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炎獄の帝王



 彗星の飛来から十数年、世界は未知の病の恐怖から抜け出し、襲い来る脅威を廃絶し、再び彼らの繁栄を追い求めている。
 旧ミッドガルの遺跡の周囲に出来た都市エッジは、人口数十万人規模に発展して、徐々にその外周を拡大していた。
 また魔晄の代わりに化石燃料の採掘が行われ、以前ほどではないにしろ、発電、自動車やトラックなどの燃料にはおおむね事欠かなくなってきた。特にコレルエリアやゴールドソーサーエリアなど、西大陸の東側は原油の埋蔵量、産出量が共に大きく、世界再生機構により開発と管理が行われていた。
 ゴールドソーサーは行楽地として名の知れた場所であったが、メテオ事件の後に魔晄で稼動していた施設は運行出来なくなり、閉園されている。
 一方流砂が止まり、広大な荒地と化したコレル砂漠は、原油採掘に関わる労働者や事業者で驚くほど賑わいを見せていた。
「昔はこんな風に走れなかったからの」
 砂漠のど真ん中を走るトラックの、荷台に乗った八名の労働者のうち、一番歳かさの老人が呟くように漏らした。
 流砂だらけだった以前のコレル砂漠を知る者は、十年経ってしまうと、もう余り多くない。
「そうだなあ。排気量のデカいサンドバギーでもなけりゃ、ろくに進めなかったな」
 バレットは老人の真っ黒に日焼けした顔を見て、片方の口端を上げてにやりと笑った。
「そうか、団長はこの辺の出身だったかね?」
 トラックの助手席に納まっているバレットには聞こえ難いと思ったのか、老人は荷台におさまる採掘労働者全員に響き渡るような大声で聞き返した。
「ああ。元々コレルで生まれ育った」
 トラックは稼動する採掘やぐらがぽつぽつと並ぶ、平らな場所をまっすぐに走っている。
 丁度、今の進行方向へまっすぐ一日ほど行けば、バレットの故郷であるコレル村に着く。
 もっとも現在は、村の殆どの住人が住みやすい海岸沿いへ移住してしまった。
「団長がコレル出身とはしらなかったな」
 そう呟いた若い労働者のほとんどは、エッジやジュノンから出稼ぎに来ている。
 一方、先ほどの老爺をはじめ、歳のいった者は大抵、コレルプリズンの出身───つまり元は神羅の囚人だ。
 バレットはメテオ飛来の後、故郷の鉱山で働いていた頃の技術と経験を生かし、原油採掘に尽力していた。
 採掘の計画や資本こそ、世界再生機構が中心となっていたが、バレットはこの老人のようにコレルプリズンにいた者や、エッジで働き先を探していた若者を募って、採掘労働者の団体を作ったのである。
 労働そのものは辛く感じることもあったが、団体で支払われる労働者の賃金は決して安くなかった。その彼らが、家族と共に暮らせるように村を作り、小さいながら学校や病院などの施設を作る計画を実行したのがバレットだった。
 日焼けで赤黒くなった顔と手足が泥砂と汗にまみれても、眩しい陽光を浴びる顔には、昔、コレルの鉱山で村人たちと共に働いていた時のような笑顔がある。
 バレットがずっと取り戻したかったものは、ここに確かに存在した。
「お、あいつだ。団長」
 運転席に収まっていた中年の労働者が、荷台を向いていたバレットの肩を叩いた。
 ドライバーの指差した先には、稼動していない採掘やぐらがある。
「なるほど。確かに無線で言ってたとおり、動いてねーな」
 やぐらの近くでトラックを止める。
 トラックから足を下ろし、外へ出たバレットは、瞬間何かの違和感を感じた。
 首をかしげつつやぐらに近づくと、外観に壊れた様子はないのに、原油をくみ上げるためのポンプが動いていない。
「何が原因でしょうかねえ。とりあえず見てみますか」
 荷台から仲間たちが続々降りてバレットの後ろに佇んだ時、先程の違和感は、強い殺気のようなものに変化し、バレットは思わず振り返った。
 彼らの背後には、荒涼とした大地が広がっている。
 黄色く乾いた土と岩がどこまでも続き、遠く北側の地平線に浮かぶのはコレル山地の山陰だった。所々、立ち枯れた木々とポンプを上下させる採掘やぐらが点在するだけで、ほかは何もない、いつもの午後の風景だ。
 だが目を止めた平らな荒地に、砂煙のようなものがもうもうと舞い上がって見えた。
 距離は百メートルほどだろうか。そう遠くない。
「みんな、右へ逃げろ」
 バレットはその方向へ手を振り、咄嗟に指示した。
「え?」
「いいから走れ! 走って、やぐらから離れるんだ!」
 残念ながら誰一人としてすぐに走り出さず、バレットが視線を向ける場所を一斉に見やり、砂煙に気付いた者から順に驚愕の声を上げた。
 彼らが走りだし、距離を開けたのを確認した時、砂煙は人がゆっくり走るほどの速さで徐々に近づいて、バレットの二十メートルほど前まで迫っていた。
 地鳴りがする。
 何かが確かに地中を移動している。
「サンドウォームか!」
 サンドウォームは音に反応して行動する。
 大勢の仲間が走っていると、そちらに向う危険があった。
 バレットは腕の銃の安全装置を外し、ユニットを開いて銃口を地面へ向けた。
 連射モードで地面に発砲する。
 図案のように連続で開いた穴から視線を戻すと、砂煙は一層大きく舞い上がり、地鳴りもいよいよ近づいて来た。
 咄嗟に仲間と反対方向へ走り出した。
 その先には今稼動してないやぐらがある。やぐらは大きなポンプを固定するものなので、強固に設置してあり、そう簡単には地中から剥がれないと思われたのだ。
「団長ぉっ!」
 誰かが自分を呼んだ声が聞こえたが、バレットに振り返る余裕はなかった。
 地鳴りに追いかけられるように走り、やぐらの支柱の下まで走りこんでから漸く背後を振り返った。
 正面の地面が鈍い音を立てて割れ、起き上がった物の大きさにバレットは驚愕せざるをえなかった。
 頭部の直径だけで二メートル近く、普通のサンドウォームの倍ほどはある大きさだ。至近から、丸い口の縁に並んだ細かく尖った歯までが見えた。口の周囲から頭にあたる部分には、固い土も掘り進むためだろう、硬質な刃に似たうろこのようなものが、襟巻き状に並んでいる。
 支柱の影に隠れるように後退したバレットの頭上に、その巨大なサンドウォームが圧し掛かってくる。
 銃口を上げ、開いた口内へ向けて砲弾を撃つ。
 毒々しく生々しい色をした口腔を貫通し、弾道から晴れた空が丸く見えた。
 奇妙な悲鳴のような音を上げたサンドウォームは、力を失ってやぐらに倒れかかった。太い鉄骨がみしみしと音を立て、支柱に積もった砂が大量に落ちてくる。そのまま鉄骨は今にも力尽きそうに歪み、バレットは慌ててやぐらの下から脇へ身体を転がした。
 サンドウォームの身体と一緒にやぐらが地響きを立てて背後へ倒れる。折れたパイプからは水が噴き出し、転がったままのバレットへ雨となって降り注いできた。
「なんだこりゃ」
 原油が噴きだすなら分かるが、ぐったりと倒れたモンスターの長い身体の下から、噴水のように出ているものは透明な水だ。
「水?」
 舐めてみても何の味もしない、ただの地下水らしい。
 首をかしげているバレットを遠くから見ていた仲間が、恐る恐る様子を見ながら近づいて来た。その誰もが、突然現れた巨大なモンスターと同時に、噴出してきた水に驚いている。
 青く晴れた空に、弧を描いて噴き出す水に注視していたその時、脱力していたサンドウォームがぞろりと動いた。
「うお! 死んでないぞ、こいつ!」
「あぶねえっ!」
 砂を撒き散らしながら再び持ち上がった頭が、仲間の方へ向いた瞬間、バレットは降ろしていた銃口を上げ、咄嗟にトリガーを引いていた。
 人生の半分近くを肉体の一部としてきた銃身が、慣れた重さの反動を返す。
 だが、眼前の怪物の頭が砲弾に引き裂かれる瞬間、バレットの視界は真っ白に染まった。
 いや赤か、それとももっと光に似たものだったか。
 その時、脳裏をよぎったあの水の正体に後悔する間もなく、衝撃がバレットを包んだ。
 身体を覆い尽くした光の向こうに、吹き飛ばされるサンドウォームの身体の一部、更にその奥に恐怖に強張る仲間たちの姿があり、バレットは彼らの方へ伸ばした己の指先を見つめたまま、意識を飛ばした。


