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イフ[if]

 冬の終わりに降る雪は水分を多く含んで重く、降り積もる音も真冬の音とは異なる。寝静まった時間でも、名残惜しくシーズン最後の雪を楽しむ観光客たちの、さざめく声がどこからともなく聞こえてくる。
  一週間ほど前、全てが凍てつく真冬の夜は、街に住む人々の息遣いも、地面や屋根へと降り積もる微かな音さえもその雪自身が吸い込んで、生きる者の息吹を感じさせない死の世界だった。
  ところが月が変わった途端、屋根の雪が緩み、樹氷の溶けた水がしずくとなって滴り落ち、雪を巻き上げる風も僅かばかり暖かくなる。完全な雪解けは例年五月辺りだというのに、既に次の季節が、そびえる山々とこの街へ生を吹き込ませている。
  新しい生命が芽吹く時に発する力───いや気配というべきか、春の訪れはセフィロスにとって酷くこそばゆいものに感じられた。何故か、それらが自分にはとても似つかわしくない気がするからだ。
  己の存在を知る者が、傍らにいる青年以外いなくなった今でも、セフィロス自身、己に近しいのはやはり、凍てつく吹雪と暗い雲に覆われた空だと感じている。暖かな陽射しと草花の香気が似合うのは彼の方だ。
  その青年、クラウドはというと、このアイシクルロッジで冬場は山スキーやスノーボード、夏場は山登りの観光客相手のガイドを勤めている。今日も山ボーダーのグループ客を連れて、昨日から一泊の旅程で出掛けていた。
  いつもならクラウドは人気のない場所を選んで滞在することが多いが、数十年ごとにこうした街に住み、他人との接触の多い仕事をするのは、寂しさからだろう。
  セフィロスが常に傍らに居ても、その寂しさだけは拭い去ることは出来ない。彼が外へと何かを求めて行くのを、たとえ他人との接触が、より一層の疎外感を彼へ与えたとしても、セフィロスには止めることは出来なかった。
  だが、二人の住む小屋で、大人しくクラウドの帰りを待つのも性に合わない。
  セフィロスはアイシクルエリアで最近発見された古代種の遺跡へ通い、その発掘に参加していた。最初はクラウドから激しく奇異の目で見られたが、理由は単なる興味と暇つぶしだ。
  そもそも古代種とジェノバが敵対するのは、ジェノバがこの惑星外から飛来して以降のことである。古代種の存在を滅する原因となったジェノバがやってくるまで、彼らは戦いを知らず、ただこの星の声を聞き、星の上で暮らしながら星そのものを育む『生産者』だった。
  過去、己の前に立ち塞がった時は邪魔だと感じたが、彼らの生態や思想はセフィロスの興味の対象ですらあった。
  彼らが何を考えて星を生命で満たし、そして次の星へと移って行ったのか。その目的は何だったのか。セフィロスはライフストリームの中枢で、星の知識を吸い上げたにも関わらず、未だ明確な答えを見い出せていない。
  ジェノバ飛来よりも前に使われていたと思われる古代種の街の遺跡は、アイシクルロッジよりも少し北東の平原にあった。これまで発見されなかったのは、そこが万年雪に覆われ、簡単には削ることも出来ない、氷の地面に埋まっていたからだった。
  近年、北の大空洞を中心とする万年雪と氷河に覆われた土地はこうして少しずつ緩み、春すら訪れなかったこの地にも、七、八月には短い夏がやってくるようになった。平原を覆い尽くす雪が解け、姿を現した古代種の村の景色は、小麦や稲を育てている人間の村と、まったく違いがない。数千年の間に精霊たちの気配も祈りも消え去っていたが、崩れかけた石壁の痕跡は明瞭で、陶器や土器も多く出土している。それらを掘り起こして街の姿を露わにし、復元して標本にする。セフィロスのやっていることは、そんな酷く地味な作業である。
  研究者たちは自分の世界があり、みな勤勉で無口で、研究のことは話しても、己自身のことを話す機会はまずない。それはセフィロスにとって、非常に快適な空間でもあった。多才で、歴史や科学など広い分野に知識の深いセフィロスは研究者たちに歓迎されたが、セフィロス自身の生い立ちや過去について訊いてくる者はいなかった。
