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亡失の魔境



 北の大地はまだ雪解けさえ迎えていないのに、凍てついた木々や岩に遊ぶ鳥には恋の季節が訪れている。
 狭い窓からは明かり取り程度の陽射ししか差し込まない。古びて、色褪せた敷物の毛皮の上に座る男のつま先あたりに、陽射しが窓枠の形に落ちて、わずかばかりの暖かさを室内にもたらしている。
 ここは、人々が住む北の果てとも言われているアイシクルロッジの、更に北に位置する。かつては大空洞の絶壁に挑んだ登山家たちが基地にした場所らしいが、土間もない、一部屋だけの山小屋である。
 代々ここを訪れた者が山小屋を建て直し、修繕し、冬支度も行い、三世紀近くずっとこの地にある。もっとも当初の山小屋の面影はないだろうが。
 室内には簡素な寝台以外の家具はない。
 不揃いな太さの寝台の脚が、手作りであることを物語る。
 各種獣の毛皮を繋ぎ合わせた敷物が、潤った生活に見せているが、これも毛は剥げかけて相当年季が入っている。
 壁にかかった金物の刃は砥がれ、鍋も磨かれていた。赤々と炎のともる暖炉も、きちんと灰がかき出されて、効率よく部屋を暖めているように見える。
 そんな部屋の中央、敷物の上の男は、長い間身じろぎもせずにじっとしていた。
 眠っているようでもあったが、その切れ長の青い両眼は開き、暖炉の火を見つめていた。
 炎の揺らめきを映す瞳は、縦長の瞳孔に、異常なほどの光を帯びた人工的な青緑色をしている。整った形は目だけに留まらず、閉じていれば物憂げな印象を受ける長い睫毛や、彫りの深い、鋭利な鼻筋、顎や頬の輪郭は、完璧な造型だった。
 読み取りにくい表情は凍りついて動かず、火影が揺れると、彫刻のようなの面に僅かな変化を見せた。
 薄い衣服の上からも見て取れる筋肉質な背中には、まっすぐで硬質な銀髪が流れ落ちている。
 かつて多くの人々が彼を英雄と称え、後に世界を滅ぼそうとした悪人として恐れた『セフィロス』という彼の名も、今や伝説の中にしか存在しないものになっていた。


 セフィロスが連れの青年とこの地に生活を始めたのは、三年ほど前のことだ。
 これまで青年と二人で生きてきた時間を考えれば、瞬きするようなほんの短い時間である。長い年月をあちこち放浪してきたが、時折こうして本拠地を構えての生活も恋しくなるのである。
 エネルギー資源の問題から、彗星飛来の後に栄えたエッジやミッドガル近郊の村々は次第に衰退していき、人々は地方へと散っていった。限られた近代機器と、稀少な化石燃料で生活をしのぐ民にとって、暮らしやすい土地は温暖で水があり、作物が育つ豊かな土地だ。
 アイシクルロッジの真北に位置するこの場所は、世界でも難所と呼ばれる大雪原を越えた先で、殆ど人など訪れない。
 現に二人が久々にここを訪れ、住み着いた三年の間に、物好きな登山家や冒険家が、たった四名訪れただけに過ぎなかった。
 普段の生活は周辺の森で採集や狩りを行えばまかなえた。どうしても必要な加工品などは、アイシクルロッジへふた月に一度程度仕入れに行く。
 人々の目から隠れるように暮らしてきた二人にとって、この地は気兼ねの要らない楽園だった。
 だが今、連れの青年はいない。
 ふた月近く前、旧知の友を訪ねに、コスモキャニオンと呼ばれる村へと一人発った。
 コスモキャニオンは、ここから真北にある大空洞を越えた海の先、その更に北にある。海路を行く手段がなかったため、遠回りでも南下して陸路を進んだはずだった。
 青年の足で、途中車や騎獣を使い、寄り道せずに進んだところで一週間程度かかる道のりだ。だが往復でも二週間、あちらに長く滞在したところでひと月もすれば帰ってくるはずだった。
 しかも出かける時には、長く滞在するつもりはないと、自ら申告して出掛けていって、もうひと月半経つのである。
 あの青年がこれだけ連絡もなく姿を消す場合は、数年帰って来ない可能性が高い。
 単調な生活に疲れたり、気鬱があの青年を襲って、セフィロスから長い間逃げ回ったことは過去にもあった。数ヶ月の時間をかけても探し出し、青年を捕らえるころには、彼の心の澱は去り、また元のように二人で生活を始めたことも、一度や二度ではなかった。
 いずれにしても、彼の心算に変化があったと思うべきだ。
 でなければ事故に遭遇し、戻りたくとも戻れない理由があるのか。
 どちらにしても、この地にいては分かるものも分からない。まずはコスモキャニオンからの足取りを知る為に、青年の知人に連絡を取る必要があった。
 セフィロスは静かに立ち上がり、暖炉の火に灰を掛けて消した。
 部屋着にしていたシャツを脱いで寝台へ放り、代わりに着慣れた黒いシャツと革の剣帯を着ける。壁に掛けていた戦闘用のコートを取り、腕を通した。
 慣れた着心地に思わず息をつく。
 ここから脱出する理由ができた事に、少なからず安堵もしていた。
 たった一人、この場所にたたずむには、今や平穏を愛するセフィロスにとっても、欠伸が出るところだったのだ。




 最初にセフィロスが向かったのは、アイシクルロッジだった。
 今はシーズンの終わりながら、ウィンタースポーツのリゾート地として賑わう村である。観光地としての機能を果たす村は、北大陸の中で最も最新の設備が整っている集落だった。
 過酷な雪原を丸一日掛けて越えたセフィロスが村に入ると、まだ朝も早いうちから、鮮やかな色彩の凝ったウェアに身を包んだファミリーからカップルまで、各々好みの用具を手に雪山に向かっていた。
 そんな中で、雪にまみれた旅装のセフィロスの姿は人目を惹いた。
 まだどこの村や町でも戦士の姿は珍しくないが、観光客の中ではいかにも目立つ。
 奇異なのか、興味なのか、視線を集めながら通りを進み、顔なじみになっている商店に向かう。剣の手入れや、生活用品を買出しにくる金物や雑貨を扱う店だ。
「いらっしゃい。お一人とは珍しいですね」
 店の戸をくぐったところで、主人が気付いて声をかけた。茶の髪を肩まで伸ばした、見かけはセフィロスと変わらない年頃の男だ。
「クラウドが帰らない。無線を借りたい」
 この主人は、クラウドとは名前も呼び合う程度に懇意にしている。
 多くは語らないセフィロスをどう思ったのか、それでも店の主人は少し口を開いて驚き、すぐに頷いて返した。
 ただならぬ事態であること、セフィロスには詳細を聞くべきではないことを、本能的に察知していたのかもしれない。
「コスモキャニオンに繋ぎたいんだが、公開周波数を知っているか?」
「ええ、わかりますとも」
 店のカウンター内から室内に少し入った通路に、無線機が無造作に置かれている。二世紀以上も過去には、携帯電話が浸透した時期もあったが、今はこういった商店や公共施設には大抵無線機が設置されており、遠方と通信するほとんど唯一の手段であった。
 村や町ごとのチャネルも設定されているので、コスモキャニオンのような大きな町であれば、誰でもそのチャネルを知ることができる。
 無線機の横にあった冊子から周波数を探し出した店主は、手際よくチャネルを合わせ、無線機に向かって話し出した。
「アイシクルロッジ村、イェン商店より、コスモキャニオン公開チャネルへ通信」
 幾度か呼びかけていると、向こうから返答が帰って来た。
『こちらコスモキャニオン、天文学研究所グレースです。イェン商店からの通信を受信しました。こちらコスモキャニオン』
 返答は若い女の声だった。
「つながりましたよ。天文学研究所って言ってますが、代わりますか?」
「頼む」
 無線機の前をセフィロスに譲った店主は、そのまま『ごゆっくり』と奥に姿を消した。無断で事情を聞きだすのを避けたのかもしれない。
 店主の厚意を受けて、セフィロスは無線機へ話しかけた。
「アイシクルロッジ村、イェン商店より通信。獅子族のナナキ族長と話がしたい」
『はじめまして。天文学研究所グレースです。ナナキ族長のご友人でいらっしゃいますか』
「先日そっちへクラウドと名乗る族長の友人が訪ねたはずだ。彼の行方を捜している」
『クラウドさんのお知り合いですか』
 ノイズの多い無線の音声からも、彼女の驚きは伝わってきた。
「ああ」
『失礼ですがお名前を』
「セフィロスだ」
 一瞬の沈黙が流れた後、少々お待ちくださいと慌てた声がした。
 無線の向こうが慌しくなった気配が伝わってきた。
 それだけで、クラウドが決してセフィロスから逃げ出したのではなく、何か不測の事態が起きたのだと察知できる。
『お待たせしました。クラウドさんから貴方へ伝言を承ってます』
「読んでくれ」
『はい。読むのはかまわないんですが、今、族長が横におりまして……』
 ナナキが隣にいるということなのか。
 彼女は言いよどんだまま、またノイズが混じったと思った後、
『セフィロス』
 低い男の声がした。いや、正確には雄の獣だ。
 かつてクラウドと共に、セフィロスを倒す旅をしたナナキ。
 今は獅子族と呼ばれる彼の一族を、三百年に渡って率いてきた長であるが、何年経ってもセフィロスを敵視することは変わりないはずだった。
 これまで彼と同じように長い年月を生きていながら、クラウドとは懇意にしているこのナナキと、セフィロスが会話したのは、片手で数えるほどの回数だ。
「クラウドに何があった」
 ナナキが事の顛末を話し出すまで、随分と長い沈黙が流れた。



 コスモキャニオン地域の赤い岩石は、鉄分を多く含むせいだという。
 水分には侵食しやすい岩石だが、この地域は元々雨が少なく、晴れた天候が多い。
 そのせいでセフィロスが生まれる前から、この地では天文台が建設され、天文だけでなく自然科学などの学者たちが集う、小さいながらも研究都市になっているのである。
 起伏の多い岩山に囲まれ、元々暖色系の色合いを持つそれらが、夕暮れになると一層赤く染まる。幻想的で、その風景を見に来る観光客も多いという。
 セフィロスはアイシクルロッジからコスモキャニオンまで海路をやってきた。ナナキと交わしたあの無線連絡から丸五日後のことである。
 長い、岩を削った階段を昇ると、岩山の上に築かれた村に辿り着いた。
 大きく拓けた広場を中心に、岸壁や岩窟を利用して、縦構造に作られた施設や商店などが賑やかしい。
 最も大きな天文台の建物へと昇る階段の途中に、見覚えのある姿を見つけた。
 緋色の毛皮に覆われ、片目は傷に潰されているが、頭部を飾る羽飾りと身体に刻まれた刺青が、ただの獅子ではないと物語る。
 燃え上がる炎に包まれた尾の先が、人間の数倍の長寿を持ち、現世の吉兆を占って、この赤い大地を守る民と云われている『獅子族』の証拠だった。
 段差に腰を下ろし、静かに見下ろす姿は、その殺気さえ漂う視線や気配がなければ、主人を待つ飼い犬のように穏やかに見えただろう。
「よく来たというべきか」
 どう見ても獣の形状をしている口が動き、明瞭な人語を発した。
「世辞はいい」
 表情も変えず見下ろしたセフィロスの顔を、ナナキは皮肉な笑いを浮かべて見せた。毛皮に覆われて、しかも狼や獅子のような口元で見分けにくいはずの彼の表情は、思いのほか分かりやすかった。
「挨拶もないところが、あんたらしいな」
「お互い様だろう」
 以前会話したのが何十年前だったか、もう記憶にない。
 思い出を語る仲でもない。
「ついて来い。先に言っておくが、お前の事情を知るのは私と、研究員のグレースだけだ。ここには歴史に詳しい者も多いから、名乗ったら追い出されるぞ」
 すげない言葉を口にして、ナナキはセフィロスへ尾を向けて、階段を上っていった。
 岩窟を利用して作られた服屋や武器屋、そして天文学を研究する学生や研究者が集う場所などを通りすぎ、一番高い岩山の上にある建物の前に出る。
 やはり岩の壁を利用して作った木造の建物に、不似合いなほど近代的で、巨大な天体望遠鏡が据えられている。
 普通の民家のような扉をくぐると、内部も至って普通の生活スペースが広がり、部屋の端に天文台へ登るための梯子が設置してある。
 奥のデスクの前に、短い黒髪に眼鏡をかけた若い人間の娘が、ナナキに気付いて立ち上がった。
「セフィロスさん?」
「そうだ。セフィロス、この娘はグレース。無線に出た研究員だ」
 セフィロスが娘に軽く会釈すると、グレースは意外そうな顔つきで丁寧にお辞儀をした。
「無線通信でお話ししたグレースです。ここで星について研究しています」
「悪いが、世間話をしている時間が惜しい。クラウドの出かけた先についての情報が欲しい」
 ナナキとグレースは顔を見合わせ、互いに小さくため息をついた。
「座れ」
 そう言って、濡れた鼻先で長椅子を示した。
 
