安宿と風俗店が軒を連ねるこの界隈も、表通りとさして変わりない、剥き出しの鉄柱とトタン板で組まれた建物が続く。手書きの看板はくすんだ色で静かに店を主張し、凶暴な光と色彩で、否応なく目に飛び込んでくるネオンが今は懐かしい。
見上げる空には入り組んで立つ鉄柱が横切り、遠くに見える高層ビルは雨にぼんやりと煙って見えた。その向こうにある廃墟の街は、ガスに隠れてその存在すら忘れさせていた。
廃墟に煌びやかな灯りがともっていた二十年ほど前に起きたあの大事件ですら、もう遠い昔の忌まわしい記憶になろうとしている。
事実、当時は少なからず有名人だった青年がこうして歩いていても、誰かに呼び止められることもない。青年の姿形が、まさかニ十年間全く変化せずにいるなど、当時の誰もきっと考えもしない。事件の記憶と共に英雄は忘れ去られ、同時に悪役の存在すら消えてなくなるのだ。
歓楽街───と呼ぶには静かな未舗装の通りには雨が降り注ぎ、呼び込みの店員の姿も見えなかった。
行き交う人々もごく少なく、雨音だけが街をうめている。
鉄柱やトタンを叩く水音が、運ぶ足を急かすパーカッションのようで、だとすれば、足先が水溜りに大きな輪を生み、飛沫を跳ねかせる旋律はストリングスか。
青年はある鉄製の扉の前で止まった。
扉には黄色と黒のペンキで大きく店名が書かれている。簡単な引き手に手を掛け、引いた瞬間、溢れ出て来た暴風のような音に涼やかな雨のリズムがかき消された。
地鳴りのように轟くドラムスとこめかみを貫く高いシンセリードの単調なトランス・ミュージック。
深い谷に降りて行くような階段は、昇降する人間一人ずつすれ違うのが精一杯の幅しかなく、黒く塗られた階段を挟む両側の壁には、所狭しと様々なポスターが幾重にも貼られて破れ、煙草の匂いが染みついている。一歩一歩谷底へ向かうにつれ、一定の間隔で響く地鳴りが、下ろした足に、皮膚に直接響き、次第にそれが大きくなっていった。腹の奥に響くような振動は心地よく、ボディブローを喰らった後のような軽い気分の悪さもある。
雨に湿った階段の一番下の谷底は少し広くなっており、猫の額ほどの踊り場にたむろす人々は、待ち合わせだろうか。
穴ぐらのように見える狭い受付には、両耳と唇にピアスをつけた若い女の店員と、その手前には屈強な体つきの、サングラスをかけたスーツのガードマンが油断ない表情で立っている。女はレザーのV字に開いた胸元から、香水の強い匂いと青白い肌を露出させている。
青年は頭から被っていた雨避けのマントのフードを外して、湿った髪を露にし、胡散臭げな表情で見上げた店員を鮮やかな青緑色の目で見返した。
「クラウドさん、お久しぶりです」
女の横から、その図体に似合わない丁重な仕草で、短く刈った頭を下げて見せたのは、ガードマンの男の方だった。
「誰?」
無遠慮な様子で男へ聞いた女店員は、視線をクラウドの髪へと移動させた。何処でも、クラウドの頭はやはり目立つ。
「オーナーの客人だ。お通ししろ」
女店員は無言で頷き、『本日の出演者』と書かれたリーフレットを恐る恐る差し出した。
「ありがとう」
思いがけず礼を言ったクラウドに彼女は戸惑いを隠せず、今度は頬を赤らめた。
「オーナーに呼ばれた。それと、連れが先に来てるはずなんだが」
「承知してます。剣をお預かりしました」
「オレのも預ける。確かにこれを持って中には入れないな」
「お連れ様は奥のテーブルでお待ちです」
腰のホルダーから大剣を引き抜いて、柄を相手へ向けて差し出す。マントに隠れていても細身と分かる青年が片手で差し出した剣を、大男の方が両手で受け取る様子は如何にも不自然だった。
