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ロキの息子


 水を含んだ砂は固く、歩きやすい。そして跡は明確に。
 真っ直ぐに歩いているつもりでも、長いその跡は蛇行していて、まるでこの二年の自らの生活を形にしたようだった。
 遠くに見える廃墟は濃い灰を被り、すべてがくすんでいる。
 どれだけの人間がこの灰の下に埋もれ、最期の涙を地に吸わせたのか。
 どれだけの人間がこの灰を、微かな希望を胸に踏みしめたのか。
 自分ばかりが不幸ではなかった。不幸だと思うから惨めに思えるだけだ。かといって、幸せだった頃の記憶は甘く身体を包むだけでなく、後には引き裂かれるような後悔と悲しさをもたらす。
 もっと違う方法を選択していれば、愛する者たちを救えたのではないか。
 意味のない仮定の物語を、頭の中で繰り返すことにはもう疲れすら感じている。
 それを止めることが出来ないのは、幼く弱い、守られるべき立場から抜け出したくない、最後の抵抗であることに青年は既に気付いていた。

* * *

 古い教会に足を踏み入れた時、懐かしい匂いを嗅ぎ、ここに思いを残す少女の面影に、精神も肉体も癒されたのは事実だった。
 だが、違う道を選び取っていたら隣に少女がいたかもしれない。その手を離した罪がこれだというなら、それも自分の身代わりでは、かの少女があまりに不憫だ。星に帰るのは自分であるべきだった。
 踏み出す足の下に、彗星の衝撃が打ち砕いたステンドグラスが散乱している。聖人たちのおおらかな笑顔は、表情も分からないほど砕け、たおやかな聖母は胸に抱く息子を失っていた。空を覆っていたプレートが落盤し、光の差し込む窓枠にしがみつくように残っているガラスは、埃と灰にまみれた床を美しい色に染めている。
 板床は所々誰かに踏み抜かれた跡もあるが、ここには生気がない。
 僅かに残る聖櫃な空気がいっそ墓場のようだった。さながら自分は墓場を彷徨い歩く死人か。
 死人にはもっと相応しい場所があるはずだろうと思うのに、この星にはどこにも居場所がない。土の中ですら、自分を受け入れようとしない。