 セフィロスが、アイシクルロッジからの無線でナナキに聞いたことといえば、クラウドが未踏の無人島に向かい、そのまま帰って来ないという情報だけだ。
 何かを言いかけてはため息ばかりのナナキにしびれを切らし、セフィロスは直接ここへ出向いたという訳である。
「クラウドが向かったのは、この島だ」
 ナナキの言葉に従って、グレースが卓に広げて見せたのは、ガイア全体の地図である。炎の灯る尾の先で示した場所には小さな印が打ってあった。
 丁度北の大空洞のさらに北上した辺り、このコスモキャニオンからならほぼ真南、サボテンアイランドから東南というところだろうか。小さな島の存在も見逃さないほど、世界を旅していたセフィロスも、まだそこに島があることを知らなかった。
「恐らく、ここ百年前後のうちに突然隆起した島だと思われる。上空から見た限りでは、全体がかなり深い雑木林に覆われている」
 百年あれば雑木林も育つ。
「ところがここ最近になって、この島に関して奇妙な星の動きが見られるようになった」
「星」
 ナナキの説明を黙って聞いていたセフィロスが、その一部を復唱した。
 星詠みとは、特殊な能力を持った者が、天体の動きや変化を観察し、現在から近い未来に起こる出来事や、気象、災害の予知をすることだ。現在では主にナナキの一族や、南方のモーグリ族、過去にはウータイの古い民や古代種も、その能力を持っていたと言われている。
 占いと違うのは、科学的な実証がされているという話だが、セフィロスはそれを信じてはいない。
 いや、必要としないというべきだろうか。
「貴方が星詠みを信用するかは分かりませんが……」
 セフィロスの向かいに座ったグレースが、セフィロスの問いともいえない呟きに答えた。
「ナナキ族長と私は、他の星をこの惑星との関係について研究しています。獅子族とナナキ族長の星詠みは外れたことがありません。そのナナキ族長の詠みを実証すべく、研究員の二名がその島へ調査に入ったのです」
 セフィロスにこの地の研究員が何をやろうと、正直興味はない。
 クラウドには常に理屈っぽいだの、学者のようだとたしなめられながら、セフィロスは基本的に科学者や研究者という人種が好きになれないのだ。
「クラウドはなぜそこへ?」
「先日、クラウドが来た翌日に、そこへ調査に入った研究員たちが行方不明になったと情報が入った」
 ナナキの口調は苦々しいといった具合だ。
「その研究員は一週間の予定で島に上陸したんですが、二週間経っても帰ってこなかったんです。その情報を聞いたクラウドさんが……」
「自分から首をつっこんだということか」
「ナナキ族長には一族を守る義務がありますが、自分なら身ひとつで出かけられると言って」
 セフィロスへの伝言だといって、ナナキたちに託けた言葉は『ちょっと出かけてくる』という、愛想も他愛もない、短い一言だった。『もしセフィロスが連絡してきたら、そう伝えろ』と、クラウド自身が言ったらしい。
「まさにミイラとりがミイラになったな」
 セフィロスは苦笑せざるをえなかった。
「酷い言いようだな。クラウドは遭難した研究員を救助に行ったんだぞ」
 笑うセフィロスを不謹慎と思ったのか、ナナキが尖った声で言い、セフィロスを睨みつけた。
「そうだろうな。助けに行くといえば、お前たちに止められると分かっていて、そんな軽口で出かけていった。そういうおかしな知恵の働く男だ、あれは」
 ナナキは鼻に皺を寄せて一声唸り、牙を剥き出した。
「訂正しろ。お前などクラウドが庇わなければ、すぐにでも喉元に噛み付いてやるところだ」
 元々、ナナキはセフィロスに対していい感情を持っていない。
 ナナキにとって、セフィロスは今でもかつての仲間を殺めた仇敵であり、兄とも慕うクラウドを誘惑して奪った男という位置らしい。
 セフィロスの知らないところで、クラウドはいつもナナキを説得し、セフィロスを庇っている。その証拠に、少しでもクラウドを悪く言おうものなら、ナナキは子供のような剣幕で噛み付いてくる。
 牙を剥く獣を目の前に、セフィロスは表情も変えず、ただ鋭い光を放つ隻眼を見返した。
 ナナキの子供のような態度は一瞬で、その知的な瞳には、一族を束ね続ける長の貫禄が伴っている。セフィロスが見つめ返したところで、少しもひるむ様子はない。
「クラウドの前でそんな話を出せば、あれが黙っていられる性分ではないと、お前も知っているんだろう」
「知って、いる」
「では、その話を聞かせたということは、お前たちはクラウドに調査へ行ってほしかったのか?」
 クラウドは他人に対して優しく、己には厳しい姿勢を、この数百年変えたことはない。
 友人の身内が行方不明になったと聞けば、まず自分から首をつっこむだろう。
 そしてただ人助けのためではなく、本当に浮上した島に興味があって行ったのが理由かもしれない。彼の好奇心も、やはり数百年誰にも止められない。
 ナナキも分かっているのか、反論もせず項垂れた。
 この獅子のことだ。クラウドには聞かせたくない話を聞かれてしまい、行くと言い出したクラウドを止めることも出来なかったのだろう。
 クラウドの強情さを考えれば、決してナナキのせいだけではない。
 意地の悪い追求だったと自覚しながら、セフィロスは自分が不在の時にクラウドを行かせたナナキへ、少なからず怒りを感じているのだと気付いた。
「私に責任があることは承知している。だが、私は長期間この場所を離れることができない。しかもあのクラウドが難儀するということは、あの島はただの無人島ではない。だから『お前』に頼みたい。クラウドと、希望は薄いが……我等の仲間の研究員を連れ帰ってほしい」
 だからこそ、ナナキが最も毛嫌いしているセフィロスを、こちらに呼び寄せたというのが本音なのだろう。でなければ、ナナキはセフィロスの手など借りずに自ら救出に行くであろう。
 片方だけの眼を閉じ、顎を地面に近寄せる姿は、人間が頭を下げる動作に等しい。
 ナナキにとって、それは最も屈辱的な行動のはずだ。
 仇敵に頼みごとをするなど、この気高い獣の一族にはあるまじきことだろう。
「頼まれずとも、オレが行くさ」
 セフィロスは長椅子に腰掛けた膝に片肘をついて、手に乗せた頭を動かし、テーブルの上に目をやる。卓の上の地図に示された問題の場所を凝視しながら、セフィロスは呟くように答えた。
「あれがオレに伝言を残したということは、もしも何かあったら助けに来いという意味でもある」
「そうなんですか?」
 じっと聞き手にまわっていたグレースが、不思議そうにセフィロスの顔を見上げた。
 少女のような幼さの残る顔には、セフィロスに対する恐怖心は感じられない。彼女が自分を『セフィロス』だと知る数少ない人間だということを考慮すれば、珍しい反応だった。
「あれはな、大抵のことは一人でやってのける。オレが手を貸すなど、あれにとっては屈辱なのさ」
 ふた月近く目にしていない顔を脳裏に浮かべて、セフィロスは思わず笑みを浮かべた。
「山中にいるオレに連絡をとることは難しい。つまりオレへの伝言が伝わるには、オレがクラウドの長期の不在に痺れを切らす時間がかかると、あれには最初から分かっていた」
 つまりそのタイミングで、まるで気楽な伝言が伝われば、如何にも何かあったと疑うのは容易い。
「内容がなんであれ、伝言が伝わった時点で、あれが助けを必要としていることは明白だ」
「セフィロス」
 ナナキの静かな呼びかけに、セフィロスは顔を上げた。
「私はお前が嫌いだ」
 予想外に率直な、想定内の言葉を突きつけられ苦笑が漏れる。
「知っている」
「だが、お前が誰よりもクラウドを大事に思っていることも、私は理解しているつもりだ。そしてクラウド以上に優れた戦士は、この地にお前しかいない。だからお前以外に頼める者を思いつかなかった」
 ほぼ同じ高さにあるナナキの金色の眼は、まっすぐにセフィロスを見つめた。
 今度は嘲りや嫌悪の光は感じられない。
 彼が言うように、セフィロスもまた、ナナキがクラウドに不利益な行動や発言をするとは、そもそも思っていないのだ。
 つまり互いにクラウドのことに関しては、互いを信頼しているというわけである。
「……あれと約束しているんでな」
 呟き出た言葉は独り言と同意だった。
「約束?」
 過去に幾度か別れて暮らしたこともあった。思いがけず、数年遭遇しないまま過ごした期間もあった。そうして再会する度、別れられない運命と強固な縁と血のつながりを、感じずにはおれなかった。
 例え一時、クラウドが離れたいと望んで逃げても、必ず探し出して捕まえると誓った。
「ああ」
 肯定して、それ以上は語らないセフィロスをどう思ったのか、ナナキは追求してこない。傍に控えるグレースも同じだ。
 約束はクラウドとの間のことで、それを他人が知る必要はない。
「移動用の海チョコボを出す。この村から海上を南下するルートでいけば、二日もあれば着く」
「わかった」
 セフィロスは長椅子から立ち上がり、立てかけていた刀を取ってもう一度地図を見下ろした。
「コンパスが必要だな」
「必要だと思われるものは準備しておいた」
「手際がいいな。赤いの」
 口元を笑みで歪めて見せてから、西側に面した窓へ視線を向ける。
 ナナキの毛並みのように赤く染まり始めた空が広がっている。もうすぐこの一帯でしか見られない、壮大な夕陽と風景が拝める時間だった。
「夜、発つ」
 クラウドがいる場所を把握出来ただけで、不思議と安堵している自分にセフィロスは気付き、同時にその顔が見たいと早くも思い始めていた。



 波は穏やかで、西の空にある月はゆったりした波間に煌々とその姿を映している。
 一切の人工の灯りがない中で、満月に近い十三夜の月は眩しいほどだった。
 ナナキに借り受けた海チョコボは利巧で、手綱を緩く持っただけで指示した方向へまっすぐ進んでいる。海上を切って進む強靭な足は揺るぎなく、目的の島に近づいているはずだ。
 丁度、一昨日の夜にコスモキャニオンを発ったセフィロスは、コンパスを読みつつ進み、昨夜はサボテンアイランドを通り過ぎた。ナナキの記した地図に間違いがなければ、三週間ほど前に降り立ったクラウドがいるはずの島はもう目と鼻の先だった。
 未だに灯りなどの類は見当たらない。
 だが夜半近くになってようやく、真正面に黒い島影を視認することができた。
 島は近づいてもあまり大きな印象はなかった。ラウンドアイランドやサボテンアイランドよりも小さい。
 隆起したての島だという憶測が正しいかのように、海岸線は切り立った崖で、海から生えるように岩壁が覗いている。
 島の上には木々が茂り、こんもりとして見えた。
 島に生える木々一本一本が確認できるほど近くに寄ると、異常な熱気を感じた。
「暖流か」
 チョコボの足が海面を切るたび、脚にふりかかる海水が暖かく感じる。よく見れば島の木々も、南国に育つような椰子や羊歯系の植物が多い。暖流の影響か、それとも海底火山でも足元にあるのか。同じ緯度の島々の環境と比べれば、かなり異なる生態であるようだ。
 夜だというのに一瞬むっとする暖気が潮風に乗って頬を撫でていった。
 セフィロスは上陸しやすそうな場所を探して、島の周囲を時計回りに廻った。
 島は正円に近い形をしており、島の真東には、百メートルにも満たない小さな浜が広がっていた。
 まだ荒い砂利の浜に寄せる波は透き通り、浜の海底には若い珊瑚礁が建設されつつある。そこから上陸して、浜でチョコボから降りると、すぐ目の前の浜に黒い焚き火をした跡が見えた。
「クラウドか?」
 チョコボを引いて焚き火に近寄り、しゃがみこんで痕跡を検分する。
 枝の組み方、風除けに積んだ石の並べ方を見る限り、クラウドがここに来たことは間違いない。
 これほど早く彼の跡を見つけられることでも、この島がごくごく小さな島だと思い知らされる。それなのに、数週間経っても遭難した研究員たちを見つけることが出来ず、さらにあのクラウドまで迷っているとは考え難い。
 まだ何の気配も感じられないこの島は、ただの無人島ではないようだ。
 幾ら夜目のきくセフィロスでも、探し物をするには夜が明けてからの方が都合がよかった。何より休みのない行程に、セフィロスはともかく、チョコボが限界だった。
 焚き火の跡の近くにあった木に手綱を結び、持参したチョコボ用の器に、括りつけてきた大きな皮袋から水を注いでやった。チョコボは夢中でひとしきり水を飲み、暫くすると満足したように一声鳴いてセフィロスを見た。
 そもそもこの海チョコボは、クラウドが育てたチョコボの三代目にあたる。
 二日間の強行にもよく耐えた。なんの獣にでも怖がられるセフィロスのいう事も良く聞いた。
 チョコボの好物とする栄養価の高い野菜や実を与えながら、セフィロスもその場所で身体を休めることにする。
 砂利の上に毛布を一枚敷いて身を横たえたセフィロスは、静かに寄せる波の音に耳を傾け、甘えて体を寄せてくる羽毛の背を叩いてやりながら、焚き火の跡を眺める。
 セフィロスのいる辺りに腰を下ろし、焚き火の炎を見つめて夜を明かすクラウドの姿が、目に浮かぶようだった。
「お前もクラウドに会いたいか?」
 セフィロスに話し掛けられたチョコボは、無論言葉の意味は理解していないだろう。
 小さく鳴いて首をかしげるような仕草をしてみせる。これがクラウドならば、不思議と言葉が通じるところだ。
 チョコボの反応に苦笑したセフィロスは、もう一度背を叩いてやり、目を閉じた。


