騎士現る |
夜半はとうに過ぎた。月は丸く、中天にある。
月明かりが周囲を深海の底のような青さに染めていた。ざわめく木々は海藻、揺らめくそれに目を当てていると今にも溺れそうな気がした。水圧を受けるように、闇が肌に心地良い重量を与えてくれる。悪くない。
だが、クラウドは大きく息継ぎして、土の地面に敷いた毛布から上肢を起こした。
「めんどくさいな」
独り言を聞く者は、遠巻きに通り過ぎる野生動物だけのはずだったが、何故か今日は人の気配を幾つも感じる。どうりで、いつもなら行き当たる夜行性の小動物が姿を見せないはずだった。これほど気配を撒き散らしてうろつけば、災いにはあえて近づかないのが、野生の本能なのだ。
彼らと同じように、出来れば他人と接することを避けたいクラウドに、数人の凶暴な気配を面倒以外の何物でもなかった。
立ち並ぶ木々は、人が難なく通れるくらいに間隔を空けている。大きな岩も散乱している。その隙間から、明らかに得物が反射する光と、腐葉や土を踏みしめる音が聞こえた。
素人丸出しの輩だが、人数が多い。
「ホント、面倒」
溜息と共に吐き出した言葉は、恐らく彼らにも届いたのだろう。クラウドが彼らの存在に気付いていることを見て、一斉に姿を現した。
総勢十四名。どれもまともとは思えない人相、剣やナイフを手にしており、埃と油に薄汚れた服。絵に描いたような強盗だった。
にやにやと笑みを浮かべる彼らは、クラウドが独り歩いているのを夕刻の内に見かけて、後をつけて来たに違いない。でなければ、モンスターも出没するこんな森の奥で、静かに過ごすクラウドを見つけられるはずはなかった。
「男前のにいちゃん、金目のものを出してもらおうか」
首領格と思われる黒髪の男が、脂に黄色く染まった歯を剥き出した。
クラウドも今更外皮一枚の醜美に拘るつもりはないが、これは内側から滲み出る醜さだ。
「金に困ってるのか」
少々寝乱れた髪を撫で付けながら立ち上がり、剣を立て掛けていた近くの岩に腰掛ける。
強盗たちは身構えてクラウドの動向を窺っている。だがそれもクラウドからは隙だらけに見えた。数に物をいわせて、度々おいはぎ行為を重ねていたのだろう。
かつてテロリストとまで呼ばれたクラウドが、彼らのそれを罪と呼ぶにはおこがましいかもしれない。
「何が欲しいんだ。ものによっては穏便に分けてやってもいい」
静かに告げた交渉に、男たちは同時に笑いだした。
「バカなのか、肝が据わってるのかしれねえが、全部だ。着ているものも、武器も置いていけ」
クラウドが黙っているのを恐れたと勘違いしたのだろう。じりじりと距離を詰めながら、低く笑いを漏らす様子は一端の強盗団に相応しい。
「ついでにテメエのケツも貸してほしいんだがな」
一人が言った言葉に、今度は厭らしい下卑た笑い声を上げる。
「何だよお前、野郎に欲情するほど溜まってたのかよ」
「オレは元々どっちでもイケる口なんだよ」
「まあ、確かに女みてえな顔してるけどなあ」
「美形の兄ちゃんよう。オレが男の味を教えてやるぜ」
クラウドは男たちのやりとりを忌々しげに眺めた。
十数人の強盗団は何がおかしいのか、闇を裂く笑い声を上げ合い、既にクラウドを犯した気にでもなっているらしい。
「さあ、兄ちゃん。大人しく身包み置いて、ついでに抵抗せずに足開いてみせれば、命だけは助けてやるぜ」
この様子では、彼らはそう言って脅し、金品と抵抗の仕様もない女たちを手に入れて、容赦なくその命を奪って来たに違いない。距離を縮めつつある彼らの身体から、現実にはない臭気を感じ、クラウドは唾を吐き出した。
酸味のあるそれは、本能が嗅ぎ取る血なまぐささと嫌悪感によるものだ。
「腐った奴らだな」
「なんだと」
再び首領格の男がクラウドの言葉を受け、今度は笑いを治めて凶悪な顔つきになった。