  昼間のうちに預かった土器の破片を並べ、小さな瓶型の器の内側にこびりついた土を削り取っては、サンプル採集用の試験管へ移す。アイシクルロッジにはきちんとした設備がないが、これらを発掘の指揮をとっているジュノンにある大学へ送り、詳細を分析すると、この瓶に何が収納されていたのかを知る手がかりになる。食品や薬品ならば、何が入っていたかによって、当時の生活、素材の植生や加工の技術力を知ることができる。
  サンプル採集を終えて、破片を輸送用の箱へ丁寧に収め終えたセフィロスは、他の研究者がまとめた調査結果の書類に目を通し始めた。
  新たな発見や目新しい考察もなく、惰性で目を動かしていると、睡魔が襲ってくる。
  思わず苦笑を漏らしながらも、座っていたソファへ寝転び、開いた書類を顔の上に乗せ、肘掛けから足をはみ出させてセフィロスはそのまま眠り出した。
  今日帰宅するはずのクラウドは、すっかり陽が落ちても帰ってくる気配がない。
  陽が暮れてから雪山を移動することはまずないので、旅程が遅れていたとしたら、パーティと共に、まだどこかの小屋にいるのかもしれない。天候が変わりやすく、素人に近い観光客を連れているので、そんなことはままある話だ。また案内した女性客に誘われて、一晩帰って来なかったことも一度だけあった。セフィロスも一日帰りが遅い程度では、クラウドを探しに行くこともない。
  目隠しにした書類の影から、暖炉で揺れる炎がゆらゆらとセフィロスの頬を照らす。
  やはり誰かに誘われて、もう一晩夜を明かすつもりなのだろうか。全く嫉妬心がないといえば嘘になる。だが、クラウド自身がそれを望んでいるならば、それは彼にとって必要なことであろうと、セフィロスはそう自分を納得させていた。

 セフィロスは聞き覚えのある音に目を開けた。
  小屋の北側にある裏口の木戸は、表の玄関扉に比べるとやや簡素な作りである。裏口から入った納戸ほどのスペースの土間には、スキーや雪かきの道具、薪、油類などを収めてあり、多少の大工仕事も出来る作業台があり、使い勝手の良さから頻繁に出入りする場所でもあった。裏木戸は普通に開いただけでかなり大きな音を立てる。納戸と、今セフィロスのいる居間とは扉一枚で隔てられているので、顔に乗せた書類の隙間から窺っても、誰が来たのか目で確認することはできない。
  しかしセフィロスには、外に積もった雪を踏む音だけで、それが誰か分かった。
  微かに軋む音を立てて雪を踏み、納戸へ入った足音は、壁に作り付けた棚へスノーボードを立てかけ、それから身体に積もった雪を払う。作業台の上に、恐らく登山用のリュックを下ろした音の後に、ふうと大きな溜息が聞こえた。
  帰宅と同時に声を掛けないのは、セフィロスがもう眠っていると思っているからだろう。
  例えどんなに息を潜めていたとしても、本気で気配を消していなければ、セフィロスが気付かないはずはない。だがそれが彼なりの配慮や優しさであることも知っている。
  いつもセフィロスが先に寝台にいたとするなら、クラウドが就寝の支度をして、隣の寝台に入ってくるまで眠ったふりを続けて待っていた。だが、今日は少し悪戯心が沸いた。
  ソファのすぐ脇に置いていたオイルランプを消し、読みかけの書類はソファの下へ置いた。まだ暖炉の火は弱く残っており、部屋の中を歩く分には十分な明るさがあったが、それでもだいぶん暗くなる。
  このソファで眠ったふりをしていれば、クラウドはきっとここへ来るだろう。
  思わず笑いをもらしてしまいそうな想像をしながら、セフィロスが目を閉じた瞬間、納戸と居間の間の扉が静かに開いた。
  短い無音の後、足音を殺して進むクラウドは、それでも撥水加工を施したウェアの擦れる音を立てながら、そろりそろりとソファへ近づいて来た。
  まるで、獲物が近くを通り過ぎるのを狙う肉食獣の気持ちで、眠ったふりを続けていたセフィロスは、クラウドが十分近づき、自分の顔を覗き込んだ瞬間を狙って目を開き、腹の上で組んでいた両手を伸ばした。
  が、セフィロスが思い描いていた、クラウドが示すだろう数種類の反応は、そのどれもが当てはまらなかった。
