ばたばたと音を立てて落ちた雫が、板張りの床に円が連なった模様を描く。
外の雨と風の唸るような音は、すぐ背後に立つ男が閉じた扉で遮られ、クラウドの漏らした安堵の溜息が妙に大きく響いた。
肩や腕に乗った雨粒を払い、脱いだマントを掛ける。半分開いたままのカーテンの隙間からは、B&Bの文字が大きく書かれた看板の蛍光灯が、今にも切れそうに瞬いて見え、薄暗い室内に圧迫感を与える長身の影を浮かび上がらせた。
いつもなら重さを感じさせない銀の髪が、今日は光を吸い込み、その輪郭はより明瞭である。
クラウドの前に立ちはだかる影、闇の男。シャレにもならない符合だ。
皮肉な考えに思わず苦笑したクラウドに気付いたのか、男は額に掛かる茶の髪を片手で掻き上げ、湿ったそれを後ろへ流した。あらわになる額も、雨の雫が伝う鼻梁も間違いなく知った男のものでありながら、やはりその髪色は不自然だった。
伸ばした両手で左右の束を掴む。
レノのクラブではブラウンに見えた色は、良く見ると既に褪せ始めているようだ。
「……風呂に入ろうか」
クラウドが買って来たカラー剤は、普通なら数週間は色が保たれるはずのものだ。少し雨に濡れた程度で色が落ち始めたのは、染めたのが『セフィロス』の髪だからだろうか。
見上げるクラウドの提案には答えず、セフィロスは髪を掴まれたままコートを脱ぎ、シャツも脱ぎ捨てた。再び開きかけたクラウドの口は大きな掌でふさがれ、もう一方の手でニットのファスナーを引き降ろされ、衣服は奪われた。
セフィロスの意図なのか、身体を繋げてからもクラウドの圧し掛かる姿勢は変えず、違和感を覚えたままの茶色の髪とセフィロスの顔が近くにある。二つ折りにされた身が少し苦しく、片方だけ脱ぐ余裕も与えられなかったブーツと足首まで降ろされたパンツが、クラウドの足を抱え上げた男の肩の向こうで揺れていた。
せめてもの意趣返しと両手で長い髪を鷲掴みにして、身体の奥を暴かれる度、その手を容赦なく引っ張る。
こんな状況ですら殆ど表情に変化のない男が、微かに顔をしかめ、思わず笑みが浮かぶ。片方の眉を跳ね上げたセフィロスは、クラウドの足を抱えなおして、更に深く身を進めてくる。裂かれる痛みと同時に、それを上回る快感を得る。喉の奥を自然と割る叫びに、つられて目を閉じてしまったことで、その瞬間のセフィロスの表情を見ることは叶わなかった。
「まだ、別人のように思えるか」
クラウドは目を開いた。
「なんで?」
「お前がそう言った。他の男に抱かれていると思われても厄介だ」
笑い出しそうになったのを堪えて、髪を掴んでいた手を引き寄せ、滑らかな束に唇を寄せる。
「銀色のが、きらきらしてて、好きなだけだ」
髪についてきた美しい顔に見入る。
「でもどんな髪でも、あんたはあんただ。頭に来るくらい、綺麗な顔だな」
「頭に来るのか」
「くる。そのお綺麗な顔、セックスしてるときくらい、どうにかなればいいのに」
セフィロスは微かに口元を上げ、意地悪い笑みを浮かべた。
「では、ちゃんと目を開いて見ておけ」
そうして再び動き出した時に、クラウドはやはり目を閉じていた。
正直顔を見ていなくても、皮膚の薄い場所を弄る指先や掌、頬や舌をついばむ唇、中を抉る陰茎の形まで身体が覚えているとは間違っても口にしない。
普段どんな激しい戦闘でも乱れを知らない呼吸が速まり、涼しげな額から伝う汗が雨粒のようにクラウドの頬に落ち、冷徹で威圧的な視線の目元には、息苦しいくらい熱い光が宿る。拒絶する余地もなく押し上げられた絶頂の縁に立つ時、渾身の力をもって開いた薄目でそれを見上げる。整った唇が囁く音量で己の名を呼ぼうものなら、クラウドも意識を保つのが難しい。
結局、風呂に入ったのは明け方のことだった。
染めた髪を洗うのを手伝い、狭いシャワールームの明り取り用の小窓から差し込む朝陽に透かすと、夜見た時より更に色褪せて見えた。まだ地の銀色には程遠いとはいえ、一週間もせず完全に元の色になってしまいそうだ。
「あんたほどカラー剤のもちが悪いやつもいないね」
セフィロスはシャワーを被りながら、無言で肩を小さくすくめた。
「必要なら泥でも被ってやる」
鼻で笑うように何気なく告げられ、クラウドは言葉を失う。
一瞬にして黙り込んだクラウドに気付いたのか、髪に残った泡を洗い流し水栓を止めたセフィロスは、濡れて項垂れたクラウドの髪を撫でた。
「たとえ話だ」
バスルームから全裸のまま出て行く後姿を見送りながら、例え話ではなく、彼の髪を染めさせ、レノの店まで連れていったことは、正にセフィロスの頭に泥を掛けるような行為だったのだと思い至る。
彼は出生から人々の思惑に翻弄され、生まれた後も神羅のために働き続けた。だからこそ裏切りの怒りと憎しみに駆られた時、その無二の才能と力は全て破壊へと向けられた。
未だに彼を利己的な稀代の悪人だと言う者は多いが、それらに黙って背を向けることは多大な忍耐力を必要とするだろう。
クラウドにとって、このエッジもミッドガルの残骸も、懐かしい人々にもノスタルジーを感じるが、セフィロスにとって戻るべき理由はない。髪を染めて人々から身を潜める必要も、彼自身にはない。
服を身に着けるセフィロスの方を向かず、すぐにエッジを発つと呟いた。
自分も身体を拭き、身支度を終えると、すでに旅装に僅かな荷物をまとめたセフィロスが見下ろしていた。
「この町も、ニブルと同じくお前の故郷なんだろう」
小さく頷いてみせると、セフィロスは眉一つ動かさずに続けた。
「オレにも、今は帰る場所がある。だからお前も遠慮する必要はない」
水が染み込むように胸へ届く言葉の意味に気付き、クラウドはいたたまれない気持ちで顔を反らす。
セフィロスが開けた扉を抜け、曇り空の弱い朝陽の中へ出て、それから漸く顔を戻した。
「どちらから行く? ジュノンか、それともニブルか」
微かな風になびく茶髪を、少し慣れた目で見上げる。
「ニブル魔晄炉へ」
承知したと答える代わりに頷いたセフィロスは、クラウドを先へと促した。
踏み出た朝も早い街の上空を、ミッドガルの遺跡に住み着く鳥の群れが渡って行った。
次に戻ってくる時にはざわめく木々の枝葉に風を感じ、鳥の喧騒に朝寝を邪魔されることになるだろう。
それが十年先か、百年先か、クラウドにも知る由はない。
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