 夜明けと同時に行動を開始したセフィロスは、まずざっと島の周囲を回ってみた。
 島の外周は六、七キロ程度で、あのラウンドアイランドよりも二周りは小さいようだ。海岸線から百メートルほど沖まで、ぐるりと浅瀬に囲まれている。
 セフィロスが焚き火の跡をみつけた浜は、島の真東だったが、その他の海岸線は低いところでは数メートル、高い場所では二十メートルほどの切り立った崖ばかりだった。
 陸地の方は、たかだか百年ほどで隆起した島にしては、植物の種類は豊富だ。
 大きな獣がいないことから、木々にとっての敵はそう多くはないし、気候は暖流のせいで温暖である。南国に育つ植物を中心に、各地を飛び回る鳥にもたらされた種は様々だった。
 地面は硬い岩盤と、その上に海と風に運ばれて積もった土と砂で、枝葉の多い植物ばかりだが、木々の密集度はみかけよりも低い。
 クラウドの焚き火の跡からほど近くに、林の枝を払って、誰かが歩いた痕跡も見つけた。最初に通った研究員の後を、クラウドが追ったと考えてもいいだろう。
 セフィロスは浜にチョコボを放して自由にさせてやり、迷わず見つけた痕跡を追って林に分け入って行った。
 海岸線から一歩踏み込んだ林は、鳥の楽園だった。
 色とりどりの小中型の鳥から、大型の渡り鳥まで初春に生まれた雛を育てる、絶好の基地となっていた。
 低い枝葉のしげった木々の中は、所狭しと巣があり、雛の鳴き声でうるさいくらいだ。
 大きな獣に遭遇した経験のない鳥たちは警戒心も薄いので、セフィロスが近寄っても逃げようとしない。ここに野犬や狼でも解き放ったら、この楽園は数ヶ月で滅んでしまうだろう。
 鳥たちの体臭や糞の有機的な匂いが、潮風に混じる。決して快いものではないのに、圧倒的な生命力を感じる。鮮やかな色の草花と果実が実り、土と砂の上には虫も多い。
 林の奥に進むに連れて、木々が密集度を増す一方、次第に人が通った痕跡が薄くなった。このまま見失うのかと眉をひそめる間もなく、茂った木々の向こうに、大きな岩の影がそびえていた。
 いや、岩ではない。
 岩石を積み上げて人為的に建設された、何かの建物に見えた。
 黒っぽい岩の表面は、びっしりと苔や蔦のような緑色のものに覆われている。躊躇無く近寄ってみると、苔の下にはフジツボや貝の死骸が大量に付着していた。
 これは島が浮上する以前からあった何かの遺跡だ。もとからあった島が一度海底に沈み、ここ百年ほどの間に再び海面上に姿を現したのだろう。
 建造物はさして大きなものには見えない。
 一辺が四十メートルもあるかないかの真四角で、セフィロスの背の高さくらいで段があり、更にもう二メートルほど上がったところにもう一段、全部で三段の階段ピラミッド状になっている。
 表面はなめらかで、なんの装飾やくぼみも見当たらない。化石化した貝の死骸が白く、苔むした緑の表面に図案のように見えるだけだ。
 ぐるりと一周して南側に周ると、ただ岩を切り抜いたような、小さな入口が一箇所だけあった。
 人が二人並んで通れるか否かの、高さもセフィロスは首をかしげないと頭をぶつけそうな狭さである。扉はなく、地下へと進む暗い通路には、外側と同じように貝殻や苔が付着していた。
 数週間前から、コスモキャニオンの研究員、そしてその後を追ったクラウドが、間違いなくここを通ったと思われる。隠し通路でもない限り、ここしか入口は存在しない。
 セフィロスは近くの木から手ごろな枝を切り、その片方に手持ちの布を巻きつけて松明を作った。僅かでも光が入れば、セフィロスは視界に難儀することはないが、完全な闇の中では、さすがに仔細を見ることは出来なくなる。荷物から出した油を布に染み込ませて準備を終えると、暗い入口に足を踏み入れた。


 急な階段は真っ直ぐに地下へと向かって続いている。途中壁や床、天井すべてに変化はなく、機械的なほどなめらかに磨かれた、岩石のブロックが整然と並んでいるだけだ。
 階段の中央は、ほんの僅かだが窪んで見える。
 過去、この階段を利用した人物が、幾度もここを通ったことで削れたのだろう。日参する必要のある何かの施設だったのだろうか。
 体感的に三階分ほど階段を下ると、突然拓けた場所に出た。
 部屋の奥には通路からの明かりが届かないので、セフィロスは松明に火をつけた。そして照らし出された室内の風景に思わずため息を吐いた。
 四角く見える部屋の左右には、訪れる者を奥へと導くように円柱型の柱が立ち並び、これまでの無機質さを覆す細密なレリーフが、左右の岩壁に刻まれていた。
 柱の根元にも、植物を図案化したレリーフが施されている。柱の半ばより高い位置には、松明かろうそくを燈す燭台が彫りこまれている。
 部屋の高さは三階分ほどあった。
 この部屋の天井が、丁度地上と同じ高さということだ。
「見事だな」
 漏れ出た独り言に唇をゆがませ、セフィロスは柱の間を進む。
 等間隔に並ぶ柱とこの部屋の壁は、薄く苔こそ生えているが、不思議なことに貝殻の死骸が殆ど付着していない。セフィロスの脛の高さくらいまでは水没していた痕跡があるのだが、それより上は、何らかの原因で海水が入り込まなかったようだ。
 フジツボの襲撃を受けなかったレリーフには、具体的なモチーフが連綿と刻まれていたが、セフィロスは今それらに興味は示さなかった。
 探しているのは紛れも無く生きた人間なのだ。
 暫く進むと柱を抜けた正面の壁に、祭壇のようなものが設えてあった。
 供え物を載せるためだろう、幾つかの横長の壇があったが、壁や上段に神像を設置したような跡はない。
 具象的な神を崇めていた訳ではないのか、そもそも宗教施設ではないのかもしれない。
 まっすぐに祭壇の前へ進むと、祭壇の一番下の供物を載せる台の蓋が大きくずれている事に気付いた。供物を捧げるのではなく、遺体を安置する棺や、生贄を納める石棺なのかもしれない。
 妙な胸騒ぎを感じながら、セフィロスは石棺の蓋に手を掛けた。
 重い石の擦れる音が広い空間に響き渡る。
 ずらした蓋の隙間を松明で照らすと、中には腐敗した遺体や白骨ではなく、瑞々しい肌をした人間が仰向けに横たわっていた。
「クラウド」
 石の蓋を奥へと押しやり、松明を床に投げ捨てて両手で青年をすくい上げる。
 両腕に感じる暖かな体温が、明らかに青年が遺体ではないと告げる。滑らかな頬は薄く色づき、唇は薄く開いて吐息が漏れていた。
「探した」
 頬に掌で包み、指先で閉じた瞼をそっと辿れば、その動きに従って青年は音もなく目を開いた。
 鮮やかな青い瞳が、至近にあるセフィロスの顔と、地面で燃える松明の炎を映している。
「クラウド」
 首の後ろに手を這わせて引き寄せ、唇を合わせた。薄く開いた唇の間に舌を押し込み、口を開かせて深く貪る。
 久々に味わう柔らかな粘膜を堪能するも、セフィロスはされるがままのクラウドの反応に異常を感じて動きを止めた。
 開いた瞳は、濡れたように輝いていながら全く焦点が合っていない。濃い睫毛に縁取られた瞼は、瞬きもしない。
 身体中を検分するが、骨折や打撲の外傷も見受けられず、呼吸もしているのに、呼びかけても叩いても反射運動すら止めてしまっていた。




 脱力しきった身を石の床へ横たえるのはしのびなく、セフィロスはクラウドが入っていた石棺の蓋を閉め、その上に彼を寝かせた。
 目を開いたことすらセフィロスの指先の力で、彼自身には閉じることも出来ないようだ。そのまま目を開かせていると、虫などがたかってしまいそうで、強引に瞼を下ろさせた。
 死んでいるわけではないのに、全く死体と同意の状態だった。
 強度の魔晄中毒症状でもまだ人間らしく思えるほど、完全な植物状態である。
 このままにしておけば緩やかに肉体が死ぬか、ジェノバの影響で仮死状態で眠り続けるか、いずれにしても、ただ突然こうなったとは考えにくく、誰もいないこの遺跡の中で、一体何故こんな石棺のような場所に入っていたのかも、疑問に思うところだった。
 この遺跡は何かある。歴史を感じる造りであるのに、セフィロスにさえ目的や意図を感じさせないのは、人為的に操作がなされているように感じた。
 セフィロスは自分のマントを外して、身体の上に掛けてやると、祭壇の周囲を中心に細部に渡って調べ始めた。
 祭壇はクラウドを横たえた石棺状のもの以外に二段あり、他の二つは蓋は外れず、ただの岩石を削った台座だった。
 周囲の壁や床は、一辺一メートルほどの立方体のブロックを積み上げたもののようで、叩いても空洞があるような音はしない。
 部屋の左右の壁は連続した物語をつづったレリーフで飾られているのに対して、祭壇の正面の壁には何の装飾もついていない。真っ平らな壁の面には、両腕を開いたくらいの隙間を開けて、左右対称に燭台がついているだけだ。
 よくよくその燭台を検分すると、お椀状になった上部に明らかに新しい火の跡があった。
 この島に上陸したのが、例えコスモキャニオンの研究員とクラウドだけでなかったとしても、その石の燭台の周辺の焦げ跡は新しすぎる。
 触れた指先の匂いを嗅ぐと、油の匂いと手触りだった。
 まだ僅かに油が残っている。
 セフィロスは手持ちのマッチを擦り、片方に残った油に火を点し、もう一方にはそのマッチを投げ入れた。
 通路から差し込む僅かな明かりしかなかった巨大な部屋が照らし出され、それと同時にどこからか岩の軋むような音が響いて来た。
 二つの燭台に挟まれた、正面のブロックがじりじりと奥へ下がって行く。過去の技術でどう組み上げたのかも不思議な、巨大な岩石のブロックが、何かの力で引かれて動いているのだ。
 無意識に横たわるクラウドを庇いながら、セフィロスはその挙動を見つめていた。
 ブロックの動きが止まり、建造物全体を揺るがすような振動も止む。
 真四角に大きく開いた穴は、炎をたたえたままの燭台の間にぽっかりと黒い口を開けていた。
 祭壇の段差は、その穴へ進むための階段というわけである。
 クラウドの身体から手を離し、立ち上がったセフィロスの顔に、穴の奥から突然温い風が吹き付けて来た。
 生臭い、澱んだ水と死躯の匂い。
 そして僅かに感じた気配は、人間や獣、もしくはモンスターではなく、怨念や亡霊の類である。
 明らかに怪しいこの先に、クラウドが自失している理由があるのは明白だった。
 セフィロスは眠るように目を閉じたクラウドを見下ろし、腰を屈めてその滑らかな額と頬に口付けた。
「お前の魂魄を縛る鎖を、断ち切ればいいのか」
 生贄に捧げられ、鎖で拘束されるのは美女と相場が決まっている。
 いや、クラウドは抵抗する力さえ取り戻せば、己の力で鎖を引きちぎるだろう。セフィロスは本来あるがままの力を、クラウドに戻してやればいいのだ。
「お前がアンドロメダでないように、オレはペルセウスにはなれないな」
 自嘲まじりの呟きを聞く者は今はいない。
 セフィロスは祭壇に足を掛け、段差を上がると、黒い穴の中に身を躍らせた。

