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グレートヘヴン


 潮騒と海鳥の鳴き声、そして肌を焼く音が聞こえそうな強い陽射し。それ以外には何の音も存在しない。
 パームツリーの幹に結んだロープが、パラソル代わりに広げたシーツの端に繋がり、音もなく吹く風に揺らめいている様子を眺めれば、ごく自然に眠気に誘われた。白い砂は暖かく、柔らかく、素肌を受け止めてくれる。薄い布が作る日陰も心地良い。
 トロピカルフルーツを添え、小さな傘を挿した鮮やかな色のドリンクはないが、ジンが入った味気ない透明の瓶に直接ライムを搾り、頭の横に常備している。倒れないようにと半分砂に埋めたガラス瓶が、陽光を受けて虹色に輝く様はとても贅沢な眺めだった。
 当初の予定とは多少異なるものの、金持ちが大枚を叩いて訪れる以上のリゾートを、青年は満喫していた。
 そして、うとうとしかけている耳に砂を踏みしめる規則的な足音が届いた。
「クラウド」
 聞きなれた男の声。しかし彼とこんな場所でこんな風に過ごす事を、出会った当時には想像だにしない。
「眠ってるのか」
「うん」
 足音の主へ顔も上げずに答えて、目の前にある砂のついた足を薄目で眺めた。
「起きているんだろう」
「うん」
「パームの実を見つけたぞ。それと、こんなものも」
 低い視野に男の顔は入ってこないが、彼が示すものはクラウドの目の前に置かれた。
 大きな実は、穴を開ければ果汁を飲むことが出来る。それにもう一つは少し色あせたラベルのサンオイルのプラスチックボトル、そして片方ずつのサイズも色も形も違うビーチサンダルが三足。
「向こうから流れついたんだろう。島を一周していたら、拾った」
「あはは。あんた子供じゃないんだからさ、こんなガラクタ拾ってくるなよ」
 クラウドが笑うと、男は肉体美の標本のような上半身を屈ませて、困った顔をしている。
 本人に自覚があるか分からないが、この図体の大きな男が慈善団体のごとくゴミ拾いしている姿を想像すると、かなり滑稽である。
「まだ新しいから、十分使えると思った」
 独り言を呟く音声で言い、男はクラウドの横の日陰に腰を下ろした。
 しかし椰子の実は南国気分を助長し、サンオイルも蓋を開けてみればココナッツの良い香りがする。サンダルも十分使える拾得物だった。
 からかわれたことが少なからずショックらしい男の足を軽く叩き、クラウドは身を起こした。
「オイル、ちゃんと使えるよ。塗ってやろうか?」
「いい」
 無表情で不貞腐れている男がたまらなく愛しく思え、クラウドは長い銀の髪の端を握って、その整った顔を引き寄せた。
「ごめん。別に呆れた訳じゃないって。英雄なんて呼ばれてたあんたが、子供みたいにビーチで遊んでいるのが、なんか嬉しかったんだ」
 引き結ばれた唇に軽く口付けて、クラウドは男の首筋に額を載せる。香ばしい焼けた砂の匂いが、こしのある髪に混じっている。
 小さく笑いの漏れる唇を髪の房に押し当てて隠すが、彼はその気配を悟ったようだ。
「笑うな」

* * *

 彗星の飛来と共に失われたものは多かったが、人々の復興に対する情熱も、そうして得られたものもまた大きかった。
 コスタデルソルも、目前の海から襲った強風と高波の被害に遭い、一度は壊滅にまで追い込まれた町だ。旧市街の隣接した土地に、町は一から再建され、以前よりもずっと手の込んだ、大リゾート地に相応しい建築と道路が出来た。そして再び世界一のリゾート地として世間に知れ渡っている。
 赤みを帯びた煉瓦造りの印象はそのまま、規模はひと廻りも二廻りも大きなホテルやコテージなどが立ち並び、拡張した白い砂のビーチは、遠く沖から見ても、まるで牡蛎の貝殻の縁のように美しく煌めいて見えた。
 その日の夕刻、そろそろ宿へ引き上げようかと、人々が砂浜から腰を上げ掛けた頃のことだ。
 時折ヨットやボートが通り過ぎる沖に、海チョコボを駆る二人の男が姿を見せた。
 陸を走るチョコボはよく見かけるが、海チョコボは今でも珍しい。その上、それに騎乗している人物が若い男二人となれば、特に美醜に敏感な者でなくとも、注目しない訳がない。
 戦士の格好で、しかし彼らの容姿は煌々とした陽の下でも色褪せない、何か神々しい気配すら感じさせ、ビーチに寝転びリゾートを堪能していた者たちは、一様にその姿を目で追った。
 二人の青年と二羽の騎獣は、上陸したビーチの端からそのまま街はずれに向かい、その奥に消えた。
 まさに黄金と評するに相応しい金髪の若者、そして鋼の色をした長髪の男の噂は、その夜には主要なホテルのバーやカフェで持ちきりになっていたのは云うまでもない。そして彼らがそこに来はしないかと、特に女性客は期待に胸を膨らませていた。
 だが、普段よりも幾分賑わっているかに思える店内に、彼らが現れる様子はなかった。遭遇することを密かに願っていた客たちも次第に宿へ戻り始めた深夜、彼女達は己たちの気の短さを後々呪ったことだろう。
 噂の主は漸くその姿を現したのだ。