  最初にセフィロスの目に飛び込んできたのは、妙に白い顔だった。
  しかも小さい。確かにクラウドは普通の人間よりは色も白く、顔も小作りだが、それとは意味が異なる。妙に丸い鼻は顔の下の方にあり、しかも顔じゅうに毛が生えている。
  そこから十数センチほど視線を上げると、ゴーグルを頭の上に上げ、驚愕の顔で固まったままの、いつものクラウドがいた。南の海の色の大きな目を、字の如く真ん丸にして、息を飲んだ形に硬直している唇は、吸い上げれば殊の外柔らかい。見慣れた顔に安堵しつつも、最初に見た顔が何だったのか、セフィロスは一言も発せないままもう一度確認した。
  クラウドのウェアの前ファスナーを少し下ろした胸元から、そのもう一つの顔が覗いている。
  白い、長い毛に覆われた顔は丸く、小さな黒い斑紋が浮いている。灰色の目は瞳孔が縦に割れており、丸く小さな耳は黒い縁取りがあった。幅の広い鼻柱の先には、まだピンク味を帯びた鼻先が濡れてひくひくと動き、目の前に現れた見慣れない男の匂いを確かめているのだろう。
「……猫、か?」
  伸ばしたまま行き場を失っていた腕を下ろして、セフィロスは問うた。
  クラウドは小さく吹き出して、首を横に振った。 
「違うよ」
  ファスナーを更に引き下げ、胸元に押し込んでいた身体を引っ張り出すと、妙に太い足をした猫は、大人しくだらりと足を下ろして、クラウドに抱かれている。体長は三十センチ程度だろう。太い、立派な四本の足にも斑紋があり、頭頂部から背中の中央には一本線が伸びているが、それ以外の柄は所謂『豹柄』だ。
  もう一度、なんだか眠そうな顔の猫を覗き込んでから、セフィロスは再び口を開いた。
「ユキヒョウ、か」
「当たり」
  思わず黙らずをえないような微笑みを浮かべて、クラウドはソファに寝転んだままのセフィロスの腹の上へ、そのユキヒョウの子供を置いた。
  不思議なほど警戒心のないユキヒョウは、新しい遊び相手を見つけたようにセフィロスの腕や胸の匂いを嗅ぎ、顔の方へ鼻先を動かした。
  クラウドはゴーグルやウェアを脱ぎながら、もう一度納戸へ戻って雪のついたそれらを置き、代わりに食材を置いた棚からミルクの瓶を持って来た。
「牛乳でも大丈夫かなあ」
  独り言か、それともセフィロスへ同意を求めているのか。それでも適当な小鍋へ注ぎ、暖炉の脇に置いたグリルに乗せるのを、ユキヒョウはセフィロスの腹の上から興味深く眺めている。ほどなく火から下ろし、指を突っ込んで温度を確認したクラウドは、どこから調達してきたのか、ほ乳瓶へミルクを移すとユキヒョウの鼻先に差し出した。
  乳首に鼻を近づけて、わずかに滴るミルクをそろりと舌先で舐めた。逡巡したのも束の間、それが美味であることに気付いたように、甘えた声でねだった。
  クラウドの足元まで飛び降りてきたユキヒョウの子は、夢中になってほ乳瓶に吸い付いた。相当腹が減っていたのだろう。
  ほ乳瓶の底を支え、黙ってユキヒョウを眺めるクラウドへ、セフィロスはようやく理由を聞こうと顔を上げた。
  以前、町中に住んでいた時にも、クラウドが犬や猫を拾って来たことならば、数え切れないほどある。
  だが、今度のは少し勝手が違う。
「座れ」
  寝そべったままの身体を寄せてソファを示すと、クラウドは大人しくそこへ腰を下ろす。
「まだ猫なら分かるが、あれは猫じゃない。説明しろ」
  説教されるとでも思っているのか、クラウドは少し伏せた顔から上目遣いにセフィロスへ視線を上げた。

 先述のとおり、クラウドは山スキーのガイドをしている。整備されたスキー場ではなく、山の自然な稜線を生かしたコースで、バージンスノウを滑りたいというスキーヤーとボーダーの為に道案内をするのである。
  突然切り立った崖や、表面だけ雪が積もって見えなくなっている谷を避け、滑降可能の場所へ導くには、夏期の山の状況もよく把握しておかねば出来ない技だ。
  アイシクルロッジに数名いるガイドの中でも、ベテランの域にいるクラウドは、街では有名人ですらある。