 どこに行けというのか。
 眠る場所が欲しいだけだ。
 昔は、決して思い通りになることばかりではなかったが、青年が休む場所は確かにあったというのに。


 灯りなど一切ない廃墟で、何故か緑色に光るものが瞼を通して見えた。
 ライフストリームは熱を感じはしないが、その光は暖かい。
 取り巻かれれば廃人と化すかもしれないその流れを、今はもう恐怖しない。怖がる気持ちすら失ってしまった。
 躊躇なく目を開けば、周囲は暗かった。命の源はただの幻影か。
 かつての大都市は、崩れた壁や屋根をそのままに生き物だけが去って、立ち枯れた森のように静かだった。せいぜい、時折入り込んだ野生動物の目が茂みの隙間から光るだけだ。
 横たわったまま暫く辺りを眺め、もう一度目を閉じる。
 夢の中でもいいから、現れてほしい。
 抱き締めて、独りではないと言い聞かせてほしい。
 己の力が及ばずに失った人々ではなく、それを自らの手で制裁を加えたあの男に求める矛盾が、青年を更に苦しめているのは言うまでもなかった。
 実際、あの男一人を消してもこの世界はなにも変わりない。彗星による一撃死を逃れたところで、元々病んでいた星なのだ。枯れた魔晄炉からは瘴気が漂い、降り積もった大量の灰に覆い隠された土地は乱れ、徘徊するモンスターすら退治するのも躊躇うほどやせ衰えている。唯一以前と違うのは、その中で生き続けようと模索する人間たちがいることだろうか。
 そうやって後悔を繰り返しなぞり、青年が理由付けをしようと足掻くのは、あの男を生かしておくべきだったという結論に辿り着きたいからだ。
 二年の歳月が流れても、掌に最後の感触は焼きついていた。
 男の肉を断つ衝撃、返り血を受けた頬の感触、剣から伝う血糊は乾いて爪の間までこびりつき、拭っても拭っても落ちなかった。震える手、その向こうには自分の変貌に驚く仲間たちの顔、己の口からは無意識に、聞いたこともないような嗚咽が漏れた。
 それぞれが守りたいものの為に働き、男に引導を渡した。後悔などないはずだった。
 だが全てが終わり、青年の手に守るべきものは残っていない。守る者もない。
 この苦しみをあの時知っていたら、青年は男の手に、この星をも捧げていただろう。
 思考は同じところを行ったり来たりを続け、とても眠れそうになかった。
 そして、どれくらいそうしていたのか、ふと視線を感じて、クラウドは横たわったまま再び目を開いた。
 見据える暗闇に、黄色く光る目が一対。クラウドの様子を伺うようにじっと蹲っている。感覚を凝らせば、浅く呼吸をする気配があったが殺意は感じられない。
 あわせた視線を外さずにいると、闇の中から二つの目はゆっくり近づいてきた。
 壊れた屋根の陰から外れ、月光の下に現れたものは獣の姿をしていた。
 狼、それも酷く大きい。月を反射する毛並みは灰色。夜行性の獣らしく光る目がなければ、夜の闇に溶けてしまいそうだ。
 それは、クラウドと二三歩ほどの間隔をあけて立ち止まった。
 体長は一メートル半ほどあるが、身体は痩せており、機敏そうな後ろ足の太さが目立つ。
「なんだ」
 狼はクラウドの声に動じもせず、その場に音もなく座り、じっと見つめて来た。
 まるで観察されているようだった。
「お前、オレを喰いにきたんじゃないのか」
 低く笑いを漏らして挑発しても、言葉を理解しない獣はそしらぬ顔をしている。
「一頭きりなのか。仲間は」
 二年前の旅では、言葉を理解する獣の形をした友がいた。この灰色狼は普通の獣だ。だがそれなら、普通は群れで行動するはずだった。
 字の如く、一匹狼らしい。獲物を捕ったばかりで空腹ではないのだろうと思っていると、暫くして脇に置いたクラウドの小さな荷物の匂いを嗅ぎ始めた。
 クラウドは手を伸ばして荷物を探り、干し肉の包みを取り出した。
 手など伸ばせば逃げるかと思われたが、灰色狼はまったく動じない。空腹でもなければ野生動物は絶対に口にしないような乾いた肉を千切って与えると、彼は念入りに匂いを検分した後、たった一口でそれを飲み込んだ。
 明日の分だけを確保して、残りは全て彼に与えた。
 そんな行動にも、青年は自分の命への未練を自覚する。
 もそもそと、水気も脂気もない肉を噛みしだく様を見つめている内に、クラウドは自然と眠りに引き込まれていた。



「そんな目でオレを見るな」
 両腕で目を覆っても、どうしてか自分を睨み付ける男は視界から去らなかった。
 故郷が燃える炎を何度も繰り返し見た気がする。
「あんたのせいなんだ。あんたが黒マテリアを使ったりするからだ」
『オレは何も言っていない。それはお前の後悔か』
「うるさい」
 何もない暗闇でどうして彼の姿が見えるのか。
 これは夢だ。
 男は死んだはずなのだから。
 その長い銀髪を乱し、諦めと驚愕と僅かな安らぎをその魔晄色の瞳に浮かべ、最期の一瞬まで青年の姿を見つめてこときれたはずだ。
『お前がオレを呼んだのだ。長い眠りを得ようとしたオレを、何故止めを刺したお前が呼ぶ?』
「オレを責めるな! これ以上、まっぴらだ!」
『クラウド』
 男の指が頬に触れた。
 冷たい革のグローブの感触はとても夢とは思えない。
「触るな」
『お前が呼んだ、クラウド。これはお前の欲望が見せる幻影だ』
 理性が止める。その先を受け入れたら帰っては来られないと。
 だがそれで引き返せるのなら、そもそもこんなに苦しんだりはしなかった。
『そうだ。これがお前の本当の望みだろう』
 思考を読み取ったような言葉に続き、頬を伝う指に顔を引かれ、整った美しい男のそれが近づく。
 耳朶に、首筋に、血の気の感じられない唇が這い、そのままクラウドの唇を吸い取った。
「いやだ」
 唇の隙間から漏れる掠れてくぐもった声を聞いて、男は笑ったようだ。
『何が』
「駄目だ」
『どうしろと』
 自ら腕を上げて首の後ろに廻し、男の身体に密着する。
 腕に当たる硬質な輝きの髪に窒息しそうなほど顔を埋める。
「――足りない。こんなんじゃ」

