自身研究心もないので、塗り方もよくわかっていない。
 結局じれたセリーに任せることにして、クラウドはただ動かないようにだけ努めた。
「まっすぐ引かないで、唇を丸く書くようにね」
 無駄なレクチャーをしながら、真剣に紅筆を操るセリーは、間近で薄く笑んだような顔をしている。
 クラウドがこれまでに良く知る女性とは、明らかにタイプが違う。
 初恋の幼なじみはもっと娘のような色っぽさで、初めて愛した人は可愛らしく、母のような包容力を秘めていた。忍者娘はお転婆で、大人になっても肝っ玉の座った女性だった。
 セリーの陽に焼けた首筋や胸元は、戦う者の身体であることが一目瞭然だ。
 クラウドと並んでいても違和感が少ない。
 だがセリーは非常に女らしい部分が多く、男からすれば匂い立つ色っぽさと感じられる。
「あなたがこんなに美しいのは」
 突然セリーが驚くようなことを言いだした。
 グロスを塗られている最中では相槌も打てず、反論も出来ない。
「彼に愛されているからね」
 紅筆が唇から離れて、反論しようとしたクラウドは、思わず開きかけた口を閉じた。
 それを否定する要素はない。
 関係がばれてしまって、弁解する意味もない。
「セリーも綺麗だ」
「そう? ありがと」
 曖昧に笑ってみせながら、セリーは自分のグロスも手早く直し、化粧品をバッグへ仕舞った。スツールから立ち上がり、スカートの裾を直す。
 自信に満ちた立ち姿を見上げ、クラウドは思った。
 彼女もまたレイオンを愛し、愛されて美しく見えるのだと。
 かつてクラウドが愛した彼女も、愛する人がいたから、あれほど美しく気高く見えたのだろうかと。
「グロス、ありがとう。手袋の汚れを落としたら戻る」
 自分のグロスが付着した手袋を外しながら、セリーを先に会場へ返し、化粧室の一角に設けられた、洗面台で手袋の指先を洗った。
 丁度、式典が十分後に始まると、館内にアナウンスが入り、ごったがえしていた化粧室は波が引くように人が減って行った。
 クラウドも慌てて、汚した部分だけに水をつけて洗い、ペーパータオルで水気を拭いて、手袋もはめずに化粧室を飛び出た。
 えんじ色の絨毯が敷かれた通路には、小走りで会場へ戻ろうとする婦人たちの後ろ姿が見える。
 手袋をはめながら、彼女らの背を追うように通路を歩き始めたクラウドの手から、片方の手袋が滑り落ちた。振り返り、絨毯に落ちた手袋を探すと、そこに屈み込んで目的の物を拾う、青年の姿を見つけた。
 短い黒髪の青年は、女性用の先にある男性用の化粧室から出てきたようで、前を歩くクラウドの手元から落ちた手袋を、反射的に拾い上げたのだろう。
 だが、拾われた手袋よりもその青年の襟足に目を奪われた。
 そしてクラウドに向けて上げられた笑顔を見て、顔色を変えないようにするのが精一杯だった。
「落ちましたよ、お嬢さん」
 手袋を受け取り、震えを押し隠した声も高めに礼を言うと、青年はクラウドを通り過ぎて会場へ向かって歩いて行く。
 その場で立ち止まって青年の背を見送りながら、着けかけた手袋も脱いでバッグに押し込むと、代わりに小さなトランシーバーを取り出した。
 チャンネルをセフィロスら四人で共有するものに合わせて、話しかけようとして思い止まり、もう一度それをバッグへ戻し、クラウドは会場へ向かって走り始めた。




 式典の準備が進む会場のライトは絞られ、演台には既にスポットライトが当たっている。とはいえ、各所の窓からは昼間の陽が差し込み、フロアも人の顔形を判別できるくらいに明るいのは、防犯上の問題もあって、この光量に留めているのである。
 一番目立つだろう男の姿を探して、顔を巡らせる。
 丁度ステージに向かって右側の、テーブル付近をゆっくり巡っているセフィロスの姿を探し当て、クラウドは足早にそこへ向かった。
 グラスなどを置く小さなテーブルは幾つも設置してあるが、パーティーは基本的に立食形式である。壁際には椅子も置かれているので、そこに座って談話する人々も多い。
 テーブルの周辺は基本的に混雑しているので、椅子の設置された壁側を通って男の元へ辿り着こうと、白いブーツの足を進めた。
「クラウ……クラウディア君か」
 すぐ横でした声に顔を上げると、ラッセル警備部長がホールの中程の壁ぎわに立っていた。
 立派な体躯をオーソドックスなタキシードに隠し、威風堂々として見える。グレーデンほど派手で整った顔立ちではないものの、肉体だけならば彼と同じ年頃の男で、勝てる者は多くないだろう。
「これは閣下が間違えるのも無理はない」
 クラウドは微笑を浮かべて見せた。
「ご機嫌よう、ミスター・ラッセル」
 裾を軽くつまんで、膝を折るお辞儀をすると、彼は声を立てて笑った。
「これは恐れ入った」
「お気に召しまして?」
 さりげなく彼の隣に立ち、少し首を傾げてみせる。
「本当の君を知らなければ、口説く男もいそうだ」
 少し背の高い彼の高さに合わせて、軽く背伸びをして、クラウドは口の横に手を当てて、ごくごく小さな声で囁いた。
「胸はニセモノだよ」
「そうか。そうだろうな」
 ラッセルは浮かべた微笑こそ変えなかったが、タイの内側に指先を入れて隙間をあけようとする。少女の姿をしたクラウドに耳元で囁かれ、彼自身自覚なく緊張を強いられているからだろう。
 無論、それを承知の上で普通以上に距離を狭めているのである。
 ちらりと目線だけで彼を見上げ、すぐに正面へそれを戻して呟いた。
「ミスター・ラッセルは結婚してるの?」
 若干女言葉にしていることに違和感があるのか、彼は居心地悪げだ。
「いいや。閣下と同じで、忙しさにかまけて婚期を逃したな。今日は姪を連れてきたのだが、どこへ行ったのやら」
「親御さんは?」
「もう随分前に死んだ。私の両親は、この地に来た時すでに結構な歳だったからな」
 こんな風に彼と話すのも、個人的なことを聞くのも、初めてだった。
 今のクラウドの姿が、聞き出すことを容易にさせている気がする。
 クラウドは相づちをうちながら、先ほどの青年の姿を探し、招待客の方へ目をこらした。似たようなタキシード姿ばかりで、特徴の弱い中肉中背の青年は、とてもではないが見つけられそうもない。
「どうして総統選挙に立候補しなかったの?」