  大雪原の手前にある、千年霜柱と呼ばれる洞窟を見て帰るルートで、クラウドは観光客六名のパーティを引き連れ、昨日からガイドの仕事についていた。途中の小屋で一泊する旅程であったが、小屋で夜を明かした翌朝、猫のような鳴き声で目が覚めた。
  小屋から出てすぐ目の前の雪原を、そのユキヒョウの子供は母の姿を求めてうろついていた。
  ユキヒョウはそもそも夜行性で、昼間は自然の岩屋や大木の烏鷺、猛禽類が作った古い巣などで休む。近年数を減らしている絶滅危惧種と言われているが、この周囲は洞窟なども多いため、最も彼らが多く行き交う場所でもある。クラウドも過去に何度か成獣と遭遇したことがあった。
  恐らく夜のうちに狩りへ出た母親とはぐれたか、場合によっては何らかの理由で母親が息絶え、巣に取り残されたのかもしれない。
  旅程を遅らせて、しばらくパーティは子供の様子を観察していた。だが夜が明けてから三時間ほど待っても母親は現れず、啼き疲れた子供はぐったりとその場にしゃがみこんでしまった。
  大人になれば食物連鎖の頂点に近い肉食獣とはいえ、まだ体長三十センチほどの子供は、昼間はそれこそ猛禽類の餌になってしまうだろう。同じユキヒョウでも母親以外の成獣ならば敵だ。他にも、最近数を減らしたとはいえモンスターも居ないわけではないし、恐らく丸一日も生きてはおれない。
  そうして淘汰されるのが自然の摂理とはいえ、その子が母親とはぐれたのも、クラウドたちが夜を明かした小屋の目の前に現れたのも、幸不幸は違えど同じ運だと、パーティの誰かが発言したのをきっかけに、ユキヒョウの子を保護することになった。
  旅程も押していたので、小さなユキヒョウはクラウドのウェアの胸元に収め、パーティは帰路を出発した。
  そして夕刻、予定よりも遅めにアイシクルロッジへ戻ってきたクラウドは、客を宿へ送り届けた後、アイシクルロッジ内にある自然動植物保護施設へ向かった。
  各地に事務所を置く自然動植物保護施設は、文字通り絶滅危惧種を保護観察するための施設である。
  北方の大陸では独自の動植物が多いので、小さな街にある建物としては、かなり大きな部類になる。
  だが真冬は相当な雪に囲まれるため、活動は活発ではなく、冬場の施設内はとにかく人がいない。
  所長は街のバーでもよく出会う顔なじみだが、出張に出て数日は帰らず、留守番をしていた活動員の男は、今年になってから配属されたばかりの新人で、クラウドが差し出したユキヒョウの子供に狼狽するばかりだった。
  動物の子の世話など、クラウドも素人同然なのは同じだが、チョコボや牛、山羊などの家畜の子ならば幾度も経験がある。事務所の中で必要そうな道具を漁り、せめて所長が帰ってくるまでの数日間、クラウドが預かる約束をしてきたと言うわけである。

 事情を説明している間に与えたミルクを飲み干し、ユキヒョウの子供は大あくびを一つしてから、部屋の周囲の匂いを嗅ぎだした。
  特にウサギの毛皮を繋ぎ合わせた敷物が気に入ったらしく、部屋の隅に置いた寝台の足元へ敷いてやると、その上で毛繕いを始め、ものの数分のうちにうとうとし始めた。
「案外、神経の太い子供だな」
  セフィロスが伸べた感想の比較対象は、あくまでクラウドが過去に拾って来た猫の類である。近所の捨て猫の方が、よほど警戒心が強い気がした。ユキヒョウの子は身体の大きさも、すでに成猫に近い体長だが、己の頭を乗せた前足はかなり太い印象があり、まだまだ身体の柄も薄い。今年早い時期に生まれた子だとしたら、三ヶ月目というところだろう。
  珍しげに子の寝姿へ注視しているセフィロスをどう思ったのか、クラウドはインナー姿のまま小さな声で言った。
「オレ、しばらく仕事もないし、なるべくあんたには迷惑はかけないから」
  クラウドの方へと顔を戻すと、酷く真剣な表情に出会う。
  セフィロスへと真っ直ぐ向けられた視線は、一足早い春の晴れた空のように曇りがない。
  人より遙かに長い年月を生きていると、見たくないものも見る機会が多いからか、クラウドは暗い瞳を見せることが多かった。経た歳月を感じさせない光を彼の目が取り戻すのは、こうして小さな生き物に関わる時くらいだった。
「お前が生き物を拾って来るのは、見送る覚悟が出来ている時だろう。好きにすればいい」