* * *

 額に触れた指の冷たさが気持ちよく、重く痛みを伴う腕を動かして、その指先を掴んだ。
 繊細で、几帳面に爪の整えられた指は長く、記憶の中からそんな指の持ち主を探り、その名を口にした。
「ミーナ」
 亡き妻の名は、何年経っても口から離れない。
 ずっと以前、己の犯した罪から失うことになった最愛の女性は、時折こうしてバレットの夢に現れては、記憶にある最後に見た時と同じ笑顔を浮かべている。
「ミーナ?」
「気付いたか」
 聞き覚えのある声に、必死で重い瞼を上げる。
 たったそれだけの行動がままならず、だが確認したい欲求に従って貼り付いた瞼を開けて、声の主の顔を見上げた。
 横から見下ろしてくる顔は、かつてこの星が危機に陥った時、バレットをはじめ幾人もの仲間がリーダーと認めた青年だった。
 あれから十年以上が経過しているというのに、染みひとつない幼さすら残る顔だ。鮮やかな金髪は相変わらず四方へ跳ね上がっており、バレットの顔を写した懐かしい魔晄色の二つの瞳が綻んだ。
「バレット。分かるか?」
「お前……クラウド」
 思いがけず再会した相手の、思いがけないほど優しい笑顔に驚き、バレットは慌てて周囲へ視線を巡らせた。
 自分が寝ているベッドは、パイプ製の簡素なものだ。それを確認するために首を少し動かしただけで、全身がひきつるように痛んだ。思わずしかめた頬にはひりつく感触が走る。
 恐る恐る、視線だけで見下ろした己の身体は掛け具の下に隠れていたが、上半身は白い布に覆われているようだった。頭や顔を周囲にも包帯らしきものが巻かれている。
「何が、どうなってんだ」
「説明するから、治療が終わるまでは大人しくしていてくれよ」
 まるで子供へ言い聞かせるように、クラウドは穏やかな声でバレットを抑え、片手の掌を身体へかざした。
 慣れた感触の暖かな気と淡い光が、身体に巻きついた白い布の上から肌を照らしていく。これは回復魔法だ。
 ひりひりと各所で訴えていた痛みが和らぎ、緊張する全身から力が抜けた。
 心地よい魔法の光に、性懲りもなくうとうとしてくる目を周囲へ巡らせた。
 古びた木造の小屋の中には、バレットが寝ているベッドと反対側の壁に、もう一台のベッドがあり、その上に何枚かの毛布が積まれている。
 バレットの頭側の壁には暖炉があり、その奥には土間のある小さな部屋への入口が見えた。恐らく水や食料、薪などの燃料を置く納戸だろう。
 幾つかある窓のひとつが、バレットの足元に光を差し込ませている。
 その外へ視線を巡らせると、夕暮れ近いのか薄赤く色を帯びた雲のない空と、見慣れた砂漠の荒野が見えた。
 この小屋を訪れたことはないが、油田のあるコレル砂漠のどこかに違いない。
 そうだ、とバレットは思わず小さく声に出していた。
 油田の敷地内を巡回している警備員から、採掘やぐらが一機故障しているという連絡を受けて、仲間と共に現地へ向った午後のことだ。一時間程の道のりで問題の場所に到着し、トラックを降りたところでサンドウォームが襲って来た。
「そうだ、サンドウォームが……」
 サンドウォームのような巨大なモンスターはメテオの事件の後、減少傾向にある。
 だが一方で、時折極端に数を増やしたり、凶暴化することがあった。
 現在環境問題や異常現象の調査は、世界再生機構が行って対処しているようなのでバレットも詳しいことは知らない。どこかの地域で某が増大し、某が退治へ行った等、噂程度に幹部のリーブから聞き出すだけだ。
 あのサンドウォームは、確かにバレットたちを狙っていた。
 恐らく採掘やぐらが停止したのも、地中であれが暴れた結果パイプが折られたり、ポンプの稼動部分が壊されたからだろう。
 襲って来たサンドウォームを撃ち倒し、その後だ。
 壊された採掘やぐらから噴き出した水。
 死んだと思ったサンドウォームが仲間を襲いそうになり、咄嗟に撃ったもう一発の砲弾の後───
「思い出したか?」
 治療を終え、クラウドはかざしていた手で、長い前髪をかき上げる。
「ああ」
 クラウドはバレットの答えに無言で頷き返した。
 そして今度は、頭を覆っていた包帯を剥がし、ベッド脇の椅子の上に水を張った洗面器で浸したタオルを絞って、バレットの顔から首を拭い始めた。寝汗が拭われて、水分が蒸発していく感触は素直に気持ちがよかった。
 バレットはふと頭をかすめた記憶を思い起こしていた。
 噴き出した水に驚いていたあの時、とっさに動いたサンドウォームへ砲弾を発射し、まるでガスに引火するように爆発したのだ。
 光に飲まれ、そこでバレットの記憶は途切れた。
「あの時、噴き出た水は鹹水だ」
 クラウドの言葉に、バレットは首を動かした。
「鹹水……そうか。だから爆発を」
 鹹水とは天然ガスを多く含む地下水のことである。
 地下深くで圧され、水に溶けたメタンやエタンなどの天然ガスは、地上に噴き出して地圧が下がると、自然に水から分離する。天然ガスの採掘は、そうした鹹水を引き上げて採取する方法が多い。
 実はコレル一帯のガス埋蔵量はかなり多いという調査結果があり、世界再生機構が計画しているガス田開発も、そうした地下水を汲み上げる施設だった。
 あの時、噴き出した水から分離され、やぐらの周囲に充満していたガスに、バレットの発射した砲弾がサンドウォームに着弾した途端、引火爆発したというわけだ。
「不幸中の幸いってやつ。下手したらあんたの腕ごと銃が暴発して吹き飛んでたぞ」
「お、おい。あン時いたみんなはどうした!」
「他の作業員はまったく無傷。お前が一番重傷だ」
 クラウドは掛け具をはいで、バレットの身につけた白い布に手を掛けた。どうやらシーツか何かを切って、一部を縫い合わせた手術着のようなものだ。こうして寝ていても処置がしやすいように、ありあわせの布で作ったのだろう。身体の脇を留めていたピンを外すと、前身ごろの部分をめくって脱ぎ着ができる。
 前身ごろをバレットの首のあたりまで引き上げて、クラウドはタオルで胸や腹を拭う。
 自分の身体を見下ろしたバレットは思わず、ううと呻いていた。
 クラウドの魔法のせいで、痛みこそ泣き出すほどではないが、胸や腹、肌の表面がまんべんなく火傷になり、生まれたての乳児のように赤く色を変えていた。体毛は全てなくなり、火傷のあと独特の、つるっとした真皮になっている。身体に刻んでいたタトゥーの一部は薄く、色を失っていた。
「足も股間も無傷だが、上半身は顔から首、胴体全部が酷かったぞ。熱も高くて、丸二日も目を覚まさなかったんだからな」
「二日もか……あ、オレの髪」
「燃えたな。眉毛も。火傷が治ればまた生える」
 確認しようと手を上げかけたが、全身に走った痛みに喘いだ。
 クラウドは苦笑し、拭い終えた前の身ごろを元に戻してピンを留め、毛布を掛けなおした。
「明日くらいには、多分痛みは減るから。そうしたらもう少しあちこち拭いてやるよ」
 洗面器を片付けるためだろう、席を立ったクラウドの背を見送り、バレットは溜息を吐いた。
 どうやら言われた通り、命が助かっただけ幸いと言うべきだろう。仲間たちにも怪我がなかったのなら、問題はない。
 だが、落ち着いてきたバレットには新たな疑問が浮かんでいた。
 しばらくして納戸から戻って来たクラウドは、金属製のカップを手にしている。どうやら中身は水らしく、バレットはそれを目にした途端、自分が酷く喉が渇いていることに気付いた。
 頭に手を添えて起こされ、カップを口に当てて飲ませてもらう。結局三杯もおかわりを頼んだ。
 バレットの乞うまま水を汲んでくる、甲斐甲斐しいまでのクラウドにどこかくすぐったい気持ちが湧き上がる。
 出会った時分はクールを通り越し、冷酷な男という印象が強く、仲間を思う気持ちなどどこにもありはしないのだと思いこんでいたものだ。目的へ向かって旅を続ける内、彼の本当の姿を目にして、逆に惚れ込んだ。仲間として、友人として信じるに足る男だった。
 その彼が、エッジから突然姿を消したのはもう十年も前のことだ。
 ベッドの脇に置いたスツールに座るクラウドへ、バレットはついに飲み込めなかった問いを口にした。
「お前、なんでこんなとこにいるんだ」
 クラウドの無表情に見つめ返され、バレットは自分があまりの言い方だった事に気付いて赤面する。
「いや、悪い。お前に見つけられなかったら、オレぁ死んでたかもしれないな、ってな」
 言い訳のようにしどろもどろで続けると、クラウドは苦笑する顔を俯けた。
「ちょっと用があって、この小屋にしばらくいたんだ。油田の近くを通りかかって、丁度その時、あの爆発音を聞いて、気になって近くへ行ってみたら全身火傷で血だらけのあんたがいた」
 自分のことでいながら、その光景を想像してバレットは今更背筋が寒くなった。
 本気でクラウドが偶然行き合わせなかったら、そのまま目覚めなかったかもしれないのだ。
「その場で魔法治療はしたけど、なるべく動かさないほうが良かったんで、トラックでここまで運んでそのまま預かったんだ。あんたが動けるようになったら、連絡すればあんたの仲間が迎えに来てくれる」
 クラウドは携帯電話をパンツのポケットから取り出して示した。
「あんたの携帯は熱で壊れてた。マリンにはオレから説明しておいたけど、夜になったらあんたが直接話すといい」
 エッジでティファの店を手伝う傍ら、学校にも通っている娘のマリンはもう二十歳になろうとしていた。幸い不器用な自分には似ず、誰からも愛される美しい娘に成長した。
 以前クラウドがセブンスヘブンから消えた頃の彼女を思い出し、バレットは俯いた青年を見つめた。
「マリンに……泣かれただろう」
 少し視線を上げたクラウドは、苦笑の表情のまま頷いて肯定した。
 十年前もどうしてマリンを泣かせたのかと、問い質す気勢を削がれてしまった。
 彼はそうしていつも言葉少なで、喚き立てるバレットを静かな目で見つめる。
 彼の体内に宿る異物故か、老いるどころか皺ひとつ増えていない。何も変わっていないように見えるその顔は、僅かだが以前よりも穏やかさを伴っていることが救いだった。
「しかし、お前、こんな辺鄙なとこに独りで何してたんだ?」
 間近で見る顔がさっと曇るのを、さすがのバレットも見逃さなかった。
 何かを隠そうとしている顔、後ろめたい彼の気持ちが顕著に現れている。
「独りじゃないのか」
 更に俯き、顔を背けたクラウドの口元が黒いニットの襟に隠れた。
「まさか」
 まるでバレットの問いを遮るように、足側にある小屋の扉が開いた。
 夕暮れ時の陽が乾いた地面一面を照らして、戸外に満ちたその光が流れ込み、バレットは思わず目を細めた。
 赤く、四角に区切られたそこに立つ背の高い人影は、腰下までの髪と長い手足を持っていた。
 かつてバレットへ、これまでにない恐怖と試練を与えた男を忘れられるわけがない。
 仲間を殺し、多くの人間を苦しめた彼の行った事も、忘れようがなかった。
「貴様……っ」
 起きあがろうとして、全身へ走った激痛に悲鳴を上げた。
 人影は室内へ踏み込み、光を差し込ませる戸口を静かに閉め、扉の前で再びこちらを振り返った。黒く長いコートも、その背に流れる硬質な色の髪も変わっていない。
 薄暗くなりつつある小屋に、恐ろしいまでの存在感と威圧感を与える男は、青年によく似た端正な顔でバレットを見下ろした。
「セフィロス!」