 通路をほんの一、二歩進んだ場所で、ふっと足元の床が消えた気がした。
 妙に落下感の薄い暗闇の中で、体勢を整え、地面に降り立つ構えを取る。ただの地面ならば衝撃も相当なものになるだろうが、着地の瞬間、何かに包まれるような感触でセフィロスを受け止めた。
 空間の底は暗く、灯りは一切ない場所で、さすがのセフィロスでもおぼろな輪郭程度しか掴めなかった。
 しかも着地した場所は意外に狭い。
 四方を壁に囲まれているかと思えば、一辺の中央から細い通路が伸びている。セフィロスがやっと通れるくらいの、狭く、低い通路だった。
 何とか首をかしげずに進めるが、左右は差し迫った壁で、腕を広げることもできない幅だ。
 地下へ向うでもなく、まっすぐに平らな通路を進む。
 突然正面から吹いてくる風に、大勢の人間の気配と強烈な悪意が混じっていた。そして若干の魔晄の匂いも嗅ぎ取った。
 魔晄の発生源があるのか、もしくは魔晄をエネルギーとして作動するものが、遺跡の中に存在する可能性もある。
 どれほど進んだのか、空気が変わった。大量に吹き付ける風が、セフィロスを侵入者と認めたように意図をもって四肢にまとわりついた。
 通路は途切れ、突然大規模な広間が目の前に広がった。
 広間というより広場に近い。数十名が参加する球技でもできそうな広さと高さである。長い左右の壁は天井近くまで階段状になって、まるで闘技場の客席だった。
 最奥の壁は、やはり飾りが一切なく、中央あたりに燭台がついているだけだ。
 だが燭台の前にはぼんやりと人の輪郭を持った、黄色い光のようなものが見えた。

 『この地に踏み込む如何なる者も、我らに仇(あだ)成し者とする』

 「誰だ」
 光の方から声がする。
 理解はできるが単なる音声とは異なるようで、頭の中に直接響いてくるようだった。
 男とも女ともつかない、だが聞き覚えがあるような気もする。
「オレの連れの魂魄を持ち去ったのは、お前か」
 誰何にも問い掛けにも答えるつもりはないらしい。
 光は身を震わせるように揺らぎ、その度に大勢の人間がうごめく気配がした。
 これはライフストリームの中で感じたざわめきと同じだ。

 『先に進みたければ、己が生命を差し出すか、与えられし試練に耐えよ』
 
 神の啓示にも思えるような厳かな言葉でありながら、セフィロスは冷えて静まっていく心の中で嘲笑を浮かべた。
「従う理由がないな」
『お前が選択できるのは二つだけだ』
 その言葉と同時に、燭台の前の光は消え、背後に強烈な殺気を感じた。
 振り返った壁がぞろりと動いた。
 通ってきたはずの通路は何時の間にか消え、ただの広い壁になっている、その壁がぎしぎしと音を立て、細かな破片や砂埃を落としながら動いている。
 ブロックが大きくずれ、地面へ落下すると思ったが、それは浮いたままだ。
 いや、浮いているのではなく、そのブロックそのものが何かの形状を成している。
 燭台の前まで飛び退いて移動したセフィロスは、『それ』と対峙して漸く全容を掴むことができた。
 それはウェポンのような岩石の巨人だった。
 壁そのものが人型のゴーレムに変化していた。
 身の丈は二十メートル近くあるだろうか。頭部と思われる部位だけでセフィロスの背より大きい。
 大小の岩石が無作為に繋がって形成されている。四角い荒削りな顔の形は子供の組んだ積み木よりも安易なものだが、おちくぼんだ目の奥はにごった黄色に光り、きちんと指の分かれた掌や踏み出してくる足は、人間のそれに似て、よく出来ていた。
『力を示せ』
 脳裏に閃いた声が戦いを促す。
 岩をはりつけたようなゴーレムの口が、広間全体を震わせる咆哮を上げた。
 天井や壁から落ちてくる破片が、巨人の圧倒的な力を示す。それを誇示すべく地面に巨大な拳が打ち付けられると、ブロックが大きくたわんで割れ飛んだ。
 床にめりこむゴーレムの拳に、何かが握られていた。
 巨体と存在そのものには不似合いだが、幼い少女が片時も肌身離さず持っている、人形のように見えた。
 人形はセフィロスの眼の前にゴミのように投げつけられた。
 セフィロスという新たな玩具を目の前にして、興味を失ったようだ。
 数歩前の地面に、どさりと鈍く重い音を立てて落ちてきたものは、強烈な腐臭を発する人間だった。崩れた部位は殆ど見分けが着かず、衣服も変色して、部分的に白骨化も始まっている。
 コスモキャニオンの研究員の一人か。
 調査するうちにここに迷い込み、なすすべもなく巨人に倒されたのだ。ナナキは最悪彼らの遺品だけでも持ち帰って欲しいと言っていたが、この亡骸ではそれも難しそうに思えた。
「力を示せ、か」
 どう見ても、普通の人間であればなすすべもない。天井にも届く巨体とは圧倒的に力の規模が違う。その手や足で簡単に押しつぶされてしまうだろう。
 ゴーレム自身もこれまで動くものを捕らえる本能に従って、容易く、小さき者らを摘み上げ、弄って来た。だがセフィロスを前に、彼も賢くはない頭の中で葛藤と戦っていたはずだった。
 かつてこれほど、自分へ殺気と敵意をぶつけてくる小さいものがいただろうか。明らかに威勢のいい、この間の金色の細いのとも違うようだと、首をかしげた。
 正面から対峙したセフィロスは、思案するゴーレムの気持ちなど問題ではない。
 あの青年と己に仇成すものは、無意識にでも斬って捨てることが出来る。
 セフィロスは自分を掴み捕ろうと伸ばしてくる、巨大なゴーレムの掌に目を据えたまま、唇の端を吊り上げた。
 久々に存分に振るう、馴染みの刀は掌に吸い付いている。
 返した刃を構えて走りこみ、巨体を支える足首あたりを切りつけた。
 だが巨大な岩石のブロックは、なんの岩石や鉱石なのか思いのほか固く、鉄でも岩でも斬る愛刀の刃を、火花を伴って弾いて拒んだ。
「ほう」
 思わず感心の声を上げて、刃がこぼれていないことを確認する。
 数歩飛びのいて距離を測り、身を低くして、その姿勢のままゴーレムの足元を走り抜けた。
 居合いの要領で、斬ろうとして斬れなかったものはなかった。
 ずずっと岩のずれる音がして、足首にあたるブロックの積み重なった場所が斜めにずれていった。
 どうと地面も振動した。
 巨体を支える二本の足のうち、右足が横一閃で切断され、足首が地面にずり落ちる。
 血が出るでも痛みを感じるでもないだろうが、ゴーレムは咆哮を上げて、斬られた足元を見下ろした。
 左右の足の長さが段違いになり、元々重い身体が支えられなくなる。右の方へかしいだ身体は、仰向けに倒れて左右の段状の壁に激突し、砂煙を上げながらすべり落ちていった。
 ゴーレムの倒れる方向とは逆に飛び退き、立ち上がろうとあがく巨体を観察する。太い岩の指が段を掴むが、すぐに砕けてしまい、腕で身体を支えて起こすことはできないらしい。
 一方で人間とは異なるこれは、粉々に砕くまで、部位ごとに本能を持って動くような気がした。
 元はゴーレムの身体だった破片の上を飛び、巨体の胸の上に降り立つ。
 気合いと共に、降り立った足の間の動く岩に、刀を突き立てた。
 岩石と岩石の隙間を狙えば、先程刃をはじき返したのが嘘のように、長い刃の半ばまで沈んでいった。
「出でよ」
 左手で刀の柄を支え、右手は天井に向けて上げる。
 声に出した言葉と同時に、脳裏で詠唱を始めた。
「数たる真の龍を統べる王」
 ゴーレムは一層立ち上がろうとするが、両腕が地面や壁を破壊するだけで、胸の上に乗るセフィロスを、自分の胸ごと叩きつぶす訳にもいかない。
 そして詠唱しながらセフィロスの右手から発される力に、ゴーレムはおののき、竦み上がっていた。
 鈍く光る黄色い目には、吹くはずのない風になびいて広がる銀色の髪が、どのように写っていたのだろうか。その背後に現れた龍の王の幻影が、巨大な口から圧倒的な風と熱の塊を吐き出した姿が、巨人の目にも見えていたのだろうか。
 セフィロスの刀を通して伝わった龍王の力が、岩石のブロックを内側から破壊していった。
 まるで柔らかな風船が破裂するように、一瞬膨張し、一瞬で外側へ粉々に砕け散った。
 幻影が消え、セフィロスの髪を持ち上げる風が止むと、奇妙に静まりかえった広間の中は、もうもうと立つ砂煙に曇り、カラカラとむなしい音を立てて瓦礫が崩れる音が響くだけになる。
 元の形状が分からないほど砕けた瓦礫の上に、セフィロスは刀を下げて立っていた。
 煙の舞う広間の一方が、突然ぼんやりと光を放った。
 奥の壁に据えられた、石の燭台に炎が灯っている。
 ぎしぎしと、ブロックの軋む音が暫く続き、左右の燭台の間に、再び通路が現れた。
「茶番につきあえということか」
 瓦礫を降り、通路へまっすぐ進むセフィロスは、先程までずっと感じていた、監視の視線がなくなっていることに気付いた。
 それの正体がなんなのか、セフィロスにもまだ分からない。
 だが確かにセフィロスを見つめ、試し、何かをさせようとしていることは明白だった。
 それがどのような結果を招こうとも、セフィロスにとっては、連れの青年の意識を取り戻すことが、今の望みの全てなのである。