  成獣になれば人間ほどの体長になる猛獣の世話は明らかに難しい。だが普通の人間には出来ないこともやってのける能力が彼にはあるし、だからこそ幼い生物を拾って来た。例え保護施設の所長が帰ってきたとしても、クラウドはこの子の行く末を最後まで見届けるだろう。
  セフィロスは彼をそう理解しているが、同時にひとつだけ心配事もある。
「それよりも、お前がこの子供に係りきりになることが不満だな」
  クラウドが屈託のない笑顔を見せることはセフィロスの望みでもあるが、同時にそうさせているのが己の力でないことが不本意でもある。
  いまやすっかり寝入ったユキヒョウから顔を上げ、クラウドの頭を見下ろした。
  同じ細胞を持つ所以か、それともただ長年のつきあいだからか、俯き加減のまま何も言おうとしない彼の今の思考が手に取るように分かる。セフィロスがあからさまにクラウドへの好意、もしくは執着を見せることに未だ彼は慣れていない。照れているという訳でもなさそうで、彼はただ反応に困っているようだった。
「あんたにも構えって?」
「構い方にもよるな。オレはお前に乳を貰いたい訳でも、毛繕いをして欲しい訳でもない」
  含み笑いを漏らしながら、困惑する顔に手を添えて、細い顎を持ち上げた。
  微かに幼さを残す面差しに見入ってから、薄く開いた唇を吸い上げる。すぐに応えようと動くクラウドの唇に下唇を咬まれ、仕返しに後頭部の金髪を強く掴んで、首筋に軽く歯を立てた。
「あんた以上の猛獣なんていないぞ」
「獣扱いか」
  血管の浮いた、皮膚の薄い場所に何個所か赤い痕を残しながら、手はインナーの黒い上衣を裾から捲り上げ、直接肌に触れ、しばし手触りを楽しむ。露わにした平らな胸の間に口づけると、薄い汗の匂いがした。
「お前の匂いがする」
  クラウドの胸元から上目遣いで見上げた頬は少し赤みを帯びて見えたが、それが暖炉の火のせいなのか否かは確かめなかった。膝をついて身をかがめ、上衣と同じ素材のパンツと下着を一緒に下ろすと、緊張しているのかまだ無反応の下肢が現れる。指先で撫でただけでそれは目覚めて起きあがり、セフィロスは笑みを浮かべた唇で先端を辿った。途端、本気の力でセフィロスの顔を押しのけてくるクラウドは、今度こそ恥じらいの色を顔に浮かべていた。
「ま、だ、身体も拭いてない」
  一泊のガイド中、山小屋ではシャワーを浴びることも出来ないが、丸一日スノーボードで山を下ったり、雪道を登ったり、確かにクラウドの肌は汗ばんでいるはずだった。
「構わん。獣だからな」
  言葉尻を捉えた言い分に対する反応は見ないまま、セフィロスは正直に応えを返すクラウドの身体へ没頭した。

 身体を繋げる以前に、既に息も絶え絶えなクラウドを寝台に運ぶ。いつも青白く見える青年の肌は上気して、自分の足に食い込ませた指先だけが白く浮き上がって見えた。先程から散々に慣らした場所は二本の指を飲み込んで、狭い場所を開くように動かしても、柔軟に受け止める。
  クラウドは高く掠れた声を切なく洩らしながらも、揺れるたびに古い寝台が騒々しく上げる軋んだ音を酷く気にしているようだった。
「こんな音立てたら、起こすよ」
  足元に寝ている子が起きて、二人の行為を目撃したところで、何をしているのかユキヒョウの子に理解できる訳もない。そもそも野生の獣など群れの中で交尾するのは当たり前の話だ。
  クラウドのそんな慎ましさも嫌いではないが、一瞬呆れたセフィロスは思い直して、抱え上げた身体を暖炉の前の床に投げ出した。
  普段読書や手仕事をする暖炉前には、繋ぎ合わせた獣の毛皮が敷いてある。そこに膝を突かせ、後頭部を押さえ込んで腰を高く上げさせた。果実を思わせる滑らかな尻を掴み広げると、果肉の色の内部がわずかに窺え、緊張に大きく蠢くのが分かった。前は下腹に触れそうなほど立ち上がって震えている。
「こんなになって、その理性はどこから来るんだ」
  煽るつもりで揶揄した言葉にも、押し殺した吐息しか返ってこない。潤滑剤に濡れた先端を押しつけただけで、それを受け入れようと、セフィロスへ捧げられた薄い尻が動いた。