 クラウドの問いに、今度はラッセルは顔ごとこちらを向き、見下ろして来た。
 正面を向いたクラウドの頬に、突き刺さるような視線を感じる。突然そんなことを聞いて来たクラウドを、明らかに不審に思っているようだ。
「ミスター・ラッセルなら当選できたんじゃないかって、聞いたよ」
「……私には」
「グレーデンと幼なじみだから? それとも勝てそうになかったから、立候補しなかったのか?」
「私にはヨハンのような、女性たちや老人まで引きつけるカリスマ性はないからな」
 諦めたような口調でいながら、ラッセルはクラウドの横顔を睨むように見つめたままである。
「そうかな? 後輩や部下には人気がありそうだけど?」
「そんなことはない」
「ふうん。じゃあさっき見た男は、あんたを慕って出てきた幽霊って訳じゃないのか」
 すぐ真横に立つ気配が、急に緊張したのが分かった。
 これまでの緊迫感とは異なる、息を飲み、表情に変化が出るのを堪えるような、瞬間的な硬直だ。
「幽霊? 何の話だ?」
 その時式典の準備が済み、演台の照明が明るくなると、周囲から拍手がわき起こった。
 幕がないので丸見えな右側の袖から登場した司会らしい女性が、マイクを片手にステージへ上がる。
 クラウドも拍手をしながら、更にラッセルへ近づいた。
 パッドで膨らませた胸が、彼の胸にあたるほどの距離に、ラッセルは一歩退く。
「もっと近寄って。話し声が式典の邪魔になるから」
 既に関係ある男女の距離であることを自覚しながら、クラウドには不思議と嫌悪感は沸かず、ラッセルからもクラウドの少女の姿に動揺した先ほどとは違う、ぎりぎりの緊迫感を感じた。
 端からすれば、未婚のラッセルがパートナーと並んでいるように見えるだろう。
 式典の開会を告げる司会の挨拶が終わり、続いて紹介された建設庁の部長が祝辞を読み始めると、クラウドは再び口を開き、ラッセルへ囁いた。
「見たんだ。幽霊」
 彼は黙ってクラウドを見下ろしたままだ。
「この間、グレーデンを襲った奴のうちの一人。黒い髪になってて、印象変えてたけど」
「なんだと? 庁舎を襲ったの侵入者は、全員自殺したんだぞ」
「だったらやっぱり幽霊だな」
 にっこり笑って見上げたラッセルの顔は、無表情に強ばっていた。
「あっちはオレに気づかなかったけど、間違いないよ。首の後ろの、髪の生え際のとこに、ほくろがあったんだ。捕まえた時に、間近で見たからな」
「……どういう意味だ?」
 短い祝辞が終わって、建設庁の部長が司会と交代すると、今度はグレーデン総統の紹介を読み始めた。
 紹介文は簡潔なものだったが、周囲の招待客もしんと静まりかえって、真剣な、そして微笑ましい表情で聞き入っている。
 司会の声を邪魔しないように、クラウドは再びラッセルの耳元へ顔を近づけ、囁いた。
「あんたが、嘘をついてる」
 短く刈ったラッセルの頭が動いて、クラウドから少し距離を取った。
「君は……オレを疑っているのか」
「疑っているというより、確信した。あんたは嘘をついた。あの時襲って来たアバランチの四人のうち、確かに一人はあの場で自決した。だけど、三人は自警団で自殺したっていうのは嘘だろう。あんたから直接聞いたオレたちや、グレーデンは疑わなかったけど、そもそも自警団の建物に連行されたかどうかも怪しい。そんなことを隠蔽出来るのは、自警団の長であるあんたくらいだ」
 わっと拍手が起こり、壇上にグレーデンが上がってきた。
 歳もこの二人は殆ど変わらず、互いに協力しあってこの街を造ってきた仲間でもあろう。
 だが片やスポットライトの当たったステージに上がり、片やこうしてクラウドと並んでそれを見上げている。
「あんたはグレーデンが邪魔だったのか?」
「私は警備部長だぞ。ヨハンを守る立場だ。その為に君たちやレイオンを雇ったんだ」
 グレーデンは反対側から上がって来た筆頭秘書を含む、秘書たち数名から花束を渡され、照れたような笑顔で拍手に答えている。
「オレたちはあんたに雇われたんじゃない。レイオンたちは、グレーデンや自警団の身内の目をくらますために、あんたが呼んだんだろう。それに、彼らはテロの専門じゃない。それはグレーデンだって分かっていたはずだ」
「なんだと」
「調べもせずに、あんたが連れてきたってだけで信じる訳ないと思う。彼らは確かに腕の立つ傭兵だったかもしれないけど、グレーデンは不安だからオレたちを雇った」
「ヨハンも私を疑っているというのか」
 話題のグレーデンは笑顔のまま、花束を背後の司会者に渡すと、姿勢を正して演台に立った。
 挨拶をしようとして、声が裏返り、招待客たちがどっと沸く。
 まるで計算されたような愛嬌で、それが彼のカリスマ性の一部でもあるのだろうか。
 男女問わず何故か好かれる彼の、武器であり、盾でもある。その温厚で無害な表情や行動に、このラッセルもまた数十年間騙されてきたのかもしれなかった。
 恐らく、グレーデンはラッセルを信用していただろう。この事実を知れば、きっとショックを受ける。
 だが彼は、ラッセルを全く疑っていない訳でもなかったに違いない。
「オレたちが雇われて、顔を合わせた翌日にグレーデンは襲われた。予告状は出てるのに、その前に。いかにも思いつきだよな。あんたにとってはオレたちが雇われたのは誤算だった。自警団の動きはあんたの手の内だけど、予定外のそこそこ使えそうな連中にも動かれちゃ、計画が狂う。だから、オレたちがいないタイミングを狙って、事前にグレーデンを暗殺しようとした」
 急遽変わったスケジュールを、ラッセルは知らず、アバランチも知らず、突然のことだったのでグレーデンも報告しなかった。
 たまたまその場にクラウドたち四人を呼び寄せ、結果的に助けられることになったのは、もうグレーデンの運が限りなく良かったとしか、言い様がない。
 だがその機会を、このラッセルは恐らく利用もした。
 表向きは助力にと雇ったレイオンやクラウドたちが、自分たちの仕事の邪魔にならないように、極秘であるはずのクラウドたちの存在は、アバランチのメンバーに漏れている。恐らく写真などで、特に四人に注意してそれぞれの任務を果たすよう、役割が与えられたはずだ。
 先程の襟足にほくろのある青年は、庁舎を襲ったメンバーの一人だ。