 同じような通路ばかりを歩かされていると思った。
 だがどう考えても、島の外観から察する規模と異なる遺跡だ。まだ水没している部分が相当大きいことも考えられるが、最初から地下にあることを前提に作られた建造物なのかもしれない。
 周囲を海に囲まれた場所で、地下に建造物を作ることほど難しい話は聞かないことを考えると、何か理由があるのだろうか。
 例えば他人の目に触れたくない、もしくは晒すことが危険な可能性だ。
 通路を進んで程なくすると、再び広い空間に出た。
 二つ目の部屋は先程よりはずっと狭く、最初の祭壇のある部屋のように、同じ形の柱が均等に並んでいた。天井も低い。
 床のブロックは一つ置きに切られ、青く光る美しい水が湛えられている。
 ただの水ではない。明らかに水中から発光し、天井や壁、柱にも水の紋が美しく揺れ動いて見えた。
 部屋の中央まで進み出たセフィロスは、また奥の壁に燭台が対称に据えられていることに気付いた。
『己が理を示せ』
 先程と同じ声が響いた。
 清廉な水の青に染まる部屋の中に、異様なほど温く、気配を感じさせる空気が一瞬で広がっていった。先の薄暗い闘技場のような場所と異なり、全てが明瞭に見える狭い部屋だけに、セフィロスをしても息苦しさを感じた。
 退くことなく立っていながら眉を顰めたセフィロスの足元に、冷たいものが触れた。
 青い水の小さな池から、水が溢れ出している。
 みるみるうちに水かさを増し、あっという間にセフィロスの膝辺りまで水位が上がった。
 このまま水死でもさせようという悪趣味な趣向かと疑うが、切られたブロックの下方で、何かが蠢いているのが見え、セフィロスはそこに注視した。
 時折穴から顔を出し、こちらを覗っている。
 一瞬人間かと思われたそれらの下半身は、魚のような虹色に輝くうろこに覆われ、大きな尾鰭で青い水をかき、人外のスピードで水の中を走る。セフィロスに興味を示して、だんだんとその距離を縮めていく水妖たちは、みな人間以上に美しい容姿と髪を持ち、たわわな乳房を持った人魚だった。
「なんの冗談だ、これは」
 唇を歪めて笑ったセフィロスを見て、人魚たちが笑いさざめくような、人語でない言葉で言葉を交わす。水位が更に上がって、セフィロスの胸ほどまで水が満ちると、彼女らは恐れることなくセフィロスに近づいてきた。
 うろこを煌めかせながら、細い白魚のような手を伸ばし、水に揺れるセフィロスのコートの裾を掴んだ。疎ましげに睨み付けると、恐れをなしたように細い顎を引いてコートを離す。指先には人間と同じように爪があった。
 違う人魚が更に近寄り、今度はセフィロスの髪に触れようとしている。
 あどけない少女のような顔と、控えめな態度に警戒を少しだけ緩めると、変化した気配を察知して、すぐに距離を縮めて来た。
 髪に触れた手が、愛しそうにそこを撫でる。何をしたいのかをセフィロスに伝えるように、仲間同士の髪を編み合って見せる。
 どの人魚たちも色が白く、やわらかそうな金や茶の髪で、細い腰の下が魚である意外は、ただの娘のようでもある。青い水の中でも赤い血の存在を感じさせる唇と、少し外向きについた乳首の色が艶かしかった。
「まさかこれの誘惑に耐えろとでもいうつもりか?」
 自嘲と共に呟く頃には、もう水はセフィロスの背よりも高い位置に上がっていた。静かに立ち泳ぎを試みるも、妙に浮力の弱い水は異様な感触で、周囲にまとわりつく人魚の手が更に邪魔をする。水底へ行こうと誘うように、袖や髪を引く。
 セフィロスは水の中へと潜ってみた。
 普通の水よりも浮力がない。だが身体を押し包む水圧も弱く、どういう訳か常より長く呼吸が続いた。
 これはただの水ではないのかもしれない。
 人魚たちが嬉々として水底へ導くので、それに従って床の歯抜けになったブロックの隙間から、更に下へと続く底を目指して泳ぐ。
 水中は澄んで透明度が高い。
 見下ろした白い砂の底の中央に、淡い色の巨大な貝殻を寄せ集めた巣のようなものが鎮座していた。まさに人魚の家だ。
 底まで到着するなり、そこに入るようにと白く細い指が指し示す。
 ドーム状の家は人魚が二、三人も入れば一杯になってしまいそうな小さなもので、側面に人が通れるくらいの穴が開いている。
 セフィロスは片手を刀にかけたまま、その穴から内部を覗いてみた。
 外壁と同じ明るい色の室内は、イソギンチャクのようなもので表面が覆われていた。
 その柔らかそうな場所に横たわる、もう一人の人魚が顔を上げた。
「馬鹿な」
 空気中と同じように、セフィロスの声は唇から吐き出された。
 セフィロスを中へと押し込めるように、促す人魚たちが歌い出す。人外の声は硬質な高い響きの、イルカの鳴き声のようでもある。
 セフィロスの腕を引いて、狭い室内へと導くその人魚は、薄い唇に笑みを刻み、鮮やかな青い瞳に熱を込めてセフィロスを見つめた。
 揺らめく金色の髪が豪奢な輝きを放った。
 目の前の人魚は、他の人魚と同じように娘の上肢を持っていた。若干若く、ひかえめな乳房も、細い腰も優美だ。
 確かに下肢をうろこに覆われた水妖でありながら、官能を刺激されるような姿に思えたのは、その顔だった。
「クラウド」
 思わぬ力強さでセフィロスを引き寄せ、唇を重ねてくる。
 口付けの仕方ですらクラウドと変わりない。舌を絡められ、上唇を軽く噛むように愛撫され、水にゆれる髪を優しく撫でられた。
 服の隙間に手を差し入れて、セフィロスに触れる様子を見て、他の人魚たちは頬を赤らめ、笑いさざめき、歌う。
 高い歌声が奇妙な和音になり、セフィロスの耳の奥で反響する。
 クラウドの顔をした人魚は、妖艶な笑みを浮かべたまま、セフィロスの下肢を覆う服を解き、そこに顔を埋めようと身をかがめた。
 青年と同じ形の唇が、隙間から引き出した陰茎を覆う。上目遣いに見上げてくる整った顔が、満足そうに微笑み、その姿を周囲の人魚がはやしたてる。
 セフィロスは人魚の額に指を這わせ、その前髪をかきあげた。
 金髪の生え際の形さえクラウドそのものだった。
 そして髪を梳くようにして掴み、一層陰茎を含もうとする唇を下肢から引き剥がした。
「セイレーンか」
 一瞬のうちにセフィロスが発した怒気に、周囲の人魚が悲鳴を上げて散った。
 クラウドの顔の人魚は怯えた表情になり、きつく掴まれた髪を解放させようと、奇妙な鳴き声を上げる。白く滑らかな肌の表面が一瞬うろこ状に盛り上がる。
 髪を掴まれて動けず、それでも身を離そうと尾鰭をばたつかせる人魚を助けようと、他の人魚がセフィロスの腕に手を伸ばした。
 触れる寸前に、悲鳴を上げながら弾き飛んだ。
 身体を丸めたまま動かなくなった人魚は、うろこから髪に至るまでところどころが焼けたように色を変えている。焦げた匂いが水に漂った。
 セフィロスが放ったのは雷の魔法だった。
「下等な妖怪が、クラウドの顔を真似るな」
 暴れるクラウドの顔の人魚の髪は解放せず、片手で服を直し、周囲へ目をやると他の人魚たちはもう近寄ろうとしない。
 セイレーンは伝説やおとぎばなしにはよく登場し、船乗りたちには馴染み深い海の怪物である。
 時には荒れた海をその歌声で沈め、海の生き物たちを荒らす他の怪物を退治したりもするという。
 だが人間に対しては、その心の奥の願望を読み取り、近しい者に顔を似せ、妖しく官能を刺激する歌声で魅了する。肉体を虜にし、男達の精気を吸い取り、船を沈める。
 セフィロスの願望も彼女たちに見破られたのだろうか。
 単なる伝説と多くの研究者はいうが、セイレーンの歌声から逃れ、命からがら生き延びた船乗りは実際少なくないはずだ。
「醜い姿に焼いてやろうか。クラウドを真似たことを一生後悔させてやる」
 荒々しく髪を引き、顔を上げさせる。
 力なく喘いでいたクラウドと同じ唇は、赤みを失って大きくめくれ上がり、尖った牙がのぞいている。セフィロスの嘲る笑いに反応したのか、威嚇するようにその牙を剥き出した。
 その顔のどこにも、もうクラウドの面影は残っていない。
 鮮やかだった金髪はみるみるうちにくすみ、緑がかった灰色に、肩までだった長さは急激に変化して、足元にたなびくほど伸びた。白く若々しい上肢は、肩や乳房から腹まで全て固い鱗に覆われて、先程の柔らかそうな様子など欠片も残っていない。
 調和していたはずの歌声は、金切り声の悲鳴だ。仲間を焼き殺したことを責め立てるように、キーキーとヒステリックな響きを帯びていた。
「騒々しい」
 空いた手を挙げ、密集する人魚たちに電撃を放つ。
 悲鳴を上げる間もなく、まとめて焼かれた集団は、死んだ魚と同じように腹を上に向けて脱力して浮き上がる。
 捕らえたままの人魚が一層高い罵声を上げ、セフィロスの手を離させようと手首を掴む指から、急激に伸びた爪を食い込ませて来た。
「それ以上醜い姿が嫌ならば、やつらと同じように死ぬか。貴様が選べ」
 暴れる人魚と対照的に、セフィロスは淡々と選択肢を示した。
 今や完全に醜い半魚人の正体を現した水妖は、一瞬怯えたように顔を歪ませた。
 これ以上騒々しいのも面倒になり、返事を待たずに焼き殺してやろうかと思った瞬間、突然静かだった水が揺れた。
 地鳴りのような音と共に、足元のブロックに亀裂が走り、そこから水が排出されていた。急激に水を吸い込み始めた亀裂は広がって穴になり、貝の家を押し流して、崩壊させていった。
 このままここにいれば、燭台のあった場所に戻れなくなる。
 咄嗟に判断したセフィロスは、捕らえていた水妖の髪を離し、上へ向かって泳ぎ始めた。全力で上の部屋の床まで辿り着き、身体を引き上げた頃には、水位は最初よりも更に下回っていた。
 濡れた髪をかき上げ、顔を上げると部屋の奥の燭台には炎が灯っている。
 先程と同じように、仕掛けが動く振動が大きくなった。
「何をさせたいのやら、そろそろ飽きたぞ。オレは」
 水を滴らせたまま奥へと進み、動き始めたブロックが通路を作るのを苛立たしく待つ。
 同じように暗い通路に踏み出す時、あの声が聞こえて来た。

 『最後の試練は、己が自身の最も醜い欲望を見せてやろう』




 そこは今セフィロスの視力を持ってしても、輪郭すら判別できない完全な暗闇だった。
 静かに呼吸を継ぎ、気配を殺して立つセフィロスを、誰か大勢の視線がじっと見つめている気がする。
 だが部屋の広さすら分からない。
 地下独特の冷えた空気と、水っぽい匂いがわずかにするだけだった。
 ここはこれまでの部屋と異なり、現実の空間ではないかもしれない。空間の切り替わる感覚は感じなかったが、ここはどうにもおかしい。
 ブーツの足の裏に感じる床が全てだ。例え立っている足元以外、周囲は切り立った崖だと言われても分からない。
 ふと、目の前に何かが動く気配を感じて、セフィロスは開いている右手の指をふっと挙げてみた。
 どこからともなくぼんやりと灯りが照らし出した。
 光の源は、正面の祭壇の左右についた燭台であると気付いた。最初に訪れたあの祭壇だ。
 一番下の段にはクラウドが横たわり、あの時現れた中央の通路と、地上へ戻る通路は消えている。
「どういうことだ」
 最初の場所に戻ってきたというのか。
 だがあの声は、最後の試練はこれからだと告げたはずだった。
 静かに足を進め、寝かせた状態のまま横たわるクラウドを見下ろした。
「クラウド」
 答えが返ってくる期待を込めて呼びかける。
 仮死状態だというのに、血の気も失わずにいるクラウドは、そのまま口付けたくなるような温かみを視覚を通して感じさせた。
 応答のない顔を見下ろして、セフィロスは自嘲の笑みを浮かべた。
 その時、微動だにしなかった両の瞼がはたと開き、鮮やかな青い目がセフィロスを見上げた。
 驚きに満ちたクラウドの顔以上に、もしかするとセフィロスの方が驚いていたのかもしれない。自分ではどんな表情か分からない顔を見上げて、クラウドが笑む。
 はにかむような、照れたような笑顔は、セイレーンではないと確信する。
「クラウド」
 横たわったままのクラウドを見下ろし、セフィロスは自分自身意外なほど平静に呼んだ。
 クラウドは石棺の蓋に片側の頬を当てたまま、暫く考えて言葉を選んでいるようだった。
「伝言、聞いたんだ?」
 今度こそ苦笑して、クラウドを起こそうと手を伸ばした時だった。
 さっとクラウドの顔から血の気が引き、受けようとした手を引っ込める。
 薄く開いた唇が震えを帯び、見開いた目がセフィロスを見つめた。
「サーセフィロス」
 懐かしいと思える呼び名に驚く間もなく、強烈な風が背後から吹き付け、セフィロスは一瞬目を閉じた。
 そして閉じた目を開けた次の瞬間、そこは気が遠くなるほど懐かしい、ウータイ駐留地の建物の中だった。


 白漆喰の壁、朱の柱、黒檀の家具に絹の絨毯。
 およそ執務室には向かない、元はウータイ市庁舎の応接室だった部屋だ。
 セフィロスの目の前に立つクラウドは扉に縫い付けられたように竦んでいる。今より少し背が小さく、神羅兵の軍服を着ていた。
 この時、セフィロスは初めてクラウドを犯した。
 まだ恋も欲望も未熟なままのクラウドを、力でねじ伏せ、立場上逆らえないことを知っていながら、ほだして奪い取った。
 手を出しさえしなければ、呪われた運命に引きずり込むことはなかった。
 セフィロスが人知れず母の怨念に利用されても、クラウドは命運が尽きて死が訪れるまで、まっとうな娘と結ばれ、幸せに暮らすことが出来たに違いない。
 この時クラウドを奪ったのは、初めて孤独な自分に抱いた感情を慰めるためだったのか。それとも単に、まだ無垢な少年を汚してみたいという征服欲だったのか。
 快感を容易く与えて酩酊させ、まだ誰も触れたことのないだろう場所へ欲望を押し込む。
 熱く狭い場所はきつく、決して快い感触だけではなかったが、幼いクラウドは痛みに悲鳴を上げ、その声に満足している己の自覚する。

 「手元に置くのに相応しいくらいには、汚しておかねばならなかった」
 本音がセフィロスの唇から音声になって吐き出されていた。

 組み敷いていた小さな身体が消え、セフィロスが手をついている場所は冷たい岩の上になっていた。
 岩の表面は青緑色の魔晄に覆われて、微かに発光している。周囲には砕けた魔晄の結晶が散らばり、欠片にまみれたクラウドが横たわっていた。
 そのクラウドが捧げた黒マテリアの力によって、セフィロスは肉体を取り戻した。
 感覚が還りつつある腕で、以前よりも少し成長した青年の身体を抱き上げる。
 五年ほどの間、ずっと冷たく凍りついたこの地で、クラウドが辿り着く日を待ち続けた。
 どんな状況になっても、クラウドが己の元へと帰ってくるように、あらゆる情と、憎しみや執念など負の感情を植え付けておいたのだ。
 目の前で彼の大事な少女を殺めて見せた。彼自身を保つ為に忘れ去っていた記憶を呼び起こし、彼の母や故郷を奪ったのが誰だったか思い出させる。
 新たな仲間たちを利用し、クラウドを陥れもした。
 そうして全て奪い取った。
 だが今、己の元に戻ったはずのクラウドは、薄く開いた力ない目は果てを見つめ、意識は完全に肉体から失われ、ライフストリームを彷徨っている。
 もうクラウドには肉親も帰る場所すらないというのに、それでも彼は完全にセフィロスのものになることは拒み、逃げ出したのだ。
「お前は誰のものにもならないということか」
 二度目の拒絶を見せ付けられ、皮肉な笑みを唇に浮かべながらも、湧き上がる怒りと絶望は、初めて真実を知った時よりも膨大だった。
 魔晄炉での、最初の決別よりも衝撃だった。
 思い描いた楽園への同伴者を失い、全てがどうでもよく思えた瞬間だった。
「もっと打ちのめして、容易にかしずく人形に仕立てておくべきだったか」
 それこそがあの時抱いた後悔、セフィロスの願望なのだ。




