トランス |
男たちは、みな似たような戦士のいでたちだった。
一様に屈強な身体つき、木の幹のような腕には新旧の刀傷を浮かび上がらせ、椅子の背には剣を立てかけている。旅の途中で立ち寄った、小さな街の小さな酒場のテーブルに集まり、彼らは酒と煙草を手にカードに興じていた。
ここは新しい街道沿いの名もなき街だ。壊滅したミッドガルの周囲に出来たエッジと、漁村として復興しつつあるジュノンの、丁度中間地点になる。道は新しく整備されたものだが、街は元々ミスリルマインで働く鉱夫たちの立ち寄る場所だった。
メテオ以前から立つ建物はどれも古く、安宿の壁のレンガは腐食が進んでいた。
それでも彼らがここに集まるのは、屋根のある寝床と、酒と、娯楽を求めているからだ。
贅沢を言うならば、娼館のひとつもあるといいのだが、未だモンスターも徘徊し、深い森林と山に囲まれた僻地から、以前少しはいた娼婦たちも逃げ出してしまったらしい。
チョコボやバイク、多くは徒歩で移動してきた彼らは、ここで汗を流し、酒を喰らって稼いだ日銭をカードに擦り、後悔を抱いたまま固い寝台に向うというわけである。
日もとっぷり暮れ、無論街灯など存在しない山道では大抵の者が野宿を決意する時間になった。こうなると宿の扉を叩く、新たな客も見込めない。
食堂に集まる男たちの深酒は進み、宿の主人は食事の皿を厨房へ下げ、夕食の煮物の匂いが、煙草の煙で消されていった。時折起こる談笑の声と、ニスの剥げかけたテーブルの上で、カードを交ぜる音以外、静かな夜である。
だからこそ予告なく押し開けられた扉のきしむ音は、思いがけず食堂に集まる男達の視線を集めていた。
開いた扉の前に立つその青年は、薄汚れたマントのフードを目深にかぶり、帆布に包んだ大剣を背負っていた。マントの裾から黒い革のズボンとブーツの足が覗いている。
一見、他の男たちと変わりない旅人のようだったが、先客たちは擦り切れたマントの布の隙間から窺える、色白の口元と、ひと束こぼれた鮮やかな金髪を見逃さなかった。
こうした場所に紛れ込む旅人にしては、品が良すぎる。
マントの中の身体もよく見れば細身だ。
もしや中身は男装した女なのではと、僅かな期待と下心が働いた。
「お嬢ちゃん、こんな夜更けに何の用だい」
下卑た濁声で野次を飛ばした男へ、賛同の笑いが起こる。
青年はフードの影から食堂を一瞥したのみで、厨房の入口で見つけた宿の主人の方へ、一直線に歩いてきた。
「部屋はあるか」
声は若く、だが間違いなく男のものだ。
半分の客はあからさまに舌打ちして手にしたカードに視線を戻し、残りの半分は店主と青年のやりとりに注視していた。
「個室はない。大部屋なら八百ギルだ」
「かまわない」
「朝食はどうする。いるなら二百ギル前払いだ」
「いらない」
無愛想な返答の後、青年はフードを下ろして懐から財布を取り出した。
頭を覆う布の下から現れた豪奢な金髪と、口元だけでなく人形のように整った白い面に、誰とはなしに賞賛の口笛が起きた。
「お嬢ちゃんじゃないのは残念だが、えらい別嬪じゃねえか」
がははと大口を開けた笑い声の響く中、青年は野次を気にも止めずに、主人に部屋へ案内を頼んだ。
「おい。無視するんじゃねえよ」
酒の回った一人の客が立ち上がって、青年の行く手に立ち塞がった。
青年にからんでいながら、決して手を出さなかった客たちには、彼の背にある剣と、そこにはまったマテリアが眼に入っていた。例え相手が女子供であろうと、その力量を測ることを怠っては自分たちの命がないことを、彼らは経験上理解しているのである。
おそらくその男は深酒が過ぎて、判断力を失っていたのだ。
表情はぴくりとも動かさず、一度瞬きした青年はテーブルの間の通路を塞いだ男を見上げた。
「おっさん、やめとけ。お嬢ちゃんの背中のもんが見えねえのか」
制止したほかの客の声に耳を貸さず、男は青年の胸元を掴み上げようと手を伸ばしたが、マントの襟を軽く握ったところで動きを止めた。
男の手首に、白く光る刃物が押し当てられている。
いつ持ち出したとも知れない、青年の左手に握られた小剣は、手首の皮膚が切れる寸前まで刃が食い込んでいた。
「オレに触るな」
男の酔いは一気に引いた。