 クラウドたちに見覚えられている可能性もあるので、髪の色を変え、かなり変装をしたつもりだっただろう。逆に彼らにとっては、一度出会って戦った傭兵の姿は、非常に見分けやすかったはずなのである。
 クラウド以外は。
「オレたちの写真をメンバーに見せるなら、オレの『この姿』の写真を用意するべきだったな」
「ふ」
 ラッセルの口元から微かな笑い声が漏れた。
 彼にとって、きっとグレーデンの運の良さ、悪運の強さは、幼なじみに正攻法では勝てないと思わせる要素の一つであったのだろう。
「うらやましいと、ずっと同じように育って来た友人が全てに恵まれて、ねたましいと、そう思う気持ちが君に分かるかい?」
 口元には笑みを浮かべ、ラッセルは針金の頭を掻く。
 そして見上げたステージの上で、グレーデンは総統に就任した報告と共に、その喜びの言葉を述べていた。
「彼はああして手に入れたものを、己の力だけではないと言う。この街を建設するのには、この街の住人全ての力によるものだと言う。正しいよ、非常に正しい」
 演台のグレーデンを見つめるラッセルの目には狂気が混じっている。
 その視線には覚えがある。
 人間が人間であることを踏み外して行く時の視線だ。
「だが後の人は言うんだ。『ネオ・ミッドガルを作ったグレーデン一族のヨハン・グレーデンはその功績を認められて、初の総統に就任した』。どこに彼以外に、命すら賭けてこの街の開発に打ち込んだ者の名前がある? どこに私の名がある?」
「あんたは」
 ラッセルは狂気の宿った目でクラウドを再び見下ろした。
 外見だけの体格差ならば、ラッセルはそのままクラウドを襲い、括り殺すことも出来るだろう。そうしないのが不自然な程、彼の怒りは喉元までせり上がっていた。
「あんたは、英雄になりたかったのか」
 まるで自分自身に問いかけるように。
 かつて亡くした友人に問いかけるように。
「英雄になって、どうしたかった? 名前を残したかった? 皆に認められたかった?」
 ラッセルは答えず、クラウドを見下ろした姿勢のまま動かない。
 英雄になりたいと願い、その姿がなんだったのかを知った時、あの友人はどうしたのか、昨日のことのように覚えている。
 己を守って戦い、己の前で死んで行った。
 彼こそが、クラウドにとっての英雄だった
 恐らく、それが彼の愛した女性だったとしても、彼はそうして戦い抜くことを、己の道としただろう。
「大勢にそう呼ばれたかったのか?」
「君にはわからないさ」
「わかる。オレも昔は英雄になりたかった」
 メテオの飛来を止めた時、クラウドたちは一部の人間から確かに英雄と呼ばれていたらしい。だがそんな名声は必要なかった。
 クラウドの守りたかったものは、この地上ではなかったのだから。
「グレーデンのような人間になることはできないと自覚したなら、あんたはたった一人守る人を見つければよかったんだ」
 ラッセルはくっと鼻先で笑ったような顔をした。
「綺麗事だな。君のような若者には……」
「オレはあんたより長く生きてる」
 ラッセルを見つめたまま、クラウドは。
「自分が英雄になるために、グレーデンを殺して、他を殺し続けるか? それより、たった一人でもいい。その一人を守り通せば、あんたは英雄になれたのに」
 ラッセルは浮かべていた奇妙な笑みを引っ込め、壇上のグレーデンを見上げる。
 かつては友と思っていたろう彼を、本当はどうしたかったのだろうか。
「もう、遅い」
 無感情で呟いた彼を、もう止められないと悟ったのはその時だった。
「歪んでしまってもう元には戻せない。私はこの街を……彼と共に作って来たこの街を、あとかたもなく壊してしまいたいんだ」
 グレーデンが演説を終え、演台から一歩下がった場所で深々と観衆にお辞儀をした。
 暖かく、盛大な拍手が沸き起こり、長く続いたそれにラッセルも倣う。
「グレーデン総統閣下に永らくの栄光を!」
 ラッセルは突然そう叫び、周囲の客が唱和した時、それは起こった。


 会場の中央で起こった破裂音に、客は驚きの声と悲鳴を上げた。
 白い煙が立ちあがり、グラスや皿が周囲に落ちて、破片の飛び散る高い音が続く。
 破裂音はそう大きな音ではなかったが、何より驚いたのは各所に隠れていた自警団の面々だったろう。
 壁際へ逃げていく招待客たちと、煙にまかれた中央付近を確認しようとする自警団員たちで、会場内は入り乱れた。
「みなさん落ち着いて!」
 マイクを通した声は良く聞こえた。
 ステージ脇で、司会者からマイクを奪ったセリーが叫んだのだ。
「大丈夫です。ゆっくり壁際へ移動してください!」
 辺りを漂っていた白い煙が落ち着くと、グラスなどが散乱した中央のテーブルの脇に、人影があった。
 一人はその場に倒れ伏していた。
 その肩口あたりに、セフィロスが腕に隠し持っていたはずの短いレイピアが、床まで貫通して突き刺さっている。
 もう一人はセフィロス本人に腕をひねり上げられて、動きを完全に封じられている。クラウドが化粧室前で遭遇した、あの襟足にほくろのある侵入者だ。
 そして壁際に集まった客の中から、レイオンが自警団員らしき二名のタキシード姿と、恐らくもう一人の侵入者だろう男を拘束して、進み出て来た。
『クラウド、これで恐らく全員だ』
 バッグの中のトランシーバーから、ノイズと共にレイオンの声が聞こえた。
 通話状態にしたままバッグに入れていたトランシーバーは、ちゃんとクラウドとラッセル警備部長の会話を拾い上げてくれていたようだ。
 本人の方へ頷いて了解した旨を伝え、僅かに安堵したクラウドは横を見やるが、そこにいるはずのラッセルの姿は既になかった。
 慌ててステージの方を見やる。
 演台に直前までスピーチをしていたグレーデンの姿はなく、SP二人もいない。
「グレーデンは!」
 見渡した会場の端、立ててあった衝立は床に倒れ、控え室へ向かう扉が閉じていくところだった。
 一番扉の近くにいたレイオンは、拘束した容疑者を自警団員に押しつけ、クラウドはその場にバッグすら投げ出して、混乱する客をかきわけて走り出していた。
 もう女装には意味がない。
 足にまとわりつく裾をたくしあげ、本気の速度で走る。
 扉を蹴破る勢いで抜けると、後ろにレイオンが続いてくる気配がした。