 クラウドはセフィロスを伴って、街の中心に位置するホテル『ユートピア』にあるバーにやって来た。自分たちが宿にしているコテージにはバーがなかったこと、それにこのコスタデルソルで有名なカクテルがこのホテルの名物であったからである。
 夕刻にこの町に着いた時、二人はそもそもクラウドの別荘に寝泊りするつもりだった。
 しかしクラウドが購入した旧市街の別荘は、彗星の飛来でもちろん被害を受けていた。おまけにその後も長い間放置していた家が、人の住める状態であるはずがなかった。
 埃が積もった室内、落ちた屋根瓦と雨漏り確実の穴、壁には得体の知れない落書きまでされて、完全に廃墟だ。
「これじゃ、野宿するのと変わりないよ。オレの別荘、高かったのに」
 消沈するクラウドの背中を押して、新市街地の一番端にあるまともなホテルへ促したのはセフィロスである。
「仕方あるまい。リゾートを満喫しに来たのだろう。普通のホテルに行けばいい」
「ホテルに泊まるのと、自分の別荘じゃ違うだろ」
「わがままを言って困らせるな」
 クラウドの頭を軽く叩いて言い聞かせるセフィロスを、青年は上目遣いで睨み付けて言い返した。
「ホテルだと、いろんなヤツがあんたを見るから嫌なんだよ」
 クラウドの不満を証明するかのように、客の密集度は少ないはずのバーの客全てがセフィロスを見ている。どこに行っても衆目を集める男であることは承知しているが、それは常にクラウドの機嫌を悪くするのだ。
 一瞬目を見開いた男は、やに下がりそうな表情一歩手前で硬直した。
 嬉しがらせを、とセフィロスは呟いて、さっさとカウンターへドリンクを取りに行った。
 その姿を目で追うクラウドに倣い、客の視線は長身の彼に釘付けになっている。男たちは羨望の眼差しをその憎らしいほど長い足に、女たちの熱いそれは整った顔と、広く開いたシャツの胸元に。
 これほど他人の目を向けさせる男が、以前はもっと注目を浴びていたのだ。
 廃墟になりかけたこの地の別荘が、まだその機能を十分に果たしていた頃であれば、彼の周囲に出来る人垣に、クラウドは近寄ることさえ叶わなかったに違いない。それだけ彼はあらゆる意味で有名人だった。
 あれから数十年、無論男の顔を覚えている者も健在だろうが、それも大層老いるだけの時間が過ぎた。あの時と変わらぬ姿を保つ男が、その人と分かる人間は少ないだろう。
 細長い、優美なグラスに注がれたカクテルと、ホテル名物の色鮮やかなドリンクを両手に持ち、その片方を卓の端に置き、クラウドの前へ滑らせた。まるで給仕を楽しむように、芝居がかった動作が憎らしい。
「こちらでよろしいか」
 顔をしかめて口調を拒絶してから、気分を取り直して笑い、グラスを上げた。