囁く音量の青年の呟きは、恐怖と驚愕、なぜか同時に官能も刺激される、女妖の誘いの声を思わせた。
最初の顛末ですっかり他の客に倦厭された青年は、同室の男達の存在などまったく意に止めていないようで、彼らがカードゲームを終え部屋に戻った時には、既に六つ並んだ大部屋の寝台のうち、窓側のひとつに潜り込んでいた。
巨大な剣は布に包まれたまま、ベッド脇に立てかけてあるが、あの様子では懐に幾つ武器を忍ばせているか分かったものではない。
ありつけない娼婦の代わりに、あの青年を裸に剥いてみたいと妄想するものも居ただろうが、命をかけてまで手に入れようとは誰も思わなかったようだ。
安らかな夜と睡眠を得た青年には、本望だったに違いない。
深酒した男達は、あっというまに大鼾をかいて眠りに落ちた。
部屋は一つだけ足元の灯りに残したランプが、古い板床を照らすだけに留め、夜の気配に沈んだ。
だが、夜半も遥かに過ぎたころ、時折起こる寝言と歯軋りに混じって聞こえていたふくろうの鳴声が、一瞬止まった。
足元の草むらに鳴く虫の声も止む。
そしてそれらがもう一度声を取り戻した時、青年の眠る寝台の脇の窓が開いていた。
わずかな月明かりと、足元のランプの微弱な光を反射し、窓辺にある黒い影が何かの形を成して見えた。
出窓状になった窓枠に腰掛け、長い脚は室内に下ろされている。コートのような肩から膝まで覆う布が、コウモリの羽のようだった。
古く腐りかけた床を軋ませることもなく、室内で立ち上がった影は数歩足を進め、青年の眠る寝台の上にかがみこむ。
息が降りかかるほど近く覗き込まれても、青年は目を覚ます気配はなかった。
横向きに枕に乗せた頭は、長い前髪で顔半分が隠れていたが、その金髪の隙間からうかがえる頬に、影は顔を近寄せる。
耳元に、輝く髪の間の肌に、影はうやうやしい、丁重な仕草で口付けた。
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* * *
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「クラウド」
低い声に名を囁かれ、クラウドは毛布の下の身体をはっきりと震わせ、覚醒した。
頚動脈にも近い耳元に、冷たい唇の感触がある。
そこまで近づかれ、更に不敵にも声を掛けられるまでまったく気配を感じなかった。
すぐ飛び退くべきか、それとも相手の動きを見て動くべきか、迷った数瞬の間に、影の顔を隠す長い髪が流れ落ち、弱い光がその顔を照らした。
「無防備な姿だ」
間近に迫る秀麗で恐怖を煽る顔を、薄く開いた横目でとらえ、クラウドは心の奥でこみ上げた唾を飲み込んだ。
含み笑うような低い音がその喉元から響く。
吐息が首筋に触れた瞬間、クラウドは両手を跳ね上げ、毛布を侵入者へ被せるようにベッドから飛び出していた。そのまま脇にあった剣を掴み、部屋の中央あたりに降り立つ。
盛大に板床が軋む音に、数名の同室者がベッドから飛び上がった。
「な、何事だ」
肩で息を吐き、正面を見据えるクラウドの目の前には、見知った男が被せられた毛布を片手に立っている。同室者たちも突然現れた長身の男を、半分寝ぼけた目を擦りながら見ている。
例え実体でなかったとしても、今、同室の男たちの目にも見えるのであれば、これは『セフィロス』だ。
何故ここで彼が現れるのか。
これまでクラウドを責め、苦しめてきた夢や幻影と異なり、誰にでも見える形となるなら、多少なりともジェノバの血肉を必要とするはずだった。
一年ほど前、エッジとミッドガル跡に現れた彼もそうだ。
そのために思念体である三人の青年を手先として使い、ルーファウスたちが奪ったジェノバの首を取り返し、一度はクラウドと剣を合わせるまで実体化した。
セフィロスは片手の毛布をクラウドの寝ていたベッドに静かに放り投げ、空いた左手を水平に空中へ伸ばす。
何もない薄暗い大部屋に、短い耳鳴りのような空気を震わせる音が響いた。
一瞬顔をしかめたクラウドと同じように、耳を押さえて、ベッドの上から逃げようとする他の者たちにも、その音は聞こえたようだった。
「無粋だな」
短く、感情の読み取れない、だが明瞭な声で呟いたセフィロスは、伸ばした左手にあの刀を出現させた。
青い光を放つ刀身からは、冷気が漂い、形を成して見える。