 扉からまっすぐの通路は広めで、右側に幾つか控え室に使う部屋の扉が並んでいる。そのひとつ、グレーデンが使っていた部屋の前に、グレーデンとSP二人、そしてラッセルの姿があった。
「待て! 止まれ!」
 叫んだのはレイオンだ。
 クラウドは少し間を空けて、通路を塞ぐように立ち塞がった。
 通路は行き止まりで、逃げ場は控え室の中だけだ。だが控え室にも、小さな灯り取りの飾り窓があるだけで、人の出入りは出来ないようになっている。
「グレーデン、こっちへ」
 恐らくその一言で、彼と彼のSPは理由を察した。
 避難しろとラッセルがグレーデンを誘導してきたに違いないが、まったく利害関係の成立しないクラウドと、成立するラッセルどちらを信じるべきか、彼は瞬時に判断したのだろう。
 慌てたように飛び退き、SPに守られながらじりじり距離を置くグレーデンは、それでも驚きと、内心の動揺を隠せない青ざめた顔で呟いた。
「ラッセル……何故だ」
 ラッセルは冷徹な無表情で幼なじみを見つめ、何も答えない。
 グレーデンの腕を引いて背後に庇い、横へ進み出たレイオンと通路を塞ぎ、ラッセルの逃げ場を絶った。
「もう逃げ場はない」
「どうかな」
 ラッセルが上着の内側に手を差し入れると同時に、クラウドは裾を跳ね上げ、ストッキングの上、腿に巻いた装備から、仕込んでいた剣とナイフを抜いた。
 一発の発砲音が響くと同時に、発射された弾は剣に弾かれて壁に食い込み、発射した短銃はクラウドの投じた短剣に弾きとばされ、床を数メートル滑っていった。
 間を置かず走り込んで間合いを詰めたクラウドが、残った剣を逆手に持って、ラッセルに飛びかかった。
 誰ともなく上げた驚きの声に、ラッセルのくぐもった声がかぶる。
 倒れた屈強な男の上に、可憐な少女の姿をしたクラウドの片足が肩口を踏み、もう片方の膝は腹にのせ、完全に乗り上げているのである。
 首もとに突きつけた剣先は僅かも震えていない。
 その冷静な動きと表情は、人を殺すことに躊躇いのない者の姿だ。犯罪者を捕らえる側に長くいたラッセルには、それが理解できる。
 剣の切っ先の向こうで、ラッセルは苦笑の声を上げた。
「たった一人の守るべきもの、か」
「何故ここへ逃げた。逃走手段はないのに」
 質問には答えず、低く笑い声を漏らすラッセルは、暫くして笑いを収めてクラウドを見上げる。
「勇ましきヴァルキューレ。向こうの世界で、君のような美しい娘でも見つけることにしよう」
 かちりと、何かの音がした。
 極小さく、離れたレイオンたちにはもちろん聞こえなかっただろう。
 見下ろしたラッセルの手元が何かを握りしめていることに気づき、クラウドは背後を振り返った。
 会場への扉前まで避難したグレーデンの近くに、追いついてきたセフィロスの姿が見えた。
 その手前、クラウドと扉の丁度中間地点にレイオンが剣を構えたまま立っている。
 レイオンのすぐ横あたりには、グレーデンの控え室の扉がある。
「セフィロス!!」
 その意図が伝わる様、力の限り叫び、クラウドはレイオンに飛びかかった。
 驚愕の表情に固まるレイオンを抱き込むように、同時に魔法で防御壁を張る。
 顔を上げた、防御壁の向こうの滲んだ視界の向こうに一瞬セフィロスの姿を見るが、側面から受けた光と衝撃に、思わず目をつぶる。
 防御壁の表面に巨大なエネルギーと、破壊されたコンクリートの破片が大量に突き刺さり、炎に焼かれるような熱を感じた。防御力が弱まるのを、魔力を高めて必死に耐え、レイオンの背を抱きしめた片手にも力を込める。
 防御壁を隔てた外は、スポンジが崩れるように粉々に破壊されて、ついに足下の床が耐えきれず崩落した。
 最後の魔力を注ぎ込み、そして力尽きた時、クラウドの意識は途切れた。




 小さな破片が頬にぽつりと落ちた感触で、クラウドは目を開けた。
 開いたといっても視界はまったく効かず、真っ暗である。
「レイオン」
 身体を起こしながら呼びかけるが、彼も自失しているのか気配を感じられない。
 立ち上がろうとした後頭部に、固いものが当たり、手を伸ばして確認するも、腰をかがめて立ち上がるのがやっとくらいの狭い空間に、クラウドは閉じこめられていた。
 手探りで足下を探り、柔らかいものに触れる。
 レイオンであることを顔に触って確認をして、しっかり息があることに安堵した。
 とはいっても、周囲の壁に手が届いてしまうくらい狭い空間は、近くにあった柱ととっさに張ったバリアの力で、かろうじて出来た隙間である。コンクリートの破片と砂や土のような感触の瓦礫は、相当な爆発の威力を物語っていた。
 押しつぶされる心配はなくとも、この狭さでは空気はそう長くは保たない。
 ほどなくして、レイオンがくぐもった声を上げて、目を覚ましたようだ。彼もまた、目を開いても真っ暗な空間に混乱しているように思えた。
「レイオン」
「クラウド、か。何が、起きた?」
「グレーデンの控え室で爆発が起きた。ラッセルの仕業だ」
 恐らく、最初に式典会場で起きた爆発のようなものは、単なる陽動作戦だ。
 会場内で何か異常が起これば、グレーデンを控え室へ避難させるのは、至ってまともな判断である。それこそがラッセルの計画だった。
 安堵して控え室にいるところを、威力の高い爆発を起こさせれば、確実に殺すことができる。
 控え室には、ラッセルは自由に出入りしていた。彼であれば、鞄ひとつ分くらいの爆発物を持ち込むことも出来たろう。
「しかし、狭くて暗いな」
 クラウドと同じように周囲の瓦礫に触れて、レイオンが呟く。
 命が助かったとはいえ、あまり楽観視はできない状態だった。
「あ、ペンライトがあったな」
 何かごそごそと探る音がした後、レイオンの手元に小さな光が点灯した。
 ごくごく小さなものでも、この真っ暗な狭い空間の中ではまぶしいほどだ。
「あんたが魔法で助けてくれたんだな。ありがとう」
 まぶしい場所で、レイオンが笑みを浮かべて微かに頭を下げた。
 クラウドは無言で首を横に振って応える。
「怪我はないか?」
 不思議なことにそう聞いてきたのはレイオンの方だった。
「オレは平気だ。お前こそ大丈夫か?」
 頷いてからぼそりと漏れた言葉によれば、クラウドの姿を見た途端、先に聞かなければ人非人だと思ったらしい。
「せっかく着飾ったのにな。ぼろぼろだ」