 久々に人の賑わう場所に来て、その中で酒を酌み交わす楽しさを満喫できたのは、しかしながらほんの半時ほどだった。長期に渡って滞在している者ほど、この自然も豊かなリゾートで、通常よりも開放感に溢れているということを、二人は忘れていたのだ。
 都市の酒場ではいっそ遠巻きにされる二人の元に、入れ替り立ち代わり男女構わず接触を試みる人間が続出した。辟易して早々に店を出た後も、今度はどこから嗅ぎつけたのか、宿の部屋の扉を叩く者までいた。
 せっかく常とは異なる場所で、柔らかな寝台の上、柄にもなくロマンチックなムードに……という時点で、こちらは顔も名前もしらない者に闖入されて、クラウドならずとも、セフィロスとて機嫌が最低まで落ち込んでも仕方ない。
「解決策はないのか」
「あんたがもっと目立たないヤツだったらいいんだよ」
「お前のその頭も十分目立つ」
 些細なことから口喧嘩に発展しそうになり、二人は同時に溜息をついて俯き、それから顔を見合わせた。
 互いに相手が悪いと思っている訳ではない。これは完全に不可抗力なのだ。
「ホント、どうすればいいのかな」
「もっとシーズン絶頂なら逆に人が多すぎて、こちらも目立たないだろうが」
 無論季節に関わらず、ここコスタデルソルは常夏の楽園なのだが、ウミガメの産卵が見られる初夏や皆が夏休みを取る夏の終わりの方が、観光客は多い。今はまだ春も浅いうちで、コスタデルソルの海水浴シーズンはこれからだった。
 部屋の扉の外に『ドントディスターブ』の札を掛けることに思い至った。暫く訪れる者もなく、やっとその気が戻って来た二人がシーツの隙間で戯れていると、それを再びノックが遮る。
「くっそ〜。いい加減にしろよっ」
「クラウド」
 セフィロスは至って真剣な表情で、クラウドの小ぶりな頭を両手で挟み、固定したそれを覗き込んだ。
「いい方法を思いついた」
「なんだよ」
「明日、教える」
 悪戯を思いついた少年のように表情を変え、セフィロスはクラウドの唇を摘み取った。
 何か、面白いことでも考え付いたというのだろうか。
―――常日頃はトウヘンボクのセフィロスが。


 翌朝、クラウドはセフィロスに促されて荷物をまとめ、彼に指示された物資を雑貨屋に買いに行き、そうして向かった場所は、コスタデルソルの南側の海岸から二十キロほど沖にある、小さな無人島だった。
 セフィロスが以前この付近を通りがかった時に、目をつけていたらしい場所だ。
 コスタデルソルの周辺にはこうした小さな島が多いが、クラウドが知る限り、そこは街とは反対側の沖合いのため、船を使うと半島をぐるりと一周せねばならず、距離以上に時間がかかる。そんな理由でずっと無人島のままらしい。
 飲料水をはじめ、多くの荷物を積んで少々足取りの重い海チョコボで、島をぐるりと回ってみると、周囲は二キロ程度、島の直径は一キロにも満たない小島だ。だが珊瑚礁の浅瀬が島の海岸から三百メートルも外側を、丸く取り囲んでいる。
 砂浜はコスタデルソルの整備されたものとは違い幾分狭く、珊瑚礁が砕けた白だった。砂浜の背面はパームの林、さらにその先は、島の中央に向かって大きく起伏しており、岩石が崩れた十メートルほどの高さの崖もある。その周辺に生い茂る木は背が低く、つげのように小さな葉をつけた見たことのない潅木の林だった。その木の枝には、鳩くらいの大きさの茶色い鳥が所狭しと巣を作り、母鳥が卵を温めている。
 獣という獣はろくに生息している風ではなく、大群で巣作りする鳥たちを見ても、彼らの天敵が存在しないことは明らかだった。
「ここで、寝泊りするってこと?」
「もちろん。不服か」
 海岸に立って周囲を見渡せば、白い砂に立った椰子の木や、コスタデルソル以上の水の透明度、何の不足も感じない。
「全然。ここのが数倍いいかもよ」
 今にも服を脱いで海に飛び込みたい衝動を抑えながら、クラウドは沸き立つ気持ちを隠さずに笑った。それを見下ろすセフィロスも微笑んだ。
「ホテルの部屋には及ばないだろうが、まずは寝床を作るとするか」
 チョコボから飛び降りて砂に降り立ち、まずは自分たちの寝泊りする場所を確保することにした。
 コスタデルソルの町で手に入れた小さなテントを、パームの林の中に張った。下は砂地で眠るのも快適だろう。太い薪は期待できないものの、この環境では夜通し火を焚く必要は感じない。煮炊きするには十分な枯れ枝は手に入る。
 クラウドらからすれば、コスタデルソルよりも余程リゾート気分を満喫できる、穏やかで快適な島になりそうだった。
 テントの中に愛用の武器を横たえ、クラウドは早速服を脱いで、白いシーツを一枚荷物の中からひっぱり出し、砂浜へと駆け出した。
 風が、頭上を覆ったシーツを旗のようにひるがえし、大きく膨らんだ。
 そのまま波打ち際に立つと、エイかウミガメか、巨大な生き物の影がゆっくりと目前の海底を横切っていくのが見えた。
「クラウド」
 セフィロスの声に振り返るまで、クラウドは静かな、碧い海面を見つめ続けていた。
「あれ、空から見たら、楽しいだろうなあ」
 大昔に、そうやって海ガメやクジラが泳いでいく様を、飛空挺から眺めたことがある。
「エイか。二匹いるな」
「エイって食べられる?」
「さあ、オレは喰ったことはないが……食べるのか?」
 横に立って複雑な表情で眉根を寄せるセフィロスは、クラウドを同じように上半身は裸で、タオルやジンのボトルを手にしている。
「いや、なんとなく聞いただけ」
「シーツをかせ。パラソル代わりにそこの木に張ろう」