音量を増す店内へと踏み出すと、一段低くなった四角いダンスフロアは、閑散とした屋外の様子を裏切る寿司詰め状態で、正面の中二階にあるブースで機器を操作するDJの動きに合わせて、客の頭が波のように揺れていた。破いたTシャツの裾をひらめかせながら、マイクへ何事かをシャウトするブース内の男を尻目に、ダンスフロアを囲むように作られた通路を奥へと進む。
アルコールの匂いと煙草の煙の充満する暗い通路にも、リズムに合わせて明滅するライトが差し込み、一瞬目がくらんだ。
クラウドの好む種類の音楽ではなかったが、無意識にトリップしそうになるこの感覚は嫌いではない。コスモキャニオンなどで今も行われる原始的な祭りと同じ理屈だ。
一瞬立ち止まって、ダンスフロアとの境に設けられたフェンスの前に佇んだ。
この店を訪れるのは二度目になるが、前回より遥かに混雑しているように思われた。何件ものクラブが軒を連ねた大昔のミッドガルと違い、エッジでは若者向けの娯楽施設が不足しているのだろうか。この様子ならば、何を考えたのか、突然店の経営に手を染め始めた男たちでも、きちんと儲けているのかもしれない。
「あいつらの頼み事はろくなことがない。絶対ふんだくってやる」
思わず漏れた独り言は、大音量に慣れ始めた耳には酷く篭る。
「聞こえてるぞ、と」
個々の会話など聞き取れそうもない中で、返事が聞こえたのは偶然だったろうか。
振り返ったクラウドのすぐ背後に立つ中背の男は、トレードマークの赤く染めた髪に指を差し込んで掻きながら、吊り目を微かに細めて見せた。
出会った当時から比べれば、かなり年をとった。それでも彼の少々蓮っ葉な印象のヴィジュアルと性格が実際の年齢より遥かに若く見せている。黒っぽい細身のスーツの中の身体も、全く廃れていないようだ。
「ちゃんと報酬は払うぞ、と」
無意識に表情を消した顔で、クラウドは返答を躊躇った。
ミッドガルが健在の頃は敵同士だった。メテオ事件以降は協力しあったこともあった。だがクラウドがどうしても拭えない不安は彼レノと、唯一の神羅の子孫ルーファウスの関係が切れていないことにある。
「まだ受けるとはいってない」
「でもリーブの依頼はいつも聞いてるんだろ? なんでオレの依頼だとダメなのか、理由を知りたいぞ、と」
「リーブの依頼も常に受けてる訳じゃない。大体あんたはまだ神羅の人間なんだろ。オレは神羅は嫌いだ」
レノの顔から視線を反らし、再びダンスフロアの方へ戻す。リズムに乗って動く人波は、スローテンポに移行した音楽に合わせて、動きを変えていた。
すぐ後ろで肩をすくめる気配を感じながら、クラウドは立ち去ろうとはしなかった。
「でも昔みたいにすぐ背中を向けて帰らないってことは、話を聞く気があるってことなんだな」
肩を軽く叩いて促され、クラウドは奥へと足を進める。
四方をスピーカーに囲まれたダンスフロアと違い、一メートルほど高い位置にある通路は幾分静かな空間になっていた。通路脇のテーブル席を通り過ぎ、奥へと進むと、階段状になったフロアにもテーブルが並び、ドレープをつけたカーテンで目隠し程度に仕切られている。
通路脇や反対側のカウンター席より更に会話がしやすいため、そこは男女のカップルや少数のグループ客ばかりだ。しっかりと身体を寄せ合い二人の世界を構築している者、フロアに出るほど若くはないと素面を決めこむ者、そして一番上段のテーブルには、その周囲の空気とも不似合いな一人の客が着いていた。
両腕を前で組み、低いテーブルの外へ向けた、目を見張るほど長い両足も組まれて、ローソファに収まっている。黒いロングコートこそ脱いでいるが、革のズボンとブーツも、襟元の開いたシャツも黒く、テーブルに置いたキャンドルだけの薄暗い周囲に溶け込んで見えた。その暗闇でも目立つはずの長い銀髪は見当たらず、彼の肩からは緩く束ねた明るい茶色の髪が流れ落ちていた。
「よお」
片手を上げ、顔を覗かせたレノへ、小さな頷きだけで返す男の横に、クラウドは腰を下ろした。