  わざと強く掴んだそこに、荒々しく突き入れ、すぐに腰を引く。突然与えられた衝撃にクラウドの唇から悲鳴が上がる。
  セフィロスもまた、目の奥が沸騰するような感覚に襲われ、渇望するものを探り出す勢いで責め立てた。浅く、時折深く動くたびに、毛皮に半ば埋もれたクラウドの頭が振られ、尖った肩先がぶるぶると痙攣している。
  漏れ聞こえる喘ぎが、確かな快感を言葉にして伝えてくるまで、セフィロスは遠慮のない力で繋がった場所を擦り、次第に緩やかな動きに変えた。
  背後から身体を沿わせ、横向きに転がるように姿勢を入れ替えると、セフィロスを見上げるクラウドの表情は完全に解けて、先程の理性をようやくどこかへ置いて来たようだった。薄く開いた唇が、今際の際のように喘ぎ、流れ出た唾液が細い顎を伝っている。
  二人の間で粘つく潤滑剤を掻き混ぜるように揺すり、わざと水っぽい音を立てれば、クラウドもそれに合わせて腰を蠢かせる。前を駆り立てる手に、火照ったクラウドの指先が絡んで更に強くと促し、同時にセフィロスを包む場所が熱く燃えた。
「あんたも、早く、一緒に」
  滲んだ涙で濡れた青い瞳が見上げてくる。返された波にセフィロスも眉根を寄せて耐え、傾げた顔を近づけて戦慄く唇を吸った。
「ああ」
  ほんの一瞬クラウドの目の淫蕩な光の隙間に、解き放たれた獣の喜びの光が宿った。
  どうしても自分には与えることが出来ないと思っていたあの光は、日常の営みの中でも生まれるのだと、セフィロスは幾度目かの確認をすることになった。

 まだ夜明けは遠い時間に、頬を撫でる毛皮の感触に目を開けた。
  白い毛玉のようなものが、全裸で腕を絡めたまま眠るセフィロスとクラウドの間に挟まっている。丸まって仔猫のように眠る姿は、全くもって毛玉にしか見えなかった。
  夢でも見ているのか、時々伸ばした前脚が掻くように動く。歩いているつもりか、それとも母親の乳を揉んでいるつもりか、肌に直接当たってくる手の裏の肉球が冷たく感じられた。
  丸い背へ手を伸ばしてみると、毛足が長いと思っていた毛皮は二重構造になっている。雪を弾くための硬い長めの毛の根元に、毛足が短く、心地よいほど柔らかな下毛が密に生えていた。
  母親を失った悲壮感は感じられない、安らかな顔つきで眠っているが、やはり体温を求めてここへ這ってきたのかもしれない。
  身体を起こしたセフィロスは、分け合っていた毛布を青年へ掛け、小さくなっていた暖炉の火へ薪を入れた。物音に目を覚ましたらしいクラウドは、顔を上げてセフィロスを窺った。
「眠ってた」
  性交の後特有の婀娜っぽい表情に自覚がないのか、少し乱れた自分髪を掻き上げてから、眠る子供をそっとひと撫でした。
「この子、ここまで這って来たのか」
「オレが起きた時には間に潜り込んでた」
  すっかり目が覚めてしまったが、暖炉の上の置き時計はまだ深夜だった。
  セフィロスは脱ぎ捨てていたシャツを拾って羽織ると、時計の横に置いた蒸留酒の瓶と、その隣に伏せた小さなショットグラスを持ち上げた。
「オレもほしい」
  クラウドは毛布を羽織ったまま、そうして暖炉の前で真夜中の宴となった。
  肴は眠るユキヒョウというのが、いつもとは異なるだろうか。
  ユキヒョウの子供は相変わらず丸まって眠っていたが、暖炉の前の暖かさと静けさに安堵感を覚えているのか、幾度か寝返りをうつ内に、真っ白い腹を露わに仰向けになって眠っていた。良くみると白く見えた背中は黄味を帯びた薄い灰色で、一方腹側の毛は新雪のように真っ白だった。
「酷い寝相だなあ」
  クラウドはひそめた笑い声を上げて、あられもなく晒された腹を撫でる。刺激が気持ちいいのか、何度か反射的に脚を動かすが、それでも起きる気配はない。
「母親が恋しくて、もっと啼くかと思った。見かけは猫みたいだけど、猫とは違うなあ」
「拾ったお前を、もう親と思っているんじゃないのか」
「どうなんだろう。確かに元々物怖じする性格じゃなさそうだけど」
  自分のことが話題になっているのを知ってか知らずか、大きなマズルをひくひくさせて再び頭を動かし、また眠りに戻っていった。
  柔らかい毛の手触りがいいのか、クラウドは眠りの妨げにならない程度、ずっとユキヒョウの仔を撫で続けている。