 確かに袖はすり切れ、スカートもあちこち破れているようではある。髪につけたエクステンションがかろうじて残っていることに、美容師の気合いを今更ながら感じる。
 クラウドは声を出して笑ったが、この状況でも女の姿をしていることで気遣われるのは複雑な心境だった。
「まあ、今怪我はないけど、あんまり楽観はできない。ここは狭すぎる」
 膝を抱えてしゃがんだクラウドの横で、レイオンも周囲の瓦礫に触れながら応じた。喋っている声も、なんだか布団を被った中で話しているように、籠もっている。
「ああ」
「この狭さじゃ剣も振れない。なにより、空気が心許ない」
「大人しく、救助を待つか」
 無駄な空気を消費することを恐れたのか、レイオンはクラウドの横に腰を下ろし、じっと動かなくなった。
 クラウドの聴覚をもっても、厚い瓦礫の壁に阻まれて、何の音も聞こえない。何かが反響したような耳鳴りがするだけだ。
 ここはどの当たりだろうと考え込むが、足下の床が崩落した感覚が残っていたので、地下部分に落ち込み、階上の瓦礫がその上に乗った状態を想像して、かなり絶望的だと思った。
 ただ瓦礫を退けるだけであれば、重機を用いても、セフィロスでも可能だ。だが彼もまたグレーデンらを庇って、瓦礫に埋もれたかもしれない。会場の方にまで被害が及んで、大混乱になっている可能性もある。
 せめてセフィロスが脱出して、クラウドたちがいないと気付けば、無論探索してくれるだろうが、それまでここの空気が保つだろうか。
 クラウドは仮死状態になるだけだったとしても、レイオンは無理だ。
 できれば彼が死にゆく姿など見たくない。
「今日は眼鏡を着けてないんだな」
 ふと気づいて呟くと、レイオンは苦笑した。
「いや、初日のあれは伊達なんだ」
「ふうん」
「傭兵ってバカだと思われてるからな。初日は着けとくといいんだ」
 そんな話は初めて聞いた。
 だが別に眼鏡をしていなくても、レイオンは知的な顔立ちをしている。
 瓦礫によりかかりながら、クラウドはペンライトに照らされるその顔に見入った。
「あんたはあいつよりずーっと頭良さそうだし、実際いいだろうなあ」
「あいつって? セフィロスかい?」
「……いや」
 ふと感想を口にしてしまい、クラウドは言いよどんだが、ここで黙り込むのも感じが悪い。
「あんたによく似た奴を知ってるんだ。最初に会った日から気づいてたんだけどな」
「友人?」
 クラウドは無言で頷いた。
「顔が似ている?」
「なんだろうな……雰囲気かな。あと声も似てる。顔の造りとか、髪型とかは違うけど。あの時死なずに歳をとったら、あんたみたいな感じになったと思う」
 レイオンは少し寂しいような笑顔を見せ、クラウドに倣って瓦礫に寄りかかる。
「性格はだいぶ違うな。あんたみたいに真面目じゃない、話し方からしていい加減だった」
「オレも結構いい加減なとこあるけどな」
「目の色も違う。あいつはオレと同じ青い眼だったから」
 似ている箇所、似ていない箇所を羅列しながら、クラウドは再び最初にレイオンに会った時と同じ、奇妙な脱力感を感じた。
 これは罪悪感から来るものだ。
「オレを庇って死んだ。オレの目の前で」
 顔が強ばり、視線が揺らぐ。
「馬鹿な男だったけど、いい奴だったんだ」
「誰かに似ていると言われた覚えはないが、そんなすごい奴と似てるって言われると、なんだか居心地が悪いもんだな」
 レイオンはクラウドの肩を叩き、にやりと笑ってみせる。
 その顔に救われる。
 ザックスが過酷な状況であるほど笑って見せたように。
 辛い時ほど笑えば辛さが減る気がするだろう、と彼が言ったのは何時、どのタイミングだっただろうか。
「君は彼に庇われたことを、後悔しているんだな」
 今、無性にあの男に会いたかった。
 そしてレイオンがするように、あの男に笑い飛ばして貰いたい。
「後悔してるなんてもんじゃない。今でも奴の代わりに死にたいと思う」
「馬鹿なこというな」
「オレの目の前で、血だらけになりながら、言ったんだ。『お前は生きろ』って」
 肩に乗ったままのレイオンの掌に力がこもる。 
「おかげで死ねなくなった」
「クラウド」
「……あいつに似た声で、オレの名前を呼ぶな」
 暫く、二人は沈黙した。
 立てた膝の間に顔を埋める。
 無意識に流れ出た頬のものを、見られるのがいやだった。
 悲しさよりも悔しさから出る涙に、クラウドは嗚咽を堪えて唇を噛みしめた。
 レイオンは掛ける言葉を失い、クラウドもまたそれを拒絶していた。
 たった一つ守りたいものを探せと、ラッセルを叱咤しながら、クラウドはそのたった一つすら守ることが出来なかった。
 かつてのセフィロス、故郷の母と友、そしてザックス、ザックスが守りたいと言っていたエアリス、全てを守ろうとし、何一つ守れなかった。
 その悔しさがこれまでの長い時間に薄れたことはない。
 時折忘れていることは出来ても、こうして思い出した瞬間、クラウドは己の無力さを思い出すのだ。時間の波に乗った思い出が遠く潮を引くまで、この痛みが薄れることはない。
 膝の上で少し顔を横へ向けると、レイオンは目を閉じて瓦礫に寄りかかっていた。
 もしかすると既に空気が薄れ、肉体的に息苦しさを感じているのかもしれない。
 その証拠に袖を少し引っ張っても、レイオンの反応が鈍い。酸欠になると、一つの行動を取るのに、倍以上の時間がかかるようになる。
 この場所でどれだけ意識を失っていたのか、どれだけこの空間に酸素が残っているのかまったく検討がつかないが、早く救助が来なければ、彼の命に関わることは間違いなかった。
「レイオン、しっかりしろ」
 クラウド自身が仮死状態になれば、少しは空気の節約になるだろうと思うが、自発的にそうする方法は知らなかった。焦るクラウドの視界も、急激にぼやけてきた気がした。
 息苦しいというよりは、身体全体の感覚が鈍く、重くなる。
「オレは、そいつを知らないが……何故そいつが、君を庇ったのかは、分かる、気がする」
 目をつぶって、瓦礫にもたれたまま、突然レイオンは口を開いた。
 言葉はとぎれとぎれで、酷くゆっくり喋る。そのまま眠ってしまいそうな口調だ。
「ただ、君を、救わなければ、自分が後悔しそうで……自分自身のために、助けた、んだ」
「本当にそう、思うか?」