無造作に伸ばした手で見慣れぬ髪の束に触れ、溜息のような声を漏らした。
「こんな色にしたのか」
「結構似合ってるぞ、と。随分久しぶりだけど、あんたも全然変わってないんだな、サー・セフィロス」
感心した風にセフィロスの染めた髪と顔を覗き込みながら、クラウドの隣に座ったレノは全く物怖じしていない。二十年が経過しているとはいえ、この男は、かつて地上を統べた神羅を、そしてこの星すらを破壊しようとした張本人である。
「その名前をここで口にするな」
思わず睨みつけたクラウドの視線をものともせず、レノは豪快に笑って見せた。
「こんなうるさい場所で、誰にも聞こえやしないぞ、と」
曲調は幾分会話のしやすいミドルテンポのR&Bに変わり、だがブーツの底から響くベースの重低音は、周囲の会話も消し去っている。もしフロアで身体を揺り動かす客や、周囲で愛を育むカップルの耳に『セフィロス』の名が入れば、古い記憶を呼び起こされた者たちの間で軽いパニックが起きてもおかしくない。
だからこそ、クラウドはセフィロスが戻って以来ずっと、まるで夜行性動物が息をひそめるように、人目を避けて暮らして来た。なるべく人口の多い街は近寄らず、森の奥深くで自給自足の生活をしたり、一所にとどまることなく移動し続けたり、放浪の毎日を送って来た。
この地上で最も賑わい、事件の中心となったエッジの街にセフィロスと共に入ることは、クラウドにとって一番の禁忌だった。
今の今まで一言も発していない当のセフィロスは、染めた髪のせいか、ここにいることを疑う者などいないからか、その存在が露呈した様子もない。過去、ミッドガルにおいてはどんな芸能人よりも顔が知れていた彼にとって、注視されないことは心の安寧に繋がる。
とはいえ、彼のことだから笑顔を大盤振る舞いする訳もなく、またそれが永遠に続く保証もなかった。
「それで、話とは?」
「ああ、まあ久しぶりなんだから、そう焦るなよ。とりあえず何か飲むだろ」
すでに用意させていたのか、レノが手を上げると、ウェイトレスが幾つかグラスの乗ったトレイを持ってきた。セフィロスの前にあった空いたグラスを下げ、店名の印刷されたコースターの上に新たなドリンクを一つずつ配り、受付の女店員と同じレザー風のワンピースに包まれた尻を振りながら帰って行く。
「言っとくが、オレの趣味じゃないからな、と」
当然ウェイトレスについてだろうが、クラウドはまったく本題が始まらないことに少し焦れ、微かに眉間を寄せて見せた。
「そんなこと聞いてない」
不機嫌さも露なクラウドの返答に、レノはバツの悪そうな表情になり、頭を掻いた。
その時一瞬、セフィロスが笑った。堪えきれずに鼻で笑うようなごく小さな気配に、クラウドとレノは揃って顔を向ける。
ゆったりとソファに腰を据えていたセフィロスは片手を上げ、クラウドの前髪の辺りにその指先で触れた。それはまるで、恐れ、苛立ちと戸惑いを隠せない動物を宥めるのと同じ仕草だった。
「なんてーか、あんたでも笑ったりするんだな」
感心したように告げたレノへ、これまで無言無表情を通していたセフィロスが静かに答えた。
「お前は元タークスだったか」
「そうだぞ、と。まあ、あんたに接触した回数は少なかったが」
「では、タークスへ愛想を振り撒く意味がなかっただけだ」
レノは独り言のような小さな声できっついなあ、と漏らしたが、セフィロスから返事があるだけ、やはりまだ機嫌が良い内に入るだろう。
それからレノの話が本題に入るまでには、ブース横のステージに登場した若い女性歌手が有名なR&Bナンバーを丸々一曲歌い上げるまでの時間がかかった。かなりの歌い手らしく、ダンスフロアの客は身体を揺り動かしながら聞き入り、彼女の二曲目の前奏が始まった頃、レノは表情を改めて話しだした。