  例え種族の違う仮の親でも、暖かな体温と手の感触があれば、素直に受け入れられるのだろうと思う。野生の生物の方が、命の危機に、己が生き延びる術を敏感に察知するものだ。
「お前に拾われたのが、この子の運だったな」
  そう洩らしてグラスを空けると、クラウドは何を感じ取ったのか、じっと目を据えてセフィロスの顔を覗き込んで来た。
「卑屈に聞こえる」
  無遠慮な言葉にセフィロスは肩を小さくすくめ、もう一度グラスへ透明な酒を注ぎ入れた。
「オレも最初の育て親は、そう悪い男じゃなかった」
「そういえばガスト博士は、ここで神羅から隠れてたんだっけか」
  この町は、ずっと昔ガスト・ファレミスが神羅から逃げた後に、エアリスの実母イファルナと共に過ごした場所でもある。
  そのガストはセフィロスを生み出したジェノバプロジェクトの発起人だった。つまりセフィロスを捨てて逃げ出すまでは、彼が育ての親でもあった。
「あの男は臆病だったが、オレから逃げ出すまではいい親だった。聡明で心慮深い研究者で、オレは大切にされていた」
  思えば、ガストのことをクラウドに話したことはあまりない。彼の話をすると、どうしてもエアリスの話題に触れることになるのをクラウドが嫌ったからだ。百年の時が過ぎても、彼女への贖罪を考えるクラウドへ強いるような話でもない。
  だが、間近から見上げるクラウドは、何故か酷く優しい顔でセフィロスを見返している。
「含みのある言い方だなあ」
「言葉のままだ」
「遺跡掘ってるの、楽しくてやってるんだろ?」
  セフィロスが発掘に参加することを、最初は懐疑的だったクラウドも、今はただ純粋に掘ることが目的なのだと理解しているようだ。
「楽しい。没頭するほど」
「土を掘るのが?」
「まあな。それだけじゃないが」
  実際には掘る作業そのものよりも、文献や伝承などを元に、どこを掘るか決める考察をし、下準備をすること、それに出土品の検証の方が時間が長い。
  そうして、セフィロスは自分の親たちと、同じ道を歩んでいることに気付く。
  思えばガストも宝条も、優劣はあれど皆同じ学者だった。
  探求と実験の結果が子孫を不幸にするかもしれないと疑問視すらせず、いや、知ってなお己の探求心という欲望のためにやったことには変わりない。しかも、ガストは己の間違いに気付いても、それを修正し行く末を見守る義務を放棄した。宝条は実験のために己の妻と子と共に、人間としての理性を差し出し、その妻ルクレッツィアは母としての責務を放棄した。
  ライフストリームの中で、実の親も、親と認めた男までがそうして己を捨てたのだと知った時、セフィロスの絶望はより深くなった。
  ライフストリームの中へ置き去ったはずの怒りが思い出されて、セフィロスの気に変化をもたらした。その気配を感じたのだろうクラウドは、不安も露わな表情を近づけて、頬へ両手を伸ばしてきた。
「どうしたんだ」
  セフィロスの細胞により、外見に殆ど変化のないクラウドが、昔と同じ顔で見つめてくる。出会った頃も同じように彼を愛していたが、それゆえに命を奪いかけ、無垢だった少年のまっとうな人生を奪うことになった。
「そこにある土器の欠片が、お前を殺すと思うか?」
「は?」
  セフィロスの両頬を包んだまま、クラウドは微かに首を傾げて考え込んだ。言葉のとおりではなく、何かの比喩と思ったのだろう。
「よく、意味がわかんないけど、無理じゃないのか?」
「そこにある瓶の欠片と同じように、土の中から出てきたモノのおかげで、オレがヒトでなくなったことを思い出した」
  絶句したクラウドは、驚いているというより少し怒っているようにも見えた。
  無言だが、両の頬へ添えられた掌はそのまま、感情の読めない時間が続くと、セフィロスは酷くいたたまれなくなってくる。
  その昔、何度目かの死の後に己の復活を願った時、セフィロスはクラウドと共に生きる術を探そうと誓った。
  セフィロスを滅亡させることが出来るのならば、唯一クラウドだけが、自分を生かせも出来るだろうと思った。