「オレたちの逢瀬に見物人は好まん」
一瞬顎で窓を示したと思った途端、セフィロスは刀ごとその窓へ身体を躍らせた。
半開きになっていた両開きの窓の片方は、風圧で押されたかのようにガラスを外へと撒き散らし、男の影は真っ暗な外の闇に吸い込まれていった。
クラウドは剣を片手にしたまま、その闇へ自ら飛び込んだ。
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街灯など全くない山奥の道だが、月灯りのある今夜はクラウドにとっては光量の不足はない。蛇行する街道が白っぽく光って東西に伸び、その両脇には、針葉樹と広葉樹の混じった、深い森林がどこまでも広がって見える。
夜の世界を青く染める月はまだ中天にあり、静かな森を見下ろしていた。
窓から男に続いて飛び出し、近くのブナの木の枝に降り立ったクラウドは、セフィロスの気配を探るべく息を詰め、低く剣を構えた。
自分の足元の枝が立てる音と、風が木々の葉を鳴らすざわめきの中に、敵が起こす雑音を探す。小さな枝を、乾いた枯れ葉踏む音、柔らかな下草を掻き分ける音でもいい。
いつでも動ける体勢でクラウドが捉えた異変は、長い刀身が風を切る音だった。
身体をひねって避けた刀は、紙一重でクラウドの胸を薙いだ。
姿勢を崩したまま枝から落ちたクラウドは、受身を取ろうと半回転したところで、着地点を狙う気配に地面に片手を伸ばした。指先の力だけで地面を飛び上がり、そのままとんぼを切って着地位置をずらすと、一瞬前に手をついた土の地面には、セフィロスの刀が突き刺さっていた。
刀を折るべく、横にざまに切りつけるが、垂直に立った正宗の刃は高い金属音と火花を上げただけで、折れるどころか、刃こぼれすらつけずクラウドのアルテマウェポンを受け止めた。
アルテマウェポンは飛竜の首も一刀両断できる剣だ。
細身で、華奢にも見える正宗の刀身は、妖刀と呼ばれる所以か、びくともしなかった。
体重をかけた一撃にも耐えられたと判断して、クラウドはすぐに足を動かし、その場を飛び退く。
地面に残ったクラウドの足跡を焼く火花は、セフィロスの右手から放たれた炎だ。
炎の魔法が、まるで生きた蛇のように数度飛んだクラウドに追いすがり、再び樹木の上へ逃げたクラウドの前髪を焼く。
木から木へ、飛び移るクラウドを追ってくる気配がする。
このまま戦場放棄はゆるされないだろう。逃げ続ける限り追ってくるだろうが、なんとか自分に有利な場所に、戦いの場を移したい。
だが行けども森林は深く、拓けた場所はどこにもない。
背後に男が迫ってくる恐怖と戦いながら、クラウドは木の上を飛び移りつづけ、漸く土砂くずれで土石が剥き出しになった、少し広い場所を見つけた。
幅百メートルほどの崖が崩落して、なだらかな傾斜になっている。一週間ほど前に各地を襲った豪雨のせいだろうか。土砂に押し流された木々は、遥か下に倒れて折り重なっていた。
土に半分埋まった巨大な岩盤の上に着地し、背後を振り返った瞬間、頭上から振り下ろされた刀を、片手で掲げたアルテマウェポンの半ばで受ける。斜めに受け流して身体を反転させると、同じ岩盤の端にセフィロスも着地した衝撃が走った。
刃先を下に向けて、腰を低く構えたクラウドを、刀を脇へ下ろしたセフィロスが余裕の笑みを浮かべて見つめていた。
僅かにそよぐ風に鋼色の髪がなびく以外、動こうともしない男にわずかに怯んだ。
「先ほど何故かと問われたが、お前が呼びかけねば、オレは形を成すこともできない」
「呼んでなど……! 大体あんたはあの時死んだはずだ!」
硬直したまま絞り出す声は、不覚にも震える。
「死んだはずだ。セフィロス」
大空洞の底で最期の時に立ち会った。
更にその後、朽ちずに凍り付き、結晶に包まれた彼の死躯を、ジェノバの首と一緒に、ライフストリームに投げ捨て、埋葬したのはクラウドだ。
「死など望んでも訪れぬ」
セフィロスの顔から、余裕の笑みが消え、代わりに怒りのようなものが浮かんでいた。
何に対する怒りか。
彼を倒したクラウドか。
それとも死した男の魂を受け入れない、星の生命の流れに対してだろうか。
「オレや母の亡骸と、一体になることすら拒んでいるのさ、この星は」