 つまりそういう経緯で、無人島に腰を据えることになった訳だ。

* * *

 まるで澱みのない海水は、水中に潜っても遥か遠くまで見渡せる。
 数十メートルも離れた水面近くを、半透明の細長い魚が泳いでいくのが見えた。先端の尖ったくちばし状の魚の口は、強い陽射しを反射して刃物のように見える。
「あれ、なんだろう」
 クラウドはまるで物を知らない子供のように、好奇心を剥き出しにはしゃぎまわっている。
「細魚(サヨリ)だ」
「あれが? うわ、刺さったら痛そうだな」
 普段大剣を振り回して、多少なりともガルムの爪や牙に傷つけられてもけろりとしている青年が、優美で儚げな印象すらある魚を恐れるなど。セフィロスの口元には自然と笑みが浮かんだ。
 この海域は魚が多い。その殆どが珊瑚礁の森に依存して生きている。珊瑚やイソギンチャクなどの生物を住みかにする色鮮やかな熱帯魚、それらを食料とする魚も集まっていた。その種類の多さは、この世界のどこよりも多いだろうと思われる。
 そして魚たちは、自分よりも大きな生物でも、生命の危険を感じさえしなければ恐れることなく近づいてくる。間近で見る熱帯魚は美しく、見る者を楽しませた。
「うわ、なんかでっかいのが足元にいるよ」
「お前が食いたがっていたエイだ」
 恐らく先程見かけたエイらしく、二匹が連れ立ってのんびり真下を通過していく。翼のような両側に鰭を広げても1メートルほどしかなく、この近辺で見かけるものの中では小さく部類だ。
「喰いたい訳じゃなくって、喰えるのかって聞いたんだよ」
「ウータイにエイ鰭の料理があったと思う」
 考えてみれば、この数十年共に旅を続けてきたが、その殆どは海の上をチョコボで移動している。見るもの全てが初めてというはしゃぎ方をしている青年も、同じように各地であらゆる物を見ているはずだった。それもセフィロスが一度は死に、北の大空洞で長い眠りについていた十年以上の間も、彼は独りでこの世界を放浪していたと聞いた。
 その頃に、クラウドはこんな風景を見ることはなかったのだろうか。
 それとも記憶にないだけか。
 エイを追いかけて水中に消えた青年が、少し離れた場所にぷかりと頭を出す。突然人間に追われ、魚たちは慌てて速度を上げ、逃げ切ってしまったようだ。
 クラウドは仰向けに水面に浮かんでいた。
 何事かあったのかとセフィロスが近寄ると、強い陽を整った顔に受けて、目を閉じている。
「はしゃいで、疲れたのか」
「ううん」
「どうした」
 薄目を開けた青年が、周辺の海にも負けない鮮やかな瞳で見上げ、セフィロスに微笑みを向けた。
 長い時間を必要としたが、かつて憎みあい、殺し合った彼がこんな表情を向ける時、セフィロスはそれだけでこれ以上にない幸福感を覚える。
「なんか、気持ちがよくって」
 珊瑚の丘に立ち上がれば、穏やかな海原は、セフィロスの手の届かない遠くまで、まるで一枚の絨毯のように広がっている。小さな波間がきらきらと反射するのは、さながらそこに織り込まれた銀糸のようだった。青年はその上に寝転んでいるかに見えた。
「クラウド」
 覗き込むと、青年は仰向けに浮かんだまま腕を上げ、セフィロスの頬についた砂の粒を指先で拭い取る。
 柔らかい指先、温かな水、どれもがそれらを壊そうとしたセフィロスにも優しい。
 愛しさをこめて、セフィロスはクラウドの唇へ軽く口付けた。拒むことなく伸ばされた両腕を掴んで引き寄せ、自分の首の後ろに廻させ、きつく抱き締める。不安定な珊瑚の上では頼りなく、抱き締め合ったまま水中に沈んだ。
 髪や耳から気泡が立ち昇る音に混じって、鈴が鳴るような微かな金属音が聞こえた。
 同じくクラウドもその音に気づいたらしく、唇を合わせたまま目を開いていた。
 珊瑚の間の砂の底に倒れ込み、周囲を見渡せば、そこに群がっていた魚たちが二人を避けるように群れを成して逃げていく。
 小さな魚の大群だった。
 フィッシュマーケットや商店でも見かける、食用になる銀色の小さな魚である。
 数は多すぎてとても数えることなど出来ない。
 見渡す限りがその魚たちの群れだった。それらが水面から二メートルほどの深さしかない海底一面を覆い尽くしている。海底の砂に移った彼等の影は、動く度に形を変え、まるで大きな生物がうごめいているようにも見えた。
 金属の触れ合うような音は、彼らの背びれや尾びれが触れ合って立つ音だった。
 水中に浮かぶ足のすぐ下を群れが通り過ぎ、砂地に足を下ろせば魚の背びれや尾びれが足首をくすぐる。
 窺い見たクラウドの顔は、驚きと珍しいものを目にした喜びで笑み崩れていた。彼の唇が声なく『すごい』と驚嘆の形に動く。
 そしてセフィロスに向き直り、もう一度抱きつかれた。
 言葉は聞こえずとも、彼の興奮が水を通して、触れ合った肌を通してセフィロスにも伝わってきた。
 クラウドの歓びはセフィロスの歓びであり、クラウドの幸福はセフィロスの幸福である。
 ここはまさしく楽園なのだと、セフィロスは改めて思った。