「お前たちどいつもこいつも、臭くてやりきれないって言ってんだよ」
耐え切れず立ち上がり、声高に怒鳴ったクラウドに、全員が息を飲んだ。クラウドの全身から発される闘気は、どんな鈍い者でも分かるだろう程燃え上がっていた。
実際クラウドは、彼らを焼き尽くして、欠片も残したくないくらいの嫌悪感を感じている。今、ここに、クラウドと同等に相対したあの男がいれば、さりげなく呟く炎の壁で、一瞬に消し去ってくれと頼んだだろうに。
「お前たちとヤるくらいなら、狼とでもやったほうが数倍マシだ」
その比喩は少なからず、米粒ほどの彼らのプライドに傷をつけたらしい。一瞬ひるんで、直ぐに怒りに顔を赤くした男たちは得物を構え、クラウドを取り囲んだ。
「ガキ。ここで斬られたくなかったら、剣を捨てて、テメエでストリップしてみろや」
中でも年嵩らしい男が一人、剣先をクラウドへ向けて一気に数歩、歩み寄った。
クラウドは人間相手にはかつてないほど躊躇なく、地面に突いていた剣を逆手に翻した。
「ぎゃあっ!」
どさりと重い音がして、中年のその男の右腕は、剣の柄を握ったまま土の上に落ちる。月明かりしかない暗がりでは、他の者は一瞬何が起きたのかも把握出来ていなかった。
「わめくな、下衆」
悲鳴を上げ続ける中年へ吐き捨てながら血糊を払い、巨大な剣を肩に担ぐ姿に、彼らは漸くその剣が決して飾りでないことを把握したようだった。逃げ腰になる足に叱咤し、仲間の落ちた腕を見つめて、一様にくぐもったうめきを上げた。
「普段なら見逃すけどな、生憎と今のオレは機嫌が悪い」
一分前の彼らならば嘲笑すら漏らしただろう台詞を呟きながら、クラウドは地べたを転げ回る中年の首を、細枝を切り払うように刎ねた。腕よりも大きな音を立てて転がる頭部は、鮮血を撒き散らし、仲間の足元へ擦り寄るように到達する。先刻まで言葉を交わして笑いあっていた男のなれの果ては、仲間にとっても恐ろしいものだったらしい。小さく悲鳴を上げて飛び退いた。
「き、貴様…」
冷たい眼差しで見渡すクラウドを、僅かな怯えを含んだ視線で見つめてくる。だがクラウドは今日ばかりは許す気にならなかった。
「オレにやれと云ったように、お前らもストリップしてみろ。そうしたら命は助けてやる」
本当にそうする者が一人でもいれば、クラウドは逆に呆れて、偽りではなく彼らを見逃したかもしれない。しかし無論それを実行できた者はいない。
ぴくりとでも動いたら、斬られるかもしれないという恐怖と、殺すことになれたおいはぎたちの意地だったのか全員が退くことはせず硬直したその場に、突然涼しげな声が響いた。
「オレはお前のストリップなら見てみたいがな」
明らかにおいはぎたちの仲間ではなく、クラウドには訊きなれた男の声だった。
声の主は木々の間から静かに現れ、その新しい役者の出現に、盗賊らはは無意識に道を空けていた。
月明かりに長い鋼色の髪が光った。
長い身の丈の細身の剣も、髪と同じ硬質な輝きである。そしてなめした革の長いコートは、それより鈍く光を反射している。
「ふざけんな。誰のせいでこんな目にあってると思ってんだ。バカセフィロス」
「…オレのせい、か?」
「あんたが来るのが遅いからだろ」
不満も露に言い放った時には、セフィロスはクラウドの直ぐ傍までやってきていた。盗賊たちも、新しい敵の動向を測りかねている。一方セフィロス自身は彼らを問題にしている様子はない。
「それは悪かったな。それより何か聞き捨てならないことを聞いた気がするんだが」
セフィロスは漸く男たちを振り返り、全員の顔を見渡した。
そして艶やかな微笑を口元に浮かべた。
「オレのものに手を出そうとするとは」
「…誰があんたのモンだよ」
「オレのものでないにしても、少なくともお前を喜ばせることはできるだろう」