はっと身を竦ませたクラウドは、目の前の男の死躯を捨てた時の感触を思い出した。
ライフストリームに投げ捨てたものは、固く凍りついた男の身体だけではなかった。過去の悲しい記憶、男への執着と共に、己の感情すら投げ込んだ。そうしなければ、後悔と絶望に押しつぶされそうだった。
溶け込めずに排出されたセフィロスとジェノバの躯と一緒に、クラウドの感情も吐き出されたのだろうか。だからこそ、これほど心が揺らぐのか。
そもそもこの男を目の前にすると、クラウドは考える余地を無くしてしまっている。
「どうして」
思わず口からこぼれ出た疑問は、彼に向けたものではなく、己に対してだった。
「何故、どうしてとお前は問うばかりだ。お前の半分はオレであり、お前が望むから、オレもこうして現れる」
冷や汗の伝う眉間を寄せ、剣の柄を握る手にも力を込める。
真実であるがゆえに、それを男の口から聞くことは屈辱だった。
無意識に唇を内側から割った気合いと共に、セフィロスへ切りかかる。岩の上からふわりと跳んだ男にはかすりもせず、代わりに岩に打ち付けれらた剣が火花を上げた。
すぐに岩を蹴って追いすがり、セフィロスの後に続く。
切り上げた切っ先を軽く正宗で払われ、続けざま打ち込んだ斬撃もすべて、余裕をもって弾かれた。
「なるほど」
低い含み笑いを漏らしつつ、セフィロスは少し離れた、立ち枯れたマツの木の上に降り立った。
「お前はオレを地の底へ捨てることで、己自身も封じようとしたのだな」
ちり、と目の奥が音を立てて熱くなった。
指摘が真実であっても、それは誰にも知られてはならないことだった。
この男の目的を阻止することが仲間たちと、多くの人々の願いであり、それが達成された今、後悔している事実は己だけの心に秘めておかねばならない。現実を否定することは、このセフィロスの行動を容認する意味となり、それは全ての生物に対して裏切りになる。
半分はヒトであるはずの自分を裏切ることにもなる。
一時の欲望に負け、その道を選択すれば、クラウドは人間どころか獣以下と罵られることだろう。
「消えろ……」
セフィロスの躯と共に、投げ捨てたはずのクラウド自身の心も。未だに躊躇するこの執着も。
己の欲望の具現である男へ、アルテマウェポンを振りかぶり、飛び掛った。
夜の闇に、コウモリのように浮かぶ影は、笑みを湛えた口元と目元を、最後まで崩さず、携えた刀で防ごうともせずにそこにいた。
「消えろ!」
消滅を願って剣を振り下ろし、同時に己が切りつけられたような痛みに意識が遠のいた。
今度こそ、そのまま目覚めぬならば、本望以外のなにものでもない。
エッジの夕暮れ時の灯りが遥か下方に見える。
半日かけて山道を下り、そこに暖かな光を見て安堵する者は多いことだろう。
いつからか、こうして旅と称した移動ばかりを繰り返して、クラウドは本拠地と云える場所を失ってしまった。
ティファの店に部屋はあるが、もう暫く帰っていない。
一時期は少し打ち解けたと思えた彼女や子供たちと、平穏な生活を得れば得るほど、結局は己の異端さを実感することになるのだ。
現に今朝方、高いマツの頂上近い場所から転落したクラウドに、それらしい傷痕はない。昼頃まで足首に浮かんでいた青痣も、今は薄い痕すら残していない。
店の切り盛りで荒れたティファの手を魔法で癒してやりながら、日増しに成長していく子供たちの姿を眺めながら、ただ一人何も変わらないクラウドはやはり正常ではない。いつか子供らに外見年齢を追い越され、クラウドの肉体の異常に気付いた他人は、自分を追い出しにかかるに違いなかった。
それが人間と社会というものだ。
仲間たちと共に命をかけて守ったものが、それだった。
クラウドは依頼主から受け取った荷物を背負いなおし、この仕事を終えたら再びエッジを離れることを決意していた。
もしまた、あの男の幻影が現れたとしても、自分ひとりで対処できる場所にいかねばならない。襲われるのが自分だけなら、今朝のように傷だらけで目覚めるのみだが、街中では誰が巻き込まれるか分かったものではない。
今はもう、こうして歩いているだけでも、すぐ耳元に吐息がかかるほど近くに、男の気配を感じている。
ここ数日のことではなく、一年前、このエッジにあの男の思念体が現れ、ミッドガルの遺跡で戦った後からずっとのことだ。気配には強弱があるものの、この一年ほどの間徐々に明瞭に、頻繁に感じるようになっていた。