  それから共に過ごした時間は長かったが、セフィロスをこんな気持ちにさせるのは、過去も現在も、クラウドだけだ。
  ただの人間としてさえ生まれて来ることが適わず、呪われた血と運命を受け入れるしかないのなら、選びそこなった道を悔やんでも仕方がない。昔は後悔などしたことがなかったセフィロスが、一寸前、己が口にした問いすら悔やんでいる。
  憎しみに満ちた目で見つめられることには、もう飽きていた。
  望んで果たした復活ならば、せめてそれまでの時間で与えられなかったものを、この青年へ与えたいと思っていたはずだった。
「まだそんなこと言ってるのか。子供じゃあるまいし。大体好きでやってるんだろ」
  発された声は怒りを含むものでは決してない。
「もしそこの土器だか土偶だかのせいで、あんたがまたアホになったら、その復元し終わった壺でも頭にぶつけて、正気へ返してやるよ」
  クラウドが指さした壺は、一昨日辺りまで丸三日かけて繋ぎ合わせた大瓶だ。
  できればそんな破壊は御免被りたい。
「どっちにしても、そんな仮定にもならない話で暗くなるな。暑苦しい」
「……年中落ち込むお前に言われたくない」
  あまりの言い様にセフィロスは少しだけ反論した。
「うるさい。揚げ足とるな。二メートルのでっかいお子様が」
「二メートルはない」
「靴、履けば二メートルになるじゃないか」
  完全に話題から反れている言い争いの声に、さすがの眠り子も顔を上げた。
  ひげと丸い耳ををぴくぴくさせて、何事かと言いたげだ。
「あんたのせいで起きたぞ」
  オレのせいなのかと問い返す間も与えられず、クラウドは起き出した子を胸に抱いて、まだ寝ぼけ眼な頭と背を撫で始めた。満足な睡眠を取ったのか、目が覚めてくると途端に元気になったユキヒョウの子供は、抱き締めるクラウドの胸の上で軽々と跳ね、硬く平らな胸や腹のあたりを前脚で押しながら、高い声で啼いた。
「もう腹減ったのか。早いなあ」
  先程温めるために使った鍋に、もう一度瓶に残っているミルクを注いで、待つ間も子をじゃらすことに余念がない。
  腹のあたりのマッサージは気持ちがいいらしく、表情がこころなしかうっとりしているように見えた。
「見てみろよ、これ」
  仰向けに寝かせたユキヒョウの前脚を両手で掴み、その掌をセフィロスの方へと示してみせた。
「肉球がピンクだ」
  まだ歩くこともおぼつかないので、足の裏の肉球は硬くなっていない。色も汚れておらず、赤ん坊独特の肌色だった。
  ミルクの温度を確認してほ乳瓶へ移し、差し出すと、その前脚でほ乳瓶を掴むようにして凄い勢いで飲み始める。先程までぐっすり眠っていたとは思えない寝覚めの良さだった。
「ほら」
  クラウドは膝の上に抱えていたユキヒョウの子を、ほ乳瓶ごとセフィロスの膝へ放り出した。
  セフィロスの胡座をかいた足の上で、もがくように姿勢を変えながら、無心にミルクを飲んでいる。そして空になったほ乳瓶を名残おしく吸い続けていたが、しばらくすると瓶を放し、ミルクに濡れたマズルを舌で丁寧に舐め取った。
  満足げに喉を鳴らす様は、まるで猫そのものだった。
「オレもこの子も、あんたがいないと困るから」
  再び、口を開いたクラウドはユキヒョウの子へ視線を据えたまま言った。
「それを忘れるなよ」
  どんな表情でクラウドがそう言ったのか、ついに顔は上げてくれなかった。
  セフィロスも、どう返答するべきか僅かな時間迷いながら、らしくないと自ら思う小さな声で、わかった、と告げた。
  クラウドの前で、セフィロスが彗星を呼んだ時のように、絶望と憎しみに狂うことは二度とないだろうと今は確信をもって思えた。
  そんな時が来るとするならば───。
  明々と燃える暖炉の前で、ユキヒョウの子と敷物に寝転がり、無邪気にじゃれるクラウドが死の世界へ旅立った時、セフィロスもまたこの世界を道連れに、黄泉の国へと向かうかもしれない。
  まだその階段を下りる時でないのなら、もうしばらくセフィロスの守るべきものを見ていたかった。


2011.05.02(了)
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