 色々と問いただしたいことはあったものの、バレットが口を閉ざしたのは、余りに悲痛なクラウドの表情に何も訊けなくなったからだ。
 断じてかつての『神羅の英雄』に怖じ気づいた訳ではない。
 自分が無傷であれば、例え勝機を見いだせなくとも挑まずにはいられないだろう男は、クラウドと並んで椅子に座り、ナイフで芋の皮を剥いている。
 淡々と調理を続ける二人を横目で見るバレットは、怒りを抑えきれずにいるものの、クラウドのために批難は口にしなかった。
 何の不服も云わず自分を助け、離れて暮らす娘のことまで気遣ってくれるような優しい青年だ。セフィロスの存在に憤慨することも最初から分かっていたのに、こうしてここに留めるのは、バレットの容態を案じてのことだろう。今でも、暗い表情で溜息ばかりをついている。
 十年以上前セフィロスを倒し、彗星の招く終焉を退けた時、歓喜する仲間の中でただ一人、この男の死に嘆き、崩れ落ちたのはクラウドだった。
 神羅にいた頃から知り合いだったという話は聞いていたが、まさか深い仲だなどと、仲間の殆どが想像すらしていなかったのだ。
 バレットに同性を愛する気持ちは理解できない。
 それでもクラウドの嘆きを見れば、同情せざるをえなかった。愛する伴侶を亡くす気持ちは、バレットだからこそ共有できるものだと思いすらした。
 だが同時に、今目の前にいる男は仲間を殺した稀代の悪人なのだ。
 この星の病の元凶とまで言われた男だ。
 すでに長い年月が経ち、事件の影響も絶えつつある今、引きずるのは女々しいと言われても、命を掛けて倒した男が、こうして何事もなかったように目の前に立っていて、平常心でいられるはずがなかった。
 ところが当のセフィロスは、大変な剣幕で迎えたバレットには挨拶どころか、表情すら変えず、いたたまれない様子で椅子から立ち上がったクラウドの側まで歩み寄ると、何故かその腕を引いて、暖炉の前まで下がった。
 そして、そのまま青年へ口づけたのだ。
 まるで恋人のように。当然の権利とでも言うように。
 赤面するどころか青くなったクラウドの背をひと撫でして静かに言った。
「戻った」
 そっけない帰宅の挨拶と抱擁を見せつけたセフィロスは、そのまま納戸へ姿を消した。
 立ち尽くすクラウド以上に、バレットは絶句し、全身の痛みを忘れるほど動揺していた。
 互いに掛ける言葉もなく凍り付いている二人を余所に、セフィロスは納戸から食材を運び入れ、芋の皮を剥き始めたというわけである。
 バレットは二人の方を見ないようにと、真っ暗な窓の外へ視線を振っていた。
 陽が暮れると途端に気温が零度近くまで下がる、コレル砂漠は過酷な土地だ。
 暖炉とランプだけの光に満たされた小屋は、ほどよく暖められ、古いが掃除もされて快適だった。しばらくここに滞在しているというクラウドは、この辺鄙で人気のない場所で、まだ彗星の記憶も新しい世間から隠れるようにセフィロスと暮らしていたのだろうか。
 窓ガラスには明瞭に二人の姿が映っていた。
 直接その姿を見るよりも、何故か現実味が薄れて不思議と腹が立たない。
 ナイフで芋を削ぐ手元を、時折互いに窺っている。切った芋を鍋へ入れ、そこに缶詰の中身を足して、暖炉の火に掛ける。
 二人の間には会話もなく、いわゆる恋人や夫婦のような甘さは感じられない。客観的に眺めれば、歳の離れた友人か兄弟が、田舎暮らしをしているようにも見えた。
 こうして、ここにいるバレットだけが異物だ。
 そもそも友人たちに知られれば不快に思われ、批難されると分かっていたからこそ、クラウドは姿を消したのだ。ここで消えるべきは、憎くともセフィロスではなく、転がり込んだバレットの方なのかもしれなかった。
 彼を責めることはやめようと心に決めた途端、僅かに安心したバレットは、心地よい暖かさにしばらくうとうとしていたようで、クラウドに揺り起こされて覚醒した。
「食事、久々だろ」
 器からは豆と芋の入ったスープのようなものが湯気を立て、バレットは腹が減っていることを思い出した。
 恐らく消化のいいものを選んでくれたのだろう。クラウドは煮溶けた豆や芋をスプーンの背で潰したものを、一口ずつ口元へ運ぶ。友人にそうしてもらうことは気恥ずかしくもあったが、食欲がそれを忘れさせた。
「なんだか、老人になった気分だな」
「やめてくれ」
 ようやくクラウドの顔が笑った。
「明日になったら、自分で食べられるようになるさ」
「食い終わったら、マリンへ連絡してもいいか?」
「ああ。バッテリーが切れるから、長話はするなよ」
「しねえよ。女子供じゃあるまいし」
 苦笑しながら最後の一口まできっちり食し、水と缶詰のジュースまで飲み切った。
 いい食べっぷりだと笑うクラウドは、食器を脇へ置いて、取り出した携帯で番号をコールし、応答を待った。
 受話口から漏れ出る音は、耳慣れた愛娘の声だとすぐに分かった。短い挨拶の後、今替わると呟いたクラウドに携帯を耳にあててもらうまでの短い時間が、酷く待ち遠しかった。
「マリンか?」
『お父さん! もう、バカバカ!』
 突然一方的に詰られたバレットの顔が複雑に歪むのを、クラウドは笑顔のまま見下ろしている。
「いきなりバカはないだろう。夕方目が覚めたんだ」
『みんなみんな心配してたんだから』
 娘の涙声に不覚にも目の奥が熱くなる。
「悪かったな。クラウドのおかげでだいぶいいんだ。動けるようになったら、一度エッジへ戻る」
『本当に?』
「ああ。しばらく戻ってないしな」
『クラウドも一緒に?』
 無意識にクラウドの顔を見上げていた。
 受話の音は大きく、恐らく彼にも聞こえていたのだろう。笑みさえ浮かべていた顔が瞬時に曇るのが分かった。
 そのまま問う視線で見上げ続けると、彼は声もなく首を横に振った。
「いや、クラウドは無理だ」
『そう……。お父さん、ホントに大丈夫? 私、そっちへ看病しに行こうか?』
「大丈夫だ。たぶんお前が到着するより、とうちゃんが治って街へ戻る方が早いだろうしな」
 そろそろ切るぞ、と続けて呟き、また連絡することを約束した。
 無表情で通話を切り、携帯をポケットへ戻し、クラウドは座っていた椅子から立ち上がった。
「なあクラウド。お前、一度あっちへ顔出せよ」
「無理だ。合わせる顔なんかない」
「そんなこたねーよ。みんな喜ぶに決まってる」
 クラウドは窓の外へと目を据え、凍り付いたままの表情で淡々と告げた。
「オレの身体は二十歳のままだ。あの時子供だったマリンと同じ歳になってる。成長して、歳を重ねていく彼らが、なんの変化もないオレを見てどう感じると思う」
「そんなこと言ったら、ヴィンセントの野郎だって同じだ。今でも時々出入りしてるぞ」
 だがクラウドは再び首を横に振った。
 強情な彼の態度に、バレットは僅かに怒りを覚えた。
「この男がいるから、オレたちのところに戻れないのか?」
 視線で示した先は、暖炉の近くに座るセフィロスだ。
 その瞬間顔色を変え、目を背け、更にその目を瞑るクラウドの表情は言葉以上に饒舌だった。
「やめろ」
「この男はエアリスを……!」
「やめろ!」
 それまでとは異なる強い口調に、激昂しかけたバレットも思わず黙った。
 一度は反らした目を、瞬きもせずこちらへ据えている。
 大きな二つの魔晄の色は怒りに加え、微かな憎しみさえ宿しているように見えた。それはバレットに癒しの手を当てるクラウドとは、全く別人と言っても差し障りのないほど───いつか見た、全てを拒絶するセフィロスと同じ目だった。
「オレがあんたたちから逃げて、出ていったことを責めたいなら、気が済むまでするといい」
「クラウド!」
「でも、こいつのことでオレに指図するな」
 この青年の目が、星さえ滅ぼそうとしたセフィロスと同じものだと気付いたことは、バレットを恐怖させた。
 かつて仲間たちがセフィロスを倒すことができたのは、ただ強固な信念だけでなく、神になった男に対抗できるだけの強さを持つ、このクラウドがいたからこそだった。
 つまり、何かの瞬間に道を違えることで、クラウド自身がかつてのセフィロスのように、星を滅ぼす存在に成り得る。
 思わず手が出そうになったのを堪えたように、クラウドは右の拳を固く握りしめ、ゆっくりそれを開くと、早足に振り返り、壁に掛けていたマントを取って扉へ向かった。
「悪い。ちょっと……頭を冷やしてくる」
 マントを肩に掛け、そのまま剣も持たずに外へ出ていった。
 バレットは若干の罪悪感を覚えながらも、先ほどからたった一言も口にせず、ただスープの鍋をながめながら透明な蒸留酒を舐めている男へ視線を振った。
 腹立たしいほど整った顔は無表情で、バレットどころか、出ていったクラウドを見やりもしなかった。
「てめえ、何しやがった!」
「何、とは」
 初めてセフィロスはバレットの言葉に言葉で返した気がした。
「全裸で血だるまのお前を姫君のように抱えて運んでやった」
「だまれ! オレは頼んでねえ!」
「お前に頼まれたところでやるものか」
「き、貴様!」
「何と言えば満足なんだ」
 暖炉の前に胡座で座り込んで、視線だけをこちらへ向ける男からは押さえ込めない覇気のようなものが流れ出ている。一瞬言葉に詰まったバレットを独特の目で見やったセフィロスは、音もなく立ち上がり、ベッドの脇まで歩み寄った。
「貴様がいるから……!」
 起きあがれないベッドからせめてもの憎しみを込めて見上げたバレットは、続きの言葉を詰まらせた。
「オレが消えれば済むと思っているのか」
「そうだ!」
「クラウドはオレを探して放浪するだろうな」
「うぬぼれやがる」
「お前たちがクラウドを連れ去ったら、オレが取り返しにいく。それだけのことだ」
 セフィロスからクラウドに執着するような言葉を引き出して、バレットは何故か嘲笑がこみ上げた。
 どんな超人だとしても、所詮は自分たち人間と同じなのだと、安心したかったのかもしれない。
「渡さねえよ。仲間全員集めてでも阻止してやる」
 傷のひきつる頬を皮肉に歪めて笑ってみせたが、セフィロスは表情を変えずに応じた。
「お前たちが幾ら寄り集まっても無理だ」
「そんなこたぁねえ。一度はお前を倒したろ。大体なんで生き返って来やがったんだ」
「オレが倒れたのは、あれの手にかかったからだ」
 あからさまにクラウド以外は戦力外だと言われて、バレットは頭に血が昇るのを抑えられなかった。
 何かを反論しようと口を開きかけたところで、セフィロスは背を向け、床に置いていた酒の瓶とスープの入った器を取り上げた。
「オレを殺したければ、いつでも相手になってやる。あれのいない場所でな」
「どこへいきやがる! 話は終わってねえ」
「言葉も道理も通じぬ者と話など」
 そのままバレットの方を見ようともせず、セフィロスは扉を開けて外へ出て行った。
 何処へ、などと聞かずとも分かる。
 逃げ出したクラウドを追ったのだ。
「こんちくちょうめ!」
 むかむかと腹や胸を煮る憎しみと悔しさに痺れる手でベッドを叩き、全身へ走った激痛に、より一層苛立ちを募らせた。
 窓を見やっても、ガラスは室内を明瞭に写すばかりで、外の様子は窺えない。ただ静かな砂漠の荒れ地には動物の鳴き声もなく、微かに二人の話す声だけが遠く聞こえた。
 囁き合う音量の穏やかな会話に、バレットは歯噛みする思いで窓から視線を逸らした。