「殺せ」

 破く勢いで最低限の服を剥ぎ取られた。
 身体に残る装備のベルトや金具が素肌に触れ、その度に身体を竦めるクラウドを男は笑って見下ろしている。剥き出しになった部分全てに唇が押し当てられて、強く吸われ、赤く跡を残したその上から、今度は尖った歯を立てられた。
 熱いのは血が流れているからか、それともただの痛みか。それを確認もせず甘受し、奥深くを探る指をも受け入れる。
「足りない」
『お前は傲慢で、貧欲だ。一体何が欲しい』
 引き攣る臓腑の抵抗を忘れ、縁の痛みは期待にすり替えた。
「あんたを、全部だ」
 男の手を跳ね除け、強引に解いた服の隙間から性器を取り出す。雄の反応をしていながら、どこか植物的な匂いのするそれは記憶のままだった。躊躇いの欠片もなく口内に導き、熱い幹を限界まで飲み込む。昔教えられたとおりに愛撫を施せば、すぐに含めないほどに成長し、気道を塞ぎ、息をも止めた。
 それでも執拗に口淫を続けるクラウドを、男はただ静かに見つめる。その目が細められる瞬間だけ、この野生の性交に男が興奮していることを確認する。
 このままその猛るものを喰い千切り、飲み込んでしまえば、この男のこの一瞬の高揚を己の中に留めておけるという誘惑に駆られた。
 背筋を這い上がる凶暴な欲求に躊躇している間に、押し返され、何の感触もない黒い床に倒される。互い違いに圧し掛かる男は、既に十分な硬度を持った青年を、同じように口に含んだ。身体は意図に反して強烈な刺激に跳ね上がり、腰が浮いた。
「…ああ」
 溜息に隠せない淫らな音声が混じった。
『そうだ、いい子だ。そうやって大人しくしていろ』
 呪文に力を抜いて、与えられる感覚に自ら飛び込み、動かせなくなった唇と舌は、母親の乳房を吸う乳児のように、怠惰に男を咥えるだけだ。
 波状に襲い掛かっては引いていく快い感触に酔い、目を閉じる。
 だが最初から脳裏に鳴っている警報が突然大きくなり、無視できなくなった。
「う、るさい」
 入り込む舌の感触から逃げ出そうと、腕を突っ張り、押し退けようと足掻いた。
 頭蓋を割らんばかりの音量になった警報が、瞼の裏を赤く染める。
「うるさい! やめろ!」
 口の中のものに歯を立て、力いっぱい跳ね除けた男の身体の下から逃げ出し、クラウドは荒い息をついて半身を起こした。
 血の味がする。
 間違いなく男のものだ。それを知っているということは、自分は彼の血を味わったことがあったのだろうか。
 思い出せなかった。
 喰いちぎるとはいかずとも、強く噛みつかれても男は眉間に皺を寄せて、目を細めただけだった。暴力的な行為そのものよりも、クラウドが拒んだことをいぶかしんでいる顔だ。
『――行儀の悪い』
 座り込んだまま見つめる男に視線を据え、手の甲で濡れた唇を拭い、乱れた着衣を引き上げた。愛撫の跡を数箇所に認め、自然と赤らむ頬を俯ける。
『お前は何故認めない』
 男は唾液にぬれた唇もそのままに、いつもの蔑むような笑いすら浮かべる余裕だった。
『お前はいつも、本当に欲しいものを欲しいと言わない。それで大人になったつもりか』
 息を落ち着けながら男を睨み付け、額に滲む汗を拭う。
「お前のように欲望をさらけ出しすぎれば、星が滅ぶ」
 真剣に答えたつもりの言葉を、男は低く声を発して笑ってみせた。そうして、ついに我慢できなくなったように笑いを弾けさせ、細めた目でクラウド射抜いた。
『欲しいものが目の前にあっても、そうやって周囲を気にして拒み続ける』
「言うな!」
『お前とオレ以外、ヒトも獣も何一つ居なくならなければ、お前は唯一すら自分から求めようとはしないのか』