「まず、こっちの兄さんがキレてないことを確認できてよかった。やっとこオープンしたオレの店で、ジェノサイドを起こされちゃたまらんからな、と」
「そんなに危ない奴をオレがここに連れてくるとでも?」
薄く笑いさえ浮かべたレノは首を横に振ったが、やはり返答は真剣だった。
「だから確認の為にも、ご本人のご同行を頼んだんだぞ、と。なんたってメテオもそうだが、あの二年後にツォンとイリーナをボコった奴らは、この英雄さんの分身みたいなもんだろう」
「あんたたちがジェノバの首なんか拾ってくるから、あいつらが起きたんだろうが!」
一瞬険悪な空気になりそうなところを、レノは再び軽薄とも思える笑顔を浮かべたまま、大きく手を振った。
「まあ、そんなに怒るなよ、と。あんたへの依頼に、関係ないわけじゃないんだ」
レノはスーツの内ポケットから白い封筒を取り出し、クラウドの前に置いた。何事か問う視線を向けたクラウドへ、頷きだけで答えたレノを確認し、手を伸ばす。
封筒の中には数枚の写真が入っていた。
最初の一枚には割れたガラスと水浸しの通路、二枚目は海底のように全体が青みがかった風景、三枚目以降は古い工場の内部のような、錆の色が目に付いた。
そのどれもがピントが合っていなかったり、手ぶれを起こして不鮮明だった。相当慌ててシャッターを切ったのだろうか。黒っぽく、モンスターのような影が見える。
「分かりにくくて悪いんだが、何だか分かるか?」
矛盾した質問に自分で気付いたレノは手にしていた煙草を咥えて一口吸うと、それをテーブルにあった金属の灰皿へ押し付けてからクラウドたちへ顔を近寄せた。
「一、二枚目はジュノン地下の海底魔晄炉跡、三枚目以降はニブル山の魔晄炉跡だ。と聞けば、なんの場所か想像がつくだろ、クラウド」
「……まさか、またジェノバとでもいうつもりか」
表情や返答こそ平静を保っていたが、写真を持つ手には無意識に冷や汗が浮かんでいた。
ちらと横目で見やった連れは、視線だけで写真を覗きこんではいるが、それ以外の変化は窺えない。
「どれも、調査に出てたツォンたちが撮ったもんだ。見かけは普通のモンスターだが、到底歯がたたなかったらしいぞ、と。おかしいだろ」
クラウドはツォンと直接戦ったことはないが、レノたちの強さを基準に考えるなら、元タークスの戦闘力・機動力はかなり高いと云える。そのうちの二人以上が揃って倒せない相手というと、確かに普通のモンスターとは違うようだ。
「オレたちだけで全力で掛かれば倒せる、つーか無理じゃないとは思う。けど、またオレたちが接触してあの三人組みたいなのが出てくると困る。そこでだ」
「オレに退治しろ、と?」
「それと、そこの英雄さんにもだぞ、と」
レノは無遠慮にセフィロスを指さし、何かを追い払うようにその手を横に振った。
「オレたちとしちゃ、カダージュたちみたいな思念体とやらも、英雄さんのお怒りもこれ以上、ノーサンクスってことだ。もし直接手を下すなら、ちゃんとご許可いただいてからじゃないと、マズイと思ってな」
おどけた仕草のレノに対して、クラウドは冷え込んだ視線を上げた。
「何でこんなものを見つけた? 以前ジェノバの首の時もそうだ。あんたらはまだ懲りずに、あれを利用しようとしてるのか」
「違うぞ、と。どっかのアホに拾われて、悪用されたらまずいと思って回収したんだ。今回だって、もしジェノバのゴミなら放置しといたらまずいだろ。また星痕症候群なんかが流行っても大事だ」
「あんたの言う事は信用できない」
「じゃあよ、どうしてお前らに全部話して、こんなこと頼むと思うんだ、クラウド」
クラウドは唇を噛んで視線を反らせた。
レノと言い合いすること自体が不快だった。彼の言葉にはまったく悪気はなく、真実であったとしても、それをセフィロスを前にして聞くことは、クラウドへ古傷をえぐるような痛みを与えた。
「……ルーファウスも、タークスも信用できない」