 昨晩とは正反対に日が沈めば島中が暗闇に覆われ、潮騒と、鳥と虫の声しかしない。これがコスタデルソルであれば、煌々と電灯が灯され、昼も夜もなく騒ぐ観光客の声が一晩中しているところだ。
 セフィロスたちソルジャーの目には、僅かな月や星明かりさえあれば、夜目も利く。薄い布で出来たテントの中でも、そこに横たわるクラウドの姿を、セフィロスははっきりと捉えることができた。
 今日一日で随分と陽に焼けた。ビキニタイプの水着の形に冷めた肌の色がはっきりと残っている。
 テントの中は、砂の上に直接タオルを敷いてあるが、その上で散々転がり回った為か、すっかり砂の地面が剥き出しになっていた。
 火照った肌に、夜気で冷まされた砂が心地いいのか、クラウドは好んで砂の上に寝転がっている。滑らかな肌を惜しげもなく晒し、気だるげに横たわる姿は、見慣れているはずのセフィロスを再び高揚させた。欲望に逆らわず手を伸ばせば、彼は苦笑を浮かべて砂の上を逃げ惑った。
「そんな、何度もしてると、飽きるだろ」
「お前が、か?」
「オレはそんなことないけど。昨日は邪魔入って全然できなかったし」
「オレもだ。お前に飽きるなど考えたことはない」
 彼の抵抗が恥じらいであって拒絶ではないと見て、セフィロスは背後から圧し掛かり、潤いの残るクラウドの内部に、まだ完全ではない己を押し込めた。
 浅く息を吐きながら素直に受け入れるクラウドの首筋に、顔を埋める。
 肌には淡い潮の香りが残っていた。
「うまそうな匂いだな」
 首筋についた砂を吹き飛ばしてから、緩くそこに噛み付けば、クラウドは吐息がくすぐったかったのか首をすくめ、小さく声を立てて笑った。
「かじるなよー」
「お前は、どこもかしこもうまそうだ」
「なんだよ。腹が減ってるのか?」
「そうだな。お前を食いたい」
 殺し文句のつもりで吐いた台詞を、クラウドは冗談と取ったのか再び笑う。
「砂まじりでじゃりじゃりするけど?」
 奇妙な言い様にセフィロスも笑った。
 色気も素っ気もない会話だが、これがクラウドのやり方で、いつもそんなものだ。
「では、洗ってやる」
 青年の身から一度離れて、セフィロスは確かに砂まみれの身体を抱き上げた。そのままテントを潜って全裸のまま目の前の海岸に向かう。
 普段ならば絶対にそんな真似は出来ないし、させてはくれないだろうが、ここは三百六十度を海に囲まれ、世俗から隔てられた無人島だ。
 そのまま水に入り、膝上あたりに水面がくる浅瀬でセフィロスはクラウドの身体を抱いたまま座り込んだ。珊瑚礁に囲まれたこんな場所では、波は常に穏やかで、昼間から気温ほど水温には差がなく、温い風呂に浸かるような感覚だった。
 身体を洗うには丁度良い。
 丁寧に砂を洗い流す間、クラウドは何も言わず、素直にされるままになっている。
 水に濡れた部分だけが、月や星明かりに反射して艶めかしい。それを楽しみながら、ただ洗うだけにしては少々執拗に全身を撫で、ついに口を開いた。
「クラウド」
「うん」
「きれいになった」
「うん」
 短い返答を一方的に了解と受け取り、セフィロスはクラウドの両膝の裏に腕をかけて、軽く持ち上げ、そのまま彼の尻を座った自分の腰に落とす。谷間を割り開きながら侵入を試みれば、先の行為で柔らかく解けた場所は、ゆっくりながらセフィロスの欲望を受け止めた。
 潮騒にクラウドの長い吐息が唱和する。語尾に微かな喘ぎが混じる。反らされた咽喉に水の滴が伝い、それが夜目にもはっきりと見え、まるで涙のようだった。
 早く、彼自らセフィロスを欲しがる言葉を吐かせたかった。でなければこの行為が、彼にとっても歓びであると確認することが出来ない。
 浮力に邪魔されながら強く、奥深くへ侵入し、同時に優しく、しかし情熱的に耳朶や頬を愛撫する。
 暫くしてクラウドは漸く理性を手放し、自ら砂に手を潜らせて、腰を高く上げる。
「もっと」
 もっと快感が欲しいという意味か、それともセフィロスが彼から麻薬のような恩恵を受けてもいいという意味か。
 穏やかな波に金の髪を漂わせて、目を閉じ、柔らかい砂をかき乱す青年を、セフィロスは問いを飲み込んで開拓する。
 火照る頬は、滑らかな肌に鮮やかな花を咲かせた。南国の花を開かせ、そしてまた散らせる行為は、己に相応しい行為のように思える。
 周囲の水が激しく波立った。その波間だけに嵐が来たようだ。
 深夜、海底で眠りを得ていた魚たちも、慌てて目を醒まし、言葉を発せるものなら抗議されたことだろう。