 悲鳴を押し殺したような自分の声で、クラウドは横たわった地面から飛び起きた。
 先程と何一つ変わらない朽ちた都市の残骸に囲まれている。
 いつもと違うのは、まだ立ち去っていなかったらしい灰色狼が、クラウドのすぐ傍らにいたことだけだ。寄り添って眠っていた彼は、飛び起きたクラウドの気配に、前足に乗せていた顎を挙げた。
 こめかみから滴り落ちる汗を拭う。背筋や首筋にも汗が伝っていた。
 わずかな風に汗が渇き、身体に篭る熱を奪い取っていった。
 安堵の溜息をついて、土が剥き出しになった地面に爪を立てると、グローブの固い革の感触は酷く生々しいものに思えた。身体の奥にくすぶる快楽の余韻と、訊きたくなかった言葉に受けた衝撃が鼓動を速まらせ、身体中の血管が騒がしく脈打っている。
「…馬鹿な」
 自嘲の笑みと共に言葉を吐き出し、汗がすっかり冷えたころ、漸く息が整った。
 立てた膝に肘をつき、組んだ両腕に顔を埋める。
 クラウドの横で密着した獣の感触と温かさが、こんな夢を見せたのかもしれない。だが、今それがあることに、クラウドは少なからず救われているような気もする。
 クラウドは腕に頬をつけ、すぐ脇に伏せた灰色狼を見やった。傾いだ頭を真似るように狼も僅かに首を傾げる様は愛らしくも見える。
 飼い犬ならいざ知らず、なぜこんな野生動物がクラウドの近くで眠るような暴挙をするのか。クラウドは弱い獣には懐かれるが、狩りをするような野生動物たちは、彼の強さを測り、距離があるうちに逃げ出すのが常である。
 それとも餌の礼に番でもしているつもりなのだろうか。
 分かりもしない人語に聞き入るような素振りは、とても不思議な光景だった。
「そういえばお前、オレのコレと同じだな」
 ふと、左腕を上げて、指先でプロテクターについた狼のモチーフを撫でる。
「これはフェンリル。お前と同じ巨大な灰色狼だ」
 興味をそそられたのか、灰色狼はさりげなく視線を外して、クラウドが示したものを見ている。
「これは裏切り者の象徴なんだ」
 己の吐いた言葉に指が震えた。
「餌を与えるチュ―ルの腕を喰いちぎった。そして最期は、彼と共に死の国へ行く」
 震えの止まらない指を毛並みに這わせても、彼はクラウドと肩のモチーフを見つめたまま避けようともしなかった。
「お前、あんな乾いた肉で満足していないだろう。オレの腕を喰い千切ってもいいんだぞ」
 北の国の伝説の通りなら、それでこそ。
「喰って、オレを死の国へ連れていってくれ。あの男の元に。今度こそ」
 自分たちのラグナロクをやり直したい。
 共に死ぬか、それとも共に生きるか、どちらでもいい。
 最後の最後で躊躇を見せたクラウドに、動揺したのはあの男の方だったのだ。
 急所から反らされた刀。反射的に返したクラウドの剣は、彼にとって致命傷だった。
「セフィロス」
 クラウドを縛り続ける男の名は呪文のように脳裏に反響し、胸と咽喉を詰まらせ、吐き出せない苦しさが涙を呼ぶ。
「オレだけ生きているのは、やっぱり不公平だと思うだろう」
 数度嗚咽を漏らし、俯いたまま屍のように動かなくなったクラウドを、野生の獣は東の空が白み始めるまで、只じっと見つめ続けた。

 何かが起こる予感は、廃墟に留まる青年にはまだ届かない。


03.10.01(了)
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