「リーブの、世界再生機構の依頼は受けてるじゃねーか。あれの資金源がどこから来てるのか、お前は知ってるんだろ、クラウド」
クラウドはテーブルについた手を握り締め、その手を見下ろした。
若く見えるとはいえ、確実に時の流れに生きているレノと違い、クラウドは何も変わっていない。
ジェノバを掘りおこし、ジェノバよりも脅威であるセフィロスと、自分を創り出したのは神羅だった。例え神羅の御曹子ルーファウスこそがWROの主導者だったとしても、かつての神羅のようなパワープレイは不可能であることは分かっている。
「それでも、神羅は、全ての元凶だった。あんたがそれを知らないとは言わせない」
「クラウド」
レノは神妙な顔でクラウドを呼び、しばらく言葉を飲み込んだ。
「社長も、オレたちも、もう誰も前みたいな神羅が戻ってくるなんて思っちゃいない。みんな年をとった。あれから十年以上経ってるんだぜ。どんどん体力も衰える。だから急いでる」
「何をだ」
「どっかでジェノバが復活するようなことがあったとき、またメテオなんか呼ばれたら困る。オレたちが死ぬ前に、一片でも危ないもんは片付けておきたい。一番大きいのはこの英雄さんだが……オレたちには逆立ちしても倒せねえし、お前が見張ってるから、まあ大丈夫だろうって事になってる」
レノの言葉をどこか遠くに聞きながら、クラウドはグラスを持つセフィロスの手を見つめていた。
果たして数年前、この男に決して自分から離れないと約束させたのは、なんの為だったか。
レノが言う様に、セフィロスがその本性を現すことがないように『見張る』ためなのか。それとも実は全く逆で、自身の中にあるはずの本性と向き合わないためなのか。
「お前、ホント暗い顔すんなぁ」
不快を露に睨みつけたが、反論する気力が沸き出てこない。
テーブルの上に手を握り締めたまま、うめくように呟いた。
「うるさい」
一方的で気分の悪い依頼など蹴って帰ればいいと、クラウドが立ち上がろうとしたその時、それまで黙って話を聞いていたセフィロスが立ち上がった。
突然の動作に驚いたのはクラウドよりもレノの方だった。ソファに座ったままながら飛び退いて手を上げて身を引き、聳え立つ男を見上げている。
「ジェノバが恐ろしいか。今はもう、この星が受け入れぬ異物でしかないぞ」
クラウドを、そしてレノを見下ろすのは見慣れぬ髪色の男だが、その威圧感は確かにセフィロスだった。小さな弱々しい灯りの中で光る魔晄の目がレノに据えられた。
「オレとジェノバは、別のものだ。既に実体を得たオレには、ジェノバ細胞も必要ない。これ以上のリユニオンを望むなら、かき集めることもできるが、その時僅かにでもジェノバ因子を持つ者がどうなるのか保証はしないぞ」
レノは見上げた姿勢のまま、湧き上がった唾液を喉を上下させて飲み込んだ。
「だからよ、そういう荒療治はやめてくれよな。やっと取り戻した平穏なんだぞ、と」
力の差は歴然としており、レノやルーファウスたちがセフィロスと戦う気がないことは分かっている。
彼らは勝てない勝負はしない。だが一方で、彼らなりにジェノバ因子を原因とする騒動の源を、断とうとしているのは確かなようだ。
彼らはセフィロスを抑えられない代わりに、クラウドを制御しようというのだろうか。
「ルーファウスに伝えておけ。ジェノバを知って、あれを支配しようとしても無駄だ。奴の父、ガストや宝条、過去の古代種たちがあらゆる手段を試して、散々失敗してきたことだ。もしまた余計な詮索や画策をするなら、オレは二十年の沈黙を破ることも厭わない、とな」
語気を荒げるでもなく淡々と、しかし饒舌なセフィロスほど恐ろしいものはない。
普段口数が少ないからこそ、彼が口を開くと、基本的に喋りの苦手なクラウドは殆ど太刀打ちできなくなる。
勢いに気おされるまま、腕を引かれ、レノを置いてテーブルを離れた。