 苛々していたはずなのに、いつの間にかバレットは眠っていたようだ。
 一度、二人が小屋へ戻ってきた時の音でも目を覚ましたのだが、顔を合わせるのは業腹で、クラウドを批難するの憚って、あえて寝たふりを続けていたのである。
 そのまま、また深く眠ってしまったらしい。
 眠る前よりも若干痛みが治まっている気がして、バレットはほんの少し救われた。
 喉が渇いたなどと寝ぼけた頭で考えていた時、ふと背後で物音がしたような気がして、より一層覚醒する。
 早い息遣いだった。
 抑えたそれは苦しげで、クラウドが悪夢にでもうなされているのだろうかと考えた。
 頭を動かそうとするのだが、どうにも痛みでままならない。自由になる視線を巡らせると、反対側の壁際にあるもう一台のベッドが、すぐ近くの暗い窓に映っていることに気付いた。
 バレットは息を飲んだ。
 ただの息遣いではない不規則さに合わせて、窓に映る白い背が蠢いている。
 窓に映るそれは酷くなまめかしく揺らめき、まっすぐな背骨の終わるところには、背の白さと異様なコントラストを感じさせる濃い色のものが侵入していた。
 背が微かに丸まると引き出され、反るように伸びると見えなくなるまで体内へ埋まる。
 断続的な動きに合わせて、ひき攣れた吐息が吐き出され、ベッドが小さく軋む。
 かっと頬に血が上った。
 寝言や譫言だとは到底思えない妖しい呻き声と、その背徳の光景に、バレットはわき上がった声をなんとか堪え、呼吸を止めていた。
 クラウドとあの男が繋がっている。
 只ならぬ関係だと分かっていても、そうして性交を行っている場面には、頭を殴られたような衝撃を受けた。
 そもそも他人の情事など、普通は直接覗き見るようなものでもない。しかも友人たるクラウドのそんな姿を見るなど、考えるはずもない。
 一方でバレットは好奇心も全く持ち合わせていないわけではなかった。
 なぜ、それほどまでクラウドがあの男に執着するのか、逆もまたしかり、肉体的な理由なのかと下世話な想像を働かせたこともあった。
 しかし、今目にしている光景は、ガラスに映るという一段階を経ているからか、不思議と現実味に欠ける。映画かビデオを見ているような気もする。
 友人の姿は、どこか性別とはかけ離れた存在であるかのように幻想的な薄赤い炎に照らし出され、一方受け入れさせている男の陰茎は薄暗く明瞭ではなかったが、自分も持ち合わせているだけに生々しさが拭えない。男にしては細い青年の腰に対して、暴力的なほど大きな杭に見えた。
 本来何かを受け入れる器官ではない場所をこじ開けられ、まるで拷問のように身体の中心を幾度も貫かれる様子は痛々しい。
「セフィロス」
 囁く音量の、聞いたこともないような音声が、男の名を呼んだ。
 掠れたそれが友人の声だとは、にわかに信じられなかった。
 ベッドに座ったセフィロスと向かい合わせに、逞しい腰を跨ぐようにして、クラウドは彼と繋がっている。互いに髪を掴んで頭を支え合いながら、唇を合わせ、情熱的な口づけを幾度も繰り返す。
 その姿に、バレットは今は亡き妻との行為を思い起こしていた。
 妻は背も小さく、華奢な身体に似合わず働き者で、力もあり、バレットが驚くほど細やかによく動く女だった。それが寝台では可憐な娘のように、恥じらいに肌を染め、しかし強靱にバレットを受け止めた。
 彼女への想いと共に、もう記憶の奥底に眠ってしまっていた、二人でしか得られなかった快楽の記憶がよみがえり、バレットは図らずも、毛布の下で僅かに勃起していた。
 覚醒していることに気付かれはしないかと、一層血が顔に上った。
 そんなバレットの心中を余所に、クラウドの押し殺した吐息は激しくなり、時折手で唇を押さえたような悲鳴が聞こえるようになる。
 気付いた瞬間、怒りをもって二人の行為を阻止できなかった理由は、バレットには幾つかあった。
 何よりもバレットを躊躇させたのは、積極的に受け入れているクラウドの、そのあからさまな声と態度だ。
 そして彼の喜びの声を止め、否定することは、バレットにとって、なぜか亡き妻の艶姿を否定することと同意であった。
 乾いた喉で無理やり湧き上がる唾液を飲み込もうとして、喘いだ。
 なぜすぐに声を出して彼らを止めなかったのか、今更後悔していた。
 こめかみを伝う汗が目尻に入る。
 目を瞬いて汗を避けようとしていると、ふとガラスに映る男と視線がぶつかった。
 長い睫毛に縁取られた眼は、ともすれば女のような美しさがあるのに、この男には女こそが持つ可愛らしさというものが一切ない。
 棘のような笑みが薄い唇に刻まれた。息を殺すバレットを嘲笑するその口元が、揺れ動く長い前髪に時折隠れる。
 クラウドの声が一際掠れて消え入り、滑らかな背が射精の反動に痙攣する。
 セフィロスは揺さぶる動きをやめ、背を向けているクラウドの肩越しに、ついに声を発した。
「覗き見るとは感心しない」
 含み笑う声で静かに告げたその声に、身を強ばらせたのはバレットだけでなくクラウドもだった。
 青年が振り返る前に、バレットは渾身の力でベッドから飛び起きようとした。
 身体中のあちこちが、みしみしと音を立てたような気がした。治りかけの瘡蓋か、それとも乾きかけの傷口が裂ける痛みに悲鳴を上げそうになるのを、雄叫びのような声で抑えこみ、身体を返した。
 ベッドについた腕は思ったよりも力が出ず、うつぶせに近い形で再びマットへ倒れ込んだバレットは、男の膝の上で肩越しに振り返るクラウドと目を合わせてしまった。
「バレット!」
 それでもクラウドが上げたのは、この状況に驚愕する以上に、無理に起きあがろうとしたバレットを気遣う声だった。
 セフィロスの膝から全裸のまま立ち上がり、こちらへ駆け寄ろうとするクラウドの腕を、背後の男が引き留めた。
「放せ。……バレット、大丈夫か?」
 後ろ手に腕を掴まれたクラウドは、尖った声でセフィロスへ訴えるが、男はそのままもう一方の腕も捕らえて、彼を引き寄せた。
 そしてクラウドの肩に顎を乗せ、髪をかき分けるように耳朶を唇で探り、囁く声で言い放った。
「ずっと見ていたぞ。窓に映るオレたちを。お前の達する瞬間も」
 図らずも、身体を返したことで直接目の前にしたクラウドの身体が、一瞬で真っ赤に染まるのを目にした。俯いた顔は見えなかったが、腹の周囲は彼自身の滴に濡れている。
 背後の男が酷く満足そうに微笑んでいることに、バレットは今度こそ憤慨していた。
「ふざけるな! クラウドを放せ、この変態野郎!」
「他人の情事を覗き見する男に言われたくはないな」
「くそっ!」
 再び身体を起こそうと腕に力を込めた途端、身体が硬直してマットに倒れ込んだ。
 セフィロスの目が、異常なほど光っていることに気付いた。
 この硬直は傷のせいではない。
 封印魔法だ。
「観客は大人しくするものだ」
 クラウドの耳元に囁くように、セフィロスは嘲笑を浮かべて唇を目の前の首筋に近寄せ、そこを軽く噛むように歯を滑らせる。俯いていたクラウドが、弾かれたように顔を上げた。
「セフィロス?」
「オレたちがひとつになる姿に興味があるらしい」
「や」
 制止の声を発するクラウドの唇が、セフィロスのそれに塞がれた。後ろ手に掴まれたままの両腕を取り返そうと、激しく暴れている身体を難なく押さえ込んだセフィロスは、空けた片手で脱いだ衣服の中からベルトを引き抜き、クラウドの腕を拘束しはじめた。
「やめろ、セフィロス!」
「逃げるだろう」
「当たり前だ! 何のつもりだよ」
 セフィロスは応えず、手首を後ろで一つに縛ったクラウドの身体を、薄い布を絨毯代わりに敷いただけの板床に、うつぶせに投げ出した。上げた顔はバレットのほど近いところにあり、再び目が合ってクラウドは勢いよく顔を反らせる。
 どこかへ逃げだそうと這う腰を、背後からセフィロスに引き寄せられ、クラウドは悲鳴のような声を上げた。
「やめろ! 見るな!」
 見るなと言われても、バレットはマットに頬を埋めた状態から、指先ひとつ動かせない。眼球は動く。彼の要望通りになんとか、瞼を閉じようとする。
 それが果たされる前に、セフィロスはクラウドの腰を持ち上げ、両手で腿を大きく割り開いて、その間に己の身体を置き、自分の手でまだ猛ったままの陰茎を青年の尻の間へ導いた。
 一度繋がっていた場所は解けて、潤滑剤か油のようなもので濡れ光って見えた。
 排泄を行う場所とは思えないくらい清らかな、赤い可憐な花のようなそこへ、男は我がもの顔で侵入した。
 無意識なのか、クラウドは大きく息を吐いた。
 その語尾が甘く震えるのをバレットは聞き逃せなかった。
 根元まで難なく受け入れ、引き出されるたびに縁が捲り上がり、内部の赤い色が暖炉の炎に閃いて見え、濡れた音が狭い小屋に響いた。
 男が突き上げるたび、引くたびに上がる声を唇を噛みしめて耐えるクラウドの、抑えた吐息が異常に艶を帯びて聞こえた。
 セフィロスの両手に掴まれた尻が、まるで動きに合わせるように蠢いている。窮屈そうに両手を背後で拘束されたまま、次第に身体全体が揺れ始めた。出入りする間隔が早まり、濡れた音も一層大きく響いた。
 低い溜息を微かに漏らして、セフィロスは突然己を乱暴に抜き出す。
 僅かにこぼれた白い液体が、蠢く窪みと尻の狭間に散った。
「お前、オレだけいかせて終わらせようと思っているな」
 床に敷いた布へ埋めていた顔を、背後から髪を掴んで引かれたクラウドは、唇を噛みしめ、潤んだ大きな眼で背後の男を睨みつけた。
「早く……いけよ!」
 セフィロスは壮絶な笑みを浮かべて呟いた。
「悪い子だな」
 セフィロスは拘束した身体を軽々と仰向けに返し、足首を掴んでクラウドの頭の横まで強く押した。自然と上がる腰の中心へ、もう一度、一息に根元まで押し込まれたクラウドの上げた叫びは、悲痛としか表現出来なかった。
 封印の魔法に抗おうと、バレットが身体のどこかを動かそうとするたび、全身に激痛が走る。
 こんな所行を許せる訳がない。
 例え夫婦間だったとしても暴力ではないか、いくら他人の恋愛だろうと止める権利があるはずだと、バレットは思った。
 だがままならない身体を悔しく思って、唇を噛みしめる事すら叶わなかった。
 セフィロスは青年の足首に食い込ませていた手を放し、拘束するベルトを器用に外して、捕らえた片手を青年自身の前へ導いた。
 手と一緒に男である証を握り込まれ、いつしか涙声になっているクラウドの呻きが、切羽詰まった様子になる。
「お前がいくまで何時間でも抱く。それが嫌なら、自分の手で慰めろ」
 青年の手を解放し、再び腿と膝の裏を押して前後に動く。
 自分の手で触れれば陥落してしまいそうな理性と戦っているのか、外した手でのし掛かるセフィロスの胸を押し返そうとしている。
「何をしている」
 冷たい声が呟いて、再び導かれた手ごと激しく扱かれ、同時に狭間を行き来されて、クラウドは高い喘ぎ声を堪えきれずに上げた。
 男が操る手を解かれても、クラウドはもうそこから掌を放すことは出来なくなっていた。
 充血して立ち上がった赤い滑らかな先端が、白いクラウドの指の間を出入りする。決して小さくはない陰茎を包むように握り込み、男の動きに合わせて自ら手首を動かしている。
 男所帯で他人の自慰行為を眼にしたこともあったが、普段余り性別を意識させない外見のクラウドがそうしていることに、バレットは新たな驚きを感じざる得ない。
「やめるか?」
 揶揄する男の音声に、青年は慌てて首を横に振った。
 もう近くでかつての友人が見ていることを、忘れたいのだと言うように振り続けた。
「いい子だ」
 男の含み笑う声に腹を立てる前に、バレットはようやく魔法効果が薄れた瞼を動かし、視界を閉ざした。
 一度禁を破ったクラウドの喘ぎは立て続けに溢れて、室内を満たす。
 粘膜同士が擦れ合い、肌を叩く嫌らしい音の合間、消え入るような掠れた声が、幾度も幾度も男の名を呟いた。
 絶つことはできないその音の中で、バレットは気付いてしまった。
 クラウドは確かに、この男を愛しているのだと。

* * *


 「食うだろ?」
 翌朝、クラウドに差し出された朝食の器に、バレットは頷いた。
 昨夜のあの出来事のあと、延々歯を食いしばり、目を閉ざし続けたバレットはいつまでも眠れない時間を過ごしたが、一方でいつ眠ったのか全く覚えていなかった。
 目覚めた時はもう陽が高くなって、きちんと着衣も身につけたクラウドに、昨夜のあられもない姿を想像させるものは一切ない。
 セフィロスはどこかへ出掛けたのか、姿が見えなかった。
 青年へかける言葉は見つからなくても腹は減っている。昨日と同じように口元までスプーンで運ばれた米は、きちんと粒が感じられる程度の柔らかさで、噛みしめる喜びを思い出した。
 バレットは時間をかけて全て食べ終えた。
 器を脇の椅子の上に置いたクラウドは、一呼吸おいてから、俯いた顔を僅かに紅潮させて呟いた。
「ごめん。昨日は」
 言いたいことは山ほどあるはずなのに、バレットは思わず口ごもった。
「お前が謝るこたぁねぇ。オレも……最初は黙ってたしな」
「気持ち悪いだろ」
「何が?」
「オレに触られるの嫌だろうから、治療はしないほうがいいかと思って」
 無理矢理笑ったような苦しい顔を少し上げ、クラウドは自分の両手を示した。
 この青年は、他人が彼らへ抱く違和感以上に、自分たちが受け入れられない関係であることを自覚しているのだと、バレットは気付かされる。
 だが事実、セフィロスへ殺したい程怒りを覚えても、クラウドへの嫌悪を感じることは全くなかった。
「なんだそりゃ。あの男を殺してぇとは思うがな。早いとこ治して、せめて二、三発殴らせろ」
 バレットの軽口は成功したようで、クラウドはまだ少し火照った頬を上げ、今度は本当に声を立てて笑った。
 昨日と同じ手順で、クラウドは静かにバレットの身体へ掌を当て始めた。
 治療する場所は大柄なバレットの上半身全体と、足の一部であるから箇所も多く、広範囲に渡る。
 これほど長時間魔法を使っているというのに、クラウドは疲れた様子も見せず、魔力が尽きて、薬品を口にしているということもない。あの彗星の飛来の後、そしていくつかの事件の後よりも確実に、この青年は強くなっているのだと感じさせた。
「なあ」
 癒し手の心地よさに思わずうとうとしながら、バレットは細めた目で穏やかな青年の顔を見上げた。
「お前、あんな男でも、ホントに後悔してないんだな?」
 一瞬硬直した後、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていく様子は、早回しの映像を見ているようで滑稽だったが、何故かこの友人が酷く可愛らしいものに思えてきた。
 見かけの年齢は、彼自身が言ったように自分の娘と変わらなくなってしまった。
 そしてもうあと十年もすれば、今度は娘の方がずっと歳上になり、バレットが老いて、手足の動きもままならない老人になって、娘に介護される身体になっても、この青年は今の姿のまま皆を見送ることになるのだろう。
 その時、彼と同じように人間とは異なる寿命を生きるのはあの男しかいない。
 頭ごなしに男との関係を否定した所で、ずっとクラウドを守ってやれるわけではないのだ。
 答えを待って見上げるバレットへ、クラウドは無言で、しかしはっきりと頷いた。
「えらい変態のド畜生だけど、お前がいいって言うならしょうがねえ」
 まるで気に入らない相手と娘の結婚を、しぶしぶ認める父親だとバレットは思った。
 もしこれがマリンやデンゼルなら、バレットは何がなんでも認めなかったかもしれない。
 だがクラウドはどんなに容姿が大人しく見えても、本当の意味で力を持っている男だ。自分や他人を不幸にする相手であれば、その手で倒すことも可能なのだ。それが、この世で最強の男であったとしても、出来るのはクラウドだけだ。
「もし奴といるのが不幸だと思ったら、すぐに逃げろよ」
 バレットのしかめた顔を見て、青年は苦々しい顔で応えた。
「ああ」
「畜生。やっぱり一発くらい殴ってやりてえな!」
 魔法の治療を終えたクラウドは、昨日と同じように水に浸して固く絞ったタオルで、包帯をはずしたバレットの顔を拭き始める。
「もう、動けるんじゃないか? ホントにあいつを殴るのはやめといた方がいいけど」
「なに。本当か」
 シーツで作った服をめくったまま、身体を動かしてみる。
 指を握り込む。肘を動かして、肩から腕を上げる。
 ずっと同じ姿勢でいた時の違和感はあるが、昨日のように動かすだけで引き攣れるような痛みは全くなかった。
 肘をベッドについて、上肢を起こしてみた。シーツに擦れると少し痛みがあり、腹に残る火傷痕もひりつくが、動けないほどではない。
「義手は調整してもらってから着けた方がいい。熱と吹き飛ばされた衝撃で、少し歪んでるみたいだ」
「そっちはミッドガルに行かねぇと直せないな」
 それにしても丸二日意識も戻らず、昨日は身動きすら辛かった傷が、三日目でここまで治癒したのは、やはりクラウドの魔法のおかげだろう。
「クラウド。ありがとうな」
 無言で首を横に振る仕草はそっけないものだ。
「背中、拭いてやるよ」
 ベッドの上で背中を向け、ずっとシーツに接したままだった場所を軽く擦るように拭われる。痛みが全くない訳でもないが、冷たいタオルの感触がむしろ気持ちがよかった。
 自分の手で腹や腰も拭いて、ついでに毛布をめくって足も動かしてみた。
 腿のあたりの傷が少し攣れるものの、膝より下はそもそもほとんど無傷だったのだ。
 ベッドの上で、自分の身体をあちこち確認しているバレットの横で、使い終えたタオルを洗面器へ戻したクラウドがその手を止めた。
 窓の外を見やった彼の視線を追うが、何があるわけでもない、晴れた荒れ地が続いている。
「お前、もしかして誰か待ってるのか?」
 思えば、何故彼がこんな辺境に留まっているのか、その理由を聞いていなかった。
 時折、そうして外を眺める様子を何度か目にして、誰かが来るのを待っているような気がしたのである。
 どうにもそれが、昨夜のセックスの現場を見せつけるという、セフィロスの余りに極端な暴挙の、起因でもあるように思えてならない。
「今日、客が来る」
「客?」
「多分、そろろろ着くころだと思う」