胸をざわつかせるそれを振り払うように、クラウドは足を速め、エッジへの道を駆け下りた。
エッジ郊外にある荷物の届け先へ立ち寄り、そのまま街中に足を進める。
以前よりも数を増やしたビル群、通行人や自動車も多い。昨年建設中だったハイウェイも殆ど開通している。刻々と変わる街は、ともすればクラウドでも迷うことがあるくらいだ。
資源と資材に恵まれて、ミッドガルの頃にも劣らぬ便利さを保ったまま、人々は生活していた。バレットが開発に関わった油田以外にも、海上で汲み上げる技術まで既に始まっているらしい。
もうこの街に、かつての守り手は必要ない。
強大な敵は去り、不安なものはあの男の因子を抱えるクラウド自身だけだ。
陽の落ちる前に辿り付いたセブンスヘブンは定休日の札をかけ、不在だった。
整頓された店内のカウンターを横目に二階へ上がり、クラウドの部屋でティファの書き置きを見つける。予定どおりなら今日、クラウドが戻ることは承知済みだったが、ティファは休みを利用して、子供たちを遊びに連れ出しているらしい。
彼女らの無邪気な笑顔を思い出して、ふと口元に笑みが浮かんだ。
そして次の瞬間、耳元にあの男の吐息を感じて背筋を強張らせた。
デリバリーサービスに使っていた書類などを片付けて、ティファに譲るべきもの以外はゴミ箱に放り込む。電話を操作し、留守番電話に無期休業の旨を録音する。僅かな所持品も捨て、唯一写真立てにあった仲間の写真数枚は、中身だけを抜き取り、ベルトポーチに仕舞った。
クローゼットに入っていた少量の衣類やマテリアはまとめて一つのサックに詰め、今回の仕事では使わなかったバイクのキーをポケットへ入れた。
十五分ほどで済んでしまった身支度では消えない記憶が、潜った戸口の下で蘇ってくる。
ティファは相談もせずに去ったと怒るだろう。子供たちは泣くかもしれない。
だからこそ、これは消去法の選択ではないと、彼女たちに伝えなければならなかった。
一階に降り、店のレジにあるメモに簡潔な手紙を書く。
自分のここでの役目は終わった。
クラウドは己自身のための選択を、今ようやく選び取ることができたのだと、彼女たちへ伝える手紙だった。
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* * *
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クラウドは遠出や長期エッジを不在にする前、必ずこの丘を通る。かつて親友と永遠の別れをした、ミッドガルを見下ろす丘だ。
古く錆びついたバスターソードの墓標に、エッジのはずれで購ってきた花を手向ける。
そもそもここに彼の死躯はない。手も合わせず、瞠目もしないが、彼も、彼の愛した女性も花は好きだった。
クラウドはここに来て花で彼らの魂を慰め、彼らの命が己に宿っていることを自覚できれば、それでよかった。
夕刻エッジを出て、すでに日も暮れ切っている。
墓標の目の前の岩陰に野宿を決めて、クラウドはバイクを岩近くに寄せ、その影に寝袋を敷いて座り込んだ。まだ火を焚くほどの季節ではないし、ただ蹲って眠るだけである。
夕闇が本格的な夜になった瞬間から、涸れたミッドガル周辺の荒地には野生の獣が徘徊し始める。
遠くに集団で移動する狼の姿と、黄色く光る眼がいくつも走っていった。時折単身で岩の間を飛び跳ねる草食動物もいる。荒涼として見えるこの地にも、魔晄を吸い上げなくなって以後、徐々に自然の秩序は形成されているようだった。
不思議と昼間よりも活気のある荒地に、クラウドは身動き一つせずうずくまっていた。
狼の遠吠え、得体のしれないモンスターの鳴声、地面の砂を巻き上げる風。
近くに停めたバイクから微かなガソリンの匂いがする。
音がないのがおかしいほど、空には星が激しく瞬いて、厚い雲に隠れた月が、地平線近くでぼんやりと赤っぽい光を湛えている。
これだけ賑やかで、しかし人間はいそうにもないこの場所で、隣に座るような位置に自分以外の気配をずっと感じていた。
「消えろと言ったのに、また呼ぶのか」
頭の上で低い、静かな声がした。