 レイオンは微かに頷くが、意識を失う寸前のようで、その動きは緩慢だった。
「君が、後悔する必要はない。君が、こうして生きていること……知れば、彼も本望、だろう」
 目を閉じて、瞳の色が見えないと、一層ザックスに似ている気がした。
 その彼が漏らした呟きは、まるで友人からの許しの言葉のようで。
「許して、くれるのか?」
 膝の上に置いた頬を、もう一度あふれたものが伝う。
 脱力したレイオンの手から、ペンライトが地面に転がり落ちた。
 視界は一瞬暗くなり、そっぽを向いたライトの先が、瓦礫の壁の一カ所をスポットライトのように小さく照らす。
 影になった男の顔は見えなくなった。
 だがクラウドには懐かしくも、忘れるはずのない気配に、続けて流れたしずくが顎から滴る。

「───オレはお前を助けたかった。それだけだ」
「本当に」
「恨んでなんかいない。お前が生きていて嬉しい」
「ザックス」
「生きろ」

 レイオンの手は地面に落ちたまま、掌を上に向けて動かなくなった。
 その手に自分の手を重ね、ぎゅっと握りしめると、クラウドはもう片方で落ちたペンライトを拾い上げた。
「あんたを助けたい」
 完全に目を閉じたレイオンの顔をライトで照らすが、息は浅く、顔が青い。
「ザックスがオレを助けてくれたように」
 そっと頬を撫でてから、彼の身体を背後に膝をついた。
 両手の掌を瓦礫の壁にあてる。
 揺るぎそうにもない乾いたコンクリートの破片の山を押すように、腕に力を込めた。
「セリーが外で待ってるぞ」
 使い切ったはずの魔力が足下から立ち上る気がした。
 掌に力を集中させると、正面の瓦礫がみしりと音を立てた。
 僅かな穴さえ空けば、空気が得られる。
 きっとセリーがレイオンを探して呼ぶ声も届くようになる。
「ああ」
 そして自分を捜しているだろう男もまた。
 心に男の顔を思い描いた途端、まるで首筋に触れるほど近くに、その気配を感じた。
「セフィロス」
 指先が燃えるように熱くなり、瓦礫の一点が赤く熔けるように光る。光は徐々に広がって大きくなっていった。
「ここだ! セフィロス!」


 熔けた瓦礫の光が、急激に四方へ広がった。
 まぶしさに思わず目を閉じたのは一瞬、薄目を開けた瞼を透かして、強烈なオレンジの光が差し込んで来た。
 瓦礫の壁は二、三メートルはあろう幅であるのに、見上げた場所は人が通れるほどの広さの通路が出来、丸く抜けた穴の入口から光が差しているのだ。
 その穴から覗き込む男の姿が、背後からの光を受けて真っ黒な影絵に見える。
 差し込む光は、聖人を祝福する後光のようにも見えた。
 確かに、クラウドにとっての神である男だ。
 全てを壊し、持ち去る時も、そして何かを作り出す時も、きっと彼の手によるものだと、今も信じて疑いもしない。
 光と共に流れ込んできた慣れた気配と新鮮な外気を、クラウドは大きく吸い込んだ。
「遅い」
「悪かった」
 逆光で表情の見えない男の口元が動いた。
「えらい居心地だった。服は動きにくいし、最悪だ」
「すぐに風呂に入れてやる」
 そう呟いて瓦礫の壁を降り、近寄って来た男は、無言で膝をついて座り込むクラウドを抱き上げようとした。
 腕を払い退け、蹴り退けながら、自力で立ち上がる。
「待てこら。歩けるって。それよりレイオンを」
 覗き込んだレイオンはやはり目を開けていない。
「中毒症が心配だ。早く病院に」
 なんだか不満そうな顔をしたセフィロスは、クラウドを先に促し、レイオンを肩に担ぎ上げた。
 まるで空に向かうような、斜めに地上へと続く不安定な瓦礫をよじ登る。
 丸く覗いた空は夕暮れ時のようで、この悲惨な状況に似合わないほど、美しいオレンジ色に染まっていた。
 なんとか這いずり出た出口には、自警団員や緊急車両が結集し、大層な騒ぎになっている。
「出てきたぞぉ!」
「クラウド!」
 自警団員の叫び声と同時に、覚えのある声に呼ばれた。
 走り寄ってきたセリーを抱き留め、泣きはらした顔を覗き込む。
 せっかく綺麗にセットした赤毛はほつれ、まろやかな色のドレスは、恐らく必死に瓦礫を掻き退けたのか、埃と土で元の体を成していない。
「何ともないよ。レイオンも大丈夫だから」
 続けて穴から出てきたセフィロスの背から、待機していたタンカに移されたレイオンに、セリーは泣き声を上げながら縋り付いた。
 軽く診察した救急隊員に命に別状ないことを告げられ、ようやく安心したらしく、落ち着いて救急車に乗り込んで行った。
 二人を乗せた車を見送って、クラウドはやっとセフィロスを振り返る。
 まだ穴の前にたたずんでいたセフィロスの背後には、ぽっかりとえぐり取ったように、二階から崩れ落ちたホテルの外壁が見えた。
 爆発により破壊されたのは丁度、グレーデンの使用していた控え室まるごと一つ分と、その上下階の空間だった。図面で見た際には、二階は倉庫で、地下はパイプスペースになっていたから、人的被害は少なく済んだ事を願いたい。
 跡形もなく崩れた外壁や壁が、全て地下部分に落ち込んで、完全に埋まってしまっている。
 クラウドたちはその地下の、床近くで埋もれていたのだ。
「怪我人は?」
 クラウドは若干呆然とホテルの壁を見上げながら、セフィロスに近寄った。
「いない。お前とレイオンが一番重傷だ」
「グレーデンたちも?」
「グレーデンもSPもかすり傷一つない」
「……ラッセル警備部長は?」
 立て続けに質問するクラウドへ、セフィロスは親指で瓦礫の下を指し示した。
「そっか……。疲れた」
 怪我はろくにないが、魔力と精神力を使い果たした。
 どこかに寄りかかりたいような脱力感に見舞われていると、セフィロスが無言で両手を軽く広げて見せる。
「今なら誰もおかしいとは思わない」
 確かにぼろぼろに破れ、埃と土だらけとはいえ、クラウドはまだドレス姿のままなのだ。
 見下ろしたスカートの破れた隙間からは、膝上のストッキングも、その上につけた装備もペチコートも丸見えになっているし、首元についていた蘭のモチーフは半分近く外れて無くなり、もうとてもドレスとは呼べた状態ではないけれど。
 問答無用で抱き寄せられ、男に体重を預ける。
 間近でみれば、セフィロスの黒いロングタキシードも埃まみれで、細かく擦り切れた痕があった。