 ゆっくり歩くに問題ない程度復帰したバレットは、昼の陽射しが少し弱まる頃、小屋の周囲を歩いてみることにした。
 バレットの衣服は爆発で焦げてしまったようで、シーツで作った手術着のような寝間着の上に、借りたシャツを羽織った。
 バレットが着ても袖丈が長く、どう見てもクラウドのサイズではない。恐らくセフィロスのものだろう。
 持ち主が気に食わなくても、背に腹は代えられない。
 小屋の扉を開けて踏み出した外界は、どこまでも広大な黄色い土と砂と岩の大地が続く、見慣れたコレル砂漠だった。
 地面からわき上がる熱気が地平線を滲ませ、頭上から照りつける太陽だけでなく、地上からの照り返しが頬と顎をなぶる。
 小屋の扉の外は陽射しを避けるための庇がついていた。それをささえる柱までの幅一メートル程度のポーチは、板張りのデッキである。古びた木製の椅子が置いてあり、瀟洒な様子を演出していたが、外観は特徴のない木造建築だった。
 埃っぽく柔らかい土の地面を踏みしめて歩いて、小屋から離れたところでふと気付く。
 小屋の隣に、小さな離れのような二つ扉の建物があった。一つの扉はトイレだろうが、もう一つの扉は近くに寄ってみて、それがチョコボ厩舎であることが分かった。
 広さは二、三羽分程度で、しばらく使われた形跡がなく、足下に残った藁は乾いている。何故かタイヤの跡が薄く積もった砂の上に残っている。水飲み用の樽も空っぽのままだったが、良く見るとしっかり掃除はされているようだった。
 そもそも誰がここに小屋を作ったのか、疑問がわいた。
 街からは恐らく車でも数時間かかる。どちらかといえば、過去にあったゴールドソーサーやコレルプリズンに程近いようだ。
 日陰になっていることで、外に比べるとかなり涼しい厩舎の中を検分し、再び灼熱の砂漠へ足を踏み出したバレットは、轍の残る荒野の向こうから、何か近づいてくるものを見つけた。
 陽炎に歪む姿へ目を凝らしていると、徐々にその姿が明瞭になり、同時に懐かしさを覚える。
 それは馬車だった。
 馬車といっても牽いているのは馬ではなく、黒と明るい黄の二羽のチョコボだ。
 木製の車体に、朱色のペンキで塗った屋根が陽を弾いてまぶしい。バレットは記憶をたぐりつつ、手綱を持つ御者の顔が判別出来るまで、荒れ地にたたずんでいた。
 手綱を引いて馬車を止めた男は、御者台の上からバレットを見下ろした。
「やあ」
 聞き覚えのある声だった。
 黒の、広い鍔付きの帽子から肩まで伸びた黒髪は僅かに癖があり、浅く灼けた顔の彫りは深い。眉毛や唇の印象がはっきりした、少々濃いめの色男だった。白いシャツは清潔で、焦げ茶のウェスタンスタイルの革製ズボンが似合っている。
 歳の頃はバレットより少し若そうだ。
 知っているような気がするのに、それが誰だか思い出せない。
 疑問が顔に出ていたのか、首を傾げたバレットへ男が笑いかけた。
 警戒心を損なわせるような、独特の雰囲気を持っている。
「久しぶり。といっても、覚えてないだろうね」
「あー。わかんねえ」
 こういう場合、笑って誤魔化す方がバレットには苦痛だ。
「怪我の調子はどうだい? クラウドが看ているとはいえ、心配してたんだよ」
 少し気取った感のある、滑舌のいい声を聞いていて、その主を思いだしたような気がした。まさにこの近くにあったゴールドソーサーで、この男と会話した記憶があった。
「お前……確か」
 背後で扉の開く音がして、クラウドが出て来た。
 普段からあまり変わり映えのしない黒い袖無しのニットに、カーキ色のパンツ姿は影のように見えるのに、陽の下で鮮やかな金髪だけが眩しい。
 ポーチの柱の横に立ったクラウドへ、男は優しい黒い目を向け、爽やかな笑顔で声を掛けた。
「やあ、クラウド」
「遅かったな。ジョー」
 クラウドの呼びかけた名に、バレットは再び驚きの声を上げていた。
「ジョー! レーサーのジョーか!」
 以前はその整った目元を黒いマスクで隠していた。
 だが確かに男は、かつてゴールドソーサーで行われていたチョコボレースの王者、ジョーだった。


 ジョーは馬車から外したチョコボたちを厩舎へ入れて、クラウドは納戸から干した草を、厩舎の裏手の井戸からは彼らのための飲み水を運んでくる。
 バレットは日陰になったポーチから、埃っぽい椅子に座ってその様子を眺めていた。
 十年前、チョコボレースに参加するようになったクラウドや仲間たちへ、ジョーは何かと話し掛けて接触して来た。
 特にクラウドのチョコボを扱う才能には、早い時期から目をつけていたらしく、メテオの危機までの間は随分懇意にしていたようだった。
 ただ二人のつきあいが、あの事件の後にも続いていることを、バレットは知らなかった。
 厩舎のチョコボを覗き込みながら会話する様子を、遠目に眺めながら、その仲のよさに驚いていた。
 かつての仲間ともあんな風に親しく話をしているところを、殆ど見たことがない。どちらかというと言葉少ななクラウドは、会話をしているイメージ自体がないのである。
 バレットに二人の会話の内容はよく聞こえなかったが、時折笑い声を上げ、その声にチョコボたちまでが反応していた。
 クラウドにチョコボの気持ちが分かるように、彼らもクラウドやジョーの感情を理解しているような気がする。
 チョコボたちは胴の高さの扉の上から顔を出して、主人へそれを近づける。クラウドが手を伸ばして首筋を交互に撫でてやると、二羽は嬉しそうな鳴き声を上げた。
 昔、旅の途中、シドがクラウドを『天性の調教師』と呼んでいた事があった。彼らの間には他には分からない言葉が交わされているとしか思えないと、よく言っていたものだ。
 恐らくジョーもその一人であろう。
 時折催促に応えて羽毛を撫でてやりつつ、翼や足を指差しているジョーは、クラウドにチョコボたちの身体の様子でも説明しているようだった。
 クラウドを見下ろすジョーは、まるでチョコボを見るのと同じ、親しみのこもった視線である。
 現在も続くジョーとクラウドの親交は、バレットの目にほんの少しうらやましく映った。良くも悪くも、クラウドにとってバレットは、もう過去の人間なのかもしれない。
 視線を感じたのか、それとも放置していることを思い出したのか、クラウドがふとバレットを振り返った。
 ジョーへ何かを告げたクラウドは揃ってバレットの方へ歩み寄って来る。
「今、コーヒーを入れる」
 そっけないくらいの声で言い置き、扉を開けて小屋へ入っていった。
 椅子に座るバレットの近くの窓枠に腰掛けたジョーは、両腕を身体の前で組み、よく晴れた遠くの空へ視線をやった。
 ポーチの板床へ投げ出した足は長い。
「あの旦那には会ったかい?」
 見上げたジョーの顔は薄く微笑んでいるように見えた。
 そもそもマスクの下に隠れていた目元は見慣れない。印象に残っているのは、常に王者たる余裕の笑みを浮かべていたその口元だ。
「セフィロスのことか」
「会ったのか。ご機嫌斜めだったろう?」
「野郎の機嫌なんぞ知ったことか」
 バレットこそ機嫌の悪さを隠さず吐き捨てた言葉に、ジョーは大きな声を立てて笑った。
 口調こそ独特な匂いがあるが、男らしい端正な顔はクラウドやセフィロスとはまた異なる良さがあり、チョコボレース現役の当時、女性客に絶大な人気を誇っていたのも頷ける。
「買い出しだかに出ているらしいけど、オレを避けてるのかな」
 ジョーは片手で自分の顎を撫でつつ、街の方へと伸びる道を眺めている。
「避ける? なんでだ」
「嫌われてるんでね」
 意味が理解できずにバレットが首を傾げると、ジョーは顎から離した手の親指を立てて、小屋の扉の方を示して見せた。
「彼と……オレが仲良くするのが気に入らないんだろ。チョコボのことに関しては、旦那はまったく専門外だし」
 バレットは胸中を見透かされたような気分になり、ふとジョーを見上げていた視線を反らせた。まさか自分も同じように思っていたとは、口に出来ない。
 居心地の悪さを感じながら目をやった荒野は、まだ午後の熱気を発する地面をぼやけさせ、話題の男が帰ってくる気配はなかった。
 もしセフィロスが帰ってくると、険悪なムードになることが予測できる。聞きたいことは今の内に聞いておくべきだと、バレットは自分から口を開いた。
「あんた、何しにここへ来たんだ?」
「んー」
 ジョーは丁寧に髭を剃った顎を、指で撫でるような仕草をした。
 どうやら彼の癖らしい。
「実はね、クラウドとレースがしたくて」
「レース?」
「ああ、チョコボのね。ずっと個人的な勝負をしたかったんだけど、ここ十年近くは全然走れずにいたんで」
 言いかけたところで扉が押され、両手に金属製のマグカップを持ったクラウドが出て来た。
 一つをジョーが受け取り、もう一つをバレットに示された。
「なんだ、クラウド。用事ってレースだったのか」
「ああ」
「ここで?」
 見る限りパドックもコースもない、ただの荒れ地だ。
「実はここ、オレの練習場なんだよ」
 コーヒーを一口含んでからジョーが言った。
 小屋の中からスツールと自分のカップを持ってきたクラウドへ、その椅子を視線だけで譲る。
「あんたの小屋なのか!」
「ああ。現役の時から、ここで練習してた。この辺りだけは以前から流砂がなくて、人も来ないし、平地だから練習するのに丁度よかったんだよね。シーズン中はゴールドソーサーの住処にいたけど、オフになるとよく来てたもんだ」
 どうりで辺鄙な場所にもかかわらず、生活に必要な雑貨などが揃っている訳だ。しかもメテオ事件よりもずっと前から、こうしてここに住んでいたのならば頷ける。
「以前、仕事で配達中に」
 ぽつりと、思い出したように呟いたクラウドが、バレットの顔を見上げた。
「ここで迷って、ジョーに助けられたんだ。それからチョコボのことで話すようになった」
 まだクラウドがエッジに留まっていた頃、確かに運び屋をしていたことがあった。その時分の話だろうか。
「メテオの後は町中よりも被害がなかったから、しばらくは唯一の家だったんだ。クラウドに再会したのはホント偶然だね」
 確かにメテオ飛来とホーリーの影響は、全世界で酷い嵐や異常気象を引き起こして、壊滅しかかった街や村も多い。
 ミッドガルは知っての通り完全に崩落し、ここからほど近いコスタ・デル・ソルなども、高波でリゾート施設の大半が駄目になった。
 バレットたちもシドの飛空艇で寝起きしていたほど、多くの人間が住む場所すら失った時期だった。
「二羽のうち、黄色の方はクラウドの育てた海チョコボの子供なんだよ。なかなかいい足だ」
 話題に上ったチョコボは、相変わらず厩舎の扉の上からこちらを見ている。
「へえ」
「クラウド、また育てる気はないのかい? せっかくいい腕なのに」
 当のクラウドは肩を竦めてみせた。
「ジョー、あんたのあの黒い奴はどうしたんだ。今厩舎にいるのは違うのか?」
「トウホウフハイはもう引退したよ。グリングリンの牧場でのんびり余生を送ってる。もう偉い爺さん鳥だ」
 何故か思い出話が多くなっていることに、お互い歳を取ったものだとジョーは笑った。
 時と隔絶されたクラウドにとっても、誰かとの記憶だけは、遠く、淡いものへと変化しているに違いなかった。