正面を見据えたクラウドの視界の端に、誰かの足が見えた。
昔から変わらない、黒い革の長靴に包まれた長い足だ。
「───オレ自身を閉じ込めるのを、やめようと思って」
友人に語りかけるように、普通に声が出た。
ずっと昔には、そうして彼へ話し掛けていたこともあった。
「ほう」
相槌には笑いが含まれていた。
人を嘲笑うような調子の、この声を何度耳にしたことか。
すぐ側らに、長身がしゃがみこんでクラウドの髪に触れた。頭を鷲掴みに出来る大きな手は、思わぬ優しさで頭を撫で、髪の束を持ち上げ、指を滑らせる。
全てを忘れられるなら、そのまま触れ続けてほしいとすら思うのに。
「漸く決意したか」
髪をひと束持ち上げた場所に、含み笑いの吐息と唇が押し当てられた。
「リユニオンを望むなら、ここから、骨も残さず喰らってやろう」
身体の芯を溶かすような、甘い声が囁く。
唇が開いて耳の下の首筋を軽く咬む。
クラウドは突然伸ばした腕で男の肩を掴んだ。
首筋から唇が離れ、初めて男と顔を正面で合わせた。
一年前の記憶とも、昨夜の記憶とも寸分違わぬ整いすぎた顔は、想像したより穏やかな表情でクラウドを見つめ返していた。
「セフィロス。あんたは、オレにリユニオンさせる気なんかないんだろ」
恐らく、それは間違いなくこの男の真実だった。
セフィロスは表情も変えず、ただじっとクラウドと視線を合わせたままだ。
「あんたがエッジでリユニオンしたジェノバの首、あれは今オレの中にあるはずだ。なんで使おうとしない?」
セフィロスの手が己の身体に回るのを機に、クラウドは長い髪をかき分けるように男の首の後ろへ両手を絡め、しがみついた。
まといつく鋼の髪を乱暴に引いて、薄い唇に噛みつく。
牙のように尖った八重歯を舌で辿り、追いついてきた舌に応え、水をむさぼるように吸い合った。飲み込まれそうな舌を取り返し、柔らかい下唇に幾度か噛みつき返し、行儀の悪さをたしなめるように、再び覆われる。
「誤魔化さないで……答えろ」
一瞬唇が離れた機を狙って、クラウドは囁く。
至近で見つめ合ったまま、セフィロスは動きを止めた。
睨むように据えられた両眼は、瞳孔が縦に切れ、ヒトならざる証の最たるものだ。
「オレの結末」
ぴくりと描いたように整った眉が動く。
彼をよく知るクラウドにとっては、見間違いようの無い正直な反応に、確信を得る。
「あんたに選ばせてやるよ」
本当に二人が同じものなら、本音で選び取りたい選択も恐らく同じなのだろうと。
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半端に広げられた寝袋の周囲に、胸の上までたくし上げられた袖無しのシャツ以外の装備や衣服が散らばり、酷く乱れていた。
固い土の地面に手と膝をつき、持ち上げた腰の中心に男は顔を埋めている。自分はほぼ全裸で、一方セフィロスはグローブすら着けたまま、一糸も乱れがない。
そのまま軍議に出席できそうな男の姿に反して、淫らに濡れた舌に、他人に見せるべきではない場所を探られる。温く、生々しい感触に唇が震えた。
風に触れた乳首が凍みる。以前咬み取られたことがあった。今も千切れる寸前まで嬲られ、赤く腫れ上がっていた。
それでもこの男が自分を殺さず、そして完全に取り込んでしまわず、こうして犯す理由を、今のクラウドは理解できた。
彼が望む選択は、クラウドとなんら変わりない。
存在が不確かすぎて、生きている実感を得る方法がほかにないのだ。
そして繋がるほどに、セフィロスの存在は実体により近く、明瞭になっていった。恐らくクラウドの中のジェノバが、僅かずつ彼へ流れ込んでいる。事実体内まで挿し込まれた指が、舌が次第に熱くなる。
前後を同時に弄られ、発情期の猫のように声を上げ続けたクラウドは、堪える機会も与えられず雫をこぼした。
セフィロスの黒いグローブを白く汚し、酷く恥ずかしいことをしてしまったように思えて、クラウドは両手で目を覆う。片手でその覆いを退けられ、もう片方の手の中の体液を、唇で吸い取る姿を見せ付けられた。
「お前の血肉。これはそのひとつだ」
からかうでもなく、ごく真面目な表情で告げ、あらかたを吸い取った指をクラウドに含ませる。僅かに残る、己の体液へ若干の嫌悪を抱きながら、質感も匂いも実物と変わらないセフィロスのグローブをしゃぶり、程なくして取り上げられた指に唸り声で抗議した。