 目を開くと、そこは元の暗闇だった。
 立っている床の感触はあっても、周囲は完全な闇で、十歩ほど先に横たわるクラウドの姿だけが何故か見えている。
 現実の空間ではないとすぐに分かる。だが幻影ともつかない。
 手の感覚を確かめようと、己の掌を握ろうとして、指先ひとつも動かないことに気付いた。
 瞬きも、唇も、完全に麻痺したまま、ただ立ち尽くしていた。
 正面に見えるクラウドを見据えていると、どこからともなく何者かの腕が伸び、抱き寄せている。
 セフィロスにはそれが黒い、ただひたすら黒い大柄な人影としか視認できなかった。黒い腕はクラウドの胸を押し、覆い被さっておもむろに青年の服を剥ぎ取り始めた。
 露にされる白い肌に黒い指が触れていくのを、セフィロスはただ見つめている。
 あの声の主が、一体セフィロスの何を試そうとしているのか分からない。
 先程からのクラウドに関する過去の記憶や、目の前の暴挙を見たセフィロスに何をさせたいのか。
 そうすることで、誰がどんな利益を得るというのか。
 それまで全く目を覚ます様子がなく、ぐったりと弛緩していたクラウドの肩が、離れても分かるほどびくりと大きく痙攣した。
 薄くまぶたが上がり、足の間に顔らしきものを埋める黒い影の頭へ、反射的に手をやる。それは愛撫を一層促す動きにも見えた。黒い腕がその手を掴み取り、クラウドの頭上に押さえ込んだ。
 もう一度クラウドの身体が跳ね、同時に小さく悲鳴のような声が上がった。
「だれ、だ」
 クラウドの戸惑いや驚きまでが顕著に現れた声は、セフィロスに耳にも届いた。
 起き上がろうとした身体を、頭上にまとめた腕で縫いとめられ、クラウドは僅かに自由な上肢を反らす。暗闇で蠢くその白い胸に、鑑賞しているセフィロスもまた、胸の奥を煽られる。
 身体を開かれ、侵入されようとすると、クラウドは混乱から立ち直り本気で抵抗しはじめた。
 獣のように唸りながら、激しく暴れるクラウドの足の間を割る黒い影は、力一杯蹴られてもびくともしない。足首を捕らえられ、高く掲げられた付け根に、黒い腰が押し付けられた。
 弓なりに反った滑らかな喉の奥から、息を大きく飲む音が響いた。
 奥歯を噛み締める、軋んだ音が聞こえた。悲鳴を押し殺した後の吐息が、噛み締めた歯の隙間から漏れる。
 黒い影が強引に突き上げる動きで、乱れた金髪が揺れている。
 クラウドの苦しげな姿を目の前にして、セフィロスは不思議と平静だった。
 いや、まるで自分自身がその影であるかのように刺激され、昂ぶりさえしている。動かない身体は何も反応は示さなかったが、掌や喉の奥が熱い。
―――どうしたいのか。
 完全に衣服を剥がれたクラウドの足の間に、黒い影がのしかかる姿を見て、セフィロス自身はどうしたいのか。
 自分の連れを陵辱されて、怒りは感じないのか。
 それとも、それをもっと傍観していたいのか。
 クラウドの青ざめた面は苦痛に歪み、噛み締めた唇が切れて血が滲んでいる。幼さの残る整った顔は、苦しさを訴えても艶かしさを醸していた。
 次第に水っぽい音が大きくなり、交わる動きが滑らかになる。
 無理矢理侵入され出血したからだろうに、その瞬間からクラウドの様子が変化した。
 肌に血の気が戻ってくる。頬や黒い腕に抱えられた腿は、朱を刷いたように赤みがさし、噛み締めていた唇は薄く開いて、呼吸が速くなる。呼吸の合間には喘ぎが混じる。
「い、やだ」
 それまでの罵声とは異なる響きの声だった。
 幾度もその瞬間をセフィロスも耳にしてきた。快楽を享受することに常に後ろめたさを感じながら、それに負けそうになる時のクラウドの声だった。
 相手が誰とも判別できなくとも、彼もそうやって快楽を得ることは出来るのだ。
 呪われた肉体でも、多少丈夫な以外感覚は人間と変わらず、身体は機械的に反応する。それはセフィロスだろうと同じことである。
 それでも、その瞬間にセフィロスの胸に湧き上がったのは、発見に対する喜びと、これまでそれに気付かなかった自分に対する怒りだった。
 弱々しいかに見えて、誰よりも打たれ強い精神のクラウドを堕落させるには、肉体を征すればよかったのだと気付いたからだ。
 徹底的に快楽を教え、簡単により強い快楽を得る手順を覚えさせればいい。
「堕ちろ」
 セフィロスの呟きは唇からではなく、身体から部屋全体を震わせるように響いた。
 誰ともつかぬ影に犯され、揺さぶられるクラウドが顔を上げる。声の主を探しているのか、戸惑う顔を見せるが、激しさを増した影の動きに喉を反らした。
 突然クラウドが背を預ける床が脈動する。
 音もなく盛り上がるように、黒い床の数箇所が変形し、人のような形を成していった。複数の黒い人影は床を這うように生贄に近づいた。
 伸ばされた幾つもの腕の感触に、悲鳴を上げかけたクラウドの声がくぐもった。
 うつぶせにされた背後から再び侵入され、もう一方では顎を掴まれて口淫を強制される。同時に胸や僅かに立ち上がった陰茎を弄られて、上がった叫びは悲痛だった。
 どの手がどの部位を蹂躙しているかも分からないほど、闇そのものであるような黒い手が、クラウドの身体を覆っている。
 それらの下で必死に身体を暴れさせ、顔を背け、罵声を浴びせるクラウドを、いつしかセフィロスは間近で見下ろしていた。
「堕ちて、お前を開け渡せ」
 セフィロスの声にはっと目を開いたクラウドは、唇を割って差し込まれた黒い茎に思い切り噛み付いて顔を背け、忌々しげに唾液も床に吐き捨てた。
「誰だが知らないが、何したって無駄だ」
 存外に明瞭な声でクラウドは答え、背後から揺さぶる黒い影を顔をしかめて睨み付け、口汚い罵声を浴びせた。
「痛いっ、て……畜生。ヘタクソめ!」
 声をかけた己を、セフィロスと理解出来ていないらしいクラウドの様子に、伸ばしかけた手が止まった。見上げてきた瞳に、セフィロスの姿は映っていない。セフィロス自身もまた、クラウドにはただの黒い影としか認識されていないようだ。
 脂汗を浮かべた額が目の前で動いている。
 触れられそうな位置に。
 今、罵声を吐いた唇は戦慄き、与えられる苦痛の中に快楽を見出していることは明白だ。
「快楽に屈するのを、恐れるのか」
 未だ黒い手に抵抗を試みながら、クラウドは恐らく見えていないセフィロスの方へ顔を上げ、答えた。
「オレの身体は、半分、オレのモノじゃ、ない」
 汗に滑る身体を震わせ、操られる呼吸に言葉を途切れさせながらも、クラウドの唇は不敵な笑みさえ浮かべている。
 まるで己が発した言葉に励まされるように、クラウドの瞳には気高い光が宿る。
「そいつのために、誰であろうと、どんな理由があろうと、絶対膝はつかない」


 眩暈がする喜びと、他人へ対する感情で胸の奥が震えたことなど、長い人生の中でそう多い経験ではない。
 己の使命がなんであったかを再確認し、セフィロスは辺りを見据える。
 まだクラウドを揺さぶり続ける黒い手が、次第に形を失い崩れ始めていた。空間そのものにも綻びがあるのか、完全な闇の空間がいびつに歪んだような錯覚もある。
 そもそも、セフィロスが『願え』ば、その黒い影は消えたのだ。
 ここはあくまでセフィロス自身の願望の世界なのだ。
 黒い手から逃れたクラウドは、裸の肩を上下させながら荒い息をつく。ふと、その肩に手を置き、顎に手をやって顔を上げさせる。潤んで澄みきった青い目がセフィロスをきつい光で睨みつけた。
「そこか」
 美しい南の海の色をした二つの眼の中心。
 眉間の中央に、まるでヒンドゥの神のような小さな光が見えた。
 驚きを隠せない顔で硬直しているクラウドの、その額に指を伸ばす。
 『敵』はそこからこちら側を見ている。
 伸ばした指先から、その小さな空間の歪みの向こうの世界で、セフィロスを翻弄しようとした何かを探しあて、攻撃した。
 みしりと家鳴りに似た音が響き、目の前の青年の形をしたもの、そしてセフィロスを覆う闇の空間が溶解するように崩れ始めた。