 ポーチに座って長い時間思い出話に花を咲かせている内に、陽が傾きかけていることに気付く。
 地平線と太陽が近づくにつれて、空が青から白っぽく、そして赤へと変化していく様は、いっそ芸術的だった。
 陽が落ちかけた時から、この砂漠は突然気温を下げ始める。砂漠特有と云おうか、昼と夜の気温差が三十度近くになり、明け方には霜が降りることもある。
「冬は、夜になるとチョコボも納戸へ入れてやるんだ」
 三杯目のコーヒーを口へ運びながら、ジョーが呟いた時、クラウドがふと顔を上げて荒野を見渡した。
 街へ続く道なき道を、南にまっすぐ見据え、音もなくスツールから立ち上がった。
「クラウド?」
 声をかけたジョーの方を一瞬見やり、
「帰ってきた。」
 呟く音量の声に、バレットもその視線の先に目を凝らす。
 陽炎の弱まった地平線に、ぽつりと黒いものが見えた。見る間に大きくなっていくそれは、確かにセフィロスに違いなかった。
 次第に姿を視認できるまでになると、恐ろしいスピードで接近してきたバイクは、あっという間に小屋の前まで辿り着いた。
 静かな砂漠の一軒家の前に、爆音を響かせ、砂煙を上げて停車したフェンリルは、以前からクラウドの愛車だった大型のバイクである。鏡面仕上げをしたボディが、強い西日を攻撃的に反射している。
 車体を軽々扱うクラウドを、仲間ですら奇異な目で見たほど巨体のバイクだが、大柄なセフィロスが乗ると、同じものがより小さく見えた。
 長い足が悠々と地面に降ろされ、こちらを見やった目には濃いスモークのゴーグルが着けられていた。
 背に流れる髪と同様、陽を弾き、赤く輝いて見える。
 ポーチの横で慣れた動作でスタンドを下ろし、バイクから降り立ったセフィロスは、ゴーグルをはめた目でジョーを見やった。
「来たのか」
 感情の読めない声だったが、それはジョーに向けての言葉だろう。
「恐れながら」
 殊勝な言葉を返しながら、ジョーはセフィロスに怯えた様子もない。全く異なるタイプとはいえ、王者同士の貫禄なのだろうか。
 セフィロスは小さく鼻で笑ったような声で応えただけで、ジョーから興味を失った。
 バイクへ括り付けていた荷物を解き、カーキ色の布製のサックを背負って立ち尽くすクラウドへ近づいた。
「戻った」
「おかえり」
 昨日のように接吻でもするのかと身構えたバレットの予想に反して、セフィロスはクラウドの背へ手をやって抱き寄せた。慌てて暴れ、腕の中から逃げ出したクラウドには食い下がらず、荷物を持ったまま小屋へ入っていった。
「まったく見せつけてくれる」
 二人の関係にはとうに気付いているのだろうジョーは、バレットのように狼狽えもせず、ひとつ肩を竦めて見せた。


* * *

 バレットがここに運び込まれて、四日目。
 その日もコレル砂漠は良く晴れて、一層乾いた地面が熱気を発していた。
 昨日現れたジョーと共に男ばかり四人の一晩を過ごし、今日は彼の念願だったクラウドとの個人対決をすることになっている。
 朝、バレットが一人占領していたベッドの上で目を覚ましたとき、床の寝袋で寝ていたはずのジョーは、レースのためのコース作りに、外へ出ているようだった。窓の外で、なにか忙しく動いている気配がする。
 もう動くに支障がないバレットは、今日にも街へ戻るつもりでいた。
 だが、二人のレースの勝敗には興味があるので、レース終了後、ジョーの馬車に便乗して街へ帰ることにしたのだ。
 とはいえ、全身いたるところに火傷の跡を残し、燃えてしまった髪と髭や眉は、短く強い毛が僅かに生え始めたばかりである。加えて片手は義手も着けずにいると我ながらかなりの異形で、初対面の者が見たら、思わず眉を顰めるような容姿だ。
 バレットは着慣れた服に袖を通し、義手は壊れたままだったので布のホルダーだけを身に着けた。
 どうやら昨日出掛けついでに、街の油田管理事務所に立ち寄って、バレットの服を預かって来てくれたらしい。
 指示をしたのはクラウドだろうが、気に入らない相手の服を言われるままに取りにいくセフィロスの姿は、にわかに想像しがたかった。
 いずれにしても、丈のあったズボンも、きつくないTシャツとベストもありがたい。
「世話をかけたな」
 さりげなくセフィロスへ礼を言ったバレットは、意外そうな顔で見返された。
「オレが世話した訳じゃない」
 淡々と応えて、そのまま外へ出ていったセフィロスが扉を閉めた途端、近くにいたクラウドが声を立てて笑い出した。
「なんだよ」
「あんたも、あいつも、まったくみんな素直じゃない」
 ここ数日で幾度か目にしたクラウドの笑顔の中で、最も明るい表情な気がした。
「お前に言われたくねえよ」