* * *

 この島に来て以後ずっと上機嫌だったセフィロスは、横になったクラウドの傍に胡座で腰を下ろし、すっかりすねた様子だ。
 どうやら『子供のようだ』とからかったことが、相当気に入らなかったらしい。
 自分のことは年中子ども扱いするくせにと反論しなかったのは、この美しい楽園でくだらない口論をしたくなかったからだ。というよりも、そんな様子の彼がクラウドは愛しいと感じる。
 時折、世俗から逸脱していることを不安に思うこともあるが、こんな気持ちにさせるセフィロスに、都市社会の中では出会うことができない。
 彼の機嫌を直してやるにはどうしたらいいか、クラウドにはその手っ取り早い方法が分かっている。しかし昨夜もそれと同様の行為を続けた身体を、再び酷使したくはなかった。
 ここ数日でかなり陽に焼けた肌は、彼の素晴らしく理想的な体型を際立たせて、クラウド自身もその欲求を抑えるのに、実はかなり苦労している。
「なあ。珊瑚礁の縁まで泳いでみない?」
 仰向いて見たセフィロスは、無表情でクラウドを見下ろす。
「先にそこに着いた方が勝ちってことで」
 セフィロスの片方の眉がわずかに上がった。
 クラウドにとって最も分かりやすい彼の変化を見逃すはずはない。
「勝ったら何かあるのか」
 提案に乗ってきたセフィロスの気が変わらない内にと、勢いよく飛び起き、満面の笑みで答えた。
「負けた方が勝った方のいうこと、何でも聞く王様ゲームってどう?」
 見下ろす顔は余裕の笑みである。
「オレに勝てると思うのか」
「あんたこそ。オレ結構泳ぎ速いの知ってるだろ」
「目標は?」
 クラウドが周辺を見回して、目印になりそうなものを探した。
 先日この島に来た時には、遮るものは見当たらず、一面が海原だったはずだった。だが、丁度北の方向、珊瑚礁の途切れるあたりに、丸い小山のような岩場が見えた。恐らく潮が引いて、海底に沈んでいた部分が顔を出したのだろう。
「あれ。おあつらえむきだろ」
「了解した」
 すっかりやる気満々らしいセフィロスを、クラウドは上目遣いに窺い、笑みの形の唇を彼のそれへ押し付けた。驚いて身を引こうとした身体を、首の後ろに腕を廻して拘束し、そのまま背後のパームの幹へ追いやる。
 セフィロスはされるままになり、クラウドは口付けを堪能しながら、その口から笑みを消すことが出来なかった。
 悪戯する年頃に、その機会に恵まれなかったのはクラウドも同じで、だからこそセフィロスとの関係は、まるで幼少期の冒険の延長のようだ。
「クラウド」
「じゃ、いこうか。よーい…」
 突然離れて、片手を上げたクラウドを追おうと、セフィロスが足を踏み出す。
 そして驚いて立ち止まった。整った眉を寄せ、背後を振り返ろうとして、再び驚いた。
 恐らく、後ろ髪引かれる気分を味わっているのだろう――というよりも、文字のままか。
 容赦なく上げた手を振り下ろし、大声で叫んだ。
「スタート!」
「ク、クラウド。お前!」
 大笑いを弾けさせて砂浜を走り出し、クラウドは海に飛びこんだ。
 セフィロスはきっとまだ、パームの根元に留まっているはずだ。パームの木に垂らしたロープと、彼の髪の結び目を解くには、もう少し時間がかかるだろう。