 同じ遺跡の中には違いないが、そこは初めてみる場所だった。
 恐らくここが最終地点、この遺跡の真意がわかる時のはずだ。
 真四角の部屋は天井が高く、壁には何度も見た石の燭台が幾つか設置され、思いのほか優しい炎でまんべんなく部屋を照らしている。
 祭壇のようなものがない代わりに、部屋の中央の床には、魔法陣のようなレリーフが施され、外周の円は石の床よりも僅かに高くなっている。
 高い天井の一部が円く切られ、その魔法陣の中央に同じ形の月光が差し込んでいた。
 青い光が降り注ぐそこに、クラウドは安らかな顔で静かに横たわっている。
 そして、クラウドの周囲には四つの人影が蹲っていた。
 薄汚いローブを身にまとい、息苦しそうな呼吸が聞こえるが、その身体はわずかに透けて、向こう側の景色が見えた。
 実体のない、亡霊の類である。
「クラウドは返してもらうぞ」
 亡霊には頓着せず、まっすぐにクラウドへ歩み寄ったセフィロスは、脇と膝の裏に腕を差し入れ、抱き上げたクラウドに顔を近寄せた。
 暖かな体温だけでなく、軽く揺すると、眠りを妨げられた時の不満げな唸り声が上がった。普段の朝のような反応に、思わず笑みを浮かべて青年を見下ろし、その額に触れるだけの口付けを落とす。
 今度こそ間違いなく、実体のある本物のクラウドだった。
『忌まわしき、かな、忌まわしきかな……』
 再会を喜ぶ間も与えず、無遠慮な声が脳裏に響いた。
 しゃがれて年老いた声だが、それには聞き覚えがある。この遺跡に踏み込んだあの時、セフィロスへ試練を受けさせた声の『一つ』だった。
 ローブ姿の亡霊が、ゆるりと顔をセフィロスへ向けた。
 顔は判別できず、ただの暗闇のように見える。
 虚空に繋がる闇だ。
『この星には不要の異物め。一刻も早く、この星から去れ』
『去れ』
『去るがいい』
 語尾を受け取り唱和する声は、四方の亡霊たちから聞こえた。
 いや、実際には脳裏に直接響く声で、彼らは音を作る声帯を持っていない。
 顔だけでなく、存在そのものが虚ろな状態だった。元が人間だったかどうかも判別できないほど弱まった意識でありながら、その言葉の意味も、セフィロスにとっては明白だった。
「お前たちは古代種か」
 セフィロスは驚きを隠さず、声に出していた。
 この四人の亡霊は、今こそ形を保つことも出来なくなるほど力を失ってはいるが、セフィロスをここへ導いたのは彼らしかいない。
 だがその悪意に満ちた気配と、厄災たる自分を排除しようとする強烈な執念は、星の声を聞き、静かに生きる古代種の印象からは大きくかけ離れていた。
 主人に捨てられた動物霊や、生きていた時分から多くの罪を犯してきた犯罪者だという方が相応しいような、禍禍しい気配なのである。
『我らに肉体を明け渡したかと思いきや、やってくれるぞ。小僧』
 一人の亡霊がローブの腕を挙げ、セフィロスの腕で眠るクラウドを枯れた枝のように細く老いた指で差した。
 セフィロスは目をつぶったままのクラウドを見下ろし、暫く様子を探る。彼の身体の中には、目の前で立つ力すら失った亡霊たちの気配が、ほんの僅かに残っていた。
 つまりあの石棺で見つけたクラウドは、既にこの亡霊たちに乗り移られていたということだ。この亡霊たちに意識を封じられていたのなら、死体のような様子も理解できる。
『厄災を身体に宿す者とて、元は人間。安心していたが、とんだ曲者よ』
『己の身に我らを封じ込めようとしおった』
 嘆くように身体を震わせながら、亡霊たちはその場にしゃがみこみ、口々にクラウドをなじった。
「お前たちを解放したのは、クラウドなのか」
『そうだ』
『そうだとも。最後まで試練を越えて、封印へ辿り付いたのは』
『こやつだけだった』
 当のクラウドは眠ったまま目を覚ます様子はない。
 無事だったとしても、身体の中に彼ら四人を抱えていたのでは、心身共に疲れ果てているのかもしれなかった。
「クラウドは封印だかを解いて、危険だと気付いて自分に乗り移ったお前たちを、己の身に封じたのというわけか」
 周囲を見回したセフィロスは、四角い部屋の一辺に、両開きの扉のようなものを見つけた。
 一見、ただの岩石でできたブロックを切り抜いた飾りのない扉は、よく見なければただの壁にも見える。
 扉と判断できるのは左右の扉に対称についた、手を掛けるための小さなへこみだけで、中央には強力な封印が施されていた痕跡がある。鎖と、紙や革でできた幾重もの封印は破られ、扉は手前に引かれたまま、少しだけ開け放してある。
 ここへ辿り着いたクラウドは、その封印を破った。
 そして亡霊たちの悪意を知って、今度はクラウド自身の体内に閉じ込めた。
 もしセフィロスが来なかったら、クラウドはあのまま石棺の中で、四人の亡霊を押さえ込んだまま眠っているつもりだったのだろう。
『そもそもここは、厄災に犯された仲間から、異物を排除するための試練の場所だった』
 セフィロスは奥の扉から視線を戻し、亡霊たちを見やった。
 セフィロスの母であるジェノバがここへ飛来した頃、彼らが言うように、ジェノバは自分の細胞をあらゆる生物に寄生させ、広がっていった。
 ジェノバに寄生された古代種が、次第に星の声を聞かなくなり、旅を止め、地に根付いたのが人間たちの始祖だった。
『そう、「厄災」を分離させるための施設だった』
『だが仲間を疑わせ、正常な耳を塞ぎ、魔女狩りを生み出しかねないと閉鎖された』
『忌まわしきかな。我らの犠牲は無意味だった』
 嘆く声は悲しさよりも、ジェノバに対する憎しみ、セフィロスへの敵意が濃く滲み出ている。
 自らを犠牲と呼ぶからには、ジェノバの寄生を発見され、恐らく最初にこの施設で、寄生を引き剥がす実験台になった古代種なのだろう。
 一度根付いた細胞を引き剥がすことなど出来はしない。それは肉体全ての死を意味する。
 そうしてジェノバの呪縛から逃れた魂が、海底に沈んだままのこの遺跡に封じられていたということか。
「こんな祈りも届かぬ場所におらず、ライフストリームとやらに帰ればいい」
『この小僧と同じことをぬかす』
『お前たちに何が分かる。穢れた存在が』
『そうだ。我らの「娘」が愛したこの青年とて、不浄なもの。同性に与えられる肉欲に溺れ、お前のような厄災をかばう、愚かな存在だ』
 あざ笑うように四人の亡霊はローブの肩を震わせた。
 弱々しい声でありながら、ジェノバの呪縛から逃れた者という自負があるのだろうか。
 同時に、『肉体を失ったものは母なる流れに還る』―そんな根本的なこの星の流れも、声も、彼らは聞き取る耳を失っている。
 セフィロスは喉の奥で笑い、その声は低く部屋に響いた。
「お前たちが古代種とは片腹痛い。侵略者と呼ばれるのはやぶさかではないが、オレたちを排除することに執着する余り、怨念そのものと成り果てたお前らに、価値あるもの、美しきものなど判断できるものか」
『厄災が』
『穢れた存在が、美しきものなど分かるというのか』
 一斉に非難する声が降りかかるが、その声を払うようにセフィロスは続けた。
「クラウドが自分の中にお前たちを封じようとしたというが、なぜオレがこの場所に来たと同時に、お前たちを解放したと思う?」
 亡霊たちは現存しない口をつぐんで動揺を示した。
 四人の誰もがその問いには答えられなかった。
「オレがここに辿り着きさえすれば、オレがお前達を始末すると、クラウドは信じていたからだ」
 見下ろした顔は安らかに目を閉じているが、若干別れた日よりも頬がこけて見えた。
「オレとこれは、それだけ深く繋がっている」
 靴を鳴らして部屋の隅まで進み、壁際へクラウドをもたれさせてやる。
 天窓から差し込む、月の青みを帯びた光は明るく、安らかなクラウドの表情を照らし出していた。
「オレにとって価値あるものは、これが全てだ」
 己を産んだ母たるジェノバを、セフィロスが越えたあの日よりもずっと以前から、それだけが事実だ。 
 これまでも、いつだってそうだった。
 セフィロスは微かな音を立てて刀を抜き、中段に構えた。
 生物も亡霊も、悪も善もなく、ただ己が斬りたいと思ったものは切れる妖刀には、四人の亡霊が写った。
 悲鳴のような複数の声が部屋に反響する。
 知的な言葉を操りながら、数千年の年月をただ執着のみで存在しつづけた亡霊は、より動物の本能が強くなるものなのか。消えることへの恐怖は、彼らの種族の尊厳そのものを忘れさせている。
「お前たちにふさわしい場所へ還れ」
 ローブに覆われた胴を一刀で薙ぎ払った。
 殆ど手ごたえもなく分断された亡霊は、断末魔の悲鳴を高く室内へ響かせ、その場でもろい灰が崩れるように瓦解し、緑色の光の粒となって八方へ散った。
 返す刀で続けざま斬り払った亡霊たちは、同じように細かな光になる。
 まるで炎の上昇気流に舞うように、踊る粒子は丸い天窓へ向かって浮かび上がる。
 セフィロスは刀を背の剣帯へ収め、再びクラウドの方へと向き直り、ふとその場に立ち止まった。
 壁に背を預けて眠るクラウドの横に、白く発光したような人影が立っている。
 まだ亡霊が存在したのかと警戒したセフィロスを他所に、それはクラウドの近くにしゃがみこみ、安らかな眠りを得るクラウドの頬へ顔を近寄せた。
「お前は」
 幾度かその姿を、分身の眼を通して見たことがあった。
 幼いころに父と慕った人の実の娘でもあった。
『おお、我らが「娘」』
『迎えに来てくれたのか。我らは忘れ去られてはいなかったのか』
 舞い散った亡霊たちの光は、嬉々として彼女の元へ寄り集まり、小さな塊となってその胸元に収まった。まるで自分の子を抱くような仕草で、緑色の光の塊に頬を寄せた娘の幻影は、清らかなエメラルドの瞳でセフィロスを見る。
「―――お前は、これを守るために、いつも近くにいるのか」
 娘はただ微笑みを浮かべて、セフィロスとクラウドを交互に見つめていた。
 セフィロスは躊躇いなく歩み寄り、横たえたクラウドをもう一度抱き上げる。
 少し低い位置から見上げてくる娘は、言葉を発することが出来ないのだろうか。
 いまや先程のような悪意も執念も感じられない光の塊を、胸に抱きしめ、優しく意志の強そうな両目で見上げてくるだけだ。
「馬鹿な亡霊だった」
 セフィロスはその光の塊を顎で示しながら、告げた。
 娘は後頭部で結った茶色の髪を揺らし、問うように首をかしげる。
「オレを殺したければ、まずクラウドを殺せばよかった」
 亡霊たちはクラウドから放たれた瞬間、セフィロスには構わず、クラウドを殺せばよかった。
 茶番を演じる必要もなく、より簡単にセフィロスを倒す近道だ。
 その事実に、かつてセフィロスを倒そうとした誰もが気付いていない。
「これが死ねば、オレにも生きている理由がない」
 自嘲の笑いを浮かべ、腕の中のクラウドを見下ろす。
 娘は宥めるような手つきで、クラウドにふりかかるセフィロスの髪に触れた。そして目を閉じたクラウドの瞼に軽く触れるだけの接吻をして、現れた時と同じように音もなく、気配も感じさせないまま部屋の中央へと歩いていった。
 天窓から差し込む光に腕を伸ばした娘の幻影は、その胸に抱かれた光の塊と共に溶けるように消えていった。


 静かな遺物の中に、セフィロスはクラウドを抱いたまま暫く立っていた。
 もうそこには、何かに捕らわれた思いも、かつての祈りの痕跡も残っていない。数千年の間海水に晒され、もしくは水から逃れても動かない空気に風化し、全てが拭い去られた後に残った抜け殻のようなものだ。
 所々を苔に覆われた部屋の壁は、時の流れを感じさせる貝の化石が不着し、先程まで機能を果たしていた魔法陣も、時と海水の流れに削られてぼやけたレリーフでしかない。観光者が出入りしたとて、危険はない単なる遺跡だ。
「さて。どうやって赤いのに説明をするか」
 眠るクラウドへ意見を求めるように話し掛け、セフィロスは低く笑いを漏らしながら、出口を求めて歩き出した。




 「やっと目が覚めたか」
 ベッドの上で目を開き、こちらを見ている青年を見つけ、セフィロスは入ってきた扉を後ろ手に閉めながら声を掛けた。
 手のこんだパッチワークのベッドカバーや、木枠のベッドも寝心地のいいマットも、文明から離れていた二人には慣れないものである。それでも洗濯と手入れの行き届いた寝具は、見かけ以上に消耗してこれまでずっと眠り続けていたクラウドにとっては、目覚めた今も離れ難いものかもしれない。
「何日、経った?」
 クラウドが発した声は少し掠れていた。
「チョコボの上で起きた時からか?」
「ああ」
「じゃあ、三日だな」


 あの夜、遺跡の島を後にしたセフィロスは、チョコボにクラウドを抱えて騎乗し、一路コスモキャニオンへの帰途についた。途中チョコボを休ませたりした以外はずっと走り続け、往路と同じように二日ほどで目的地まで到達した。
 その途中、海上を走るチョコボの上で、クラウドは前触れもなく突然目を開いたのである。
 間近のセフィロスの顔をじっと見つめて開口一番、
「ホントに来たんだ」
 そう呟いた。
「どうして来ないと思うんだ」
 見下ろすセフィロスから目を彷徨わせたクラウドは、満月が長く写りこんだ水平線を見つめながら、続く言葉を探す。
「だってあんた、いつも肝心な時にいないだろ」
 自覚はなかったので、セフィロスは肩をすくめるだけに留め、視線を前に戻し、チョコボを北へと走らせることに集中した。
 手綱を握る腕の間に、クラウドを横抱きにして鞍に乗せていたが、決して小さくはない身体を支えながら行くのはなかなかバランスが難しい。彼が目覚めたのなら正面向きに乗り換えるかと提案しようとした。
 ところが腕の中の青年は既にもう一度目を閉じ、セフィロスの胸に頭を預けるようにして、さっさと白河夜船を決め込んでいたのである。


 あれからクラウドはずっと眠り続け、このコスモキャニオンに到着しても、今までまるで呪いにかかった眠り姫のごとく目覚めなかった。
 ナナキやグレースたちが必死にその原因を探ろうとしていたのだが、セフィロスは、
「眠っているだけだ。極端な疲労から回復すれば、放っておいても起きる」
 そう言って時折寝返りをうたせてやったり、布を使って少量ずつ水を飲ませてやったりと、甲斐甲斐しく世話だけをやいた。
 実際目覚めたクラウドの表情は意外なほど元気そうで、ただ長い間の絶食状態にあったからだろう、頬が削げ、顔色もあまり良くなかった。
 クラウドが目覚めたことを聞きつけて、長い階段を走ってきたナナキは友人の姿に目を潤ませ、まさにペットが主人を慕うかのごとく寝台へ飛び上がった。
 後ろにつき従ってきたグレースも、顔を覆って涙を流しながら、クラウドを調査に行かせたことを謝り続けている。
 恐らく、この村で待っているだけの二人は、セフィロス以上に気が気でなかったに違いない。
「クラウド、本当に悪かった」
 すっかりしょげかえった様子で耳を垂れて項垂れるナナキの毛並みを撫で、クラウドは額を合わせるようにして友人を抱き締めた。
「お前が謝ることじゃないだろ」
 大きく溜息を吐き出すと、グレースへも気にするなと呟いて笑って見せた。
「疲れているところ悪いんだが、何があったのか説明してくれないか」
 実はセフィロスは、ナナキへ仔細を話していない。
 床に座ったナナキと話がしやすいように、セフィロスはクラウドの上肢を寝台の縁にもたれさせてやり、引き寄せた椅子にグレースを促した。
 自身はクラウドの足元あたりの端に腰を下ろすと、漸くクラウドは事の次第を報告し始めた。