 彼とて、あの爆発の至近距離で、グレーデンら三人の大の男を庇って防御壁を張ったのだ。実はまったく無傷という訳ではないだろう。
「あんたも怪我した?」
「打ち身程度だな。帰宅するまでには治る」
「よかった」
 服に隠れた背中などだろうかと、労るように背に廻した手で撫で、身体をすり寄せた。
「家に帰ろ」
「ああ」
「あんたのタキシード姿、ちゃんと見る余裕が無いまま、ぼろぼろになっちゃったな」
 セフィロスは口元だけで笑い、クラウドの肩を抱いて引き寄せたまま、自警団と野次馬の人だかりを抜けるまで、その腕を放さなかった。




 零番街第三地区のこの店は間口が狭く、その狭さからは想像できないくらい奥へ広い。
 ウナギの寝床のようだと、クラウドが称したのが気に入らなかったのか、ここの店主に冗談めいた声で『お尻の穴だ』と下ネタで返されたことがある。
 繁盛している店だったが、まだ夕刻のせいか、これから夜勤に出る常連の男が一人夕食を摂るため、カウンターしかない客席の、一番端に座っているだけだった。
 コンクリートが剥き出しの壁には、所狭しと古いR&Bアーティストのレコードジャケットやポスターが貼られ、『遺跡』から拾って来たという、かつてのミッドガルの交通標識なども飾ってあった。
 照明はごく暗く、カウンタには赤いガラスの器に入れたキャンドルが、等間隔に灯されて、暖かな印象だ。
 カップルが夜遊びに来そうな洒落たバーだが、ここはいわゆる普通の客は訪れない。
 なぜなら、店のママはヒゲの剃り痕の濃い、派手な服装のオカマで、ゲイの客が半分、ゲイのカップルが残りの半分だった。わずかにママの気概を慕ってくる女性客もいるらしいが、クラウドは遭遇したことがなかった。
 ママは元々美容師だったが、趣味でやっていたこの店に本気になって、美容師を辞めたらしい。今でも時折、ショーパブなどの衣装やヘアメイクについて相談を受けたりするという。
 その話を知っていたので、先日女装した際、ママに世話になり、その腕前が確かなことは既に証明された。
 話し好きなママは、特にセフィロスのファンを自称するほど気に入っており、二人一緒に店を訪れると、セフィロスの前から動かなくなる。
 それが今至って静かなのは、クラウドたちの飲み物と、端の客の食事を作った後、何か用事を済ませると言って奥へ籠もったきり、出てこないのである。
 今日はこの後、一週間ほどで退院したレイオンたちと食事をする約束をしていた。
「なんでこの店で待ち合わせにしたんだ?」
 他の客とも面識があるクラウドたちはいい。
 だがレイオンたちでは如何にも入りにくいのではと思うが、ここを指定したのはセフィロスなのだ。
 当のセフィロスは黙って、ジンの入ったグラスを傾けている。
 いぶかしげな顔になりながら、クラウドは待ち合わせの時間まで、まだ三十分以上ある時計を眺めた。


 あの事件の翌日、捜索が続けられていた粉々の瓦礫の下から、ラッセル警備部長の遺体が発見された。 
 死因は爆発によるもので、遺体は殆ど原型を示していなかったという。
 会場で捕らえられた三名のアバランチへの取り調べから、当日運転手などを務めていた仲間の四名が後日逮捕され、残る二名が指名手配されることになった。結局、主犯であったラッセルと、庁舎で自決した一人を含めても、たった十一名の組織だったことになる。
 アバランチの構成員は全員若く、殆どが少年時代や若い時分に逮捕歴や前科のある者たちだった。
 捕らえる側と捕らわれる側として接触した彼らが、ラッセルの呼びかけにより集まり、組織されたのがアバランチだった。
 リーダーを失い、逃げている二人も名前や顔が判明している以上、そう時間を置かずに、組織は事実上壊滅することになるだろう。
 自警団の捜査結果をクラウドたちに伝えたグレーデンは、いつものようにSPに囲まれ、少し憔悴したように見えた。
「感謝している」
 総統の地位につきながら、殊勝に頭を下げたグレーデンは、こういったところが美徳ではあるけれど。
「全然嬉しくなさそうだよ」
「そんなことはない。市民には一人も怪我をさせずに、僕を守ってくれた」
「でもラッセルはあんたの友達だった」
「ああ」
 その『友達』がしかけた爆弾から、グレーデンを救ったのはクラウドたちだったが、彼をあっさり見捨てたのもクラウドだ。
「例え僕を殺そうとしていても、犯罪者のリーダーでも……失えば寂しいものだ」
 そうして苦笑した総統の執務室を後にしながら、クラウドは横に立つセフィロスを見上げて聞いてみた。
「なあ。どうして、ラッセルはこっそりグレーデンを暗殺しなかったんだと思う? 個人的な恨みだったら、殺人事件にこそなっても、テロになるものなのかな」
 セフィロスは庁舎のエレベーターの中で話し始めた。
「ラッセルは、グレーデンを殺す中に正当性を見出したかったのだろう」
「どういう意味?」
 エレベーターが下りる間、一番奥の壁に並んで寄りかかっている。機内の天井についてしまいそうに見える、セフィロスの顔を見上げて、首を傾げた。
「どんな戦いにも、ヒトは大義名分を求めるものだ。その大儀が大衆と離れるほど、受け入れられず異端視され、一層過激な行動を取る。その小たるが狂人であり、大たるがテロや虐殺だな」
「奴らの主張が正しくないから、受け入れらないんじゃないのか?」
「では正しいとは、一体何が基準だ? 正しいもの、正義は常に揺らぐ。支配者が変われば、正義も変わる」
「世が神羅であれば、神羅の主張が正義であるってことか」
 セフィロスは無言で頷き、下っていくエレベーターの階数表示を見上げている。
 この男もまた、かつては村人を虐殺し、世界の全てを破壊しつくそうとした。あのときに彼が何を思ってそうしたのか、クラウドは随分色々と考え、それを彼自身に確かめもしたのだが、まだまだ理解しきれたとは云えなかった。
「だから、あんたは正義の揺るがない神になろうとしたのか?」
「神とは信者がいて成立するものだな」
 階数表示から視線をクラウドへ向け、先ほどのグレーデンと少し似た苦笑を浮かべる。
「神とは孤独なものだ。オレには最初から治める民など必要なかった。降り立つ地と、傍らにお前一人がいればよかった」
「信者はオレ一人?」
 にやりと笑って見せると、セフィロスは思いがけず真剣な眼になってクラウドを見つめている。