 目標物までは直線距離で四百メートルほどあるだろうか。
 完全に近い透明度の海は、泳ぐクラウドの足元を透かし、まるで珊瑚礁の町を見下ろしながら空を低空飛行しているようにも思える。
 様々な珊瑚の中に、一際美しい色を見つけ、クラウドは本気でストロークを続けながらも、その場所にもう一度来るために周囲の珊瑚礁の形を覚えようとした。
 島の周囲は、干潮時には途中まで立って歩いていけるくらいの遠浅だが、それでも沖に向かえば海底が低くなってくる。
 水深が四メートルに到達する頃、水の色が変わった。
 青緑色がかってきた海底に五十センチ程度の小ぶりなサメが泳いでいた。小さな熱帯魚たちはごく僅かになり、その周辺からは大きな魚たちの領域になるのだと分かる。
 そして突然、環礁の縁に辿り付く。ドロップオフと呼ばれる珊瑚礁の絶壁である。
 数メートル進んだだけで水温が下がった。濃いマリンブルーに煙り海底が見えないほど、急激に深くなっており、その絶壁を上から見ると、その深さが高さにすり替えられて、ちょっとした恐怖を感じる。
 だが振り返ると、三十メートルほど後ろをセフィロスが泳いでくるのが見えた。せっかく先発したのに追い越されてはたまらないと、クラウドは周囲の観察を止めて、ストロークの速度を上げた。
 目標はもうすぐ目の前だ。
 丸く突出した岩場は、一抱え以上もあり、海藻が付着してつやつや光っていた。
 岩場に手をついて島の方を窺えば、更に距離を縮め、セフィロスが猛烈な速さで近づいている。何とか追いつかれる前にゴール出来たようだ。
「勝ったぞ!」
 顔が見えない後続に大声で告げて、クラウドは更に岩場を登ろうと両手を掛けた。
 思ったよりも突起がなく、おまけに滑って登りにくい。それに珊瑚礁の岩にしては柔らかいような気がした。
 何かおかしいと、本能が囁いた。
 よく考えれば、水深は十数メートルに達しようという場所に、どうしてこんな岩が突出しているのか。
 無意識に右手を背中に伸ばすが、剣を持っているはずもない。
「クラウド!」
 セフィロスの呼びかけが半ばで途切れて聞こえた。何かが足首を掴み、水中に引きずり込まれ、クラウドは本能でもがく。
 すぐに立ち直って足元を見下ろすと、クラウドの足首に冷たく柔らかい蔦のようなものが巻きついていた。
 そして目の前に現れた物体に、クラウドは発せるものなら叫び声を上げていただろう。
 巨大な蛸かクラゲのように見えた。
 だが黒々として硬質なうろこ状の頭、それに海中でも光る三つの目が、ただの生物ではないと瞬時に判断させる。
 丸い頭の下は幾つもの足がついて、そこから伸びた数本の足が、クラウドを捕らえていた。
 身を屈めて足に巻きついた足を外そうとするが、思ったよりも強く、半端に柔らかいそれは外れそうにもない。クラウドは方針を変えて頭を攻撃しようとするが、海藻で滑るそれは、攻撃すべき弱点どころか、手を掛ける場所すらも見出せなかった。
 もがこうとする身体を、慣れた感触の腕が後ろから抱きかかえた。セフィロスが追いついて、危機をすぐに察してくれたらしい。
 それだけで不思議と未知への恐怖が抜け、顎をとられて唇が重なり、空気を分け与えられるころには、すっかりいつものクラウドに戻っていた。
 セフィロスはクラウドを解放し、そのまま更に潜ってモンスターの下へ回り込んだ。
 蔦状の足が絡みつくのも構わず、足の根元の中央にある口の中に片腕を突っ込み、一瞬の内に闘気を最大まで高める。見開いた目が碧色に光った。
 モンスターの体内で炸裂した魔法の光が、うろこの頭部を突き抜け、赤い帯になって海面へ吹き上がる。
 燃えかすのようになったモンスターの肉片が八方に漂った。
 身体の自由を取り戻し、クラウドは水面に浮かび上がった。続いてセフィロスも顔を出す。
 辺りは巨大なモンスターの死骸が、まるで伸したイカのように平らに浮かんでいた。
「こんなのがいたなんて、びっくりした!」
 クラウドが喚きながら死骸を払い除けると、セフィロスは薄く笑っている。
「あんた、マテリアなんて持ってたんだ?」
 無言で上げた腕に、細いバングルがはまっていた。緑の魔法マテリアが幾つか装着されている。先程発動したのはファイガだろう。死骸の破片が焼け焦げていた。
「ズルした罰かな」
「初めて見るモンスターだな。この界隈に生息しているのか。水棲のモンスターを見たことがなかったが、つくづくあの男も面倒なものを作ってくれたものだな」
 セフィロスは物珍しげに死骸を弄んでいるが、それにならって死骸の一部を摘み上げたクラウドは、ぶよぶよとしたクラゲのような感触に慌ててそれを投げ捨てた。
「うわっ、気持ちワル!」
「もしかすると、これがいたから観光地化されていなかったのか」
 気味の悪い死骸を前に、どうしてこれほど冷静に分析していられるのだろうか。
 尊敬と、理解不能のものを見る目つきのクラウドにセフィロスは苦笑する。
「これまで現れなかったんだ。オレたちがこいつに近寄ったり、接触したりしなければ襲いはしないだろう」
「そう願いたいけどね」
 確かにこの美しい島が観光地にならなかったのは、このモンスターのせいもあるだろう。間違って死傷者でも出ては、商売として成り立たない。
 そういう意味では、クラウドたちはこのぶよぶよのお陰で、静かなリゾートを楽しめるということになる。
「目標がこのモンスターだったということは、オレの勝ちだな」
 突然当初の目的を告げられて、クラウドは我に返った。
「なんでだよ」
「オレが倒した」
「こういう時は引き分けって言わないか? 岩に襲われるなんで反則だろ」
「ズルをした罰だ」