 「島は小さくて、研究員たちの痕跡はすぐに見つかったよ」
 クラウドは上陸した夜に海岸で一晩を過ごし、彼らの足跡を追ったらしい。二人の足跡はあちこちで見つかったが、もっとも明瞭に残っていたのは、海岸から遺跡に向うルートだったという。
「遺跡」
 ナナキが繰り返した言葉に、クラウドは頷く。
「多分、ものすごく古いと思う。あの島に作られてから、水没してる感じだったな」
「あの海域に島が存在したという記録は、過去二千年ほど見てもまだ見つかっていません。相当古いはずです」
 椅子から立ち上がりそうな勢いのグレースは、気が逸った口調でそう告げ、クラウドは彼女に持ってこさせた紙に、簡単に島の様子と遺跡の状態などを図面にして説明した。
 グレースは先程までの恐縮さを忘れたように、目を輝かせている。さすが若くとも研究者の一人だった。
 遺跡の中の様子などは、セフィロスが見たとおりの状態だ。
 クラウドもまた、研究員たちが解いた仕掛けの痕跡をみつけ、祭壇の燭台に火を灯したらしい。
「中に入ったら、広い場所に出た。小さな島なのに、そんな大きな地下室をよく作れるもんだって感心したよ」
 クラウドだけでなく、セフィロスも、恐らく最初にあの島に降り立った研究員も同じ道筋を辿っている。整然とした遺跡と、あの祭壇にあった祈りの気配は、嫌悪するような類のものではない。
 セフィロスとて、悪意に満ちた気配に気付いたのは、祭壇から先に進む道を進んでからのことだった。
「そしたら、そうこうしてる内に……あんたもアレに会ったんだろ?」
 クラウドは突然セフィロスに問い掛けた。
「ああ」
「でっかいゴーレムだった。突然壁から現れて襲ってきて、慌ててマントを奴の目のとこにつっこんで、逃げた」
 クラウドは照れたように笑いながら、肩をすくめた。
「逃げたのか?」
「うん。だって遺跡だし、壊したらまずいかもしれないだろ」
 どうりであの試練とやらをクラウドが通過したにも関わらず、ゴーレムが襲ってきた訳である。
「オレは斬って、魔法で砕いたが」
「壊したのか?」
「研究員たちはゴーレムにやられたようだ。躯を見た」
「そう、だったんだ。オレの時は結局見つけられなかった」
 クラウドは毛布に置いた自分の手を見つめ、しばらく俯いて動かなかった。
 彼らを助けられなかった後悔に苛まれているのかもしれない。
「ごめんな、助けられなくて」
 目の前の床に座り込む獣の友にそう呟き、項垂れた顔をほんの少し彼へと向ける。
 赤い獣はたてがみに挿した羽根や石の飾りを鳴らしながら、頭を横に振った。
「彼らが死んだのは、クラウドのせいじゃない」
 グレースも微かに涙を浮かべながらも、族長の言葉に頷いている。
「恐らくクラウドがあの島に着く前に、研究員たちは息絶えていただろう。でもあそこにいると分かったなら、遺体や遺品を拾いに行ってやれる。ありがとう」
 ナナキが神妙に礼を言って、セフィロスへもちらりと視線を向けた。
 それが彼の精一杯のセフィロスに対しての感謝の現れなのだろう。
「それから、燭台に火をつけると、通路が開いて次の部屋があって……」
 どんな様子だったのかを、思い出しながら紙に描いていた手が止まる。
「母さんの顔をした人魚に会った」
 ぽつりと口にして、クラウドは声を立てて笑った。
「笑っちゃうよな。こんなに長い時間経ってて、全然忘れてなかった」
 セフィロスの方へ一瞬顔を上げ、寝台についた手をじっと見つめる。
 その手が、クラウドの母をこの世から葬った。もうずっと以前のことだが、青年がそれを忘れるはずはない。
「セイレーンか? 人の心にある顔を真似て、引きずり込んだ人の精気を吸って生きている」
 ナナキの問い掛けはセフィロスへ向けられたものだった。
 頷いて返したセフィロスが、クラウドの母を殺した張本人だと、ナナキもまた知っているはずだ。以前クラウドのことで口論になった時に、それを指摘された記憶もある。
「それから」
 クラウドは視線をセフィロスの手に据えたまま、一旦言葉を切った。
「最後の部屋に、扉があった。鎖と紙や革で封印してあったんだけど」
 それは魔法陣の部屋で見た扉のことだろう。
「そこを開けた後から、殆ど正気じゃなかった。なんか、現実と幻影の区別がないんだ」
 クラウドは不安げな表情を隠さずセフィロスへ向け、押し黙った。
 彼は三番目の部屋にはいかなかったのだろうか。
 『己の最も醜い欲望』とは向き合うことはなかったのか。
 セフィロスはあえて問わず、クラウドを見つめ返しながら、ナナキやグレースから注がれる期待と不安に満ちた眼差しに応えた。
「結論から言うならば、あれは古代種の作った施設だ」
「古代種!」
 グレースが高い声を上げて、椅子から立ち上がりそうになる。顔を赤らめて慌てて座り直すと、両手を胸の前に組んで、食い入るようにセフィロスを見つめた。
「古代種の施設は、某かの役割を持っていることが多い。あれもそうなのか?」
 ナナキが言うように、古代種の神殿はかつて黒マテリアそのものであったし、忘らるる都は町自体が大きな結界になっており、今でもその効力を失っていない。
 失われた民でありながら、この星には彼らの痕跡が決して少なくなかった。
「あれは、古代種にジェノバが侵食を始めたころ、ジェノバの寄生を引き剥がすための施設だったようだな」
 目を見開いた一人と一匹に対して、クラウドに驚きの表情はない。
 あの亡霊たちとのやりとりを意識の端で感じ取っていたのだろうか。
「クラウドが解いた封印には、実際ジェノバを引き剥がされた古代種の亡霊が眠っていた」
「ジェノバを引き剥がすだと? そんなことが可能なのか」
 ナナキは思いのほか淡々とセフィロスへ問う。
「無理だろうな。肉体的に繋がってしまえば、それから逃れるには死んで魂魄になるしかない。彼らはそうしてあの場所に留まった、いわば地縛霊だ」
 セフィロスは黙ったままのクラウドを見下ろし、彼が顔を上げるのを待った。
「お前、奴らを自分の身体に封じようとしたろう」
「開けた途端……触れちゃいけなかったと思った」
 上目遣いでセフィロスを窺うクラウドの仕草は、まるで子供のようだ。
「自分であの石の棺に入ったのか?」
「なんか、器に入らないと押さえきれないような気がして……。扉の中に戻ろうとしたけど、できなかった。あそこならあんたにも見つけやすいかなって」
 その周辺の記憶は曖昧なのだと喚いたクラウドは、最後にセフィロスにしか聞こえないような小さな声でごめんと呟いた。
 その時クラウドは、四人分の怨念を抱えて、恐らくほとんど無意識で行動していたのだろう。
「最初の部屋で意識のないお前を見つけて、仕掛けを解いて先へ進んだ。研究員やクラウドがあそこに踏み込んだときは、ただ装置が働いただけだろうが、オレは奴らに憑依されたお前に導かれて行ったというわけだな」
 ナナキは微動だにせず話に耳を傾け、グレースは理解の領域を超えてしまったのか、落ち着かない様子で周囲の男達をせわしなく見つめている。
 若い友人を宥めるように尾で肩を叩いたナナキは、まるで人間のような溜息を吐いて、続きを促した。
「それで、結局その亡霊は?」
「斬った」
「お前の刀は、実体のないものも斬れるのか?」
「斬れるな。霧散して、ライフストリームとやらへ還っていった」
 ほうと大きく溜息をついたのは、今度はグレースだった。星詠みを信じる彼女の研究では、亡霊も許容範囲だったのだろうか。
「オレ、結局行方不明の人も助けられなくて、封印解いて、騒ぎを大きくしただけだったのか?」
 セフィロスを見上げるクラウドの不満そうな顔は、まさに機嫌の悪い子供だ。
「そう悲観したものでもない。お前が封印を解かねば、あそこで怨念だけに縛られ続けるしかなかった老人たちの魂魄を、助けてやったと思え」
 孤島の、誰も訪れることもない試練の奥の場所で、彼らはただジェノバへの怨念を募らせているだけだった。きっとそこから逃れたいとは思っていても、封印は破られずにいたのだ。
 実際その証拠とでもいうように、少女の祝福を受けて流れに還っていった亡霊たちは、抵抗すらしなかった。
 長い沈黙の後、床に座っていたナナキが腰を上げる。
 一通りの顛末を聞いて安心したのか、長い尾を大きく左右に振ると、寝台のクラウドの手に鼻を押し付けた。
「落ち着いたら、調査隊を組んで仲間の遺体を拾いに行く。今度は十分注意していかないとな。また後日詳しいことを聞くかもしれないが……身体がよくなるまで、ここでゆっくり休んでいってくれ」
「ああ。ありがとう、ナナキ」
「何百年生きても、仲間や友達を失うことは辛いものだ。クラウドが帰ってきてくれて、本当にうれしい」
 クラウドはナナキの顔の横を毛並みに沿って撫でて、無言のまま笑顔で答え、まだ落ち着きのないグレースを促して部屋を出て行く一匹と一人の背中を見送った。
 だが扉が閉まったその瞬間、クラウドは上げていた頭を下げ、もたれていた寝台の縁に崩れ落ちた。
 寸分いれずに支えたセフィロスの手に、クラウドの二の腕は以上に熱く感じられた。極度の緊張状態が解け、肉体的な衰弱で発熱までしている青年が、平然としていられる方がおかしい。
「あんた……気付いてたのか」
「ああ」
 起こしていた上肢を倒して横たえてやり、毛布を掛けなおす。
 一瞬触れたセフィロスの手が冷たくて心地よかったのか、引かれるままに額にそれを置いた。
「無理をするな」
 冷えていた掌が一瞬で温まるほど、白く滑らかな額の温度は高い。
「あんたは、ホントに……」
 何かを言いかけて止めたクラウドは、一瞬目を開き、再び閉じると満足そうな溜息を大きく吐いた。
「もう少ししたら粥でも持ってきてやる。眠っていろ」
「久しぶりだろ。もうちょっと……感動させろって」
 目を閉じたまま苦笑を漏らすクラウドの熱い唇に唇で触れる。
 薄目を開いて、触れたセフィロスの唇に噛み付いたクラウドはより深く貪ろうとする。つい枕に埋もれた金色の頭を掴み、応えてしまいそうになった。
「熱が下がったらな」
 唇の隙間で忠告し、なんとか離れたセフィロスをがっかりした顔で見上げたクラウドは、不満そうにこちらに背を向けてしまった。
 だがすぐに呼吸が穏やかになり、眠りに落ちそうな状態になる。
 彼が自覚しているより、疲労は濃い。
「なあ……」
 逆らい難い睡魔に引き込まれそうになるのを、無理矢理堪えたような小さな呟きが漏れる。
「ああ」
「あんた……三番目の部屋には、行ったか……?」
 問い掛けの語尾は掠れて小さかった。
 クラウドはのろい動作で、否定も肯定もせずにいたセフィロスの手を探り、毛布の中へ引き寄せる。
 握る力が弱まり、すぐに完全に眠ってしまった熱い手をしばらく重ねたまま、クラウドの寝顔を見つめ続けた。


* * *

 それから半年近く経った後、北の地に戻った二人の元に、ナナキからの便りが届いた。
 いつものようにアイシクルロッジのイェン商店へ届けられた手紙には、あの遺跡の装置が完全に機能しなくなっていたこと、その仕組みは今でも調査中だということ、そして行方不明だった二人の研究員の遺体は、無事発見されコスモキャニオンに戻って来た、と書かれていた。
 そして島そのものが、あの時から再び水没し始め、十年後には完全に海に沈んでしまう予測が立ったということだ。
「儚き夢は海底へ、か」
 商店のカウンターで煙草を片手に、手紙を読んでいたセフィロスが呟くと、クラウドは店主と話していた顔をこちらへ向け、意外そうな表情になった。
「あんたが夢って似合わないな」
「知っている」
 気障な奴、と大声で笑い飛ばす青年へ、仕返しを考えるのもまた一興だろう。
 セフィロスは折りたたんだ便箋を封筒に戻し、カウンターへ放った。


亡失の魔境(了)
2007.02.04(脱稿) 2007.11.15(改稿))
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※ここでご紹介するものはゲーム本編とは全く関係のない、個人の趣味と空想に基づくストーリーです。スクエアエニックス社の権利を侵害する目的のものではありません。
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