 真昼の太陽が中点に昇ったころ、ポールの設置が終わった小屋の周囲には、円形のコースが出来上がっていた。
 杭の形をした鉄の棒を等間隔に立てただけの簡単なものだ。
 きちんと一周が五百メートルになるように、あらかじめジョーが印を打ってあるらしく、簡素とはいえ、砂漠のど真ん中では立派すぎるコースである。
 クラウドは服こそいつものままだが、昨日セフィロスが着けていたような、バイクに乗るときのゴーグルと、革のグローブをはめて、ジョーと共に厩舎からチョコボを引いて来た。
 スタートとゴールのラインは、丁度小屋のポーチの正面にあった。
 距離は四キロの中距離だというので、八周することになる。
 まずは足馴らしでゆっくりチョコボを歩かせた二人は、一周が終わるころにはすっかり騎手の顔になっていた。
 以前ゴールドソーサーで行われたレースが思い起こされた。
 決して気楽な旅ではなかったが、今は亡き少女も共に、クラウドの出走を見送ったものだ。あの時、マスクで顔を隠していたジョーの目元は、ライバルとの再戦に嬉しさを隠せないようである。
 いつの間にかポーチに立つセフィロスは、当時にはいなかったが人物だが、今はバレットと並んで大人しくレースを観戦するつもりらしい。
「そういえば、今日は何も賭けないかい?」
 一度スタートラインで黒いチョコボを止めたジョーは、薄く額に滲んだ汗を指先で拭いつつ、クラウドへ話し掛けた。
「賭けるものがない」
「つれないことを言う。じゃあせめて、勝利の女神の接吻でも」
 気障な口調でうやうやしく告げたジョーへ、クラウドは若干げんなりした顔になって、冷たく言い放った。
「セフィロスのか?」
 クラウドの返答に、バレットは思わず吹き出した。
「やめてくれ」
「じゃあバレットにでもしてもらえ。オレはいらないからな」
 ジョーは笑ってバレットへ顔を向けた。
「キスはいらないから、スタート合図を頼む」
「おうよ」
 笑い合っていた二人の表情は、バレットが空へ向けて手を構えた途端に一変した。
 これは真剣勝負なのだと、互いに譲らぬ気迫だった。
「いつでも」
 騎手の緊張感は、手綱からチョコボへも伝わるのだろう。
 基本的に穏和なチョコボも、戦いに挑む顔になる。じりじりと主人の合図を待つ気持ちが、太い足を落ち着かなくさせている。
「ゴー!」
 腕を振り下ろした途端、引かれた弓矢が放たれたように、黒と黄色のチョコボが飛び出した。
 バレットが顔を上げた時には、最初のコーナーの手前まで進んでいる。羽毛の長いチョコボの尾羽根が、揃って上下左右に揺れていた。
 土煙がもうもうとその後を追い、静かな荒野に二羽のチョコボは盛大な足音を響かせる。最初の一周は殆ど差をつけず、二周目に入るころ、わずかにクラウドがリードした。
 ゴールドソーサー時代から、ジョーの走りはどちらかというと温存型で、クラウドは序盤から飛ばすタイプだった。
 レースは、チョコボの性格や能力だけでなく、騎手の性格も反映されやすい。当時から観戦一本のバレットでも、その程度の違いは分かる。
 三周目に入ると、二羽身程度の差が開いたり、狭まったりを繰り返す。
 中距離レースでは騎手の体力もかなり損なわれるので、クラウドの方がはるかに有利なはずだ。
「あと四周だ!」
 瞬時に駆け抜けていく二人に聞こえるかどうかはともかく、バレットは四本立てた指を示しながら、ライン付近で大声を上げていた。
 すっかり興奮して食い入るように二人を目で追うバレットの近くへ、セフィロスが歩み寄ってきた。
 驚いて、傍らの男へ視線を動かした。
「どうした?」
「邪魔が入りそうだ」
 なんのことか分からず、眉間に皺を寄せたバレットは、セフィロスがいつの間にか刀を手にしていることに気付いた。
 かつて旅の最中、仲間を殺めたあの刀だ。
 無意識に背筋へ緊張が走り、存在しないはずの右手に力が籠もる。
 だがセフィロスの視線の先にバレットはなく、レース中の二人の方向でも、第三者でもなく、ただの荒野がある。
 ポーチの正面、街のある南へ伸びる道の方角だ。
「なんのことだ?」
 クラウドとジョーは小屋の北側を通過しており、バレットから二人の姿は見えない。チョコボの強靭な足が踏み鳴らす足音が、右から左へと通り過ぎていった。
 そして何故かその地響きが、次第に、しかも異常なほど大きくなっていくことに気付いた。
 チョコボの足音とは別に、セフィロスの視線の先から聞こえてくる。
「な」
 コーナーを回り、五周目を走り終えてスタートラインに戻って来た二人と二羽が、バレットとセフィロスの前を通り過ぎる。
 そして、南から近づいて来た地響きが、彼らを追うように反れていくのが分かった。
「なんだぁ?」
 恐らく、チョコボの上のクラウドも異変に気付いた。
 勝負の最中に、近くを走るジョーへ何か叫んだクラウドの声が聞こえたその時、コース沿いに埋まった杭がぼこりと持ち上がった。
 土の塊と濃い土煙を舞い上げ、鈍い轟音と共に丸い頭が突き出る。
 数日前、バレットと作業員仲間を襲ったあの巨大なモンスターだ。
 人の肌色に近い表皮は、水分を多く含んでぬめりを帯びて、真昼の陽に光って見える。ほぼ等間隔についた窪みは関節のようにくねって、乾いた土と岩を跳ね上げ、小屋の屋根を遥かに越える高さまで立ち上がった。
「サンドウォーム!」
 バレットの声よりも早く、チョコボが大きく鳴き声を上げた。
 サンドウォームは普段地中に住む動物などを捕食するが、地上の獣や家畜、時には人間なども襲う。特にチョコボは好物なのだ。
 野生のチョコボには群れる習性があり、その強い足が立てる音に反応して寄ってくる。突然地中から現れ、巨大で緩慢そうに見える身体で驚くほど素早く地上を動き、俊足のチョコボを追いかけるのだ。
 今、目の前で起きていることがまさにそれだ。
 立ち止まらずに走り続けたクラウドのチョコボと異なり、ジョーは思わず手綱を引き、彼の黒いチョコボは驚愕の余り、足をもつれさせた。
 なんとかチョコボを宥めたジョーの近くへ、サンドウォームが迫っていた。
 鳥首を返したクラウドは自分のチョコボから飛び降り、今まさに襲いかからんと首を上げたサンドウォームと、ジョーたちの間に立ちはだかった。
「クラウド!」
 弾かれたように走り出したが、クラウドは元よりバレットとて丸腰である。
 ジョーのチョコボを背後へ逃がし、サンドウォームへ振り返ったクラウドの頭上から、大きな口が彼を飲み込もうと覆い被さった。
 つい先日も、バレットは至近からその、悪食そうな細かい歯のならんだ口腔を見上げたばかりである。
 クラウドを飲み込み、巾着を絞るように閉じた口が、奇怪な音を上げながら空を仰ぎ、巨体をくねらせた。。
 正に今、食道を通過しようとしているのか、サンドウォームの太い胴体が波打ち、捕食したものが胃へと送られる様子を、外側からも見てとれる。
 サンドウォームは巨大な口で獲物を丸ごと飲み込み、強い酸性の消化液で溶かして取り込む。一瞬、友人が強酸の胃液に溶ける姿を想像して、全身に鳥肌が立った。
「クラウドッ!」
 叫んで走るバレットの横を、何かが風のように走り抜けた。
 銀の軌跡の正体を察し、足を止める。
 クラウドに促されて一旦離脱したジョーも、少し離れた場所でチョコボを止め、モンスターを振り返った。
 クラウドを飲み込んだサンドウォームの巨大な口は、二メートル以上ある。
 小さな洞窟ほどの大きさだ。
 その洞窟を覗き込むが如く、口の下側を足で踏みつけ、上側の縁を頭上に伸ばした手で掴んでいるセフィロスの姿が目に入った。
 まるで幼児の口を開けさせる内科医のような手軽さで押さえこみ、セフィロスは無理矢理その暗い口腔へ、自ら飛び込んで行った。
 唖然とするバレットは、思わずその場で身体を硬直させていた。
 バレットよりよほど細身に見える身体から生まれる怪力も、目を背けたくなるほどおぞましいモンスターの口中へ、なんの躊躇もなく自ら飛び込む度胸も、やはり人外と呼ぶに相応しい。
 何か悪いものを飲み込んでしまったと気付いたのか、サンドウォームは地上に晒した身体をくねらせ、暴れはじめる。
 半透明にぬめる表面に付着した土が、バラバラと音を立てて剥がれ落ちた。うねる動きを続けるが、次第にそれが緩慢になっていった。
 何かが破れるような音が響いたと思った途端、長い胴体の上部から黄色くにごった体液が空へ向けて噴き出した。
 慌てて飛び退いたバレットの足元に、体液がボタボタと降り注ぐ。
 そして次の瞬間、八方へ弾けるように引き裂かれた巨体の中央から、太陽のように眩しい閃光と炎が溢れ出し、目の前が真っ赤に染まった。
 ごうと空気の鳴る音と熱気がバレットの顔を煽る。
 数日前のあの爆発が脳裏をフラッシュバックする。
 一瞬で辺りに立ち込めた黒い煙で、昼日中の強烈な陽光が遮られた。そしてその不気味な薄闇を割るように、巨大な炎が立ち上がり、揺らめく熱気の中に黒い影が現れた。
 広がるコートの裾が、翼を広げた鴉やこうもりのように見える。
 悪魔の使いか、それとも悪魔そのものか。
 左手に長い得物を提げ、右腕には少しぐったりした表情の青年を、背後から胸を抱えるようにして支えている。
 火花とサンドウォームの燃え滓が煙に混じって舞い上がり、周囲に散乱した肉片が奇怪な音を立てて焼けていた。
 轟音をたてる炎の中に立つセフィロスは、顔やコート、長い髪を緋色に染め、熱風にあおらせているというのに、全く熱さを感じていないように見える。
 魔法か何かが、男と青年を守っている。
 いや、むしろ男がその炎の主なのか、残骸を踏みつけて歩き出すセフィロスの足を、炎そのものが意志を持っているかのように避けていった。
 すでに炭化しかけたサンドウォームの前で、長い刀を地面へ突き刺す。
 その手で、体液に濡れたクラウドの髪を掻き分けて、顔をぬぐってやる様は、どこから見ても大事なものを守り、労る仕草だった。
 そして何故かバレットに近寄り難いものを感じさせた。
「クラウド」
 呼ばわる声には、助け出したこの青年にしか見せないのだろう、男の慈しみが滲み出ていた。
 セフィロスは膝の萎えたクラウドをゆっくりと地面の上に座らせた。
「……もう、ひどい、匂いだ」
 げんなりした声でクラウドは呟いた。
 髪から顔、服に至るまで全身が唾液か胃液のようなぬめぬめしたもので濡れている。
「うわ、すげえな」
 気味の悪い様子に、率直に意見を述べたバレットは、物凄い形相のクラウドに睨まれた。
「バレット。こっちにこい」
「うげえ、勘弁してくれ。それをなすりつけんのは」
 冗談が云えるくらいなら、問題はなさそうだった。
 燻り続けるモンスターの身体を避け、二羽のチョコボを連れて走り寄ってきたジョーは、彼らしくない余裕に欠けた表情でクラウドを覗き込んだ。
「大丈夫か、クラウド! あんな無茶な」
「なんともない。平気だって。レース中断しちゃったけど」
「レースなんかいつだって……」
 言い募るジョーの未だ不安そうな声は、クラウドの視線と声に中断された。
「いや」
 てっきりレースをやり直そうと言うかと思われたクラウドは、否定したきり、しばらく顔についた粘液を手の甲で拭っている。
 幾ら拭いても、手や腕も汚れているので、最初と変わりはない。
 そして動きを止めて、はっきりと告げた。
「あんたと、勝負はこれきりだ」
「クラウド」
「最初からそのつもりだった」
 クラウドを見つめていたジョーは、少し呆けた顔をして、それから無理矢理笑ったような悲しい笑顔を作って、ごく小さな声でわかったと答えた。
 バレットは彼らの様子には気付いていないふりで、炭になったモンスターの長い躯を眺めた。
 燃え尽きかかっているモンスターの身体は、尾の部分が少し地面に埋まっているが、その太さから恐らく、全長三十メートル弱はあると思われた。
 先日油田の近くで遭遇したものと同じか、少し大きいくらいだろうか。いずれにしても、見たことがあるサンドウォームの倍近い大きさであることは間違いなく、これほど短い期間で複数体に遭遇する事も珍しい。
「やっぱ大繁殖してんのかなあ」
 撫でた頭の生え始めの毛が、掌を刺す。
 油田への被害を考えると、本気で駆除に力を入れる必要があるのかもしれなかった。
「ああ」
 ようやく立ち上がったクラウドの後ろで、セフィロスが答えた。
 独り言のつもりで呟いた言葉を肯定され、バレットは口を開けたまま振り返る。
「……え?」
「何のために、オレたちがここにいたと思っているんだ」
 セフィロスは半ば呆れた口調で答え、粘る着衣を脱ぎ始めたクラウドから、シャツを受け取った。
「うわ、やっぱ我慢できない!」
 上半身をさらしたまま、裏の井戸へ走っていくクラウドを、セフィロスがゆっくりと追う。
 疑問符を浮かべたまま見やったジョーは、小さく肩をすくめて、チョコボたちを厩舎へと引いて行った。
 残されたバレットは一人、モンスターの燃え滓の前に立ち尽くした。
「どういうことなのか、誰でもいいから、オレに分かるように説明しろってんだ!」
 もうどの部位なのか想像がつかないほど炭化したモンスターの身体を、渾身の力で蹴りつけた。


* * *

 いつものようにぬけるような空が微かに日暮れの気配を帯びる。
 肌を刺す暑さが和らぎ、気温が少し下がって、一日が終わろうとしていることに気付く。
 汚れを落としたクラウドは、着替えた白いシャツの襟と、色の薄い金髪を微かに通り抜ける風になぶらせている。
 ポーチから眺める風景はここ数日ですっかり馴染みとなったが、見渡す荒野には黒々としたサンドウォームの燃え残りが、小山になって横たわっていた。それ以外は、どちらを向いてもさして変わりない、乾いた土と岩、所々に生える茶色まじりの草と立ち枯れた木があるだけだ。
 バレットは肩の火傷の痕を、片方だけの手で撫でていた。
「あまり痕が酷くなりそうなら、ティファに治療を頼むといい。マテリアを預けてある」
 位置を低くする太陽を眩しそうに見やったまま、クラウドは呟いた。
「大丈夫だ。もう殆ど痛くもねえし、傷が残ったところで、オレぁ見かけを気にする歳でもねえからな」
「気分の問題だ。年頃の娘がいるだろ」
「む」
 苦笑するクラウドの声に、ガラガラと車輪の動く音が重なった。
 ジョーの馬車が厩舎の方から現れ、御者台に座る彼はここを訪れた時と同じように、黒い鍔つき帽子を被っている。
 二羽のチョコボたちは、モンスターに襲われたショックからやっと落ち着いたようで、どこか得意げに馬車を牽いていた。
 スツールから立ち上がったクラウドは、二羽のチョコボに前から近づき、両手で羽毛に包まれた太い首を抱く。
 途端に嬉しそうな、甘えた声で鳴くチョコボたちの頭に、額や頬を寄せるクラウドの姿はひと葉の絵のようだった。
「ベアトリクス。シェイド。元気で」
 別れを告げられたことを分かっているように、首を抱いた腕を解いた瞬間、彼らの鳴声は悲しげな響きを帯びた。
「また、牧場へ会いに行くよ」
 クラウドがチョコボから離れ、バレットが入れ替わるように椅子から立って馬車へ近づいた。
 御者台は一人しか座れないので、扉を開けて車に乗り込んだ。扉を閉めて、三十センチほどの幅のガラス窓を開ける。
「そういや、あの野郎はどこいったんだ?」
 先程、井戸端で素っ裸になって身体を洗うクラウドへ、ポンプで汲み上げた桶の水をかけていたのを見たきり、姿がない。
 もう二度と会いたくない相手なので、せめて最後に文句のひとつも言いたいところだった。
「あんたたちが通る道に、奴らがこないか先に行って調べてる」
 奴ら、とはもちろん大繁殖しているというサンドウォームのことだろう。
 そもそも、クラウドとセフィロスは、世界再生機構の幹部になっているリーブから、ここ数ヶ月で大量発生し、なおかつ巨大化しているサンドウォームの調査などを依頼されていた。そのためにこの小屋を借りて、滞在していたのである。
 結局事実を知らなかったのは、バレットだけだった。
 だからこそクラウドは、バレットが遭遇した事故の爆発にも気付いた。
 そして、街道沿いにサンドウォームの嫌う音波を出す装置とやらを設置していたらしく、バレットを看病するクラウドの代わりにその仕事をこなしていたので、セフィロスは不在が多かったという訳だ。
「オレだって銃さえ使えりゃ、護衛なんかいらないんだぜ」
 負け惜しみのようになってしまった呟きに、クラウドは口元を意地の悪い笑みに歪めて見せた。
「少しは怪我人らしく大人しくしておけ」
「うるせえな」
 同じ笑顔を浮かべ、
「世話になった。じゃあな。」
「クラウド、またいつか牧場で会おう」
 ジョーも御者台から声をかけ、クラウドが二人へ頷いたのをきっかけに、手綱を操りチョコボを進めた。
 開けた窓から顔を出し、無言で友人を振り返る。
 軽く手を上げて振る彼は、昔と変わらず最後まで無口だった。
 それでも、人など通らないような砂漠の真ん中で、彼は決して孤独ではないのだと、低くなり始めた午後の陽に照らされた、穏やかな顔が告げていた。