「お前しかいらぬと思っていたのに、お前はオレに支配されることを拒絶した。たった一人、ほしいと思ったものすら手に出来ない神がどこにいる」
 ああ、また騙されたと、クラウドは心の奥で呟いた。
 この男はセフィロスであるのだと、それを忘れてはならないのだと。
「オレはオレだ。何もかも、あんたの言う通りには出来ない」
「それでいい。本当にオレのものになる気がないのなら、誘惑するな」
 エレベーターが地階に到着し、セフィロスは振り返らずに先に出ていった。
 本気で怒らせてしまったようだと反省しながら、彼に続く。こうして後ろ姿を追うのは、実は好きではない。
「セフィロス」
 返答もせず、歩く速度も変わらない。
 いつもならさりげなくクラウドの歩幅に合わせて、隣か、少し後ろを歩いていることが多いのに。
「セフィロス。ごめんって」
「お前は別に間違ったことは言っていない」
 それでも不機嫌にならざるを得ない彼を、何故か無性にかわいいと思うクラウド自身も大概だ。
「夜だけならあんたの言うこと聞くよ」
 肩越しにちらりと向けられた視線に、余裕を持って微笑んで返した。
「あんたは夜の神様。オレは朝の神様。昼間は対等ってのは?」
 肩だけすくめて答えたセフィロスの歩幅が、ほんの少し狭くなる。
 冗談めかした提案が功を奏したのかは、その時は分からなかった。


 庁舎を訪ねて丁度八日目の今日、二酸化炭素中毒の軽い症状が出ていたレイオンは、幸い後遺症もなく退院することになっていた。
 退院祝いもかねて、年が明ける前に食事をしようと提案してきたのはセリーだった。何度か見舞いに行くたびに、レイオンを救ったクラウドとセフィロスには、何でもいいから礼をしたいと数度に渡って言って来たのである。
「一昨日行ったときは、病院ん中歩き回ってたし、元気そうで良かった」
 そうでなければ、退院していきなり酒と食事とはいかないだろう。
 ジンフィズをちょこちょこ飲みながら、彼らが到着するのを、我ながら心待ちにしているとクラウドは自覚した。
 と、突然店の奥の扉が開いて、ママがにこやかな満面の笑顔で現れた。
 いつもとにかく明るい彼(彼女)だが、今日は一層髭の剃り後が濃い気がする。夕方剃っていないのだろうか。
 派手好きな彼の、ピンクのチュニックにグレーのパンツ姿はかなり目に痛い。
「さークラウド。準備できたわヨ」
 イミテーションと本物が混じり合った指輪が、計六個はまった手を顔の前で打ち、その手を如何にも嬉しそうに揉む。
「準備? 何の?」
「フフフフフ」
 長い含み笑いに不穏な空気を感じる。
「ジャーン。今日はコレがいいと思うの! テーマは魔女!」
 何やら奥から持って来た紙袋の中から、ばさりと取りだしたものは黒い。
「……なんだそれ」
「ドレスに決まってるでしョー」
 スツールから音もなく立ち上がり、店の出口へ向かったクラウドの腕を、すかさずセフィロスに掴まれた。
「はなせ! なんだこれは!」
「夜だからな」
「なんの話だ」
「夜はオレが神なんだろう。お前に抵抗する権利はない」
 クラウドの顎は重力に勝てず、肩先も重く脱力した。
「アホか」
「問答無用! せっかく用意したんだから、着ていってよぅ!  この間は白で清純そうに仕上げたから、今度は魔女ね。うーん、それとも悪女かしらっ。自分から跨って腰を振っちゃうような娘よ!」
 なんの話だとツッコむ間も与えられず、今度は反対の手を、カウンタの内側から飛び出てきたママに捕まえられ、ずるずると店の奥へ誘導される。
「あのなあ! 何度も言うけど、女装なんて趣味じゃないんだよ! だいたい年中やってたらありがたみがないだろ!」
「いいじゃない〜。このワンピース、あたしが着ようと思って買ったけど、サイズあんたに丁度いいから、クリスマスプレゼントにあげるワ」
「クリスマスは先週だ!」
「まあ、なんでもいいじゃない。ちょっとセフィロス、何とか言ってやってぇ」
 悲しいかな、セフィロスがスツールの上に座ると、立ち上がったクラウドと視線を合わせやすい。
 ママに捕まって硬直したクラウドの目の前で、スツールに腰を下ろし、セフィロスは悠然と言った。
「レイオンたちが来る前に終わるか?」
「待ち合わせは七時でしょ? 簡単になら、化粧は三十分で十分ヨ」
「クラウド。約束を違えるな。夜はお前にドレスを着せようが、脱がせようが、オレの自由だ」
 そう威高々と、何だか見たことがないくらい意地が悪く、いやらしい顔で笑う。クラウドの背に冷や汗が浮かんだ。
 彼は本気だ。
「きゃあああ! うっらやましいぃ。脱がせてぇ!」
 ママは黄色い声を上げた。
「うるさい!」
「うるさいのはアナタ。観念して上にいらっしゃい。おトモダチ来るまで間に合わせなきゃ」
 ママの鼻息の荒さと意気込みに、退路を断たれて更に冷や汗が流れる。
 また女装などするはめになったら、それこそレイオンに何を言われるか。退院はめでたくはあるけれど、そこまでして彼らの笑いを取る気はなかった。
 何か、ママから逃れるいいアイデアは浮かばないかと必死巡らない頭を使って、奥にいる常連客に救いの視線を投げた。
 先ほどからこちらを見ている常連客は、一見普通そうな男だったが、一瞬合った視線をさっと反らされた。
 意外と力の強いママに、ずるずると引きずられて、クラウドはその間にも僅かに店の奥へ移動している。
 ああ、もう駄目だと───まさに絶対絶命だと思った瞬間、店の入口の扉の中央についた小さな窓を通して、仲良く腕を組んだ二人の友人の姿が見えた。
「助けてくれ!」
 クラウドの真剣に助けを呼ぶ声は、店の奥へ続く扉の向こうに消えた。


 外は冷え込みが激しい年末の夜。
 ネオ・ミッドガルで迎える新しい年はもうすぐそこだ。
 新しい建物の屋根に切り取られた澄んだ夜空から、今年の初の雪が、ちらちらと舞い降り始めていた。


追懐を放浪う民(了)
2007.8.1(脱稿)  2007.9.5(改稿))
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【FF7 TOP】
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