「オレの指を食う気か」
心地よい、低い笑いの混じる声で呟き、グローブを取り去り、再びクラウドの唇を指の腹で撫でる。それを付け根までくわえ込み、吸い上げて、いやらしく舌を這わせた。
同時に手で探りあてた男の足の間をゆっくり掴む。
己よりもずっと大きく、固く成長した陰茎に布越しに触れ、唾液がこみ上げた。熱く、血の通った温度に何故か安堵し、同時に臍の周囲に熱が集まる。
手探りで衣服を剥ぎ、奪い取って、土の地面に投げ捨てた。
寝袋の上に膝立ちになって身を起こすと、セフィロスは音もなく立ち上がり、自然な動作でクラウドの後頭部を掴んだ。
促されるまでもなく、屹立した根元に手を添え、男の先端を含む。
口腔で覆っただけで痙攣し、一層変化する場所は、己を求める男の真意だった。喉を塞ぐ凶暴さは、同時にクラウドを激しく求める、形あるものだ。
快楽だけでなく、時には痛みと苦しみを与えた場所でも、クラウドが知り得なかった心の昂ぶりを教えてくれた部分でもあった。
上へ伸ばした両腕で、筋肉の張り詰めた腰と尻を撫で下ろしながら、クラウドは時間を掛けてそこを確かめる。指先に触れる腹筋の、尻や背の窪みをひとつずつ楽しみながら、舌先で浮き上がる血管をなぞるように追い、弾力のある肉を味わった。先端からうっすら滲み出る塩味の強い液体は、涙の味だ。
堪え性のない自分と違い、セフィロスは反応は示しても余裕を持ってクラウドの愛撫を受けている。
俯き、自分の頭を見下ろしているだろうセフィロスから、調子の違う吐息が漏れた。
快感に声を堪えるような響きのそれは、クラウドの胸を震わせた。
「セフィロス」
口に含んだままくぐもった声で呼びかけた。
唾液の糸を引きながら唇を離し、先端を舌に押し付けるように舐め、上目遣いでその顔を見上げた。
小さな汗の粒が広い額に一つ浮き、いつもは引き結ばれた唇に僅かな隙間がある。
それでだけで、全てを許せるような気さえして。
「あんたと、ひとつに」
本能的な言葉を口にした途端、視界が反転した。
なにが起きたか把握する以前に、背中が寝袋の地面にあたり、身体の中心に鋭い痛みが突き抜けた。
体内でガラスが割れたような激痛に悲鳴を上げそうになりながら、それでも努めて静かに息を吐くと、痛みは次第に遠のく。苦痛を生む結合部に手を伸ばせば、セフィロスの先端部分だけが己の中にあった。
しばらくじっとそうしていれば、身体が慣れ、強張りが解け、彼を全て受け入れることも無理ではないことは経験上分かっている。
セフィロスは無理には動かず、クラウドを労わっているようにすら感じられた。
肩の上に抱えられた太腿が痙攣するのを、宥める優しさで撫でられ、ふくらはぎの内側の柔らかい場所を選んで口付けた部分に、意図的に赤い痕を残された。
互いに互いの傷をえぐるのではなく、どちらからともなくそうして受け入れ、労わることができれば、憎しみの輪は切れるのだ。
逆に意地を張りつづける限り、戦い続けるほか道はない。
本音を押し隠し、拒み続けて来た彼を、自分だけが受け止められるのであれば、もうかつての仲間を裏切る行為だったとしても、思い留まる気はなかった。
芳香さえ漂いそうな整った顔を、汗の浮かぶ目元を瞬かせて見上げる。
見つめ返される目の青さ、怒りや憎しみとはかけ離れた視線に、眼球の奥が熱くなった。
「クラウド」
これまでとは違った感情をのせた声が、繋がった場所を通して身体の中から響いた。
「もっと」
強請る言葉を口にしながら、どうしたらいいのかクラウドは理解していなかった。
そのまま抱きしめる腕をきつくして、絡める舌を強く吸って、繋がる場所が熱くなるほど擦り、圧し掛かる体重を受け、その身体を実感したかった。
「あんたの重みを」
二、三度大きく揺すられ、しびれるような痛みが沸いた。
力強さに、内臓を裂くような体積に、掴んだ肩の下を流れる血の熱さに、暖かいものが目尻を流れた。
セフィロスの身体に生気が宿るのに反比例して、クラウドの気力と体力は奪われていくだろう。元々一人分しかない肉体を、一時的に分け合っているのだ。
それでも行為を止める気にはならなかった。
自分の姿を失ってもいい。