秀麗な顔立ちの彼は、好色な視線でクラウドを足元から眺め上げる。今のクラウドにとってその視線は、盗賊たちのそれと大差なく思えた。
クラウドの中の何かが、ぶつりと音を立てて千切れ飛んだ。
「あんた…遅れて来て、いい度胸だな…」
低く唸るように漏らした呟きに、今度はセフィロスがひるんだ。
「まとめて片付けてやる!」
剣を水平に掲げて瞠目すれば、はめ込んだマテリアは嬉々としてクラウドの呼びかけに答えて光り輝いた。
昨今あまり使うこともなかった高等魔法、十分に休んだ後で魔力の満ちた身体、そして怒りによって力を放出することに躊躇いはなく、元来戦うことが好きなのだと自負するクラウドが、存分にその力を発揮する機会を逃すつもりはなかった。
「待て、クラウド」
セフィロスの、珍しく慌てた制止は無視した。
開いた視界が己の瞳が発する魔晄の色に染まる。
「五月の行楽に集いし、円卓の騎士」
詠唱を始めた途端に、剣の刃の根元につけたマテリアが赤い強烈な光を発した。
「アイアンサイド、ブランデレス、オザンナ、ケイ、アグラヴェイン、サグラモー、ドディナス、ラディナス、ペルサウント、ペレアス、マーリン」
名だたる騎士たちの名を次々と呼び上げる度に、赤い光は幾つもの光線になって中空へ飛び立ち、それを見上げるクラウドの頬を撫でて掠めながら踊りまわった。
一瞬の不思議な現象を男たちが目で追い、騒然とするのにも構うことなく、クラウドは最後の詠唱を終えた。
「そして束ねし王アーサー。鋼を断つ刃を以って、悪しき者を誅せ」
突如、風が木々をしならせ、立ち尽くす者を煽った。
土を巻き上げるそれに一瞬すがめた目を開いた時、周囲が深い森林の中であることを忘れさせるような、闇に隔絶された空間に投げ出される。辺りを見回し、星の消えた空を仰ぎ見るのも束の間、幻想のごとく現れた騎士の一人が巨大な剣を手に目前に迫った。
術者であるクラウドを通りぬけた幻は、横一閃に剣を薙ぎ払った。
標的と定めた盗賊達とセフィロスは、その強打を受けた。
そして騎士はもう一人、もう一人。召喚された勇者らはそれぞれの武器を手に容赦のない一撃を加えては消えていく。
クラウドが開き、掲げた手の向こうに、セフィロスもまた標的の一人となっている様子を見た。
そもそも、この場所で彼らが待ち合わせをしていた時間は夕刻だった。落ち合ってそのまま森を抜け、夜半近くには近くの町で宿を取る予定だった。
どこかで会う約束を交わし、別行動を取るのは初めてではない。今回はクラウドはコスモキャニオンへかつての仲間に会いに行き、セフィロスはウータイへ刀の柄の修理に出掛けた。そして再会するのは一か月ぶりで、約束の時刻を数時間過ぎるまでは、クラウドも至極ご機嫌だったのである。
セフィロスが半日近くも時間に遅れるのは初めてだった。怒りと苛立ちを抱えて、悶々と待ち続けたクラウドを追って来たのは暴漢で、漸く到着したセフィロスの態度も気に入らなかった。
「人の気も知らないで!」
そこまですることはなかったという後悔を胸に、クラウドは言い訳のようにセフィロスへ叫んだ。
その時、円卓の騎士たちの攻撃は一瞬静まり、闇に戻った空間の下方から白い光が立ち上がった。地面から染み出すように現れた最後の騎士は、上座もない円卓に座る騎士たちを束ねた伝説の王である。
胸の前に携えた諸刃の剣は、『鋼を断つ』という名の示す聖なる剣・エクスカリバー。甲冑に包まれた冷ややかな顔は、聖人であると同時に一国の主の証明でもあった。
正面に振り上げ、薙ぎ下ろされた一閃は十四名の盗賊と一人の男を容赦なく切り捨てた、
闇の空間が同時に弾け飛ぶ。
目を開けていられないほどの閃光が辺りを白く染め、視界が戻った時、盗賊たちは骨も残さず消滅し、ただ一人セフィロスだけが膝をついて取り残されていた。