 時折、開けた窓から顔を出して、御者台のジョーと言葉を交わす。
 やはり思い出話が多くなっていることに、年月の流れを感じながらも、これから彼とはいい友達になれそうだと、バレットは久しく心沸き立つ気分を味わっていた。
「なあ、街までどれくらいで着くんだ?」
「そうだねえ。この速度だと三時間かからないくらいかな」
 チョコボの並足ではそれくらいが妥当なのだろう。
 先ほど小屋を発った時には、まだ青かった空が、すでに赤く色を変えている。見上げた中天の紫から、西にかけて美しいグラデーションを作っていた。
 暮れ始めると早い。
 黄色く、眩しい光を放つ丸い太陽が陽炎に滲んでつぶれて見える。
 バレットは目を細めて、しばしその姿に魅入っていた。
 小屋を出て一時間ほど経ったころ、馬車が街道の分かれ道に差し掛かった。ここから南東へ進むと油田で働く者が多く住む街へ、西へ進むとコレル砂漠の外へ向かう。
 ここまでくれば、バレットでも見覚えのある道で、古びた木製の道標も立ててあった。
 ジョーは馬車を南東へ向け、僅かに轍の残る未舗装の道を進んだ。
 窓の外に顔を向けていたバレットは、その道標の前に佇む影に気付いた。
 停車させたフェンリルに跨り、嫌味なほど長い脚を地面に下ろしている。先日と同じゴーグルで目元は見えないが、その髪に見間違えようはなかった。
 どうやら本当に先行して、ここで馬車が到着するのを待っていたらしい。
 同じく男に気付いたジョーが馬車の手綱を引いた。
 彫像のように身動きしていなかったセフィロスは、顔だけを馬車の方へ向けて言った。
「この先の道はミミズ避けがある」
「わかった。ありがとう、セフィロス」
 するりと礼を言うジョーを、バレットはむしろ尊敬の眼差しで見た。
 また会おう、と社交辞令まで述べて、再び手綱を操ってチョコボを進める。
 肩越しに振り返ったバレットの目には、ゴーグルの向こうからこちらを見やりつつ、フェンリルのエンジンをかけるセフィロスがいた。
 エンジンが温まり、手馴れたハンドル操作で北に進む道へUターンする。
 しばらくそれを眺めていたバレットは、急いで反対側の窓を開き、身を乗り出すように男へ向って叫んだ。
「おい!」
 一度発進したバイクを止めた姿は、背後の西日を受けている。長く伸びた真っ黒な影は、透けた髪の部分だけが薄くぼやけて見えた。
 まるで昼間の、炎の中に立つ姿のようだ。
「てめえ、殴りそこねた! 今度会う時には覚えてろよ!」
 あの時悪魔と重ねた姿は男の本性に違いない。
 一度この世界をも滅ぼしかけ、神になり損ねた男は今、あの青年の近くで何になろうとしているのだろうか。
 セフィロスはこちらの剣幕をまったく気に止めない様子で、進行方向へと顔を戻し、アクセルを開けた。
 馬車の車輪音をかき消す爆音が響き、飛ぶような速度で、その姿は北の地平線の向こうへと消えていった。

* * *

 もう陽が沈んで随分と時間が経つ。
 小屋の窓は墨を塗ったように真っ黒で、薄暗い室内の粗末な家具や壁をぼんやりと映している。
 砂漠に街灯などあろうはずもなく、低い所に昇ったばかりの月が、ようやく荒野を照らし始めた。一様に月光を青く反射する地面は、急激に気温を下げつつある。
 クラウドはセフィロスが帰ってくるまでの間、暖炉に火を入れ、夕食の支度を始めた。
 もう怪我人を気遣う必要もないので、ジョーが手土産に持って来てくれたハムと、酢漬けの野菜を夕食に選ぶ。バレットと喧嘩でもしていなければ、きっとセフィロスも食べるだろうと切り分けたハムは、フライパンに乗せておいた。
 バイクの音を聞き取ろうと、耳を澄ませていたクラウドは、ふと遠くに鳴く狼かコヨーテの声を捉えた。
 以前は人間どころか獣も、到底生きられなかった大地に、今はほんの少しずつ、野生の獣たちが住めるようになっている。
 とはいえ、コレル砂漠は丈の短い草木がまばらに生える程度の、乾いた土地だ。クラウドたちがこれまで長期間住処にしていた、アイシクルロッジ周辺などに比べると、不便この上ない。
 木々や生物が生きづらい場所は、人間にとっても同じことだ。主に食物を加工品や保存食に頼らなければならないので、度々人里へ買い出しに行く必要がある。
 ここ数日、クラウドの代わりにセフィロスが行ってきた、サンドウォーム避けの装置の設置は、明日にも大凡完了するだろう。
 コレル砂漠で人間が行き来する場所は、ごく一部に限られている。それでもいつ襲い来るとも分からないサンドウォームを警戒しながら、人気のない場所で大量の装置を設置するのは、一般人には確かに難しい。
 だからこそクラウドへ託された仕事だった。
 リーブの話ではこの後、一カ所に誘導したモンスターをある程度駆除する作戦になっている。装置の設置が完了したことを伝えれば、リーブは改めて人員を使ってその作戦遂行にあたるはずだ。
 もしその先の協力を頼まれても、クラウドは断るつもりでいた。
 まだ世間はメテオを、セフィロスを覚えている。
 今回の依頼を受ける際にも、悩んだのはそこだった。リーブの望みは聞いてやりたいが、セフィロスを関わらせるのは絶対にごめんだと思っていたのである。
 結局セフィロスを巻き込んでしまったことを、クラウドは大きく後悔していた。今も暖炉の炎を見つめながら、彼がバレットたちと、どう相対していたのか考えていた。
 ふと、バイクのエンジン音が聞こえた。
 気を散らしていたせいで、気付いた時にはかなり小屋へ接近している。
 クラウドは溜息をついて、手にしていたナイフを暖炉の端の煉瓦に置き、残りのハムは袋に包んで、納戸の棚へ戻した。
 軽く手を拭きながら玄関の扉を開き、ポーチへ出る。
 青い荒野の東には、丸が少し欠けた月が輝いていたが、正面の道から接近してくるバイクのヘッドランプの方が次第に大きく、眩しくなった。
 小屋の前まで来たセフィロスは、土煙と共にバイクを止め、顎でチョコボ厩舎の方を示した。
 クラウドが無言で頷き返すのを見てから、そのままフェンリルを緩く進めて、厩舎の中で停車させる。手早くエンジンを切って、スタンドを下ろし、長い足を跨いでバイクを降りる。
 グローブを外しながら、小屋の方へと戻ってくるセフィロスの一連の動作を、ポーチから見守っていたクラウドは、目の前で立ち止まった彼を見上げて、小さな声で呟くように言った。
「おかえり」
 ゴーグル越しにこちらを見るセフィロスは全く表情を動かさず、もしかするとまたバレットと喧嘩でもして機嫌が悪いのだろうかと、クラウドは思った。
 外したグローブをコートのポケットへ突っ込み、その手がクラウドへ伸ばされた。
 逃げずにいたクラウドの脇と膝の裏に差し込まれた腕に、突然抱き上げられた。
「な、んだよ」
 驚いた顔で見上げるクラウドへ、セフィロスは口元だけを歪めて見せる。
「あのデカい男を運んだのに、久しくお前を抱き上げてないなと思っていた」
 確かに、トラックで運び込まれた血だらけのバレットを、荷台からベッドまで移動させたのはセフィロスだった。
 何故か満足そうにしているセフィロスを訝しく思いながらも、クラウドは男の肩へ片腕を回した。
「満足か?」
「そうだな」
 クラウドを抱き上げたまま小屋へ入り、足で扉を閉めたセフィロスは、そのままベッドへと大股に歩いて、マットの上に放り出した。
 衝撃に一瞬目を瞑って開いた時、すでにセフィロスはゴーグルを放ってコートを脱ぎ、コートの下のシャツのボタンを片手で外している所だった。
「ちょっと待て」
 食事の支度をしてたのに、と止めさせる前に、腹のあたりまでシャツのボタンを開いた胸が目の前にあった。
「いきなり襲うな!」
 伸びて来た手にシャツのボタンをあっという間に外されて、ズボンのファスナーへ取りかかろうとする。
 やはりバレットと喧嘩したことの腹いせだろうかと、クラウドは多大な後悔をしつつ目を閉じる。
「色々と、ストレスがたまった」
 クラウドの着衣を脱がしながら呟いたセフィロスの言葉に、ふと男の顔を見上げた。
「舅と間男に、一度に会うことになろうとはな」
 思わず強ばる顔を反らせた。
「なんだよ、舅とか間男って」
 はだけた胸に唇が降りて、乳首の先を摘まれる。
 くすぐったい感触の中に、快感を見出して、クラウドは思わず顎を上げた。
「あの男、いつ娘はやらんと言い出すか待っていたんだが」
 乳首を含まれたまま微かに笑い声を漏らす。
「だからって……他人にやってるとこ見せるなんて」
 思い出すだけで冷や汗が出る。穴があったら入りたいとは正にこのことだ。
 まさかバレットも他人に伝えはしないだろうが。
「あいつも途中まで楽しんでいた」
「そんなはず」
「お前はあんな堅物の目も惑わせる。尤も、あいつは自覚していないだろうな」
 ズボンを下着ごと引き下ろされ、外気に肌があわ立った。
 暖かく感じる大きな掌が、腹を撫で下ろし、腰から尻の方へと動いていくのを、息を詰めて待っていたクラウドは、足の間から見上げてくる男の顔に、微かな怒りの色を見た。
 暖炉の炎が瞳に映り込んでいる。
 それ以上に、何かが燃えたぎるような気配を感じる。
「あの間男は」
「……間男って」
 セフィロスは怒りの気配は消さず、唇には笑みを浮かべる。
「あいつは察しは悪くなさそうだが、もし今度顔を出したら殺してやろう」
 ひやりと冷たいものが、クラウドの背を撫で下ろした。
 この男は本当にそうしかねないのだと思い出した。
「変な勘ぐりは、やめろ」
「そうだな。過去はともかく、今はオレのものだ」
「オレは誰かの物じゃない!」
 長い前髪の隙間から、一層壮絶な笑みに歪めた口元が見えた。
 腹に落ちた毛先にくすぐられ、思わず背を竦める。虚勢だと自覚しながらも、クラウドは触れる手から逃れようと身体を捩った。
 セフィロスの吐息に肌を弄られ、容易に生まれる快感を否定したい気持ちになる。
「だからこそ」
 言葉を途切れさせたその唇が狭間を嬲り、クラウドは思考を停止させられた。舌先で窪みを突かれて、無意識に開いて行く場所に指も入れられ、髪を振り乱す。
 手際よく冷たいものを塗りこまれて、後ろを解かれただけで、一度も触れられていない前まで反応している慣れすぎた身体が恨めしい。
 勝手に早くなる息を吐き出し、声が溢れそうになるのを堪える。
 根元まで飲み込まされた長い指が、抉るように内側を撫でてから乱暴に抜かれ、美しく整った唇がクラウドの耳元で囁いた。
「だからこそ貶めて、手に入れたくなる」
「……地獄へ堕ちろ」
 低く漏らした暴言は震えを帯びた。
 男は動じず、笑みを浮かべたままだ。
「もとより」
 言外に、その場所こそがセフィロスの故郷なのだと。
 逆らえない視線に促されて、全裸に剥かれたクラウドはベッドの傍に跪いた。
 縁に座るセフィロスの足の間に身体を置けば、命じられずとも、自ら反逆心を起こしたくなった。
 前立てを解いて、弾け出るものの熱さは、クラウドを明瞭に欲情させる。この男を喘がせてみたいと思わせる。
 髪を掴まれ、唇を割って押し込まれ、クラウドは一瞬詰まらせた息を、静かに吐き出しながら受け入れた。
 凶暴なその肉が、いつもは己の中を狂わせる。
 仕返しのように、扱き続ける口内で舌も使ってみせれば、頭の上で男が吐息を漏らす音が聞こえた。強く吸い上げながら頭を動かして、時折上目遣いでその表情を窺った。
 毛布を掴んでいた腕を上げて、男の腰を抱く。
 背を流れ落ちる髪に、指を絡ませる。
 触れる場所は互いに薄く汗に濡れ、糊のように身体を密着させた。
 含みきれないまで育ったものの先端に舌を当て、指を使って終息を促すと、髪を掴む掌の力が強くなった。
 予告なく喉の奥を温いものが叩き、咳き込みそうになって慌てて抜き出したものから立て続けに口元や首筋に撒き散らされて、クラウドは激しく噎せた。
 大きく息をつき、額に小さな汗をひと粒浮かべたセフィロスは、少しもつれた長い髪の隙間から、満足そうに見下ろしている。
 長い睫毛の下の瞳が、炎の揺れる灯りに満たされた室内で、唯一翠の光を発して光る。
「早くオレのところに堕ちてくるといい」
 本当に気付いていないのか。
 それともあえて気付いていないふりをしているのか。
 自然と滲んだ涙に濡れる目で、クラウドを既に支配している美しき王者を見上げた。
 指で拭われた口元の滴を、舌を伸ばして舐め取る。
 これから下賜されるものの予感に、眩暈すら呼ぶ視界を閉ざした。


炎獄の帝王(了)
2007.12.12
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