* * *

 クラウドはセフィロスと共に過ごしていることを、後悔する時がある。
 幾ら戦いで鍛えた身体でも、やはり辛いものは辛い。だが弱音を吐いたクラウドをセフィロスは一蹴する。
「お前が言い出したんだろう」
「ものには限度ってのがあるだろ!」
「疲れるのはお前だけじゃない」
 だるい自分の腕を撫で擦りながら、クラウドは背後を振り返った。
 クラウドのチョコボの両脇にポリタンクをくくりつけている。そしてクラウドの両脇にも二つ。それぞれ中には二十リットルの飲料水がなみなみ入っていた。
 滞在中の飲料水の確保、つまりそれが罰ゲームというわけだ。一番近い大陸の町はコスタデルソルで、そこから計80リットルもの水を運ぶことは、かなりの重労働だった。
「戦場でも飲料水の確保は重要だ。飢えは何とかなっても、水がないと死ぬ」
 講義する口調のセフィロスは、パームに張ったシーツの下で、優雅に寝転んでいる。
「手伝ってやろうって気にはならないのか」
「それでは罰ゲームにならないだろう」
 汗だくになったTシャツを脱いで、クラウドはそれを砂浜に叩きつけた。
「リベンジだ!」
 持っているならば剣を突きつけていそうな憤慨を、セフィロスは鼻先での笑いで受け止める。
「勝てると思っているのか。同じ手は二度は使えないぞ」


 主人たちの痴話喧嘩は、チョコボたちにとって見慣れたものだ。
 とばっちりで二つの重いタンクを下げたクラウドのチョコボに至っては、どうでもいいから早く積荷を下ろしてくれとでも云いたげだ。
 パームの下で佇む二頭は動く二人の主人たちを目で追う。
 チョコボに通じた者が彼らを見たならば、相当な呆れ顔に見えたことだろう。


グレートへヴン
04.01.12(了)
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