この男が肩で息をする様など、そうそう見られるものではない。
その時、音声ではなく、頭の中に直接響いてくる声がクラウドに問い掛けた。
『己の半身を切り裂くのが趣味か』
召喚した騎士の内の一人の声であると、クラウドは直感的に思った。
「あんた達の伝説にあるように、誓いを交わした仲間であろうと、袂を分かつ時も来る」
『この男はお前を裏切りはしないだろう。例え、お前が裏切っても』
言い置いて消えていく騎士たちの気配に向け、クラウドは声に出して呟いた。
「知ってるよ!…そんなの」
後に残されたのは木々揺れる音とふくろうの鳴く声、消し飛んだ賊の武器の破片、そして二人の気配だけ。刀を投げ出し、膝をついて顔を俯けたセフィロスに、クラウドは音もなく近寄った。
「…殺す気だったな」
荒い息の合間にくぐもった声で訴えたセフィロスの傍に屈み込み、クラウドは冷たく答える。
「あんたはこんなもんじゃ死なないだろ」
軽く肩を押しただけで、セフィロスは仰向けに倒れ、下草に寝転がった。深呼吸に上下する胸が苦しそうだった。
「悪かった。ふざけすぎた。お前を侮辱した訳じゃない」
「分かってるよ」
剣を置いて、転がったセフィロスの上に覆い被さり、目を閉じたままの端正な顔を間近で見つめる。
「でも。でも心配してた」
開いた掌を秀でた額に翳すようにして、クラウドはケアルを唱えた。バングルに填めたマテリアは緑色の光で男を癒し、僅かな余韻を残して再びただの玉に戻る。
「あんたがオレとの約束を破ったことなんてなかったから、何かあったんじゃないかって、本気で心配してたのに…」
セフィロスのコートの胸に顔を押し当てて、ベルトの隙間の素肌に唇を触れさせた。冷たく強張っていた身体は、回復魔法の恩恵で徐々に温かみを取り戻していった。
その温度に、クラウドは泣きたくなるような胸の痛みと、背中を押し上げられるような衝動を感じて、コートの襟に手を伸ばす。
まだ全回復とはゆかず疲れた顔をした男を、蹂躙したいという欲望だった。そしてまた、彼が確かに生きている証を感じたいという、寂しさでもあった。
「…クラウド」
「しよ」
まだ地面に横たわったままのセフィロスの腰をまたぎ、動きを封じた状態で、クラウドは本能に忠実な提案をした。
「…ここで、今、か?」
「今。ここで」
「やはり…殺す気だな、お前」
セフィロスが苦笑を漏らすのを余裕と見て、クラウドは抗いはしない男の着衣に手を掛けた。グローブを取り去り、コートの腕を抜かせて、胸を交差するベルトを外す。
色気の欠片もない、機械的な動作だとクラウドは自分の手を見て思った。
「クラウド。そんな顔で人の服を脱がすな」
既に半裸になっている男の腕が、見下ろすクラウドの頬へ伸びた。
暖かい指先が目尻を拭う。その指先を振り払い、代わりに男の露になった胸に顔を伏せる。
「…ごめん。やつあたりだった。でも、心配してたんだ。ホントに」
「分かった」
何を理解したというのか、クラウドを抱いて膝に乗せたまま、セフィロスは片手をついて起き上がり、濡れた顔を覗きこんできた。そしてクラウドの手首を掴み、熱の篭った深く長い接吻をする男は、つい先刻まで瀕死だったとは思えないほど力強い。
心安らぐ慣れた匂いのする首筋に鼻を押し当て、男の肩越しに空を見上げた。
セフィロスの髪と同じ色の十三夜の月は、傾いて、木々の陰に沈もうとしている。
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騎士現る(了)
03.10.30
アイコ<http://www.natriumlamp.com/B1F/> |
注・円卓の騎士ですが、ナイツオブラウンドで召喚されるメンツとはちょっと違うかも。 |