三年前、本当に選びたかった選択、それはこの男を生かすことだったのだ。
「……もっと」
脱力した指先で、必死に肩へしがみつく。
軽々と膝の上に乗せられ、揺すり上げられ、体内を行き来するものの感触に、歓喜の声を上げる。
しゃくりあげる。幼い子供のような声で。
「リユニオンすれば、オレの重みなど感じなくなる」
睫毛に沿って暖かい舌が這い、流れる滴をぬぐい取られた。
「オレはお前の、この狭さを味わえなくなる」
それはいやだと頭を振る動きは、激しく揺さぶられる行為に紛れた。
声で伝えようとした拒絶は喘ぎに遮られ、セフィロスはうろたえるクラウドを笑い、唇の端をつり上げた。
性急な動きに縁がまくり上がり、奥の固い場所を幾度も突き上げられ、クラウドは容易に高い場所へ追いつめられる。
逃げ場所はない。
墜ちるなら、せめてその闇をまとった腕の中へ。
「お前を失いたくない」
しがみついた筋ばった腕がクラウドの背に廻り、離さぬようにと互いに力を込めた。
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* * *
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「相変わらず、なんて場所だ」
擦り切れた革のマントを、目もくらむ高さの淵から吹き上げる風が煽る。
マントについたフードに、目深に隠れた顔は見えず、ぼやくように言葉を放った口元だけが動いた。
マントから突き出た青年の腕は逞しく、実用的な筋肉に覆われており、それが見えなければ色白の頬に形のよい唇は少女のような印象も与えた。
青年は底の見えない闇の淵から、傍らに付き従う影へ視線を動かした。
珍しいほど長身の男だ。
彼もまた青年と同じような革のマントを身につけていたが、その存在感はまさに影というのがふさわしい。威圧的な戦士の姿をしているのに、どこか朧な印象を受けた。見るものが見ればわかる、これは実体のある人間の姿ではなかった。
二人に吹き付ける風は、遙か数百メートル下の絶壁を渡ってくる。どこかに積もった雪の欠片が風に舞い、青年の唇にともったのを、男が指先を伸ばして払い退けた。
「あんたの身体はここにある?」
「あるな」
「降りよう」
「ああ」
北の大空洞と呼ばれるこの淵は、もとは火山の火口だ。
幾度かの噴火と、活発なライフストリームの変化、そして過去に起きた事件で、ただの火口とは異なる複雑な形になってしまった。
大きく削られて、欠けた火山岩の上から、一メートルほど下に飛び降りた青年のフードが、風にあおられて外れた。
フードの下から現れた明るい金の髪は、埃まみれの戦士の姿には不似合いな美しさでなびいた。背後の男を見上げる青い両眼は、常に天候の悪い北の大地に、一筋の光明を差すような輝きを放っていた。
ずっと長い間、その顔に落ちていた翳りは晴れている。
「セフィロス」
名を呼ばれて青年に続いた男は、段差を軽々と飛び降り、フードを下ろしながら青年に近づいた。
マントの中に仕舞っていた男の長い髪が、強風に一筋舞う。磨かれた硬質な銀の色のそれが、風に飛ぶ雪と混じって見えた。
「雪だ」
積もった雪が飛んでいるだけでなく、本格的に降り始めたらしい雪が、短い時間で外気温を急激に下げている。
青年の剥き出しの首筋に、吹雪いたそれは酷く寒そうに見えた。
火口を下れば、更に気温は下がるだろう。
「クラウド」
逆に呼び止めた男は手を伸ばして雪を払い、青年のフードを戻してやる。再び革布に頭部を隠した青年は、口元に笑みを浮かべて男を見返した。
暗い火口の底の向かって足を進める二人の後に、しめった黒い火山岩が続いていた。
そこに水玉を描くように、白い雪がきらきらと光を放ちながら降り、次第に全てを白く染める。
これからこの北の大地は完全に雪に覆われる。
そしてそこが岩だったことを忘れるように、この場所に二人が存在し、訪れた理由も、誰一人覚えていない時代がくるだろう。
その時こそ、稀代の英雄も悪人も忘れ去られ、青年が望んだ結末が、人知れず訪れるはずだった。 |
トランス(了)
2007.08.20
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