テーブル席を過ぎ、通路をエントランス方向へ戻ると、ステージで歌っていた歌手が丁度ラストナンバーを歌いだすところだった。
魅力的な歌声に後ろ髪引かれる気持ちでホールを後にし、受付で剣を受け取り、階段を上がる。その間も再び黙り込み、こちらを振り返ろうともしないセフィロスの、違和感しかない茶髪の後頭部を見上げ、小さく溜息を吐いた。
階段を上がりきった店の扉を開ければ、星ひとつ見えない夜空から、相変わらずの雨粒が落ちて、雨音は激しさを増しているように思えた。
長い逃亡の末、ミッドガルに戻って来た日もこんな冷たい雨だった。記憶の混乱する頭を抱えて、ダウンタウンを歩き、虫の羽音のような音をたてるネオン管の下で、体温を奪う雨に濡れた。
かつて空を覆ったプレートの代わりに、闇に浮かぶ墨色の雲を見上げるクラウドの頭へ、マントのフードが被せられた。
無言で見下ろすセフィロスの目に、先ほどの怒りの片鱗はない。
「なんだよ」
クラウドと同じ色の目を縁取る長い睫毛に、雨粒が数滴しがみついている。整った唇がごく近い場所で静かに動いた。
「あの男のいうとおり暗い顔だ」
「あんたがまた約束破りそうなことを言うからだ」
「言葉のあやだ」
顔の前には見慣れない茶の髪の束があり、思わずそこに頬を埋める。
「お前のそういう顔は少々見飽きた。変化を与えるには、何か気晴らしが必要だな」
カラー剤の薬品臭の中に、微かにいつもと同じセフィロスの髪の匂いを嗅ぎ、その鼻の奥に痛みを伴う熱さを感じた。
長い腕が腰に巻きつき、クラウドの肩甲骨の下辺りを撫でる。
マントの上からでも暖かく感じる感触に、クラウドは身体を預けて目を閉じた。
「じゃあ、その髪、洗わせろ」
「似合わないか」
「別人みたいで、嫌だ」
「そうか」
「それと、ジュノンとニブル山へ遠足。弁当を持っていこう」
一呼吸の沈黙をおいて、クラウドの頭の上で苦笑するような吐息が漏れた。
「心配ならば、素直にそういえばいいものを」
思えば、表情を見せないセフィロスは一方で、いつでも己の気持ちにも欲望にも正直だ。
正直になれないクラウドは、聞こえないふりをして広い胸から顔を上げると、マントのフードからぽたぽたと音を立てて雨の雫が落ちた。
「あんた、オレの考えてること分かるんじゃなかったのかよ」
コートは着けているもののフードのないセフィロスは、茶色の髪に、細かな水滴を多量に灯らせていた。街灯の明かりを反射する雫は、音もなく地面へと滑り落ちて消えていく。
ふいに近づいた顔は目を閉じる間も与えず、冷たい指先で顎をすくわれ、少し仰向いた場所に降って来た接吻を受ける。クラウドよりも体温の低い、乾いた感触だったが、他人の体温が、セフィロスの温度がいつにも増して胸に凍みた。
あの日と同じ天候でありながら、あの時のクラウドは自分が何者かすら分からなかった。魔晄に冒され、混乱する頭に浮かんだのは、失った二人の男の記憶の僅かな欠片だけだった。
だが今は、過剰な光を失ったこの街で、正体を隠して身を潜めていても、答えはそこにある。
「そうだな。今やオリジナルは、己のコピーの言いなりだ」
離れた唇が言い放って笑みを浮かべる。
英雄と崇められ、恐れられた男が、呪われた細胞と共に目覚める以前から、それだけは変わらない自嘲の笑みだ。
ネオンに煌めき輝く不夜城を滅亡へと導いた死神の笑顔は、多くの者には凶兆でしかないだろうが、クラウドにとっては違った。
どちらからともなく肩を押し、二つの人影は風雨の当たらない場所で羽根を休めるため、人通りの少ない雨の道を進む。
明滅する街灯が、しばらくその背中を照らしていたが、やがて夜闇に紛れて見えなくなった。
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